たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

ホンダとバイクと日本

2009-01-31 09:11:39 | 社会
ホンダのS2000が生産終了というニュースを読んで,へー,一回くらい乗ってみたかったなぁ…とか思いました。
それはいいんですが,今日,ふと数年ぶりにホンダのページを観て,そこのバイクの全ラインナップを見て驚きました。なにこの「生産終了」ばかりのラインナップ?。
バイクに乗らなくなって7,8年くらい経つんでしたっけ?。最後に買って10年以上経ったと思いますが,その間,バイクメーカのラインナップを全然チェックしてませんでした。街を走るバイクを見てると,スポーツバイクが減って,レトロなバイクとかスクータが増えているのはわかっていたし,バイク自体の量が減ってるというのは感じてましたが,わたしの意識では世界一のバイクメーカであるホンダのラインナップがここまでさびしいことになっているのに驚きました。生産終了もそうですが,それを入れてもわたしが10代とか20代のときと比べて,たぶん半分以下,いや四分の一くらいしかモデルの種類がないように思います。しかも今日観たページの生産終了は,どうも今年度終了になる様に思ったのですが,今年度さらにモデルの種類が減ったということでしょうか?。
もしかしてホンダって今,危ないってことなの?と思ったのですが,どうでしょうか?。
世界のバイクの四大メーカというと,ホンダ,ヤマハ,スズキ,カワサキの日本の四メーカで,つまり日本が世界のバイクをリードしていたはずなのですが,もしかしたら他の国にその座を渡そうとしてるのでしょうか?。
そんなことを思いました。いや,バイクファンの皆さんにはもう当たり前のことなんでしょうけど…。アメリカやヨーロッパのバイクメーカが数種類しかバイクを作ってない…とかいうのと,日本のメーカも同じになるのかしら?。ついでに書くと,最新のバイクでも10年前の最新のバイクと,たいして進歩してないようにも見えるんですよね。なんかいろいろとさびしいものを感じました。やっぱり車とかバイクって,もうテクノロジーを感じるものじゃないのかなぁ。とほほ。
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給付金と寄付

2009-01-28 21:33:14 | 時事
反対なのに受け取るという相変わらず妙な定額寄付金ですが,一方で経済効果があるからさっさと給付しろという知識人も結構います。で,今日みたのは「寄付にできないか?」という意見。タイトルはあれですが,中身は辞退するくらいなら寄付をするといえばよかったのにという話です。
で,この記事に対して賛同の意見が結構ネットでは見かけて,日本には寄付の習慣がないという批判をされている方とかいます。はい。わたしもそう思います。以前から何度か書いてるんですけどね,例えば日本では大企業でも寄付を渋るとか。他にも何度か日記には書いてます。寄付がもう少し社会的な責任になる国になっても良い様に以前から思ってます。そして税控除とかとセットにしても良いんじゃないですかね?。
まぁ給付金をどう使うかは結局はどう使っても使えば,少しは経済の役に立つだろうってことで,別に寄付しなくて自分で使っても良いとは思います。以前はわたしは辞退するかな?とも思ってましたが,まぁ今は寄付をするか…使うかかなぁ,と思ってます。国内にお金を落とすような使い方が良いんでしょうねぇ。
…余談。
茨城の医師会有志が給付金をもらったら民主に寄付をとか言ってるらしいんですが,これはどういう爆弾でしょう?。給付金に反対しておいて,給付金を寄付してもらったら,なんかものすごい皮肉だと思うんですが。
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素人考えながら,発ガンよりも免疫ではないか?と思ったりするのだけど…

