たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

空気教が肯定的に捕らえられるようになっていて…驚く

2007-12-31 18:19:18 | ココロ
古い話ですが,そういえば去年だっけ今年でしたっけ?,流行語に「空気を読めない」とかあったなぁ…とかいうのを,本屋とかで並んでいる本を見ていて思い出しました。安倍さんも空気読めないとか言われていたよなぁ…とか。ってことは空気を読めない…というのがネガティブな意味で使われているってことですが,何時からそういう風に言われるようになったのでしょう?。
「空気」というのについては,山本七平の「空気の研究」という本が数年前…4,5年前(かなぁ?)あたりからよく引用されるようになってきて,わたしも3年くらい間に読んだ気がしますが,その本自体は20年以上前…に書かれたことをその時知って,その時点でのその主張がどれくらいのものだったのか良くわからないなぁ…と思いつつも,私自身は,さほど驚くような指摘と思わなかったのは,すでに日本人の言霊信仰とかを意識していたからかもしれません。
というわけで,最近の空気を読めが読めないのは良くない…という文脈でいわれているけど,もともと山本氏の指摘は,むしろ空気自体がネガティブな意味だったので,逆になってるなぁ…と驚きます。
そもそも日本は戦後の近代化から,少しずつ古い日本の風習を悪しきものとして捕らえて,脱却を狙ってきていたようにそういうのを否定する方向だったんじゃなかったんでしょうか?。談合が決していい意味じゃとられないように,物事をはっきり言葉にせず,慣わしや序列に従ったり,排他的だったり,NOとはっきり言わなかったりするのは,悪いことじゃなかったんだっけ?…とか思います。もちろんわたしは,そういう行き過ぎた近代化(グローバリズム)に対してはある種の危惧を感じてはいたのですが,でも世の中的にはそうじゃなかったのですよね?…って。
それがいつの間にか空気を読むことがいいこと,とか言われ始めたのは,近代化には逆行してるわけだし,いいんですか?って気分です。とはいえ,いったんぐちゃぐちゃにされてしまった古い基準が無い中で空気だけを読めといわれても,狭いグループの中だけにある明文化されないルールなわけで,あぁーややこしいな…と思うわけです。
これも一種のブリ戻しなんでしょうか?。最近日本旧来のものを見直そうという動きが,若干いびつな形で広がっている気もしますけど。そういうことなんですか?。
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科学的視点での判断だけではなくコストのバランスを

2007-12-28 10:55:11 | ココロ
霊感商法の広がりにTVの影響があるという話とか最近よく聞きます。霊感商法の被害というのは以前からもよくみましたが,最近はTVでスピリチュアル系のものが流行っているため,人がだまされやすいと…。
まぁでもTVはバラエティだから…と開き直っていたりします。信じてている人はまじめなのに,TVが「これはしゃれだから」というのはあんまりな気もしますが,TVというのはそういうもの。
そういう霊感商法の被害とか,あと疑似科学もそうですが,そういうのの具体的な被害に対して,よく科学者側…というか識者からは「科学的な知識や思考で防ごう」という啓蒙活動が盛ん…というかそれしか防御策が無いような感じにもなってます。
ですが,科学を修めた自分がいうのもなんですが,科学的な知識だけでこういうのを防ぐことが可能なんでしょうか?という疑問もあります。一方で,霊感商法がなんでも悪いものなのだろうか?という気もしてます。たとえばおみくじに100円払って,幸せになったり落ち込んだりすることは,科学的な根拠はありませんが,わるい商売なんでしょうか?。わたしはそう思いません。科学的にも人間は気分で体調まで変わる生き物ですから,気分をコントロールするために非科学的なものを使うことは,必ずしも悪いことでは無いでしょう。
一方科学的なものだけを信じろ…といわれても疑似科学の中には素人では本当に科学なのかどうかわかりにくいものもあります。大体科学の世界だって,本当かどうかわからないものに,大量に投資したりして失敗するという詐欺まがいのこともたまにおきます。ビジネスの世界や専門家でもだまされるものを素人にやれといわれても限界があるでしょう。
わたしは,そういう意味では,そういう疑似科学にせよ,霊感にせよひとつの物差しとしてるのは,その真実味より価格の妥当性だったりします。その効果を得るために支払う金額が妥当なのか?。それは何のコストなのか?ということです。材料費なのか?,需要と供給のバランスなのか?,作る人の手間賃なのか?ということです。効果があるから高いのが当然というのは本当はおかしくて,価格というのは別のことで決まるはずです。そして,支払う金額に透明性があったり,または気分を変えるためにこれくらい払ってもいいと思ったり,試しに支払う額としては,これもありか…と思う額なら,効果があるかどうかわからなくても支払う場合も結構あります。
もちろん,霊感ならともかく宗教の中には,世俗からの離脱のために全財産を手放せ…というのもあります。もちろんこれにも一理あります。しかしその手放したお金はなんに使われるのでしょうか?。その団体の幹部がいい思いをするために使われてはいないでしょうか?。
そういう風にわたしは考えます。言ってる事が信頼に値するかは,内容の科学的信憑性よりも,そのコストの信頼性のほうを考えるというか…。あと他の人に聞いて,調べて判断するのももちろんやります。複数の方法で調べるべきで,科学だけに頼るのもちょっと頼りない気がしてます。そういう意味でコスト計算もお勧めですし,物事を否定的にだけ判断するわけではなく,これくらいのコストなら信じてもよいと思って暮らすのも気分から幸せになるという意味では,決して非科学的なことでもありません。
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読書とpodcast

