たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

リサイクルのためのスケープゴート

2007-02-28 14:13:10 | 社会
サイエンスサイトークの先週と今回の回で名古屋大学の武田先生の話はかなり衝撃的です。いま世間でやられているリサイクルにかなり無意味だったり間違いが多いとのこと。

まぁ分別したごみが,実はほとんどいっしょくたんに燃やされたり埋められているとか,集めたペットボトルや他の物がほとんど再利用されていないとかいうのは,なんとなくそうだろうなぁ…とは思ってましたが,その具体的な数値(数%しか再利用されてない)には驚きます。それよりももっとショックなのが再利用することでかえって石油資源を消費してしまうという話の方が結構ショックです。
特に紙に関しては,そのまま燃やすか埋めれば,石油は一切使用しないのにたいして,再利用することで石油を使ってしまうとのことです。まぁ再利用するから,裏表使わずごみに出してしまう…という意識については,確かに我々が間違った情報を持っているという以前に意識の低さの問題ではあるのですが,確かに紙は太陽エネルギーで出来てるので,つくって,最後に燃料にすれば,石油は使いません。
ペットボトルとかその他の製品についての,再利用するより新品を作ったほうが安いというコストの問題は,本当に地球へのダメージが少ないのであればコストを税金で補助するとかが必要だとは思いますが,再利用にせよ新品にせよダメージが少ない方が順当に回るようにするべきだとは思います。
それ以前に「捨てる」のではなく何度でも使え…というのが本来正しくて,昔は生産者は自分が作ったものを長く使ってもらおうとしていたのが,今は逆にどんどん使い捨てて欲しいというのは,おかしいというのはそうだとは思いました。そういう意味じゃ最初のマイバッグの話も,ごみ袋の問題というよりも消費者が容器をもって買い物に行くことが重要な気がします。昔は米も味噌も…ましては酒も計り売りで,消費者は容器をもって買いに行っていたので,全然ゴミは出なかった。
いずれにせよ,日本人はその時々で「こうしたらいい」という妙な思い込みを持ち意味がないことを一斉にやってしまうっていうのは同じサイエンスサイトークの2006年03月26日放送分でごみ燃やしのダイオキシンがスケープゴートにされた話でも思いました。これも実はたいした量はでてないそうですが,我々がごみを燃やすのが良くないと思い込んでしまった話でした。

というわけで,どうも我々はいいことをやってると思い込んで無意味だったり結構悪いことをやってるようです。でもなかなか正しい情報を得るのも難しい。だからだれかがあることを言い出すとそれだけをやって,なにかいいことをやった気になってしまう…。難しいなぁ…と思ってしまいました。
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昆虫と工程管理

2007-02-24 09:28:45 | 社会
食品への昆虫混入が非難されるが,見えなくらい小さいのは結構入ってるらしい…。

まぁ言われてみればきつい農薬が入ってるより昆虫が入ってる方がましでしょ?と言われればそうでしょう。虫がつかない方が危ない…っていうのもあるし,別に虫に毒があるわけでもないし。
異物混入は虫だけが問題じゃなくて,髪の毛とか,あと食べられないもの,それこそガラスとか…そういうもあって,虫が問題じゃなくて,工程でそういう異物混入が起きうることに反応してる…とも言えます。野菜も虫がついているのが問題と言うより,洗ってないのか?…とも思う。

わたしの話だけど,先日スーパーでブロッコリ買って湯掻いて食べたら砂だらけで,驚いたのだけど,そういえば最近スーパーで買った野菜は洗わずに使うことも結構あって,それはそれでちょっと異常なことをやってるよなぁ>自分,って感じもしてました。今も一応見て,砂がついていれば洗いますが…。

というわけで,野菜に虫がついてるのと,工場で作った食品に虫がついてるのは意味が違うし,虫がついていること自体が問題じゃないとは思います。まぁいずれにせよ,日本人が過敏なのは認めます。工程管理とかを考えると確率的に異物が入る確率を0にはできないでしょうし。どこまで下げるのにどれくらいのコストがかかるか?…というのが作る側の事情でしょう。
でも一方で日本人のこの異常なまでの潔癖性…っていうのも,結構役に立ってるよなぁ…と思うこともあります。
この市場の無理な要求に答えてきた結果,日本の生産物は非常に精度があがってきたわけですし。「適当でいいよ」「死はしないよ」って感じでやっていくと,こうはならなかった気がします。日本人っていつからこうなったんだろう?,昔はどうだったんだろう?
まぁ品質の向上は求めつつ,そこそこ冷静にやっていくのがいいんでしょうけど…。
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遊具と子供という生き物

