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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

死をどうリアルに考えるか?

2014-09-02 23:40:40 | 医療・福祉
極東ブログで「率直に聞くんですが、どんなふうに死ぬつもりでいますか?」という文章があった。その前の日のガンの話も面白かったのだけど,ちょっとこっちのほうを先に取り上げます。親父の高齢に従って,私もいろいろ思っていたので。

極東ブログに健康寿命と平均寿命の差が10年くらいと書いていた。これって要は,介護認定(支援も含むのかな?)を受けて死ぬまでの期間って意味ですよね?。うちの父は,半年も入院してなかったし,介護認定を受けてデイケアとか行っていたのはたぶん5年もなかったと思います。私が手術した8年前は上京して立ち会ってくれたし,翌年結婚した時も,車を運転していて,こちらを心配させていたくらいだし。まぁ車を運転していていても,下がゆるくなってもらしたりとかはじめていたみたいで,介護認定とか受けたら?と勧めたのはそれくらいだったと思います。

なんせ死ぬ半年前までは仕事してましたからね。ちなみに父が死んだのは米寿ちょっと手前,なので決して若死にではありません。そういう意味では実に手がかからなくなくなってくれたとなります。もっとも健康な時から,別の意味で手がかかる人でしたが。

あと,興味深いなぁと思ったのは,生きたいとか生きられるとか思う年齢と平均寿命で平均寿命の方が長いって事。つまり皆さん,想定外に長生きしてるって事。

自分の父親が80過ぎたあたりから,実はずっと「どう死にたい?」とか「死ぬこと考えてる?」とか聞きたいと思っていたのですが,平均寿命を越えた人にそれを聞くのは残酷ではないか?と聞けませんでした。考えていたのかどうかわかりませんが,遺言も残してくれなかったので,考えてなかったのか,考えたくなかったのか…。

わたしの父は若い頃から高血圧で薬を常用しており,脳溢血になったこともあり,他にもいろいろ不具合があって,どう考えてもうちの家族では一番先に死ぬだろう…と思っていたら,8年前に私がガンになり,その翌年には,母がガンになり,死にそうにしていて,うちの父的には戸惑っていたのでは? という気がしました。幸いにも私も母もまだ生きてるんですが,もしかしたら父は,私や母よりも先に死なないといけない…という意識があったのでは?という気も,ずっとしてました。一人で生きていけるような人ではないので。

極東ブログで死が怖いと思ってない人が多いと驚いてますが,どうなんでしょう?。そういう意味で,父はどう思っていたのかな?と思うし,母は抗がん剤の治療がしんどかったので,こんど再発したらもう治療は勘弁…とか言ってました。私自身もガンで死ぬことをリアルで考えたせいか,怖いか怖くないか? というのはその時にならないとわからないけど,「まぁ,人って死ぬよね?」…とは思ってます。でも,40ちょいでガンになったときは,60まで生きられると幸せだなぁと思ったものの,そこから子供が生まれるまで5年くらいかかったので,子供が成人できるまで生きてるとうれしいなぁとか,社会人になるまで生きてるとうれしいなぁ,結婚するまで,孫が出来るまで…と望めば切がなくなってます。無理でも仕方ないとも思ってますけど。

その時にならないとわからない,というのは,今はそう思ってるけど,実際にまたガンとかになって余命宣告とか受けると,考えががらりと変わる可能性があるってこと。つまり死が怖いかどうか?っていうのは死をリアルに感じている心境か,そうでないか?では違うんではないか?と思います。そういう意味でも,父は死が迫ってどう考えたんだろうか?。特になくなる前の1ヶ月間ぐらいは,どうだったんだろう?…と今でも思います。
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ガン治療は多かれ少なかれ賭けの様に思う

2011-12-03 21:53:34 | 医療・福祉
10日ほど前の話。イレッサの高裁判決が出た。毎日新聞は批判的。ネットをみるとどっちもあった。

一般論的には抗癌剤に副作用があるのは当たり前だし,ドラッグラグが問題なのは事実なので,こういうことは防げない(ある意味しかたない)という言い方は出来る。でもエビデンスとかに詳しい人にはイレッサ自体が延命効果があまり無い割りに早急に認可されたという話もある。個々の事象をみたら問題があったのかも知れないけど,良くわからない。ただ裁判の争点に限っていうと,判決は妥当な気もする。