2007-12-26 07:56:42 | 社会
最近読書メモをあっぷしてません。というのは実際本を(漫画を除くと)ほとんど読んで無いのですが,その代わりにpodcastを聴いたり観たりしてます。読書の代わりになってしまうのは内容もそんな感じで,ここしばらく良く観てるのが東京大学の学術俯瞰講義です。実際に東大でやった講義を録画してアップされてもので,それをiPodに落として,電車での移動中とかに観たり聞いたりしてます。
以前はpodcastだとニュースとか,今の世の中のトピックの様な新鮮な話題が多かったのですが,学術俯瞰講義はわりと年輩の名誉教授とかやってるような人が,その分野の概論みたいな話をするので,割と内容も良くまとまっているというか…,まぁ本みたいな内容だなぁ…と聞いていて思ってます。
となると,こういうのは読書みたいなものだよなぁ…と思いますが,感想をアップしたものかどうか…とかちょっと考えたりもしてます。
よくよく考えると,これも一種の出版で,だれでもアクセスして内容を参照できるのであれば,それを人に紹介しても良い様に思います。論文の参考文献に引いてもよいのでしょうか?とか思ったりもします。
音楽でレコード会社が「出版」というのは,以前は楽譜を売っていたのの名残ですが,本も紙から,こういう録画とか録音になるというか,それも出版…になるような気がしてきました。もちろん,本はもっときちんと校正されていたりするのでしょうが,それも録画になれば編集や差し替えが可能ですから…。
ただ本の場合は自分のペースで読めるのが録画だと,止めるのは出来ますが,スピードを早くしたりとかそういうのはできないので,本を読むのが早い人には退屈だったりするのかしら?。
というわけで,今はこの辺の話を見て回ってるので,しばらくあまり読書はしないかもしれません。ぜんぜん本を読まないわけでも無いのですが…。
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ネットという社会の収縮

