たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

年寄りの説教じみた話ですが…

2010-02-17 23:18:40 | ココロ
ネットで最近の新入社員が「新人に電話を取らせるのはおかしい」といったとか言わないとかいうのが話題になっていました。

まぁ,他愛も無い話だなぁ…と思ったりもします。なんか「最近の若い人」というくくりになってますが,自分が若い頃も,なんで若い人に雑用やらせるんだよ…とは思っていた気もします。面と向かっていわなかったけど。だからこういうの昔からあるんじゃないですか?。

で,電話の話。わたしは若い人にやらせるべきと思いますが,それぞれの職場の事情があるので,それが絶対だとはいいません。ただ,なんとなく思うのは,若い人は自分は電話応対が出来るけど,面倒だからやりたくないと思ってるような気がして,それは間違った認識だなと。面倒なことをやるのが仕事なので,面倒だからやらないのは仕事をえり好みする人ということになり,仕事を任せられません。あと,もっと大きいのが,電話できると本人は思っていても,案外出来なかったりするんですよ。友達と電話するわけじゃなくて,お客さんとか業者とか,そういうところに電話して,相手のいうことをきちんと理解して,相手を不快にしないように伝えるとかそういうの。

若いときは頭では自分は出来ると思っていても実際にやってみると出来ないこと。また自分は出来てると思っても,相手は不快に思っていたりすることって結構あります。だから訓練という意味でやるべきでしょう。

もっとも上司も手分けして半分くらいはやってあげてもいいとは思いますけどね。わたしは新入社員の頃,上司がバンバン電話かけまくって情報を集めてるのを観て,こういう風に仕事とはするのかと思ったことがあるので,うまく電話ができるというのは,結構難しいし,できれば武器になると思ってます。

とかいうことを考えると,最近オリンピックで話題になった国母さん。けしからんという人と,騒ぎすぎとかいう人いろいろあるんですが,まぁわたしもあんまり引っ張る問題ではないと思いつつも,一度はしっかり怒ってあげたほうが良いと思うので,現状くらいでいいんじゃ無いですかね?。

腰パンツがかっこいいとか,彼らしいとかいう人もいますが,それはきちんとした格好をできる人が,そうすればそうかもしれませんが,それしか着こなしが出来ないとか,深く考えずにやったとかであれば,別に誉められたものではないと思います。謝罪会見で,きちんとフォーマルな格好をしてきて,それも日本のサラリーマンとかの格好じゃなくて,ヨーロッパの紳士くらいの格好をして出てくれば,この人,きちんとした格好が出来た上で自分らしさで腰パンなのね,とますます評判を上げたでしょうに。

数日前の言戯に知ってることと分かってることって話が載っていて,あぁそうそう,若いときって実際にやったことないのに知ってるだけで自分は出来る…と思ってるようなことってあるよなぁとか思い出しました。だからきちんと手順を踏まえてやることを覚えるのも若いときは大事な訓練だと思います。
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商業による領地拡大

2010-02-13 19:58:47 | 経済
一昨日NHKでランドラッシュ~世界農地争奪戦~というNHKスペシャルをやってました。イレギュラーなNHKスペシャルなので録画はしてませんでした。冒頭だけ見てお風呂に入ったので,あまり語る資格は無いのですが,少し思ったことを。

要はある国が農地を確保するために,外国の農地を買収してるという話。買うのはアメリカとか韓国とか中国とか。変われるのはウクライナとかアフリカとかそんな話でした。韓国は自国の農地より大きい土地を海外にもってるみたいな話じゃなかったかな。日本人もいました。

国が後押しをしてる場合もあるようですが,主に動いているのは役人ではなく企業とか経営者とか。

ちょっと不思議に思ったのが,昔だと自国の農地が足りなくて,国民の食糧がまかなえなくなると戦争をして他国を侵略していたのだと思います。今は侵略戦争とか出来なくなった。だから外国の土地をお金で買ったり借りたりする。昔はそれがなぜ出来なかったかというと,そんなお金がなかった。お金を渡しても相手が貨幣経済を理解していなくて売ってくれなかったりした。あとその土地の地主から買っても,国自体がそれを認めなかったり,契約を反故にされたりしたから。お金では買えないから戦力で買ったという感じだったのでしょうか?。

なぜ今はそうじゃないか?というあたりがよくわかりませんでした。例えば日本人が外国の土地を買ってもそこは日本になるわけではなくて,外国のまま。たぶん税金もその国に納めるしもしかしたら農民も現地の人を雇わなければいけないかもしれません。そうすると外国の土地を買ったというより,そこに移民したようにも見えます。それでも自国のためにそれがなるのは,やっぱり自由貿易がある程度見込めるからでしょう。収穫した作物をちゃんと海外に持ち出せるとか,税金が異常に高かったりしないとか。でもそれってちゃんと保証されてるわけじゃないですよね。でも保証されてるように見えるのは,たぶんそういう無茶をその国がすると,結局は経済封鎖とか戦力で圧力をかけられる国が,その国の土地を買いあさってるってことは無いでしょうか?。