自分が抗癌剤治療を受けてない事もあって,わたしは少し抗癌剤について頭で考えてるんだろうなと思う。体験があればもっと副作用の危険性や選択の切実さについてもっと感情的に理解できるだろうから,割りきれないものを感じるかも知れない。

とはいえわたしも手術を受けるときは,死ぬかも知れないという可能性をずっと考えてた。手術自体は普通の開腹,膵尾摘出だったから,その場で死ぬことは無いのだろうけど,麻酔の事故や,止血の事故などの可能性はゼロではないわけで,死ぬかもとは思っていた。入院前に自宅でみられたらまずいものを結構捨てましたから(苦笑)。わたしは小学校1年の時と2年の時にも簡単な手術をしたのだけど,全身麻酔で,麻酔に落ちていくときに,親に「このまま目が覚めないかも」と言ったらしい。子供は寝るときに恐怖を覚えるものだけど(わたしは子供の頃そうだった),麻酔という逆らえない眠気に普段よりその恐怖は強かっただろうなぁと思う。

話がそれた。いずれにせよどんな医療でもリスクがある。特に癌の場合,処置をしないと死ぬのだから,比べる方の治療もより深刻なリスクまでターゲットになる。つまり治療がうまく行かなければ死ぬということまで想定となる。うまく行けば,完治したり,延命もするのだろうから,両端の差は物凄いものになる。

そういう意味で言うと,最初の社説にある「安全」とは何なんだろう?と思う。ガンのような深刻な病気の場合安全を選ぶのではなく,助かるための賭けの様なものがわたしにはあったので。

とはいえ,「副作用ほとんどない抗がん剤」などという能天気な見出しをつける新聞を見ると,深刻に考えることを邪魔してるのはマスコミじゃないか?という気もする;-)。
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医者の役割

2011-11-14 16:01:16 | 医療・福祉
医者を信じるしかないのだけど」なる文章を読みました。お母さんが悪性リンパ腫になったのだけど,お父さんが以前がんになって,医者に言われるまま治療を受けていたら,結局亡くなったという経験から,今回も医者の話を聞くのに戸惑いがあると。「医者に対する恨みみたいなことはないけれど,かといって全面的に信頼をすることもできない,という気持ちだけは残ってしまいました。」という言葉は,納得するとともに,筆者の人柄の良さをわたしは感じました。とにかく医者を恨む人もいるからね。

私自身は医者を全面的に信用しなくても別に医者に失礼じゃないと思うし,でも,治療方針については結果的に言いなりにならざるを得ないんだろうな…と思ってます。もし担当のお医者さんが信用できなかった医者(病院)を代えるしかない。医者全体が信用できないのではなく,その医者が自分の考えと合わなかっただけだろうな,と思います。

わたしは結構な大病院で手術を受けましたが,担当の先生は一日何本も手術をして,その後は回診したり,外来を受けたりと,とにかく忙しそうでした。手術前の説明は2時間くらいかけてじっくりと話しましたが,その後の回診とか外来は10分とかまぁそんな感じ。それでも朝早くから夜までいて大変だろうなぁと入院中思ってました。

だいたい,わたしからすると自分のがんは命に関わって大変なことですが,先生からみたら,毎日何本もやってくるお仕事の一つです。わたし一人に集中するのは無理なのは良くわかってました。それでもまぁそれで良いかなぁとわたしは思っていたし,忙しいからかもしれないけど,受け答えは簡潔で,頭の回転は速そうに感じたし,わたしの病気はたくさんある案件の一つにしか過ぎないのだろうけど,でもむしろその経験の多さの方がわたしには良いと思えたのもあります。

ですから,わたしの病気も,その先生からすると,多くの経験から,「普通こうだろう」という対処をやってきただけかもしれません。自分に例外的なことがあるとしたら,それは自分で他の病院をあたるとかやったほうがいいのでしょう。あと精神的な悩みをその先生にぶつけるつもりもありませんでした。退院後,再発におびえた時,わたしは手術をした大病院ではなく,近所の内科に行って,(当時便秘がひどかったので)お薬をもらったりしました。そっちの方が話術的には人当たりも良くて,まぁ少し落ち着いたとか。

