たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

プレーヤが作るルール

2009-05-26 23:05:01 | 時事
なんか最近,国政選挙で候補者の世襲について制限を加えようという話題が議員の間で盛んになってるようです。つまり,自由に候補者を立てたり選んだりできるようにしたら,愚かな国民は,正しく議員を選べないので,国会議員のほうで,制約をつけてあげましょう,という話でしょうか?。すごいですね:-p。別の見方をすれば,議員(および候補)の中の,単なる権力争い,どっちかが自分に有利なルールを作ろうとしてるようにも見えます。
そもそも国民が世襲議員を選ぶのは,投票率が低いことを考えても,ほとんどの国民が,別に議員なんて誰でもいいか,もしくは今のままでいいと考えていて,だから,支持地盤をもっている人たちが強いって事では?。今のままでいいというのは,いろいろぶつぶつ言っても,まぁ国をひっくり返すほど,困ってはない,もしくは政治に期待してないってことでしょう?。それを,今が危機という風に不安をばら撒いて,政治システムを変えようとするのは,なんていうんだっけ?。
…。
で,今度は与党の人から議員定数を減らしましょうとかいう案が出ていて,なんと50人も減らそうというから,結構な量だなぁと,驚きました。地方の議員が減ってるからって,そりゃー,市町村合併で減ったわけで,自治体数が減ったら減るけど,国も小さくなったんだっけ?;-p。
こっちの方は,露骨に愚かな国民が惑わぬように…という主旨じゃないので,いい効果があるのか悪い効果があるのか,良くわかりません。
そもそも国会議員の人数がどういう根拠かもよくわかりません。大臣とか副大臣とかやっている議員は,まぁTVとかでも活躍してるし,あと国会で質疑とかやってる人も,働いているかなぁ…。残りの議員は何をやってるんでしょう?。単なる一票の駒としているのかしら?。
だったら給料の無駄,というのもわからないでもないですが,でも,国会議員って要は,国会での意見の単位でもあるわけですよね?。選挙区との絡みもあるけど,意見の単位が減るって事は,少数派の意見が反映されなくなるともいえる気がします。例えば,ある県で議員を1人とかにすると,その一人が県の意見を代表するとみなされてしまうわけで…。
そう思うと,議員が減ればいいってもんでもないよなとは思います。まぁ活躍が見えない議員も裏でいろいろ画策してるのでしょうし,将来の大臣のための準備とかもしてるのかも知れませんし。
いずれにせよ,国政選挙制度の議論でしらけるのは,ルールを作っているのがプレーヤ自身だから,結局自分に有利になるようにしてるだけじゃないか?とか思っちゃうからなんですけどね。
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がん検診に意味がないとは思わない