2009-01-27 22:37:19 | 医療・福祉

報道ステーションでホメオパシーがガン末期患者に有効と取れるような紹介をしていた
ということがネットで話題になってました。件の番組は観てませんが,わたしは自分のガンにホメオパシーを使おうとは思いません。何かの気休めになるかもしれないとは思っても,気休めでやっていることはヤマの様にあるし,ちょっとこれはわたしの中では有効性に納得がいかないのでパスです。
まぁその話は置いておいて。
ガンというのはメカニズムが未だによくわかってなくて,だから,こういう治療法を医者自身が行っているということもあるのでしょう。この週末にTVを観ていたら,ガンについてバラエティで解説していて,こちらは,まぁそれなりに納得いくものではあったのですが,いずれにせよ最近ガンに対するメディアの扱いは大きくなっている気はします。決定的な治療法が見つからないのに,死亡率が上がっている病気なので,当然なのでしょうが,TVでは,日本人がガンで死ぬ確率が高くなってるのは長生きになっているからと言っていて,これはわたしが以前から思っている通りでした。問題なのは若年化が進んでいるか?ですが,これについては言及はありませんでした。それが知りたいのに。
ちょっと疑問に思ったのは,TVでは一日5000個くらい(桁を間違っているかも)ガン細胞は生まれていて,通常は普通すべて免疫系でつぶされて,それでガンにならないという解説。この話はよく聞くので説としてはそんなに変なものではないのでしょうが,先日わたしが読んだ本にはそんなことは書いてなかったなぁ。あと5000個生まれて100%免疫でつぶされるのであれば,ガン細胞が生まれること自体は怖いことではない。では,よく発ガン性物質と怖れられているのは,何を怖れられているんだろう?,ガン細胞が発ガン物質で発生することではなくて,ガンを免疫がつぶせなくなる物質ということなのか?…などと疑問を持ちました。
免疫力というと,アレルギーや花粉症も免疫異常で起こるわけで,子供はアレルギーが多いけど,ガンは少ないということで,免疫力の低下がガンを引き起こすという気はして,一方でクリーンな環境で育つと免疫の機能はおかしくなるので,実は異物であるものを取るホメオパシーは,そういう意味で何か意味があるのか?とふと思うこともあります。
まぁ異物を入れるのであれば,そんなもの取らなくてもいいし,薄めれば薄めるほどいいというのは,そういう意味でも変なのでやっぱり納得いかないのですが。
…。
えっと,まぁいろいろとわからないのですが,とりあえずわたしの場合すでにガン細胞は発生してるので(もうすべて死んでいる可能性もありますが)ガン細胞が生まれないようにすることよりも,とにかく免疫力を高めることを意識しています。毒物は食べないけど,雑穀も含め色んなものを少しずつ食べるようにしてるのはそのためだし(胃腸が良く動いた方が免疫が高まるという話を聞いたことがある),人間疲れると免疫力が下がるので,疲れないようにする,ストレスをためないようにするというのもそういうこと。睡眠不足とか疲労で免疫力が下がるのは,吹き出物とか感染症とかで露骨に感じるので,そうなんでしょう。楽しいことをするというのも効果があるように思います。
ガン細胞の発生が日常であれば,免疫力こそが重要なのか?それともまた別の話なのか。その辺の情報が知りたかったのですが,TVではよくわかりませんでした。というか良くわかってないのだろうなぁ。
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【書評】がんはなぜ生じるか~原因と発生のメカニズムを探る(永田親義著)

2009-01-25 22:19:38 | 書評
ブルーバックらしく科学的ながら読みやすい本でした。
内容的にはタイトルどおり。がんについて書かれた本で,原因(主に発ガン物質)と発生メカニズムの研究の紹介で,治療法については特になし。長年この分野に関わってきた研究者らしく,歴史的経緯を踏まえて,これまでの多くの諸説を紹介していて,いい勉強になりました。
著者は医者ではなく量子工学からガンの研究に入った方ですので,臨床的な内容はありませんが,逆に分子や遺伝子レベルでの解説が述べられていてある意味ガンを病気というより科学的対象として読めます。
発生原因つまり発ガン物質については,特にわたしが知らない物質はほとんどありませんでしたが,明らかに発ガン物質といえるもの疑わしいもの,関わるものの様に分けて述べられていたのが,興味深かったのと,あと発ガン物質にガン細胞を発生させるものと,ガン細胞を育てるものの二種類があるのではないか?という考えが紹介されて興味深かったです。
メカニズムは知らない話が多かったのですが,細かくて結構難しかったです。ガンは細胞分裂の暴走とかエラーの様にわたしは捉えてましたが,実態はまだまだ不明で,DNA自体が痛んでいるという説と,DNAからたんぱく質が作られる段階での異常という説があるようで,分裂のエラーというとDNAなのかなと思っていたわたしにはちょっと驚きでした。確かにこの二つは違うのですが,そこまで考えたことはなかったので。
素人考えで書くと,ガンもさまざまなので,発生メカニズムが数種類あってもおかしくないと思ったのですが,どうでしょうか? エラーというのは正常以外ですので,ひとつの状態とは限らない様にも思います。いくつか紹介されていたメカニズムは,どれが正しいかわからないという感じで紹介されてますが,どれかひとつだけが正しいとも限らないなとも思いました。もっとも治療法などを考える上では,どれかにめぼしをつける必要があるのでしょうが。
ガンの正体がまだまだわからないことばかりで,学会の説も結構変化しているそうです。がん患者である自分の立場でいうと,まだまだ先が長い研究だなとも思い,ちょっと悩ましいとも思いました。もっともガンの根絶は無理なんじゃないか?というのもわたしは考えてるので,それはそうなのかなとも思いますが,有効な治療法はいつか見つかってほしいと思います。
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成功に必要なことのイメージがなければ教育は出来ない