高価な自然食品には手を出しませんでしたが,青汁を飲んだり,冷たい水を飲むのを止めたり,手洗いに気をつけたり,いろいろやりましたが,それも病気が治るというよりは,精神的に落ち着けるためにやってるという自覚が自分にはありました。

医者はわたしの体を切って病巣を取り出してくれるけど,心を落ち着ける手段は自分で見つけないといけないとずっと思っていたし,暴走的に変なことをする自分をその時は許してあげてました。

まぁ今でもそう思ってます。病気になった自分の医者はすべてを救ってくれるわけではなし,そもそもその「お医者さん」が常にいい人とも限らない。ミスをされたらたまらないけど,でも,不可抗力な事もあるだろうし,そもそもがんで死ぬのは日本人としてはそんなに珍しい話でもないのです。

安心と満足は結局自分で探さなければいけなくて,病気を治すのもその一部だと思うと,医者に頼るのも一部でしかないわけです。オカルト嫌いの人が呪いをやる人を馬鹿にするけど,わたしは病気を病院で治しつつ,呪いで気分を落ち着けるのは何も矛盾したことと思いません。単なる分担でしょう。まぁだから医者を全面的には信頼できないというのはそんなに変な話ではないんじゃないかなぁ,そう思います。
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膵内分泌腫瘍の記事

2011-11-03 18:43:05 | 医療・福祉
先週,アエラを買った。普段買わない雑誌だけど「ジョブス がんの真相」というタイトルに惹かれた。ジョブスの業績とかじゃなくて,彼のかかった癌の話が少しは書いてあるのかな?と思ったので。

彼がかかった癌は膵内分泌腫瘍で「いわゆるすい臓がん」とは異なる。ネットでも報道でもすい臓がんとごっちゃに語ってるのを良く見かけるが,結構違う…と思う。なにせ膵内分泌腫瘍は膵臓にできるがんの5%程で,「稀ながん」なのでたぶん症例とか経験談が少ないのだろう。だから何かを語ろうとするとすい臓がんの話になってしまっているようだ。

わたしがかかったがんはまさに膵内分泌腫瘍なので,病気になってずいぶん調べたが情報が少なくて困った。国立ガン研による膵内分泌腫瘍の説明がおそらく現在の日本の医学界の見解であり,他の医療機関の説明も基本的にはこれに倣っている。それ以上の情報や経験談はほとんどない。以前はこのがんにかかった方のブログがあったのだけど,お亡くなりになってしばらくしてページは消えてしまった。とても情報量が多いページだったので非常に残念に思っている。

今回雑誌の取材であれば多少は専門家の意見が読めるかと思って読んだ。

雑誌でもすい臓がんの話を書いていたりして,紛らわしいところが多いけど,内分泌腫瘍の話を書いているところも多い。内分泌腫瘍が膵臓にできたとみなしてよく,甲状腺にも同じようなものができるという見解は初耳でほーと思った。ただ,ハーバードの医者が言っている90%が良性という記述はがん研の説明とは異なる。がん研は半数以上が悪性と書いている。アエラよるとジョブスのは「グルカゴノーマ」と予想しており,良性が多いインスリノーマではない。ちなみにわたしのはたぶん無症候性腫瘍で悪性は50%の確率。続けて同じくハーバードの医者の「死体解剖をした人の10%がこの腫瘍をもっていながら死ぬまで症状がでなかった」というのは妙な書き方だなぁ。死体解剖をした人という母集団が良くわからない。

あとその医者が診た100%の患者が10年以上生きているっていうのもまぁ10年生きればいいってものでもないっていうか。ジョブスも診断から8年程度生きてるわけで,10年に近い。わたしが読んでいたブログの人も10年近くは生きていたけど,でもそれくらいだった。がんの治療成績で5年生存率というものさしがあるけど,そのせいか5年越えれば治療成功という意識でもあるんじゃないか?という気もしてしまう。

