たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

新庄

2006-10-31 09:05:11 | 所感
新庄,日ハムは優勝したし,引退だし…ってことで,最近結構テレビで取り上げられてました。基本的には全部好意的。ちょっと狙ってるか?…と思いつつも,まぁ新庄は好きなのでOKです:-)。

TVでは新庄が実は結構努力してるとか,思いやりがあるとか,そういう面を誉めてましたが,わたしが思うのは,新庄のすごいところは自分の能力を冷静に見つめて,そこで一番効果のある生き方を選び実現したこと…の様に思います。
つまり,新庄も例えば野茂やイチローみたいな生き方を目指すこともできたかも知れません。いや,実際一流のプロ野球選手はそういう人が多いのでしょう。日本で成功した選手はメジャーで選手として成功しようとし,そしてずっと努力する。でも新庄は阪神からメジャーに行ったときも,メジャーから日ハムに行ったときも,選手として一流になることよりも,効果的に自分を見せる,自分ができる周りに影響を与えられることを,実に効果的にやった気がします。
もちろん,それは考えただけではなく,それに伴う努力もしましたし,元々の能力も極めて高かったのだと思います。でも選手としての能力だけを高めるのではなく,他の部分の能力も高めたり,努力をした気がします。

そういう印象を受けました。これは別にスポーツ選手に限った話ではなく,どんな仕事とかでも,自分の能力を冷静に見極めて,自分が届かない頂点を目指すのとは違う生き方を冷静に探し,そしてその実行のために努力する…って事があるということでしょう。もちろん能力を簡単に見極めず,努力するという生き方もあると思いますが,新庄の場合は,とにかく,その見きわめと,そして誰にも思いつかなかった効果的な生き方を産み出す創造力,その辺がすごいなぁ…と感じたのです。
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2006-10-30 06:52:29 | 所感
ちょっと前に極東ブログで魚の話を読みました。

そういえば,日本がマグロをとりすぎている…とペナルティをつけられた…という話も聞きました。どうも最近密漁というと日本人より他の国の人の蛮行を良く聞いていたので,どうも日本人と関係ない…と思っていたようなところもありますが,日本人がやっていてもおかしくありません。実際農作物泥棒とかもいるわけだし,別にズルをしようという人はどこにでもいるだろう…というか。まぁそれだけ漁師も大変なのかも知れません。そういえば,以前はマグロ漁船というと一攫千金…みたいなイメージもあったけど,今は違うのかしら?…。

日本以外で魚を食べるのが増えているとしたら,日本食の広がりなのかも知れないし,単純に肉が足りないとか肉が危険というイメージ…とかもあるのかも知れません。日本人が高いお金をだして魚を買うから,「もしかして魚ってうまいのかも知れない」と魚食を始めた人達も多いのかしら?。
日本人は蛋白源として魚を長く食べてきたので,魚を食べるのは当たり前のように考えるのですが,ヨーロッパの方には魚を食べるという発想がなかった民族も…かってはいたようで。
まぁでも蛋白源として魚がどれくらい優れているのかは良くわかりません。蛋白というと日本では他にも大豆製品もあるし…。最近筋力が落ちたせいか蛋白をとるように意識してますが,魚と大豆と鶏と四つ足と体への影響はどう違うんでしょうか?。四つ足(牛,豚)が悪く,鶏,魚,大豆…という風にだんだん体に良くなる…っていうのは良く聞く話ではあるのだけど,蛋白自体あまりとりすぎると…という事はないのか?…。

話はちょっとそれますが,病気になる前は,太らないように炭水化物を少なくすることを意識してましたが,今みたいに太らないのが悩みになると,少し変えた方がいいのか?…と思いつつも,どうも好み自体が以前のままで戸惑ってます。先日思わず海草サラダを買おうとしてしまいましたよ(苦笑)。

話を魚に戻して…上記リンクを観ると日本人は鮭を良く食べてるらしい。あまり鮭は買って食べてないのだけど…,鮭フレークは買うか。わたしが良く買って食べるのは,鯖,タラ,ブリあたり。刺身だとハマチ,鯛,とかか…。寿司屋に行くとマグロも食べるけど…。

などと,魚の話を聞いて,思い浮かんだことを脈絡なく…書きました。
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良い音とは?

