たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

難題?

2006-09-29 20:29:22 | 所感
子供の問いかけ難題20というのがあるらしいです。もっとも,雑誌が作ったものらしく,いかにも大人が考えた問いかけ…という話もありますが:-p。
それでもって,こういう問題には「どうしてそういうことを聞くの?」と問い返す方がいいという話を書いている人もいて,それはそれでなるほど…と思います。

わたしの意見的には,もし子供が10才くらいより小さかったら,この中のほとんどの質問に関しては「そういう風に決まっているから」という風な答え方をするでしょう。10才以下の子供に理屈で納得させようと思っても,あまり意味がない気がするからです。まぁ納得させるために理屈とは違った努力は必要かな…とは思ってますけど…。
もう少し大人になると論理的に説明する…っていうのもありかとは思いますが,そうなると,これらの回答も一様には決まりません。どういう状況を想定してるか聞かないと答えられないので,やっぱり「なぜそういう質問をするのか?」…と問い返さないとダメかなぁ…と。

そうは言っても,これで終わるとつまらないので,簡単に答えてみましょう:-)。

お金持ちは偉いの?
お金持ちだから偉いって事はない。お金持ちにも偉い人はいるけど。
人を信じていいの?
まずは信じるべき。何度か裏切られたら,そういう人だと思いなさい。
どうして学校に行かなきゃいけないの?
学ぶ場として適当だから。他にもっといいのがあればいかなくてもいいのかもしれないけど。
どうして勉強しなくちゃいけないの?
幸せになるための知力(知恵・知識ではない)・体力をつくるため
いい大学に行ったほうが幸せになれるの?
幸せになれる大学があれば,それはいい大学
どうして働かなくちゃいけないの?
食べるため
どうしてお父さんはサラリーマンになったの?
好きなことをやれる仕事がたまたまサラリーマンだった
友達をいじめるより、いじめられるほうがいい?
どちらがいいという事はない。どちらにもならないほうがいい
つきあっていい友達と悪い友達は何が違うの?
ケースバイケース。本当にお互いのことを思いやれる相手なら悪い友達って事はない
どうして門限を守らなくちゃいけないの?
心配してる人達に迷惑がかかるから
どうして毎日後片付けしなくちゃいけないの?
衛生的な問題とエントロピーの問題
どうして人のものを盗ってはいけないの?
自分がやられて嫌なことはやったらダメ
他人に迷惑をかけてはいけないの?
自分がやられて嫌なことはやったらダメ
どうして子供はSEXしちゃいけないの?
子供が出来た場合,病気がうつった場合,人間関係が壊れた場合のリスクをコントロール出来ないから。
長生きするといいことがあるの?
ある
女性は結婚したほうが幸せになれるの?
幸せはそういう問題では決まらない。でも家族はいた方が幸せだと思うよ
男はケンカに強いほうがいいの?
そうとは限らないけど,体力と知力はある程度あった方がいい
年上のほうが偉いの?
そんなことはない。ただ自分より経験が豊富な人から学ぶことはある
老人はいたわらなくちゃいけないの?
いけない
どうして私の話を聞いてくれないの?
聞くつもりだけど

って感じかな…。あんまりおもしろくないかな…。
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安倍さん

2006-09-28 20:52:23 | 時事
昨日は安倍内閣の組閣…ということで,夕方TVをつけたらずっとそれをやってました。まぁ自民党総裁になったら総理大臣…というのは今の日本の流れなので,特に驚きません。内閣の顔触れは…,わたしが知識不足なだけでしょうが,あまり知ってる人が少なかった気がします。一部…いい印象が無い人がいたりしましたが(^^;)…。

…と相変わらず安倍さんに対して渋いことを書いてしまうのですが,実際夜の首相会見を聞いていても全然ピンと来ませんでした。一体この人は何をしたいのだろう?…。というのもあるし,話自体がおもしろくない。硬いし,「◯◯無くして…,××無し」と小泉さんが言い出した極まり文句を,二,三回言ってましたよ。小泉さんにあこがれてるのかも知れませんが,こっちとしては白けます。

