たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

ダライラマ

2008-04-28 18:47:59 | 時事
土曜は長野でオリンピックのトーチリレーをやっていて,多くのTV局で生中継してました。そんなの生でみるほどのものですか?。
ところで,現在ダライラマが妙に人気があって,世界中…というより主に西洋の識者が支持しているようです。ふと,ガンジーがインドで活動していた時もこんな感じだったのでしょうか?。なぜ非暴力で国の独立を勝ち得るのだろう?と思ったこともありますが,こういう風に観てる人の心をつかんだのかなぁ…。もっともインドの時はインドを支配していたのはイギリスで,イギリスの識者の中に支持者が増えたのが独立への力へなったのでしょうけど,現状のダライラマは中国の中にどれくらいの支持者を持ってるか?といわれると,なかなかそんなにすんなりはいかないのだろうなと思います。
そういうことを思ったりもしましたが,あるTVで出演者がチベットのことをもっとしらないと…とか言ってるのを聞いて,オイオイ…と。ダライラマというと10年以上前にノーベル平和賞を取っているし,セブン・イヤーズ・イン・チベットという映画が公開されたときも,相当話題になったと思うけど…。
わたしというと,件の映画は観てないのですが,2001年に広島で「世界聖なる音楽祭」というのがあったときに観にいって,それがダライラマ提唱という形を取っていてちょっと関心を持ったりしました。同じような時期に確か来日して,一般の人の前で講演をしてるのを聞いて…というかそのあとの質疑で,曇りない受け答えをしてるのを観ました。高僧というか,一流の宗教家というのは,どういう人の質問に対しても,スパっと答えを出せるんだな…とすごく関心をしたのを覚えてます。先日の成田での会見とかを見ていてもやっぱり同じような印象を持ち,僧侶というのは高度にデベート訓練…というか禅問答なんだろうけど,やってるんだろなとかおもったことを思い出しました。まぁただこの人って聖人というよりは,やっぱりどこか政治家臭い感じもするのですが,まぁそれについてはいいか…。
そういう風にダライラマが口を開くと,チベットとかいうよりも,もっと大きな視点で,語られてしまうので,まぁつまりはその辺の政治家が束になってかかっても,論破するのは難しいなと。いずれにせよ,ダライラマはすごい人だよ,そんなことはみんな良くわかってたのでは?,ノーベル賞取ったわけだし,…と思っていたのに,20代とかの若い人ならともかく,わたしより年輩のTV司会者とかが,ダライラマのことをすっかり知りませんでした…の様に言われると,これまでダライラマが訴えてきたこととかすっかり忘れられているのか,と思ってちょっとがっかりしました。
それとも何十年も続いている問題でも,初めて聞いたことの様に報道しないと,若い人がついてこれないのでわざとやってるんですかね?:-p。でも,こういう風に扱われると,なんかブームみたいに,また終わっちゃうのか?とちょっと不安にも思います。
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JASRAC