2006-10-27 13:31:34 | 音響
ミクシィにはいろんなコミュがあり,中にはオーディオマニアが集っているコミュがあります。失礼な書き方をすると,そこで語られているいい音への工夫…というのがおもしろい。

おもしろいけど,どうも自分はそういう工夫はしないかも…とか思ってしまいます。まぁ昔からオーディオマニアにはすごい人達がいて,生半可には入り込めない世界だったのですが,ミクシィは若い人が多いせいか従来のオーディオマニアとは違う,若い今風のマニアがいてちょっとおもしろいのです。まぁ簡単に書くとPCとか圧縮ファイルとかを使って音楽を聴く人達であり,その中で「いい音」を追求している人達がいるのです。バッサリ切ってしまうと「いい音で音楽聴きたかったら,PCなんか使わずに,ちゃんとしたオーディオでCDなりLPを聴けよ」と言いたくなるのですが,向うもそれはわかってるみたいで,あえてPCで圧縮ファイルでいい音を聴くための工夫…を追求している…みたいな感じでした。
実はこの気持ちもわからないでもなく,わたしもPCで音楽を鳴らすときに,どういうサウンドデバイスを使うかとか,アンプやスピーカをそれなりに考えます。でもどこかで「所詮圧縮だし…」って思っているのか,ある程度納得のラインを越えると,もうどうでもいい…という感じもして,あまりストイックにつめようと思いません。

そんな,「いい音」に対してドライなわたしですが,別にいい音に興味がないわけでもありません。ただ思うに,いい音というのは,当たり前なのですが万人に共通なわけではなく人によって違います。ただ,だからといって個人毎に違うわけでも,なんというか趣味とか立場によって違うという感じがするのです。すべてを挙げることはわたしには出来ないので,自分の属性みたいなものだけを
とりあえず挙げてみます。おそらく音に関する自分の属性には「音楽屋」,「オーディオマニア」そして「音響学者」という三つがあると思っています。そして,ややこしいというか,ある意味音響界の悲劇でもあるのですが,この三つの立場(属性)の「いい音」というのはかなり異なるのだと思います。

具体的に書かないとわかりにくいので書きます。まる最初に「音楽屋」の立場です。もっともわたしはプロの音楽屋ではないので,間違ったことも書くかも知れません。音楽屋とここで書いたのは,音楽を作るプロセスに携わってる人の事です。曲を書き,演奏し,SRで拡声し,録音し,加工し,最終的にだれかに伝える,これらがプロセスです。ですから,演奏家や作曲者だけが音楽屋ではなく,レコーディングエンジニアや,広げて考えると機材制作者も音楽屋です。それぞれ考え方には幅があると思うし,エンジニアやむしろ音響学者やオーディオマニアに近い…という考え方も出来るかも知れませんが,それでもわたしは音楽屋としてまとめた方がしっくり来るのではないか?…という気がします。それはなにかというと,音楽屋にとって「いい音」とは作品に込められた意図もしくは,意図をきちんと表現できるものだと思うからです。
従って音楽屋(言い換えればコンテンツ屋)にとってのいい音はノイズが少ないこととか定位が明確であるとか帯域が広いとか,そういう事では一意に決まりません。ノイズが多かったり帯域が狭いことが狙い通りであればいい音であるし,モノラルで再生することを前提に作ってる音楽だってあり得ます。もちろんCDとかに記録された音を忠実に再生する…という意味で,音楽屋とオーディオマニアが望むいい音が一致する場合もあるでしょう。しかし,CDは製作に於て小さいスピーカでならす場合のバランスも考慮されており,確かに高級オーディオで鳴せばそれなりにいい音かも知れませんが,それは例えば70点が90点になるような,付加的な価値なのではないか?…という気がします。

