たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

みんな社会を信じている

2011-03-30 23:59:43 | 時事
今回の震災で海外から高く評価されたこととして,被災した人たちが暴動を起こしてないとか,ものを買ったりもらったりするときにきちんと列を成しているとか,そういう話があります。

実際わたしも地震の夜都心から自宅に歩いて帰る途中に,ものすごく多くの人たちが黙々と歩いているのをみて,みんな我慢強いなぁ…と思ったりもしました。他の人は喧嘩とか罵声とか見たり聞いたりした人もいたようですが。

列を作るという話を聞いたときに,思い出したのがちょっと前に目が点で中国人が並ばないという話をやっていたことです。その時は日本の幼稚園児を使って実験をし,並べば確実にもらえる場合は並ぶが,もらえない場合は,早い者勝ちになり先を争う…という結論になってました。つまり日本人が並ぶのは並べば確実にもらえるという信頼をしてから…ということになります。

わたしが思うのは,今回の被災地で多くの人たちが並ぶのは並んでももらえない場合があっても,その次の回にはもらえるかもしれないとか,もらえない人は全体に対してほんの一部だ…と思ってるのかも知れません。それからもうひとつ,一緒に並ぶような人が,ご近所の人だったり,顔見知りだったりすると,そこでルール違反を犯すと,その場所自体にいづらくなるから…のようにも思います。もし,周りに誰も知り合いがおらず,しかも通りすがりで二度とそこにはこない…人だったら日本人でも並ぶでしょうか?。…まぁ並ぶ人もいるかな。今回の震災でも被災して,食べ物が無いときに見ず知らずの人から食べ物を分けてもらった…という人も多かったようなので,見知らぬ人ともいい関係を続けていれば,いいことがある…ということなのでしょう。

つまり,日本人の多くは,なんだかんだ言っても,その場所に住むこと,その社会に所属し続けることを望んでいるし,そうじゃなくてもルールを守って他の人に良くしておけば良いことがあると思うし,実際あるっていう社会なのでしょう。

そういう意味ではムラ意識が強いとかいろいろ言うけど,みんな社会を好きで社会を信頼してるんだよな…と思いました。
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人災という言葉に人間への万能信仰を感じる

2011-03-25 12:02:12 | ココロ
今おきている原発の事故を「人災」という人をネットで見かけるのですが,わたしはそれには違和感を感じてます。もちろんここまでひどくなったのは,ミスや,運営上の問題があったとは思いますが,きっかけは地震です。これだけの大地震が無ければ,こういうことはおきなかったと思います。これを人災というと,我々が地震や雷や台風などで火事や家の倒壊を起こしたりしても人災といわれるのでしょうね。

それもあるのですが,「人災」ということは,そこに「人はそれを何とかできたはず」という前提があるように感じるからです。つまりこれだけの大地震が起きても,人はその被害を食い止める英知(?)があったということをいいたい,もしくは信じてるのでしょうか?。

わたしは原子力は「人間の手に負えない」とどちらかというと思ってます。地震や津波もある規模を超えると手に負えない…と思ってます。だからなんともならない部分があるとも思います。

同じようなことは実は病気でも感じます。医療ミスが問題になるとき,簡単な病気でも患者死んだ場合はミスでしょうが,もともと助からない病気だったのが,治療を受けたことで死期を早めたという場合に,医療ミスだといわれる話を良く聴きます。これもわたしは人為的なものというのには疑問を感じるのと,その中に人は病気をコントロールできるという考えを感じます。わたしはこれも違和感があります。

人は困難な状況を受け入れるべき…といいたいわけではありません。ただ,できないことを要求すると無理が出るのも事実です。そういう意味で,今回の事故を人災というと,人災は防げる,だから原子力はもっと推進できる…という理屈になりそうで,危険な感じがします。

あとついでに書くと,水力発電はダムを作る,火力発電は二酸化炭素を出す,原子力は事故を起こすとものすご被害が出る…ってことで,電気を求めるという行為自体が,いろいろ無理のある要求であるということもいえると思います。…前も書いた通り,これについてはわたしは答えを持ってません。
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放射線で気になること