2009-05-19 22:43:11 | 医療・福祉
だいぶ前に極東ブログで紹介されていた「治療をためらうあなたは案外正しい」という本を読み始めました。感想は本全体を読んでから書くべきでしょうが,とりあえず,気になったので風邪とインフルエンザとがんのところだけ読んでみました。
前書きを読むと,とりあえず,ちょっと日本人は病院行き過ぎじゃない?というような感じなので,つまみ読みしたところも,そういう感じで書いてあります。そうじゃなくて考えるのは患者自身ですと書いてますが,明らかに行かなくなるように誘導してるので,そういう意見なんでしょう。
風邪とインフルエンザのところはとりあえず「ふーん」という感じで,まぁとりあえず反論は無し。まぁ風邪はわたしも薬で無理やり抑えるより,変に悪化しないのであれば,しっかり寝て治したほうがいいと思います。
ただ「がん」のところに関しては,あまり納得できませんでした。そもそも治療の是非ではなく,検査を受けること自体にネガティブなので,そのことにはまったく同意できません。がん検診をした人としない人の死亡率というのを数字で挙げてますが,その数字の挙げ方自体が,おかしいと思いました。
例えば,大腸がんの
・検診を受けた人,約17万人中,大腸がんで死んだのが885人,
・検診を受けない人,約16万人中,大腸がんで死んだのが928人
という数字を挙げて,死亡率,
・885/17万=0.51%
・928/16万=0.59%
だから,たいして変わらないと。そして検診を受けてなくて大腸がんで死んでない人は99.41%だと,言ってます。
…。えっと,この分析って正しいんだっけ?(^^;)…と思いました。
数字は正しいでしょうが,まずどちらの場合も死ななかった99%以上の人が100歳以上まで生きたわけでもないでしょう。大腸がんで死ななかっただけで,他の病気で死んだり,事故で死んだのかもしれません。でもがんって日本病気の死因で一番ってことは,他のがんで死んだのかも知れません。確かにそういう人は大腸がんの検診を受けても意味がないのかもしれませんが,大腸がんが怖くないというわけではないでしょう。そもそも大腸がんの検査しかしてない人なら,外れてたかもしれませんが,がん検診を受けるような人は他のがん検診も受けているかもしれず,どこかで検診に引っかかってるかもしれません。
そもそも死ななかったという17万の人で割って0.5%とか,妙に小さい数字にしてることに不信感を感じます。母集団がどっちも16万程度という風に考えると,逆に大腸がんで死んだ人1800人のうち52%が検診を受けてない人だった…と,まぁこっちも誤差と思うかも知れませんが。0.0X%とするよりは大きいです。
というよりもわたしはこの数字を観て思うのは,検診を受けた人の中でがんと診断された人が何人だったか,という人の数字が抜けてるので,検診での発見でどれくらいの人が治療したのかがわかりません。検診を受けてない人の中に,どれくらい大腸がんだった人がいるのかわかりませんから比較はできないのですが,検診の重要性は,その後治療に効果があるか?がわかることだと思います。
そういう意味でいうと,検診を受けてがんと診断された人を母集団にして,「早期治療で完治した」,「早期治療をしたが亡くなった」,「既に手遅れだった」とかを比較しないと,検診の有効性は判断できないように思います。
あと,がんを治療しても,そのあとの後遺症とかで苦しむ期間が長くなる,みたいな事を書いてますが,それは医療行為全体を否定してる読めます。ただし,あまり明に書いてませんが,高齢者のがん検診が意味がないというのであれば,少しは同意します。後遺症で苦しんで結局完治する前に亡くなる方も結構いるんじゃないかとか思いますから。ただがんは若年層にも結構います。そういう人たちは一日でも早く発見しないと,すぐに手遅れになるし,助かればその後数十年生きるかもしれません。だからわたしはがんを早期発見するための検診は意味があると思います。がん検診は治療するためのではなく,あくまでも治療可能なうちにがんを見つけることだと思うからです。
ついでに書くと,患者の心情と統計ってなかなか,相性が悪いとも思います。これについてはここに書きました
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逃げ道を用意できないか?,そして対人は大事