2007-12-24 15:41:19 | 社会
そう思ったきっかけは詳しくはかけないのですが,なんとなく最近…ネットの便利さが失われていくのを感じます。
一番思うのが,すでに電子メイルは使い物にならなくなりつつあるのではないか?ということです。SPAMがとにかく酷くて,フィルタとか使っているから,もしかしたら重要なメイルを見落としているかもしれない。遅延も酷かったり,もしかしたらエラーメイルでロストしてる可能性もあります。もちろん機密性は最初から無いのですが,危険性が増して,本当に機密文書は遅れなくなりました。
そういう中でSNSとかが出来ていて,ある意味電子メイルよりSPAMは無いし,携帯でも読みやすいし…と思いますが,たとえば最大手のmixiもなんとなく斜陽な感じがしてます。SNSやブログはWebベースなので,携帯やプロキシ内からもアクセスできたりと便利な反面,なんというか,仕事では使いにくい様にも思います。
実はmixiが大きく広がっていったときに,わたしはかってのネットニュースの様な広がり方を期待していて,つまり専門家とかが技術的な情報交換をしたりとか,音楽とかの趣味の語り合いをする場所とかそういうのになればいいと思ったのですが,実際はなってません。なぜなのかはわかりません。かってのネットニュースと違い,一般の人がメインのプレーヤだからなのでしょうか?。それとも携帯で書いたりする人が多いからなのでしょうか?。なんか深い話は書かれない場になり,そしてそのままコミュニティも廃れている気もします。
以前のネットニュースからMLへとネットコミュニティが移り変わっていくところで,次は掲示板か?と思っていてその後がSNSか?とかいろいろ考えているのですが,掲示板になったあたりから,技術者から一般に広がったせいか,逆に技術者とかが意見を交換し合う場が見えにくくなってしまったというのは何度も書いているのですが,やっぱりSNSでもなかったか…というのが今思うことです。
そしてSNSの次のメディアも提案されてますが,メッセージの交換速度が上がる方向に発展してるところからして,話が深まる場ではないのだろうな…とは思います。
/.jpやwikipedia?と思ったこともあるのですが,やっぱり違うのかな?と思ったりもしてます。
まぁ最近思うのは,そういう場が移り変わっていったというよりは,ネットニュースやMLの様な場が,あの時だけに現われた一時的なものだったのかしら?という気もしてます。そういうものなのかもしれないけど,就職してああいう場で人間関係を大きく広げた自分としては,ちょっと寂しいものだなぁ…と思ったりもしてます。
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MP3の価格

2007-12-21 21:42:29 | 音楽・アート
先月ちょっと書いたRadioheadのネット販売実験,今月から日本でも行われてます。で,買いました。本当はネットじゃなくてCDが出てから買おうと思っていたのですが,どうもCD自体が出る見込みが見えないので。
この実験,値段は買うほうがつけていい…ということでいくらが適当なのか?と。もちろんradioheadは大好きなバンドでどうせCDが出たら真っ先に買うので,聴いてみたいというのではなく,所有したいという思いがあります。一度聞けば終わりというわけではないのでCDを買うような感覚でつけようとは思いました。本当はお金を持ってる人はたくさん払って,若い人とかは安く払うというのもありなのでしょうけど…。やっぱりCDが基準になってしまったなぁ…というの感想。
CDが3000円だとすると,ネットで販売ということでMP3に圧縮されている,またジャケットなどがついていない…という事を考えると,どうも3000円払うつもりにはならず…。正直に書くと半額よりもちょっと安いくらいの値段で買いました。まぁでもCDで再度出て,1,2曲でもボーナストラックがあったらCDかうだろうなぁとは思ってます。
MP3だからPCMよりも価値が低い…という考え方は,わたしが音屋だからかもしれません。実際今回のアルバムは,あまりサウンドの広がりを意識せずに,圧縮によっても曲の印象が変わらないような感じになっているように感じましたが,やっぱり非圧縮のも聴いてみたいなぁ…という気はしてます。
今回の実験,日本ではドコモの利用者じゃないと買えないというのがどうも妙な実験だなぁ…という気はしてます。でもクレジットだと学生とかだと持ってない…ということなのでしょうか?。よくわからない業者にクレジットカードの番号を送付するよりも安心…という気もしていて,まぁわたしはドコモユーザなのでこれはこれで良いとは思いましたが,コンビニ払いとかも可能にしたら,もうちょっと売れるだろうなぁ…とは思っております。
実際どれくらい売れたか…,あと今度のアルバムの内容自体の評判もちょっと気になってます。どうでしょう?
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お酒から受けていた恩恵を失って…