2008-04-26 15:30:40 | 音楽・アート
JASRACに公取の立ち入り検査が入ったという話。一昨日のニュースになってネットは大騒ぎしていましたが,意外に普通のTVなどのニュースでも大きく取り上げていました。社説でもそうだし。この関心の高さは何なんだろう?。
JASRACについては,いろいろ思うところはあるけど,あるだけにネットで喜んでいた人も多いような喜び方はちょっとしづらく思いました。特に今回の調査は放送で包括契約をしている件で,だからといって包括契約をやめて,一曲一曲をカウントするというのも,いくら情報処理技術が進んでいるとはいえ,結構大変なことでしょう。いっそのこと放送で曲をかけるのはやめよう…とかなると別の意味で音楽業界の受けるダメージは大きいと思うのだけど…。
もっとも現状はJASRACが実質的に日本のほとんどの曲の著作権を管理していているので,放送局もJASRAC以外の曲をかけようと思わない。かけようと思っても,JASRAC以外の契約するのが面倒だからかけないという意味で,JASRAC以外の選択肢がなくなっているという事実はあるのでしょう。放送に関しては利便性は高くても,JASRACの管理曲は作者自身でも細やかな管理が出来なくなるなど,柔軟性が極めて低いので,やはり異なる管理契約形態を持つような他の管理団体にもある程度シェアを広めて欲しいと思います。
…となるとどうなるのが良いのでしょうか?。放送にとか音楽の利用形態ごとに著作権料を管理するような別のプール組織を作ってそこにJASRACとそれ以外の管理団体が入るという手もあるよな…とも思います。JASRACの管理分野を,放送,ネット,店舗,一般とか分断して,それぞれでのプール組織を作るとか,そういうマトリクス(縦軸が管理団体,横軸が利用分野とか)みたいのが出来ればいいのかな?。
でも,それはそれで新たな階層が出来て,煩雑になるとか,その団体は独占状態じゃないのか?とかそういう話も出てくるでしょう。ちょっと難しいか。
いずれにせよJASRACがお金取ってることが問題なのではなく,放送も含めてすべてのメディアメディアに対して,徴収権をもっているので,柔軟な対応が出来ないって事なんでしょう。今回の立ち入り調査が,なにかJASRACのあり方を変えるきっかけになるのかどうかわからないのだけど,おかしなことにならないようにして欲しいと思います。
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人間と社会と復讐

2008-04-25 20:20:30 | 社会
山口県光市の母子殺人に対し死刑判決が出たことがニュースで多く取り上げられてました。この事件はこれまであまりにもメディアで取り上げられているので,今回の判決についてはわたしは細かい意見は書きませんが,違和感はありませんでした。
ですが,ふと読んだ弾氏の復讐権の話でちょっと考え込んでしまいました。
一瞬説得力を感じたのですが,しかし良く考えてみると,刑罰というのは復讐のためにあるのだっけ?…という疑問が浮かびました。復讐という視点でかんがえると,確かに被害者の遺族救済のために加害者への罪を重くするというのは理にかないますが,刑罰はそのためにあるのでしたっけ?。
刑罰が何のためにあるのか?という疑問は以前も書きましたが,イマイチすっきりしませんし,意外にその前提を明確にして議論してるのも見かけません。何のためにあるんでしたっけ?。
それは以前も書いてるのでちょっと保留して,もう一つ。「復讐」というのは本能によるものなのか?ということです。人間以外の生き物で復讐をする生き物はいるのでしょうか?。もちろん,人間だけだとしてもそれを不自然というつもりもありませんが,どういう理屈で起きたのでしょうか?ということです。
復讐というのは仕返しのことですが,仕返しをする動物ってなにかいましたっけ?。動物は危険予知をしますが,敵にけん制するって意味で,仕返しをしている動物っていましたっけ?。動物って目の前の危機が去ったら,けん制するのもやめるものが多いように思うのですが…。
弾氏は人間が他人を殺す能力があることを殺しのライセンスを天が与えたと評しているけど,それは復讐のために与えられた能力なんだろうか?という気はしました。日本では江戸時代にあだ討ちが正当だったように,制度的に復讐が認められた時代もあったようですが,これって日本以外にも多く存在していたのでしょうか?。
復讐というのはなんとなく文化的文明的な概念のような…ちょっとそんな気がしたので,メモ代わりに書いておきます。良くわからないので,まだ勉強する必要があると思いますが…。
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ネットリテラシ