2009-05-16 11:08:10 | ココロ
東北大で院生が自殺した件で指導に過失があったという結果が出たそうで。
まずは生徒さんにお気の毒とおもったのですが,それに加えて,大学関係者には知り合いが多い(東北大はいないけど)自身からすると,大学の方は大変そうだなぁ,と思いました。
大学の先生っていろんな人がいるので,おそらく問題が大きい先生もそれなりにいて,でもそうじゃない先生もいて,さらに生徒の方はもっと色んな生徒がいるから,自殺の原因はいろいろありえて,なので,個々のケースを調べないとなんともいえません。それで,今回は個々のケースを調べて,指導に問題があったという事なので,指導に問題があったのでしょう。
そういう個別のケースではあるのですが,それに影響を受けて,大学が色んな対策をうたなくてはいけなくなったり,指導するほうも,どう指導していいかわからなくなったりとか,そういうことがあり得るので,そういうのは大変だなぁと思ったわけです。
もっとも死んでしまった生徒の方は,そっちの立場に関係なく,大変だったわけで気の毒だったわけですが,まぁこちらも個々のケースによるので,あまりどうしたらいいとは言えません。
実はわたしは,あまり大学の先生で苦労をしたことはありません。でもわたしの知り合いには何人か先生とうまくいってない人もいたし,知り合いの知り合いぐらいになると,本当に先生が障害になって研究活動ができないような人も聞いたことがあります。ですから,今回の様な事件は,まぁあり得るだろうなぁ,とも思います。
一方で,学生ってこういう先生が障壁になっているときに,それをどうクリアするか?,どう乗り越えるか?が意外にみんな考えない。話題にならないし,実行する人も少ないので,お手本がなくて,ますます先生で苦労する学生は手のうち用がなくなってる気がします。
気軽に書くと怒られるかもしれないけど,担当の先生を変えたり,所属学部を変えたり,大学を変えるという手があったりするのだけど,実行する人はあまりいません。苦労して入った大学だし,先生といざこざを起こして他の先生や学校に移っても,業界が近いと,受け入れてもらえないというケースもあるんだけど,でも,そういうことやって,それなりにやってる人も知ってるので,可能といえば可能なんだろうなとも思います。
子供の学校のトラブルは,そこから抜け出る方法を当事者が思いつかず,深みにはまっていくというケースが多いという気がしますが,そういうときに抜け出る道があることを,もう少し意識させられないのかな?とは思います。

もうひとつ,あくまで今回の話とは関係なく,よく若い学生とかがネットとかに書いてるのを見て思うのは,若い人は,実力があれば成功して,人付き合いとか対人的なものは,あまり重要じゃないと思っている人が結構いる気がします。だからSNSとかで研究室とかにいる学生の書き込みを見ると,先生といざこざを起こしながら,「認められない」と怒っている人がいます。でも,実際は社会に出てもそうなんですが,実力と人当たりと両方ないとうまく行かないパターンが多い。極端なことを書くと,たぶん実力より人当たりの方が重要だったりします。まぁ人当たりといってもいろいろあるんだけど。
そういえばネットである芸能人が干されていた理由というのを一般人があれこれ書いてましたが,やっぱり根本的には人当たりで干されてるんですよね。もちろん,誰かに目をつけられて,というパターンもあるんですが,人当たりが良くなったら,仕事が増えたという人が結構いる様です。芸能人もルックスや芸が大事の様に思うのですが,実際の社会はどんな才能がある人も一人では仕事ができないので,やっぱり人当たりというのは大事なのだと思います。
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都会と田舎と東京の話

