たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

見える世界がすべて…って思い勝ち

2008-02-28 21:49:27 | ココロ
ネットで話題になっていたニートの子を紀伊国屋に連れて行ったら感動して本屋に行くようになったって話。
まぁこれがいい話かどうかっていうのは微妙だなぁ…と思います。引きこもりみたいですが,お金は稼いでいたので,ニートかどうかも微妙です。ただ,この頃の年頃って社会に出てみたら,考え方が変わるというか,世界が広がるっていう経験はこういうのに限らずあるよね…と思いました。
この文章とは関係なくここ最近,自分が高校大学社会人って進んでいくときのこととかを思い出してました。わたしの場合,高校までは九州の南半分あたりを転勤で回ってましたが,大学受験で初めて福岡に行ったときに,都会っぷりにちょっと驚きましたが,そのすぐ後に,東京に行ったときは,さほどギャップがなかったなぁ…とか。あと,大学に入って社会人と一緒に遊ぶようになって,自分としてはいい社会勉強というか,まぁ世界が広がったなぁ…とか。
ニートはともかく,引きこもりはその人の周りの世界の生きづらさに引きこもるんだろうけど,周りがつらいからもっと狭い自分の家だけの空間に引きこもるより,本当は外に広げてもっといきやすい空間を探したほうがいい気がします。子供の頃に,新しい世界を見て驚くのは,子供の頃は,本当に自分が見える世界がすべてでそれ以外の世界の存在をなかなか想像できない。…というのは別に若い時に限らないか…。いまでも,なかなか想像できない。特に困ってなければ,外の世界がどうなってるかとか…考えないし,きっと似た様なものだろう…と思ってるように思います。
そういえば,少し話が違いますが,最近宮崎の知事が道路が必要といってるのを,ネットでは批判する声が大きいのだけど,東京の人は,なかなか地方で道路が必要な事情を理解できないのだろうな…と思いました。まぁもういらない道路もたくさんあるのでしょうが,わたしからみても宮崎にん関しては,ちょっと道路事情は悪すぎます。地方出身の私は,都会に出て別の世界にいったような感覚でしたが,むしろ都会育ちの人の方が,それ以外の地域に暮らす機会が無いから,そのへんのことはわかりにくいだろうなぁ…と思います。
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AVフェスタ

2008-02-27 13:43:39 | 音響
先週末AVフェスタに行ってきました。以前オーディオフェアとか言っていたあれです。今まで何回か行ったことありますが,なんか久しぶりです。とりあえず,インプレスの紹介記事とかPhile-webの紹介記事とか,あとは両サイトのこの期間の記事を読んでいただくとわかりますが,今回は今までと違い展示場ホールではなく,会議場で行われました。大きいホールで各ブースがでかい音を鳴らして…というのではなく,小さい部屋に分かれてじっくりと音を聴ける…という意味では,とても良かったと思うのですが,大きなメーカのブースが少ししかなかったり,以前あったカーオーディオの展示がなかったりと,全体の規模はかなり縮小されているし,来訪者も日曜の割には妙に少なかったのは…,大丈夫かな?と思うようなところもありました。
最近は高級オーディオやiPod用の周辺機器とか,オーディオが結構元気か?とも思っていたのですが,そうでもないのかしら?と思って,実は結構ニッチなところで盛り上がっているのだなぁ…と感じました。家電としてのAVはCEATECとかの方に移っているというのもあるそうです。
最近の高級オーディオのブームで各社また高額なスピーカとかを出してきたりもするのですが,そういうのを作れるのは昔の技術者なのか?結構お年寄りの展示員がいて,あとは若い人になって…とつまり層が分断されてるのも…,なんか複雑な思いです。ちゃんと技術は継承されていくのでしょうか?。
でも会が妙にニッチになったせいもあってか,もしくは年寄りの技術者が多いせいか,妙に手作り感があるし,昔のオーディオマニア的な良くわからないアイディア製品みたいなものをポツンとだしている小さな会社とかもあって,それはそれで面白いです。でもお年寄りの技術者が考えるそういうアイディア製品と,若い技術者が考える新しいアイディア製品には妙なギャップがあって…,アイディアの源泉が違うのだなぁ…とかいうところもいろいろ考えさせられました。
手作り感のある高級オーディオとかになると,もう答えとかを求めるのではなく,単なる趣味で一人ひとり手作りで作ればいいんじゃないか?…という気もするのですが,そうなると東京の場合結構秋葉原とかのオーディオショップで見ると事足りたりするんだよなぁ…とか考えると,やっぱりちょっと会としては微妙だなぁ…と感じました。メモリープレーヤとかミニコンとかそういう若者向けの製品も,そういえば一切なかったし…。来年とかどうするんだろう?とか思っていまいました。
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お金持ち向きになっていく世論

