たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

不安の誕生

2008-10-30 22:54:56 | ココロ
思考実験をひとつ。
人間というのは因果関係を外から見ることができる生き物です。つまりある起きたことと,別の起きたことを結びつけて,原因と結果の様に結びつけることが出来ます。あることが起きると別のことが起きるという風に出来て,結果的に,今起きたことから未来を予想することもできるようになります。外からというのは,自分のことも想像でき,他人に起きたことから自分の未来を想像することも出来るという意味です。
他の人の頭の中はみたことありませんが,たぶん人間は大抵それが出来ると思われます。
この因果関係を外から見ることが人間以外の動物に出来るのかは知りません。でも,パブロフの犬みたいなことがありますから,動物もあることが起きたらあることが起きるということを,意識してるかどうかはわかりませんが,行動に結びつけることは出来るようです。もっと本能レベルで,因果関係が結び付けられていることはありますが,後天的に因果関係を習得するということが,結果的に外から見ることができることにつながっているように思います。
つまり人間は因果関係を想像できるので,目の前にある種籾を食べずに土に植えて我慢すれば半年後にもっとたくさん食べることを可能としたり,気候の変動に備えて衣服や住居を作ったりと,より多彩な環境に適応出来るようになったのだと思います。つまり進化論的に因果関係を外から見ることが有効だったから,そうなったのでしょう。
ところがそうやって因果関係を常に外から見るというのは,今目の前にある事象から未来を予測して,いろいろと備えることを常に行うようになります。そうなると逆に未来が想像できない,想像できるだけのに十分な情報を得られない,経験したことがないことが目の前にある,どうしてそうなったのかわからない結果があることが,とても不安になります。
自分はどうしてこう不幸なんだろう?ということを明確に誰かが答えてくれ,腑に落ちたときに,ある教えに人は染まることがあります。宗教にはそういう面があったりします。さらに,未来に備えようと無意識にしますから,目の前にある経験したことがないことは,きっと悪いことの兆候に違いないと思います。何がたいした問題じゃなくて,何が重大なことなのかわからなくなります。そうして人は不安を覚えるようになります。
不安というのはそうやって生まれたように思います。
最近食べ物にちょっと臭いがついていたり,何かが検出されたりすると,パニックのように皆さん不安になっているようですが,身体になんの影響があるかわからない,つまり少量ではすぐには影響がでないようなものでも,逆にはっきり影響がでないので不安になるのでしょう。影響がでないのに,なんで基準があるの?。基準があるから基準を超えると不安になるんでは?とかちょっと思ったりします。まぁでも不安というのは上に書いたとおり,因果関係を想像することの暴走みたいなものです。もちろん進化的に有利だから身についた能力でしょうが,今でもそうなのかは良くわかりません。
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経済学者とは何する人?

2008-10-28 22:16:26 | 時事
山口先生が今の経済状況がどれくらい予想されていたか?っていうのを書いてました。結論から言うと,ほとんどあたっているものがないそうで。あっ,一人くらいいたのか。でもいつもあたっているってわけでもない様子。
さて,わたしはいつも「経済のことがわからない」と書いてますが,こういうのをみると,本を書いている人とかでも経済のことがわかっているんだろうか?という気もします。もちろんわかってなくても,財務関係の官僚や銀行や企業とかは金融とか投資とかやる必要があり,何らかの予想とかしなくてはいけないのはわかります。それで過去の動向とかを知識として知っている人に意見を求めるのはわからないでもないですが…。でもそこで求められるような人が本当はいるのだろうか?という気はします。
こんなにあたらないとしたら,経済学者というのはどういう学者なんでしょうか?。過去の経済の事象を勉強して,何か法則を導き出しているってことでしょうか?。でもその法則は未来予想には使えないってことなんでしょうか?。
自然科学は観測される事象から法則を仮説として導き出し,それを追試可能な形で確かめて始めて理論が認められます。でも経済学はおそらく追試可能な形では実証できません。ってことはその学者が唱える説の正しさは,もっともらしさで評価されるってことなんですかね?。
まぁ実際に起きている社会のことですし,さらにその社会には人間がいるわけで,仮説を立てても,その仮設を読んで行動する人がいたら,その仮説は影響を受けるので,そういう意味では,正しく求まらないものだという気はします。金儲けは,人の金を自分のところに持ってくることだとすれば,常に人の裏をかく形で発展するわけですから,そもそも法則なんて抽出できるはずもないということになります。
というのが,そういうことかな?と思う経済ですが,でも経済学者やその人たちが書いた本は大量に今でも出版されているんですよね。なんか妙な世界だなぁと思います。
ちなみに人間は物事を簡単にして理解しようとするので,そこに法則を求めるわけですが…,経済ってそういう風に理解できるものなんだろうか?と思うと,学問として面白いものなのかな?という気もします。
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専門用語がわかりづらいのは背景の理解まで求めるから