2009-01-24 15:21:43 | ココロ
内田樹先生が学生が勉強しないのは,相手に勝つために全体のレベルを下げようとしているからというのを書いて,本当なのか?すごいなぁ。なんかピンとこないけど,現実に大学の先生が言ってるからそうなんだろうか?と思っていたら,山口先生はそうじゃなくて勉強(競争)に勝ったときの報酬が目減りして,一方で負けても罰が減ってるからではとおっしゃってます。正解は今のわたしにはわからないのですが,山口先生の方がわたしにはピンと来ます。
もっとも今のご時勢は,正社員・派遣格差がひどい,みたいな感じで,決して社会で成功しようがしまいが同じように生きていける時代じゃなくなっている様な風潮ですが,ちょっと前までは,あまりこういうのは表層化してませんでした。不況はあったんですけど,個人レベルの格差として見えなかったというか。
これから変わっていくかもしれませんが,今までは,勉強しまいがしようがどこでも良ければ大学までいけて,まぁそのあとはなんとかなるでしょ?。フリーターとかやっていってもいいし,みたいな感じだったのかもしれません。フリーターが20代は良くても,30代,40代とかなると結構大変とか言い出したのは,ここ10年くらい。そろそろ社会に出ようと思っていた学生がそんなことに気づいても,もう間に合いません。
そういう罰の方は,もしかしたらそろそろはっきりしてきてるのかもしれませんが,一方で報酬の方は今でもよく見えないように思います。いい大学に出たら大企業や官僚になれるのかもしれませんが,官僚なんてまるで悪人の様にTVでは言われてます。企業は個人が見えません。個人で成功が見えるのは一流のスポーツ選手や芸能人とかでしょうが,これは勉強でなれるものではありません。ベンチャーとかで成功して金持ちになった人も少数ながらいますが,結構これらの人々は,「学校の勉強なんて役に立たない」とか言うものだから,ますます勉強をしなくてもいいのかな?とか思ってしまいそうです。実はそういう人たちは学校ははみ出ていても,勉強は出来ていたりしてるんですけどね。
成功しないと大変なことになるといわれても,どうやったら成功するのかがイメージできなければ,努力のしようがないなとも思います。
ついでに書くと,今の親は子供に何をさせないといけないと思ってるんですかね?。今の社会は犯罪が怖いとか,学校でのいじめが怖いとか,そういうのを声を大にしているのは聞こえますが,子供の将来に対して,どういう風に子供を育てるべきとか?,あまり聞こえません。のびのびと自由に育ってほしいというのはあるのかもしれませんが,それも大事ですが,それだけで子供が大人になって大丈夫なんだろうか?とか。
結局大人の中にも,どういう大人になれば良いかがイメージできてなければ,子供がわかるわけもないよなと思います。わたしが子供の頃は,そこまできつくは言われませんでしたが,やっぱり勉強をしていい大学に出ないと楽できないとか好きなこと出来ないと親に言われてました。そこで親が勧める仕事には嫌悪感を持っていたけど,勉強が出来るにこしたことはないちょっと思っていたように思います。勉強熱心なのは良くない,みたいな事を言われて久しい気がしますが,実はあれはいい教育だったのかもなともおもいます。
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命の値段,お金の値段

