たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

ポジション

2005-05-31 10:45:32 | ココロ
週末にTVアニメを見ていて,その後他の人が書いたその感想を週末にTVアニメを見ていて,その後他の人が書いたその感想を読んで…,思うところあったので…。
その作品ではある団体に新たに加わった少年が,他のメンバー(大人)にあるものを届けるように言われる。ところがこれはだましであり,他のメンバーはその少年が任務を執行するのを苦労してるのをカメラでコッソリ見ていて笑っている。結局はその少年は他の連中が「もうギブアップするだろう」という予想を遥かに越えてクリアし,やり遂げられた後真実を知る。少年は落ち込むが好きな少女が一生懸命頑張ってるのを誉めたので気を取り直す。
ここまでは普通ですが,この話にはもうちょっと変な仕掛けがあって,少年をカメラで取ってる若者は「その(笑われる)ポジションは今まで自分のポジションだった」と悔しがり,更に少年が受けたのでもっと悔しがる。騙した大人達は少年がやり遂げたのに対して,感動し誉める。…という事が描かれてます。
この上記前半だけの話を見ると,わたしにはこれが単なる「イジメ」にしか見えず,とても不快だったのですが,後半の話があるために,どうも良くわかりません。実際にいろんな人の感想を見ると「無視されるより,笑われた方がいいのでは?」という様な意見があって驚きました。
わたしはもしかして(良い意味じゃなく)プライドが高いのか洒落がわからないのか, 他人に指さされて笑い物にされる…というのはあまりいい気がしません。ですから逆に他人の苦労を見て笑ったりするのも嫌いです。そもそも他人を崇めたり蔑んだりして,自分の感情にご褒美をやるという事自体に興味がありません。しかし他の人の感想を見て…,また今回の作品自体の作りを見ていて思ったのですが,世の中には知り合いに笑われる事に喜びを感じる人…っていうのは結構いるのでしょうか?。
確かに最近の若い人は「お笑い」になりたがる人が結構います。私が子供の頃はあこがれる若者というのはもっとニヒルな感じのスターだったのですが,今の人はそういう人より,笑われることで注目される人を目指すのでしょうか?。そしてそれは単に偉くなるためお金儲けが出来るための「手段」として「笑われる」の利用すると言うことより,知り合いに笑われる事自体に喜びを感じるのでしょうか?。
正直良くわかりません。まぁ確かに本人が納得して笑われるのであれば,問題は無いのだと思います。実際嘲笑はともかく,周りの人に軽くからかわれたりわざと間が抜けたことをやって,周りの人気者になっている人は,TVの世界じゃなくて,自分の周りとかにいたりもしますし,自分自身もちょっとおどけて見せる事もやります。
ただ,やっぱり相手を騙してやっていたり,不本意なのに笑うこと,それが一対多みたいな状況でやるのは「イジメ」だと思うんですけど…。
余談ですが,わたしは一つの場所をどっぷりと居場所にしないで複数の居場所を作り,何となく機能別に入り込んでいるようなところがあるのですが,これってもしかしたらイジメに対する予防なのかなぁ…とか思ってしまいました。もともと転校生なので,そこでの人間関係がうまく行かないと,場を変えればいいという様なところがあるんですね…,多分。
ところで,最近「弄る」という言葉がありますが,これもイジメであることをごまかすために便利に使っている様な気がしないでもありません。イジメが社会問題になって印象が悪くなったのを,罪悪感なしにやるために「弄る」って言葉を便利に使ってませんか?…。
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前進

2005-05-30 08:53:43 | 時事
今日は昨日買ってきたCD,DVDもあったせいもあり,比較的籠もりがちな一日でした。昼食に天丼食べたら腹痛くなったのはなぜなだろう?…。
キースのDVDはなかなかすばらしい。ちゃんとした感想は別途書くと思いますが,キースって感性だけの人じゃなく,自分のやろうとしていること,やってることをきちんと言葉で表現できる人なので,表現のための姿勢を実にクリアに表現していて,勉強になります。いろいろ良い言葉詰まってます。:-)
ところで週末のTVを見ていて思ったこと…。
先週のニュースとして例の蓮池薫さんが翻訳家デビューしたという話を改めて取り上げていました。このニュースは先週既に知っていて,単純に「それは良かった」という位にしか思ってなかったのですが,本人のインタビューを改めて聞いていて,いろいろ感じました。特にお兄さんから,国に対して過去の事を訴訟してはどうか?と提案されたときに「過去に向かい合っていたら,いつまでも前に進めない」といって断ったって話を聞いたときに,なんて前向きな人だ…と感動しました。
わたしは別に訴訟を使用とする人達に対してどうこう言うつもりもないし,過去と向かい合って乗り越えるために,そういうのが必要な人もいるんでしょうけど,蓮池さんはすでにそれを乗り越えてしっかりと前に進んでいるのだなぁ…と思ったのです。
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「心理テスト」はウソでした (村上宣寛著)

