たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

YES

2005-10-20 16:19:34 | ココロ
TFMが「小さなYES」ということでWeb上photo展をやってます。
ラジオでも喋ってるんですが,YESというとジョンレノンということで,オノヨーコ女史のお話とかもありました。
印象的だったのがジョンレノンの功績として,それまでロックというものはずっと「NO」と言い続けてきた音楽だったのが,初めて「YES」と言ったことだそうです。言われてみたらそうかも知れません。ちなみにわたしの頭の中ではロックを産み出したのはエルビス,ロックに知性を持ち込んだのがボブディラン,そしてロックにYESを持ち込んだのがジョンレノンとなりました:-)。
YESとNOというのは,なかなかバランスが難しいと思います。口を開けば「NO」とばかり言う人もいます。逆に殆んど「YES」ばかり言う人もいます。わたしはどちらかというとYESが多い人です。なぜかというとYESを言って生きるとすごく楽であることに気づいたからです。でもNOというのは「自己」だとも思います。子供は言葉をおぼえるに従い「NO(嫌)」と良く言う時期があります。これは子供というのは産まれてすぐは母親が自分の自己イメージの一部なのが,このNOを言う時期に切り放されて行くのだと思ってます。つまりNOというのはある意味アイデンティティではないかと思うのです。つまり他人と違う,他人は間違っていると言うことで自己イメージを作ろうとしているのです。ですから成長期は反抗期でもあるのです。
そうであればYESというのは自己のイメージを曖昧にするということの様な気がします。実際YESを言い続けると,自己のイメージがだんだんぼやけてくる気がします。「おまえの意見はどうなんだ?」と自分で自分に聞きたくなることもあります。別の意味では他のYESと言う集団と自分が一心同体のように感じるような気分にもなります。
そうかもしれません。人を愛することはYESであるし,その人と一体化することとも言えます。
ということでYESと言うことは自己のイメージはぼやけますが,自分は世界に一人ではないという暖かい気分になります。だからYESと言うとすごく楽になれます。NOというと孤独になります。
………まぁ実際のところわたしの場合,NOの部分も結構残ってます。でもあんまり口にはしません。自分にしかないところは自分でわかっていればいいと思っているので。わたしのモットーは「どうでもいいことはどうでもいい」ということです。意外にね,それ出来無い人多いんですよ:-p。
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靖国参拝

2005-10-18 11:49:21 | 時事
小泉首相が靖国を参拝した…という件。まぁまぁ話題になってます。なんとなく若干下火な気がするのは,単にこちらが「またか…」と思ってるからでしょうか?。中国や韓国も文句を言わないと面子丸潰れだから文句を言ってるのか本気なのかは良くわかりません。ちなみに中国はともかく韓国政府はわたしはどうでもいいです。外国に行って日本の悪口をいうような国に気を使う必要はないかと:-p。
…とはいえ,わたし自身は首相の靖国参拝については反対です。憲法判断がどうのこうのと言う人もいますが,わたしは憲法違反とは思ってません。なので公人とか私人とかという話はどうでもいいです。それよりもわたしは靖国問題は外交問題(サンフランシスコ講和条約の否定)だと思うので,そういう意味では中国が文句をいうのはあながち内政干渉でもないと…。
さて,小泉さん…。先の選挙ではどう公約したんでしたっけ?。靖国のこと語ってたのかしら?。わたしは選挙でリセットしたので,公約という意味での参拝はやめられるのか?…とも思っていたのですが。
良くわかんないのが,靖国参拝をすることのメリット。まぁ本人は平和への誓いとか個人の心情とか言うのかも知れませんが,どうも信じられません。小泉氏(自民)の支持母体が…っていうのはあるのかも知れませんが,今回あれだけ選挙で大勝したのにそこまである団体に気を使う必要があるのか?…という疑問があります。
メリットがあるとしたら,極東での緊張感をある程度維持したいということなのか?…。それともなしくずし的に特定アジアに認めさせるということなのか?。後者も多少あるのか知れませんが,前者であれば結構恐ろしい話です。現実これらの緊張感のせいで,自衛隊の存在とかがなしくずし的に世論の中で認められているわけだし。
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新放送