2011-03-24 12:55:38 | 時事
昨日はずっと外に出ていたので,ニュースを細かくみてないのですが,水道水から放射性ヨウ素がでたという話は,かなりショッキングだなと思いました。どうも巷では既に買占め等の混乱が起きている様ですが,そもそも先週末にスーパー行ってもミネラルウォーターどころか炭酸水すらなかったので,いまさら買占めが可能なのかともちょっと思いました?。

今回は「乳児は飲まないように」と専門家が言ってるのは,どうも,これまでの「食べ続けていなければ」に比べるとかなり深刻度が高いような気がします。そういう意味なんでしょうか。

少し不安に感じていることを書くと,今回の水もそうですが,いま東京は雨(関係ないけど,昨夜雪が降りました。びっくり)で,そのせいでか,ちょっと放射線量が増えてます。放射性の塵が地面に落ちてきてるのは理解できるんですが,この塵はいつ原発を出たものなんでしょうか?。福島の原発の放射線は強まった,弱まった…みたいなことを日々報道してますが,定常的な量は減ってるのか増えてるのか。今の濃度でも,東京に数日すれば,これくらいの放射線が観測されるってことなんでしょうか?。

あと,放射性ヨウ素は半減期が8日で短いので,しばらくたてば消えると言うような話は,そうかもしれませんが,それでは,なぜチェルノブイリでは甲状腺がんが増えたのか?。チェルノブイリでは長期的に放射性ヨウ素が存在していたのでしょか?。それとも8日というごく短期でも,体内に入ればがんの発生に影響を与えるくらいのものなんでしょうか?

水はとりあえずひと月ぐらいためておいて置くと,8分の1くらいになるのかな?

以前,どうして欲しいのかを書かずに不安だけをあおるのは良くないと書きましたが,今回は不安をあおるというより,疑問点を書きました。一応わたしの思いを書くと,上記の不安が払拭されないのであれば,乳児が飲む水に関しては,神奈川とかの水は大丈夫なんだから,そこから飲料用だけでも持ってくることはできないのかしら無理かなぁ。自己解決とか給水車とか,…。ミネラルウォーターよりは安価になるとは思うのですが。

いずれにせよ,これが数日で収まるのかどうかが,一番気になるところです。
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それを伝える理由を知りたい

2011-03-21 15:27:55 | 時事
昨日は朝のうちにスーパーで買い物。その後はずっと自宅にいました。何していた…という感じでもないのですが。

結構Twitterとか,mixiとかみていて,原発ネタが多い。特に後者。現状について,(特に関東では)安全という意見と,(東京に限らず)危険という意見の両方が目立ちます。目立つけど,大体書く人によってどちらかに振れてるので,両論併記というより,それぞれが自分の信じるところを書いてるのでしょう。

安全という人は,政府の見解に近い発言をしてるし,今の状況だと東京の人は普通に暮らしてほしい…というのがたぶん主な狙いだと思います。でも逆に危険を訴える人って何を狙って訴えてるのかが良くわからないな…と思いました。

実は私が息子を疎開させたのは,九州の親戚が,多少あおったところもあるんですが,そういう人たちが悲観的なことを言うのは,我々を疎開させたかったからでしょう。これは判ります。でも,親戚や知り合いを動かそうと狙うのではなく,ただ危険を訴える人は,何をゴールとして主張してるのでしょう。東京からどんどん人が疎開して欲しいと思ってるのでしょうか。そうであれば,危険を訴えるだけで終わらず,避難せよと言うべきでしょう。でもそうすれば,次は具体的に「どこに?」と問いたくなります。

これに限らずネガティブな意見を主張する人は,主張するのはいいのですが,ではどうすればいい?というのが良く見えない場合が多いです。本人はおそらく事実をただ書いていると思っているのかもしれません。でも,信憑性はともかく新規性があるわけでもない意見をただ書いても「それで?」としか思いません。危ないといわれても,どうしようもなければ困惑してしまいます。

最近ネットをみていて思うのは,情報を発信したいということであまり深く考えずに発信してる人が多くないか?と思うことです。子供が「聞いたことをすぐに誰かに伝えたがる」のとどこか似てるな,とか思います。

