たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

ノーブル

2005-03-29 15:32:36 | 時事
先週朝のTFMで最近続いている過去の財界の大物が表舞台から 去っていく話をしてました。西部の堤さんとかダイエーの中内さんとか 読売の渡辺さんとかソニーの出井さんの話とか…。
まぁ去ることになった理由については「時代の変化についていけなかった」 なんて当事者じゃないから言えるような安易な意見だった 気がしますが:-p。彼らが成功した理由は,まぁ細かいところは いろいろ違うとして,大まかにいうと,勝者の理論を実行していたから …って感じでしょうか。「勝者」だから勝った…という意味ではなく, その理論を強く実行していたから…という感じですかね。
まぁわたしもどちらかというと勝者の理論に近い考えを結構 もっていて,「負けるやつが悪い。勝つやつが勝って何が悪い」 っていう様な考えはわからないでもないですが,それでもこれを 真っ正直に実施しその価値観だけで世の中を見ると,かなり 寂しいものがあります。わたしは勝者の理論もいいけど, 勝者はノーブルにならないといけないとおもってます。
というわけで,まぁそんな話はいいとして,その過去の大物に ついて論じた評論家の方々はだいたいにおいて口をそろえて, 成功者はこれから社会に還元していかなくてはいけないのでは ないか?…という様なことを言ってました。それはまぁわたしが いう「ノーブル」な立場に立つ…って話だと思うし,福祉的な 話とも言えます。
ただ,そういう視点で見ると,では過去の大物が去って, 現在台頭してきている新しい成功者たちがノーブルか?って いうと,これが甚だ疑問で,その成功者たちもしっかり 「勝者の理論」で動いているように思います。
というわけで,わたしは過去の大物がさって,新しい成功者が 出てきて社会が若返ったからといっても,実際はなにも 変わってないのでは?…とか思ってしまうのでした。
個人的にはいい加減,日本の社会も高度経済成長みたいな 考え方は止めて,人に誇れるような社会をつくりたいと思っているので, あまり現状には明るさを感じません。旧来の権力の解体とか 新世代の台頭とかそういう事を世論(=マスコミ)は喜ぶのではなく, 社会の質の転換をもう少しまじめに考えた方がいいのではないかなぁ…, いまは考えてるふりして,実際考えてないよ…などと思うのでした。
成功者が社会貢献しなくてもだれも批判しないもんねぇ:-p…。
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radiohead live