2005-10-17 16:36:47 | 時事
楽天のTBS提携ネタですが,むしろ先日のアップルの動画像が映せるiPodを見越してのことなのか?…とか思ったりもしましたが,まぁ株の買い取りはもっと早く始めていたのでしょうから,それは考えすぎですかね?。
というのも,ここで指摘されているように,アップルは映像のPodcastによって新しいネットTVを構築してしまう可能性があるからです。もしそうなるとインターネット上の放送のインフラをアップルが持ってしまうことになります。
今までいろんなところがインターネット上での放送をやってますが,今一つどれがメジャーなのか良くわかりません。まぁ方式的にはWindows Media PlayerとQuick Timeでしょうけど…。この乱立状態ですが,かってMP3のプレーヤが乱立状態から,アップルのiPodにより一気にメインストリームに踊り出たことを考えるとiTuneが映像配信でもメインになる可能性がないわけではありません。
これはすばらしいことか?…というと日本の家電メーカの事を考えると結構ゆゆしいことではないかと…。iPodの成功もアップルファンのわたしとしては嬉しいところもあるんですが,日本の企業のこの先を考えるとちょっと怖いところでもあります。下手するとアップルはマイクロソフト以上に日本の電機メーカに影響を持つ(Windowsマシンを日本のメーカが作るしかなかったように)会社になるのではないかと…。
というわけで,楽天+TBSの件をそう観ると,むしろそういうのに対抗しうるものを作れるのか?…とちょっとだけ考えますが,所詮1プロバイダである楽天がいくらコンテンツを握ったからと言ってハードを握っているアップルに対抗しうるとも思えず…。むしろ楽天がどんな放送配信システムを作ってもアップルに巻き取られてしまう可能性の方があるなぁ…と。
つーわけで日本は何をしてるのか?…と…。まぁ家電メーカでアップルに対抗しうるのはSONYくらいですが…,そこも今一つ攻めあぐねているようですから…。
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心理学化する社会~なぜ,トラウマと癒しが求められるのか(斎藤環)

2005-10-13 13:15:10 | 書評
斎藤環氏は以前「戦闘美少女の精神分析」という本を読んだことがあります。サブカルチャーに強い精神科医という印象です。
この本は現在TV等のマスコミで何かというと精神系の専門家がコメンテータとして登場し,また映画のストーリにはほとんどの作品で「トラウマ」が鍵となった話が多い…,そして巷には心や精神,癒し等をテーマにした本や題材が溢れている…という現状にたいして疑問を投げ掛けている本です。
わたくしごとですが,わたしも自分のページにココロに関することを書いたり自分の疑問を投げ掛けたりしていて,これを読んでかえって読んだ人に悪影響を与えることはないのだろうか?…というのはいつも感じてます。まぁわたしのページをそんなに真に受けている人がいるかという方の方が疑問ですが(^^;)…。
閑話休題…。斎藤氏は実際に本を書いたりTVにでたりしてるので,ご自分でも自分がやってることとこの本の中の疑問に綺麗に整合性が取れてないことは十分自覚されてます。しかしメディアで精神分析について話すことについてはメリットとデメリットがあって,悪影響があるから止める…っていうほど簡単な話でもないようです。氏はトラウマが既に物語りになっていろんなところに使われていることを指摘し,そして大衆のなかで消費されていくのではないか?という危惧も持ってます。またカウンセリングがブームになっているがそこにある問題点,事件報道での扱い,また脳ブームのことなどを語ってます。
詳しくはシンプルにまとまっているので本の方を読んで頂いた方がいいかとは思いますが,氏は危険性を指摘しつつも,すでにそういう手法から逃れることはできないという立場であり,精神医療や心理療法自体を否定しているわけじゃありません。
それから,書かれてましたが,臨床心理師と精神医師の違いをあまり意識したことありませんでしたが,そういや違いますよね。というか立場が違うというか精神科医の方はわたしが思っている以上に心をソフトというよりハード的なものだととらえてるなぁ…とも感じました。わかりやすくいうと薬理で治そうという傾向が強いという意味です。
どうもこの本の一番言いたいことをうまくわたしは書けてない気がしますが,つまりは何事も心の問題にしてしまう…,そして個人の中でもそれをいいわけにしてしまうとか,逃げ道にしてしまうとかそういうのも含めて(広い意味での)心理学が一種の信仰の様になっているな…という疑問を持つ人は読んでみたらいいかと思います。説明してる状況が具体的でとてもわかりやすいです。
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「場」