2008-04-23 23:01:42 | 時事
最近子供に対するネットからの悪影響を懸念する声が大きいし,わたしもそう思いますが,一方でじゃぁ大人がネットを正しく安全に使っているか?というとちょっと疑問もあります。
先日の新聞のコラムに身に覚えが無いのにスパムがくるっていうのが載っていました。新聞にコラムを書くくらいの人は,いまどきネットやメイルはある程度使っているだろう…と思ってたので意外でした。
スパムなんていうのは別に変なサイトを覗いたり,スパムメイルに返信をしなくてもくるもんでしょう。自分のアドレスを誰にも教えてないとか,名刺にも書いて無いとか,どこかの展示会とかに登録する時にWebから入れて無いとか,…一切使って無い人ならともかく,そういうのに使っていたら,どこかから漏れることは十分ありえます。昨今,個人情報がちょっと漏れたくらいで大騒ぎしてる様ですが,大騒ぎしている新聞自体が,なぜ大騒ぎされるかわかってないのですかね?。一つ漏れると,どこに行ってどう使われるかわからないから,ネット社会の個人情報流出は怖いのです。
10年前ならともかく,いまやWebやメイルが使えないと仕事にならない会社員は多いと思いますが,時々メイルの使い方に危うさをかんじる人はいます。一番多いのが,To:やCc:に誰がいるのかを毎回チェックせずにメイルしている人。引用の仕方がおかしい人,メイルも立派なビジネス文書だと思うのですが,なぜかちゃんとした挨拶とか出来ない人…。スパムだと思ったので観ないと捨てた…とかいいますが,観るだけでスパムに感染するようなメイラーを使うのもちょっとリテラシーが低いようにも思います。
子供の教育…といいますが,今の大人もよくよく考えると,メイルの使い方Webの使い方とかは習ってきて無い気がします。今は学校でどのように教えてるのでしょう?。ルールが年々微妙に変わって行ってるので,教えるのは大変だと思いますが,大人の中にもこれだけばらつきがあると,ある程度国で教科書を定めて,最低限のことだけでも教えてくれると良いのに…と思ったりもします。そうなると自分が今普通にやってることもマナー違反になってしまう可能性もありますが(^^;)。まぁいずれにせよ,子供のネットのことを心配する以前に大人が理解してなかったり過剰に反応しているのを見ると,その辺の世論もあてにならないな…とは思います。
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皮膚のいろ,癌とはなんのためにあるか?

2008-04-22 22:26:41 | 医療・福祉
最近の日曜のNHKスペシャルは病気の起源というのをやってるのですが,昨夜は肌の色にかかわる病気の話でした。例えば肌の色が濃い人が,緯度の高いところにいくと,日光をうまく吸収できずビタミンD不足から発育不良が起きるということ。一方肌の色が薄い人が高緯度のところに住むと日光が強すぎて,皮膚癌になるということ。
オーストラリアの皮膚癌の多さはちょっと驚きましたし,ヨーロッパに住む褐色の肌の人達がそこまで深刻な状況というのにも驚きました。
人間というのは,地球上のどこにでも住めるのか?と思いきや,意外に駄目…というか環境に対しては決してタフじゃないのだな…と。あと,エスキモーの様に北極圏に住む有色人種は日照不足によるビタミンD不足を魚の内臓を食べたりして補っていた様だけど,食の西洋化でやっぱり問題がでてるとの事でした。
つまり,食生活の近代化や,グローバリズムが人間にしっぺ返しをしてるという点では,エコ論者や反グローバリズム論者が喜びそうな話でもあったのですが,まぁその視点は置いておきます。
ちょっと思ったのは,癌というのは…エラー処理なのかも知れないな…ということ。環境適用が出来ない結果訪れるのが癌なのかな…という気もします。悪いものを食べたり,ストレスを受けたり,そういう物も含めて人間は環境に適用して進化していくわけですが,その中で適用が出来なくて,淘汰される遺伝子もあるわけで,その淘汰の具体的なやり方が癌…かと。
そういう意味で言うと,わたしはすでにエラーを起こしているのかもしれません。わたしの場合はなんだろう?。毎日お酒を飲むのには耐えられなかったということか?。
高齢者の癌はエラーというよりは寿命なのかもしれませんが,若年で癌になる場合自分の遺伝子を残せないので,やっぱりエラーだったんだろうなと思います。
わたしは癌は病気というよりは,プログラムされているものと感じることもあるのですが,今回の番組でもそう思いました。
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パクリとオリジナリティと人物と