で,じゃぁわたしは原発を危険と思ってるか思ってないか?というと,事実としては政府の発表はそこまで疑ってません。ただ危険度の見積もりは,よくわからないというか,ちょっと安全といわれても諸条件がはっきりしないので,そこだけは自分で判断しないといけないと思ってます。
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停電にあわせた生き方

2011-03-20 07:22:50 | 時事
昨日,昼,吉祥寺へ行きました。木曜の銀座を見ていたのでがらがらか?と思ったら,普通に人が多かったので,ちょっと肩透かし。昨日は停電がないと一昨日のうちに発表されていたからかも知れません。お店も結構開いていたし。

平日に比べて休日がそんなに電気に余裕があるのか,と思いましたが,暖かかった影響もあったらしいです。

さて,こういう日が続けばいいのですが,これからしばらく停電があるでしょうし,休日に停電があることもあるでしょう。今のままでは小さい店舗はつぶれるし,娯楽に携わる人も失業していくでしょう。計画停電があっても,それなりに社会が回るようにしていかないとなと思います。

一週間停電の予定に振り回されて思ったのは,停電の予定が毎日変わるのでまず予定が立たない。今後慣れると,もう少し把握しやすいとは思いますが,やぱり毎日にじゃなくて週単位とかで予定時間をまわせないでしょうか。そうすれば,今週はドコドコは何時まで停電だから近づかないようにしようとか考えやすいと思います。

あと,どうせ深夜は電気の使用量が少ないので,もっと深夜まで電車を走らせて,遊ぶ人は夜遊ぶとか。

一日の5分の1は停電する予定になるのだから,労働時間も5分の1にして,あと一人の労働時間を減らして,多くの仕事を交代制みたいな感じするとか。一人の収入は減るけど,雇用は増やせるかもしれません。海外には夏の間しか働かないとか,そういう国とかもあるようですが,停電の予定にあわせ,午前中だけ働く,午後だけ働くという労働スタイルももしかしてありなのかもしれません。

そんなことを少し思いました。うまくいくかどうかわからないのですが,今って,たとえばTVのネット配信がなし崩し的に始まったりとか,今まで無理だったことをできるいい機会でもあります。働きすぎだったり,一部の人だけに仕事が集中するという今の日本を変えるそういう機会としていかしてもいいかもしれません。
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疎開

2011-03-19 06:29:53 | ひとこと
昨日嫁と息子(1歳)を羽田空港から西日本へ送り出しました。いわゆる疎開ということになります。

福島の原発のことが気にならない…というと嘘になりますが,スーパーの買い物が大変だったり,停電で落ち着かなかったり,まだまだ余震があったり,そして田舎の親戚が結構うるさく言ってくるということがあったのと,あと嫁の祖母が危篤になったりとかあったので,まぁその辺の機会をあわせて…ということになります。原発は東京だと影響はほとんど無いと思いますが,ただ風向きや放射線量が気になっていたのも事実で,息子がいなくなれば,あまり気にはならなくなり,わたし的には落ち着きます。

今の状況って,なんとなく町全体が暗い感じがして,停電で街灯が…という意味ではなく,いろんな意味で。そういう雰囲気を感じているのか,子供が今週ずっと体調がわるくて,それで,環境を変えてみたい…というのもあります。

自分達だけ…とは思いますが,親が子供を守るために周りから顰蹙を買ってもルール内で精一杯行動するのは当然のこととも思うので,今回はこういう行動に出ました。

それにしても昼間電車で空港に向かうと明らかに長期旅行のような大きなかばんをもった人が目立ちました。羽田も国内線なのにまるで海外旅行の様な大型のスーツケースをもった人がいつもより多かったように思います。あとうちと同じく乳幼児を連れている人。昨日は平日ですが,明日から連休,そのまま春休みという人も多いでしょうから,明日はもっと子連れが増えるんでしょうね。昨日はまだまだ飛行機は空席が目立ってはいましたけど。