2007-12-19 21:35:52 | ココロ
今月は会社で忘年会とかが多い。大人数の忘年会で,結構偉い人もお酒を飲んでご機嫌な感じでした。わたしはまだ会社の飲み会ではお酒を口にせずウーロン茶を飲んでいました。
先週のクローズアップ現代を観たら,糖尿病患者が長期の治療に力尽きて食事制限を止めてしまい,悪化して腎臓病とかに移行してしまった…という様な話をやってました。
確かに一年や二年とか食事制限を受けるというのであれば,我慢できるとしても,数十年食べたいものを食べられないというのはつらいのかもしれません。わたしの場合糖尿病ではないし,実は食事制限は受けてないのだけど,自主的にお酒を飲んでないというか,飲むのがちょっと怖いような状態なので,飲まないことがつらいことはありません。特に手術をして体調的にも不快感がまだまだ残っている状態なので,お酒を飲みたいとかはほとんど思いません。でも自覚症状が弱い病気の場合,生活を制限するというのは結構大変なのではないでしょうか?。
で,TVでお酒を飲むようになった糖尿病患者…,仕事で管理職とかになり,会社の付き合いとかでお酒を飲まざるを得ない状況が続いたというようなことを言ってました。酒を飲まないとビジネスが出来ない…という様なことでした。
さて,自分の話に戻すと,会社の忘年会でご機嫌な皆様を見ている自分が,やっぱりお酒を飲んで無いせいかさめてるなぁ…と思ってました。いや,酔って無いからテンションが低いのか,やっぱり病気とかのせいであまりハシャグ気分ではないのか,よくわかりませんが,やっぱり酒を飲んで酔ったら,もうちょうっと自分の態度が違うのだろうな,と思います。
TVは飲み会の後に見たのですが,その前の飲み会でもみんなが飲んでるときに一人さめてる自分を見ていて,会社の人と自分はうまくやっているのだろうか?とちょっと感じたりしてました。
もちろん,お酒を飲めないと,仕事が出来ないとか,会社に受け入れられないとか,そういうのはありません。でも,社会人になる前からお酒を飲めなくて何十年もやってきてる人とかは,こういう場では,お酒を飲めなくてもハイテンションになって輪に入っていく術を持っているように思いました。それに対して,酒を飲まなくなって1年ちょっとの自分は,お酒を人が飲んでいるのを見て,不快感とかはないのですが,そこで自分がどうやってご機嫌なほかの人と話をあわせられるかとかそういう術を持ってないな…と感じました。
お酒を最初から飲まない人はお酒を飲まなくても酔えたり,その場を楽しんだりできるのですが,そういうのに慣れて無い自分は,どうしていいかわからないと。TVでお酒を飲まないとビジネスが出来ないといっていた人もおそらく,本当の立場上お酒を飲まないといけなかったのではなく,そういう場でどうして良いかが良くわからなかったのでしょう。
酒を飲めないのが問題なのじゃなく,人との間にある壁を取っ払えないのが問題だと思うのです。
そういうわけで,わたしに必要なのはお酒を飲まなくても酔える手段を覚えることだなぁ…とも思うのですが,それ以前に,やっぱり全体的に微妙に病気以来暗くなってるって気もして,ちょっといろいろ自分を変えないと…と悩ましいところでもあります。
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公約はどういうときに守られるのか?