2008-04-20 12:43:15 | 音楽・アート
一流アートというか表現において,オリジナルとか,パクリとかそういう話。

もともとは「漫画のトレースの話から始まっていて,漫画において,他の人を参考に描くところから始まるのは多くの人がやっていたと。で,そこに対してのとあるブログでの突っ込みで,「オリジナルな部分が無いから『パクリ』と認定される」というのがありました。
これに対しては,わたし的には同感なんだけど,この「オリジナル」っていうのがなんなのか?というのが,ちょっと曲者だと思います。アートというのは,「作家性」であるというのを,私は良く感じるのですが,作家性とオリジナルというのは異なります。作家性というのは,その作品に,その作者が出るって意味ですが,オリジナリティは独自なものということで,作家性とは必ずしも一致しません。奇抜で誰も見たことが無い作品を作れば,それはオリジナルかもしれませんが,ヘタをすると「意味不明」になり,観る人の誰の心にも届かないかもしれません。しかし,その奇抜さをずっと続けて,そこにある共通性が生まれてくれば,その共通性を見て,人はそこに作家性を感じます。
自分の経験からすると…。音楽を例に挙げると,若い時は,だれも書いたことがない様な曲を書こうとか,演奏しようとかする。奇抜で誰も書いたこと無い,または難しすぎて,誰も演奏できないような曲を…。そうやって前衛的になりすぎて,誰も意味がわからないところに落ち込む場合もあります。
でも,長く表現を続けてきて,あるスタイルがその人の中に確立されたら,人の曲を,単にコピーして演奏しても,その人が演奏してることがわかる…っていうのはよくあります。ですから,音楽ではスタンダードを演奏したり,人の曲をコピーしても,演奏者の表現になることがよくあるのです。
最近よく思うのは,表現のゴールはここの様に思います。誰の表現をトレースしようが,その人が出ている…そうなれば,その人の作品といえるでしょう。
もちろん,その人とわかる独自の作家性を作るために,まず誰も聞いたことのない様な奇抜な表現をやります。その模索があって初めて作家性が出る部分もあるでしょう。でも「誰もやってない=オリジナル」がアートのゴールでは無い気がします。そして,作家性が確立してる作家の作品はパクリであるとか無いとか,そういう問題でも無い気がします。手塚治虫の例が出てましたが,手塚治虫はさまざまな作品を残してますが,誰が見ても,彼の作品とわかる十分な作家性があったと思います。だからパクリかどうかは大きな問題じゃなかったように思います。
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働くモチベーション