次に「オーディオマニア」の立場を想像してみます。想像としたのはわたし自身がそこまでオーディオマニアではないからです。しかしわたしも音楽や音に興味をもった中学生のころは電気屋のオーディオコーナーで高級スピーカの音を聞き入ったり,カタログを眺めてうっとりしていた…,そんな時代もありました(苦笑)。最初にオーディオマニアにはすごい人達がいる…と書きましたが,自宅のオーディオに何百万をかけ…というか自宅を改造までする人もいます。ケーブル一本に数百万…という方もいれば,自作でスピーカやいろいろな工夫パーツを創る人もいます。
ただ一方で,CDの縁をペンで縫ったりCDを冷蔵庫で冷やしたり…という事を真顔でやってしまうのもオーディオマニアです。最近ガラスのCDというものが発売されたようですが,ああいうのを買うのもオーディオマニアでしょう。ふとそういう試みを観てると,こういう人達は一体何を再生しようとしてるのだろう?…と思ってしまいます。もちろん記録された音を忠実に再生しようとしている…というのがオーディオマニアの主張でしょう。しかしCDはディジタルゆえに比較的簡単に記録された音を取り出せます。少なくともCDの規格を作った技術者はそう思ってます。LPの様に実際に記録されている音を再現性を持って取り出せない場合はわかります。というかそれゆえにLPの時代はレコードプレーヤに重りを乗せたり,様々なことをして工夫をしてました。しかし再現性がないので,どこまでやっても忠実に音を取り出せてるかどうか検証ができませんでした。しかしCDになってしかもディジタルデータを純粋に取り出せるようになった場合…CDに対するいろいろな工夫は本当に音に効いているのだろうか?…と思ったりします。もちろんジッタの問題とか電源の問題とかマニアの方はいろいろおっしゃいますし,それに対して証拠をもって反論するデータも持ってないし,そもそもそこまで否定するつもりもありません。ただそういうマニアの方の姿勢は記録されている音楽自体にはたいして興味がないのではないか?とも思いますし,また自然科学の研究者的な視点でもありません。

さて,そういう中で冒頭に述べたようにPCで音楽を再生して,その中でいい音が聴けるように工夫する人達が今はいるようです。こういう方達は従来の数百万のお金をかけているマニアとは求めている音質のレベルは違うように思います。でもある意味CDの様に,工夫をしてもほとんど思い込みくらいにしか音が変わらないものより,数万のボードを買ったり,圧縮ソフトを変えてみたり,そういう工夫ではっきりと音が変わるというという試行錯誤を楽しんでいる意味では,数十年前の自作スピーカや真空管アンプやラジオを作っているマニアと心情は似てるのではないでしょうか?。そういえば,わたしが7年前に書いた文章の中に以下のような記述がありました。「これら(シリコンオーディオ)は決して,高品質オーディオではない。むしろ品質的には CDやLPからですら後退している。<中略>実はこういうのは,かえってユーザの遊び心を刺激するのである。どういう方式を選ぶか?,どういうシステムを組むか?,使い方は?,良くわからないだけに,そこには工夫の余地を感じるのである。」…まさにいまそういうオーディオマニア層ができあがっているのだな…と思います。

最後にあげる「音響学者」。これはわたしの立場でもあるのですが,この人達がいういい音…というのがうまく説明できません(^^;)…。一言でいうと「客観的特性重視」なのですが,一般に問題にされるのは「帯域」だったり「歪み率」だったりというオーディオマニアとからするとかなり荒っぽいものです。また波形レベルでの評価もありますが,これは一致不一致というレベルであり,「特性」と呼べるようなものではありません。また一方で「主観評価的手法」で聴いて判断する…というのもありますが,音響技術者の場合,マニアではなく一般の人に訴求する必要があるため,誰にでもわかる違いを求めます。あっ,上に「荒っぽい」と書きましたが,逆に人間がわからないような小さな数値の差を問題にする場合もあります。ただその場合はマニアにもわからないような違いです。