2005-10-13 13:08:56 | 社会
掲示板が廃れている…って話。まぁ古くからやってる人はそう思うわなぁ…。
それいうと「ネットニュース」も廃れちゃったなぁ…とか,わたしはやってないけどパソコン通信…っていうのを懐かしむ人もいるでしょうねぇ…。
わたしの感覚だと,「場」っていうのは移り変わるのだと思います。これは現実の世界でもそうで,人が集まる場所…っていうのは変わっていきます。街も永遠に人が集まる…っていうのは余りなくて,完全には廃れないにしても,流行りの場所っていうのは少しずつ移り変わっていると思います。
もっともネットで掲示板からブログへの場の変化はそういう変化というよりは新しいシステムが出来たりとかネットの規模が大きくなったりとか…そっちの要因の方が大きいでしょうけど…。
まぁネットの場合現状のように馬鹿でかくなると,誰もが入ってがやがややるのはもはや2chの様な匿名掲示板じゃないと難しいし,そうじゃないのは個人サイトに分散するから,検索性が高いブログになるのでしょう…。あとはSNSですかねぇ…。
でもSNSも新規参入が盛んで,一方既に多くのユーザを獲得してるmixiはやっぱり人が多くなり過ぎてすでにSNSじゃない…って感じているユーザもいるように思うので(というかわたしがちょっとそう思ってる),また移動が起きちゃうかも知れません。まぁそのSNSで移動が起きちゃうのは,システムというよりそういう定期的な移動なのかも…。
もっとも,そういう風にどんどん場が移るのだけど,古い掲示板が無くなるわけじゃなくて,または荒されるわけじゃなくて,本人達がいいのであれば,そこでまだコミュニケーションが行えるっていうのは,ある意味面白くて,そういう意味じゃ個人サイトの掲示板は既に公共の伝言板…というよりは,窓があきっぱなしの,だれかの家の居間…ぐらいの感じになってるのかも知れません。
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日本人と論理性

2005-10-05 11:49:07 | ココロ
極東ブログさんに天皇の現人神と進化論の矛盾に日本人が気が付かないって話が書いてあって,なるほど…と思い,いろいろ書こうかと思ったら,コメントのところが結構充実していて勉強になりました(^^;)。
日本人はもともと二つの相反する考えを両方受け入れる素養があるんだと思います。だから神道と仏教を同時に行うことができた…と。コメントとかトラックバックとかを見るといろいろ複雑な事を書いてるかたもいますが,わたしはそれくらいのざっくりとした実感。というか日本人ってそんなに論理的に物事考えてないと思います。そのときの空気とかに流されれやすいし…。西洋人が論理的なのかどうかは良くわかりません。ただキリスト教とかはそれなりに論理的…というか論理的に破綻してないのだと思います。だから信仰と論理が共存できる。日本の考え方は非論理的なので,西洋の考え方を適用するといろいろ破綻するのでしょう。
わたし自身が宗教と科学の両方を受け入れていて,一応それは論理的に帰結できてる(とはいっても言語的に表現は出来ない)し,西洋の宗教は科学と共存しやすいように出来ていると思いますが,天皇信仰と進化論の共存は論理的というよりは感覚的なものなのだと思います。漠然と受け入れているというか…。まぁそういう意味でいうと先日感想を書いた「痛快!憲法学」に書かれていた,天皇の元の平等のために現人神を伊藤博文がつくった,という考えは,必ずしもきちんと機能したか?ってことにもなりますが,まぁある意味現在より,明治・大正時代の方が日本人は論理的に思考できた…と言うこともできるかも知れませんね。大正時代の方が現在より民主主義が実現できていたらしいし:-p
そもそも日本における信仰というのが「有り難がる」信仰で,「契約」や「畏怖する」という宗教であるユダヤ系三大宗教とは根本的に違う気がします。まぁ日本にも末世思想とかはあったのですが,バチがあたるというよりはご利益がある…ことにより信仰がある気がします。
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