たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

街の声

2005-01-30 10:57:26 | ココロ
TVの報道系のバラエティとかを観てると,良く街の人の声を取り上げるけど,これって何か有用性があるのだろうか?。街の人がそう思っている…ということを言いたいのかも知れないけど,だいたい新橋とか銀座とかで取材していて,それが一般の多くの人の意見かどうかは怪しい。それにインタビューした人の声を平均的に取り上げている保証はなく,局の都合のいい(報道の主旨に合う,もしくはおもしろい)意見を偏向して取り上げている可能性もある。
観ていて思うのは,明らかに事実誤認とか思い込み,勘違いで言っている意見があり,それは間違いなんだけど,間違えているのは喋った一般人であり,TV局ではないので,TV局が嘘を言っていることにはならない。しかしその意見を聴いて「そうか,そうなんだ」と勘違いする視聴者も多いかと思う。しかしTV局はその意見を間違ってます…とは絶対言わない…。これってすごく無責任というか,意図的にやってるとしたら,視聴者に敢えて間違った知識や思い込みをさせるように仕向けているとも言える。
ヒドイ話じゃないか?…と思うんだけど…。こうやって洗脳されていく人って多いんだろうなぁ…。
そういう意味じゃ報道って全く異る意見の両方を取り上げるべきだと思うのですが,ここしばらくの報道を観てると(正しいかどうかはともかく)一つの意見をひたすら繰り返しているように思う。
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サンプリングと音楽の可能性

2005-01-29 08:59:04 | 音楽・アート
一昨日ロックの話を書きましたが,実はその日ラジオを聴いていたら,リミックス…じゃないな,まぁ複数の曲をサンプリングして重ねたような曲の特集をやっていました。ビートとかフレーズを切ってループにした…という様なものじゃなくて,はっきりと原曲がわかるような奴で,しかも複数の全然違う曲とかをやってました。
まぁはっきり言うと「ここって笑うところですよね?」っていう感じがしないでもありません。ラジオの司会者も,ちょっとそういう感じで,つまりちゃんとした作品というよりはパロディ…という感じで紹介してました。
ちょっと話がそれますが,いま,仕事の関係で,複数の音声ファイルや,音楽ファイルを重ねてミックスするために,ACID Proというソフトをいじってるのですが,今のパソコンのパワーだと,複数のファイルをリアルタイムでピッチシフトして,他の曲とテンポやピッチを合わせることができるんですね。だったら,確かにどんな曲同士でもとりあえずピッチとテンポは合わせられますね。技術(というかマシンパワー)の変化を感じるなぁ…。
で,戻るとそんな感じで,ほんの数時間パソコンを触っただけで,既存の曲から合成して曲(?)をつくれるような世の中になっているわけです。一昨日書いたように現在の日本の音楽は,比較的アレンジが凝ったものが主流になってるように感じますが,既存の曲を切り張りすると(センスは必要であるものの)演奏力がなくても,そこそこに豊富な音が入った音(「曲」と言えるかは疑問)はつくれるわけです。
で,そういうのが素人の遊びかというと,上記のようにラジオで紹介,…てことはCDになっていたりするわけです。
ただ,そういう曲を聴いていて思ったのは,複数の曲をミックスしてるので,どの曲も「混然」とした感じがします。シンプルとかすっきりした曲にはなかなかならない…。足し算で音をつくってますから…。
…で,話をいきなり絵の話に飛ばすと,絵画…というのが「芸術」になったのはルネッサンス以降で,それ以前は工芸品でした。印象派のあたりから芸術運動としての絵画が生まれてるんですが,その後抽象画の登場で大きく絵画は変化しました。ピカソやダリの時代には多くの抽象画家が登場し,あらゆる可能性が試されましたが,それはその時代の人が優秀だった…というだけではなく,実はその時代に「写真」というのが登場し発展した…からです。写真の登場以前には画家の価値の中に「正確に描ける」というのが結構あったらしいのですが,写真の登場でその価値が暴落した…,それで,抽象性への模索がはじまったのでしょう。つまり価値観とか概念の転換があったから,多くの可能性が試されたのでしょう。
…というわけで,音楽の話に戻すと,同じようなことが今後起きないか?…ということです。西洋ではルネッサンスで音楽も宗教音楽や宮廷音楽…から単独の芸術へ昇華されました。そしていま,既製の音楽の断片から音楽(らしきもの)をつくるのは,比較的簡単に出来るようになりました。そうしたら,そういうのでは出来ない,なにか新しい可能性が生まれるのではないか?。ちょっとそういう期待を感じてしまいました。もしかしたら,すでに萌芽が出てるのかも知れませんが…。いまとは違う何かが生まれるんじゃないか…というか,今のままじゃないよな…という気がしたのです。
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フェロモン