2009-01-21 21:34:52 | 医療・福祉
粘る稀なガン患者さんが「余命の値段」という文章を書かれてました。日経新聞が調査した「余命を一年延ばすのにいくら払いますか?」というアンケートの結果を取り上げてます。アンケートによると,100万円以下で過半数を超えるということを,安く見積もっているなぁと思われているようです。
はてなのブックマークやトラックバックを見るとガン患者と意見が異なる人が多い(目立つ)ようですが,でも,彼らの中にガン患者さんほど真剣にこの問題を考えた人も少ないのでは?という気もします。ガン患者さんは実際に保険範囲外で,しっかり効果がでているがん治療を続けていらっしゃるわけで,この問題についてはまさに自分に今起きてることとして考えていらっしゃるでしょう。
わたしはガンを全摘してるので,現在はほとんど治療を続けていませんが,もし再発すれば,同じようなことを真剣に考えなくてはいけません。これまでも何度もシミュレーションとしては考えてますが,いろいろ迷います。ただわたしも100万円は安いと思います。
もっとも一年に200万円以上かかるのは,保険外診療ってことですよね。保険内だと自己負担がそれを超えるのは,病院を複数行く場合とかオプションがつく場合。保険外でお金をかけるには,その有効性の判断が自己責任になるので,判断が難しい様にも思います。
病気に対していくらかけられるかは,年収分位かけるという考え方もできますが,実際はそれに生活費がかかるので,やっぱり可処分所得がいくらまで見込めるか?。病気になれば無駄遣いを抑えることは出来るでしょうが,やっぱりそもそも2,300万円くらいしか年収がない人が,200万円の治療はかけられないでしょう。
というわけで,いろいろと数字だけ見ても複雑です。それにおそらく死ぬかもしれない病気になってない人は実感しにくいかと思いますが,実際に死ぬかもしれない病気になると,考え方は結構変わります。健康なときは1年寿命が延びるためにそんなにお金をかけたくないと思っていても,実際はそう腹をくくるのに1年じゃ足りないと思う場合もあるでしょう。わたしはたぶんそう思いそうです。
一年寿命を延ばすのにいくら使えるか?というのはその人の命の値段ということも出来ます。わたしも八年位前にお金は人の命も数値化できると書いたことがありますが,今読むと結構若いです。というか,実際はお金で命を測るというより,お金の価値も変動するかな,とも今は思います。また命もお金も測りにのせないで見積もるのと,測りにのせて見積もるのでは結構違うかなと思います。
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統計は人間(の心情)にマッチするのか?

2009-01-19 19:56:35 | ココロ
科学的思考を求められる現代では確率という統計量を使ってものごとを語ることが増えている気がします。わたしが一番身近に感じるのは病気に関することで,ある病気にかかったときの死亡率とか発病率とか。他にもいろいろなことで確率はよく使われますが,時々あれ?と思うような使われ方もしており,もしかしたら,確率統計というのをわたしは正しく理解してないのか?とか世の中の人は理解してるのか?とか思うことも多々あります。先日読んだ本にわたしが今ここにいる確率は限りなく零に近いので奇跡だみたいな事が書かれていて,わたしはそれを読んで,確率の使い方が違うだろう?と思ったのですが,もしかしたら,わたしの方が間違ってる?。

そうである一方で,どうも世論は確率が低いような危険性について大騒ぎすることもあります。BSEの問題もBSEにかかる人や死ぬ人が,他の病気に比べ遥かに少なくても,最優先事項の様に大騒ぎします。一方で自殺で死ぬ人や,交通事故で死ぬ人の割合が結構バカにならないくらいあっても,なぜか大騒ぎしません。

この辺の違和感がずっと気になっていて,もしかしたら人間は確率を正しく理解できない思考構造を持っているのではないか?とか思ったりもします。一方で現代の科学の問題は確率統計の手法を使って証明される問題がものすごく増えてます。解析的というか,システマチックに解ける問題が減っていることや,システマチックに理論を作れても,実際の問題に適用するときその他の不特定な要因で100%起きるとか起きないとか言うことが難しいので,確率的(有意検定とか)に証明することが増えてるのでしょう。

わたしも自分で研究していると,数式で理論を構築していくことより実験を行い結果を統計的に検定することが結構多いです。そういうわたしですが,上に書いた病気に関する確率での表現と人々の反応についてどうも非科学的なことが起きえるのは,致し方ないな,と自分の実感としてあります。

というのは,確率というのは母集団を規定して,その全体の中でどれくらいの数がある状態になったかみたいな話であり,非常にマクロな視点でものごとを語ります。しかし実際に自分にその問題を当てはめるとそれはあくまでも「個」の問題であり,つまりミクロな視点になります。あと事前の確率と事後確率と確率は異なりますが,社会で確率が語られるときに,そのことがあまり意識されないので,話がこんがらがることが多いように思います。