2008-02-24 17:39:37 | 社会
何度も同じようなことを書いてるような気がするのですが…。
先日羽田空港を外資に売るかどうかみたいなことが議論されていて,まぁ羽田の件はともかく,企業の売買というか株の売買みたいな話が多いなぁ…と思います。公共団体を民営化するという話,なんか民営化したらリストラできるとか,無駄遣いが減るとかサービスがよくなる…みたいなことをいう人もいますが,別に民営化自体がそうである理屈はどこにも無くて,単純に民営化し株を公開したら,政府はその株の売却益を得られる…というだけのことでしょう。もちろん政府よりも株主の方が,冷淡に経営者をたたけるのでその結果経営効率がよくなることはあるのでしょうが,それはあくまでも経営者と株主とのだましあいの話です。
今でこそ株価が下がっていて景気の停滞感がありますが,つい最近まで株が上がっていたため,どこかでは好景気だという話もありました。でもサラリーマンをしているわたしにはほとんどそんな実感はなく,給料もバブルがはじけて下がったっきり上がってません。会社の予算も…やっぱり下がっているばっかりです。自分の周りだけか?と思いきや,春闘の交渉で,組合は好景気が給料に反映していないと言っている様だったので,やっぱりそうなんでしょう。
先日自営業をやってる知人が「大企業は景気が良くて良いね。中小はぜんぜんダメだよ」というのを聞きましたが,少なくとも社員の給料レベルでは,好景気の実感はありません。
では,その好景気はどこに行ってるんでしょう?。わたしは株とかやって無いので,想像なんですが,やっぱり株主なのかな?と思います。というのは,最近の経営者を観てると,乗っ取りとかを怖れてか妙に株主向けに情報を発信してます。配当をあげようとか,会社は成長してるので,安心して投資してくださいよ…とか。
経営者を中心にすると,お客様,株主,従業員とあると思うのですが,なんか一番観てるのが株主,次がお客さん,そして最後が従業員という風になっている気がして,つまり従業員は結構ないがしろにされてる気がします。
というわけで,最近の好景気は,どうも投資家が儲かっただけでは無いか?という気がします。
もちろん,それが資本主義だしというわけで,それを無条件に悪いというつもりも無いのですが,なんかTVとか観ていると株価が上がったとか景気が良いとか騒いでいたりいても,それは投資家が一喜一憂してるだけなんでは?と思うし,民営化とかした方がいいとかいうのもやっぱり投資家に金儲けの手を示してるだけなきもします。つまり投資とかやら無い人とか,労働者にはぜんぜんうれしい話でも無いかと思うのですが…。
最近の経営者はお客様さえあまり観ず,どうも投資家ばかり見てるなぁ…と。最近大きな会社が何か決断を発表しても実はユーザのこととかじゃなくて株価動向を気にしてのことが多いんじゃないか?って気はします。
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東京からのエクソダス