2005-01-28 11:23:51 | ココロ
極東ブログさんが「フェロモン研究は何のためにやってるんだ?」とおっしゃってる件に関して…。
わたしは自身が研究者なので,「研究なんて純粋に知りたいという理由でもやるし,結果が出そう(論文が書けそう)な分野であれば,飛び付く研究者もいるでしょ」とか身もふたもない回答をしそうですが…。ちなみに「研究費」は社会的に注目されている分野ほどたくさんもらえるので,もちろん社会背景と選択テーマは密接に関係してます。ただ,興味で研究,発表する人もいるでしょう…ってことです。

とはいえ,わたしは音の研究に絡んでいて,音が人間の気分とかにどう影響するか?ということに興味がある(とはいえ,音と感情を絡めた研究は一般性が高い結果はなかなか出てない)ので,上記の研究を見て,「音なんかよりフェロモンの研究をした方が,人の感情に何が左右するかを直接調べられるなぁ」と思いました。フェロモンで男性が興奮するならそれはそれでおもしろいと。人間の感情を脳内物質で説明して,ある種「意味から切り放そう」という試みは,ちょっと最近は減りましたが,2,3年前は普通のTVとかでも取り上げられていた気がします。ある種心療内科が取り扱うような問題に役に立つのかも知れません。フェロモンというと性欲を発想しがちですが,性欲って結局のところいろんな感情に結びがちなので,うまく扱えれば,それなりに効果はあるかと…。

ただ,だいたいにおいて人間の感情に直接左右するような物質は規制の対象になるわけで,それがたとえ人間発でも抽出したりとかで機能を強化されたりすると,やっぱりだめなんだろうなぁ…とかとも思います。
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そこまでいわれる筋合いがあるの?

