たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

叩きたい人

2011-10-28 22:38:29 | ココロ
日本人…と言っても単に外国のことを知らないので,ほかの国でもある事なのかもしれませんが,とにかく,日本人というのは,誰かをたたき出したら際限なく叩くという集団なのだな,と最近良く思います。頻繁にあるのが政治家に対してで,一旦たたき出すと,ちょっとした失言だったり…ならともかく食事をしたこととか,いい間違えたとか,読み間違いしたとか,そんなことまで叩かれます。政治家以外でも,今ひそかに広がっている花王叩きとかも,直接関係無い人も叩けるから叩いているんじゃないか?という気すらします。

はたから見てると,そういう叩き方というのは,叩く理由があって叩くのではなく,叩ける人が見つかったから叩いているとかいう風に見えます。良くいじめが問題になりますが,根本的には同じものがあるんじゃないか?という気もします。叩いても叩き返さないし,周辺も「止めろ」と非難を向けない…という相手が見つかると,どんどんエスカレートしていく様に見えます。

もちろんすべての人がそうだとは思いません。でもそういう集団による特定の人に対する叩きがどうも日本では発生しやすいという風に感じてます。

さてそういう風に思うと,今の世間による東電叩きも,そういう動機で叩いている人が結構いるんじゃないか?という気がしてます。

もちろん,原発事故に対する東電の責任は重いと思いますし,わたしは原発は長期的には無くしていくべきだと思ってます。また筋としては本当は東電は潰すべきだろう…とも思ってます。でもだからと言って,東電がやることがすべて悪いことだとは思いませんし,消費者である我々が際限なく東電を叩いていいのか?というと少し疑問を感じます。

数日前にNHKでやった食事の放射線量の検査に対して,批判的な意見をネットで見かけましたが,「安全だ」というと無検証で「やらせだ」とか批判するのに,「危険だ」という報道には無検証で「ほら危険だ」と同意する人たちが冷静に物事を考えているようにはわたしには思えません。

あと地震や津波が起きるという可能性やそういう説があったことを,事後に取り上げて,予想できていたのにとかいうのも,フェアじゃなくM9の地震は来るという説もあれば,すぐには来ないという説もあったはずで,片方だけを取り上げて予想できていたというのは,あまり科学的な態度とは思えません。今でこそ災害に備えて設備投資を行えば,それを当然と多くの人が思うでしょうが,ほんの一年前まで事業仕分けで200年に一度の水害にたいしてスーパー堤防を作ることを仕分けした…事に対して,世間的にはほとんど異論がでないという空気だったのです。

「本当は東電はつぶすべき」と書いたのは,実際は難しいだろうなぁとわたしは思うからで,経済的な影響が大きく,回りまわって,国や銀行が損失を負い,それは普通の預金者や納税者に回ってくる可能性もあるでしょう。あと東電を潰してもたぶん役員は追放になるでしょうが,電気事業は誰かが続けないといけないので,見かけ上は看板を付け替えて,続くはずです。また潰れることで保障を放棄することもありえます。人々はそんなのを望んでいるんでしょうか?。発電送電を分離すべきという意見には同意する部分もあるのですが,法的にそれを行うなら,たぶん東電以外の電力会社もそうする必要があり,それが適当なのか?という話になるでしょう。早急に電力改革を行っても,かえって電気代は上がるかもしれません。いずれにせよ理想はこう…というのがあっても,手続きや社会的合意を形成するにはかなり高い壁を乗り越える必要があると思います。

それでも原発廃止に着実に向かうべきだという風に考えると,ただ感情的に東電を叩いているような意見はむしろ問題をますますできもしないことにしてしまっているようにみえます。批判をするなら「こうすべき」というべきで「何がけしからん」というだけの話では一向に前に進みません。

いずれにせよ,現状の東電たたきには,論理的じゃなかったり,話が前に進まなかったり,結果的に普通の人がとばっちりを受けそうなことが結構混ざっている気がします。何とかしようという風なことを感じず,ただ批判するために批判するというような意見も良くみます。どうもこれは日本人の気質なのかなと思ったりしますし,原発をどう止めていくかという議論に対してはあまりいい影響を及ぼすという気もしません。
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がんによる死はましか?