2008-02-22 11:07:25 | 社会
dankogaiさんのページで知りましたが,株式会社はてなの本社が京都に移転するとのこと。
ダンさんの考察はまぁいいとして,東京じゃないほうがいい人材を集められるケースも多いんじゃないか?とも思います。もちろん東京より地方都市の方が優秀な人材が多いというつもりは無いのですが,東京の方が慢性的に人材不足で,地方の方があまり気味という意味で。
わたしの印象だと京都もそうですが,札幌とか福岡の様な地方都市に幾つか非常に特徴のある優秀な会社がポツンとあったりします。IT系だったり,何かの製作会社だったり,メーカーだったりと,そこまでその業種にも依存して無い気がします。そういう会社は意外に地元の学校を出て…だけど上京したくないという優秀な人材の受け皿になっていたり,上京して東京の企業に入ったけど,なんらかの事情でやめた人の受け皿になっている気がします。
確かに東京にはたくさんの企業が集まっていて,情報や流通の速度がものすごく速く,企業がやっていくのに有利だと言えます。そういうのもありますし,また全国から優秀な人材が集まってきたり,あと学校も多いということで東京の企業の方が有利なようにも思えます。しかし,そういう状況であっても,どうしても地元を離れられない…という人も多いでしょう。地元を離れるにしても,毎週末帰れる程度…例えば九州だと福岡,北海道だと札幌…程度ぐらいしか都会に出れない人も多いと多いと思います。そういう人たちを効率よく集められれば,結構競争力のある会社が作れるのではないでしょうか?。
そして,最近思うのは,東京というのはビジネスも大きいのですが,それゆえに運用コストがものすごくかかるということです。会社を都内に置くとその家賃がバカにならないくらいかかります。そしてそこに通う社員が自宅に払う家賃もバカにならないため,そういう社員を養うためには多くの給料を払う必要があります。そして,お金で代えられないのが,そういう社員が通勤に何時間も費やしていることです。確かに東京には企業が集まっているので,出社するとその中で他社に出かけたりする時間は短くて済むのですが,毎日通勤にかかっている時間はバカになりません。そして通勤で疲れた社員が会社で効率よく働ける時間も,結果少なくなるようにも思います。
そう思うと,地方の企業には東京と違った意味での利点があると思います。はてなが狙ったことはもしかしたらそういうこともあるのかもしれないな…とも思いました。そしてやっぱり東京は地価が高いし通勤が大変すぎるよなぁ…と毎度ながら思うのでした(^^;)。
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動物の権利とかは結局人が決める

2008-02-20 07:44:21 | ココロ
Something Orangeさんのところでアニマルライツの話が,ここしばらく続いているのですが,わたしが前回書いたとおり,これは人間の命と動物の命の重さの比較じゃなくて,距離感の違いでしょ?という気はします。単に自分にとって,近いか遠いか?の差でしょう。他者のために自分の命を投げ捨てられる…という一部の人を除けば,大抵はやむを得ず人は他人を傷つけざるをえない状況にもなります。一方で家族のようなペットもいます。それを種という軸で大切さを論じることは無理でしょう。
ついでに書くと,人間が食べてるものはすべて動物や植物が元になってるものですよね?。石油だって元は動物の死骸だから,結局は人間は動物を食べないと生きていけない生き物です。もちろん植物の果実は食べられることを前提に出来てると言ってもいいんでしょうが,でも種を食べる食べ物だってあります。生き物に大切なものの線を引こうと思ったら結局はそういう話になるかと思います。
以下余談ですが…。
動物実験について言えば,人間のためにある程度は必要でしょう。でも人が可愛がってる動物は使わないでしょ?…って気はします。人間だって自分との距離を考えると使えない。動物に比べ自分の立場に置き換えることが出来ますから。でも命にかかわらないような治検や,末期患者に対する試みだったらあるのかもしれません。じゃぁ知らない動物の間に線を引くか?という問題はあって,ネズミは良くて猿はダメなのは,やっぱり猿の方が人間に近い気がするからなんだけど,じゃぁなぜ猿は人間に近いと思うのか?の方が問題。近いというより希少という軸の方が実は評価しやすく,そういう軸で動物を保護するのも重要かと思うけど,やっぱり猿の方が人間に近いとわれわれは思い込んじゃってる…。教育の問題なのかな?。そういう話になってわかりにくくなってきたので,余談は終了します。
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自分との関係性を3段階に整理すると見えること

2008-02-18 20:17:22 | ひとこと
自分の周りに起こっていること,または世の中のこと,そういうものを観ていろいろ感じる時,相反する感情や,答えが見つからない時があります。特に人間をはじめとして動物まで含んだいろんな命の重さや権利とか特にそうです。命や権利は本当に平等なのだろうか?同じような重さを持つものなのだろうか?…と考えると建前と本音がうまくかみ合いません。