そういえば自由を世界に広げるとか言いつつ,言うことを聞かないと戦力で圧力をかける国がありましたねぇ:-p。それって相手の自由を認めてるっことなるんでしょうか。

結局のところ相手にきちんと対価を払ってるから一方的な搾取ではないと言うことなのでしょうが,本当に対等な契約なのか?という気はします。そういえば,戦前だって,海外に移民として入植した後,そこに移民を保護するという名目で軍隊を送り込んだりしていたんだよなぁ。

そういう事を少し思い出しました。
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無縁社会と若者が望んだ社会

2010-02-07 10:38:53 | 社会
NHKスペシャル 無縁社会をみました。

現在日本で身元不明の自殺者,または孤独死が増えている。また生涯未婚の人が増えており,歳を取るとやはり孤独死となっていくという話でした。

無縁社会という話はこの番組以外も9時とかのニュースでしばらくやっていた気がします。時々見てました。よくわからないのは,このような話が,あたかも現在の日本での問題の様にいわれますが,無縁仏というのは昔からあるし,それこそ長男以外は正式に結婚できないというような地方や時代もあったように聞きます。本当に今の日本の問題だったんでしょうか?。

もっとも,そう思う一方で,子供が成人すると都会に出て行って年寄り夫婦が田舎に残されるという構図は現在の日本の問題かなとは思ってます。今回の話とは若干違うんでしょうが。

ただ,子供が親と一緒に住まないのも,はたまた男女が結婚をせずに一人で過ごすのも,都会化や近代化により利便性を求めた結果ともいえます。昔は結婚できないと暮らせないという状況だったのが,一人でもそれなりに暮らせるように社会を作ってきました。年金だって子供が親の面倒を金銭的にみなくていいように作られたともいえるでしょう。

結婚というと,あう相手を見つけて幸せになるためにするというイメージだって現在の日本で作られたイメージですが,一人では生きていけないから結婚するという社会だってかっての日本にはあったのでは無いでしょうか?

そういう意味でいうと,無縁社会というのは一人でも生きていける社会と表裏一体の様にも思います。助け合わなくてもやっていける社会を作った結果助け合いにくくなった…と。

少し話を広げると,ここ10数年ずっと思ってるのですが,わたしの世代にはTVや映画の影響もあって,以下の様なイメージをもっている人が多いと思います。「田舎はプライバシーがなくて暮らしにくい」「親の仕事を継がなくてはいけない人は自由が無い」「都会(東京)にでると未来が開ける」「都会は楽しいことが多い」というようなこと。それが進んで「田舎は仕事が無い」とか「嫁を取るのが大変」「田舎の人はお金をもってない」という印象もあるかもしれません。

一方で「都会は冷たい」「都会は怖い」「自己責任」というような印象も発せられてきてます。

もちろん,都会が怖いので田舎で親の仕事を継ぐのがいいと思ってる若者もいるかとも思いますが,上記の様なメディアからのメッセージから,多くの若者が,大人になったら親を田舎において都会にでて就職するという成功モデルを思い描いていたのではないでしょうか?。

さらに社会制度の年金や健康保険制度が整備された関係もあり,都会に出た子供が親を都会に呼び寄せる必要もなく仕送りもせずに暮らせる例も結構あります。親と連絡を取るのは数ヶ月に一回とか,田舎にかえって親と顔を何年もあわせてないという若者も結構いるんでは無いでしょうか?。

つまり近代の日本では社会制度もメディアのメッセージも,田舎から都会に若者を集めて核家族化させることを良しとしたということでしょう。なぜかというと,おそらく産業を伸ばすためにそれが都合が良かったからです。核家族は労働の流動化を促進し,いつでも若い労働力を好きなところに異動させることが可能です。

そして,これはそんなに長い時期発せられたメッセージでは無いかもしれませんが,女性が働いて経済的に自立するのが良い。恋愛も自由で,結婚なんてする必要が無い…というのを進んだことだというメッセージをドラマとかが流していた時期もありました。これも結局,女性の中から優秀な人を自由に選んで雇用することや,婚期を遅らせることで,若い男女が家庭にエネルギーを費やさないようにしていたのかもしれません。

そう考えると私自身が,田舎に両親を置いて上京してる身ですから,そういうイメージを見事に刷り込まれた世代です。さすがに人間が生きる理由は子孫を残すことということには気づき,結婚し子供を作ることはしましたが,仕事は親に縛られず自由に選んでいます。でもやっぱりこの歳になると田舎に残した親の事も気になりますし,自分が田舎育ちなだけに,子供を都会で育てることの不安もあります。大家族で自分の親に子供の面倒を見てもらい田舎で働くという幸せだってあるはずなのにと思いますが,現状は社会が十分に田舎に雇用創出できてないこともあり,難しい面もあります。