2009-05-12 23:15:44 | 社会
先日ちょっと書いた都会とか田舎とかの話を改めて。と言っても,この手の話はいろいろ思ってるので,やっぱり簡単には書けません。とりあえずいくつかつらつら思うことを。
前々回書いた話もそうだし,他に都会は刺激的だし地縁が緩いのが良いとか,都会は直線的に発展するとか,そういうのを読んで,まぁそうだよね,と思います。いずれも都会の方が好きという風に読める人が書いた文章だからかもしれないけど,一方で,田舎の方が良いと言う人はいないのだろうか?とも思います。
さて,ちょっと話をそらすと,ここで言われてる都会ってどこだろう?と思うと,たぶん東京をみな想像してるのではないでしょうか?。もしくは首都圏。大阪や京都,名古屋は想定してるのでしょうか?。個人的には東京(首都圏)は日本のほかの政令指定都市級の大都市と比べてもあっという的な違いがあると思います。人口もそうだし,マーケットもそうだし,大企業の本社や行政が揃ってるっていう首都機能もそうだし,それは日本で二番目の大都市圏である大阪圏と比べても圧倒的に違います。そういう意味では東京を想像して「都会」と書くのは少しフェアじゃない気がします。
というのは,逆にここで言う田舎というのが何を指しているかが良くわからないからです。人口が数百や数千人しかいない村や集落を指すのか?。地方の市を指すのか?。地方の県庁所在地くらいの市を指すのか?。はたまた日本にいくつかある地方の政令指定都市を指すのか?。これらはそれぞれ東京とは違います。しかも人口の差による一次元的な順列とも違います。例えば東京と東京の周辺にある小さい市とか町(昔で言うと五日市とか桧原とか,秩父とか)の違いと,東京と福岡市の違いというのは,人口と東京の距離の関係から,簡単にはいえません。福岡は大都市だから一通りの店は揃ってますし,映画館やスポーツ興行もあります。五日市とか秩父とかはそんなものほとんどないでしょうが,電車で1,2千円払えば東京に出れるという強みもあります。秋葉原にしか売ってないものを手にとって選んで買えるという意味では,東京の周辺の田舎の方が,東京を享受できます。
ついでに書くと,わたしは学生時代に一月ほど阿蘇のキャンプ場で住み込みのバイトみたいなことをしてましたが,あの辺までいくと,もっと違う生活です。
そらした話の量が大部分になったので,この話はこの辺で。
で,現在のわたしは東京23区に住んで,東京暮らしを満喫してるって事なんでしょうし,東京のメリットを活かして生活してますが,でも,上京以来ずっと思ってるのは東京というのは,どこか搾取されている気がするということです。つまり無駄にコストがかかる部分が多い。一番は家賃ですが,家賃に関してはたぶん大阪圏と比べても1.5~2倍近く違います。外食も高いです。東京は刺激的ですが,何をするにもお金がかかります。もちろん公共交通機関とかのように東京の方が安いものもありますが,最低限の暮らしをするのに東京の方が遥かにコストがかかります。そして遊ぶのにもいちいちお金がかかります。お金さえあれば刺激的に暮らせるかもしれませんが,逆にお金がないと何もできないし,生きていくのも大変です。
ところが一方で,なぜ東京にいるかというと,東京にやりたい仕事があったからですが,まぁつまり好きなことやってお金をもらおうと思ったら東京に行かなくてはいけなかった。お金を得るために東京に来たのだけど,東京にいるからお金がいる…そういう構造になってます。いわゆるGDPには貢献してるのですが,だからいって,お金がたまったりあまり働かなくても楽に暮らせるわけでは決してありません。
若い頃は刺激が楽しいので,そうやって大量に物や情報を消費することが生きてるって感じな気がします。歳を取ってくるとそこまでしなくてもと思うので,ますます搾取されている感じがします。もっとも歳を取ると東京の便利さが手放せなくなるのですが,病院とか特に。
個人的にはわたしが今まで住んだ中で一番いいと思ったのは福岡市です。福岡市のは都会の便利さと田舎の良さの両方があり,都会の不便さが少ないように思いました。個人的には理想です。ただ学生時代に住んだだけなので,仕事をする上でもそうなのかはよくわかりません。いつか住めるかな。住みたいなと思います。
都会と田舎の話は,またいずれ…。
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人の人生と幸せ

2009-05-11 21:01:52 | ココロ
義理の弟の結婚式に出た帰り,義理の妹が「人の人生を観るのは良い」みたいなことを言いました。続けるに,人の人生を観ると,いろんな幸せが世の中にある事がわかり救われるとのこと。自分の人生だけを観ていると,人生の幸せは「これしかない」と思って袋小路に入ってしまうが,いろんなパターンの幸せを観ると,あぁーこういう幸せもあるんだなと思うから救われる…というような話だった。

fujiponさんの凡庸の哀しみというのを読みました。わたしは凡庸という言葉がイマイチ良くわからないのですが,ここに書かれた勝手の想いには幾つか共感しました。寝るのが怖いと思ったこともありますし,名前を残したいと思ったこともあります。わたしは親と比べてどうのこうのというのはありませんでしたが,若い頃は親とは違う仕事につきたいと思っていたし,人と違う何かオリジナルなものになりたいという想いはかなり強かったと思います。いや,今でも結構強いです。芸術が好きなのも,人より優れていることよりも人と違ってることを求めているからでしょう。
今では,歴史に名を残すのは無理かな?とは思ってますが,専門書のどこかに自分の論文が引用されたりすると良いなとは思っております。その程度。
自分は死を意識する病気になった事もあり,ある意味死ぬことについては諦めがついた様なところがあります。ただ,今はそれよりも自分が残していく人達の先行きが気になる,ただそれだけでしょうか。
人の幸せとはなにか誰が見てもオリジナルな何かになったりすることではなく,普通に生きて普通に自分の周辺の人達に何かを残すことかなと今は思います。それが世界に爪痕を残すということかも知れません。自分を残す人達とかかわり合いがしっかり持てれば,それが幸せであり,そういう期間が長ければ充実した人生だったと言えると思ってます。