2005-05-29 18:07:07 | 書評
血液型による性格判定,ロールシャッハ・テスト,YG性格検査,内田クレペリン検査,これらの検査が学術的,医学的,そして統計的に正しいという根拠は全くない…ということを富山大学の村上教授が言っている本。
実はこの本を読んで,「しまった…」と思ってしまいました(^^;)…。わたしも研究者たる端くれ,それなのに余り深いこと考えずに,「あなたA型っぽいよね」とか言ってました。大変恥ずかしい…。
というわけで,この本はこれらの検査法が正しいという根拠は全くない…と言うことを,かなりの毒舌っぷりで語ってます。 実名を挙げたり,これらを採用している人達を露骨に非難しているんですが大丈夫なのだろうか?…とか思ってしまいます。
そしてそれに加えて,「バーナム効果」という現象を紹介しています。バーナム効果は,乱暴に言うと「みんなが 当たってる」という様な心理テストをつくる方法というか,その手がかりとなる効果の事です。たしかにこの手法をきちんと考えれば,誰でも「割と当たってるなぁ」と思う性格判断テストがつくれそうです。良く占い師を信じ無い人が,当たる占いをいうコツがある…とか言いますが,おそらくそれと同じようなものでしょう。
とはいえこの著者は別に占いを批判しているわけではありません。そちらに対しては冷ややかですが,あまり言及してません。むしろこれらの根拠が薄い判定法が就職試験や人事評価に使われている企業が結構ある…ということに対して,強力な批判を行っているわけです。実際の事例で,血液型で 配属を決めていた企業もかってあったらしく,さすがにこれについては血液型の話をするわたしでさえ,行き過ぎだろう?と思いました。
ただちょっとドキッとしたのは,わたしの会社でも育成のいくつかのポイントで心理テストっぽいことをやっていたりします。もちろん心理テストだけで人事を決めてるわけではないし,実際は面談や上司の評価でやってるので,心理テストに左右される…ってことはほとんどやってないと思いますが…。
それからそうはいってもこの著者自身が性格判定のプログラムとかを開発してるって事はすべての心理テストを批判してるわけではなく,権威があるテストの中にそういうものがある…といってるだけです。実際この本の中には有効な心理テストの条件みたいな話も あるので,そういう事に気をつければ有効なテストもあるのかもしれません。
というわけで,読んでいて結構「アチャー」と思ったんですが,一つだけ言い訳させてもらうと,話のネタとして血液判定はあってもいいと私は思ってます。血液型により重要な何かを決める…ってことは確かにまずいのですが,人間は人を認識するときに,一旦類型化して把握しないと結構不安なものです。そしてその中から「A型だけど(一般に言われる)A型っぽくない」という風に認識される人格とかもあるのですから…。もちろんあくまでも人物把握のきっかけであり,そしてたわいもない会話レベルでですが。
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自衛隊への感情

2005-05-29 09:07:50 | 所感
そういえば,今日は小泉首相が横須賀のあるところを彷徨いていたらしいです:-)。そういえば,確かにこの間の選挙の時も来なかったんですよね…。お国入りせずにん当選するのか…,すごいなぁ…とか思いましたが,首相ってそんなものなんですかね?…。
ところで…,横須賀には米軍とか自衛隊とかいるのですが,わたしの実家(熊本)にも自衛隊の基地が結構あります。熊本の人はあまり自衛隊に対して悪く思っている人はすくないと思うのですが,わたしが10年くらい横須賀に来たときは自衛隊に罵声を浴びせる市民とかがいる…って聴いたことあります。他にも他の地方で子供が自衛隊にはいる…というと親が泣いた…とかいう話を聞いたことがあって…,「自衛隊ってそんなに嫌われているのか?」と結構驚いたことがあります。熊本ではあまりそんなことなかったし,わたしの行っていた高校とかは受験の腕試しで防衛大学受験する人結構いましたし。
その辺の国民感情って今はどうなってるんでしょうね?…。
最近は自衛隊が国外に「人道支援」ということで行ってるのが
良く報道されますし,先日書いたように(自衛隊の話ではないですが)人道支援って事自体はポジティブなこと…として捕えられている気がしますし…。
まぁわたし自体はそういうわけで,自衛隊自体には全然悪い印象を持っていません。というか日本はシビリアンコントロールだから自衛隊の行動は結局のところ政府が規定しているわけだし。ただ以前は意外に自衛隊に悪印象を持っている人がいたように思ったので,その辺の人の感情が今はどうなってるのか?…っていうのはちょっと興味あります。
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論理は実感に左右される