2008-10-22 09:15:10 | 医療・福祉
なんかTVや新聞で病院での専門用語言い換えの話が話題になっていたのでなんだろう?と思ったら国立国語研究所で「病院の言葉」を分かりやすくする提案の中間発表があったらしい。

わたしはこれまでもTVの報道とかで言われている,安易な専門用語の言い換えの推奨に関しては反対です。言い慣れた言葉に直すということは,かえって別のイメージが浮かんで誤解される可能性が高いと思うからです。と思って,国研の発表を見たら,まぁまぁ納得はいくものでした。やっぱりマスコミの端折った説明だとどうも不正確になるらしいです。マスコミはわかりやすく説明しようとしてるんでしょうけどね:-p。
IT用語やビジネス用語だって,どうしてわかりにくい言葉を使うのだろう?と思うのはたくさんあります。どうして「利益」といわず「ベネフィット」というんだろう?とか,「連携・提携」といわず「アライアンス」というのでしょうね?。謎です。たぶん利益とか連携とか言っちゃうと古いスタイルのそれを指すと思われるから,新しいやり方ぽくするためじゃないですか?。ソフトウェアだって,ライブラリとか,モジュールとかスタックとか似て異なるものがたくさんありますが,どうして簡単に言い換えないのでしょうか?。
おそらく新しい言葉を使うことで,言葉の文字面だけではなく,その周りに付随するような社会的背景まで相手に想像させることが可能だからじゃないですか?。
医学用語に戻るとわたしはなぜ,科学的根拠に基づく医療をいちいち「エビデンス」といわなくてはいけないのかわかりません。「科学的に立証されてる」といえば済むように思います。でももしかしたら「以前科学的に立証されている」とされていた条件の中には海外では「エビデンス」とはいえないものもあったのかもしれません。ってことは,新しいエビデンスという言葉を使うことにより,これまでとは違った新しいやり方であることを示すことになります。そうであれば,これを古い使い慣れた言葉に直すとニュアンスが変わってしまうのでしょう。
まぁそういうのもありますが,わたしがもともと医学用語を日常用語に言い換えるのに反対なのは,使い慣れない言葉を聞くと,わからないので調べて正確な意味を知ろうとするだろうからです。わかりやすい言葉に治せば調べもしないで,きっとこういうことだろうと思うように思います。医学は日々発達してるのですから,最先端を知るには専門書を調べるのが一番です。
言いかえが必要な言葉があるとしたら,日常の言葉と同じ言葉で意味が異なる医療用語で,頓服やショック,貧血とかそういうのはそうかもしれません。今回もそういう指摘は発表の中ではされているようです。

TVではメタボの意味が正しく理解されてないというのを報道してましたが,こういう新しい言葉で一般の人が知ってるのに意味を理解されてないとしたら,それはマスコミが間違った使い方を広げたからではないでしょうか?。そういう反省はないのでしょうか?
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消費者庁