うちの場合はそんなに長く離れて暮らすつもりはありません。停電で落ち着かないとは書きましたが,嫁達が帰ってきても停電は続いてるだろうなぁという気がします。
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遠くの人ほど話が大げさになる

2011-03-18 05:52:11 | 時事
昨日九州にいる親族から連絡。かなり心配している様子。海外の方で本国から機関命令が出てるとかいう話とかを聞いても思うのですが,どうも,遠くの人ほど,物事を深刻にとらえている気がします。まぁこっちの人間の方が,鈍感になってるっていうのもあるのかもしれませんが。実際東北にいる知り合いとかのブログを観てると大変そうだけど,やっぱり普通に暮らしているんですよね。腹が据わっているというか。

とはいっても,東京くらいだと,まだまだパニックぽい感じはして,昨夜は銀座にのみに行ったのだけど,街自体ががらがらでちょっと驚きました。電車は間引き運転をしてるはずなのにそんなに混んでないし。何より店舗がこれじゃ経営が成り立たないのでは?と結構心配になりました。そういう意味で,日本の経済は大打撃だよなと思います。

何とか今の計画停電になれて,国の経済が回るようにしていかないとなぁと思います。
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計画停電と原発とエネルギーのあり方

2011-03-17 12:00:55 | 環境・自然科学
計画停電は地方部から始まっていて,都内は影響を考えてか,はずしてるのか?と思ったら,昨夜いきなりなりました。19時くらいから。最初の経験が夜の部だったというのは,ある意味わかりやすくていい経験でした。

…さて,発電の話。

福島第一原発の事故はまだ収まっておらず,現場では作業員をはじめとして多くの人が沈静化のために危険を顧みず頑張っておられます。今我々がすることは少しでも作業がうまく行くようにサポートできる人はサポートし,そうでなければ,応援,祈る…等かなと思っております。ですが,ネットを観てると原発の是非を問う議論を始めている人が結構います。原発の議論をするのは結構ですが,今すべきことなんだろうか?と,わたしは思います。原発の事故に不安を感じてる国の空気に乗じて,反原発の意見を高めようとしてるようにもわたしは感じます。

もちろん原発が本当に日本にあったほうがいいのか?という意見をわたしは全否定はしません。でも一方でわたしは原発についても全否定もしません。反原発の意見は今よりも昔の方がずっと強く多くの反対運動家の人をわたしも観てきたので,いろいろ考えてました。でもわたしにはどうしても答えが出ません。

というのは,「自分の生活の中での電気の必要性」「社会の中での電気の必要性」「化石燃料発電による二酸化炭素排出や燃料の枯渇」という中での原子力発電の有効性と「原子力の安全性」「理論と現場の実践との乖離」「地方への施設設置」というある意味ネガティブな面を両天秤にかけた場合にどちらか一方を取ることができないからです。現状,原子力発電を否定することは,石油による発電を進める(CO2は増える)か,または電気の使用量を減らすしかありません。今の日本人が今の半分以下の電気の使用量に減らすことが出来るでしょうか。もしそうすれば不便という以前に,病院などの医療機器が満足に動かなかったり,クーラーが自宅につけられなくて,今だと助かっている人が,亡くなる場合もあるかもしれません。

もちろん,そういうのも含めて人間というのは本来そういうものだという考え方も出来るのですが,今起きている計画停電ですら,電気が3時間止まるだけで,右往左往している社会を見ていると,電気に頼らない生活をしましょう…といって社会的な合意が取れるのか?という気がします。

個人的には個々の家庭がもっと電気の使用量を減らすべきだ…とは思いますが,そのためにどうすればいいのか良くわかりません。電気料金を上げればいいのか,法律で家庭の電気容量を制限すればいいのでしょうか。それとも今の様な計画停電をすればいいのでしょうか。個人的には計画停電は,省エネという点では,永遠に続けてもいい施策なのかもしれないと思ってます。でも今の社会の混乱と,経済(皆さんの食い扶持)のことを考えると,続けていいものなのか?とも思います。