ただ,やっぱりそういうのって社会構造以前に,メディアから発せられたメッセージも大きいと思うのです。洗脳とは言いませんが,社会全体がそれを良しとした。でも,同じように上京しても,その成功モデルにうまく乗れない人もいた。その人がどうなるかは,当時の若者もイメージできてなかっただろうし,社会もうまく対応出来て無いのかもしれません。そしてその現実の一つがが無縁社会の様なものでしょう。

いまもしそのような都会での無縁者が問題になるのであれば,我々が若い頃にメディアから受けた,「若者は都会に出る」というモデルと違うモデルがメディアから示されるのか?。それがとても気になります。
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がんを抱えて生きること

2010-02-03 12:38:33 | 医療・福祉
先日書いた「NHKスペシャル 働き盛りのがん」を見て思った事を追記します。

強く生きている患者を多く取り上げたことがよかったと書いたのは,これまでがん患者を取り上げたTV番組は,ほとんどが末期がん患者を取り上げており,がんと戦いながらも最後には亡くなっていくというものでした。早期発見を訴えるために内視鏡検査と手術で完治するという例も結構観たこともありますが,特に患者の生活にスポットを当てたものは前者がほとんどです。

がんの宣告を受けて手術や化学療法を行い,そして長く生きている人を詳しく取り上げたものはTVも少ないし,書物でも結構少ない様に思います。がんを抱えながら生きてる人がどういう症状なのか,また生活や仕事の面でどういう苦労をするのか?というのはほとんど紹介されないので,そういうことをイメージすることは当事者以外は難しいのではないでしょうか?。また末期がんで亡くなったケースを取り上げるので,がんにかかったらすぐ死ぬというイメージを強くするのではないでしょうか?。

先日の番組の良いと思ったのは,紹介された患者さんがみなまだ生きている人であり,だからといって奇跡的に助かったというケースではない,現在も治療中の方々の生の声だったからです。自分自身がその群に入るからというのもあるのですけど,同じような状況の人は結構いるのではないか?と思うのです。もちろん,それですべての患者のケースを取り上げたとは言えません。番組の中でも言われましたが,がんの患者のケースは実に多彩で,二つや三つのケースを取り上げてもまったく合わない方も多いと思います。だからこそ,誰もが簡単に完治か,もしくは絶望的なケースに分けられるわけではないというのは知っておくべきでしょう。

番組の中で患者の方が,がんは統計的に「何パーセントとかでは語れない,0か100だ」とおっしゃってました。わたしもそう思います。全体から見ると統計的に生存率とか出るのですが,結局は細かい状況は患者により違いますし,当事者にとって特に心情的には統計はあまり意味がないと思います。

あとやはり番組で取りあげられてて思ったのが,患者も生活しているわけで,病気そのものより,病気により起る生活や立場の変化が大きな問題になるということです。病気になってすぐは病気の事で頭が一杯ですが,長く生きてると,生活の方が大変です。番組で「治療費を捻出するために仕事をする必要がある」という事をおっしゃられた方がいましたが,その通りです。自分の誇りとか生きがい以前に,周りに迷惑をかけると自己嫌悪を感じる場合でも(例え保険診療範囲でも)治療費を幾らかは稼ぐ必要があります。がんにかかると生命保険に入れないので家を買ってローンを組むのにも苦労するという話も,生々しい問題だったりします。わたしも発病前にローンを組んで家を買っていれば,死んだ場合でも遺族に家を残せるのにと本気で考えたことあります。その他にも配偶者との関係,親との関係の話,もちろん職場でのこと,そういう生活の問題を大きく変えてしまうのが,がんを抱えて生きるという事だと思います。

番組でメインに扱われた方は最初の手術後,五年生存率が20%と言われ,それについて他の方に相談をしたとき,その方が,「病気になって閑職に退くので,あなたは満足ですか?」みたいな事を言われた事を言ってました。その方は死ぬことを前提に考えなさいという風にも言っているようでしたが,要は,がんになってすぐに助かる,すぐに助からない,長く治療していく,そして亡くなる,結果的に長く生きる…いろんなケースがあり,それぞれについてちゃんと想定して考えておくべきだのでしょう。もちろん,発病してすぐ,手術してすぐに答えがでるような話ではありません。じっくり時間をかけ,周りとの関係も省みて,考え決意し,そして必要に応じて考え直すことが必要でしょう。

その人は助からない前提で,でも仕事を頑張ることを決意したようにも聞こえました。わたしは逆で助かったときに何も残らないと後悔するのではないか?とその時できる事を,仕事も生活も頑張ろうと思いました。その辺の考え方は人それぞれでいいと思います。ただ考えるためには,実際に病気を抱えて生活している人が,どういう事に悩み,どういう状況に陥るのかを知る必要があり,そういう意味で良い番組だったのでは?と思いました。
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