「そもそもコミュニケーション能力ってなによ」って文を読みました。読んでいてハッとしましたが,「コミュニケーション能力」って言葉の意味って共有されてないのか…。
昨今,就職の条件というか必須能力として「コミュニケーション能力」というのがあったりするようで,じゃぁ,エセ教育者である私(学生と接する機会はあるけど,そう言う相談受けたことない^^;…。)としては,やっぱりきちんと答えられないといけないでしょう。ついでに書くと,わたしは「コミュニケーション」研究の専門家ですし(笑)(…ちなみにここのコミュニケーションは「通信」の事です)。
リンク先には,大雑把に「人とうまくやってく能力」だろう…と書かれてます。しかしこれでは正確に定義できないから,「あいさつ」とか「人と話すのが苦にならない」とか「愛敬がある」とか細くわけてとらえていて,で,その中で必要なものは,学校と会社とか…という社会毎に異るのでは?…との結論でした。
うーん,わたしは自分はコミュニケーション能力はあると思ってますが,そういう風に考えたことはありません。私の定義ではコミュニケーション能力というのは「相手の言ってること(伝えたいこと)がわかること,自分の言いたいこと(伝えたいこと)を相手にわからせること」,これだけです。つまり「意思の相互伝達」能力ってこと。相手とうまくやっていくとか,愛敬がいいとかいうのは,あまり関係ありません。相手が何をして欲しいかがわかって,それに対して何かを返してあげれば結果としてうまく行く場合が多いし,わかっても何もやってあげる気が無かったらうまく行きません。コミュニケーション能力があってもうまく行くかは,自分の気分とか能力とか力量によります。
私は自分の定義はそんなに異常とは思ってませんが,ただ,上に書いた通り,わたしが「通信」屋であること,また音響の心理屋でもあり,人が音響情報をどう理解してるか?を学術的に考える立場にあるために,ある人の情報や感情を相手にどう伝えるか?…と言うことをコミュニケーションととるのでしょう。そもそも「通信」は「コミュニケーション」の訳語ですし,意味的にも大きな祖語は無いように思います。
で,相手の言ってることがわかるか?,相手に言いたいことを伝えられるか?…っていうのは実は簡単ではありません。人は思ってることを正確に表現できません。また自分の欲求を自覚でき無い人も多くいます。女性が男性に「あなたは仕事が大事なの?」とヒステリーを起こしたときに「御免ね,寂しかったんだね」と答えろという話があるように(笑),人はやって欲しいことを素直に言葉にしないものです:-)。
ちなみに自分で相手に何かを言いたいときも,実は自分でやって欲しいことをわかってなかったりする場合も多いです。
というわけで,意志伝達という意味でのコミュニケーションもそんなに簡単ではありません。わたしはその能力があると書きましたが,そもそもわたしは人の話を聞くときに,何を言ってるかというより「この人は何を伝えたいのだろう?」ということばかり気にして聞きます。だから話の細い事は聞いてないことが多い(苦笑)。でも結局こういうことを伝えたいのだな…って事がわかれば,何かしらの対処ができ,まぁうまくやれば相手とうまくやっていけるし,うまくやりたく無い人とは,それなりにスルーしたりします。
まぁ相手の気持ちがわかった上で答えるところまでをコミュニケーション能力という気持ちもわかりますが,相手の気持ちに答えるには,それこそ千差万別の対処法が必要で,それも含めて必須能力とするのは無理があるでしょう。最初のリンクにあったように社会人と学生では違う…というのはその部分です。
…というわけで,学生の諸君に話す機会があれば,コミュニケーション能力といわれて,人とうまくやっていく事とかを考える前に,まず相手の言うことをちゃんと理解するとか,相手にきちんと伝えられるとか,そこをまじめに訓練した方がいいよ…と答えたいです。とはいえ,若者相手に質問とか投げても誰も答えない場合も多く,何考えてるかわからないケースが多いですが。
昨今,就職の条件というか必須能力として「コミュニケーション能力」というのがあったりするようで,じゃぁ,エセ教育者である私(学生と接する機会はあるけど,そう言う相談受けたことない^^;…。)としては,やっぱりきちんと答えられないといけないでしょう。ついでに書くと,わたしは「コミュニケーション」研究の専門家ですし(笑)(…ちなみにここのコミュニケーションは「通信」の事です)。
リンク先には,大雑把に「人とうまくやってく能力」だろう…と書かれてます。しかしこれでは正確に定義できないから,「あいさつ」とか「人と話すのが苦にならない」とか「愛敬がある」とか細くわけてとらえていて,で,その中で必要なものは,学校と会社とか…という社会毎に異るのでは?…との結論でした。
うーん,わたしは自分はコミュニケーション能力はあると思ってますが,そういう風に考えたことはありません。私の定義ではコミュニケーション能力というのは「相手の言ってること(伝えたいこと)がわかること,自分の言いたいこと(伝えたいこと)を相手にわからせること」,これだけです。つまり「意思の相互伝達」能力ってこと。相手とうまくやっていくとか,愛敬がいいとかいうのは,あまり関係ありません。相手が何をして欲しいかがわかって,それに対して何かを返してあげれば結果としてうまく行く場合が多いし,わかっても何もやってあげる気が無かったらうまく行きません。コミュニケーション能力があってもうまく行くかは,自分の気分とか能力とか力量によります。
私は自分の定義はそんなに異常とは思ってませんが,ただ,上に書いた通り,わたしが「通信」屋であること,また音響の心理屋でもあり,人が音響情報をどう理解してるか?を学術的に考える立場にあるために,ある人の情報や感情を相手にどう伝えるか?…と言うことをコミュニケーションととるのでしょう。そもそも「通信」は「コミュニケーション」の訳語ですし,意味的にも大きな祖語は無いように思います。
で,相手の言ってることがわかるか?,相手に言いたいことを伝えられるか?…っていうのは実は簡単ではありません。人は思ってることを正確に表現できません。また自分の欲求を自覚でき無い人も多くいます。女性が男性に「あなたは仕事が大事なの?」とヒステリーを起こしたときに「御免ね,寂しかったんだね」と答えろという話があるように(笑),人はやって欲しいことを素直に言葉にしないものです:-)。
ちなみに自分で相手に何かを言いたいときも,実は自分でやって欲しいことをわかってなかったりする場合も多いです。
というわけで,意志伝達という意味でのコミュニケーションもそんなに簡単ではありません。わたしはその能力があると書きましたが,そもそもわたしは人の話を聞くときに,何を言ってるかというより「この人は何を伝えたいのだろう?」ということばかり気にして聞きます。だから話の細い事は聞いてないことが多い(苦笑)。でも結局こういうことを伝えたいのだな…って事がわかれば,何かしらの対処ができ,まぁうまくやれば相手とうまくやっていけるし,うまくやりたく無い人とは,それなりにスルーしたりします。
まぁ相手の気持ちがわかった上で答えるところまでをコミュニケーション能力という気持ちもわかりますが,相手の気持ちに答えるには,それこそ千差万別の対処法が必要で,それも含めて必須能力とするのは無理があるでしょう。最初のリンクにあったように社会人と学生では違う…というのはその部分です。
…というわけで,学生の諸君に話す機会があれば,コミュニケーション能力といわれて,人とうまくやっていく事とかを考える前に,まず相手の言うことをちゃんと理解するとか,相手にきちんと伝えられるとか,そこをまじめに訓練した方がいいよ…と答えたいです。とはいえ,若者相手に質問とか投げても誰も答えない場合も多く,何考えてるかわからないケースが多いですが。