ジョブスが手術から5年間無治療だったという話は本当なんだろうか?。少なくとも5年に至る手前に既に痩せていて世の中を心配させた。わたしはその時に再発したと思ったし抗がん剤治療を始めたのだろうと思ったんだけど,違うんだろうか?。あと肝臓移植も肝臓に転移していたとみなすのがリーズナブルだと思うのだけど,そういう発表は結局されていない。まぁしなくてもいいと思うのだけど,ジョブスの病状は株価に影響を与えており個人的な問題ではないと言われていたところをみると,少しひっかかるものがある。

肝臓移植を受けたという話を聞いたときに,さすがお金持ちのアメリカ人だなぁとわたしは思ったのだけど,移植は免疫抑制剤を使うのでがんにはよくないという意見を読んで,なるほどと思った。そうだよね。わたしも手術のあと,免疫力が下がるのをものすごく気にしていたもの。

という風に少しジョブスの治療の経過の発表は少なくとも日本のがん治療の流れからすると妙なところがあって,正しい情報なのだろうか?それとも治療方針が日米で違うのだろうか?と疑問は残った。

…などと引っかかるところは多かったけど最初に書いた通り内分泌腫瘍の情報が少ない現在,わたしにとっては非常に興味深い記事だった。これからジョブスの病気が話題になることで,内分泌腫瘍についての医師の意見が出てくると個人的には助かる。
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がんによる死はましか?

2011-10-23 06:41:50 | 医療・福祉
がんの話題が続きます。あまり明るい話題ではないので,続けるべきか?という気はしますが,ジョブスの話題で,ちょっといろいろ目について思うこともあるので。

全快取り上げたジョブスの死因の話で膵臓がんが怖いという話になっていることから,がんで死ぬことは不幸なことという前提だとわかります。また先日ニュースで聞いたがんの半分は予防可能ということからも,がんにかかる人を減らしたいという前提だとわかります。おそらく多くの人ががんで死ぬのは怖いことだ…と思っているって事でしょう。まぁ怖いですが(^^;)。

一方,わたしがガンにかかっていろいろネットで調べているときに,読んだ意見で「がんで死ぬのは他の病気で死ぬより幸せである」というのがありました。死ぬのを幸せと書くと反発を覚える人も多いので,ここでは「まし」と置き換えましょう。そこで読んだ内容は,実は結構納得できるものでした。ただ当時,わたしはがんで死ぬことにおびえてましたので,がんで死ぬのはマシだと書くと言霊になりそうだったので,頭には置きつつ書くのは控えてました。というわけで,この時期に改めて書きます。

病死と事故死,自殺等の死因を考えた場合,病死が一番マシなのはいうまでもないと思います。ちなみによく「老衰」が良いと言われますが,最近は老衰も直接の原因を特定し,病死という分類に入るようです。それで,病死の原因をみると現状はがん(悪性新生物)が死因としてトップですが,それ以外だと,心疾患,脳血管疾患,そして肺炎が多い様です。ちなみに医療が発達する以前は,死因というと肺炎か食あたりが多かったと聞きますが,昨今食あたりで死ぬ人は少ないのでしょう。

で,例えば心疾患とか脳血管疾患とがんを比べた場合どうでしょう?。イメージでは心疾患とか脳血管の疾患は持病として長く持つ人はいますが,亡くなるときは一瞬の発作で亡くなる様な気がします。つまり死ぬ準備が出来てないで亡くなるわけです。知らない間にとか,死と向き合わないでちょっとだけ苦しんで死にたい方は,確かにこれは良い死に方かも知れませんが,いろいろと身の回りの整理や残される人にいろいろ伝えたいとか思っている人には,突然すぎる気がします。そういう意味では,病状が悪化してからは数ヵ月で亡くなるがんというのは,もしかしたら少しは準備が出来る…のかもしれません。もちろん末期ガンの痛みによる辛さが知られてますが,がんの痛みは鎮痛剤である程度弱めることができます。そして死因とはちょっと違う観点ですが,がんは亡くなる直前まである程度意識がしっかりしてるということです。がんで体が麻痺したり痴呆になったりすることは脳神経のがん以外では稀でしょう。それにがんは進行を始めると止まりませんから,中途半端なところで止まったり,長引いたりはしないのです。