2005-03-24 14:55:24 | 音楽・アート
一昨日の早朝なんですがradioheadのモントールーでのライブをNHK BSでやってました。録画して昨夜観たのですが,去年(だっけ?)の幕張でのライブとセットが近かったので,その辺の時期のライブだと思います。アルバムHail to the thiefからの曲もやっていたので,まぁ少なくともそんなに前のライブ ではありません。
てっきり既存のDVDとかのライブを流す(WOWWOWとかよくやりますよね)とかもしくは海外の番組を買い取ってくる…っていうものかと思ってましたが,最新のライブだし,制作がNHKになってたので,NHKがマジで撮ったのかも知れません。もっともライブ部分は海外での放送を買い取ったのかも知れませんが…。
というわけで,番組の構成はライブとメンバーへのインタビューを交互に流すというもの,ライブをただだらだら流すっていう番組でも良かったと思うんですが,まぁあまりメンバーの生の声を聞いたことないので,新鮮でした。
いずれにせよお宝映像を入手できたという感じです:-)。 わたしはradioheadのライブはサマーソニックではじめて観たのですが,かなり衝撃でした。そもそもはじめてradioheadを聞いたのは友人からCDを聞かされて…なんですが,実は最初の何回かは全然ピンと来ませんでした。ところがあるとき 「everythimg in its right place」がスポーン…と頭に 入ってきて,それからむさぼるように聴くようになりました。ちなみに「everythimg in its right place」が入っているKID Aはジャズファンとかにも結構評価が高いようです。
とはいえ,その時点では,実際このバンドがどういう風に演奏をするのか全然ピンと来ませんでした。わたしは自分が演奏するせいか,その曲がどういう風に演奏されているか?…って いうのを結構気にします。KID A以降のアルバムはシンセや打ちこみが多いため,実際にライブでこのサウンドを再現できているのか?,という疑問があったりしましたが,それ以前にradioheadは ライナーをみても誰が何の楽器を演奏しているか良くわからず,いろいろ情報を探ってもギター3人,ベース,ドラム…っていう何とも…っていうような構成だったりして,どうやってあのサウンドをつくるのだろう…と思ってました。なので,ライブを 観るまでは,「ライブはアルバムと全く違うサウンドなのでは?」とか,「打ち込みの多用,もしくはサポートメンバーとかいるのか?」とか思っていたのです。
それでもって実際にライブを観たときに,アルバムのサウンドが その5人のメンバーだけでしっかり再現できていて,打ち込みも ありますが,曲まるままとかではなく,フレーズをサンプリングしたものとかで,つまり本当に生であのサウンドをつくっているので衝撃をうけたわけです。
もちろん,ギター三本ではなく,ピアノや(モジュラー)シンセ, もしくはエフェクタなどいろんな楽器に持ち代えて弾いてます。そしてその演奏が,半端じゃなくうまい…うまいといってもスマートなうまさじゃなく,なんというか荒らいけどうまいんですね。 radioheadの5人がライブでアルバム(迫力という点では越えてますが)の サウンドを構築していくのは,かっての初期のハードロックとかが 持つ構成美的なうまさではなく,もっと雑然とした,渾沌としたなかでしっかりサウンドをつくっていくってもので,「なんでこうなるの?」という驚きがあります。
というわけで,今回の放送を観て思ったのは,そういうはじめてライブを観たときの衝撃と同じものを再び感じたって いうものでした。 演奏自体の感想じゃなくて申し訳ないんですが(^^;), 「うぁ本当にこのサウンド,生演奏でつくってる」って感じで。
それとはじめてライブを観たときに,わたしがそれまで持っていたギターサウンドに対する,ある種の失望が 払拭された,あの感覚を思い出しました。ギターサウンドってまだこんなに可能性あるんだ…って思ったものでした。
ちなみにメンバーのインタビューは割とバンドつくってから今までの話でした。トムヨークって左目…どうかしてるんですかね?。 ほとんど瞬きしないのですが…。
あっ,それから演奏的にはやっぱりトムヨークがボーカルとは思えないくらい楽器を弾けているのがスゲーナァーとかとも 思いました。
コメント (2)
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思想は自由か?

2005-03-03 14:22:12 | 時事
人はどういう考えを持とうが自由だ…という事を信じたい。しかし世界的にはそうではないらしい。もちろん圧政をしている独裁国家の話ではなく,自由主義陣営と言われている先進国の中にもそういう国はある。カナダとかドイツとかの話。考えを表明するだけで牢屋行きだそうだ。
まぁ実際は考えを持つことは自由なんでしょうが,表明をするのは自由じゃない…ということか…。
日本はどうかというと,あまり明確ではない気がします。言論の自由が社会の安全に優先しているのか,していないのかイマイチ良くわかりません。良くわからないので,良くマスコミが出版差し止めを食らっては,意義を言って大騒ぎをしている。コンセンサスが得られていればこんなことにはならないので,得られてないって事でしょう?…。
実際社会を極度に不安な状態に陥れるような発言だったら,取り締まれたのではないか?…と記憶しています。盗聴法は,凶悪犯罪であれば当局が盗聴して逮捕してもいいって事になっていたはずですが,凶悪犯罪の定義は曖昧なので,なんでもできちゃうかもしれません。
つーことで…,わたしも気をつけた方がいいのでしょうか?(^^;)。…っていう最後は冗談です。んー,でもわたしはある程度社会の安全のために個人の権利が制限されるのはありかな?…と思ってますが,それでも考えの表明を制限されるって言うのは,ちょっと抵抗あります。
ちなみにわたしもヘタレなので,リンク先と同じく,捕まった人が言っている言説についてはノータッチ。日本にも「○○は無かった」とかいう意見がありますが,それについてもノータッチ(苦笑)。議論される十分な土壌があれば,どんな言説を発しても大丈夫な気はしますが,こういうヘタレがいるからだめなのかも知れません…,って自分で自分の首締めてるのか(^^;)…。
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3