さてこういう状況ですから音響学者とオーディオマニアは話が合いません(苦笑)。オーディオマニアが主張する「いい音への工夫」は音響学者には聴いてもわからないしデータとしても差がない…ものであることも多々あります。しかし逆に音響学者がいういい音はもっとひどい音をマシにする工夫だったりするのです。
というわけで,わたしはオーディオマニアのいい音への追求と音響学者の追求が全然別の方向を向いていてお互いに協力し合えないこの状況は…どこか不幸な気が…ずっとしてます。自分の中に両方の素養があるだけに,残念に思います。ついでになりますが,音楽屋については,オーディオや音響機器は道具なので,道具の改善がないと表現が滞る…って事はあまりありません。ただ新しい道具の発明が,新しい表現をつくる場合もあるので,決して無関係ではないのですが…。これも6年ほど前に書いた文章ですが日本の音響機器技術者は海外の技術者に比べクリエータ的な観点が弱いのではないか?という気がして,そこにもちょっとした不幸があるような気はしてます。まぁただ現状は音響学者や技術者が不用意に音楽屋に近づこうとして失敗(というか勘違い)している例も多いので,この辺の擦り合わせをどうすれば,前向きにいいことができるのか?…は今のところ自分には良くわかりません。

…とここまで,「音楽屋」「オーディオマニア」「音響学者」という三つの音にこだわりのある人を例に挙げて,それぞれのいい音の違いを述べてきました。これら三者以外にも音へのこだわりがある人達はいて,またそこでは求めるものが違うのかも
しれません。

というわけで,いい音…と単純化したタイトルで文章を書きましたが,要はこれだけの断絶があるという事です。ただ個人的には,この断絶をなんとか埋めて,そこで何か新しいことができないか?…という気が最近強くしてます。わたしは上に挙げた三つの要素を持っているわけで,一つの立場から他の立場を観る人とは違う考え方や動きができるはずです。そこで何ができるか?…考え,行動していければ,それが自分の価値になるのではないか?…とそうありたいと思います。
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携帯プレーヤの最適音量は?

2006-10-26 07:25:26 | 音響
MP3プレイヤーによる聴覚ダメージというのを読みました。興味深い…。で,そのリンク先の報告の原文をつたない英語力で読みました。

まず最初に,ちょっと突っ込みになって申し訳ありません。こういう文章を紹介して頂いた事自体は非常に感謝しております(_o_)。

実はE4cとかの様な耳栓型が音が大きく耳に与えるダメージが大きい…,と読んで違和感を感じておりました。で,原文を読むと,要は携帯プレーヤのボリュームのメモリとその時の音量の関係だった様です。だったら納得できます。要は同じレベル設定では耳栓型の方が従来の耳覆い型のものより音が大きくなると…。
問題は,屋外とかで音楽を聴くとき,どれくらいのメモリで聴くか…であり,わたしが想像するに耳栓型,カナル型,耳覆い型では異なると思います。研究としてはそれを調べて欲しい,というのは元の研究に対する突っ込みですが,誰かやりませんか?。わたしがやった方がいい?(^^;)…。
なぜこう思ったかというと,以前知り合いが「耳栓型の方が周りの雑音が聴こえないので,結果的に小さい音量設定で音楽を聴ける」といっていて,だったら耳栓型の方が耳にいいのか?と思ったからです。わたしは実は耳覆い…というかオープン型のヘッドホンを屋外で使っており,しかもジャズとか聴いているので,電車の中ではボリュームを上げないと聴こえ無い場合も多いです。耳栓で周りの音が静かだったらもっとメモリを下げるかな?…とか思います。研究として必要なのは各ヘッドホンでのユーザが最適と思えるボリュームのメモリなんだろう…とは思います。
とはいえ,ユーザとしては各プレーヤのボリューム設定しか定量的に測れないのも事実です。iPodはボリュームの上限を設定できるので,最初から60%以上にはしない…と決めておくこともできるでしょう。でも要はその時に聴いてる人が丁度いいと思うか,足りないと思うか,うるさいと思うか…それが重要でしょう。