世界中の誰が見てもこの人を知っている…という成功は数少ないパターンかも知れませんが,人間の一人一人のかかわり合いは,物凄いパターンがあります。その中には数得きれないほどの幸せなかかわり合いもあると思います。義妹のいう「それぞれにいろんな幸せがある,人の人生」,特別ではないという意味では凡庸なのかもしれませんが,「こういう幸せもあるんだ」という意味でもあるように思います。
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若者への投資

2009-05-07 23:44:23 | 社会
昨日NHKスペシャル「“35歳”を救え」というのをやっていました。冒頭20年後55歳(つまり今35歳)の人が,少子高齢化で税負担とか医療費とかが大変で暗い未来が来るみたいな話でした。で,今の若い世代が収入が少ないとか,教育費が高いとかで,結婚できないとか子供ができないとかそんな話でした。
連休の最後に暗い話をするなぁ…と思って消そうかと思っていたら,後半は逆で,若い人(といっても30代ですが)に行政が職業訓練とか,子育て支援で投資することで,将来が明るくなるという展開でした。冒頭に暗い話をして後半で希望を描くのはいつものクローズアップ現代の手法ですね…って感じで,まぁNHK的に手馴れた演出です。
で,冒頭,若い人たちが収入が少ないから子供が作れないとか,そんな話をしてるときに思ったのは,でも今から40年前とかの人が別に今より収入が多かったりしてたわけでもなくて,それでも子供を作って育てていたんだけどなぁ…などと思ってました。つまり,今の社会は収入が少ないとかコストがかかるとか,そういうのだけが子供を作る障壁になってるのではなくて,もっと別の何かがボーダーを上げているんじゃないか?とそんな気がしてました。
ちょっと話がそれますが,ちょうど今日なぜか都会と田舎の話がネットで話題になっていて,例えば「田舎は好きだが、それでも東京を選択する」とかいう文章がずいぶんブックマークされていたりするのですが,TVで地方のほうでの子育て支援とかの話とかを見てると,東京は家賃も高いし,収入も田舎より多いけど,生活や子育てコストはそれ以上に高いのではないか?とか,でも「楽しみ」や「刺激」のために都会暮らしを人々が望む場合…それって,本当に社会のせいなの?とか思ったりもしました。まぁ都会と田舎の話は,もっと別の点で思うところはあるので,また別途書くつもりですが。
TVの結論は結局は若い人に投資しましょうって話なんですが,一方で年寄りの話はまるでなかったかのように無視してました(笑)。NHKはそこまででもないにしても,民放はこれまでずっと年寄りの方に投資しましょうとばかりで,若い人に投資しようとはほとんど言ってきませんでしたからねぇ…ちょっと新鮮でした。というか,たぶん「若い人に投資して明るい未来を」と言ったら御年寄りも反対はしないだろうけど,「お年寄りの投資を減らし,若い人に投資しましょう」というとどういうんでしょうね?。賛成してくれるのでしょうか?。
あと,みていて思ったのが,終身雇用とか,社宅完備とか,そういうのがなくなって労働者が安心して子供を作れなくなったというけど,もともとそういうのって,企業が良質の労働力を確保するためにはじめた施策じゃないかしら?。別に社員のためだけじゃなかったはず。つまりそういうのをなくしたから,雇用の質が下がっているともいえて,つまり福利厚生を上げた方が,企業のためでもあると思うんですけどね…。いまの経営者はそういうの忘れてしまったのかしら?。いつからなんでしょうねぇ…,そういうものの見かたができなくなったのは。
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忌野清志郎とがん