つまりがんは寝たきりとか意識が怪しくなるのは本当に末期で,そうなったらアットいう間に亡くなってしまうわけで,世話をする周りの人にとっては,実は結構迷惑をかけない死に方だ…というのが,がんをましな
死に方…という意見の内容でした。

…という意見は実はわたし自体は納得してます。がんで死ぬ事自体はそんなに不幸ではないのではないか?と思ってます。ただがんが不幸なのは,若くしてなった場合の話です。がんは気をつけて生活していても,発見が遅れれば手に負えない状況になってます。元気そうに見える人がアットいう間に亡くなります。これは不幸でしょう。でも十分に歳を取ってからはむしろがんで亡くなるのはそんなに悪いことじゃないような気も,わたしはします。

となると死因としてがんが増えていますが,がんの若年化が進んでいるか?ということが気になります。上にリンクしたページをみると年齢調整をするとがんはむしろ減っているとのことで,つまり若い人のがんが増えているわけではない…ということで,がんが増えてるのは高齢者が増えているから…って話になります。

となると,大雑把にがんを防ぐ…っていうのは,意味があるのかな?…という気もしてます。高齢者になってがんでなくならなかったら,いったい次はなんの病気で亡くなるのでしょうか?それは苦しまずに迷惑をかけられずに死ぬ病気でしょうか?

わたしは,まぁ80まで生きられたらがんで死んでもいいかな…と思ってます。40でがんになったときは60まで生きられたら幸せ…と思いましたが,すみません,いまは少し欲がでました。息子が成人して子供ができて,ちょっと孫と遊べるくらいまでは生きたいかなぁ。孫に自分の死ぬところを見せられるとしたら幸せだと思ってます。息子に未成年で結婚しろ…というのも,自分を省みるとちょっとムチャぶりなので,余裕を見ると80くらいかなぁとか(笑)。
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病気になって思ったこと

2011-10-21 00:32:53 | 医療・福祉
自分が癌になっていろいろ追い詰められて考えて思い至ったことは幾つもあるんですが,今のネットの話題で,それはわたしは身につまされて思ったことだよ…ってことがあったので。

一つはすい臓がんが怖いという話。ジョブスがすい臓がんで亡くなったのですい臓がんの怖さが話題になってました。すい臓がんが怖いという話は,これまで有名人がそれで亡くなるたびに話題になります。ガンの王様と呼ばれるくらい怖い病気であることをこういう病気が話題になってはじめて知る人が多いようです。というか,わたしも自分が癌になってはじめて知りました(苦笑)。とはいえ,わたしのすい臓がんはいわゆるすい臓がんとは違う内分泌腫瘍で,すい臓がんの中では進行が遅くて長生き可能と言われてます。なので,有名人がすい臓がんで亡くなった話を聞いても,どこか「自分とは違うケースだな」という想いがあったのですが,今回のジョブスの病気はわたしと同じ病気なのでそういう意味では,身につまされるし,一方で,わたしの様に助かってる人もいるよ…という気分でもあります。

ガンは亡くなった人の方が話題になるので,生き延びてる人もいるっていうのはがん患者になって知ると結構勇気を持つのですが…。まぁいま手を挙げるのもちょっとなぁ,とか思いながら読みました。ガンって日本人の病死の原因のトップだけど,やっぱりあまり知られて無いよなぁ…と自分の経験も振り返り改めて思いました。

…別の話題。

ひろゆきがどこかで発言した「福島の放射線の強い地域に残ってる人は、覚悟を決めてるのか、楽観的なのか、何も考えてないのか3つのうちのどれかだと思うのですが、「仕事がある」とか言ってる人って、目の前の日銭と自分や家族の人生を天秤にかけて、日銭を取ってるってことですよね。不思議。」…って発言。

わたしは放射線が強いところにいる子供を抱えた人は,子供と母親だけでも疎開すべきだと考えているので,それを煽るための発言であれば,まぁ言ってることも理解できますが,でもやっぱりちょっと言い方としては違うかな…と。前後の流れもあるんでしょうが。

日銭のために人生をかけるというと,基本的には人間はそういうものだよな,と思います。皮肉を言うと,年金とか国債だって,今の日銭のために将来に借金を積み上げてるわけです。今,食べるために将来のことに目をつむると言うのは結構普通に行われていることじゃないでしょうか。