2008-04-18 23:17:19 | ココロ
仕事のマネージングとして部下にやる気を起こさせるっていうのは最近の大きな課題の様に思います。一方雇用されるほうも,楽しく仕事をするとかやる気を出すとか,そういうことを書かれた本もあるので,雇用側が一方的にそれを望んでいるわけでも無いのかもしれません。
確かにつまらない仕事をいやいやながらやるよりは,仕事を楽しくやるのは,やってる本人も精神的に良いでしょうし,それで効率が上がって上司に評価されればいいことが多いでしょう。でも,雇用側からすると,同じ給料でたくさんの仕事をしてもらうってためにそういうことをやっている面もあるようにも思います。また働くほうも,仕事なんて給料をもらえるだけやっていればいいと思っていたら,他の人がたくさん働くと自分もそれを期待されて困るという場合もあるかもしれません。
なんて事を考えたりもしますが,わたし自身は今のところ仕事は好きでやっていて,どうせやるなら好きな仕事をやりたいので,給料をもらえる最低限やればよい…とはぜんぜん思ってません。自分が仕事を一生懸命やる理由というのは,それによって,(1)上司の評価が上がれば,与えられる裁量が増え,好きな仕事を出来る時間がもらえる,(2)仕事によって蓄えられるキャリアが,今後の自分の進路にプラスになる,(3)仕事の内容自体が,自分が興味がある仕事である,(4)評価が上がれば昇給,昇格の可能性がある,(5)仕事により職場や周囲からの信頼を得られる…などでしょうか?。これらのことがあればわたしの場合は,仕事をがんばれる様にも思います。
ところが,こういうことは誰でも仕事で得られるわけでもありません。昇給や昇格の可能性は,ある歳になるとなくなる場合も多いです。どんなにがんばっても好きな仕事が回ってくるとは限りませんし,社員に裁量を与える仕組みになって無いところも多いでしょう。仕事のキャリアが将来の役に立ちにくいことも多いです。周囲の信頼を得るのは,ある程度地道にまじめに仕事をしていれば得られるかもしれませんが,ほかの事は,ちょっとしたことでなくなってしまう可能性が高いです。
もし自分の仕事からこれらの要素がなくなったときにどれくらい自分はがんばれるのだろうか?がっくり来てやる気が無い会社員になってしまったりするのかな?…とかふと考えることもあります。そして,一方で自分の部下とかのやる気を出そうと,いろいろとやるよりも,これだけの飴を用意しないと駄目なんじゃないの?と思ったりもします。
さて,最近の公務員や医者叩き,給料が高いとたたかれたり,キャリアを積んで天下りするのが駄目だといわれたり,そして公務員とか先生とか言ってもだれも尊敬してくれないような報道が続きます。このような状況で,公務員とか医者とかがいい仕事が出来るんですかね?。どんなに文句を言っても,働くのは人間ですから無理です。そして公務員や医者の質が下がったら,それは一般の市民につけが回ってきます。それでいいんでしょうか?
一方で,逆をかんがえると,どうやったら公務員とか医者の質が上がるかがわかるでしょう。我々が本当に望むのはどっちなのでしょうか?:-p。
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メタボ政策に対する引っ掛かり

2008-04-14 14:02:32 | 医療・福祉
最近メタボの話題を良く見るのだけど…。何となくずっと引っ掛かっていてすっきりしません。メタボの基準の85cmが不自然とかそういうのもありますが,そもそもの前提として,「肥満になるかならないかを国に面倒を見てもらうってどう言うことなんだろう?」ってことです。本当は肥満かどうかじゃなくても,病気予備軍かどうか…ってことなのでしょうが,それにしても健康かどうかを国に管理してもらう…ってことになり,やっぱり引っ掛かります。
国に管理してもらうってことは,逆に「肥満になったのは国の政策のせいだ」とか言い出すやつが出てくるんじゃないか?とか思ったりも:-p。国の免責事項って無いんですか?。冗談ですが,冗談にならない気も。
本来は医療費削減のために,なるべく国民に病気になってもらいたくないので,健康指導をする…ってことなんでしょうけど,どうもビジネスの種になってるところを見ると,だれか儲かる人がいるんでしょう。ってことはだれかの出費が増えるってことになるようにも思います。特保で儲けようと思ってる話を読むと消費者から金を取ろう…と思ってるようにも見えますが,何か他にも検診とかで企業とかからお金を稼ごうとしてるところもあったようにも思います。
というわけで,どうもメタボ検診がビジネスチャンスになってるって感じで,医療費削減とか言ってるわりには,増えてないか?,実は産業振興策なの?っていう疑問を感じます。
ちょっと次元が違う話ですが,健康のために特保というのも食品は薬じゃないのに…という感じ。しかも薬と違って処方せんも無くて規定量がわかりにくいので,たぶん健康を気にして食べられるだけ食べたり飲めるだけ飲む人が出てくるんでしょうねぇ。。なんか薬売るよりも儲かるんじゃない?って気もします。というか食べたら治る病気とか食べれば食べるほど聞く薬とかって無いんじゃないの?って思うんですが,特保流行りは,ちょっとそのうち食べすぎて体を壊すとか,変な弊害が出てくる予感を感じてます。
というわけで,どうもメタボがらみの話は,いろいろとすっきりとしないことばかりです。あとメンタルヘルスの件もちょっと引っ掛かるんですが,そっちまで書くと話が発散するので,また別途…。いずれにせよ,健康政策って…,ってすっきりしないです。
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子供の人権は大人と異なるものでは?