2007-12-18 22:45:17 | 時事
年記録の照合が年度内にできそうもなくなった話,まぁ騒ぎになるのは当然なのかもしれませんが,「ほらやっぱり」という感が否めません。個人的には,80%とかならともかく,100%なんて出来るわけが無い(物事には必ずミスとか漏れが存在するので)と思っていたし,だから自民党は参議院選挙で大敗したり,安倍さんは失脚した(安倍さんの失脚はテロ特措法が一番の原因でしょうけど)のだと思ってたのですが,ここに来て民主党が公約違反だ…と騒いでいるのを観て,奇妙に思いました。
ってことは公約というのは選挙に負けても守るものなんだと…。ってことは民主党もこれまで全部の公約を守ってきてるんでしょうか?。
え?,参院選には負けたけど,政府のままだから自民党は公約を守る必要があって,民主党は守る必要が無いってことですか?:-p。
よくわからないのですが,選挙のたびに作る民主党のマニフェストっていつも守られてるんですか?。いつも作るけど,「選挙に負けたので守りませーん」と民主党はいつも言ってるのかと思ってましたが…。それとも民主党のマニフェストは「政権をとったら」ってことで,政権を取れない場合の約束は何も無いってことなのでしょうか?。
民主党が舛添さんを攻撃してるのは民主党は舛添さんが怖いんだろなと思いました。この問題は基本的には舛添さんにはあまり責任が無い問題だと思うのだけど…。もっとも,完全に照合するなんていう言い方は止めるべきだと思います。もちろん,以前は「出来るだけやります」とかいうと,怠慢をする役人が出てくるので,最後のひとつまでやると宣言することには大きな意味があったのでしょう。でもそろそろ照合に漏れた人をどう救済するかとか,そういう話をすべきじゃない?…とは思うけど,まだ白旗を揚げるには早いという判断なのかしら?。
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病人が生きてる意味を問うだろうか?

2007-12-16 08:41:18 | 医療・福祉
数日前TVニュースで,薬害C型肝炎訴訟の原告団が首相に会えず失意の記者会見をやっているのを映してました
この問題,肝炎患者が国に何とかして欲しい…という気持ちは良くわかるのだけど,どうも原告団の言い草が…以前からあまり共感できず困ってます。国の味方をしようと思ってるわけでもないのですが,原告団が言ってることがぜんぜんこちらの胸を打たない。むしろ,危うさを感じてしまいます。

これって私だけなのでしょうか?。だったらいいのですが,みんな私の様に感じるのであれば,逆にバッシングが起きないか,心配です。国を批判してバッシングを受けたというと,一時期の拉致被害者の会がそうで,あの時,拉致被害者は微妙な態度の変更をやり,なんとか今に至ってます。行政や政府を批判すれば,必ずしも世論がついてくるわけでもないのだなぁ…とあの時は思ったものですが,要は世論を味方につけようとすると,ものの言い方にはいろいろ気をつけなくてはいけないな…ということなのですが,今回はどうなんでしょう?。
今回の肝炎訴訟に関しては原告団で喋っている人たちが,患者なのか,家族なのか,支援者なのかが良くわからないというのもあるのかもしれません。彼らは一人称的に話してますが,こちらは三人称なので,いきなり心情を言われてもわからない…。TVを観たとき原告団が「判決が出てからだと意味が無い」と言っていたのも,結局和解案が出る前に,より有利な言質を取ろうとしたってことでしょうか?。

あとわたしがものすごく引っかかったのが,交渉を断られた女性が「生きてる意味が無い」と泣いていた事で…,すみません,思いっきり引きました(^^;)。
その人は患者なのでしょうか?。でも病気で死を身近に感じる人が,生きてる意味が無いとか言うかしら?。…………とそういうことを思いました。

つまりはこの辺は,その人たちの事情がわからないと共感しようがなくて,もちろんそれは本人は訴えてるけど報道が取り上げないだけなのかもしれません。報道に訴えるとはそういうリスクもあるわけで,この問題…,どうも引き気味の私は,他の人はどう感じているのだろう?…とか思ったりもしております。
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コンビニおでん