そういう大きい話じゃなくて,自分の経験でも,開腹手術をして一月も経たないうちに,わたしは職場復帰したのですが,その時はいすに2時間座るのも不安な状態で,体中にストレスがかかりまくっていて,このストレスで再発したらどうしようとか,良く思ってました。言葉通り,命を削って仕事をしてるという感覚がその時はあって,でも「命を懸けるほどの仕事ですか?」とか結構自問自答してました。

これも日銭のために寿命を削っていたのかもしれません。好きか好きじゃないかとかそういう話でもないな,働くってそういうことだよな…と思うようになりました。弁当翁が「日銭を稼いで人生になる」と書いてますが,まぁそういうこと。

でも一方で,自分の寿命を縮めても子供のリスクを下げるのも親の生き方(手法は時代に依って変わりますが)だと思うので,放射線の強いところに家族共々住む事を仕方ない…とは言いたくないという心情はあります。
...

とまぁ,病気になって個々の命のはかなさみたいのをひしひしと感じたのですが,それだけに命を後の世代につなぐ事の大事さも痛感したのでした。
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卒業

2011-09-14 22:07:13 | 医療・福祉
一週間前ですが,5年間続いた経過観察が終了した。いろんな意味で節目。だった。

8月に日記を書いてないは,それとは関係なく単に忙しかったからです。
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社会に生きる事を後ろ向きに描かれても…

2011-03-04 06:43:27 | 医療・福祉
TVを観て思ったこと。

都会での(テンプレートな)成功が出来ず,大企業の正社員や,起業家になれなかった人達に,田舎に行き(帰り),その社会に根付いて生きていけば,収入が少なくても食べていけるし,生きがいも結構あるもんだよ…,みたいな報道(?)を時々見かけます。言われてみればNHKとか多いかな。…それは,正しいとは思います。でもなんか文脈が,そうする人達に「君は負けたんだから」と言ってる感じがして,引っ掛かります。もっと前向きに「元々こっちの方が人間らしい生き方だ」とか「将来性がある」とか言えないのでしょうか?。

それから,田舎のご老人の生活を補助して地元密着…とか言われても,なんだか,年寄りの生活を助けるために,そういう若者を呼び寄せているだけじゃないのか?…とか,ヒネタ考えをもってしまいます。

最近うちの近所とかをみていても,それなりに都心に近い住宅地なのに,介護とか老人向けの事業所が沢山あって,もう年寄りのマーケットしかないのか?…とか思ってしまいます。これからはお年寄を大事なお客様…として頼るしか無いのでしょうか。

世代対立を煽りたい気持ちはないのだけど,今のお年寄は,田舎を捨て,都会に出てきて,核家族を推進して来た世代なのに,その結果面倒をみてくれる家族がおらず…,今度は若い労働力を安価に頼るのか?…というと,誰を中心に世の中は回っているんだろうか?…とか,結局あの世代がぶち壊した家族や地域社会の建て直しに協力させられてるのか…とか思ってしまいます。まぁ自分の親も,そんな年寄りだし,わたし自身は親の跡を継がずに,好きな仕事についたわけだから,恩恵を被った世代にあたるのでしょうが。

いや,結論としては,多分あっていると思うのです。わたしは常日頃,社会に根付いた地味な仕事こそ価値がある…と思ってるわけだし。でも,なんか,「あんたらの都合がいいように使われてるだけじゃのか?」とかいう考えが頭をよぎり,すっきりしないものを感じました。そしてどこか暗いんですよね…。
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命より治療費?

2011-02-11 14:46:45 | 医療・福祉
記事「がんの心配、「死」よりも「治療費」」によると,ネット上のアンケート調査結果,ガンは,死ぬことよりも経済的負担の方が心配する人が多いという結果になったそうです。わたしはタイトルを見たとき,「死ぬのにお金の心配をするのか?」と思ったんですが,詳細をみると少し違ったようです。

このアンケートをみると,まずガンが治ると思ってる人が4割以上います。そして治療費が心配…ということですから,つまりお金をかければ治るが,そのお金をかけられるかが心配…っていう意味なんでしょう。がんにかかったときの対応も,医師が進める医療の他に自分がよいと思う治療,費用がかかっても先端医療…という人もいるので,つまりは保険適用外の高額な治療に期待している…ということも言えるかも知れません。

