たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

ヤングサンデー休刊にあまりいい気分がしない

2008-07-31 22:56:53 | 書評
今日,週刊ヤングサンデーの最終刊が発売になりました。まぁ買ったのですが,なんとなくいい気がしなかったので,まぁネガコメですが,少し書きます。
ネットでは現連載の移転先が話題になってました
が,結局現在の
連載はほとんど終わらず移行しました。まぁ小学館以外のところに移転する話がないのは当然なのかも知れせんが,スピリッツとYSスペシャルっていう増刊がほとんどです。この増刊って結局あぶれたものを救済するために作ったとも取れますし,逆に実質のヤングサンデーの月刊化ともとれるなとかちょっと思いました。ただ,ここ数週間のヤングサンデーの連載はどれもテンションが高くて面白いので,あぶれたという言い方はちょっと失礼か…とは思います。
気に入らないのはそういうことでははく,まず値段が330円なこと。高いです。せこい話ですが,ヤングサンデーは売れないというのに,310円とか320円とかで売ることが多く,同じ日に出るほかの雑誌よりいつも高かったのが不思議です。確かにアイドルのグラビアのためにカラーページが多いのかもしれませんが,わたしはそれを目的に買ってるわけではないので,もし高いという理由でモーニングやヤングジャンプのほうを買う人がいたら,もったいないなと思います。
で,今回330円なのは最終刊だからページが多いというのもあるでしょう。でも最終刊なのは,読者にとっては喜ばしいことでもないし,責任もありません。まぁそれだけだったら,まだしも雑誌のどこにも「休刊してもうしわけない」というニュアンスは感じられず,読者への感謝の言葉はあるのですが,ほかには「絶対保存版」とかなんか華々しいことだと思ってないか?。休刊だから話題になって売れるとうれしいとか思ってないか?…となんかそんなニュアンスを感じます。そして最終ページをみて愕然。カラーページの最後を真っ白にして色文字でヤングサンデーのロゴを印刷「ご愛読ありがとうございました」という文字だけのページでした。
正直,このカラー印刷の文字だけのページをつけるために330円かよとか思いました。結局,休刊の無念さとか,読者への申し訳なさとかが一切感じない最終刊で,そこがなんか昨今の小学館の悪評と共通するものがあるのだろうか?などとちょっと感じました。
まぁ漫画家には罪はないし,好きな作品が多かったので,何らかの形で,今ある連載の続きは見るかもしれませんが,まぁどうしたものかなと思います。
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ディジタルTV

2008-07-28 22:42:50 | 時事
そういえば,先週だっけ?,NHKの地上波アナログ放送の片隅に小さく「アナログ」という文字が出るようになりました。事前に騒がれていたせいか,よっぽど気をつけないと見えないくらい薄い字です。でももともとBSとかは文字が入っていたわけで,あまりそういうのを気にしてもしょうがない気もします。
ディジタル放送受信機の普及が進まないということですが,「今のアナログ放送で十分なのに」と思っているのは,わたしもそうです。この新聞社説,「デジタル化のメリットを」とか書いてますが,その後に書いているディジタルのメリットは,今のTVで十分だと思っている人にはまるでメリットではないので,どう説明しても無理でしょう。なんか変な社説です。
そもそも今回のディジタル化はどうみても視聴者じゃなくて,行政や業界の方の都合でしょう。それを理解してもらうというのは,どうもおかしいです。消費者にメリットがないということになると,消費者が自費で受信機を買い換えるという理由が立たないから,こういうことを言うのかもしれませんが。
今まで使っていたものがある日突然使えなくなるということはこれまでなかったのでしたっけ?。携帯のアナログ終了もありましたが,あれは商品サイクルの短い携帯だから出来たのでしたっけ?。それに携帯の場合は端末販売とキャリアが同じ会社だから,まぁ補償もしやすいのでしょうけど。有鉛ガソリン規制や排ガス規制である日突然車に乗れなくなったというのもあったか…。まぁ確かにTVほど普及していたものではないので,影響の大きさは今回は大きいでしょうね。
で,わたしとしては,別にこの期にTVを買う気はありません。まだ様子見です。アナログ電波がなくなってどれくらい困るのかがわたしですら良くわかりません。今はケーブルTVもあるし,そろそろインターネット経由でもTVが見えるようになります。そちらで,どれくらい見れるのか?もよくわからない。そもそもTV自体が,今価格競争とかサイズ競争とかで待てば待つほど,薄くて軽い大型TVが低価格で出てきそうなので,すぐ買う気にはなりません。
というわけで,国民のほとんどが様子見じゃないですかね?。普及しないのも当然だよなと思いつつ,まぁいざとなれば,数ヶ月TV見れなくても何とかなるんじゃない?とか思ったりもしてます。
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アルコールと甘いもの

