たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

18禁がいかがわしいというのはおかしい

2010-12-19 07:13:04 | 社会
都のマンガ表現の規制条例が成立しました。多少TVでも報道されているようです。この条例は性犯罪を賛美するような表現をしてるマンガを子供が買える売り場から除くというもの(若干意訳)ですから,マンガでの表現自体を禁止するのではなく,そういうマンガを大人向けの書棚で売りなさい…ということになります。

ちなみに,この条例に反対する人達が石原都知事の過去の作品の性表現をパロディにしようとか言ってるようですが,相手は洒落がわかるような相手ではない気がするので,止めておいた方がいいんでは?と思ったりもします。

先日書いたとおり,わたしの懸念の一つは過去の作品はどうなるの?ということですが,今日ネットで見かけた話では,例えば火の鳥の様な名作は,そういうシーンがあっても名作だから規制対象にならないとのことです。なんじゃそりゃ?,と思ったのは,名作だからOKというのであれば,名作であるかどうかは,誰が決めるのか?ってこと。それを行政に決められるのであれば,さすがにたまらんなぁと思います。多分都知事の表現も名作だから,良いという論理なんでしょうね:-p(あれはマンガではありませんが)。

さて,物差しを誰が持つのか?というのは大きな懸念なんですが,ゾーンニングが果たして悪いことのか?というと,わたしはそうとも思いません。子供を持つ身としては子どもにみせたくないものは,マンガに限らずあります。子供を箱に入れて育ててもいつかは社会に出るのだから,見せて自分で考えさせてという意見もありますが,それはある程度大きくなってからで,小学生に大人が楽しんだり考えさせられる内容を見せられても,自分で考えられるわけ無いし,混乱するだけでしょう。そういう社会規範というものは,社会と自己の区別がつき始める中学くらいから,適切に教育を伴って,考えさせるべきものだと思います。

ただ,おかしいな…と思うのは,子供が見るべきではないという表現がイコール「いかがわしい」という風にとらえるという風潮があることです。実際規制に反対の意見の中にも,成人向けと指定されると,人前でそのマンガを読みにくい,お店で買いにくい,店も扱いにくいとされるという懸念があるみたいです。

確かにわたしも「成人向け」とか「18禁」というと,いかがわしいとか,下劣という印象を受けることは否定できません。ただ,上に書いたとおり,子供に見せるべきではないという表現はいかがわしいからではなく,問題が難しいからです。そう考えると,18禁が恥ずかしいコンテンツという風潮自体がおかしいような気もします。映画やゲームには「R指定」という便利な言葉がありますが,どうも「R18」と書くと「18禁」よりもいかがわしさが減るような気がします(笑)。

実際にわたしは成人向けのゲームやマンガの中にも,すばらしい作品を観た事があります。ただ,本屋で18禁のコーナーに行くと,かなり買うのに躊躇するような本が多いのも事実です。ゾーンニングが必要といいながら,実際は乱暴な二分割しかゾーンが存在せず,かつ,その一方が極めていかがわしいというイメージがあるという現実は,つまり,その乱暴な線引きに行政が無理やり表現を押し込むということになります。

最初に名作は規制されないという話を書きましたが,名作でも子供に見せるべきではない作品はあります。ただ,それをいかがわしい作品に押し込めるべきじゃないというのであれば,そのゾーンのイメージをまず変えていくことを先にすべきでは無いか?という気がします。つまり表現を分けるのであれば,まずは分ける先を作るべきだということです。
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少数のために

2010-12-16 21:53:54 | 社会
民主主義は決定手段として多数決を用いるので,そこだけみると多数派のために物事が決まっていくように思います。ですが,実際はそれじゃダメで,少数派の事も考慮しないとダメ…という気がします。ですが,それは感覚的なもので,きちんと綺麗に納得が行く説明が難しいと思います。

一つとして「ニーメラーによる詩」がうまく説明してるように思います。要は,他人事だと思って,無視していたら,結局はいつか自分に回ってくる…というような話。つまり言い換えれば,自分は少数派じゃないと思っていても,自分が少数派にならないとは限らないということ。

ただこの詩自体が少数派とは書いておらず,自分と信条が違う人を守らないと自分も守られない…という話なので,少数派のの話にはピンと来にくいという気がします。

アンカテさんがかいた「景気と道徳と表現規制」後の方で引用している,マイノリティの規制の話は,それよりももっと直接的でわかりやすいと思います。要は全てにおいて多数派…という人はいないでしょ?。人は誰もが少数派の部分があるので,それを守るために少数派を守るという合意が必要だ…ということなのだと思います。