2008-04-12 09:19:13 | 社会
青少年のネットへのアクセスに対する規制について,ちょっと前から話題になっていて,ネットユーザは規制に対して反対の人が多いように感じました。
なんか人権みたいな話になっていて,表現の自由とか知る権利とかそんな話も出ていて…。政府が検閲するのか…みたいな話もあったような。もうひとつは実効性(実際にサイトを見分けられるのか?とか)。
でも,暴言に取られるかもしれませんが,わたしは子供の人権なんていうのは大人と同様である必要は無い…と思ってます。成人が見るサイトが検閲されていたら問題でしょう。でも少年…少なくとも中学生くらいまでは,大人がお墨付きをつけたサイトしか見れない…様にすると何がいけないのでしょうか?。大人は子供に対して責任を持つものですから,逆に子供の一部の権利を管理してもいいように思います。もっとも大人一人が一人の子供を管理するのが危険というのであれば,団体で管理しても良いかもしれません。
それから実効性については,確かに,現状の技術でいいサイトと悪いサイトをちゃんと見分けることは不可能…であっても,まずは法律を作らないと,規制することを試行錯誤することすら出来ません。法律が出来て技術的には規制できなくても,法律が出来たところまでさかのぼって悪質な人を処罰することは可能でしょうから,そういう意味でも実効性が無い法律でもまずは作らないと動けないようには思います。
自民党とかが作っている法案の中身を読んで無いので,はずしたことを書いている気もするのですが,わたし自身は,小さい子供がデフォルトでサイトにはアクセスできないこと自体は正当なことだと思ってます。というか,本当は親が管理すべきことで,親が技術的にや法律的に出来ないことを補うために,何らかの規制があってもいいという考えです。子供に権利をという人は子供に責任を負えとも言ってることになると思うのですが,それはそれで酷じゃないか?とわたしは思います。
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どこかで聞いてきた採用方法

2008-04-09 23:06:04 | 社会
先週のクロ現で「地頭力」っていうのをやっていて,夕食を作りながらだったので,あまりまじめに観てなかった。そしたらネットで地頭力のことが話題になっていて,斜め読みをしたら,「あぁ採用の話だったのか」と思いました。
最近入社試験で,答えがないようなムチャな質問をして,就職希望者がどういう回答をするかを答えさせるというやり方があるってことですね。そういうのはたしかGoogleの面接試験でもやってるっていうのをずいぶん前に聞いたことあります。そういう採用方法が広がってきてるのでしょうか?。
こういうちょっと変わった採用方法が話題になって,優良な企業がやっていたりすると,それをまねしようという動きが良く出てきます。でもたいてい何年かすると弊害が出てきて止めるような気がするのですが気のせいでしょうか?。一芸入試とか採用もそうだった気がしますが…。
だいたいこういう変わった採用方法というのは,全員をそうしても仕方ないのではないでしょうか?。それにそのやり方が話題になって来ると,それ用の対策をする受験者がたくさん出てきてテクニカルというかレトリカルに対応しようとします。でもたぶんこういう試験方法は試験方法で測ろうとしている何かもっと本質的なものがあって,それを測るために使ってるだけなので,表面だけ真似たり,表面だけ対応してもだめじゃないじゃないか?って気がします。
いずれにせよ,変わった採用方法とかやってるとあとでめんどうなことになるのではないか?…とは思います。もっとも変わった採用方法をして学生の注目を浴びたいというだけであれば,まぁそれは一つの手ではありますが,いずれにせよ,変な人を採用して困るのはその会社というか現場の人なので,ちょっとな…とか思ってネットの話題ぶりを観てしまいました。
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