わたしは,ガンが治るか治らないかは一概に言えないと思っていて,例えば早期ガンは手術すれば治るので,むしろたいして治療費がかかりません。長期に費用がかかるのは抗癌剤や先端医療やあやしい療法で,これを長期に続けるガンというのは,むしろ完治が難しいものではないでしょうか?。ただ抗癌剤で数年生きるケースも結構あるし,その中には未承認の抗癌剤である場合もあるので,確かに大量のお金をかけたらその分長生きできた…というケースはあると思います。

ただわたしは,そのケースよりも,高額な医療を受けても,延命の期間は程ほど…というケースをまず想像してしまいます。ですから,治療費の心配というのは,延命の対費用効果…,つまり死とのバランスで考えます。死より治療費という表現はちょっと違うんですよね。極論をいうと自分が生きていて仕事を続けて稼ぎ出すお金から治療にかけられるお金がプラスかマイナスかで治療を受けるべきかを考えてしまいます。もちろん蓄えを切り崩せば何年か治療を続けられるかも知れませんが,家族に幾らか残したいとか考えたりで,その辺のバランスを考えます。

ちなみにわたしの場合は,高額医療費の自己負担分…つまり年間100万くらいは,高いとは思うけど払えるかな…とは思うので,わたしのいう経済的に負担となる治療費は,もっと高い額を想定しています。この辺は個人の経済事情で違うとは思いますが。

まぁ大雑把にいうとわたしも死は心配してもどうしょうもない…とも思うので死よりも治療費が重要な問題…というのは,聞かれたらそう答えるかも知れません。でも,先日も書きましたが,どうもガンはお金さえかければ治る…という認識が増えてるような気がして,それってあってるの?…とこういう記事を読むと思います。

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イレッサの件

2011-01-29 01:57:19 | 医療・福祉
イレッサ訴訟 学会は和解反対して結果的に政府も和解を止めたって話。

わたしは自分が癌をやった事からの意見としては,抗癌剤の害を普通の治療薬や予防注射と同じように薬害として扱うには抵抗があります。それは抗癌剤にはドラッグラグの問題があること。そして癌は治療をしなければ死ぬ病気であることが一番大きな理由です。そして抗癌剤治療は基本的に延命治療であること。また癌細胞は体の一部だから,癌細胞を正常な細胞を傷付けずに全滅させることは多分無理だろうと思うことも,他の薬と違う点だと思います。

癌は治療をしないと死ぬけど,抗癌剤を使うと余命が延びる場合がある,それにかけて患者は治療をうけるわけです。抗癌剤で完治が期待できないのであれば,治療を受けても遅かれ早かれ死ぬわけです。それが治療をうけない場合よりも短くなるっていうのは,確かに悲劇ですが,助かる人が亡くなるという他の薬害とは違います。

確かにイレッサは他の抗癌剤よりも事故率が高いというのを聞いたことがあり,そういう意味では問題があったのかも知れません。ただそれはその薬を認可したことの問題よりも,患者や家族にリスクの説明をしたかという話になり,国を訴えるという話になるのでしょうか?と思います。

それと以前から気になってるのは,メディアもそうですが,抗癌剤治療が,あたかも癌の完治が期待できるかのように取れるような紹介をしてる点です。実際,無治療で治る人が稀にいるくらいですから,治療で完治する人もいるんだとは思います。また手術と併用しての抗癌剤は再発の防止になります。でも多分,再発後に抗癌剤の治療をした人や,手術が出来ずに抗癌剤の治療をした人の多くは完治はせず,延命としての治療ではないでしょうか?。もちろん数十年延命できる人もいますが。

どうも,報道やWebをみてると抗癌剤治療を受けても,結局はがんで亡くなるというのをあまり明に書いてない気がします。それをあまり認識してなくて,治療をうけた人もいるんじゃないか?と少し思いました。

余談ですが,一部の医者も含めての考え方で,癌が完治するという考え方もある様に聞きますが,とりあえず,わたしは今はそう思ってません。諸説あるので上記はわたしの意見に過ぎないことをお断りします。
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