2009-05-05 23:55:17 | 医療・福祉
忌野清志郎ががんで亡くなったとのこと。
特別な想いがあるわけでもないのに,有名人が死んだだけで話題に取りあげるのは,その人の死を消費しているような気がして,不謹慎な気がするので,普段は書かないのですが,清志郎の2年半前にがんで治療を始めた時期は,わたしががんの治療を始めた時期とほとんど同じであり,当時のわたしにはものすごく関心が高いことだったので,今回亡くなった事については,いろいろ思うことがあります。わたしは清志郎については特に強いファンというわけではありませんが,わたしが音楽をやっていた時代には人気があったため当然何曲も知っている曲があります。とはいえ,音楽の話は置いておきます。
わたしの記憶では,清志郎は二年半前に喉頭がんが判明して,治療のため休業しました様に覚えてます。たしか当時のニュースでは,手術はせずに放射線治療との事でした。抗がん剤を使ったかは知りません。喉頭がんの各ステージの標準的な治療をわたしは調べてませんが,当時のニュースを聞いて,手術をしないのは,手術をできないくらい進んでいるということなのだろうか?と思いました。それとも歌が歌えなくなることを嫌って,手術をすれば治るのにしなかったのだろうか?とかそういうことも思いました。ただ,当時そういう不吉なことを言う人はネットにもメディアにもいなかったので,あえてそういう考えはわたし自身も封印し,治るのを願ってました。ただ喉頭がんが果たして外科手術をせずに治るものなのか?という疑問はずっとありました。一時期回復してステージ活動を行ってましたが,本当に治ったのか?という疑問はずっとありました。
がんにもいろいろあるかとは思いますが,進行性のがんで,手術をせずに全快(緩解)したという話は,めったに聞きません。抗がん剤が効いていて,5年以上通常生活をしている人は,ネットで見かけてますが,そういう人も結構稀な気がします。放射線治療が外科手術並みに効果があるものなのか?というのは,良くわかりませんが,清志郎が外科手術をせずに放射線で治療をすると言った時に,医者は治りますよといったのだろうか?,それとも切れないので延命として放射線治療をしましょうといったのか,どっちだったのでしょう?。それはずっと引っかかってました。
がん治療に入ったとき,また清志郎が復活ライブを行ったときに,ファンは全快を期待,信じていたように見えましたが,わたしは,そんなことがありえるのだろうか?とずっと思ってました。でも,もし本人は全快のあてがないことを知っていても,それを黙っている以上,もちろんファンも全快を信じ,復活を喜ぶものなのでしょうか。
清志郎ががんの治療をはじめるとき,確か「ブルース」とか言っていたように思います。それはどういう意味だったのかなぁ…。昔20年前くらいでしょうか,清志郎が当時,雑誌のインタビューでミックジャガーが健康のためにジョギングをしてることを批判してるのを読んだことがあります。ロックミュージシャンが健康に気を使ったりするなよ,みっともない,みたいなニュアンスでした。ロックはいつまでもアウトローでないといけない…そういう生き様自体がロックだ,みたいな感じでした。
その後?清志郎は父親になって,父親らしい側面を見せながらも,反社会的なパワーは持っていたように思います。でもそこには子供のために健康に気を使い長生きをしよう…という生き様じゃなかったのかな,清志郎が言ったブルースは前向きな言葉だったのか,実はそうじゃなかったのか,良くわかりません。
そんなことを思いました。いつかはこういう日が来るかな…とは思ってましたが,もし彼が全快したら,わたしにとってもすごく励みになると思っていたのもあり,やはり亡くなった事は,すごく残念なことでした。
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ザウルス(C860)の充電機能の話