ちょっと気持ち悪いと思うのは「この日本を…」とか「美しい国を…」とかいうセリフが目立つところです。こういう漠然とした使命感というか一体感…というか,こういうのって気持ち悪いです。もちろんわたしはどちらかというと右寄りなので「日本を…」という国家への帰属意識はあります。でも美しい国…なんって一体どっちを向いているのかわからず,それを目標と言って,君は日本をどうしようとしてるのだ?…とか思ってしまいます。政策というのはもっと具体的に設定するものじゃないのですか?。小泉さんの時は不況脱出(不良債権処理とか)という大きな課題があったし,彼自身が郵政民営化というこれまた局所的な目標を設定していたので非常にわかりやすかった。
でも今だとなんなんでしょうね?。実は国際状況はあいも変わらず不安があるのでしょうけど,こればかりは目標設定しても相手があるので,…っていうのもわからない無いでもありません。じゃぁ国内状況と言っても財政問題は谷垣さんのほうが専門家だったせいもあってか,あまり踏み込んだ目標設定はないし…。あっ,「再チャレンジ?」…。これもなんか言葉ばかりが先行していて,何をしたいのか良くわかりません。
経験上,漠然としたお題目を設定して「これに合う施策をつくれ」というと官僚は好き勝手に施策つくれますよ。優れた事務方とはそういうものです。ですから,官僚を縛ろうとすると,より具体的な目標を設定しないといけないのです。

というわけで,全然ピンとしない組閣でした。日本はどこに向かってるんですかね?。

余談ですが,次の国会で重要法案といわれている教育基本法,これ成立すると,何がどう変わるんですか?…。この辺の具体論が全然聞えてこないのも,そら恐ろしいです。
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著作権と先進国の利益構造

2006-09-27 20:10:52 | 社会
著作権の保護期間を『死後70年』に延長を求める」というニュースをTVでやってるのをチラリと見た。松本零士さんが訴えていたりして,ちょっと応援したくなったりもするのですが,ふと疑問に思いました。70年というけど,70年後にその著作物で利益を得てるのは誰なんだろう?…と。

作家が著作物で利益を得るのは当然です。それと著作権には利益を得ること意外に,作家の意図にそぐわない使われ方を禁止する…という重要な意味もあり,これも当然の権利です。ですから,作家が生きてるうちは保護されるのは当然でしょう。さて死後…。遺族に自分が残した遺産として利益を渡したいという考えも当然でしょう。また自分の意図に合うように著作物をコントロールしてもらいたい…と思うのも当然でしょう。しかしそれは70年なんでしょうか?。
70年というと子供じゃなくて,孫の世代です。どうかすると曾孫も生まれてます。一族末裔迄…っていう気持ちもわかりますが,三代目までに作者の意図が伝わっているか疑問です。
いや,はっきり言うと,そこまで来ると,莫大な利益を産み出しているなら,著作権は遺族だけじゃなくて,会社の管理になっていたりし,利益を産み出していないのなら,埋もれているのではないか?…という気もします。
そういうところが疑問なのです。作家のみなさんが訴えるのはいいのですが,70年後に利益を得ているのは,貴方の知らない,血縁も何も無い人がほとんどじゃないのか?…ということ。

…という疑問もあるのですが,もう一つ思ったこと。このリンクを見ると70年にするのは欧米に合わせるため…とのこと。じゃぁなぜ欧米は70年なの?。というか基本的に著作権は先進国の方が長く保護しようというのが今の流れな気がします。
これは,一言で言うと,先進国では著作権を主要ビジネスと考えているから…ではないでしょうか?。かって欧米は貿易で諸国から安く買ってきたものを,世界中に売り捌いて巨額の富を得ました。その後には技術的に高度な製品を発明し,それをそうでない国に高く売り捌き,さらにそこから安い労働力や原料を得て…そして加工して…という風に人件費や技術の格差を利用して利益を得てきました。これを搾取…というかは微妙ですが,この格差をコントロールしてきたのは欧米先進国です(日本も含む)。
そして,今,ハイテク製品(特にハード)がアジアでつくられ始め,欧米では利益を得にくくなってきてます。そこで次に利益を得るために用いようと思ってるのが,文化であり,コンテンツであり,そのために著作権の保護が必要…って事なのではないでしょうか?。
そう考えると,欧米で著作権保護が熱心なのも,それに日本が追従しようというのも別に作家の利益の問題ではなく,先進国というグループの産業界の思惑な気がします。ですから,作家と利用者(読者,リスナー)の問題ではないわけです。日本という国の今後の国家利益の上で重要な問題なのかも知れません。