2008-07-27 16:07:12 | ココロ
とある漫画雑誌で作者近況の欄に,以前は夏は枝豆にビールだったのだけど,アルコールを取らなくなって数年になり,今は渋茶にワラビ餅,とか書いてありました。
わたしも今はアルコールはほとんどとらなくなりましたが,それに伴って甘いものを食べるようになりました。お酒を毎日浴びるように飲んでいた頃は,甘いものは苦手でほとんどとらず。昼間疲れた時とかは時々食べてましたが,それでも少量。バレンタインのチョコが一年残ってしまった(もちろん一人分ですよ)こともありました。
それが今となっては,毎日少量にしても甘いものは食べてます。あわせてお茶も飲みますが,お茶は以前から結構な量飲む方なので,それ自体は変化ありません。まぁ甘いジュースも飲んだりするのは,以前とは違いますが。
先日例によって,飲み会の席でオレンジジュースを飲んだ後に,ちょっといっぱいだけと,ワインを飲み,その後に再びオレンジジュースを飲もうとしたら,甘くておいしくないと思いました。
アルコールは甘さを強調するのか?,それとも酔うと甘いものがおいしくなく感じるのか?とちょっと面白いなと思いました。ってことは,飲んでる頃あまいものが苦手だったのは,常に体にアルコールが残っていたからでしょうか?(^^;)。
ちょっと前に誰かの実験で,ノンカロリーの甘味料と,砂糖を味がわからない状態で比べても,砂糖の方をうまいと思うみたいな話がありましたが,要は,甘いものをおいしく感じるのは,味覚ではなく,ハイカロリーなものを食べたときに,脳が快感を感じるように,どこかでリンクされているのでしょう。アルコールも快感を感じるからきっとうまいと感じる様に思います。
酒を毎日飲んでいたときに,甘いものをうまいと思わなかったのも,飲まなくなったあとに,甘いものをおいしいと思うようになったのも,どちらも脳の快感に訴えているんだろうなと思います。ついでに書くとお茶もそうなのかな。お茶は手術したあと2ヶ月くらい絶ったのですが,あまり変化は感じませんでしたが。
と,つまり甘いものを食べたいのも,酒を飲みたいのも,どこか根は同じなのだな…と。でも,どちらかだけ満足すればOKっていうのもあるのだな…と。最近そういうことを良く感じます。
ついでに書くと,戦国時代に武将たちが茶道にはまったのは,茶菓子は関係なかったのだろうか?とか思うのですが,その辺はだれか詳しい話知りませんか?
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「崖の上のポニョ」は子供映画だけど,宮崎監督の苦悩が見え隠れするところが興味深い

2008-07-26 17:21:26 | 音楽・アート
ジブリの宮崎監督の最新劇場アニメ。観てきました。興行成績もいいようですが,ネットで大人が書いている批評(特に子供と観たとかじゃなくて)を観ると,「期待と違っていた」とか「意味がわからない」とかそういう批評が多くてちょっと驚きます。そうなんでしょうか?。わたしはこの映画は純然たる子供向けの娯楽アニメを宮崎監督が目指して作ったものだと受け取りました。そういう意味では非常にわかりやすかったです。作画がとてもすばらしく引き込まれましたし,映画としては良いアニメ映画だと思います。