2005-01-28 09:35:17 | 時事
再三書いているようにNHKの不祥事に対してはわたしはそんなに怒りを感じていないので,それに関する話はあまりまじめに書くつもり無かったんですが,世の中の海老沢会長バッシングに理不尽なものを感じたので,ちょっとだけ書きます。
わたし自身は海老沢会長が辞めようが辞めまいがどちらでも良かったのですが,まぁ辞めるのも一つの手…だとは思います。でも,早速顧問に就任したというニュースを新聞,民放が取り上げているのを見て「あぁー,またバッシングのネタ与えちゃったなぁ」と思いました(^^;)。顧問になるのはいいとは思いますが,ちょっと間を置いたりした方が良かったかなぁ…と。ただ,顧問になって「今と変わらない」と言ってる人が結構いるようですが,顧問と会長の立場,権限の違いを理解していっているのでしょうか?。NHKの場合は知りませんが,株式会社の場合顧問というと相談役よりさらに権限が無いはずです。まぁでもNHKで相談役…って聞かないような気がするので,株式会社の相談役みたいなものなのかなぁ…。
あと,退職金が多いと問題にしている記事もあるようですが,これもヒガミにしか思えずみっともないです。だいたいこの記事の「日本経団連の会員企業の大卒60歳定年での退職金は平均2512万円」って言うのも作為的です。平均値と団体のトップの比較をするっていうのは,どういう意味だろう?。そのあとに続いている意見が「会社員」とかいう肩書きなのが笑えます。実名と年齢付きで出す意味があるんでしょうか?。たぶん大企業の役員とか幹部をやってる人に聞くと「うーん,ちょっと高い気はするけど,こんなもんじゃない?」という意見になると思いますよ。
…とそもそもなんでわたしが海老沢氏の肩を持ってるかというと,別に海老沢氏に責任がないとは言いませんが,ここまで言われることはない,と思うからです。まるで当人がなにか犯罪を犯しているかのように扱われている気がします。単に…というか今回のNHKの騒ぎは,NHKの局員が背任行為を犯しただけなのに,なぜ当人じゃなくトップがここまで言われなくてはいけないかが,わたしには理解できません。もちろんトップは責任を取るのが仕事ですが,現に辞任したわけで,それで取ったと言えるわけです。当人が背任行為をしていれば,懲戒…とかもあり得るのかも知れませんが,引責辞任に退職金がもらえないなんっていうのは聞いたことありません。自分に部下がいるような人だったら想像してほしいですが,自分の部下が自分の知らないところで背任行為をしていて,それが自分のある程度のペナルティになるのは仕方ないとして,ここまで言われたら「なんで?」って思いませんか?。
まぁぶっちゃけていうと,今回の騒ぎが気持悪いのは,海老沢氏イジメに見えるからです。権力が無い人が権力のある人を批判するのはイジメじゃない…と言うかも知れませんが,権力が無い人も,世論に載れば十分権力と言うか「ランク」を持ってます。そしてランクに無自覚な人は結構手に負えないのです。
そもそも「エビジョンイル」とかいう言葉が素人はともかく,活字にもなっていたみたいですが,この言葉,海老沢氏当人はともかく北朝鮮問題絡みの人にも,結構不謹慎なギャグみたいに思います。こういう言葉使う人こそ民度が低いと思うけど…。
NHKという組織にはいろいろ問題があるとは思いますが,それは構造的な問題だったり法的な問題だったりするわけで,それを一個人にかぶせてたたいているっていうのは思考停止しているようにしか見えません。Webとか巡回していると,中にはそういうことを考察して冷静なところも結構あって安心はするんですが,おそらく今週末の民放の報道バラエティはまた個人叩きやるんだろうな…と思い,先に書かせて頂きました。
まぁこのネタはあまり引っ張りたくないのですけど…。
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ロック