…というわけで,まぁいずれ機会があれば調べてみたいと思いますが,それよりもiPodとかにユーザが設定してる音量をログとして書き出すような機能があれば,しばらく行動観察をして,各ヘッドホンや音楽ジャンル毎に,どれくらいの音量で聴いていたかわかるのに…とか思いました。iPodじゃ無理でもPDAでプログラムを書けば…可能か?…。どこかの大学の学生研究とかにいいと思うけどなぁ…。こういうの企業でやると,いろいろ業界とかに目をつけられそうだし(^^;)…。
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どこも昔は遅れてた

2006-10-25 06:23:17 | 歴史
今日もたいした話じゃないのですが(^^;)…,。先週の「その時歴史が動いた」を週末観ていて思ったこと。

米騒動の話でした。米騒動は中学か高校の時に歴史で習ってましたが,ようやく内容を知りました(苦笑)。一揆と違うのは飢饉で起きたわけではなく,相場の急騰で起きた…ということらしいです。米はあるのに価格はあがると…。
それもおもしろかったのですが,当時の日本の内閣が軍属系だったこと,米騒動が起きたとき国家はその集まりを力で抑えようとしたこと…とかの話を観ていて,天安門事件を思い出しました(^^;)‥。いや別に中国の悪口を言いたいわけではなく,米騒動が日本の民主主義の目覚めだったのであれば,天安門もそうだったのかな…と。
良く思うのが,今の日本は民主主義が進んでるので,中国とかを指して民主主義じゃない…とか言ったり,韓国とかで反日デモとかをしてるのを観て民度が低い…とかいったりする人もいますが…,まぁ日本も,昔はだいぶ今とは違っていたのだなぁ…と。ついでに言うと西洋は日本より成熟した部分もありますが,西洋から観ると日本も遅れてるように見えるのだろうなぁ…と。

国というのはそういう風な道を通るのではないか?…などと思いました。

中国はいつか相当の混乱を持って体制が変わるのではないか?と以前は思ってましたど,最近は意外にスムーズに民主化されるのではないか?…という気も若干しております。まぁどうなるかわかりませんけどね。ロシアだって共産主義じゃなくなったけど,じゃぁ民主主義か?…と言われると,良くわからないなぁ…って感じだし。
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松本先生

2006-10-23 21:08:00 | 時事
小ネタ…。

松本零士が槙原敬之に抗議してる件。なんだろうこれ?。最近松本先生というと著作権絡みの話ばかりで名前を聞く。もちろん,中には納得できる主張もあるかとは思うのですが,今回の件はあまりにも些細な様な。これだけ短いというか,たんなる1フレーズの歌詞だと,盗作じゃなくてもふとどこかで耳にしたいいセリフ…とかだったかもしれないし…。

正直,松本先生どうしちゃったの?…って感じがしないでもありません。なんか自分の作品が盗まれまくってる,という被害妄想になってるのか?。…というより誰かそういう事をけしかける人が周りにいるって事なのでしょうか?…。
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学校と居場所

2006-10-21 06:11:14 | 社会
福岡のイジメで自殺の話。相変わらずニュースで取り上げられてます

わたしはイジメを肯定するつもりもありませんが,正直,今回のケースがどう特別なのかは良くわかりません。もちろん,お子さんが無くなったご両親にとっては特別なことであり,彼らがあらゆる手を使うことは,心情的にわからないわけでも無いのですが,離れてみると「何かに原因を集約」することはなんにでも出来るわけではない…とも思います。

