たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

年金は相互扶助

2009-07-29 21:35:51 | 医療・福祉
ポッドキャストで教えてひろみんを聞いていたら,年金の話をしてました。国民年金を例に挙げていて,国民年金は現在の状況だと20(?)歳から60歳まで払い65歳から支給されると74歳,つまり9年間で払った分はかえってくるそうです。思ったより早いなという印象。つまり74歳以上生きている人は,自分が払っている分以上をもらっているわけで,誰かの払ったお金,もしくは運用で増えた分をもらってることになるわけです。払っただけ返って来ないと言ってる人は,74歳までに死ぬ方なんでしょうか?
聴いた中で「年金は相互扶助だ」と言ってました。わたしもそう思うんですが,あまりそういう説明を聞かないので,もしかしして違うのか?と疑っていたのですが,やっぱり相互扶助なんですね。相互扶助なので貯金ではありません。つまり自分が今払ってるお金も今の老人に対して払っていて,そして自分が老人になった時にはそのときの若い人に払ってもらうものなんでしょう。わたしはそういうものだと思ってます。
という風に考えると,NHKの受信料がOBの年金に補填されることのどこが悪いのかさっぱりわかりません。受信料から局員の賃金が払われるわけですから,OBの年金が払われるのも当然でしょう。公務員共済だってそうだし,厚生年金だってそうなんじゃないですか?。厚生年金は別にOB向けに補填はされてないってことなのかもしれませんが,国とか会社が補助出してますよね。あと今国民年金を税から出すということが議論になってますが,それこそ皆さんの税金を年寄の年金に補填するってことになるのですが…。
もっとも,OBの年金が高すぎるとかそういう議論は必要かもしれません。でも,それは受信料というよりは今払っている若者と,今もらっているOBとのバランスで見るものだと思います。だから年金の支給額を下げるべきではないという話にも少し疑問を感じたりもしてます。
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解散

2009-07-23 21:41:58 | 社会
一昨日麻生総理が衆議院の解散しました。世の中ではいろいろ言われてますが,わたしとしては「痛みに耐えよく頑張った」という言葉を麻生さんにささげたいです。一年あまり総理をやりましたが,総理になった時から解散のプレッシャーを与えられ,その中でよく我慢したと思います。早々に解散したら,また「投げ出した」と言われたかもしれませんが,さすがに今回は投げ出したとは誰もいえませんでしたね:-p。
ここしばらくの政局の流れは,マスコミが騒いででっち上げて,混乱を大きくしてるように思います。実際の社会や経済の動きとは乖離して,マスコミがとにかく政局を起こそうとして,政権を批判してます。政権交代が起きたら良いことが起こる様な印象を一生懸命演出したマスコミは,もし政権交代が起きて,世の中が悪くなったら,どう責任を取るのでしょうか?。取らないでしょうけど。
そういう社会を混乱させて話題づくりをするのに躍起なっているマスコミの攻撃に一年間耐えたのが麻生総理であったように思います。そういう意味では麻生総理は野党と戦ったというより,マスコミと戦ったのかもしれません。マスコミの意見が自分の意見だと思っている方には,麻生総理は自分の意見と乖離していると思っていたかもしれませんが,わたしはマスコミの取り上げがフェアじゃなくて筋が通ってないと思ってなかったので,麻生総理の方がむしろぶれずに筋が通っていたように思いました。
選挙の結果がどう転ぶかはわかりませんが,わたしは今回の政権交代の
流れに希望は感じておりません。そのことは歴史のしるしとして
書いておきます。まぁわたしの予想が外れて,世の中が良くなると
良いとは思ってますけどね。
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科学無視現実無視に向かう政治

2009-07-20 11:39:33 | 社会
もうずいぶん前の話ですが,内閣府食品安全委員会の人事案を野党が拒否していたということを知りました。輸入牛肉の安全性の評価に対して,政治が圧力をかけたということになります。このことに対して,科学よりの人からはいくつか反論が出ていて,一つは科学ライターの松永和紀さんの意見,ここでは食品安全委員会の反論。そして,野党が根拠にした独立行政法人産業技術総合研究所中西先生の報告を紹介。この方の意見が政治に曲解されているとしてます。実際に中西先生自身が自分の意見を曲解されたことを不思議がっております
ここで見られる意見は,要は科学界は評価をしているだけ。もちろんデータが揃わなくて,不完全な評価を出す場合もあるが,それはそれできちんと説明している。その評価を受けて,リスクを管理し政策を判断するのは別の人の仕事なのに,なぜ評価をした人が切られるのか?ということです。
最近政治が自分達に都合がいいように科学的な事実まで捻じ曲まげようという様な行動を良く見ます。先のインフルエンザの騒ぎも,経済の影響があるから,安全宣言をしろという圧力をかけた政治家がいました。もちろんそれはその科学者ではなく行政に対してですが。
これは与党野党に限らない話ですが,どうも最近は政治が現実から離れて机上論優勢になってる気がします。現実で可能なのかを判断せず,こうすれば世間に受けがいいとか,こうすれば自分達に都合がいい…という様なことを実行しようとします。こういう無茶な方向性を実際に政策に落とし込むのが官僚の仕事だったり,そしてその際に意見として照会されるのが学者だったりするのですが,どうもその官僚や学者に対する扱いがひどすぎます。つまり自分達に都合が悪い学者や官僚を政治がかって切ろうとしてます。官僚は公僕ですから,まだそういうのもありかと思いますが,それでも優秀な官僚がいないと実際の政策は回りません。そして何よりも学者は科学的立場に対して意見を述べてるだけなのに,意見を強制されるというのはまるっきり政治が現実離れした方向に行こうとしてるように思い,恐ろしいものを感じます。
今の様な政局不安というか政権交代というゴタゴタの中,口当たりのいい理想論を唱え,そして現実から乖離した政策が約束され,そこには科学的な意見はまったく無視される…それは本当に大丈夫なんでしょうか?
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命は本人のものでも死は家族のもの