確かに今の状況は日本のエネルギーのあり方を考えるための勉強としては恰好の機会なのも知れません。ただ,議論自体は,今のワーストケースを一通り経験し,困難も乗り越えた後に,冷静になり行ったほうがいいと思います。今はそのワーストケースを乗り越えるために,皆でサポートをする時でしょう。
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人は常になにか一つ不安なもの

2011-03-15 22:52:19 | ココロ
昨日は計画停電で振り回された感がありますが,今日は多少職場でも落ち着きが出てきて,停電したらしたで対処しよう…みたいな感じになってきてます。一方今度は福島原発からの放射線が少し気になってきてます。今日の昼間に若干都内も濃度が上がったようですが,また下がってます。都内の放射線の量は全然たいしたことはないというか,レントゲンの方が遥かに大きい量なんですが,うちも乳児がいるんで,また上がったりしないのか?とか多少不安です。まぁ自分はもう年に何度もCTを浴びたりしてるので,もう気にしてもしょうがないのですが。

話が変わりますが,わたしがお腹を開いた手術をしてもう4年半ですが,実はまだまだ体に痛いところはあります。手術直後に思ったのは,お腹を数十センチも切っているのに,人間って案外痛みに耐えられるもんなんだ…ってこと。切って目がさめた直後は,切ったところより,カテーテルをいれた関係で肩が痛かったり,胃が痛かったりしてましたが,それが抜けて収まってくると,背中全体が痛かったり,下腹部がソケイヘルニアで痛くなったりでした。

興味深かったのは,その間,肩凝りとかが全くなかったこと。わたしは手術前はひどい肩凝りでしたが,手術後は全く気にならなくなりました。ですが,お腹とか背中とかの痛みが和らいできた手術数年後(2年くらいだったか?)ついに肩凝りが始まって,「あぁー手術跡より肩の痛みがましたか?」と思ったものです。

人は,痛いところっていうのは数ヵ所同時に感じるよりは,どこか一番痛いところを感じて,他の部分は気にならないのだな…と思いました。一方でお腹を切った痛み,背中が張る痛み,肩凝りの痛みはそんなに痛みの強さの差を感じてません。痛いところは一ヶ所だけど,軽かろうが重かろうが痛みは似たように感じます。つまりひどいところが治っても,同じような苦痛が他の軽いところで感じるということです。おそらくどんどん体が治っても,常にどこかはみを感じるのかも知れないなぁ…と思ってます。

話を戻すと,世の中にはいろいろ不安な状況があるのだけど,深刻さの度合いに関わらず,人は一番不安なものに頭を奪われる,それが収まってくると他の部分が気になる…と気になるものはなかなかなくならないだろうな…ということ。原発の不安はそのうちどうにかなるでしょうが,そしたらきっと他の部分が気になるんでしょうね。

不安を感じながらも,人ってそういうものだよね…とか思っております。
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日常と異常の合間

2011-03-15 05:28:32 | 時事
計画停電,結局わたしの自宅地域および職場では昨日はありませんでした。ありがたいことですが,計画停電って必ず停電するものだと思っていたので,ちょっと戸惑いました。電気の供給量が足り無い時に,あらかじめ指定している地域の電気を止めるってことなんですね。

つまり停電がなかったってことは,節電が成功してるってことだと思うのですが,停電がなかったと怒ってる人がネットで散見されて,なんじゃそりゃ?と少し思いました。気を緩めて今日は停電しないか,そっちの方が心配ですが。

…仕事に関しては詳しくは書けませんが,まだまだ通常営業という状態ではなく,いろいろ混乱。自宅の周りもガソリンスタンドが渋滞していたり,スーパーが閉まったりしてるようですが,うちは,あまりそういう心配は不要なのでは?…と思ってるので,まだまだ様子見です。

被災地じゃない東京で,そんなに焦ってどうする…って気がするのですが。

昨日はTVのニュースはほとんど見ず。NHKの教育が子供向け番組を復活させてくれたので,子供は喜んでみてました。個人的には助かります。

ネットはTwitterがものすごく情報源になっているのだけど,ちょっと皆が情報量を争っている感じがして,すこしついていけない感じ。ただしサーバが落ちないのはたいしたものだとか,そっちの方で感心してます。
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