2008-10-18 18:54:54 | 社会
数日前からこんやくゼリーが話題になっていたのですが,個人的にはこんにゃくゼリーを好んで食べるわけではないので,どうでもいいといえばいいと思ってます。ただ,漠然とそこまで国が面倒を見るべき問題なのか?とか,食べ物をのどに詰まらせて死ぬことをメーカが保障すべきなのか?という疑問はあります。とはいえ,関心がないといえばないのですが,こんにゃくゼリーが消費者庁設立のきっかけと書かれているのを見て,消費者庁ってそういうことをやるところなのか?と思うとげんなりします。
そうこう言ってるうちに,また中国製冷凍野菜で被害にあった人がいて,さすがにこういうのは行政が監視とか取締りとかしてもいいんではないか?,であれば,消費者庁の存在意義があるのか?という気はします。
わたしの中では,大人が食べたら安全なものをで,使用上の注意をすれば問題ないもので事故が起きるのと,食べ物を食べたら毒薬で死ぬというのは,規制のあり方は根本的に違うと思うのですが,普通はそう思うわないのでしょうか?。後者はしっかりやってほしいし,他にも薬品とかの扱いで消費者に危険が及ぶものは国が面倒を見てもいいでしょう。
ただ消費者庁が,こんにゃくゼリーのもののあり方まで指導する組織と言うことになると,何だろう?という感じです。
なんというか,最近は自己責任の逆というか,何でも国のせいにするのが流行っているのか,先日はTVで株価が暴落して,株で損をしたのをあたかも当人は悪くないかのように報道してしてました。さらに高齢者医療で天引きが始まったと批判気だったのだけど,天引きがいやだという人は踏み倒そうとでも思っていたのでしょうか?。まぁ払い込みに行ったときに銀行のお姉さんとしゃべるのが楽しみだったとかそんな感じ?。高齢者の気持ちを踏みにじるとかいってる人がいましたが,行政なんて市民の気持ちを踏みにじるものでしょ?という気持ちもあります。
最近の行政とか国会の話を見ていると,どうも行政が国民におべっかを使って耳障りがいいことをいうのに一生懸命な気がします。なんでも感でも至れり尽くせりで,ますます国民は頭を使わなくてもいいですよ…といわれているようなそんな感じ。そういえば,今日はおれおれ詐欺対策で,警官とかがATMに張り付いていたそうですが,それも含めて,そこまでするのか?とか。
普通に考えれば,そういうのはサービスがいいとは言わなくて,何かだまされているような気がすると思うものじゃないでしょうか?。頭を使わずに生活でき,自分で自分の食べ物さえ選べずに,気がついたら物事に文句を言うだけで,自分で判断できない人が増えていく…という様になっているのではないか?文句を言ってるようで,実は肝心のことは知らされずに,気がついたら,誰かに都合がいいような世の中になってるような気もします。
そういう気持ち悪さを感じるんですよね。消費者庁というのが,まるでよろず相談所みたいにみえて,つまり単なるガス抜きではないか?どうも胡散臭い組織の様に最近感じています。
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08/10/04:Radiohead(さいたまスーパーアリーナ)