ポニョは子供向けアニメでしょう。しかも娯楽であり。子供に教育をしようとかそういう想いもないから,非常に単純なストーリだし,たぶん宮崎監督がやりたかったのは,映画を観た子供が楽しい思いをすることだけであり,それ以上の含蓄はないと思います。批評家はそこに何かメッセージを読み取ろうとして四苦八苦してるようだけどたぶん,そんなものはない。深読みするだけ無駄ではないでしょう。

ストーリ的には人魚姫のプロットをそのままなぞってますが,主人公を少年少女にすることで恋愛的な要素はほとんどありません。ポニョの造詣が不気味だという人も多いようですが,子供はあれくらい不気味なものが結構好きだったりするように思います。実際に琴線に触れたかはわかりませんが,宮崎監督が子供に受けようとした感じはわかりました。ストーリに謎や矛盾が多いこと。キャラの行動が教育的にどうよ?と思われる点がいくつかあるところも,エンターテイメントとして子供がワクワク,ドキドキする様に描こうとしてそうなっているだけだと思います。

と考えると,あまりこの映画について語ることはなく,単に童心に還りハラハラドキドキ観れるかがポイントになります。

とはいえ,せっかくですから,大人の,しかもオタク的な思考でこの映画を観て,少し語ってみるとします。

わたしとしては,宮崎監督が子供映画を作ろうとして苦悩しているのが良く見えて,それが面白しろかったです。最近の宮崎監督がずっと試行錯誤しているのは,おそらく萌えの排除ではないでしょうか。ハイジもクラリスもラナも無邪気で無垢な女の子して描いたのにファンには萌えの対象にさています。それを監督は良く思ってない気がします。もののけ姫で「戦闘美少女」を描ききった宮崎監督は,おそらくオタク受けのいい萌アニメとして観られることを嫌がり,女性に性的な要素を廃することを模索している気がします。そこで,「千と千尋」では,主人公の女性を造形的にかわいくない様にあえて描きました。それでも「湯女」と揶揄したり萌えたりするアニメファンは結構いました。ではいっその事と,主人公の女性を老婆にしたのが「ハウル」なんでしょうけど,やっぱり男性ハウルとの心のつながりを描く段階で,やっぱり老婆であるところに耐えられなかったのかこの段階で美少女にしてしまいました。そこで今回は主人公を少年にしているし,ヒロインのポニョは化け物。もしくは赤ん坊のような幼稚な存在。周りを固める人たちも老婆とお母さんくらい。保育園の女友達はあまり好意的に描かれてないし,出てくる時間も短い。徹底的に萌えを避けようとしてるように見えます。

本作は,自分の思うように作品を受け取ってもらえないとか,作家として新しい表現を探索するという意味で,宮崎監督の試みが伝わってくるし,良質なオリジナルな子供アニメを子供に見せたいというそういう意気込みはものすごく感じる作品で,わりと成功しているように思います。でも,宮崎監督の癖,というか,おそらく作品を成立させようとして,受ける部分を入れようとすると,従来の作品と類似部分がどうしても入ってきます。今回のカーチェイスのシーンも過去の作品を連想し,受けた人が多いようです。でもこういう批評を読んでいると,新しい表現を入れようとしても,作品として成立させようとする段階でどうしても過去に成功した手法が入ってしまうのだなぁという,商業作家としての性みたいのを感じました。

作家としては今まで誰も見たことがないのに,なるべく万人に受け入れられて,そして今回の作品の場合は,純粋に子供に喜んでもらいたい,そういうものを目指したのでしょうけど,そのためには,どうしてもああいう逆にいびつな女性キャラの配置にしなくてはいけなくなる所に,逆に優れた女性キャラクリエイターとしての宮崎監督の苦悩が見え隠れするようで,そしてビックネームゆえに期待され,それと戦っているのだなぁというのが見えて,ちょっと興味ぶかかった
です。

というのは深読みすし過ぎなんですが,純粋に子供心になり楽しむのがこの作品の正しい楽しみかただし,監督もそれを望んでいるのでしょう。
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iPhoneはiPodを携帯ユーザにプロモーションする製品