2007-02-22 14:13:49 | 医療・福祉
この間の日曜のNHKスペシャルは,「ドキドキ・ヒヤリで子どもは育つ~遊具プロジェクトの挑戦~」でした。町の公園からジャングルジムやブランコとかシーソーのような旧来の遊具が撤去されているという話です。原因はその遊具でけがをする子供が起きると,それがきっかけで町中の遊具が撤去されたりするらしい。わたしはそういう行動をちょっとヒステリックに感じるし,子供は怪我をしながら育つもの,確かに後遺症が残るような怪我をすると大変…というのはわかるけど,そういうリスクは社会に行けば山のようにあり,子供をそこまで箱にいれてどうするんだろう?…と思います。でもその一方で遊具の整備不良で起きる事故とかの話を聞くと,それはそれで人害的なリスクだとも感じるし,公園の遊具自体行動経済性長期に行政がつくってそれっきりにしてるハコモノの一種であるのだと気づきます

良く考えてみたら,わたしの世代は公園に上記のような遊具があるのが当たり前だったので,公園から遊具を除くこと自体過剰な反応に思いますが,よくよく考えてみたら,そんな公園像も戦後数十年のものでしかなく,それ以前は子供はもっと別のもので遊んでいたわけです。まぁだけどそれもこんな都会などが出現する前の話で,そこに戻るのも不可能だとも思いますが…。

とういわけで,番組では後半は子供のために新しい遊具を開発する人たちを取り上げてました。子供たちの行動をいろいろ分析し,子供たちが喜んで遊んで遊び,かつ安全なものを作ろうとしてました。その話はおもしろかったし,賛同できるものでしたが,一方で,大人が子供の遊び方を予想できるような遊具を子供がいつまでも喜ぶんだろうか?…と。そして,遊具開発じゃなくて,もっと全般的にいえる話ですが,そもそも子供を大人がコントロールしようとすること自体,うぬぼれた考え方,もっとひどいことをいうと,子供を自分のおもちゃのように考えているような気がして,ちょっと抵抗を感じました。もちろん怪我をしたら困るから…って公園から遊具を取り除いたりする取り除くという行動もそういう考え方が基になってるよなぁ…と。
もっと未開…というと問題あるか…,古い時代では,子供が大人になること自体生存競争だったわけで,そういうリスクを潜り抜けた子供だけが大人になったわけだし,もちろんそれは大人の手の上でのみ育った子供ではないわけです。

まぁそういうことを思いました。でも出来た遊具で遊ぶ子供,特に壁によじ登って大人的には目の高さくらいで固まって「怖い」と泣き叫ぶ子供にちょっとおもしろいなぁ…と思いました。本気で泣いてる様なんだけど,大人が見てること,大人が助けてくれることを計算して泣いてるようにも見えました。大人は子供を手の上で遊ばせようとする,子供はそういう大人に泣いて見せて手を差し伸べることを期待する…,なんとなくそういう役割を演じている感じもして,どうも子供の方も強かだなぁ…と。でもそれは「大人-子供」社会のルールだし,大人社会でも通じない(たまに泣けば許してくれる…と思ったまま大人になる人もいるみたいですが)し,自然界では通じないルールでもあるんですが…。
まぁ乱暴にいうと,やっぱりこれも脳化デスね…ってことで:-p。
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スタバ

2007-02-18 09:43:53 | ココロ
最近は外を歩きまわってました。疲れると休むために喫茶店みたいなところに入りたくなるのだけど(ちなみに若いころや子供の頃は疲れないし,お金もないのでこういう発想にならなかったなぁ…とか思います),最近は喫茶店よりもファーストフードや珈琲ショップ(?)に入ることが多いかと思います。そうドトールとかスタバとか。