2005-05-28 06:05:17 | ココロ
ちょっと前に本家の方にゾゾミさんの電波男の書評に関することを書いたのですが,そのコメントからのやり取りが大変おもしろかったので,再び取り上げてます。ちょっと思うところあって今回はブログの方に書きました。
具体的にはzozo_mixの件のページのコメント,そしてそれを受けてのechammerさんとのやりとり。ちなみにechammerさんのところはその前の日にもやりとりがあるので,そちらから読んだ方が良いでしょう…。
既に恋愛論,結婚論の話になってるので,「電波男」については言及しません。わたし自身は読んでないし。ただしゾゾミさんは基本的に本人もおっしゃってるように岡田斗司夫氏の「フロン」(これは読んだことある)を参考にしているようです。
さて,この両者…,さらにゾゾミさんのところでコメントしている他の方のご意見を読んでいて思ったのは,「論理的な思考も結局は本人の実感により影響をうける」と言うことです。当たり前の人には当たり前だと思いますが,つまりは「どんなに言葉で説明しても,相手が経験がなかったり想像が出来なかったら,納得は出来ない」って事です。なのでこれも当たり前と言えば当たり前ですが,どんなに言葉で議論しても同意出来ないことはたくさんある…ということになります。
この二人のやり取りを見ていて感じるのはこのお二方の立場とか経験の違いです。お二方ともとても聡明な方ですが,echammerさんはお子様も奥様もいる男性,ゾゾミさんは独身(おそらく結婚経験も出産経験もないと思います)の女性ということです。
わたしは独身の男性ですが,echammerさんがおっしゃるところは多少ピンとくるところがあり,24日の方に書かれている「家」の回帰…というのはつまるところ家族(わたしの感覚だと奥様というより子供ですが^^;)が自分より大事になる…という感覚はわかる気がします。わたし自身,自分の姪が生まれたときにスイッチが入った気がしましたし(^^;),自分の知り合いにもそういう人たくさんいます。知り合いの女性にも結婚しない,子供は要らない…と言っていた人が子供ベッタリになってるような場合もありました。
でも…,あの感覚は多分言葉で説明しても実際に体感しないとわからないと思います。それと世の中には子供が産まれても,そうならない人が比率はわかりませんがいるわけで…,ゾゾミさんが自分がそうならないか?…と不安を感じるのもわかるように思います。もちろん一般論として展開してるのはわかりますが,個人として納得できない…というか自分がそうなれないと思うのはあるという事です。そして社会の流れとしてそういう人が増える…というのはあるのかもしれません。もっとも,社会の流れについては,政策とミームで簡単に変わる可能性もありますけど…。
それからもう一点…。echammerさんのところにある「最後まで自分を優先して生きて行きたい(生きていける)人も存在するかも知れません…(中略)…現実にそんな人はいないのでは無いでしょうか?」という問いかけ…。これはどうでしょうか?。わたしはいわゆる「出家した人」というのはそういう人だと思ってます。出家というと宗教に走ったということで,「神」に寄りかかったという風に取るのでしょうが,無神で出家してる(様な)人もいると思います。生涯独身で子供を持たなかった哲学者は放浪者とかはそうじゃないのでしょうか?。これはわたしが現在「自分って出家してる状態だよな」と思うからそう思うのです。これはわたしの実感。
もちろん,出家した人の中でも解脱した人とそうじゃ無い人がいて,ココロの有り様はかなり違うかと思いますが,解脱してどこかと繋がった人も,解脱できずにもがいている人も,それらの行動が異性との関係性の中に還元されないという意味で,男女の断絶,少子化とかそういうのを解決する鍵にならないなぁ…と思います。
まぁ最近ブログとか見てるといろいろ考えて,悩んでいる人多いと思いますが,昔だったらそこまで悩む人は出家したのだよなぁ…と思います。
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「聴く」ことの力-臨床哲学試論 (鷲田清一著)