2009-05-03 11:18:28 | 日記
mixiでは同じ症状にあってる人がいたのですが,インターネットでは見かけなかったので,メモもかねて。
わたしはザウルスのSL-C860をもう5年くらい使っているのですが,最近急に充電ができなくなりました。バッテリは本体に入っていて,本体をACアダプタにさすことによって充電してます。以前からまる2日ほど充電しないと本体のバッテリインジケータが減り始めるという感じだったのが,最近急にインジケータが満タンにならなくなった。
さすがに5年使っていればバッテリも死ぬだろうと思って,新しいバッテリを買いました。買ったのはEA-BL08K。500回くらい充電できると書いていたように思いますが,5年使っていたって事は500回以上充電してるようにも思うけど,まぁ結構もつなと。
で,新しいバッテリを買ってC860に入れたのですが,充電できず。何時間たっても満タンにならないし,本体の電源を落としてACアダプタにさしていると充電ランプがすぐに消える。
もしかしたらバッテリが不良だったのか?と。EA-BL08Kよりも新しい型番であるEA-BL11の方ならきっとロットも新しいだろうと思い,こっちも注文して買ってみました。で,この件をmixiのザウルスコミュで調べていると,同じ症状(本体では充電できないという)の人がいて,外部の充電器CE-BC22だと充電できるという話だったので,CE-BC22も買ってみました。
で,EA-BL11を本体入れて充電したら,やっぱりできない…。さすがにこれはバッテリの不良じゃなくて本体の不良か?ってことで,充電器の方に入れてみると充電できる。EA-BL08Kの方も充電できる。古い元々入っていたEA-BL08も充電できる。ってことで,結局悪かったのはバッテリじゃなくてC860本体の充電機能って事?。古いバッテリも元々使えるって事?。本体で充電できないってことはバッテリが減ったら取り替える必要があるのでバッテリが二つは必要になるのだけど,今回どうせ買ったので,しばらくこれで様子を見ようと思います。なんかmixiではそのうち直ったという話もあるので,なおったらいいなぁと思ってます。
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経済的豊かさがどこから来るかがわからない

2009-05-02 15:22:47 | 社会
ネットで話題になっていた「途上国が貧しいのは先進国が搾取しているからではないし、貧乏人が貧しいのも金持ちが搾取しているわけではない」を読んで。
書かれている思考実験,つまり最貧国が一つなくなっても豊かな国が貧しくなるわけではない,というのは,一見正しいようにも思えます。ただし世界のすべて最貧国がなくなったらどうなるのだろうか?,という気はします。というか,豊かな国は最貧国から直接搾取してるわけでもなく,ちょっとだけ貧しい国から富を吸い上げていて,その吸い上げられている国はさらにちょっとだけ貧しい国から…という構造であれば,最貧国がなくなってすぐに影響を受けるのは,最貧国より少しだけ豊かな貧しい国なのかもしれません。
まぁ正直この辺の構造は良くわからないのですが,わたしは以前,富を生み出すのは「地球から搾り取ること」,「人から搾り取ること」,「未来から搾り取ること」のいずれかではないか?と書きましたが,人=貧しい人とは限らないし,人だけじゃなくて未来から借金をしてる場合もあるので,その中のどこかの搾取だけ取り除いても,すぐに豊かな国が傾くことはないことは容易に想像できます。
ただわたしが思う最大のポイントは,経済の豊かさはお金(的なもの)の流れから生じるのではないか?ということで,そうであれば,豊かさの偏りがないと豊かな人々というのは生まれないのでは?という疑いです。お金がどこかからどこかへ動くことで豊かさが生まれるのであれば,そのお金が出て行ったところには豊かさが残るのか?はたまだまた湧き出てくるのか?が良くわかりません。
経済活動を手放しに肯定する人たちはどうも,その豊かさが無限にどこかから湧き出てくる…という風に言ってるようにわたしには見えて,そこが腑に落ちないというか納得できません。だから,その豊かさはどこから持ってきたものなの?と疑ってしまうのです。
新しい金融工学とかいう学問で,新しい経済活動が常に開発され,一時期儲ける人たちがいますが,大抵それはどこかで破綻してます。ずっと破綻してないものってあるんでしょうか?。破綻してるものを観てるから,どうもそういう金融工学のいうことが胡散臭く感じてしまうのです。
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