動物の命の重さというと,ペットの命や権利みたいな話から,国によって肉食や狩猟が認められている動物の話もあります。動物の命が大切だという話があれば,同じ人間でも国が違ったり宗教が違うと殺しあったり,簡単にいろいろ奪ったりすることもあります。また同じ国の,いや同じ集団,特に学校や地域の中にも差別や,どうかすると殺人さえ起こります。以前子供の殺人が話題になった時に子供になぜ人を殺すのがよくないのか?と聞かれたときにどう答えるか?,一方で戦争とかを大人は起こしているのに…というような話もありました。

そういう殺伐とした話の一方で,たとえば病気や何かに巻き込まれた人たちが,自分たちの境遇を訴えて来ることもあります。これも同情はするのですが,その人たちの言い分を全部受け止めることが社会に可能なんだろうか?…と思うこともあります。

わたしは最近,そういうその人(動物)の尊さみたいな話とか,あと,共感みたいな話を,その人と自分の関係性,もっというと距離感を大きく三つに分けて考えてみたらどうだろう?と思ったりしてます。

簡単に書くと,(1)自分自身そのもの,(2)知人や家族などの親しい人(動物),(3)それ以外全体,の三つです。自分自身は自分という明確なものですが,親しい人というのは,家族や恋人の様なより近い人から,友人や知り合いという風にさまざまですが,その人の境遇や立場を理解しやすかったり顔が思い浮かぶ人を指します。ペットなどもここに含まれるでしょう。そしてそれ以外というのはあったことも無い人や,知らない国の人,また動物や世界そのものを含んだり,顔が見えないという意味じゃ自国なども含まれるかもしれません。

その関係性を絵にしたものが上に貼ってるものです。

こう整理して,さまざまな対象と自分の関係がどれか?,おきてる事象はどこの間にあるものかを考えると少し整理がしやすくなります。

たとえば,ある動物が「全体」しか入らない人と,「知人」に入る人では話が合うわけがありません。また,例えばある人が事故で死んだ時に,その知り合いや家族は嘆き悲しみ,加害者がいたら殺したいほどうらむ…という気持ちは当然ですが,「全体」の関係性しか持たない人にとっては,事件が避けられないものであれば,仕方ないと思うかもしれませんし,その家族の言い分を聞くことで,自分に不利益があれば,我慢して欲しい…と思うかもしれません。戦争などはそういう要素が最も強く,自国の反映や安全のために,他国の命を踏みにじったりします。でも,その他国に知り合いがいたら,その戦争に強く反対したりします。

あと「自分」というのがまさに自分自身そのものしか指さないかは,良くわかりませんが,自分より恋人や家族などの方が大事だ…という人もいますので,もしかすると「自分」にも他人が入ってくる場合もあるようにも思います。

いずれにせよ,人と意見が合わない場合,この関係性が異なるもの同士であれば,分かり合えないのは当たり前の様に思います。これは理屈というより,感情の基盤になっているものが違うからです。

一方,こういう風に考えると,例えば世界から戦争をなくすには…(2)の知り合いの範囲を広くする,つまりお互いに知り合うことを増やせばいい…という考え方も出来ます。それはそうだと思います。お互いがお互いの顔を知っていれば,簡単には蹂躙できません。ただし,閉じた狭い社会にも,いじめや差別があることを考えると,たとえ顔を知っているからといって,親しい人の様に感じるかどうかはわかりません。むしろ(2)の領域が広がると,別のところに線を引いて(3)を無理やり作り出すようなことをするのかもしれません。

また,世の中の事件で,被害者がメディアを通して何かを訴えてる時など,この三段階に自分の立場を入れてみると,それに対しての自分のスタンスが良くわかります。ある事件が自分自身に起きている場合や,家族や知り合いに起きている人と,傍観者である自分の間に大きな断絶があるのも理解できます。ただしこの場合,傍観者だから話に入れないのではなく,傍観者だからこそ物事を冷静に判断できて,他の当事者との利害関係を整理しやすいことの方が多いようにも思います。その場合はむしろ当事者の意見は重要ですが,決定権はあまり無いほうがいいのかもしれない…と思うこともあります。