…と,まぁその辺をふまえて考えていれば,著作権を延ばすのも短いのも…どちらの意見でもわたしはいいように思います。著作物は知的工業所有権(特許)みたいに陳腐化しにくい…っていう意味でも,まぁ欧米の人達がうまく金儲けの仕掛けを考えてるのだなぁ,と思いましたけどね。
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年寄のロック

2006-09-26 16:30:50 | 音楽・アート
嬬恋でのフォークコンサートを週末やっていたようで,NHKが妙に力を入れていて7時のニュースでまで紹介していたのは驚きました。それ宣伝だろう?…。
なんか3万人くらい入ったようで,大盛況…だったんでしょうね?。ウドーフェスに比べればたいしたものです。この差はなんなんだろう?。普段雑誌とかCDとかを買わない人が対象だったと思うのですが,どうやって宣伝したのでしょう?。NHKがやってたって事?。それに壮年向けだと思うけど旅行パックとかやってたのかなぁ…。

この手の「ん十年前を再現」みたいな音楽フェスはたまにあって最初はそれなりに盛況なんですが,何度もやるとだんだん客が来なくなるんですよね。当たり前といえば当たり前。でもなんか毎年のようにどこかでそんなのがあってる気がします。もちろん,それは今回のようなフォークじゃなくて,ロックだったりジャズだったりフュージョンだったり。
たまたまベストヒットUSAをまたやってることを知って見ていたら,敬老の日だったということもあり,古い音楽特集でした…って言ってもこの番組毎回何かしら古いビデオ流してるんじゃないですか?。しかし「敬老の日だから…」って言ってるの聞いて,壮年を通り越して老年かよ…って思いました。

さらに余談ですが,ブラり旅を見ていたら,歌声喫茶を再開しました…とかいうのもやっていて…。まぁ何と言うか,後ろ向きとは言わないけど,ノルタルジーに訴える音楽の話ばかりが目立つ事よ…と。若者は音楽を聴かないのか?とか思ったりもしますが,まぁきっと若者は違う時間帯の番組をみるのでしょう。深夜とかに音楽番組とかもあってるみたいだし。
でも,すっかりお年より向けの軽音楽の市場開拓が盛んになってますね。悪くはないけど,若い人が聴く音楽と境目なくつながってるのか?断絶があるのかは気になります。そして最初に書いたように,あまりイベントとして盛り上げすぎて,数回で廃れるよりは,継続可能な楽しみとして続いていくような「場」が出来ればいいように思うんだけど,どうなんでしょうねぇ…。もっともわたし自身は古い音楽も好きだけど,新しい音楽も好きで,あまりかたくなに新しい音楽はくだらない…という人きらいなんで…,そこがわたしの楽しめる場かどうかは良くわからないのですが…。
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教育のゴタゴタ

2006-09-24 08:23:14 | 時事
教職員への国旗国歌強制は違法という東京地裁判決が出たというニュース。なんかTVが嬉々として何度も流してますね:-p。

まぁ地裁の判決だし(と思ったら「控訴しないでください」って陳情していて驚いたけど,そんなのあり?)これが最終的な司法判断になるわけじゃないな…とは思いました。まぁ日の丸とか国歌とかいろいろ思うところがあるのは自由かと思いますが,わたしが仮にそういう教師がいる学校のに通ってる生徒の親だったら…「そんないざこざは生徒の見えないところでやってくれ」っていう気分です。教える方が揉めてる様子を子供に見せて良い影響が出ると思うんでしょうか?…。
そういう意味じゃこういういざこざをやってる教師は,教育より個人の心情が大事で,それを外にひけらかしている…といえます。教師である前に個人でしょ?…って言うことなのかもしれませんが…,個人を理由にしてなんでも教育放棄とか勝手な教育をされたらいい迷惑ですけど…。
というか,嫌なら公務員辞めればいいじゃん…とおもうんですが…。どんな社会人だって会社から業務を要求されて個人の心情に合わないことをするシーンってあるかと思うし。心情に合わないって教科書と違うことを教えられたら,どうなんでしょう?。判決には日の丸や君が代の歴史が語られていて,これらが特殊だから…って事になってたようですが,じゃぁ警察が「公権の行使が悲惨な過去を思い出させる」って犯人逮捕を放棄したらどうするんでしょう?…。
日の丸が嫌なら公立の教員じゃなくて,そういうことをやらない私立の学校を探せばいいし,それに賛同する親もそこに子供をやればいいんじゃないか?…と思います。あっこれ公立の教員…ってことであってるんですよね?…。
学生が学校の押し付けに反対するのは良いかと思います。でも教員が学校に逆らってることを学生に見せて何か良いことがあるんでしょうか?。少なくともわたしの経験からいうと,わたしが行っていた高校は国旗掲揚に反対したり,学生が学校に来てるのにストライキとかする教師がいましたが,生徒には偉い迷惑でした。おかげで「反国旗=教員」的な印象になったというか。
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介護