2008-07-23 21:33:23 | 所感
またiPhoneの話でもう訳ないのですが,思い違いをしていたことに気づいたのでメモ。

先日TVで紹介するiPhoneの機能はiPod touchの機能ばかりという話を書きました。TVでの紹介はほとんど見なくなりましたが,ネットではあいかわらずiPhoneを紹介する記事を見かけます。でも,まぁ電話機能については簡単に紹介するものの,やっぱり目玉の機能はiPod touchと共通で,それが無線LANがないところでも使えるようになったっていうくらいだよな,とか思ってました。
が,それらの記事を見ていて,ふと腑に落ちたこと。
iPhoneは別に新しい携帯電話を市場に投入するためのものではなく,iPod touchをiPodやMacに興味がない人にもプロモーション,つまりそういう人をユーザとして取り込むための戦略商品なんですね。
だから,iPhoneの機能としてiPod touchの機能を紹介するのは当然なのです,紹介している相手はiPod touchを知らない人たちですから,iPodやiPod touchを持ってると,こんなにいいことが出来るよということを紹介してるのでしょう。
思い返してみれば,アップルは戦略商品で,ターゲットユーザを広げたりずらしたりする戦略をこれまでも何度も行ってきてます。もともとアップルはMacファンという強烈な支持ユーザを抱えてます。しかしその強烈なコアユーザだけではなく,新しいユーザを取り込みその新規ユーザの中に新たにコアなファンを作ることに成功してます。
最初のiMacもこれまでパソコンを使ったことなかったユーザや若い学生などにマックを使わせることに成功しました。そしてiPod。これもパソコンなんか興味ない,これまでCDプレーヤやMDプレーヤ,カセットプレーヤで音楽を聴いていた人たちをユーザとすることに成功し,さらにその中にマックユーザを生み出すことに成功してます。もちろんiPodはWindows対応にすることによってさらにユーザを増やしましたが,おそらくその頃には,アップルの主要ビジネスはマック自身よりも,iPodやiTuneを広げることを志向していたのかもしれません。
そしてiPodからiPod touch,というよりアメリカではiPhoneが同時にでてますが,これらは,iPodというと音楽プレーヤという印象で,音楽を聴かない人には無縁と思われがちですが,それを音楽とか聴かない人までユーザとして取り込むために電話というパソコン以上に誰でも持っている機能をつけ,その市場に打って出たのでしょう。これまでWebやメイル,そして音楽配信を使ってないユーザの中に,iPhoneを使うことによって,新たなユーザとなって,さらにはiTuneやマックのユーザになればしめたものというのがアップルの狙いではないか?という気がします。だからiPhoneの紹介として,WebやメイルやGPSを紹介するのは正解なのかもしれません。
そもそもiPodが出たときも,iPodは当時すでにあった音楽プレーヤというよりは,マックを売るためのプロモーション製品だった気がします。iPhoneがiTuneのためのものなのか,マックのためのものなのかは,ちょっとはっきりとは言えないのですが,やっぱり携帯電話を売りたいわけではなく携帯電話ユーザに売りたいのだろうなという気はします。
なんかすごく当たり前のことを書いているように思いますが,あまりはっきりそう書いている文章を見かけないので,書いてみました。
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エコは免罪符にあらず