2008-10-09 10:58:40 | ライブ鑑賞
現在最高のロックバンドと思うのはわたしですが,異論がない人もそれなりに多いだろうと思われるRadioheadの来日ライブにいってきました。radioheadは一応全部アルバムを持っていて,好きなバンドで,ライブを観るのもサマーソニックを含めると三度目になります。前回は幕張メッセでのライブ,今回はスーパーアリーナと,そういえばアリーナ形式のライブが多いですね。今回の来日は追加公演が後で決まって国際フォーラムでもやるようで,そちらはシートでしょうからそっちでもよかったなぁと切符を買ったときは思いましたが,いずれにせよすばらしいライブで,アリーナ,つまり立ち見でも大満足でした。
17時の開演と同時に前座が始まり,30分,その後休憩を入れRadioheadの演奏は18時からでした。前回前々回とこれまで二回のライブはあのアルバムでのサウンドが実際に生演奏で再現されているのに驚くばかりでしたが,今回はその辺はちょっと落ち着いて聴けました。でも本当に5人であの多彩なサウンドを生で作れるのは本当にすばらしいです。ベースとドラムがしっかりフレームを作って,その上にさまざまなサウンドをコラージュしていくような感じ。そしてトムのボーカルが音楽としての芯を作るので,実験的なサウンドなのにポップです。選曲的にはKid A以降の演奏が多く最新作のin rainbowの曲も多くやってました。
そういうわけで演奏は安心して楽しんでいたのですが,今回驚いたのはむしろ舞台の視覚効果。セットとライティングが実にすばらしかったです。最近の巨大ホールでのライブは大抵スクリーンがありますが,今回もステージの後ろは大きな横長のスクリーン。横に五分割されてますが,各メンバーのアップを固定カメラで撮ってます。それが舞台袖とかしたからなので,すこし変わった映像。しかもわざと画質を荒くして,色も単色にしてます。その単色の部分が,舞台の照明にあわせて赤や青と変わるような仕掛け。ですから実際にその場の映像なのですが,まるでPVと一緒に演奏をしてるような感じ。映像だけで十分作品性があります。普通に人が狙ったカメラよりこっちの方が観ていて楽しいと思いました。
そして舞台上からはアクリルのバーがたくさんぶら下がっていて,照明がそれに照らされて色がいろいろ変わります。文字や光も映せるようでした。バックの映像とあわせて非常に幻想的な視覚効果を作っていたと思います。
それと驚いたのがその照明がすべて舞台袖とか舞台後ろとか舞台天井からなのか,客席のほうには天井も含め全然ライトがなかったことです。つまりメンバーの正面を照らすライトはまったくなかったと,そういう舞台映像は始めてみました。それでもメンバーの顔はよく見えましたし,客席にライト用のやぐらとかないし,野外ライブも含めると非常によく考えられた照明なのだと思いました。
ムービングライトもないのに非常に効果も高く,今回の視覚効果はきわめて芸術性が高いと思いました。売れているバントのライブというのは音楽だけではなく,こういう演出効果も世界最高水準のものが集まってくるのでしょう。そういう意味でもすばらしい体験でした。
ライブは結局20時過ぎまで続き,たっぷりと楽しめ,実にいいライブでした。ちょっと驚いたのはカメラの持込や撮影を明に禁止してなかったことで,入り口には「動画の撮影」と「プロ機材の撮影」「フラッシュの使用」をやめてほしいとしか書いてませんでした。これはネットで音楽を販売するというようなRadioheadのメンバーの意向なのか,それとも禁止しても取り締まれないから,やむなくやったのか良くわかりませんでしたが,実際ライブではデジカメで映像を使っている人は結構いました。こういうのは苦言を言うべきなのか,新しい楽しみ方と思うところなのか良くわからないなと,ちょっと思ってます。
終わってみればすばらしいライブ。実は最新作を聴いたときに,ネットでの販売方法とかそっちの話題性の方が大きくて,音楽性自体はこれまでの延長の範囲かな…と少し思っていたのですが,ライブが終わって帰ってアルバムを聴きなおすと,新作もすばらしい曲だと再認識しました(^^;)。アリーナはきついけど,ぜひまた行きたいです。
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メスライオンが美人である必要性