自分のことがわかりやすいので自分の事情を書くと,わたしはとある癌にかかりましたが,わたしがかかった癌は数十万人に一人がかかる癌だそうです。癌としては珍しい癌ですが,かかったわたし自身からすれば,珍しかろうが誰でもなりえようが,そういうのは関係ないのです。誰でもなる癌だから安心で,珍しい癌だから怖いってことはありません。癌が怖いかどうかは,その癌の進行のスピードや再発のしやすさでしょう。また癌はよく生存率が語られます。でも,やっぱり自分の例で思いましたが,生存率がたとえ90%でも怖いし,逆に10%でも助かるんじゃないか?という都合のよいことを考えるわけです。

いや,もちろん冷静に考えれば,生存率が90%と10%じゃ90%の方が断然安心でしょう。でもそもそも非常に稀な癌にかかったということで,稀だから大丈夫だということは信じられなくなっているわけです(苦笑)。

いや確かに100人がいたら,90人は助かるかもしれません。でも,自分が10人のうちに入らないという保証はどこにもないわけです。これじゃ確率で安全性を語る場合,人類全体の安全性を語ることは出来ても個人の安全性を語ることは出来ません。また,わたしは稀な癌にかかったわけですから,その時点で,わたしにとってはその癌は稀な癌ではないわけです。自分にとっては,病気というのはなるかならないかということで,50%だけなるというのはないわけです。

結局BSEとか他の病気でもいいのですが,危険率をどんなに語っても,自分がかかるかもしれないという不安は払拭されません。こうしたらかからないという100%なことを示してくれないと,それを実践してくれないと不安な人は不安なわけです。そういう意味では,確率は個人の心情にはあまり訴えません。社会システムを運用する上では有効な手法なんでしょうけど。

少し話はそれますが,わたしは人間の脳には統計的に処理されていることが結構あるんじゃないかと思っているんですが,人間が意識する上では,そのあいまいなものを無理やりどちらかに倒して表層化してくるので,そういう意味でも確率をそのままじゃ理解できないのかなぁとか思ったりもします。
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ショッカーの戦闘員だって生きている

2009-01-17 23:56:31 | ココロ
匿名日記に「100億年すれば、宇宙は消滅する。だから、生きていることに意味はない。 」というのが載って,結構ブックマークされている様です。昔から思春期に考えそうなネタですが,いまのわたしの心境からすると,「人間(生物)は意味がなくても生きていける,意味なんか求めなくてもいいんだよ」ってところかな。
一方,弾氏が「遺族にとっての意味」と書いているのは,ミームとかもそうだし,そういえば,2年ほど前にわたしも「死ぬというのは一部の自分はいなくなるけど,全部の自分がいなくなるわけでもない」と書いたのを思い出ししたしそういう面もあると思います。
と,書いたけど,やっぱり上に書いたとおり,仮に遺族とかが存在しなくてもやっぱり生きていていいというか,生きていくべきだと思います。「個」を見ると確かに他人と関係性をもてなかったりしたら遺伝子もミームも残らないし,いてもいなくても関係ない存在かもしれません。でもそういう個体も含めて,何十億という個が集まって人類を形成してるわけです。まぁ人間は生態系的に必要な種なのか疑問ですが(^^;),でも地球上に存在している今の種であることには違いありません。
つまり個人の存在に意味がなくても全体が存在することには意味があるので,構成員は必要なのです。ショッカーの戦闘員みたいなものです(笑)。
話がそれますが,ミクロの問題はマクロの問題に直結しないような気がします。個人の存在を統計的に語ることに対する違和感…がわたしの中にあって,それで思うのですが,それについて書くと,今日は話がややこしくなるので,またいずれ。
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車を売れないが不況のせいに出来る時代到来?,でも実は魅力もなくなっていたりして