自宅の最寄り駅前にあったビルの老朽化で先日閉店したのですが,そのあとに何ができるのだろう?…と某SNSのコミュで話題になってました。結局パチンコ屋らしく,落胆の声がたくさん挙がっていたのも,ちょっとおかしかったのですが,わかるまでに散々挙がっていたのが「スタバが出来るといい」というもの。そううちの近所にはスタバがありません。ちなみにモスも駅の近くにはありません。フレッシュネスバーガーもありません。
「で?」とこれを読んでる人は思うかも知れませんが,いや,なんか「スタバが出来て欲しい」って声がうるさいくらいに多かったです(笑)。まぁ近辺の駅に上に挙げた店はあるので,欲しいというのはわかるのですが,ちょっと「スタバ」に関してはなんかもう少し違った思いを感じます。
というのは…なんかステータスになっている様な,そんな感じ。以前横須賀に行ったときに横須賀の人に「スタバができたんです」と聞きもしないのに言われたときには「はぁ…」と思ったんですが,どうもこういうことを言う人はそれなりにいるような。「スタバがある街」「近所にスタバがある」「スタバにちょっとお茶をのみに行く」っていうのが単なる珈琲ショップというのを越えているような気がしてます。そういえば,先日散髪に行った横浜の杉田にも偉く目立つところにスタバあったなぁ…。熊本も中心地にバーン…とあります。場所的に「街の風景」になる戦略なのはわかるけど…。
まぁドトールとスタバとどっちがいいかというと,わたしも椅子の作りとかを考えるとスタバの方がいいけど。味は…うーん,もっと好きな珈琲屋はあるしなぁ…と。余談ですが,最近のエスプレッソマシンの珈琲って珈琲自体の味は美味しくないと思うんだけど…。なにかで割って飲むのにはあってますが。

というわけで「スタバ」で大騒ぎするのは,一歩引いた人からみるとちょっと滑稽に写ります:-p。これって時期が経ったら古くなるのかしら?…。ちょっと飲食店とは違いますが,かっては「ユニクロ」も同じように「ユニクロが出来た」と聞かれもしないのに言う人いたなぁ…と。マクドとかもそうだったのかしら?。
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悩むということ

2007-02-14 16:52:17 | ココロ
ネットで「『悩むこと』と『考えること』の違い」という文を知りました。悩むことが良くない…のかどうかはわたしにはわかりませんが,悩むと考える…ということは違う…ということには同意。その違いも‥若干違うかなと思うところはあるけど,おおむね同意です。ちなみにこれを見つけたのはdankogaiさんのところで,ここで彼は「悩みこそが考えの母」とされてます。

悩むことがいいことか悪いことか?…については,わたしは良くわかりません。というか,わたしは長年ずっと「悩む」ということが良くわからなかったのです。それどころか「考え込む」と言うこともあまりやったことがありませんでした。つまり答えが出ないことを長時間頭の前に持ってきて何度も繰り返す…ということを経験上ほとんどやったことがなかったのです。正確にいうと出来なかった。
わたしにとって考えるということは,最初のリンクと同じで,今時分が持ってる情報,状況を元に並べてみて最適だと思われる答えを出す。そのパターンを並べるためには時間をかけるけど,出尽くしてしまえば,それからすることを選んで終わり,それ以上は意識していても仕方ない…という感じで,忘れてしまうと。もちろん最適と思われる答えが出ないこともよくあります。でもそのときは,さらに情報を求めるか,人に話を聞くとか議論をします。それでも出ないときは,「考えても仕方がない」と思ってそのまま進めるか,もうやらないか…ととにかく考えなくなる。
自分の思考パターンはずーっとこうだったので,堂々巡りで同じことを頭に浮かべるということがほとんどなく,だから考え込む…というのもパターンを創出してる間とか決めるために判断してる間はそうですが,終わって決めるともう気にとめてませんでした。なので悩むということがどう言うことか良くわかってなかったのです。