2009-07-15 08:25:08 | 医療・福祉
都議選の話を簡単に書こうかと思ったら,もうニュースは政局の話になっていて…,とか思っていたら臓器移植法がA案のまま通ったという話を聞いて,えぇーーーーーーー,って感じがしたので,これについてちょっと。わたしは死の定義を現行法から変えることに反対だったので修正案の方が通ればいいと思ってました。ただ修正案になると衆院でもう一度議論となるので,解散したら成立しなくなるし,成立するほうを優先したのかもしれません。でも,この法律,運用次第ではものすごい悲劇が起こるわけで,そのときにまたマスコミは「説明不足だった」と騒ぐのでしょうか?。今の状態でも十分に想像できたはずですが。
臓器移植の機会が増えることはいいことだと思います。でも今脳死のまま生きながらえている人の治療が止まってしまうのではないか?という懸念があります。だって死人扱いになるわけですから。臓器移植は拒否できますが,生きてない人に医療行為を健康保険でやってくれるかどうか?よくわかりません。
もちろんそれがコストやリソース上問題があることはわかります。ただそういう説明もほとんどされていません。その話は以前書いた通りなので,今回改めて詳しくは書きません。
今回はもう一つ。この問題は健康な人や健康な家族を持つ人がどう議論してもなかなかきちんと場面を想定しにくいのではないでしょうか?。今回の法案に賛成してる人の意見をネットで見ると,自分は提供するとかいっている人が多いのですが,実際にそうなってみないとわからないものです。というか,実際は重い判断するのは本人ではなく家族になります。本人が良いんだから良いだろう…という議論は無縁の脳死患者でなければ成り立たないことになります。
わたしは人の命は,まずは本人のものだけど,人の死は本人より家族や遺族,また残された知り合い達のものだと,自分が病気をしてから思うようになりました。自分がもし死んだら,たぶんとっても大変な思いをするのは,私自身よりも遺族だからです。そして死んだ自分の魂がこの世に残るには,遺族が自分のことを思い出してくれることでしかありません。
ですから本人に意識がない以上,決めるのは遺族で構いませんが,ですが,遺族は本人ではないし,また一人出ない場合も多いので,決断しにくいし,合意もしにくいと思います。判断をしたとしても残された人は,その判断に悩むかもしれません。今本人の意思の確認が問題になってますが,それは本人の気持ちというより,残された家族が納得しやすい様にの様に思います。
誰かの役に立つならと臓器提供を望む家族もいるだろうし,脳死した家族を傷つけたくないという家族もいるでしょう。でも自分がどうなるか,たぶんそのときにならないとどう判断するかはわからないものだと思います。
生死にかかわる病気になったり,そういう家族を持った人は,大局を見て総合的に判断をするとか不可能です。自分ならそう思うと健康な人がいってもあまり説得力がありません。もちろん第三者が一歩引いて法律を作るのは当然なんですが,それゆえに,できるだけ当事者の気持ちを無理やり換えさせるより,尊重するような形にできないものか?とは思います。
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技術論を語るのに前置きをする虚しさ