2009-01-15 22:31:55 | 時事
日経ビジネスオンラインの「若者のクルマ離れ、その本質は「購買力」の欠如」というのを読んで二つほど思ったことを。とはいってもこのページ,登録制なので一頁目しか読んでません(^^;)。結論が全然違うことを書いていたらすみません。
一つは,ものが売れない理由を不況のせいにできる時代が来たな,ということ。もう一つは,弾氏も書いているように,車自体が欲しいものじゃなくなったという話。
前者については不況というか派遣きりの問題まで絡めてますが,要は製品とか売り方の問題じゃないよと言いたげです。ちょっと前までCDが若者に売れない理由とかをレコード会社が一生懸命犯人探ししてましたが,これからはCDが売れないのも不況のせいといえるのかな?…みたいな。
景気いいのに業績が下がれば,経営者の責任が強く問われますが,景気全体が悪ければ,少し言い訳しやすい。まぁでも景気が悪いなら悪いなりの戦略を考えるのが経営じゃないか?という気もしますが,とりあえず世間とか政治のせいに出来るから,経営者責任に眼が行きにくくなるか?とか。そんなことを思いました。こっちとしてはなんでも政治のせいにするなよ,と思うところもあるんですが。
とはいえ,実は車自体が若者に魅力がなくなってるという話もあって,それが二点目になるのですが,もしそうなら景気が好転してもやっぱり車は売れないわけです。弾氏が書いているような車の魅力がなくなった話は,わたしが99年にバイクに魅力がなくなったと書いた事を思い出すというか,同じようなことだろうとおもうのですが,車もそういう時代になったねぇ…と。99年はネットとか情報とかがこれからの若者の投資の場になるみたいなことを書きましたが,ただ今となってはネットのほうも少し頭打ちしてるような気もします。そうでもないのかな?。
いずれにせよバイクとか車の様な乗り物は,交通事情とか性能とかを考えると,すでに差別化要因を作り出せなくなってる気もします。これからどこに行くんでしょうね?。メイドロボとか?(笑)。
おまけですが,実は99年にああいうことを書いてますが,あの頃からつい最近まで車は大型化傾向が強かった気がします。オデッセイとかステップワゴンとか…。あれってどういう現象だったんでしょうね?と今でもよくわかりません。
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政策をすると損をする人と得をする人が出る

2009-01-12 23:08:22 | 時事
経済とか政治とかは素人なので,漠然とした印象で書きますが…。
定額給付金が迷走しているって議論がだいぶよく聞かれる様になりました。国会では与党の定額給付金に対し,定額給付金自体を止めろと野党が言っています。一方で世論の中でも「くれるのならほしいよ」みたいな意見もちらほら聞かれますが,いかんせんネットにしてもマスコミにしても,偏った意見ぽさを感じるのでなんともいえません。
まぁそれはいいとして経済対策が必要といわれているこの中,定額給付金をやらない場合,何をするのでしょう?。他に必要な使い方があると野党はいっているようです。野党の案をよく吟味しないでこう書くのは無責任だとは思いますが,なんとなく印象として,誰もが納得するような対策ってないんじゃないか?という気がします。というかあったら麻生さんは「それいただき」って言いそうな気がするし。
今は派遣切りとか高齢者問題とかがあって,そっちの話とすこしごっちゃになってないか?という気がしますが,景気刺激と弱者救済は違う…のじゃないですかね?。
みんなが納得するとか平等な方法なんていうのはないでしょ?と思し,結局政治というか政策というのは,どこかに力を入れるっていうことになるのではないか?と思います。政治にしても,会社の投資とかにしても,均等に分配するのではなく,メリハリをつけるとか,集めたお金をどこかに傾斜とか集中投下するというのがマネージメントじゃないんでしょうか?。であれば,今回の「もっと他に使うべきところがあるだろう?」というのもどこかにお金を集める,言い換えれば,得をする人(こういう言い方がまずいなら助かる人)と,得をしない人が発生する気がします。そうすると,それって支援団体?とか利権?とか,まぁそういう斜めな発想が浮かんじゃうのですが…。
で,一方定額給付が経済効果があるのかどうかはよくわかりませんが,仮にあるとしたら,これこそどこの支援団体とか利権にも関係ない実に機械的な配分の様な気がするんですけどね。それゆえに「無策」といわれるのでしょうけど(苦笑)。
というわけで,定額給付金の是非はともかく,他に使うべきだという議論は,まぁやり始めたら,もっと渾沌とするし納得できない結果になるんじゃないかな?という気はします。せっかく埋蔵金をばら撒くのだから,無策に機械的にばら撒くっていうのもひとつの考えかたかな?…とは思う,というか国会定額給付の議論に時間かけすぎ…と思う今日この頃です。
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