2008-10-04 09:50:16 | ココロ
だいぶ前に読んだ怪しい動物行動学みたいな本を読みました。それでは,サル山のような一夫多妻社会について,男性の学者が分析してるときは,一匹の勝ち抜いたオスが多くのメスを支配しているとしていました。ですが,そうだとすると説明がつかないこまごまとしたことがあるらしい。それを女性の学者が女性主体に考えて,女性の仲良し社会が一匹の優秀なオスをキープしてるだけとしたら,さまざまなことがうまく説明できた…。という感じのことが書いてあったように記憶してます。
人間の社会では一夫一婦制と一夫多妻制があるのですが,西洋の基準では一夫一婦制の方が進んでいるようです。日本はいつから一夫一婦制になったのでしょう。まぁ日本も西洋も近代までは権力者は側室制度があったようですが。
月曜に見たNHKスペシャルはライオンの群れの話でした。これまでの通説はオスが群れをめぐって争い,買ったほうが,その群れのメスを支配するという風に思われていたのですが,最近はどうもその辺のシステムをメスがコントロールしてるらしいという話でした。オス同士を争わせるのも,どうやらメスがきっかけを作っているとか,群れから若いオスを追い出して修行させるのもメスただとか。それでいて,強いというかまぁメスの中で気に入られたオスがメスに養われるのだけど,一方でしっかり浮気をしているメスもいるとか,そんな話。
冒頭のサル山の話と非常に似ています。一夫多妻制は,男尊女卑というよりは,むしろ女性が女性社会を作り,男性は必要な種だけ残して,後は追い出すという社会のようにも取れます。そういえば,大奥も女性の社会がしっかり形成されてます。
というわけで,NHKスペシャルは面白かったのですが,男性はやるせないです(苦笑)。たくさんの女性にもてる男性って何なんでしょうね?。まぁ無縁だからいいけど。
ふと今日とある歴史マンガを読んでいて,昔の権力のある男が一人の綺麗な女性をめぐって争うような話があって…,あぁそういえば竹取物語もそうか…,ふと綺麗でもてる女性って何なんだろう?と思いました。男は人と争って特定の女性を求めるわけで,そのモチベーションとして「綺麗」ということがあるのでしょうけど。権力者だったらたくさんの女性を抱えているので,別に特定の女性にこだわらなくてもいいんじゃない?って気もします。なのに権力者に限ってさらに美しい女性を手に入れようとしてトラブルを起こす話は昔からたくさんあって,綺麗というのは,たくさん女性を抱える男性でも,さらにモチベーションを高める作用があるというか。
逆から観ると,男性を争わせるために,女性の魅力があるともいえて,まぁNHKスペシャルのメスライオンもオスライオンからみたらずいぶん綺麗なメスだったんだろうと。なんつーか,罪だよなぁ,そんなことを思いました。ライオンの話ね。
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08/09/21:Bugge Wesseltoft solo( at リキッドルーム)