2006-09-22 18:36:54 | 時事
平日に自宅にいてすることもないとTVをつけたりしますが,民放はどうも見慣れてないのかおもしろくなく無難にNHKをつけてしまう。つけているとやたら介護のネタが多いことに気づきました。あまり多いので,当初先日NHKがやっていた介護ドラマの宣伝か?…とも思ったのですが:-p,終わってもそれなりにやってます。敬老の日周辺だから…っていうのもあるのか…それとも最近のNHKはそうなのかは良くわかりません。まぁ午前中のNHKというといずれにせよ健康ネタが多いようですが…。
日常的に介護の話題を扱っているって事は,それだけ介護の問題や関心が高いって事でしょう。専業主婦が関心のあるネタというと教育問題もあるかとは思いますが,少なくともわたしが見た範囲では介護のネタの方が多かった気がします。
そのうち自分も他人事じゃないよな…と思いつつも,一方で今回入院してるときに自由に体を動かせない辛さも感じたのですが,老人の場合,回復する障害ではないのが大変そう。でもとりあえずパラマウントベッドは強力だと思いましたけど(^^;)…。

…ところで,小泉さんが政権をおりるという事で,再び地方への公共事業復活を陳情する…っていうニュースも別のところとかでやっていたのを見ました。土木関係の公共事業は道路とかをつくる以前に土木技術の向上や雇用確保という意味でかっての日本で役に立った部分というのはわたしも認めます。都市の高所得層や企業が儲けたお金(税金)を,定常的な仕事をもたない労働者へ還元する,格差是正の機能があることもわかります。
ただ思うのですが,そういう事って福祉事業とかでもできないのでしょうか?。介護だってたくさんの人出が必要です。介護のために海外の安い労働力を受け入れるという話が出てますが,日本の雇用確保にも使えないのでしょうか?。もちろん介護のために必要な技術はあるかとは思いますが,介護事業と言ってもすべての人が介護師的なスキルが必要なわけでもないでしょう。
個人的にはこれからの公共事業はこういう福祉方面につぎ込むべきで,そのためのシステムづくりをすべきだと思います。そうすれば,公共工事に変わる雇用確保の手段としても使えるでしょうし,多くの税金を投入しても,国民は納得できると思うのですが…。
どうしてこういうことを言う人がいないのでしょうか?。
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不快はmaxしか検知しない

2006-09-21 10:10:23 | ココロ
北海道に台風が上陸しそうですが,北海道に台風が来るっていうのも温暖化…なんですかね?。

さて,話を変えます。病気中に思ったことなど。

興味深かったのが人間(自分)は今一番不快なものが気になり,他のことは気にならないこと…。
これは以前も思ったことがあり,例えば背中のコリが痛くてたまらなくて,マッサージに行き治ってくると,今度は膝の痛みが気になるとか。別にその時膝を痛めたわけではなく,背中が痛いときは気にならなかっただけでしょう。

今回も一番ひどいときは寝返りさえうてないし,息をするのも大変とか唾も飲めない…とかそんな状態でしたが,気になるのはやっぱり一ヶ所で,胃が痛かったり,喉が痛かったり…と回復につれてだんだん移っていきました。最初の方とか本当に寝たきりだったのに,汗とか背中の痛みとかはほとんど気にならないのが,自由に動けるようになってくると最後の方は,ベッドや体が汗くさいのが気になってきました(^^;)…。今も食事直後はお腹のあちこちが痛いのですが,痛い場所も徐々に場所が移っていたりしますが,新しい場所は新しく痛めた…というより,元々痛かったけど,もっと痛いところがあったので気にならなかったって事でしょう。

体の痛みを一般化するのもなんですが,人間ってそもそもそんなところがあると思います。嫌なところが一ヶ所あるとそこが気になってしょうがない。しかしそれが治ったらすっきり…というかというと,今度は他のところが気になる。それが治ると…って実は際限が無い気がします。つまり気になる部分やストレスを完全に無くそうとしても不可能…なんだろうな…ということです。ある程度の不快さになったら,不快な部分を一ヶ所はかかえて折り合いをつけて生きていくべきなんでしょう。