ですが,病気になったあと…は答えがないところをぐるぐる回ることをやっていて,今考えるとあれは「悩む」ということだったのだな…と。
あのときは病気のことが重すぎるし,また判断材料も足りなくていくら並べても良くわからないことばかり。いまでもわからないのだけど,でも「わからないから仕方ない」とは思えませんでした。挙げ句のはてに「自分がどうしたいのか?」すらわからなくなって,良く自問自答してました。病気のことを無かったこと…には出来ないし,以前のような体にすぐ戻れるわけでもない。戻れるかどうかは可能性の問題であり,それ以上の判断は出来ない。当然寿命とかも可能性の問題。もし寿命がもうあんまり無いとしたら,どうしたいのか?。自分は何が嫌で,こんなに不快な気分になってるのか?…,散々材料を並べてもなかなか冷静になれなかった…。
今考えるとあれは「悩んでいたのだ」と今最初のリンクの文章を読むと思います。

まぁでも,その悩みから今は脱してるか?…と言われると,疑問ですが,以前より悩まなく…考えなく…なったのは,答えが出たわけではなく,少し悩み疲れたのと,飽きたのと(^^;),あと体の不調が徐々に軽くなってるから…というのがあるように思います。答えが出ないから考えても仕方がないと思えるようにもなったけど,それは時間と体調が解決してくれた気がします。やっぱり人間って体調と気分にかなり左右される生き物だな…と:-)。悩んでも仕方がないと思っても体調が悪いと,無視できないわけだし…。

そういうわけで,悩むことがいいことかどうかは良くわからないけど,自分も悩むのだなぁ…とちょっと思ったりもしました。あまり悩まない性格なのは変わらないと思うけど,悩んだ経験はあると言えることになったというか(^^;)…。
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聖域になると議論できないのでは?

2007-02-12 16:15:17 | 時事
先週末は忙しくてTVを観てないので,もしかしたら,もう過去の話になってる来もしますが,少子化問題に対する柳沢大臣の失言問題。それとそれにたいする野党の追求を観て,いろいろモヤモヤと頭に浮かんでました。
うまくまとめることができないので箇条書き。
  • 女性の出産に関わる話は完全にNGワード(聖域)になったなぁ。
  • 女性はともかく野党の男性議員もたぶん何が問題か良くわかんないまま,大臣に追求してる気がする:-p。
  • NGワードになると永遠に深い議論が出来ないのだけど,いいのだろうか?。
  • 議論するのが仕事の議員がNGワードを作りまくって仕事になるのだろうか?。
  • とはいえ,議論する議員が失言するのは良くないというのもわかるえど。
  • 女性に「男性は女性の気持がわからない」と言われたらそりゃー反論できません。
  • 「数」として扱われたという反感もあるようだけど,そもそも高齢化にしても失業者にしても医療問題にしても,行政とか政治というのは人間を数で論じるものでは?。
  • 数で論じられるのがイヤなら,社会問題にすること自体を批判すべきでは?
  • 政治は別にきれいな言葉で国民のご機嫌を取るより,「何をしてくれるか?」なのでは?。
  • 政治(議員)が出来のはシステム作り(立法)と予算だけなので,それ以上のことを期待してもなぁ。
  • 逆に言うときれいな言葉と概念ばかりをいう政治家もあてにならない。「美しい国とか」:-p。

そんな感じ。一つ一つについて,いろいろ書こうと思ったら書けるのだけど…。
あぁーあ。これで少子化問題は膠着するでしょうね。どうみても聖域です。ほんとうにありがとうございました…って感じだなぁ。もちろんきっかけになった失言をした大臣の責任は大きいけど,騒ぎにした野党も同罪だと思う。
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PCとオーディオ

2007-02-09 20:57:07 | 音響
知り合いのページで知ったオンキョーのオーディオ用PC。ちょっと突っ込みたくなったので:-)。
いままでこういうオーディオに特化したPCって何度か出てきたり,あとオーディオメーカが出したPCも何度かありましたが,ヒット作につながった例はありません(^^;)。というわけで,この製品を観たときに,またこういう製品が出たか…とちょっと懐かしい感覚が。ただ丁度先週辺り,「最近オンキョーとデノンファンに評判いいよね」と丁度会社の同僚と話していたので,そういう意味でもタイムリーだな…と。