2005-05-27 15:28:53 | 書評
わたしの狭い見識で述べちゃうと不適切で申し訳ないのですが,わたしが鷲田先生を知ったのはルネッサンスジェネレーション2001でありその時は身体論みたいな話でした。その後「モードの迷宮」や「ひとはなぜ服を着るのか」と いった著作を読み,まぁ人間が自分の体をどういうものとして認識しているのか?…というあたりの話をおもしろく読ませていただきました。
というあたりでわたしは先生を認識してましたが,本著作が評判であることは聞いていました。結構売れた…という話を聞いていたのでてっきり一般向けにわかりやすく書いた本かと思って軽く読みはじめたら,しっかりとした哲学の本…というか論文で大変でした(^^;)…。哲学の著作の場合,言葉に重要な意味があるので斜め読みとかしても誤読をしてしまうものなんでしょうが,しっかり斜め読みしてしまいました。すみません(^^;)…。
というわけで,あんまり内容を把握できている自信はないので,簡単に書きます(前置きが長いですね,すみません)。
哲学はこれまで「語る」ことを主な働きとしている。語ることで自分を省みたり,相手を変えることができる。しかし「聴く」ことでなにかが出来るのではないか?…という「試論」をここで行ってます。鷲田先生は哲学を机上のものとしない「臨床哲学」というのを提唱してますが,人に何か影響を与えるものとしての哲学という視点を「聴く」ということに着目し書いているといえるでしょう。
まぁ具体的にはカウンセリングみたいな話があったり,聴くことが相手や自分におこしている影響みたいな話をいろいろ哲学のこれまでの流れをふまえて試論してるという感じでしょうか。
あまり意識してませんでしたが,鷲田先生って現象学の人なんだな,と改めて思いました。まぁ現在の哲学者ってそういう立場の人が多いのかも知れませんが…。そして現象学ってそういうものかもしれませんが,ここでも「メタ」という話が出てました。
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NHKのプロパガンダ

2005-05-27 12:55:36 | 時事
NHKがプロジェクトXの中で事実と違う行き過ぎた演出をしていたという話。怒っている人達がいるのであれば,その人達にはもうしわけないのですが,珊瑚を傷つけたり,関係者を罵倒する様なヤラセをアルバイトに雇う(匿名掲示板なので事実かどうかはわかりませんが,福知山線事故でそういうことをやった局があるとの噂)のに比べればずいぶんかわいい内容だと思うのですが(^^;)…。だいたいインタビューを受けた人達が誇張して冗談で言った部分を事実として言われてしまったという様な話は,まぁ言った本人もあとで自分が言ったということになるとやばいよなぁ…という感じで抗議したのでは?…。普通の口伝だったらこれくらいの改変はあるように思うし…。
まぁ結局NHKは謝罪し再放送もしないDVDにもならない…っていう結末は訴えた人達の望んだ結末だったのだろうか?…,というちょっとした疑問もあるのですが…。
そういえばプロジェクトXではやってないけど,「これは一部事実を元にしたフィクションです」っていういいわけをするような再現ドラマもあるよなぁ…,とか思ったりも:-p。番組のおもしろさと事実の記録とを両立させるのもなかなか難しいかと…。
ところで,そんなことよりもずっと気になっているのは,プロジェクトXとその翌日にやっている「その時歴史が動いた」のプロパガンダ性です。こっちをだれも指摘しないのはどうしてでしょうか?。今週なんてプロジェクトXは沖縄の復興に携わった看護師の話,その時…は日本赤十字社設立の話。どちらも戦地における人道支援の大事さを訴える番組でした。その前のその時歴史…とかは郵便局が出来るまでのいきさつの話でしたし,歴史と称しながらしっかり現在議論されてるものを取り上げて,ある意味こちらにある一定の価値観を訴えてきてます。
プロジェクトXもそうですが,特にその時…の方はその手の色合いが強く,明らかにプロパガンダだと,しかもやっぱり現政権に有利なプロパガンダ…だと思うんですが,こっちを指摘する人いないですよね?…。
まぁ個人的には自分の意見と反しないので,わたし自身は反論はなく,むしろ「えぇー,こんなに露骨にやっていいの?」って感じなのですが(^^;)…。ただ,一応書いておくと,新聞がそうであるようにマスコミに思想があって,それを広める事自体は,本来のことと思うので,無色の番組を作るべきだ…というつもりもありません。
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頭がいい