2011-10-23 06:41:50 | 医療・福祉
がんの話題が続きます。あまり明るい話題ではないので,続けるべきか?という気はしますが,ジョブスの話題で,ちょっといろいろ目について思うこともあるので。

全快取り上げたジョブスの死因の話で膵臓がんが怖いという話になっていることから,がんで死ぬことは不幸なことという前提だとわかります。また先日ニュースで聞いたがんの半分は予防可能ということからも,がんにかかる人を減らしたいという前提だとわかります。おそらく多くの人ががんで死ぬのは怖いことだ…と思っているって事でしょう。まぁ怖いですが(^^;)。

一方,わたしがガンにかかっていろいろネットで調べているときに,読んだ意見で「がんで死ぬのは他の病気で死ぬより幸せである」というのがありました。死ぬのを幸せと書くと反発を覚える人も多いので,ここでは「まし」と置き換えましょう。そこで読んだ内容は,実は結構納得できるものでした。ただ当時,わたしはがんで死ぬことにおびえてましたので,がんで死ぬのはマシだと書くと言霊になりそうだったので,頭には置きつつ書くのは控えてました。というわけで,この時期に改めて書きます。

病死と事故死,自殺等の死因を考えた場合,病死が一番マシなのはいうまでもないと思います。ちなみによく「老衰」が良いと言われますが,最近は老衰も直接の原因を特定し,病死という分類に入るようです。それで,病死の原因をみると現状はがん(悪性新生物)が死因としてトップですが,それ以外だと,心疾患,脳血管疾患,そして肺炎が多い様です。ちなみに医療が発達する以前は,死因というと肺炎か食あたりが多かったと聞きますが,昨今食あたりで死ぬ人は少ないのでしょう。

で,例えば心疾患とか脳血管疾患とがんを比べた場合どうでしょう?。イメージでは心疾患とか脳血管の疾患は持病として長く持つ人はいますが,亡くなるときは一瞬の発作で亡くなる様な気がします。つまり死ぬ準備が出来てないで亡くなるわけです。知らない間にとか,死と向き合わないでちょっとだけ苦しんで死にたい方は,確かにこれは良い死に方かも知れませんが,いろいろと身の回りの整理や残される人にいろいろ伝えたいとか思っている人には,突然すぎる気がします。そういう意味では,病状が悪化してからは数ヵ月で亡くなるがんというのは,もしかしたら少しは準備が出来る…のかもしれません。もちろん末期ガンの痛みによる辛さが知られてますが,がんの痛みは鎮痛剤である程度弱めることができます。そして死因とはちょっと違う観点ですが,がんは亡くなる直前まである程度意識がしっかりしてるということです。がんで体が麻痺したり痴呆になったりすることは脳神経のがん以外では稀でしょう。それにがんは進行を始めると止まりませんから,中途半端なところで止まったり,長引いたりはしないのです。

つまりがんは寝たきりとか意識が怪しくなるのは本当に末期で,そうなったらアットいう間に亡くなってしまうわけで,世話をする周りの人にとっては,実は結構迷惑をかけない死に方だ…というのが,がんをましな
死に方…という意見の内容でした。

…という意見は実はわたし自体は納得してます。がんで死ぬ事自体はそんなに不幸ではないのではないか?と思ってます。ただがんが不幸なのは,若くしてなった場合の話です。がんは気をつけて生活していても,発見が遅れれば手に負えない状況になってます。元気そうに見える人がアットいう間に亡くなります。これは不幸でしょう。でも十分に歳を取ってからはむしろがんで亡くなるのはそんなに悪いことじゃないような気も,わたしはします。

となると死因としてがんが増えていますが,がんの若年化が進んでいるか?ということが気になります。上にリンクしたページをみると年齢調整をするとがんはむしろ減っているとのことで,つまり若い人のがんが増えているわけではない…ということで,がんが増えてるのは高齢者が増えているから…って話になります。

となると,大雑把にがんを防ぐ…っていうのは,意味があるのかな?…という気もしてます。高齢者になってがんでなくならなかったら,いったい次はなんの病気で亡くなるのでしょうか?それは苦しまずに迷惑をかけられずに死ぬ病気でしょうか?