アンカテさんの話は国の規制と個人(家庭)の規制をあげて,国が規制を行うことの危うさ…を書いてます。この事自体は説得力があると思うのですが,幾つか気になることもあります。経済については個人の中での規制と国の規制…と両極端ですが,実際は昨日も書いた通り,税制等のように国が個人に対して「得になる行動をつくる」ことによって選択肢を残しつつ,誘導する…ということが良くあります。保険の税控除で,数年前に地震保険が対象になったのも,国が個人に対して緩やかに地震保険に入れと誘導してることになります。

そう思うと,表現の話も情報の話も,多分個人の規制と国の規制という二つのやり方じゃないやり方があるんだろうと思います。業界の自主規制とかじゃなくて,もう少し個人がそうありたいと思うような緩いやり方,お店もこうした方が得というようなやり方,そんなものがあるんではないでしょうか?。

少数派をまとめて多数派の利益に沿うようにするには強制的な力ではなく,もう少し緩やかな力で行くようなやり方もあるのだと思います。少数派がトラブルなく多数派と同化していく前例は幾らでもあったのではないでしょうか?。それは少数派がそうすれば得なやり方だったのではないか?と思います。少数派の利益を守ることが結果的に少数派を多数派と同化させることなのかも知れません。マンガの規制の件は,わたしは落しどころが見えないのですが,こういう風に考えられないか?と思いました。
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税制は国の設計

2010-12-15 20:00:00 | 時事
政治の話はうんざりしていて,最近はあまりニュースも見てないのですが,税制は重要な話だと思うので簡単に。

そもそも税制というのは,国が国民や民間企業の行動を直接制御できる数少ない方法の一つです。

国は法律で国民を制御します。でも禁止行動をした人を捕まえることは出来ますが,法律で,金になる発明をしろ,とか,優秀な子供を作れ…とか出来ません。予算も国民をある程度制御できます。例えばお金をつぎ込んで事業を始めたり,人を雇ったり,褒賞金(手当)を出したりとか。でもこれは原資がたくさんかかりますし,やっぱり,人を雇って「発明をしろ」とかしても限界があります。

税制というのは,「こういういうことをした人は税金が優遇されるよ」とすることで国民や企業の制御を出来るという意味で,国全体を動かすことができます。扶養控除は子供を作るのを促進するし,相続税や贈与に対する税制も世帯間での資金移動についてある程度傾向をつくることができます。企業に研究開発費の税優遇をすることで,儲る当てがない未来の開発を企業が進んでやることを仕向けることもできます。地方が企業誘致をする際も税優遇をするからやってくるのです。法律による強制的な執行じゃなく人々が自分達の損得で判断できるところがミソです。

こういう風に国や地方は税制をいじり,国民や企業の行動の大きな流れを作る…ということが政治であり,行政だとわたしは思います。つまり税制というのは,富の再配分ではなく,国の設計そのものなのです。それぞれの税制が,矛盾がなくて,国がどこに向かうのか?がまずあり,それに対して設計される必要があるのです。

逆に言うと,行き当たりばったりでお金が足りないから,取れそうなところから取るとか,要望に応じて妥協しちゃう…とかいうのは,国の設計が破綻する…という危険性をはらんでます。

最近の政府の税制の論議を見ていると,そもそもどこに国を向かわせようとしてるのか?がわからないまま,お金が足りないから取る…という風にしか見えません。子供手当を出すから,児童手当をやめる,そうすると,収入が減るところがでてきちゃうから,今度は配偶者控除を辞めるとか,行き当たりばったりすぎます。何かをやったら穴が開いて,穴を塞ぐとまた穴が開いて…とそんな感じです。もう見ていて危なっかしくてしょうがありません。大丈夫なんでしょうか。

菅政権の支持率が下がってます。ただ,自民もそんなには上がってません。これは国民全体的に政治に対して失望感が高まったのだと思います。わたしは細川政権の時の政権交代で,結構失望し,そもそも今回の政権交代にも期待はしてませんでした。今は,今の若い人がそれを味わう番なんでしょうか。
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子育てと貧乏

2010-12-14 21:00:00 | 社会
教えてgooから話題を拾っている教えてウォッチャーで「貧乏な人は子供を作ってはダメなのか?」という話題。これには限らないのですが,最近,貧乏だから子供が作れないという話や,子供養育にお金がかかる…という話を良く聞きます。…良く聞くゆえに,なにか違うんじゃないか?という気もしてます。