2005-05-26 14:55:38 | ひとこと
さていきなりですが…,わたしは少なくとも現在の日本ではわりと誰も否定しない価値観になっている「頭が良いことは 良いことである」っていうテーゼがずっと気になってます。これ否定する人,ほとんどいないと思いますが,でも明治以前は「頭がいい女なんて嫁の貰い手がない」というセリフが良くマンガやドラマであるので,昔はそうでもなかったのでしょうか?。
もっとも,「頭が良い」というのもいろんな意味があって,読み書き算盤が出来るっていうのもあれば,研究者気質である,物事を良く知ってる,常識的である,発想が豊か,論理的思考が得意,頭が柔軟,回転が速い…等など。意外にこれらは両立せず,物事を良く知ってるがゆえに頭が硬い…という人もいます。個人的にはわたしの思ういい意味での頭の良さ…っていうのは頭の柔らかさ,発想の豊かさ…であるので物事を知ってるかとか回転が速いか?…とかいうのはそこまで重要ではありません。
それでもって更に気になるのが頭が良さそうな人(論理的だったり,物事を良く知ってる人)が結構ネガティブなことを良く言うこと。「頭がいいって事はネガティブなのか?…」とかいう疑問がちょっと頭に浮かんだのでした…。
…でも良く考えたらというか,最近のブログとかを読み回っていると,頭良さそうなのに結構ポジティブなことを書いている人がいて,ちょっと安心してますが,ここまでブログとか日記とかが広がる前は,だいたい声が大きい人,口が達者な人って物事を批判したり,世界を悲観する人が多くて,本当に怒っているのか,それとも単に自分が頭がいいってアピールしたいのか?とか思うことがよくありました。
今でもTVとか見てるとコメンテータとか知識人としてTVに登場してる人って「文句」しか言いませんよね?。「文句いうことでしか自分の頭の良さをアピールできないの?」とかひねたこと思います…って,これじゃわたしも批判してるだけだな(^^;)…。
頭いいけどポジティブっていうのあると思うんですよね。明るいと馬鹿っぽい…っていうのもどうも変な価値観で,悩んでいる方が頭良さそう…って,頭いいのに辛いって変だよなぁ…とか。
まぁそういうわけでネットとか読んでると若干ほっとはするんですが,TV見てると暗い真剣な(?)番組と,明るい馬鹿っぽい番組が多いよねぇ…。あと真剣に話をするときは常に怒らないといけないのだろうか?…,等という疑問も…。
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右傾化?と落しどころ