2005-01-27 09:03:18 | 音楽・アート
ラジオを聴いていてふと 思ったのですが,現在はテクニカルな曲が売れるフェーズに 入っているのでは?…という事です。
わたしは売れる曲というのは,アマチュアでも簡単にコピーできる様な 曲が売れる時期がまずあって,それがだんだんアレンジとかが こってきて難しい曲の方に移行していて…,それがかなり行くと 今度は先祖帰りというかまた簡単な曲が売れる時期が来る…という サイクルになっていると思ってるのですが,最近売れてる曲を 聴くと,かなりアレンジ能力が必要な曲が増えてる気がします。
ちなみにそういうサイクルを踏む…と思い出したのは,ニューミュージック ブームからだんだんアレンジが複雑になっていき,バブルのころに 行き着いたか?…と思ったら平成バンドブームでリセットがかかったのを 見てからです。数年前にまたしばらくわりとアマチュアっぽい 編成のバンドが増えてるな…と思っていたら,最近はまた結構 アレンジが凝ってますね…。とはいえ,最近は人の作品を切り取って ペタペタ張り合わせて曲にしているケースもあるので,そうなると 本当にアレンジ能力が必要な曲になっているか?…っていうのは 良くわからないのですが:-p…。
ところで,そういう状況において,椎名林檎の東京事変は結構 おもしろいです。先日CD買いましたが,最初東京事変を組んだときに 「なぜ?」と思っていたのですがCD聴いて納得しました。非常に 粗削りな音になっていて,バンドっぽいんですよね(^^;)。椎名林檎は アルバムを2枚3枚…とつくってきていて,結構初期の荒々しさが 無くなって,ゲストアレンジャーとかを使って…となっていたのが, ここに来て,こうリセットかけられるのはさすがだなぁ…と 思いました。ギターの音とか汚くていいですね(笑)。 でもボーカルは聴きづらく何言ってるのか良くわからなくなりました:-)。
個人的には一見荒々しいようで妙に行儀が良い曲が増えてるような 気がするので,こういうやり方は歓迎します。
ロックっていうのは生まれてすでに40年以上経って,まぁさすがに 初期のものは違うけど,70年代以降のロックは現在かけても, そんなに現在のヒット曲と違和感が無く聞こえるような状態に なっている気がします。でもそんな中でやっぱり新しいサウンドというか 時代を反映したサウンドっていうのはそれなりに生まれてきていて, おもしろいなぁ…と思います。さらにジャズみたいに○○派…とかのような, 時代区分がないのも,意外におもしろいですね。いやロックファンは 区分してるのかも知れませんけどね…。でもジャズとかはしっかり年表が描けちゃうけど,ロックではそこまで無いような気がします。
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英語がコンプレックス?

2005-01-24 10:04:45 | ココロ
なぜマクドナルドの店員は「~プリーズ」というのか?という話。「日本人の英語コンプレックスをつくため」だそうです。勉強になりました。
…というか「コンプレックスをつけば儲かる」というのは大変勉強になりますが,今の日本人が英語コンプレックス…というか,マックで言われいる「カタカナ英語」を聞いてうっとりするだろうか?。六本木で外国人バイトがやっているのを聞くとそう思うかも知れませんが。
この辺は,ある程度英語を読んだり書いたりできる人と,そうじゃない人では違うのかも知れません。わたしとかはビジネス用語とかで過度に英語を使っているのを聞くと,逆に「かっこ悪い」と思ってしまうくらいだし,すでにマックの「ぷりーず」はお家芸というかギャグとして受け取ってしまいます。
30年前のスタイルをいまやっていても同じ効果は期待できないと思うんですが,わたしみたいに「お家芸」と思うような人もいるので,やめられないのかなぁ…。
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自由とは何ぞや?

2005-01-23 10:00:59 | 時事
ブッシュ大統領の就任演説はちゃんと全文読んだり聞いたりしていないので,憶測になってしまいますが,このリンクのところに何度も出てくる「自由」というのは何なんでしょう?。
アメリカは自由の国らしいので,「自由」を「アメリカ」に書き換えると,これは一国による独裁,帝国主義以外の何者でもない気がするのですが…。
だいたい「自由」という言葉は聞き心地が良すぎてわたしは胡散臭く思う言葉です。「自由」という言葉を掲げれば誰も反論できない…っていう印象があって(「平和」という言葉もそうですが),つまり強すぎて嫌いなのです。反論の余地がない…ってことは話し合いが出来ないって事ですからね。そしてアメリカは「自由」を掲げているので,やっぱり胡散臭い。
「協調」っていう概念はないのですかね?,あそこは日本は「和」の国だから根本的に違うって事なんでしょうけど…。
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表現力