確かに自分も小さい子供がいるので,この後どれくらいお金がかかるんだろう?とか不安に感じることもあります。この例で出ている年収300~500万で不安に感じるというのもわかりますが,でも多分倍くらい収入があっても不安なんじゃ無いか?という気がします;-p。お金が無いと確かに不安ですが,じゃぁお金があれば安心か?というとそんなことないのじゃないでしょうか?。

お金があれば,子育てが大丈夫というのは,お金で子育ての問題が解決出来るという考えであり,なにかそちらの方が問題な気がします。もちろんお金が無いと不安というのは,お金があれば安心という話ではありません。でも,子供を育てられるか?という不安というのは,お金以外にもたくさんあるのに,お金ばかりが意識に上がる…ということの方が何か問題の様な気もするのです。子供の問題をお金で解決できるのではないか?。勉強も体力も学習塾やスポーツ教室で,子供同士の遊びもゲーム機や携帯を買い与えることが解決もしくは重要…と考えているんじゃ無いか?とか少しおかしいんじゃない?とか疑ってしまいます。

もちろんお金がなくて,問題が解決できないケースもあるのでしょうが,一方で,お金は問題の本質ではないようにも思います。


あと少し皮肉めいた言い方をすると,これは以前も書いたけど,お金が無い人の方が,将来の自分の面倒を見てもらうために子供をきちんと育てたほうがいいんじゃない?…とか少し思います。もちろん大変なことは承知でいってるんですが,発展途上国とかはこれが普通の考え方でしょう。もう一つ。お金が無いと子供がかわいそう…と思ってる親に育てられた子供は,多分貧乏な人を差別するのではないか?。わたしは自分の子供をそういう価値観にしたくない。そういう風にも考えたりします。

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勝ち取るという価値観

2010-12-12 21:53:19 | ココロ
「勝ち取ることが重要」という価値観があるというのを聞いたことがあります。これはどこかの地域…の話として聞いたのですが,そこの人達の行動を思い出してなるほど…と思いました。どことは書きません;-p。

わたしはあまりそういう価値観がありません。勝ち取るのは良い…と言葉だけで思う方も多いかも知れませんが,このニュアンスでわたしが感じたのは,うまく行ってるものでも,一旦ぶち壊して,自分がうまくやった…事にするとか,あと人の行為を受けるだけでは飽き足らず,さらに自分で要求して条件を良くするとか,そういうことです。つまり努力をせずにうまく行ったことには価値がない…という価値観です。

ここまで書くと確かにそれはやりすぎだろう…と思う人も多いかと思います。物事うまく行っていたらそれでいいじゃない…と私は思うし,別にいちいち自分の成果…を挙げなくてもいいじゃない…と思います。最初「地域」と書きましたが,会社とかでも,偉い人が新たにやってくると,前の人のやっていたことを全部否定して,引っくり返す人がいますが,そういう人も,多分以前のことがやりにくいというよりは,自分がこの場所を良くした…ということを勝ち取りたいのでしょう。わたしはこういう人は「迷惑だなぁ」と思うたちなので,自分はそういうのを目指しません。

実際,グローバルに見たときにどちらがスタンダードなんでしょうか?。でも奇妙な騒ぎを起こす人の中には,こういう価値観をもってるんだろうなぁ…,でもうまく行ってないだけなんだろうなぁ…と思うと納得できる事が結構あるので,案外そういう人は多いのかも知れません。
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意見で人は変わらない

2010-12-09 06:18:29 | ココロ
会社にしても議会にしても,巨大な組織の中で何かを決めるとすると,複数の段階で議論をすることになります。小さな団体やワンマン会社ではトップの一声で決まりますが,そうじゃないと議論をすることになります。

ボトムアップの場合,まず担当者が素案をつくります。ボトムの組織の中でもいろいろと議論を重ね,素案レベルから,提案レベルまでもっていく。その途中に関係各所で調整をして,後で問題にならないように,方向性などを調整していく。そうしていくとかなり緻密で完成度の高い案ができあがるわけです。

こういう作業は外から見えないところでだいたいは行います。その次にようやく,割とオープンな場所にその案をもっていきます。議会だったりパブリックコメントだったり,会社だと幹部会議だったり…。その場で更にいろんな意見がでたりするのですが,もうこの段階になったら,その意見を汲んで意見を変更して…というのは難しくなるように思います。まぁ多少文言をいじったら反映した様に見えるレベルの時はいいのですが,もっと大きな場合は無理。そこまで緻密にできあがっているので,どこかをいじると他に矛盾がでたりするわけです。