2005-05-24 09:42:21 | 時事
中国の副首相が小泉首相との会談をキャンセルした話がその後の話も含めて話が大きくなってる気がするので,ちょっと日中関係について意見を書こうと思います。だってヘタをすると今回の件は後年「あるきっかけ」となる可能性もありますから…。
今回の事が日中のどちらにとって損な事だったのかは,まだわかりません。日本では中国に対して非難の声が高いので,「中国の方が評判を落した」と捕らえがちですが,第三国からみたらどうなのか?…。というか,第三国から観ると日中関係ってどんどん悪化してる様にみえるだろうなぁ西欧諸国もそうでしょうけど,東南アジアとかの国は結構ハラハラで観てるのではないでしょうか?…。
さて小泉氏の靖国参拝とそれに反発する中国とのことですが,あらかじめ書いておくと,わたしは基本的には首相の参拝自体には賛成…というか「別にやってもいいじゃん」という意見でした。 A級戦犯が祀られているから…というのも参拝を非とする理由にはわたしはならないという立場,そして中国のそれに対する干渉はやっぱり内政干渉だろう?…という感触でした。でも「やってもいいじゃん」という考えなので「止めてもいいじゃん」とも思っているのですが,ただそれを中国から言われたから止める…っていうのは,やっぱり良くない…というか,良く懸念されているように,一つ折れると次々に要求される…という様な懸念をもってました。
…が,実は最近はやっぱり「首相の参拝は止めた方がいいんじゃないか?」というのと「止めるいいタイミングがそろそろあるんじゃないか?」という風に思ってきてます。
この意見の変化をうまく言葉で表すのは難しいんですが,一つは参拝していいとTVとかで言っている議員とか評論家の態度に共感をおぼえなくなったこと,一つは国内の問題だ…と言ってるけど,やっぱり小泉首相は外交カードとして使っている様にみえるということ,そして多分第三国に 多くの懸念が挙がってるのではないか?…と言うことあたりが あります。
最初は中国とか韓国とかの反対を涼しい顔をして「なにいってるの?」って感じでかわしていたのが,最近は小泉さん本人は違うにしても他の賛同議員が参拝中止に対しての反論の仕方が全然論理的じゃなくて感情的になっている気がします。これじゃ理解が得られるわけもなく,だったら止めるって事で理解を求める…って手もあるか…という気がします。それからわたしは最初は小泉氏の参拝は支持者のためとか本人の心情…とかが大きいのか?…と思っていたのですが,どうも最近中国との緊張感を高めるためにやってる気がしてきた…という感覚です。東アジアでの緊張感を高めることは,戦争をしたいという意味ではないのですが,自衛隊の強化に対する国民の批判をかわしやすいので,その辺の意図がないか?…という気がするのです。もちろん,中国に言われたから止める…っていうのは反対なんですが,だったらむしろ国民である自分がふさわしくない…と言った方がいいのではないか?…という気がしてます。
それから参拝を止めたら新たな要求をしてくる…という恐れですが,現在のように他の国も注目している状況で,中国が新たな要求をしてきたら,評判を落すのは中国の方ではないか?…という気がします。そういう意味で,ある意味いいタイミングでもある気がするのです。もっと書くと,本当は中国が言って止めるのではなく,第三国が間に入った方が丸く収まるのではないか?…という気もします。 まぁでも他の大国はだいたい連合軍なんですが:-p。
あと教科書問題については,こっちには非がないとは思ってます。自分でちゃんと教科書を見てないので,間違ってるかも知れませんが,今の教科書は教科書によっては,わたしが子供の頃よりももっと東アジアよりの内容になっているものもあるらしいので,あとはバランスの問題かと…。
ただ,教科書はいいのですが,それ以外の部分で戦争を賛美するような動きが増えてる気がして,それはいい気がしません。もちろん,戦争については日本にも理が全くないとはいいませんが,悪いこともたくさんしたのも事実。わたしの子供の頃は,もう少し戦争というものは悲惨なものだ…という事をメディアが語っていた気がしますが…,それ自身が弱まってることには危機感を感じます。
ここ10年位,世の中の右傾化が進んでるのですが,ちょっとそろそろ危機感をおぼえるようになってきたので,釘を刺しておきます。
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脳の中の小さな神々 (茂木健一郎-歌田明弘(聞き手))

2005-05-23 19:19:12 | 書評
脳科学者(という表現があってるかわかりませんが)である茂木氏に対してライターである歌田氏が口頭インタビューするという形でつくられた本です。内容的には現在の脳科学がおかれている状況を歌田氏が外部からの立場として,そして茂木氏が 専門家以外にもわかるように丁寧にかつ正確に説明するという内容です。とはいえ最後の方には茂木氏自身が向かい合っている問題について徐々に触れられている…という感じでしょうか。
茂木氏の本は何冊か読みましたが,とてもおもしろいのですが,非常に感想を書きにくい…というか茂木氏自身は自分の問題をうまく言語化できているのかも知れませんが,こちらがそれをうまく租借できないため,どうも頓珍漢な感想を書きそうな気がして,うまく書けないなぁ…というきがしました。しかし今回はライターである歌田氏がその辺をうまく租借したり突っ込んでいただいているため,非常にわかりやすい本になっているように感じました。特に非常にうれしく思ったのが,過去の脳科学の流れから現在にいたる課題を実に丁寧に取り上げていること。とくにここ数年の大きな変化をきちんと述べられていることです。
こういう現在の状況をしると,「脳の時代だ」などと高らかに宣言して出版されている多くの他の書籍が実はすでに時代遅れの考え方で書かれているのだなとわたしは思いました。何せここ10年で従来の考え方は見事に壁にぶつかっているからです。
脳の機能を場所で説明するやり方はアプローチはいいとしても,そこから次の考えに移らないと結局問題は解けないという事 らしいです。
こういう一般にもわかりやすい内容で,かつ最前線の状況を説明してくれる本というのは非常にうれしいものです。音響ではこういう本っていま無いのですよね…。
なんとなく自分が今まで考えていたことの幾つかがそこまで的外れでなかった…とわかったこともあり,ちょっとうれしかったりもしました。いろいろ難しい分野かとはおもいますが,興味はつきません。
(読み終わった時期:05/05/03)
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