2008-07-22 22:23:47 | 環境・自然科学
地球温暖化対策について異を唱える論は以前からそれなりにあったと思いますが,最近増えてきているそうです。でも海外の方がもっと多くて,日本は比較的少なかったらしいです。
確かに地球温暖化のシステムや弊害というのはややこしく科学的にも不明瞭な部分が多いでしょう。本当に二酸化炭素排出量を減らすことが温暖化をとめることになるのか?。ごみのリサイクルがどれくらい効果があるか?良く判らない部分もあります。そういう部分に疑問を投げかけるのもわかるのですが,だからといって,二酸化炭素排出量の抑制やリサイクルをやめる必要があるのか?というと本当だろうか?と思います。
そもそもこういう対策に異を唱える人たちは何を望んでいるのでしょう?。二酸化炭素排出量を減らすと何が困るのでしょうか?。リサイクルをすると何が困るのでしょうか?。もちろん産業革新の弊害になっているという意見もあります。でも二酸化炭素やゴミを排出するというのは,エネルギーを消費しているということでもあり,二酸化炭素が温暖化の原因でないとしても資源を枯渇させる原因にはなります。
また,環境団体の都合がいいことに使われているというのもあるでしょう。そういう人たちにだまされていたと腹を立てているのかもしれません。でも,確かにそういう団体が自分たちの存在価値のために運動をしている部分もあるでしょう。でも,それが100%ではないし,そういう要素が少しでもあったら,ほかの効果は意味がないというのでしょうか?。
ほかにもペットボトルのリサイクルやエコバッグの使用,家庭電力の節約があまり効果がないという人もいます。でも効果が0だったり,悪影響があるわけでもないでしょう。いや,悪影響があるとしたら,その活動をすることで,ほかの節約や,行政や企業に働きかけることを止めてしまう,という弊害はあるかもしれません。
実際,環境に関心があっても何をやっていいかわからない人に,環境運動はうまく利用されている部分もあって,一種の免罪符になっているような気もします。
わたしは,環境運動が嘘だったといって騒ぐ人の方が,むしろ,エコ運動を免罪符だと思っていた。それが違っていたので,腹を立てているのではないか?と思うこともあります。実際に環境問題はとてもややこしく,これをやったらもう大丈夫というものはないでしょう。だからこそ議論は必要だし,環境運動に懐疑的になるのも意味はあります。しかし,それは環境運動を無意味だとし,止めてしまうというものではないし,もっと効果があるもの,もっと根本を問うものという意味での反論ではないでしょうか?。
環境運動は何のために必要なのか,それは常に見失わないで続けないといけないと思います。もちろん国家間のパワーバランスとかそういうのでもなく。
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ただしく報道されないiPhone

2008-07-16 21:44:31 | 時事
iPhoneがついに日本でも発売になったということで,ネットでは賛美派ネガティブ派と,まぁ両方騒いでいるのはわかるのですが,先週末TVで一般向けにも結構大騒ぎしていたのが印象深かったです。ついでに書くと,その説明はすべて的をはずしているようで,結局iPhoneを良いといいたいのか,悪いといいたいのか良くわかりませんでした。
まぁわたしはもともとマック好き人間でiPodも使ってるので,最初iPhoneがソフトバンクから出ると聞いたときにがっかりした(ドコモユーザなので)のですが,いろいろ考えていくうちに,やっぱりいいか…と思うようになりました。わたしの事情は,特殊ケースかもしれませんが,ちょっと具体的に書きます。
わたしはiPodを使ってますが,Zaurusも使ってますし,FOMAも使ってます。あとディジカメ。全部入れると通常4台程度の電子機器を持ち歩いております。Zaurusはスケジュールとアドレス帳とメイルを読むのと,メモ書きとかに使っていて,結構稼働率が高いのですが,Zaurusはもうおそらく新機種が出ないので,個人的にはこれが非常に困ってます。ちなみにZaurusのWeb機能はほとんど使ってません。
iPhoneは電話機能と,スケジューラ,アドレス帳,Web,メイル読みと全部機能が入っているので,一見,Zaurusと携帯電話とiPodの三つをこれに集約できるように思えたのですが,まぁTVでも言っているように通話としては携帯電話ですが,日本の携帯電話が持っているほかの機能はほとんどありません。ちなみにわたしは携帯電話では,i-modeとディジカメとモバイルスイカを良く使ってますが,これをiPhoneでは満足に出来ないわけです。
で,TVを観るとiPhoneの紹介として,写真が見れるとか,音楽が聴けるとか,Webが観れるとか,地図が見れるとか言ってますが,それ全部iPod touchの機能ですから。あっGPSはついてないのでしたっけ?
iPhoneの目新しい機能がiPod touchで実現できるのであれば,別にiPod touchでもいいじゃん。なんか誤解を生むような報道だなぁと思っていたのでした。
まぁ実はわたしもZaurusでやってることをiPod touchで実現できたら,iPodとZaurusをこれひとつに集約できて,後それに加えてFOMAを持っていればいいんではないか?,と今は思ってます。ただ,調べるとどうもPDAとしてもiPodはZaurusにはまだまだ及ばないのかなぁと思っていたりもして,なかなか悩ましいです。
というわけで,TVのiPhoneの取り上げは,視聴者に誤解を生むような感じで,すでに買ってがっかりした人もいるみたいですが,まぁソフトバンクはクレームには慣れてる会社だから,その辺は最初から織り込み済みなのでしょう:-p。
個人的には今はiPhoneはあまりほしいと思わず,touchがiPhone並みに安くなるとうれしいのに,というのが今の想いです。
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いい加減な病気報道はかえって共感されにくい

