週末にTVアニメを見ていて,その後他の人が書いたその感想を週末にTVアニメを見ていて,その後他の人が書いたその感想を読んで…,思うところあったので…。
その作品ではある団体に新たに加わった少年が,他のメンバー(大人)にあるものを届けるように言われる。ところがこれはだましであり,他のメンバーはその少年が任務を執行するのを苦労してるのをカメラでコッソリ見ていて笑っている。結局はその少年は他の連中が「もうギブアップするだろう」という予想を遥かに越えてクリアし,やり遂げられた後真実を知る。少年は落ち込むが好きな少女が一生懸命頑張ってるのを誉めたので気を取り直す。
ここまでは普通ですが,この話にはもうちょっと変な仕掛けがあって,少年をカメラで取ってる若者は「その(笑われる)ポジションは今まで自分のポジションだった」と悔しがり,更に少年が受けたのでもっと悔しがる。騙した大人達は少年がやり遂げたのに対して,感動し誉める。…という事が描かれてます。
この上記前半だけの話を見ると,わたしにはこれが単なる「イジメ」にしか見えず,とても不快だったのですが,後半の話があるために,どうも良くわかりません。実際にいろんな人の感想を見ると「無視されるより,笑われた方がいいのでは?」という様な意見があって驚きました。
わたしはもしかして(良い意味じゃなく)プライドが高いのか洒落がわからないのか, 他人に指さされて笑い物にされる…というのはあまりいい気がしません。ですから逆に他人の苦労を見て笑ったりするのも嫌いです。そもそも他人を崇めたり蔑んだりして,自分の感情にご褒美をやるという事自体に興味がありません。しかし他の人の感想を見て…,また今回の作品自体の作りを見ていて思ったのですが,世の中には知り合いに笑われる事に喜びを感じる人…っていうのは結構いるのでしょうか?。
確かに最近の若い人は「お笑い」になりたがる人が結構います。私が子供の頃はあこがれる若者というのはもっとニヒルな感じのスターだったのですが,今の人はそういう人より,笑われることで注目される人を目指すのでしょうか?。そしてそれは単に偉くなるためお金儲けが出来るための「手段」として「笑われる」の利用すると言うことより,知り合いに笑われる事自体に喜びを感じるのでしょうか?。
正直良くわかりません。まぁ確かに本人が納得して笑われるのであれば,問題は無いのだと思います。実際嘲笑はともかく,周りの人に軽くからかわれたりわざと間が抜けたことをやって,周りの人気者になっている人は,TVの世界じゃなくて,自分の周りとかにいたりもしますし,自分自身もちょっとおどけて見せる事もやります。
ただ,やっぱり相手を騙してやっていたり,不本意なのに笑うこと,それが一対多みたいな状況でやるのは「イジメ」だと思うんですけど…。
余談ですが,わたしは一つの場所をどっぷりと居場所にしないで複数の居場所を作り,何となく機能別に入り込んでいるようなところがあるのですが,これってもしかしたらイジメに対する予防なのかなぁ…とか思ってしまいました。もともと転校生なので,そこでの人間関係がうまく行かないと,場を変えればいいという様なところがあるんですね…,多分。
ところで,最近「弄る」という言葉がありますが,これもイジメであることをごまかすために便利に使っている様な気がしないでもありません。イジメが社会問題になって印象が悪くなったのを,罪悪感なしにやるために「弄る」って言葉を便利に使ってませんか?…。
その作品ではある団体に新たに加わった少年が,他のメンバー(大人)にあるものを届けるように言われる。ところがこれはだましであり,他のメンバーはその少年が任務を執行するのを苦労してるのをカメラでコッソリ見ていて笑っている。結局はその少年は他の連中が「もうギブアップするだろう」という予想を遥かに越えてクリアし,やり遂げられた後真実を知る。少年は落ち込むが好きな少女が一生懸命頑張ってるのを誉めたので気を取り直す。
ここまでは普通ですが,この話にはもうちょっと変な仕掛けがあって,少年をカメラで取ってる若者は「その(笑われる)ポジションは今まで自分のポジションだった」と悔しがり,更に少年が受けたのでもっと悔しがる。騙した大人達は少年がやり遂げたのに対して,感動し誉める。…という事が描かれてます。
この上記前半だけの話を見ると,わたしにはこれが単なる「イジメ」にしか見えず,とても不快だったのですが,後半の話があるために,どうも良くわかりません。実際にいろんな人の感想を見ると「無視されるより,笑われた方がいいのでは?」という様な意見があって驚きました。
わたしはもしかして(良い意味じゃなく)プライドが高いのか洒落がわからないのか, 他人に指さされて笑い物にされる…というのはあまりいい気がしません。ですから逆に他人の苦労を見て笑ったりするのも嫌いです。そもそも他人を崇めたり蔑んだりして,自分の感情にご褒美をやるという事自体に興味がありません。しかし他の人の感想を見て…,また今回の作品自体の作りを見ていて思ったのですが,世の中には知り合いに笑われる事に喜びを感じる人…っていうのは結構いるのでしょうか?。
確かに最近の若い人は「お笑い」になりたがる人が結構います。私が子供の頃はあこがれる若者というのはもっとニヒルな感じのスターだったのですが,今の人はそういう人より,笑われることで注目される人を目指すのでしょうか?。そしてそれは単に偉くなるためお金儲けが出来るための「手段」として「笑われる」の利用すると言うことより,知り合いに笑われる事自体に喜びを感じるのでしょうか?。
正直良くわかりません。まぁ確かに本人が納得して笑われるのであれば,問題は無いのだと思います。実際嘲笑はともかく,周りの人に軽くからかわれたりわざと間が抜けたことをやって,周りの人気者になっている人は,TVの世界じゃなくて,自分の周りとかにいたりもしますし,自分自身もちょっとおどけて見せる事もやります。
ただ,やっぱり相手を騙してやっていたり,不本意なのに笑うこと,それが一対多みたいな状況でやるのは「イジメ」だと思うんですけど…。
余談ですが,わたしは一つの場所をどっぷりと居場所にしないで複数の居場所を作り,何となく機能別に入り込んでいるようなところがあるのですが,これってもしかしたらイジメに対する予防なのかなぁ…とか思ってしまいました。もともと転校生なので,そこでの人間関係がうまく行かないと,場を変えればいいという様なところがあるんですね…,多分。
ところで,最近「弄る」という言葉がありますが,これもイジメであることをごまかすために便利に使っている様な気がしないでもありません。イジメが社会問題になって印象が悪くなったのを,罪悪感なしにやるために「弄る」って言葉を便利に使ってませんか?…。