というように,こういう風に関係性を三つに分けて整理するといろいろとわかりやすくなることが多いと思います。最近わたしはこういう風に整理してから,物事を考えたりしてるので,ちょっとわかりやすいように書いておきます。
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今年のグラミーはハンコック

2008-02-15 07:37:05 | 音楽・アート
今年のグラミーのアルバムはハンコックだったらしい。なんとジャズ部門ではなく全体の最優秀アルバムとのことで,驚きました。
このアルバム…実はぜんぜん聴いたことなく,アルバムの存在すら知りませんでした。ただ日本で「これまでの功労」とかいう人もいるでしょうが,そんなことは無いでしょう。アメリカではそれなりに売れてるというか話題になっているはず。以前,サンタナがグラミーを取った時も似たようなことを言っている人がいましたが,あの時も日本では話題になってなかったサンタナですが,アメリカではしっかりチャートトップとかを取ってました。
アメリカと日本のチャートはすでにまったく関係なくなっているので,別にアメリカで売れてる曲が日本で話題にならなくても当然ですが,評論家とかが自分がウォッチして無いからっていい加減なことを言うのは困ります。
さて,ハンコックのコメントにマイルスやコルトレーンが出てきてますが,マイルスやコルトレーンが全盛だった頃にはまだグラミーはなかったので,彼らが主要部門で受賞して無いのは当然といえば当然なんですが,でも,その後の主流のジャズの継承者としてはハンコックが初めての受賞のような気がします。
このアルバムは…買ってみようと思います。いずれにせよハンコックの受賞はジャズファンとして素直にうれしいです。おめでとうございます。
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訴訟を恐れる医者と納得を求める遺族

2008-02-13 20:32:00 | 医療・福祉
昨夜のNHKのニュースで医療現場の話をやってました。「うちじゃ処置できない」と断る医者を取り上げて医療訴訟が医者を尻込みさせているという現実を取り上げてました。
キャスターが「ここまで来てるのですか?」と言ってましたが,わたしは再三言って来た様に,こうなることは当然だと思います。医療訴訟が増えたり,マスコミが医者につらく当たれば,当然リスクの高い治療を医者はやらなくなるでしょう。
さて,正直どうしたものかね?…とも思います。
NHKはきつい現実を見せてその後一筋の光を見せる…というのがお約束なのか(クローズアップ現代とかもそういうのが多い)…,その後,患者や遺族が訴訟を起こすのは,病院が十分な説明を行わないので,訴訟でも起こさないと,家族が受けた治療の全貌が明らかにならないから…といって,その後に医者と患者の間で十分に話し合いが出来るような環境づくりが進んでいる…というのを見せてました。まぁTV的にはこれで訴訟が少なくなるといいね…って感じか…。
まぁそれはそれで必要な取り組みだとは思いますが,ちょっと不安も残ります。それで納得するかなぁ…と。それと,確かに亡くなった方の遺族からすると,なくなった後に十分な納得感を得たいというのはわかりますが,他の患者からすると,それによって今病気の人に割く時間が減ってるのが…という気もしないでもありません。医者も単に治療能力が高いだけじゃなくて,人当たりや説明能力まで高くないといけない…ってことで,大変だな…というか,いい医者の条件ってなんだろう?とか思ったり。
そもそも納得感を得たいというのは十分に苦労した…という手ごたえが必要だったり,誰かのせいにしないといけない…という現在の妙な風潮からして,システムを整備しても,やっぱりひと悶着しないと納得しないという人は無くならない様にも思います。
まぁ遺族や患者の立場に立つと,いろいろと納得いかなかったり騒がずにいられない気持ちは十分に理解できますが,次の治療を待ってる身とか,第三者としては,医者が治療に専念できる環境をどうやって作っていくんだろう?という課題も感じます。
あと,こういうことを書くと怒る人もいるかと思うんですが,遺族が納得するのを手助けするのって本来は宗教の役割だったんじゃ無いかな?とも思います。今は医者に牧師や坊主の役割までやらせようとしてるのか?…という気もします。やっぱり医者はまだまだ大変で…,本当に医者不足が解決するのかなぁ…とは思いますが,まぁ医者の大変な現状が取り上げられるようになってること自体はいいのかな…とは思いました。
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都市鉱山