2005-03-01 15:13:46 | ココロ
とある私設古代史研究会で一人が持ってきた案の中で「3」という数字が太陽神と関係が深いのでは?…というのがありました。ヤタガラスの足が3本とか,その他いくつか例を挙げてましたが…,よくよく考えると神社の神様もだいたい三神…というか三柱です。それが起源か?…というよりそもそも「3」という数字は人間にとって特別な数字として扱われていないか?…という気がしてきました。
文化的な面があるのかどうかは良くわかりません。自分の感覚ですが,例えば資料とかを作るときに箇条書きで三つ書くというのは常套手段です。二つだと少ないという感覚があるし,四つ以上だと「どれが大事なの?」なんって聞かれてしまう。なので三つ挙げる…というのをよくやります。三つだとほどよく均等に挙がるという感覚があります。
「3」という数字はどういう意味があるのでしょう?。どういう意味で特別でしょうか?。数学的な意味でいうと,「3次元」というのがすぐ頭に浮かびます。平面に安定して立つのは三つの柱であり,神様が三柱なのはこの辺から来ているのかも知れません。あと,素数でもありますし,奇数の一番小さいの(本当は1ですけど)でもあります。複数の点をお互いの線が交わらないように,なるべく多くの線分で結ぶとその空間は三角になります。数学的には「3」というのは結構意味があるように思います。
生理的な意味はどうでしょう?。「2」や「5」や「10」は人間の体の作りから特別な数字であることが想像できます。しかしよくよく考えてみると人体に「三つあるもの」というものは見当たりません。ちなみに「7」は人間の短期記憶のマジックナンバーであることから,ある意味人間に特別の数字と言えます。
生理的な意味はないのに三つの箇条書きがしっくり来る理由は何なんでしょうか?。いや実は一つだけ生理的に意味がある「3」があります。それは色覚です。色が三原色ですべての色が表現できるのは別に色が三原色で物理的に合成できるという意味ではありません。単に人間の目がそう感じるだけです。それは人間の色覚の受容体が三つの色に反応するためです(ただし女性の一部は四種類受容する…という説もあるようです)。動物によってはもっと多い受容体を持っているものもいるらしく,そういう動物には三つの色ですべての色を表現することはできないのでしょう(人間は見れないのでわかりませんが)。
というわけで,色分けをすると人間は三つの色…という風にわけるのが一番極端な色分けという事になります。この辺の事を昔から自覚できていたのでしょうか?…。その辺は謎ですが,三つ挙げて色分けすれば,一番極端に色分けができる…それゆえに箇条書きするときは3が一番しっくり来たのでしょうか?。
実際のところ良くわかりません。上に書いたことは柱が安定する事を除くと,科学がある程度のレベルに達しないと綺麗に説明できないことで,それを感覚的にやっていたのかは謎です。まぁでも人体で外から見えるところに「3」つついているものは無いのに三に対して特別な何かを感じるのは(少なくともわたしの近所では)ある様です。
…って書いていたら耳の中に三半規管があることにも気づきました(^^;)…。これも感覚器ですね。三次元だから三半規管なんだろうけど…。ふと空間が三次元なのは単に人間がそう感じているだけかのか?…とか思ってしまいました(^^;)…。いや,そんなこと無いと信じたいんですが。
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