思考実験をひとつ。
人間というのは因果関係を外から見ることができる生き物です。つまりある起きたことと,別の起きたことを結びつけて,原因と結果の様に結びつけることが出来ます。あることが起きると別のことが起きるという風に出来て,結果的に,今起きたことから未来を予想することもできるようになります。外からというのは,自分のことも想像でき,他人に起きたことから自分の未来を想像することも出来るという意味です。
他の人の頭の中はみたことありませんが,たぶん人間は大抵それが出来ると思われます。
この因果関係を外から見ることが人間以外の動物に出来るのかは知りません。でも,パブロフの犬みたいなことがありますから,動物もあることが起きたらあることが起きるということを,意識してるかどうかはわかりませんが,行動に結びつけることは出来るようです。もっと本能レベルで,因果関係が結び付けられていることはありますが,後天的に因果関係を習得するということが,結果的に外から見ることができることにつながっているように思います。
つまり人間は因果関係を想像できるので,目の前にある種籾を食べずに土に植えて我慢すれば半年後にもっとたくさん食べることを可能としたり,気候の変動に備えて衣服や住居を作ったりと,より多彩な環境に適応出来るようになったのだと思います。つまり進化論的に因果関係を外から見ることが有効だったから,そうなったのでしょう。
ところがそうやって因果関係を常に外から見るというのは,今目の前にある事象から未来を予測して,いろいろと備えることを常に行うようになります。そうなると逆に未来が想像できない,想像できるだけのに十分な情報を得られない,経験したことがないことが目の前にある,どうしてそうなったのかわからない結果があることが,とても不安になります。
自分はどうしてこう不幸なんだろう?ということを明確に誰かが答えてくれ,腑に落ちたときに,ある教えに人は染まることがあります。宗教にはそういう面があったりします。さらに,未来に備えようと無意識にしますから,目の前にある経験したことがないことは,きっと悪いことの兆候に違いないと思います。何がたいした問題じゃなくて,何が重大なことなのかわからなくなります。そうして人は不安を覚えるようになります。
不安というのはそうやって生まれたように思います。
最近食べ物にちょっと臭いがついていたり,何かが検出されたりすると,パニックのように皆さん不安になっているようですが,身体になんの影響があるかわからない,つまり少量ではすぐには影響がでないようなものでも,逆にはっきり影響がでないので不安になるのでしょう。影響がでないのに,なんで基準があるの?。基準があるから基準を超えると不安になるんでは?とかちょっと思ったりします。まぁでも不安というのは上に書いたとおり,因果関係を想像することの暴走みたいなものです。もちろん進化的に有利だから身についた能力でしょうが,今でもそうなのかは良くわかりません。
人間というのは因果関係を外から見ることができる生き物です。つまりある起きたことと,別の起きたことを結びつけて,原因と結果の様に結びつけることが出来ます。あることが起きると別のことが起きるという風に出来て,結果的に,今起きたことから未来を予想することもできるようになります。外からというのは,自分のことも想像でき,他人に起きたことから自分の未来を想像することも出来るという意味です。
他の人の頭の中はみたことありませんが,たぶん人間は大抵それが出来ると思われます。
この因果関係を外から見ることが人間以外の動物に出来るのかは知りません。でも,パブロフの犬みたいなことがありますから,動物もあることが起きたらあることが起きるということを,意識してるかどうかはわかりませんが,行動に結びつけることは出来るようです。もっと本能レベルで,因果関係が結び付けられていることはありますが,後天的に因果関係を習得するということが,結果的に外から見ることができることにつながっているように思います。
つまり人間は因果関係を想像できるので,目の前にある種籾を食べずに土に植えて我慢すれば半年後にもっとたくさん食べることを可能としたり,気候の変動に備えて衣服や住居を作ったりと,より多彩な環境に適応出来るようになったのだと思います。つまり進化論的に因果関係を外から見ることが有効だったから,そうなったのでしょう。
ところがそうやって因果関係を常に外から見るというのは,今目の前にある事象から未来を予測して,いろいろと備えることを常に行うようになります。そうなると逆に未来が想像できない,想像できるだけのに十分な情報を得られない,経験したことがないことが目の前にある,どうしてそうなったのかわからない結果があることが,とても不安になります。
自分はどうしてこう不幸なんだろう?ということを明確に誰かが答えてくれ,腑に落ちたときに,ある教えに人は染まることがあります。宗教にはそういう面があったりします。さらに,未来に備えようと無意識にしますから,目の前にある経験したことがないことは,きっと悪いことの兆候に違いないと思います。何がたいした問題じゃなくて,何が重大なことなのかわからなくなります。そうして人は不安を覚えるようになります。
不安というのはそうやって生まれたように思います。
最近食べ物にちょっと臭いがついていたり,何かが検出されたりすると,パニックのように皆さん不安になっているようですが,身体になんの影響があるかわからない,つまり少量ではすぐには影響がでないようなものでも,逆にはっきり影響がでないので不安になるのでしょう。影響がでないのに,なんで基準があるの?。基準があるから基準を超えると不安になるんでは?とかちょっと思ったりします。まぁでも不安というのは上に書いたとおり,因果関係を想像することの暴走みたいなものです。もちろん進化的に有利だから身についた能力でしょうが,今でもそうなのかは良くわかりません。