わたしは,まぁ80まで生きられたらがんで死んでもいいかな…と思ってます。40でがんになったときは60まで生きられたら幸せ…と思いましたが,すみません,いまは少し欲がでました。息子が成人して子供ができて,ちょっと孫と遊べるくらいまでは生きたいかなぁ。孫に自分の死ぬところを見せられるとしたら幸せだと思ってます。息子に未成年で結婚しろ…というのも,自分を省みるとちょっとムチャぶりなので,余裕を見ると80くらいかなぁとか(笑)。
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病気になって思ったこと

2011-10-21 00:32:53 | 医療・福祉
自分が癌になっていろいろ追い詰められて考えて思い至ったことは幾つもあるんですが,今のネットの話題で,それはわたしは身につまされて思ったことだよ…ってことがあったので。

一つはすい臓がんが怖いという話。ジョブスがすい臓がんで亡くなったのですい臓がんの怖さが話題になってました。すい臓がんが怖いという話は,これまで有名人がそれで亡くなるたびに話題になります。ガンの王様と呼ばれるくらい怖い病気であることをこういう病気が話題になってはじめて知る人が多いようです。というか,わたしも自分が癌になってはじめて知りました(苦笑)。とはいえ,わたしのすい臓がんはいわゆるすい臓がんとは違う内分泌腫瘍で,すい臓がんの中では進行が遅くて長生き可能と言われてます。なので,有名人がすい臓がんで亡くなった話を聞いても,どこか「自分とは違うケースだな」という想いがあったのですが,今回のジョブスの病気はわたしと同じ病気なのでそういう意味では,身につまされるし,一方で,わたしの様に助かってる人もいるよ…という気分でもあります。

ガンは亡くなった人の方が話題になるので,生き延びてる人もいるっていうのはがん患者になって知ると結構勇気を持つのですが…。まぁいま手を挙げるのもちょっとなぁ,とか思いながら読みました。ガンって日本人の病死の原因のトップだけど,やっぱりあまり知られて無いよなぁ…と自分の経験も振り返り改めて思いました。

…別の話題。

ひろゆきがどこかで発言した「福島の放射線の強い地域に残ってる人は、覚悟を決めてるのか、楽観的なのか、何も考えてないのか3つのうちのどれかだと思うのですが、「仕事がある」とか言ってる人って、目の前の日銭と自分や家族の人生を天秤にかけて、日銭を取ってるってことですよね。不思議。」…って発言。

わたしは放射線が強いところにいる子供を抱えた人は,子供と母親だけでも疎開すべきだと考えているので,それを煽るための発言であれば,まぁ言ってることも理解できますが,でもやっぱりちょっと言い方としては違うかな…と。前後の流れもあるんでしょうが。

日銭のために人生をかけるというと,基本的には人間はそういうものだよな,と思います。皮肉を言うと,年金とか国債だって,今の日銭のために将来に借金を積み上げてるわけです。今,食べるために将来のことに目をつむると言うのは結構普通に行われていることじゃないでしょうか。

そういう大きい話じゃなくて,自分の経験でも,開腹手術をして一月も経たないうちに,わたしは職場復帰したのですが,その時はいすに2時間座るのも不安な状態で,体中にストレスがかかりまくっていて,このストレスで再発したらどうしようとか,良く思ってました。言葉通り,命を削って仕事をしてるという感覚がその時はあって,でも「命を懸けるほどの仕事ですか?」とか結構自問自答してました。

これも日銭のために寿命を削っていたのかもしれません。好きか好きじゃないかとかそういう話でもないな,働くってそういうことだよな…と思うようになりました。弁当翁が「日銭を稼いで人生になる」と書いてますが,まぁそういうこと。

でも一方で,自分の寿命を縮めても子供のリスクを下げるのも親の生き方(手法は時代に依って変わりますが)だと思うので,放射線の強いところに家族共々住む事を仕方ない…とは言いたくないという心情はあります。
...

とまぁ,病気になって個々の命のはかなさみたいのをひしひしと感じたのですが,それだけに命を後の世代につなぐ事の大事さも痛感したのでした。
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スティーブ・ジョブス

2011-10-06 23:34:19 | ココロ
わたしは自分にとって特別な人じゃないと,その人の訃報には反応しないことにしてます。ですからジョブスというのはわたしにとってはとても大きな存在です。

今朝彼の訃報が報じられました。56歳。ショックですが,CEOの引退の時から彼の病状が非常に良くない…という感じはしていたので,当然の流れだったのかも知れません。でも引退から一月ちょっとであり早いな…という感はします。まぁガンというのは,そういうスピード感なのではありますが…。