余談ですが,あんまり自殺したことを騒ぐと…,今一人で悩んでいる人が,こうやったら世の中は大騒ぎになるのか?…と考えないか?,そういうことも心配してしまいます。

話を戻します。
今回の話をチョコチョコと聞いていて思うのは,どうして学校にすべての原因を集約しようとするのだろう?…ということです。もちろん学校にもたくさんの不手際もあったし,先生のやったことにも問題があったとも思います。でも,学校にその原因を集約し,そして学校の中でのみ解決策を問うことは,結局子供達を学校の中という狭い社会にのみ押し込むことになり,結果としてその中で適応できない新たなはみ出しものをつくってしまうのではないでしょうか?…。
わたし自身は,いじめられた(というかクラスに馴染めなかった)ことも,いじめた意識はないけど,イジメを黙ってみていた様な経験もありますが,クラスに馴染めなかったら部活に精をだしたり,放課後に楽器屋さんにたまったり,親戚の家に遊びに行ったりとか,なんか学校やクラス外のいろいろな場所があったゆえに,クラスに多少の違和感があっても,それなりにやれた気がします。もっともわたしは転校生だったので,あるクラスで居心地が悪くても,いずれまた転校するし…っていう意識はある場合もありましたが。
思い返すと小学校や中学校の頃は,学校というのはクラスというよりは仲が良い何人かの小グループの集合であり,クラス全体に居場所があるない…という様な感じではなかった気がします。だからクラスだろうが部活だろうが,遊び相手がいればそれで良かったと。もちろん学校の外でも…。
わたしはイジメというのは人間の本質的に無くすことは難しいと思ってますが,そこで悩む子供達を救うには,学校に限らず,その子の居場所があることが大事なのではないか?…という気がします。もちろん,いじめの中にはそれ以上に悪質なものもたくさんあり,行為として何かを禁じることは必要なのかも知れません。しかし,あることを学校ですることを禁じても,それだけで子供が疎外感を感じることを防ぐことは出来ません。
ついでに書くと,わたしが子供の頃は,学校は体罰とか校内暴力とかの方が問題になってましたが,それを厳しく取り締まったため,いじめが表層化した気もします。学校は常に何かの問題を産み出す場なのです。ですから,わたしはなるべく閉じた場にしない方が良いのではないか?…という気がしますし,それゆえに,いじめを学校の問題にするのではなく,社会全体で子供の居場所をつくることを真剣に考えた方が良いように思います。
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失言,核

2006-10-19 22:13:00 | 時事
中川政調会長が核保有の議論の話をした件は,なんか妙に盛り上がってますが,これってサンデープロジェクトで発言した件ですよね?…。違いましたっけ?…。あれ見てましたが,野党が無理やりそういわせた…という感じがしました。なんかいろいろ突っ込んで「いや議論は…」みたいな感じで…

なんか言いたがってないのに無理やり言わせて,「言った言った」って騒ぐのってどうなんでしょう?。マスコミも良くやるけど…というか,サンデープロジェクトは良くやる。言わせてその後のニュースとかで「…という発言しました」とか報道する…。これって印象操作というか捏造に近い気もする。
もっとも党幹部くらいになると失言したらだめだ…っていう事かも知れません。でも受取りし手としては,積極的に言った話と,ポロリと失言として言った話をごっちゃにしてはいけないと思うし。

ちなみに核武装に関しては数日前に書いた通り,日本には不要だと思います。というか北朝鮮に対して核が攻撃の抑止力になるとは思えないし。
「議論ぐらいしてもいいじゃん」という意見もあるけど,どうも議論し出したら,変なことを言って世論が結果的に変わるって事も結構あるし,でもそれが考えた結果といえばそうなのかも知れないけど,でも,わたしはやっぱり現状核武装は不要だと思うので,議論自体凍結することには賛成だったりします。変な話だけど,あんまり今日本がアメリカに守られてる…って事を認めたがらない人が多いというか,そういう前提であるって上で核保有の議論をする人も少ないので,日本の核保有論についてきちんと議論される気がしないし。
でも,日本以外はこれで核を持とうとか言い出す国が出てくるかも…って気はします。日本は核を持たないけど,それでも安全である…っていうモデルを世界に示すっていう意味でも核を持たないっていう意味はあると思います。まぁアメリカに「利用できる国」って思われてるだけ…って話もありますが:-p。
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暇潰し

