古い話ですが,そういえば去年だっけ今年でしたっけ?,流行語に「空気を読めない」とかあったなぁ…とかいうのを,本屋とかで並んでいる本を見ていて思い出しました。安倍さんも空気読めないとか言われていたよなぁ…とか。ってことは空気を読めない…というのがネガティブな意味で使われているってことですが,何時からそういう風に言われるようになったのでしょう?。
「空気」というのについては,山本七平の「空気の研究」という本が数年前…4,5年前(かなぁ?)あたりからよく引用されるようになってきて,わたしも3年くらい間に読んだ気がしますが,その本自体は20年以上前…に書かれたことをその時知って,その時点でのその主張がどれくらいのものだったのか良くわからないなぁ…と思いつつも,私自身は,さほど驚くような指摘と思わなかったのは,すでに日本人の言霊信仰とかを意識していたからかもしれません。
というわけで,最近の空気を読めが読めないのは良くない…という文脈でいわれているけど,もともと山本氏の指摘は,むしろ空気自体がネガティブな意味だったので,逆になってるなぁ…と驚きます。
そもそも日本は戦後の近代化から,少しずつ古い日本の風習を悪しきものとして捕らえて,脱却を狙ってきていたようにそういうのを否定する方向だったんじゃなかったんでしょうか?。談合が決していい意味じゃとられないように,物事をはっきり言葉にせず,慣わしや序列に従ったり,排他的だったり,NOとはっきり言わなかったりするのは,悪いことじゃなかったんだっけ?…とか思います。もちろんわたしは,そういう行き過ぎた近代化(グローバリズム)に対してはある種の危惧を感じてはいたのですが,でも世の中的にはそうじゃなかったのですよね?…って。
それがいつの間にか空気を読むことがいいこと,とか言われ始めたのは,近代化には逆行してるわけだし,いいんですか?って気分です。とはいえ,いったんぐちゃぐちゃにされてしまった古い基準が無い中で空気だけを読めといわれても,狭いグループの中だけにある明文化されないルールなわけで,あぁーややこしいな…と思うわけです。
これも一種のブリ戻しなんでしょうか?。最近日本旧来のものを見直そうという動きが,若干いびつな形で広がっている気もしますけど。そういうことなんですか?。
「空気」というのについては,山本七平の「空気の研究」という本が数年前…4,5年前(かなぁ?)あたりからよく引用されるようになってきて,わたしも3年くらい間に読んだ気がしますが,その本自体は20年以上前…に書かれたことをその時知って,その時点でのその主張がどれくらいのものだったのか良くわからないなぁ…と思いつつも,私自身は,さほど驚くような指摘と思わなかったのは,すでに日本人の言霊信仰とかを意識していたからかもしれません。
というわけで,最近の空気を読めが読めないのは良くない…という文脈でいわれているけど,もともと山本氏の指摘は,むしろ空気自体がネガティブな意味だったので,逆になってるなぁ…と驚きます。
そもそも日本は戦後の近代化から,少しずつ古い日本の風習を悪しきものとして捕らえて,脱却を狙ってきていたようにそういうのを否定する方向だったんじゃなかったんでしょうか?。談合が決していい意味じゃとられないように,物事をはっきり言葉にせず,慣わしや序列に従ったり,排他的だったり,NOとはっきり言わなかったりするのは,悪いことじゃなかったんだっけ?…とか思います。もちろんわたしは,そういう行き過ぎた近代化(グローバリズム)に対してはある種の危惧を感じてはいたのですが,でも世の中的にはそうじゃなかったのですよね?…って。
それがいつの間にか空気を読むことがいいこと,とか言われ始めたのは,近代化には逆行してるわけだし,いいんですか?って気分です。とはいえ,いったんぐちゃぐちゃにされてしまった古い基準が無い中で空気だけを読めといわれても,狭いグループの中だけにある明文化されないルールなわけで,あぁーややこしいな…と思うわけです。
これも一種のブリ戻しなんでしょうか?。最近日本旧来のものを見直そうという動きが,若干いびつな形で広がっている気もしますけど。そういうことなんですか?。