2008-10-01 21:03:33 | 音楽・アート
ちょっと遅れましたが,ライブレポート

Jazzlandレーベルの総帥ブッゲ・ヴェッセルトフトのソロコンサートに行ってきました。ブッゲは好きなミュージシャンで,ライブは2回ほど見てますが,今回のライブは全く知らなくて,数日前にmixiで知ったくらい。そもそも会場がリキッドルームだし,ライブの形態も,場所柄か,DJを前後にはさんだクラブ形式。実際ジャズファンらしき人はお客の中にはほとんどいなかったのだけど,ブッゲの日本での主なファン層っていうのは,現在こういう感じなんでしょうか。クラブに行くのは以前ROVOのライブとかでよく行っていたけど,座る場所もあまりなくて,演奏の順番もわからないこういう形式は,お年寄りにはちょっとつらいものがあります(苦笑)。そうはいっても今回は19時半過ぎに当たりをつけていったら,20時過ぎからブッゲの演奏が始まり,非常にラッキーでした。
で,ブッゲの演奏。現在の最新盤「IM」を意識したようなピアノのソロの演奏でした。もちろんそれはブッゲ風というか,エレクトロニクスをフル活用したソロピアノで,サンプラーとかエフェクタでその場で弾いたピアノの音を加工しループさせさらに演奏を重ねていくという形。ピアノは鍵盤を弾くだけじゃなくて,たたいたり,弦を押さえたりして多彩な音を出していたし,自分の声や手拍子とかもサンプリングしてました。簡単なシンセももってきていて,ベースパートぽいところをサンプリングしたりもしてました。
演奏のアブストラクトな感じは,ちょっと難解な感じで,なんとなくプリペアド的な印象を受けるのが,白人らしいなと思います。ピアノの演奏自体はいわゆる白人ヨーロッパジャズ的で,演奏するとさすがにしっかりしたテクニックを感じますが,そもそもあまりピアノを弾かない(苦笑)。現場で弾いた音をその場でサンプリングして,それに合わせてソロを弾くと言うとジャコパストリアスをはじめとして,ギターやベース奏者とかに多いのですが,そもそもそれらはギターとかがピアノに比べ同時に出せる音が少ないので苦肉の策としてテクノロジーを使っている感じがします。でも,ブッゲの演奏はそもそもピアノだし,なぜこういうことをする必要があるのか?と最初のうちは思ってましたが,ブッゲの演奏はピアノの伴奏のためにサンプリングをするわけじゃなくて,むしろサンプリングの方がメインです。最初のほうはピアノを割りと弾いてましたが,演奏が進むにつれて,むしろ楽器の演奏よりも,エフェクタやサンプラーをいじっている方に熱が入ってきました。つまり,彼の演奏はピアノメインというよりは,音源を生で作るDJという感じがしました。
出音はピアノソロなのでそこまで激しいビートを刻んでという風にはならないのですが,エフェクタを積極的に使い,ピアノから声までを駆使した多彩な音で,お客は飽きることなく盛り上がってました。
が,最初に書いたとおり,この辺の客ってブッゲのファンなのかとちょっとその辺が不思議な気分でした。あとどうでもいいことかもしれないけど,たまたまなのかクラブはそういうものなのか,演奏中に電話してるやつがいて驚きましたよ。
まぁそれはいいとして,ブッゲの演奏は久しぶり。非常にオリジナリティが高い演奏だし,それを若い人に楽しく見せるというあたりも含めすばらしい演奏でした。こういうのブルーノートとかピットインとかでやるのは無理なのかなぁ…とかちょっと思いました。
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世間のいじめのヒエラルキー

2008-10-01 09:03:07 | 社会
中山元大臣の発言はひどくて,どこにも賛同しません。でも当人は単一民族とごね得の件は訂正したのですが,日教組の話は否定せず,まぁ彼には何か思うところがあったようです。その信念に従うかどうかは,選挙区の有権者が判断すればいいと思います。
ちょっと話がそれますが,日教組というと,わたしが高校のとき日教組の先生達がストライキを良くやっていたので,当時はいい印象ありませんでした。学校に行ったら先生がストやっていて,別の日に補習とかやらされましたから。今になってみたら,先生も労働者の権利とかあるので,組合活動をするのも当然のように思いますが,まぁ当時は学生だったので…。でも皆さんも例えば電車がストしたりして通勤に影響がでたら,ろくでもないなぁ…と思うでしょ?。でもない?:-p。

と,これは余談でしたが,本題は,そういえば,ちょっと前は先生たたきを世論(*ここでいう「世論」は実態がないのですが)はやっていたと思うのですが,今度は先生の悪口を言った政治家を叩くんだ…と思ったことです。大分の不正採用の話は良く知りませんが,日教組というより教育委員会のほうの問題なんでしたっけ?。その辺をきちんと区別して日教組への攻撃を言いがかりだと思っていたのかはわかりませんが,なんか世論が教員の悪口を言うのはいいけど,政治家が教員の悪口を言うと政治家が叩かれるのねと,そういうことを思いました。普段世論は役人の悪口をいいますが,政治家が役人の悪口を言うと,世論はどっちの肩を持つのかしら?。
なんとなく大臣←議員←官僚←(教員・警察)←公務員←医者←(公共サービスの職員・経営者)←←←(世論)みたいな感じで文句を言いやすいようなヒエラルキーがあるんじゃないか?とかそういう気がしてきました。いや,順番はかなり適当なんですが…。
で,文句を言う人はいつも自分を最右翼の「世論」の様に思っているのかもしれませんが,いつ自分がこの左側に入れ込まれるかわからないというのが,つまりいついじめるほうからいじめられるほうに入るかわからないという日本のいじめの構造に類似してるよな,と思いました。

いや,冗談なんですけどね。
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