日本人…と言っても単に外国のことを知らないので,ほかの国でもある事なのかもしれませんが,とにかく,日本人というのは,誰かをたたき出したら際限なく叩くという集団なのだな,と最近良く思います。頻繁にあるのが政治家に対してで,一旦たたき出すと,ちょっとした失言だったり…ならともかく食事をしたこととか,いい間違えたとか,読み間違いしたとか,そんなことまで叩かれます。政治家以外でも,今ひそかに広がっている花王叩きとかも,直接関係無い人も叩けるから叩いているんじゃないか?という気すらします。
はたから見てると,そういう叩き方というのは,叩く理由があって叩くのではなく,叩ける人が見つかったから叩いているとかいう風に見えます。良くいじめが問題になりますが,根本的には同じものがあるんじゃないか?という気もします。叩いても叩き返さないし,周辺も「止めろ」と非難を向けない…という相手が見つかると,どんどんエスカレートしていく様に見えます。
もちろんすべての人がそうだとは思いません。でもそういう集団による特定の人に対する叩きがどうも日本では発生しやすいという風に感じてます。
さてそういう風に思うと,今の世間による東電叩きも,そういう動機で叩いている人が結構いるんじゃないか?という気がしてます。
もちろん,原発事故に対する東電の責任は重いと思いますし,わたしは原発は長期的には無くしていくべきだと思ってます。また筋としては本当は東電は潰すべきだろう…とも思ってます。でもだからと言って,東電がやることがすべて悪いことだとは思いませんし,消費者である我々が際限なく東電を叩いていいのか?というと少し疑問を感じます。
数日前にNHKでやった食事の放射線量の検査に対して,批判的な意見をネットで見かけましたが,「安全だ」というと無検証で「やらせだ」とか批判するのに,「危険だ」という報道には無検証で「ほら危険だ」と同意する人たちが冷静に物事を考えているようにはわたしには思えません。
あと地震や津波が起きるという可能性やそういう説があったことを,事後に取り上げて,予想できていたのにとかいうのも,フェアじゃなくM9の地震は来るという説もあれば,すぐには来ないという説もあったはずで,片方だけを取り上げて予想できていたというのは,あまり科学的な態度とは思えません。今でこそ災害に備えて設備投資を行えば,それを当然と多くの人が思うでしょうが,ほんの一年前まで事業仕分けで200年に一度の水害にたいしてスーパー堤防を作ることを仕分けした…事に対して,世間的にはほとんど異論がでないという空気だったのです。
「本当は東電はつぶすべき」と書いたのは,実際は難しいだろうなぁとわたしは思うからで,経済的な影響が大きく,回りまわって,国や銀行が損失を負い,それは普通の預金者や納税者に回ってくる可能性もあるでしょう。あと東電を潰してもたぶん役員は追放になるでしょうが,電気事業は誰かが続けないといけないので,見かけ上は看板を付け替えて,続くはずです。また潰れることで保障を放棄することもありえます。人々はそんなのを望んでいるんでしょうか?。発電送電を分離すべきという意見には同意する部分もあるのですが,法的にそれを行うなら,たぶん東電以外の電力会社もそうする必要があり,それが適当なのか?という話になるでしょう。早急に電力改革を行っても,かえって電気代は上がるかもしれません。いずれにせよ理想はこう…というのがあっても,手続きや社会的合意を形成するにはかなり高い壁を乗り越える必要があると思います。
それでも原発廃止に着実に向かうべきだという風に考えると,ただ感情的に東電を叩いているような意見はむしろ問題をますますできもしないことにしてしまっているようにみえます。批判をするなら「こうすべき」というべきで「何がけしからん」というだけの話では一向に前に進みません。
いずれにせよ,現状の東電たたきには,論理的じゃなかったり,話が前に進まなかったり,結果的に普通の人がとばっちりを受けそうなことが結構混ざっている気がします。何とかしようという風なことを感じず,ただ批判するために批判するというような意見も良くみます。どうもこれは日本人の気質なのかなと思ったりしますし,原発をどう止めていくかという議論に対してはあまりいい影響を及ぼすという気もしません。
はたから見てると,そういう叩き方というのは,叩く理由があって叩くのではなく,叩ける人が見つかったから叩いているとかいう風に見えます。良くいじめが問題になりますが,根本的には同じものがあるんじゃないか?という気もします。叩いても叩き返さないし,周辺も「止めろ」と非難を向けない…という相手が見つかると,どんどんエスカレートしていく様に見えます。
もちろんすべての人がそうだとは思いません。でもそういう集団による特定の人に対する叩きがどうも日本では発生しやすいという風に感じてます。
さてそういう風に思うと,今の世間による東電叩きも,そういう動機で叩いている人が結構いるんじゃないか?という気がしてます。
もちろん,原発事故に対する東電の責任は重いと思いますし,わたしは原発は長期的には無くしていくべきだと思ってます。また筋としては本当は東電は潰すべきだろう…とも思ってます。でもだからと言って,東電がやることがすべて悪いことだとは思いませんし,消費者である我々が際限なく東電を叩いていいのか?というと少し疑問を感じます。
数日前にNHKでやった食事の放射線量の検査に対して,批判的な意見をネットで見かけましたが,「安全だ」というと無検証で「やらせだ」とか批判するのに,「危険だ」という報道には無検証で「ほら危険だ」と同意する人たちが冷静に物事を考えているようにはわたしには思えません。
あと地震や津波が起きるという可能性やそういう説があったことを,事後に取り上げて,予想できていたのにとかいうのも,フェアじゃなくM9の地震は来るという説もあれば,すぐには来ないという説もあったはずで,片方だけを取り上げて予想できていたというのは,あまり科学的な態度とは思えません。今でこそ災害に備えて設備投資を行えば,それを当然と多くの人が思うでしょうが,ほんの一年前まで事業仕分けで200年に一度の水害にたいしてスーパー堤防を作ることを仕分けした…事に対して,世間的にはほとんど異論がでないという空気だったのです。
「本当は東電はつぶすべき」と書いたのは,実際は難しいだろうなぁとわたしは思うからで,経済的な影響が大きく,回りまわって,国や銀行が損失を負い,それは普通の預金者や納税者に回ってくる可能性もあるでしょう。あと東電を潰してもたぶん役員は追放になるでしょうが,電気事業は誰かが続けないといけないので,見かけ上は看板を付け替えて,続くはずです。また潰れることで保障を放棄することもありえます。人々はそんなのを望んでいるんでしょうか?。発電送電を分離すべきという意見には同意する部分もあるのですが,法的にそれを行うなら,たぶん東電以外の電力会社もそうする必要があり,それが適当なのか?という話になるでしょう。早急に電力改革を行っても,かえって電気代は上がるかもしれません。いずれにせよ理想はこう…というのがあっても,手続きや社会的合意を形成するにはかなり高い壁を乗り越える必要があると思います。
それでも原発廃止に着実に向かうべきだという風に考えると,ただ感情的に東電を叩いているような意見はむしろ問題をますますできもしないことにしてしまっているようにみえます。批判をするなら「こうすべき」というべきで「何がけしからん」というだけの話では一向に前に進みません。
いずれにせよ,現状の東電たたきには,論理的じゃなかったり,話が前に進まなかったり,結果的に普通の人がとばっちりを受けそうなことが結構混ざっている気がします。何とかしようという風なことを感じず,ただ批判するために批判するというような意見も良くみます。どうもこれは日本人の気質なのかなと思ったりしますし,原発をどう止めていくかという議論に対してはあまりいい影響を及ぼすという気もしません。