2008-02-12 22:01:53 | 社会
この週末podcastでヴォイニッチの科学書を聴いていたら,日本の都市鉱山には大量のレアメタルがあるという話をやってました。都市鉱山とはわれわれが使ってる家電製品とかを材料と見た場合の材料の埋蔵のことですが,金とかが天然埋蔵量の16%に当たる量が日本にあるという話を聞くと驚きます。
ヴォイニッチでも日本は資源が無い国だけど…って話をしてましたが,確かにこれを回せばこれからもうまくやっていけるのではないか?という気がしないでもありません。まぁこれまで長年かけて買い集めたものが結構なことになっていたということでしょうけど,耐用年数がずいぶんすぎてる家電製品も多いでしょうから,新たに作るのもそれをうまく使えば…というか。
ちょっとアレですが,この休日,未来少年コナンのビデオを見てたのですが,あれにも過去の廃棄物を資源の様に掘り出して生活しているシーンがあるのですが,わたしもあれを昔観ていたので,今でこそ廃棄物問題が深刻ですが,これはこれでそのうち宝の山になるかもしれないなぁ…と以前思ったことがあります。まぁ有害物質とかも含まれてるので,ゴミがすぐに宝の山になるわけでも無いでしょうけど。
そういえば,最近はゴミをただで持っていってくれる業者も結構いるのですが,それはこういうレアメタルがお金になるかららしいです。それはそれで産業になっていればいいのですが,あまりきちんと組織だってやられて無いのであれば,本当はいろいろ含まれている資源を取り出さず一番高い金属だけ抜き取って後は捨てるとか,海外にただであげちゃうとかもったいないことやってるかもしれません。この辺の再利用のシステムをきちんと作って,レアメタルを効率よく取り出していく必要があるかもしれません。そうだとすると捨てるほうも,ただで持っていってくれるからだけではなく,ちゃんと再利用をしてくれるところに持っていってもらうとかそういう意識も必要な気がします。
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一攫千金と階級のどちらを?

2008-02-10 11:32:29 | 社会
川島教授が脳トレの報酬を大学に寄付したという話。これだいぶ前にも出ていたきますが,なんか今話題になってます。
川島教授の選択は賢いとは思いますが,さほど驚くほどのものでないかと。
税金対策…みたいなことをいう方もいますが,そうじゃなくて…。川島教授はすでに評判という意味では地位をある程度持ってますし,さらに大学にこれだけの利益をもたらした…ということで,これからも大学とか学術分野に対しての地位はかなり向上…確固たるものになったのではないかと思います。地位を確立すると,永遠に少しずつ仕事とお金が入って来ます。研究費が安定してもらえたり,歳をとったらどこかの団体の役員とか,もしかすると大学の学長とかにもなれるかも知れません。もちろん遊んで暮らせるわけではありませんが,好きな仕事であれば,時間をもてあますよりよっぽど楽しいでしょうし,世界も広がります。発言力も増します。お金を自分で転がしているわけでも無いので,運用に失敗することもありません。ですから一時金を大量に得るより,楽しく食べるのに困らないし,そちらの方が良いのではないか?と…わたしは思います。それは,一攫千金というよりは,地位を気付いて好きなことをやりたい…という志向だからかもしれません。まぁ川島教授がそういう風に考えたかはわかりませんが。
ある意味,一攫千金して,あとは遊んで暮そうと思ってる人とは価値観が違うんだろうなぁ…。最近は株取引とかITで若くして一気に金持ちになった人も多い様ですが,財産のこととかライフプランのこととか社会保障のこととか,その辺の人たちとどうも考え方が違うように感じます。
自分の責任ですべてを稼ぎだし,その大量の財産であとは暮そうという人と,社会システムを安定させて,自分は持たずにその中で暮そうと言う人じゃ,ソリャ違うよな…という気はしますが,まぁどっちがいいかは良くわかりません。ただ今の世界を安定させてその中で安心と楽しさをえようというのは,一種の上流階級的な発想になってるのかもしれないとは思います。
まぁ,いずれにせよ一攫千金出来る人も,社会にずっと居場所がいる人も,一部と言えば一部なわけなのでしょうけど。
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