最近iPodとかのヒットとかもあってか,軽いオーディオブームになっていて,電気屋にもオーディオコーナーが復活してます。とはいえ30年くらい前のブームとは結構感じが違ってますし,当時のメーカもほとんどオーディオの製品開発から撤退したり,AVやPCやカーステとかに主軸を移したりしてます。そういう中でずっとまじめにオーディオを作ってきたのがオンキョーとデノンです。再びブームになったとき,そのまじめにやってきたノウハウゆえか,今結構評価が高いし,実際にいい製品を作っているように思います。
…という背景もあるので,今回のこのPCが売れるのかやっぱり売れないのか…良くわかりません(^^;)…。オーディオ用PCってこれまで成功してないのですが,mac miniとかもある種そうだとも言えますが,こちらはそういう使われかたしてるんでしょうか?。

…さて…。まぁそれはいいとして,オーディオ用PCというと実は「そこまで言うならこういう製品にしてよ」という思いはあります。それはPC本体から一切音を出してほしくないこと。いくらいいサウンドボードを積んでいても,本体がうるさかったら興ざめです。でかい音で聴くだけがオーディオではないのです。
静穏PCとかありますが,それ以上に静かにしてほしい。PCというと音を出すのはファンとディスクですが,たとえばディスクを全部RAMかフラッシュにするとか,CPUも自然排気で冷やせるものにするとか。難しいですかね?。パフォーマンスが落ちますし。自然排気はかってマックキューブがありましたが,あれはディスクが結構うるさかったはず…。ディスクはネットワークで遠くに置くことも可能かと思いますが…。

ところで静かなPCといえば,たまたま来ていたダイレクトメイルに載ってたので取り上げますが,この製品の22dBって音…単位が書いてない(^^;)。いったいいくつなんだろう(dBは単位ではありません)。「SPL」なのかなぁ…。22dB(SPL)だとしたら測定環境を確保するのも大変だと思うけど:-p。以前職場に冷蔵庫の騒音の広告表示が間違ってるって突っ込んで修正させた人がいたのを思い出しました(^^;)…。
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著作権料の取り方

2007-02-06 22:22:58 | 音楽・アート
昨日の話を書いたあとにちょっと考えました。
著作権の話はいろんな立場で関わる人がいて,昨日書いたようなケースの場合,関わる人というのは,著作者(作曲家),著作権管理者(JASRAC),店舗(レストラン),演奏者,リスナー(客)がいるわけです。あとレコード会社とかもいるんでしょうけど,ちょっとリスナーの感覚で書きます。

昨日取り上げた裁判の争点で,「ライブの演奏は店は関与してない」というのがあったり,「楽器が著作権管理曲を人は限らない」というのもあって,要は線引きが難しいので取れないでしょ?…っていう感じが店舗側にはしました。で,それが崩されたので,昨日取り上げたような判決になってるわけです。
厳密な線引きが難しくてもピックアップによるだいたいの割合は計算できるわけです。だいたいネットで監視できるってことは厳密に計算も出来ないわけでもありません。
ちょっとウヤムヤだから払わずに済む…って言うような逃げを感じたのですが,一方で音楽ファンとしては「ちゃんとミュージシャンのところにお金が行くのであれば,払ってもいいのでは?」という思いもあります。JASCRAC批判をする人の中には,その使用料がきちんと作曲家へ行っているのか?という疑いもあります。何十万枚も売れてる曲ならともかく,マイナーな曲が数回店でかけたり演奏した使用料がちゃんと作曲家に行ってるのか?とか海外のミュージシャンにお金がちゃんと行っているのか実感できないと。ラジオとかも抽出で算出してるわけで,めったにかからない曲は無かったことになってる可能性もあります。だったら支払った使用料はJASRACやレコード会社の収入や,大作曲家への配当(?)にはなっていても,その他のミュージシャンの収入になっているのかと。
ですから,じゃぁ店舗とかラジオとかでかけた曲を一曲も漏らさずリストアップして,きちんと支払ってます…っていう風にしたら,リスナーは店舗よりもJASRACの方の味方をするのではないでしょうか?。もちろん途中で中間管理料を取るはずですが,それも鏡張りにして公開してと…。
昔はそんなことは技術的に不可能だった…っていうでしょうが,今はやろうと思えばやれます。もちろんライブに関してはミュージシャンの協力が必要ですが,それで自分にもすこしはお金が戻ってくる場合もあるわけですし,好きな曲の作曲家にお金が行く実感もあるわけですし。
もちろんそんなことをやってもJASRACの手間が増えるだけで,収入は増えません。だれの曲でもJASRACに入る値段は一緒ですから:-p。そんなことをするより店舗を訴える手間をかけた方がJASRACは儲かる。でもリスナーや店舗は同じ著作権使用料を払うのであれば,そういう手間をかけて逆にきちんとJASRACに払ったお金の流れをチェックできた方が納得できる気がします。