2005-01-23 09:04:28 | 時事
NHKと朝日の喧嘩はなかなか見苦しいはなしではありますが,双方が報道機関ということでちょっと見ていて興味深い感じもします。通常組織の喧嘩は報道機関じゃ無ければ表現方法が乏しいため,TVとかで報道されるときは第三者が両方の意見を取り上げたり,独自に調査したりして報じます。しかし今回はNHKと朝日はお互いに全然違う主張(意見)をあたかも報道(事実)の様に発しています。こういう大手報道が全く違う事実を報じる…っていうのはとても珍しいんじゃないでしょうか?。今日はそれを取り上げている毎日系列(TBS)を見てましたが,通常はこういう報道だけなんですよね。
しかし,こうやってみると,NHKも朝日も実に饒舌で,通常の団体がこの一方だったら,そっちの意見は直接は報じられないので,やっぱりメディアって強いというかちょっとずるいなぁ…とか思ってしまいました。
普通は「言ったことと違うことを書かれている」って言う場合もそれをなかなかいう手段がないはずなんですよね。
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決められてわかること

2005-01-21 06:45:04 | ココロ
マニアックな憂鬱~野望篇さんの」日記を読んで。
実はわたしも五年くらい前に同じような事を思ったことあります。会社で「今回は君の昇進は見合わせる」と言われたときにかなりショックを受けて,昇進できなかったことより自分がショックを受けたことの方に驚いたという(笑)。でもわたしはその後,いろいろ考えて,今は出世を望んでますが(笑)。まぁ遅れたけど一応上がったし。
なんかそれまでは結構なんとなく生きていたし,「別にあがんなくてもいいや」とか意識的には思ってたり言ってたりしてたんですが,結構そこにごまかしや言い訳が入ってるな…と自分の場合は気づいたのです。もちろん偉くなって人を動かしたいとか,尊敬されたいとか,そういうことは全然思ってないのですが,いろいろと自分の人生を設計するに,もう少し偉くなっておいた方がいいだろうという,非常に自分勝手な理由で(笑)。……もちろん偉くなったらそれに見合った仕事をする覚悟はあります。楽したいとかいう気持ちはありません。というか中途半端に偉いと苦労は増えるだけです。会社における上昇指向ってなんとなく組織に迎合しているようでかっこわるいっていうイメージがいつのまにか刷り込まれているけど,実際は自由に生きるためには,ある程度立場があった方がいいというのが今の私の考え方です。
それでもってそれから5年経って,自分より若い人の評価とかを集約するような立場になると思うんですが,若いころって,「偉くなることの意味」をかなり取り違えている…ってこと。余り考えてないというか考えないようにしているのではないか?…とすら思います。上の人は下を通ってきていて,下の人は上の立場を経験してないから仕方ないといえば仕方ないのですが…。
それともう一つ。以前書いたことありますが,人は「誉められるとうれしい」というやっかいな性質があるように思います。そして誉められるべき時に誉められないと落ち込む。だから,自分が望んでいないことでも誉められるとうれしかったりするのです。誉められるっていうのは,何かを期待されている場合も結構多いんですが,それを考えずに喜んでしまうと…。反面,誉められることのリスクを考えてないから,誉められないと落ち込むと…。
評価というのは,他人の目線ですが,意外にそれを自分がどう受け止めるか?…っていうのを意識すると,自分の深層心理みたいのが見えるのだなぁ…と思います。
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救援の影に隠された迫害

2005-01-18 07:13:06 | 時事
あまりに難しい問題なので何を言ったらいいかわかりませんが,とりあえず,インドネシアのある地区にいる日本人からの手紙「メダンからの声」にリンクを張っておきます。
これだけの騒ぎになっているので各国の協力により救済が進んでいるか?,と思いきや,そうじゃない地域もあるようです。国がある地区の弾圧をこの機会に乗じて更に強めている…という風にとればいいのでしょうか?。人道的にかなり問題がある話だと思うけど,あまり知られてないせいか,批難の声があがらない。あがらないから他の諸国も批難しない。と思ったら少しだけ書かれているようです
批難すれば内政干渉と言われかねないけど,軍隊が火事場泥棒みたいなことをするのは今の時代,国際社会で他の国と付き合っていく国としてはダメだと思います。
難しい問題ですが,目をそむけてはいけない話だと思うので,とりあえず書いておきます。
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