2009-07-09 21:17:33 | 社会
児童ポルノ禁止法の件が結構ネットで話題になってます。いろいろと思うところはありますが,ネットで言われてることとそんなに差がないので改めて意見を書く必要はないかな?とは思ってますが,一応メモとして簡単に。
この法案については自民と民主の議論のうち,民主の方がまともな意見を言っていて困ります(苦笑)。両方とも良くないと言う人もいますが,民主党保坂議員の指摘はごもっともだと思います。
児童ポルノ禁止法の議論はもう数年前からやられている気がしますが,未だにきちんと成立しないのは何故なんでしょう?。そのつど非現実的な法案をいってくる人がいて,成立してない気もします。
今議論されている法案でよく問題とされるのが,単純所持の問題とマンガやアニメの様に現実の被写体がいない画像の問題。両方がというより両方が組み合わさって,非現実的になっているといえます。わたしは単純所持を禁止するのは,まるっきり反対でもないのですが,児童ポルノの定義があいまいなまま禁止すると,どういう場合につかまるのかが良くわかりません。今言われてるのは,親が子供が裸で泳いでいる写真を持っているだけでもつかまるとか,マンガを持っていてもつかまるとかいう恐れ。もっといわれて誰かからメイルで送りつけられてもつかまるという問題もありますが,そこは一枚持っている人と,コレクターとかというところで線とか引けないものでしょうか?と思います。
マンガファンやアニメファンは,そもそもこれらの作品には被害者が存在しないということ,あと実際の年齢がないのに児童ポルノということを決められないということを指摘します。「子供に見える」というのは主観的な判断ですから,それこそきちんと運用されないと冤罪の恐れが発生するわけです。
わたしは児童ポルノの定義がきちんと客観的な基準で実際に子供が被写体で性的な被害に遭っている場合を規定でき,単純所持もある程度の規模以上とかされれば,規制してもいいと思ってます。ただ,なぜかそういう納得感がいくような法律にうまく落とし込めないのは何故なんでしょう?。
自分が見たくないマンガとかを規制するのに一生懸命の人とかいて話をおかしくしてるようにも思います。
…ところで,こういう法律の欠点を指摘する際に,多くの人が「性犯罪や,児童への性虐待は厳しく処罰すべきだと思うのですが…」と皆さん最初に断ってから,禁止法案への批判をしています。もちろん,そのことを疑うつもりはありませんが,いちいちそういう断りを入れないと,じゃぁあなたは性犯罪を助長させる気か?」とかいう人がいるんでしょう。そんなことではなく,正しく運用できない法律の欠陥を指摘してるだけなのに。
以前わたしは輸入CDの規制法はPSE法についての反対を声を大にして書いたことがあります。あの時も結局は法律の欠陥,つまり本来の目的以外に運用できる隙があることを批判していたのですが,それを批判する際も,著作権侵害や危険な家電の使用には反対といちいち断らなくてはいけなかった…ということがなんか虚しくもあったことを思い出しました。
この国は,こういうテクニカルな議論をするときに感情的な批判をぶつけてくる人が多いように思います。だから自由に意見をいいにくい,それって民主主義かよ?と思います。
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専業主婦と扶養手当と核家族と通勤はセット

2009-07-04 07:20:01 | 社会
以下…想像であり,確信がないのですが,思っていることを。
専業主婦と扶養手当と核家族と通勤は元々セットなものではないか?,ついでに年金制度も…とか思います。
…というのはいずれも明治以降,つまり近代化が始まってから日本にやってきた形態だと聞きました。それ以前,つまり江戸時代までは基本的には人は暮らしているところで働いてました。つまり住まいが職場だったと。農業はそうですが,職人もそう。商売人も多くの人を雇ってましたが,基本的には住み込みだったと聞きます。もちろん今の漁業とか出稼ぎがそうである様に,旦那が家族から離れて長期間稼ぎに出るようなケースもありましたが,そのような場合も通勤…は無いでしょう。江戸時代に通勤していたのは侍ぐらいだったというような話も聞きます。
住まいで働いているとすると,当然夫婦のどちらかだけが働くわけではなく,夫婦ともに同じ仕事をする場合が多くあると思います。農業は今でもそうですが,商売人も夫婦で住み込みだったりする場合もあったでしょう。そのような職場では専業主婦という考え方はあまりなかったのではないでしょうか?
明治以降通勤という制度が広がったのは交通網が整備されたからというところが大きいでしょうが,それによって働く場所と子育てをする場所が別々になったので,結果的に妻の方は子育てに専念する,そのためには旦那の稼ぎだけで家族を食べさせる必要があるので旦那の稼ぎを増やしたり扶養手当みたいのができた,そんな気がします。ついでに年金制度は子供じゃなくて親の面倒を子供が見なくても住むようにできた,だから核家族が可能になったのだと思います。
つまりこれらの制度は企業や役所とかが雇用を自由に行えるように,住むところや家族に縛られずに自由に人を連れてきて働かせることができるようにでき,都市や工場にたくさんの労働力を集めることができたということでしょう。
そう考えると,今のこれらの制度は家族の中で誰か一人が給料を得れば十分に暮らしていけることが前提で,そうじゃなくなったら,これらの制度は崩壊することになります。一人分で足りなければ共働きになり,そうなると子供を育てるためには,祖父母と同居して面倒を見てもらうか,もしくは職場と住まいが遠い…というのは不可能になります。
今,共働きの夫婦が増えてますが,好きで夫婦で働いている人ばかりではなく金銭的な問題で共働きの夫婦も多いようです。そうなると結果的に子育てもできなくなり少子化になるか,職場が自由に選べなくなり雇用を自由に行うことができなくなるでしょう。
そういう意味でいうと,一人の収入が家族を養うのに十分ではない?という状況が広がると,今の労働や家族や住まいのあり方自体が崩壊することになると思います。今の日本は派遣社員が増えて,給料が安くなったり扶養手当もないような職場が増えてますが,それが企業のほうにも不都合であることをもう少し意識すればいいのにと思います。

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