まぁわたしに関しては今の不快さがなくなって,元々あった膝とか肩とかの不快さが気になるようになったらシメシメって事なんでしょうね。
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人体 失敗の進化史 (遠藤秀紀著)

2006-09-19 19:55:32 | 書評
著者の遠藤氏は動物の死体を解剖する学者らしい。死体の解剖というと人間の方は養老先生がそうだったりするのですが,実際に死体や体を手にしてる人というのは,一般の人とは違う独自の視点をもっていておもしろいと思います。

この本は著者が人間の進化…について書かれた本です。基本的には一見進化論の様なんですが,進化論というと,「その環境に適応した種(そのように進化した種)が生き残った」という風に,あたかも生物の方が環境に適応した…という様に読めます。しかしこの本は,同様のことを「その場しのぎで設計変更してなんとか間に合わせた」みたいなことを書いてます。
つまり例えば人間の耳の中にある耳小骨は元々耳のためにつくられていたわけじゃなく,頭が地面から上がって地響きじゃなくて空気経由で音を聴く必要が出来た際に,顎の骨の一部を無理やり変形して使用した…とか。また肺も浮袋変化させ間に合わせでつくった…とか…そんな話がたくさん書いてます。
無理やり間に合わせで設計変更したので,無理もあるわけで,特に二足歩行をする人間は本来の動物の設計方針からするとかなり無理をしているそうです。それが肩凝りや脱腸につながっていると。さらに,二足歩行とは別ですが,人間に月経があるのは,本来の成人女性は原始状態では,妊娠か授乳しいてる期間が長く,月経をしてる期間というのは短いのではないか?…と書かれています。実際アフリカとかの女性はそんな感じ(子供が3~5才くらいまで授乳している)らしいですし。つまり月経に苦しむというのは乳母とか哺乳瓶とかそういう文化から大きくなっていると…。

いろいろなるほどと思えることがたくさん書かれていておもしろかったです。

これを読んだとき個人的な状況から,本来の脊椎動物は内臓が背骨からぶら下がってるのだけど,人間は垂直歩行をするために,それが出来ず,それゆえに横隔膜にぶら下がったり,骨盤で受け止めている…っていう話が,非常に納得させられました(^^;)。
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復帰?

2006-09-19 15:34:52 | 日記
しばし,病気してました。

そろそろ復帰してみるか…と思っております。まぁボチボチと…。
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我々は「感覚」を通じて世界を観て聴いている。もちろんモーツアルトも…。

2006-09-03 07:04:01 | ココロ
なんか変なタイトルですが(^^;)…。以前わたしは「モーツアルトと科学者」という文章を書きました。これは当時「モーツアルトを聴くと◯◯が良くなる」という類いのうたい文句が出てきたことに対して,「なぜモーツアルトなのだろう?」という疑問から書いたものです。この文章にはすべてぶっちゃけて書いたわけではなく,若干ごまかしが入ってます。というのは,自分が書くことに100%自信があるわけではないから…というのもありますが,それ以上に「信じている場合は効く」という場合があるからで,それを無理やり信じなくして効かなくする必要はないとわたし自身が思うからです。極端なことをいうとだまされていても,いい効果が出るのであれば,だまされるのも一つの手であるからです。

ところが,その文章を書いてもう5年になりますが,モーツアルト信仰は一向に収まらず,さらに加熱している気がします。健康に良かったり,仕事の効率が上がったりするのは,まぁ「信じている」からってことでいいのですが,なんか水が良くなったりとかいう話を聞くとちょっとどうかと思います。

まぁそれでも信じたい人は信じておけばいい…というスタンスでしたが,一方でこういう信じている人達を糾弾する人達がいて,それも何か違うな…と思う気がしたので,一応「音屋」だし…ってことで,わたしの思うところを正直に書いてみよう,と思い,今回は書くことにしました。

モーツアルトの音楽がいろいろいい効果をもたらすのは,わたしが思うに一言でいうと「聞いている人の問題」だと思います。つまり上に書いた通り「信心」,それと無意識に音楽が人のココロに働きかけるものです。