2008-07-15 22:34:52 | 医療・福祉
自分や自分の家族が重たい病気にかかると,やっぱり病人は大変だなぁと思うし,医療を受けることの負担も実感としてはあります。だから,同じように重たい病気にかかってる人も大変だと思うし,行政とかが助けられるといいとは思います。ただわたしは病気に関して悪者探しをするのは賛同できませんし,ある病気を特別視するのも賛同できません。
世間に同情を訴えるのは,補助を得るために必要な場合もあると思いますが,それだけに的外れな訴えは反感も買うし,基本的にはお願いベースだと思います。
というわけで,先日読んだ「肝炎治療助成:「家を売るしか…」 治療ためらう患者も」という記事にも首をひねりました。
この文だけ読むと月一万の治療費を払うために家を売るしかないと言っているように読めます。いくらの家に住んでいるかわかりませんが,家売って数十万ってことは無いでしょうから,家を担保にお金借りるという手もあるよな。歳よりだから後50年も60年も治療するわけでもないだろうし…とか,この記事だけ読めば,そういうことを思う人もいるかもしれません。
自分の親の例とかを見てると,実際には医療費がそんなものでも,通院の手段としてタクシー代とかいろいろかかる場合もあります。タクシーが贅沢だというかもしれませんが,病気の具合や病院の位置次第では,バスで通院するのは無理なのが田舎の事情です。わたしの母も,どう考えても通院の交通費の方が治療費よりもはるかに高いようですから。
とまぁ,いろいろ大変な事情は想像できるんですが,どうもこの記事は,その大変な様子が,たぶん病気を経験してないとわかりにくい書き方。しかもその後に肝炎は不適切な医療により感染させられたとか言ってるから,ますます共感しづらいです。
肝炎訴訟は和解しちゃったので,どうもうやむやになってしまったのですが,実際どれくらいの人が不適切な医療だったのか。それも当時の基準でも不適切だったのか?良くわかりません。今でも,治療を受けたらとりあえずは助かるけど,長期的には病気になる可能性が高い治療法とかあるのだけど,そういうのは,不適切って言われるのでしょうか?。
肝炎訴訟に関しては,わたしはあまり原告側には共感できませんでした。でも病気にかかっている人や感染している人には気の毒だとは思います。
まぁそんなことで,最近は親の病気の話を聞きながら大変だなぁとか,金銭的なことに関して不安を感じたりもするのですが,だからこそリンクしたような記事には違和感を感じてしまいます。行政を動かすために世論を形成するのはいいのですが,だからこそ,実際の病人にさえ共感できない物言いはちょっとどうかと思うなぁという感じです。
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病気を適当に言い換えるよりは正しい解説をすべきでは?