彼の偉業などをわたしが書いてもしょうがないので,わたしにとってのジョブスがどう特別だったかという話を書きます。

…。

わたしがMacにはじめて触れたのは大学生の時,研究室の先輩がMac Plusを持っていたからです。わたしはAppleIIとかの世代ではありませんが,AppleII自体は会社に入って先輩から一度見せてもらったことあります。Plusはとても良くできたコンピュータで当時PC98が主流だった時代,かなり先進的でした。まぁ当時はわたしはゲームをしていただけですが。

社会人になりMacでドキュメントをつくるようになり,MacIIciを会社で使うようになりました。その後PowerMacとか何機種か乗り換えていくことになります。自宅にもMacIIciを中古で入手したり,その後PowerMac8100を入手したりしました。ちなみに8100はまだ持ってますが,先月の引っ越しで電源が入らなくなってしまったのは,今回の訃報と偶然なんだろうか…という気がしてます。もっとも8100は彼が手がけたマシンではありませんが。

で,この頃にMacを使っていてMacはとても好きなマシンでしたが,ジョブスの事はまだ意識してません。意識したのはこれと平行して会社でNeXTをプラットフォームとした開発をはじめたからです。NeXTは非常に優れたコンピュータでわたしはここで多くのプログラミングをしました。でもNeXT自体は結構マイナーな存在だったので,逆にユーザは情報を得るためにいろいろ調べ,その頃からジョブスのこともわたしは意識するようになりました。NeXTは会社で何台も購入したし,自分でももってました。最後のバージョンのOSまで所有していていました。この頃からわたしはジョブスに非常に愛着を感じはじめました。

その後彼はAppleに復帰。NeXTが無くなったのは残念でしたが,そのOSの基本構成がMacOSに引き継がれたのはとても嬉しかったです。その後のアップルの快進撃はみなさんのご存じの通り。とても良い製品を出し続けていたと思います。

そして,もう一つ,わたしにとって彼が特別な存在だったのは,彼がなった膵臓のガン。病名がきちんと報じられてませんが,おそらく内分泌腫瘍で,わたしがなった癌と同じです。部位は微妙に違うのかも知れませんが…。わたしがなったのは2006年。ジョブスが手術したのは2004年。彼は2005年に自分が膵臓のガンで手術したことを語ってます。内分泌腫瘍と伺える内容でしたから,わたしにとって,彼は自分の先行事例だったのです。

私自身が手術の後,どれくらい生きられるんだろうか?とずっと悩んでいるときに,彼が元気にしていることはとても勇気づけられました。一方で手術から数年後から彼の体重が減ったり,休んだりしたニュースや映像は,自分にすぐに起きるような事のように思えて,恐ろしく思えたものです。私にとってはまさに他人事ではありませんでした。そして肝臓移植を受けたというニュースを聞いたとき,あぁ,肝臓転移したのだな…とすぐにわかりましたが,自分が転移しても多分移植を受けることは出来ないので,それは複雑な心境でした。

そしてわたしは先月,手術か5年が過ぎ転移が起きてません。一山乗り越えた心境です。ジョブスは癌の手術をして7年くらい生きたことになりますが,おそらく転移がわかったのはずっと早いはずです。多分体重が減ってるときに抗癌剤をはじめたのではないか?と思ってましたから,3,4年目には転移がわかっていたのでしょう。そういう意味では5年目に転移がないわたしは,彼よりもずっと病状が良いのだとおもいます。うまく行けばわたしはこのまま逃げきれるかも知れません。

ある意味,わたしは彼を自分の病気の先輩としてみてきました。彼の病状が悪化した事自体は,単純に好きな人が病気になった以上に,身近な問題のようにずっと思ってました。ですから,彼の今回の死もわたしにとっては特別なことです。でも,たぶんどこかで道がわかれてしまのかなとも思います。わたしがあちらに行かなかった事自体は,私には幸せなことですが,彼にはずっとわたしの先行事例を続けて欲しかった。膵臓内分泌腫瘍になって手術をして,仕事に復帰し,そして元気に人生を全うする…というのをこれからも見せてもらいたかったです。そういう意味で,大きな目印をわたしは失った気がします。残念ですが,わたしが一番辛かったときに,彼が元気であったことにわたしは元気付けられました。ありがとうございます。
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