緻密に作り上げていればいるほど,独善的なるわけです。

そうなると後は,それは廃案にして無かったことにし,また膨大な手間をかけて一からつくり直すか,もしくはもう変えなくて力業で通すか…って事になるんだろうなと思います。つまりパブリックコメントにしても議会にしても幹部会議にしても,その意見を反映することは不可能。一からつくり直したら反映といえるかというと,時間がかかるので,再チャレンジの時はまた状況が変わっていたりする。

…そういうことなんだろうな…と思いました。いや別に,具体的に何のことをさしているわけじゃなくて,いろいろと調整事をやってると,人の意見をもらっても,あまりそれが反映されてるのを見ないな…,結局元のままなのね…みたいな。そういうのをみるなぁと。ちょっと謎なつぶやきでした。
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表現業界の自浄作用

2010-12-08 06:00:00 | 音楽・アート
山口先生が都の非実在犯罪規制について書かれているのを読みました。

東京都が条例でマンガでの性犯罪的な表現を規制しようとする動き,わたしも以前は関心が高く,条例制定に反対してました。が,今は少し関心が下がってます。なので現在の条文を読まずになんとなく思うことを書きます。

わたしもマンガとかアニメは好きだし,その中にある表現の幅が狭まることは望ましくないと思ってます。ただわたしが反対なのは,定義が曖昧なままに規制する事と,今すでにでている作品で良い作品が,その条例の元に規制されてしまう懸念です。新しい作品は,多分条例で規制されれば,表現が変わるだけじゃないか?…と思ってるので,実はあまり心配してません。

とはいえ,上記先生の案を読んでいて,少し疑問が浮かんだのも事実です。条例が曖昧で恣意的に扱われる恐れがあるので反対…というのは賛成です。ただ事業者が自主的に自主規制するというのは,本当にあてになるんだろうか?という疑問は残ります。実際に18禁規制されていない,どこで誰でも手に入るマンガ雑誌における,エロ表現は,この規制が問題になっている間にも過激化が進んでいるようにも思います。厳しくなりそうだから自主規制しようという動きよりも,売れるうちに売っておこう…という風にすら見えます。そういう業界に自浄作用があるんだろうか?…という懸念があります。

規制をしたい人はいろんな思惑があるんでしょうが,中には単純に低年齢の子供に卑猥な表現を見せたくない…という人も多いと思います。そういう人になにかしら安心する約束をせずに,自分達で自主規制するから…と言われても,多分あっさりと納得するとは思えません。そういう歩み寄りが必要なのではないでしょうか?

それから,わたし自身がマンガが好きだから思うのですが,やっぱり今のマンガにおけるエロ表現は,無意味に過激化してるのが多いと思います。もちろん,マンガは表現だから,新しい表現を模索するのも大事だし,エンターティメントとして,お色気を使うのも読む方としても楽しいです。ただ,エロとか暴力とかを使って過激さを表現するのって,たいしたことじゃないと思うのです。ある意味安易すぎる。もちろん,それを使って,本当に質の高い表現をしてる人もいます。でもそうじゃない作品が目につきすぎる…というのが,上に書いた業界の自浄作用に疑問という話です。線が引かれているから,線ギリギリをやってみよう。線を少し向こう側に押してみよう…とやってるだけのようなものも多いです。

わたしは芸術は作家性だと思ってるので,社会が引いた臨界点を踏んで新しい表現…とするのは本質じゃないと思ってます。そういう人は,線を厳しくしても甘くしても,その線の辺りで,表現をするだけですから,別にどこに線を引いてもいいじゃないでしょうか?。

再度書きますが,わたしは過度な規制には反対です。でも無責任な表現の氾濫も好ましくないと思うのです。もし本当に業界に危機感があるのであれば,今この議論がされているこの時に,やれば出来ることを示してみてはどうでしょうか?
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がんでも働くこと

2010-12-07 06:05:15 | 医療・福祉
最近ガンの話が多い気がするので,あまり書くのも気が引けるのですが…。わたしの場合,自身の経験に基づきます。でも自身の経験というのは,それ自体は想像ではなく事実ですが,狭い個人の視点でしかありません。だから一つのものの見方…とお思いください。