2006-10-17 06:10:20 | ココロ
自分の体とか…そういうのが大変だと,時事の問題とか,哲学の問題とか…結構どうでも良くなるのだな…とか感じる今日このごろ(苦笑)。ついでに書くとTVドラマとかにもあまり感動できなくなってるなぁ…とか思ったりもします。
こういうのって「暇潰し」なのか…と。まぁ時事問題は当事者は大変だし,今の国際情勢とかは日本人一人一人も当事者だとは思うけど,やっぱりTVでニュース見て,あーだこーだ思うレベルはやっぱり暇潰しなのかなぁ…と。
とかシニカルな事を思いつつも,そのうち元気になったときに,何事にも関心のない人間になっていてもなんだし,それに自分の将来や人生の事を考えないのも,それはそれでまずいかな…と思うので,そろそろこういう状況も脱しておいた方がいいのだろう,と。
わたしは心配事や気になることがあって,体は健康なのに体重が2,3キロ1,2日くらいで落ちたこととかある人間なので,運動とか筋肉とかいう以前に,頭が一杯一杯いろいろ考えていて,体重がカロリー不足なのかも知れない。
というわけで,ちょっと日記にはまだまだ書きづらい事を,ここ2,3日考えていて,今日の日記はこんなところです。ちょっと自分のからだの事を考えるのも飽きてきたので,そろそろ「暇潰し」も出来るようにしたいと思います(^^;)。
でも,ドラマとかは楽しめるのは,まだまだ時間がかかるかなぁ…。
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死とパスワード

2006-10-14 08:05:09 | ココロ
ある人がなくなったときにパスワードが伝えられてなかったために遺族が知人にそれを知らせられなかったって話ががちょっとネットで取り上げられてました。
まぁ他人事のように考える…というよりは,まさにそういうことをつい最近考えたのでわたしの場合をちょっと書きます。

ここにも書いたようにわたしは先月手術をしました。手術自体は別に命に関わるようなものではなかったのでしょうけど,一応全身麻酔をするような手術なので極めて低い確率ながら手術中に何か起きる可能性だってあります。なので,わたしも手術の時に何かあったら?…って事は手術の前に考えました。
そもそも入院するときに,自宅に泥棒が入ったら,そしてやっぱり入院中に何かあったら…って事はいろいろ考えました。自宅にあるパソコンのデータを整理したりもしました。

わたしの場合,両親はパソコンのことは全くわからない人なので,そもそもメイルで知り合いに連絡を取る…ってことは頼めないし,まぁそれ以前に,わたしの知り合いはわたしのホームページを知ってる人がほとんどだし,メイルアドレスが必要…ってことはなくて,むしろ何かあったらホームページの掲示板にでも知り合いが書いてくれればいいや…っていう感じのことを考えました。だからメイルのやり取りをしている友人,2,3人には入院とか手術の日程を教えていたし,見舞いにも来てもらったりもしました。もしもの時のことはさすがに具体的にはお願いしてませんが…。
あと,このホームページには,自分のメモ用に外からは見えないところにファイルを置いていたりするのですが,実は手術の前の日から,次にネットにアクセスしたときまで,それをトップからたどれる様にしてました。そうすれば検索ロボットがいつか見つけてくれるかもしれないので。

まぁつまりわたしの場合は,このページが仮にわたしがいなくなったあとでもしばらく残るのを望んだ…ってことになります。もちろん,そういう風にきちんと整理してから手術に挑んだというよりは,本当に緊急にちょっと作業しただけであり,観られて恥ずかしい文章はたくさんあるし,それよりも人を傷つける文章があるのではないか?とは思い多少実名を潰したりとかそんなことはやりました。
自宅や会社のパソコンのデータに関しては,まぁ仕事に使うパソコンはともかく自分のプライベートなパソコンの文章やデータは,そりゃー,観られて恥ずかしいものばかりだけど,別にみたいと思う人もいないのでは?…と最終的には「まぁどうでもいいか」って感じに思ってました。

まぁ今回は手術でどうかなる…っていうのは,ほとんどあり得ない確率で,数週間したら戻れることだったから,結構バタバタと付け焼きで整理したのだけど…。でも本当は最終的に自分のパスワードを一任できるような人がいるといいのかなぁ…とか思ったりもします。
こういう事ってリアリティが高いように考えると,すごくきついんですけどね。
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