「信心」の方はわかりやすくて,その人がその音楽を強く「良いものだ」と信じれば,人間は自分の心のみならず体すら良い方向に変化させる事が多々あります。良く(実証)科学至上主義の人が,反論するために他の反証データを持ち出したりしますが,ある人には実際に効くのですから意味がありません。

そして,もう一つわたしが思うのは,音楽自体がそもそも人に「良い効果」を与える場合がある…ということです。とはいえ,実はこれはモーツアルトの音楽に限った話ではないし,もしかすると音楽に限った話でもないかもしれません。さらに音に限った話でもないかも知れません。

…ややこしいので音楽に話を限ります。例えばモーツアルトの音楽をオフィスに流して仕事をしたらミスが減った…という事例が報告されてます。これは,ある程度聞き流せるような音楽…というかリズムやメロディの時間変化があるような音を流すこと自体で,人がリラックスするし,リズムに人間が乗ることで,動きにブレが減りミスが減る…という可能性があります。人間はジッとしているより,体をゆらゆら揺らす方が,実は無規則なブレは減ります。

じゃぁ,モーツアルトである必要はないのか?…というと,これがなかなか難しい問題です。わたしがモーツアルトの音楽がこの様に好まれこの様に使われてうまくいっているのは,少なくとも日本人,そして西洋音楽に慣れ親しんだ文化の人達にとって,モーツアルトの音楽というのは非常に「不快に思う人が少ない」音楽だから,なのではないか?という気がします。そう書くとあまりにも簡単な話のようですが,実はそうでもありません。上記のように仕事中に音楽を鳴らしてみんながリラックスをするというのは,ありがちですが,その中に,その音楽を嫌いな人がいたら成り立ちません。音楽の嗜好はその人の音楽文化への触れた歴史に依存するので,みんなが好きな音楽や逆にみんなが嫌いな音楽というのは実は結構見つけるのが大変なのです。そしてわたしが思うのは,少なくとも西洋音楽,つまり和音と単調長調という調声メロディ,三拍子や四拍子のリズムという音楽のもっともシンプルな基本形態をもっているのがモーツアルトの音楽であり,それゆえにそれを毛嫌する人が少ないのではないか?…という気がするのです。リンクした先のわたしの文章で「金字塔」と書いたのはそういう意味です。

こういう種明かし的な事を書くと「なんだ」と思うかも知れませんが,実際にこういうみんなの音楽性の根本に響くようなシンプルな音楽を作るのはとても大変です。そしてそれは,人のココロが勝手に反応している…ともいえますが,音楽がもっている力によって人のココロが反応し,そしてその人の世界が変わっているともいえます。ですから,それはその音楽の力なのです。

神秘主義の人は音楽にオカルトな力があると思い,逆に科学主義の人はそんなのはなく,人の勘違いだというかも知れません。しかしわたしは,そもそも人間は「ココロ」や「気分」に支配されている生き物で,ココロの状態が変われば体の状態,脳の状態,ヨクウツ等が変わるのは科学的には間違いないことです。そて脳の状態が変わっている以上,我々が観て聴いて「感じる」世界は変わりますが,逆に外部の刺激を「感じる」ことによりココロが変わるともいえます。ココロが人間の見え方に影響する以上,それを制御する道具として音楽を使うのは間違いではないと思います。そしてそれに現在の日本人(や西洋人)がもっとも適してるのがモーツアルトの音楽なんでしょう。みんなに聴くのであれば,モーツアルトの音楽は名曲で不思議な力をもっているといっても間違いではありません。もちろん個人個人にはもっと適した音楽があると思いますが。

人間はあくまでも「感覚」というフィルタを通してしか,物事を観たり聴いたりすることができず,そうである以上,そこで何を判断しても厳密に客観的とはいえません。こういうのは概念を重視する文系の人とか,物質データを重要視する理系の人とかには理解しにくいかも知れません(ここで文系理系と書いたのは皮肉です:-p)。でも,わたしはすべての現象は感覚に影響され認識している以上,概念(言語)や物質データだけでは説明できないという,ある意味世界は感覚の上に成り立っている「唯感覚論」を提唱したいと思います(笑)。

ですから,人は自分の感覚がどう世界を感じどう世界とつながっているのか,意識してみるのもいいのではないかと思います。モーツアルトを聴いているのも「感覚」です。

P.S.誤解の無いように書くと脳化とは違います。脳化はどちらかというと概念の増大の方に近いという気がします。
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