毎日新聞の『治療の支え 最後まで「働きたい」』というのを読んで…。うーん…と悩ましく思います。

日記のどこかに書いたような気もしますが,わたしがガンにかかってスグに死ぬかも知れない…と思ったとき(今は思ってません),良く映画や小説であるような「したいこと」は何か?を考えてでた結論は「普通に働いていた」でした。わたしの場合やりたいことはそれなりにやって生きてきたと思っているので,死ぬとわかったから慌ててやるようなことは特にありませんでした。働きたいと思ったのは経済的な事もあります。ガンにかかったからといって,すぐ死ぬわけじゃないケースが今は多く,治療にお金がかかるから,収入を得たいということ。でも,それ以上に今の生活環境は人間の関係を変えるというストレスが負担だった事,社会から切り放されることが嫌だった,ということも結構あるように思いました。

自分の場合手術前後合わせて一月ぐらい入院しました。退院後一週間自宅で休み,その後出社しました。わたしの会社はフレックスなので一月くらい10時から15時まで働き,またバスに乗るところはタクシーに乗ったりもしてました。わたしの場合抗癌剤治療はなかったので,手術からの回復が進めば,改めて入院や治療を行うことはなく,後は経過観察の検査だけでした。ですから,それ以降徐々に普通の時間くらいは働けるようになりました。

わたしが働く会社は大きいからか,それとも組合が強いからか,一月くらい有給休暇で休み,その後フレックスで働く時間を減らしても,ペナルティを喰らうことはなく,職場の方々の理解もあって,肉体労働はせず,少しずつ回復しました。多分そういうことが出来ない会社も多いと思います。大きい会社だと職場のバリエーションも多く,軽い仕事に移ったりできる場合もあるでしょうが,小さい会社だとそういうことが無理…って事もあるでしょう。こればっかりは法律でどうのこうの出来る問題でも無いと思います。だからがんになってもクビにならなかった自分は幸運ですが,すべてにおいてクビにするべきではない…とは簡単には言えません。もしそうするなら何か補助か保険の様なものが必要でしょう。

がんは症状によりますが,手術をしても即日退院出来るようなものもあるし,抗癌剤の副作用が弱かったら,治療中も正常に働ける人も多いと思います。良くがんにかかっても死ぬまで働く美談がありますが,実際痛みだして動けなくなるのは,もう末期です。確かに,数年や数ヵ月後に亡くなる…とわかっている人を雇い続けるのは難しいかも知れませんが,それまでは普通に働ける人も多いので,その辺も会社には理解して,欲しいな…と思います。それは本人には喜びになるのですから。
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人あたりという能力

2010-12-06 06:02:53 | ココロ
fujiponさんの「変えようとする人、変わろうとしない人」を読む。消極的で向上心が無い人だが,その人の存在に周囲は助けられているという同僚の話が書いてあります。後半にある観客がいなければプロ野球の試合も成り立たない…という話はまったくの同意で,わたしも優秀なトッププレーヤだけじゃなくて,普通の人,周辺の人,等様々な人がいないとその世界は回らないと思ってます。

ただ,この最初の例で上がった「変わろうとしない人」は,わたしには優秀な人に見えました。堅実で真摯で優しいと周囲に言われるってことは優秀だと思います。

ちょっと書くのをはばかられることですが,昔から思っていたことをちょっと書きます。わたしは高校か大学の頃って言うのは,結構芸術志向が強い生徒で,将来とある分野の表現者になろうかと思ったこともありました。具体的に書くと顰蹙を買いそうだから,まぁある分野とだけ書いておきます(^^;)。

芸術の表現者というと普通は作品がすべてであり,良い作品を作る人が成功する…とまず若い頃は思います。若い頃って言うのは,甘えや我侭じゃないけど,人に嫌われるようなことをやっても自分が大事にされるってことが良い…と無意識に思ってるようなところがあって,それが子供の非行行動とか親との衝突とかに出てくるように思います。そういうのもあってか,若い頃は,とにかく能力重視で,人あたりなんて関係ない…と思いがちですが,私はある日ふと,作品を作る能力はそこそこでも,人当たりがいいだけで,その業界で,ある程度のポジションは築けるのでは?と思った事がありました。

わたしは実際はその分野には進まなかったので,それが本当だったのか?は分かりません。ただ今研究というやっぱり能力が求められる分野の仕事をしてますが,やはり対人能力とかコミュニケーションというのは,研究成果以上に大事なものだと思ってます。また先日日記に夢を追うには生々しいことが必要と書きましたが,やはりここでも友達が必要みたいなことも書いてありました。