2007-12-14 06:54:56 | 時事
そういえばローソンで賞味期限切れのおでんを売っていたという話。それはいいとして,リンクを読むとコンビニのバイトがコンビニのおでんは食べる気がしないっていうのをいっていた…と書いてあるのですが,わたしはこれと同じ文章を数年前に読んだことがあって,ネット上を流れている文章…,もしかすると都市伝説のようなものなのかもという気がしてきました。
さらにみていたら,コンビニおでんに対する各社の態度が載っていて,衛生上問題があると思ってるところもあるんだ…と。
…とか書きながらわたしは実はここ数年,コンビニのおでんは買ってません。最初に読んだ都市伝説で引いてしまった部分もあるのですが,そもそもコンビニの弁当とかそういうのを食べなくなってしまった…というのもあります。コンビニの弁当とかを買うくらいなら,自炊するか外食する…という感じになっているので…。
で,おでんの衛生の話戻ると,大衆食堂とか,屋台とか,九州だとラーメン屋とかうどん屋に客席の中にふたの無いおでんなべがあって,客が勝手に取っていいようになってるところが多いのですが,あれも考えようによっては,衛生的に保障されてるわけでもないのですが,あまり気にしてません…といかあちらのほうはむしろ食べたい(^^;)。
まぁ食べ物の衛生についてはあまり過剰に考えてもな…とおもうところもあります。ただコンビニは全国一律の店舗ですから,売れなくて回転が悪いところとかもあるでしょうし,経験のないバイトがやってるところも多いので,屋台やラーメン屋よりも店舗による安全性のばらつきはあるかもしれません。その代わりマニュアルが整備されているんでしょうけど…。
まぁどっちにしてもわたしはそんなにコンビニおでんは食べないので,たまに食べたときに当たらなければいいかな…という程度です。でも九州ラーメン屋のおでんは食べたい:-)。
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虚礼を廃すと何が残る?

2007-12-11 12:48:41 | 社会
年末ということでお歳暮の時期でもあります。もしくは年末のご挨拶とか年賀状とか…。
毎年この時期になると会社とかでも「虚礼廃止」ということで,業者さんから金品を受け取らないでください…と念押しが出ます。これはわたしが社会人になった頃…10年以上前から行われていて,いい加減慣れたし,そのせいか実際に業者から物が贈られてくることはほとんどなくなりましたが,以前は,物が贈られてきたら,それを送り返すのがとても面倒でした。時には腐るお菓子すら送り返したこともありました。
まぁそれはいいとして,一方年賀状ですが,わたしは社会人になって以来,会社の上司とか業者さんに出したことは,ほとんどありません。これも別に必要ないことといえばそうでしょう。
今年は結婚をしたため,お歳暮を知人とかにちょっとだけ贈りましたがこれまでお歳暮というものもわたしは贈ったことがありませんでした。
これらは良く虚礼といわれ,不要のものだ…といわれます。まぁ業者は贈収賄の疑いがあるのでわかるのですが,会社の上司とか他,いろいろ仕事上とかで関係がある人にもお歳暮や年賀状をだすのは虚礼だ…みたいな話もあるでしょう。
とはいえ,じゃぁ虚礼を廃したら,何が残るのだろうか?とか考えることもあります。「友人」がそうじゃないか…と言うかもしれませんが,社会人をやっていると古い友人とはだんだん疎遠になっていきます。学生時代の友人とかもそれぞれの仕事や家庭の人間関係が濃くなり,古い知り合いとはだんだん交流はなくなります。会社の同期も仕事上の交わりが無いと疎遠になる場合も多いでしょう。趣味の知り合いとかがいたりするのでしょうけど,会社で異動とかが多かったりすると切れたりします。仕事上で新たな人間関係が出来る場合もありますが,仕事は利害関係があったりするので,それこそ「虚礼」につながりかねません。仕事以外の人間関係を広げるべき…というのかも知れませんが,それにしては現在の社会人は仕事にとられる時間が長すぎはしないでしょうか?。平日も深夜,休日まで仕事をさせて,仕事以外の人間関係を充実させろ…というのは矛盾しているように思います。
仕事上とは言いましたが,最近は会社の飲み会とかにも出ないという人も増えてきてるようです。まぁ仕事以外の人間関係が豊富で忙しくてとても付き合っていられない…というのであれば,それはそれでいいようにも思います。でも利害関係のある人間関係と利害以外の関係を築くことを廃していたら徐々に人間関係が希薄になっていくのではないか?という気もしないでもありません。仕事以外に知り合いを作れと言われても結構パワーがいるような気もするのですが,それって結構きついこと言ってるんじゃない?とか思うこともありますが,どうなんでしょうか?。
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