もちろん,JASRACとミュージシャンの契約がそうなってないと思うので,そこから問題にしないといけないとは思いますが…。
まぁ物凄い手間がかかるので難しいとは思いますが。
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JASRACがレストランを訴えた内容

2007-02-03 21:55:28 | 音楽・アート
JASRACがレストランのピアノを将来著作権侵害行為をするかもと撤去…と提訴したというニュース。どうもソースがこれしかなくて,ネット上のニュースにも挙がってないので真偽のほどが良くわからないのですが…。
本当だったらひどい話です。どんな曲を演奏してるかをネットでチェックできるようにしたのに,将来演奏するかも知れないから…っていう理由が成り立つのであれば,公共空間にある楽器はすべて撤去しなくてはいけなくなるのでは?。学校にあるピアノだってその理屈は適用できるし。


…という内容を実は先に書いていたのですが,その後判決文を教えて頂いたので,読んでみました。とはいえ,70ページ以上もあり,全部読むのは大変なので,かなり斜め読みしてます。重要な部分を読み落してる可能性もあるので,全部を信じないでください。

とはいえ,この判決文から受ける印象と新聞の記事とは結構異なることがわかりました。

JASRACのやり方には賛同できない部分があるのですが,それにしてもこの裁判の中でそもそも「著作管理曲を演奏してるか?」ということ自体を争っており,実際に演奏してるという結論ですから,「演奏してないのに将来演奏するから撤去する」ということにはなりません。あくまでも「現状演奏してるし,将来も演奏する可能性があるから撤去する」ってことになります。
それから,争点がいくつかあるうちのレストランの主張で引っ掛かるのが,ライブ演奏は演奏者が曲を選んで演奏してるし,チャージはお店が回収するけど演奏者に全額渡してるので,著作権侵害してるのはお店じゃないという点です。裏を返せば,「演奏者が侵害してるので知らない。訴えるなら演奏者を訴えればいい」という風に取れます。うーん,これはどうなんでしょう?。判決は「店がライブ演奏を売りにしてる以上,店の営利目的であるし,主体である」という結論になってますが,それはそうなんではないでしょうか?。

というわけで,新聞に書いてあった「ネットで監視できるし,著作管理曲を演奏してない」というのはあくまでもライブ以外の営業についての様です。で,結論はそうじゃないくて「ライブもやってるのもお店の責任でしょ?」ってことのよう。
というわけで,なんとも難しいなぁ。新聞も過剰に書いてるし,レストランの主張も無理がある。でも,JASRACのやり方にもすなおには賛同できない…ということで,なんともわたし的にはすっきりしない判決文でした。

ところで判決文を読んでいて知ったのが,「営利目的でなければ,使用料を払わなくてもいい」ということ。そうなんだ…と。あと80席以上の店の場合,一曲140円払う必要があるっていうのも初めて知りました。これは…ちょっと高くないかなぁ…と思いました。まぁ80席…じゃなくて数百とかでも一緒なのかもしれませんが。
というわけで,今回の判決に関しては,裁判所の判断が変というより,争点の設定がちょっと変だなぁ…という印象です。ただ,そもそもJASRACの主張…というか,そもそもそういう契約になってるのでしょうけど,飲食店やライブハウスでのレコード再生とライブ演奏に使用料をかけるのって無くしませんか?…ってダメなのかしら?。
もちろんパッケージの販売や録音物の配布とかに規制をかけるのは当然だと思うのですが。まぁあとレコード再生…ってなると,フィルムコンサートみたいなのとどこから線を引くか…っていう問題もありますけど,でもそこで再生することでパッケージ販売の障害になるとは考えにくいし,かえって宣伝になるだろうしとか思います。

まぁこの辺は,作曲者と聴衆と店舗と管理団体(JASRACとか)じゃどうあってほしい…っていうのは違うのでしょうけど。
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