対人能力とかコミュニケーション能力とか書くと,あたかもそれが能力の様に書けますし,まぁ実際能力だと思うのですが,医療にしても芸術にしても研究にしても,その分野特有の技術とは少し異なるものです。ただ,わたしはわりと若いうちに,その技術と違う能力はとても役に立つと思いました。

fujiponさんの話に出てきた人は人あたりというよりは,別のものかもしれませんが,その性格が職場にいい雰囲気を与えているのであれば,やはりなにかそういう能力なのだと思います。本人は自覚してるのかは分かりませんが,そういう性格や能力が自分の価値を高めることっていうのがあるのであれば,そういう能力を肯定的にとらえ伸ばすってことも大事だと思います。
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Web2.0端末とiPodの話

2010-12-03 05:00:00 | 時事
ITがらみでおもしろかった記事二つ。

michikaifuさんがWeb2.0がキャズムを超えるかもしれない,と書いてる件,興味深く読みました。なるほど,言われてみれば,これまでは通信とマスメディアは明確にわかれており,でも今はその中間層が存在していると。そこはWeb2.0みたいな世界で,これが通信とメディアの溝を越えるきっかけになるかも知れない…というのはそうかも知れません。

であれば思ったのは,この中間層専用の端末が必要なんじゃないか?ということ。両端の電話もTVも専用の端末があります。手紙・新聞は端末じゃないけど,専用の媒体。これらが大衆に受け入れられているのは,機能的な棲み分けがわかりやすいのもあるけど,端末がわかりやすいっていうのもあるのではないでしょうか?。「少数─少数」のサービスや一般の人に受けいられるのは,わかりやすい端末が必要な気がするし,それは「何でもできる」PCではないと思います。それがスマートフォンとかタブレット端末なのかも知れないけど,…どうですかね?。わたしには,まだわかりやすい端末と呼べる状態になってるようには思いません。

…もう一つ。

こっちは書評ですが,fujiponさんによる「グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた」について。書評だから本を読めよと言われそうですが,それは後日にして,とりあえずこの文で感じたこと。

わたしも音楽プレーヤはずっと興味を持って観てるので,その当時の日本のメーカの迷走な感じは,いろいろ感じてました。わたしはiPod以前に関わっていたので,むしろiPodが出たときに,成功するとは思ってませんでした。ただ,やっぱり振り替ってみると,iPodが成功したのは,appleだったから…というのが大きく,日本のメーカがどう出ても,ああはならなかっただろうな…という気がします。

実は別の記事を書こうと思っているのですが,iPodというのは最初の機種から代替わりしていくなかで,徐々に仕様変更や機能追加をしてます。それが綺麗に積み重なって今の形になってます。つまり一気に今の形が出来たわけでもない。少しずつTry & Errorしながら来た感じもします。ただその残していった機能は,今の形に必要な機能ばかりだったりします。

それが見事だなぁと思うのですが,つまり進化のベクトルがぶれてない様に見えるって事です。他社の人気製品を分析して勝てるものを出す…というのではなく,最初から目標があって地道に突き進んでいる…という気がします。

そういう意味では,ここで紹介されているグーグルの戦略もそうなんでしょう。appleやグーグルが勝てるのは,アメリカの企業の性格でもあり,日本の一メーカがそれをなすのは難しいな…とも思います。iPodが成功したの,iPodが音楽プレーヤではなくiTunesを含めたインフラシステムの一部としたからでしょうが,それをソニーとはいえ,日本のメーカに構築できたか?というとやっぱり難しいとは思います。ソニーがiPodの弱点を挙げる企画会議は虚しいですが,勝てない相手に一矢報いるためにあがいているようにも見えます。

まぁ,もっとも今後appleが今のまま勝ち続けるのかどうかはわかりません。マイクロソフトだって,最近はめっきり話題に挙らなくなりましたし。スマートフォンだって,いま竹の子のように出てきてます。ただappleがつくったiTunesというインフラは,他のスマートフォンに比べると強力な骨格として,存在するだろうな…とは思います。スマートフォンとして失敗しても,そっちはしばらくは一位の保てるのだろう…という気はします。

ただ最初の話に戻るとWeb2.0の端末としてiPhoneやiPadは適してるかも知れないけど,iTunesはWeb2.0のサービスとはちょっと呼びづらい…。その辺が,Web2.0の標準端末としてappleが支配力をもつのか?は良くわかないなぁ…という印象だったりします。
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