2008-07-14 23:40:17 | 医療・福祉
忌野清志郎が癌の治療のため公演キャンセルとのニュースを知りました。つまり以前の喉頭癌の遠隔転移って事ですよね。これが意味するところは,癌の知識がある人ならわかると思います。わたしとしてはとても残念な気持ちです。治療が有効に働くといいし,また我々の前に姿を見せてくれればいいなと願います。
以前,清志郎が癌になったというニュースを聞いたときはショックでしたが,その後復活ライブをやったときに,行っていた治療が,手術や抗癌剤治療ではなく,たしか放射線治療と聞いた気がします。その時に,違和感を感じたので,復活ライブで喜んでいる人と違いわたしは不安に感じていたのですが,不吉な事を書くのも嫌なので,想いを消してました。今回の結果は清志郎本人は予想していたことなんでしょうか?。
さて,そういう事も考えると,病気への理解というのは,やはり患者や周りの人は正確にすべきだとわたしは思います。先日言い換えによる不正確さについて痛し痒しだなぁと書きましたが,本日粘るがん患者さんが言い換えについて書いていたので少し便乗して書きます。
わたしの今の想いでは,やっぱり理解が難しいのであれば,言い換えるのではなく,解説書をつくるとか,啓蒙活動をすべきじゃないか?という気がします。もちろん,それを医者がやるのは大変ですから,マスコミとか学者とか,行政とかが。
言い換えて間違えて理解するより,わかる人には正確に理解してもらうべきだし,わからない人,わかりたく無い人は多分どう言い換えてもわかりません。
例えば「寛解」を「完治みたいなもの」と理解していいのでしょうか?「全身化学療法」と「抗癌剤治療」はほぼ同義ですが,「局所治療」もあるという意味では違います。そういえば,悪性腫瘍がわかりにくいとか書いてますが,わたしは「悪性新生物」ってはじめて聞いたときはネットとかで調べました。いずれも癌みたいなものですが,厳密には範囲が異なります。
とまぁ,言葉がわかりにくいというのもあるんですが,もっと大事なのは病気のことを正しく理解するということ。言い換えで納得するって事は,病気のことも雰囲気で納得するって事でしょう。言葉の意味がわからなければ,調べるので,結果的に病気のことを正しく理解します。そっちの方が大事です。抗癌剤治療というと「薬で治すのだな」と思うでしょうが「全身科学治療」というと,全身に散った癌細胞は場所を特定できいないので,全身に抗癌剤が回るように治療を行うという風に理解できるかも知れません。癌は完治とは言わないということを理解すれば,癌治療の終りの判断が非常に難しいことが理解できるでしょう。
わかりにくい言葉を使っているのは,それだけ,一般の理解と病気の実情があってないからであり,言葉の方を合わせるのは間違って理解しろということになります。
話を清志郎のことに戻すと,今回の再発も放射線治療を続けているようです。わたしはあまり喉頭癌のことを調べてないし,放射線治療も自分とは無縁だったので調べてません。通常どれくらい利くのかな?と思いますが,無事安定するといいなと思います。まぁ癌でも結構長く安定する人もいますから。
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痛し痒し

2008-07-13 22:42:13 | 時事
世の中には必要悪ってわけじゃないのだけど,よくないなぁとか,誰かが批判してるのをもっともだなぁと思いつつ,でも,それが完全になくなると困る人もいるだろうなぁとか思うものが結構あります。マスコミとか,素人のブログとかもそうですが,わりと物事を白黒つけて論じるので,まぁそれも一理あるけど,だからといって…,みたいな感じというか。
そういうのはたくさんあるのですが,ちょっといくつか。
最近良くわからないのが,カーボンオフセット。この記事自体が,いいことか悪いことかわからないという書き方をしてるので,まぁそういう意味では良心的なのですが,やっぱり良くわかりません。発展途上国に開発援助の変わりにお金を出すので,無理に近代化しなくていいという考え方もできるのですが,結局は先進国が途上国の発展を抑えるための施策とも取れるし。結局のところ良くわかりませんが,この取引権みたいのも結局は金融商品みたいになって高騰するんでしょうか?。
で,良くわからないのはおいておいて,医学用語。医者の使い言葉がわかりにくいというのは良く聞く批判ですが,じゃぁわかりやすく不正確にいわれたらいいか?といわれるとどうでしょうね?。円周率じゃないけど,わかりやすく説明するというのは,細かい情報を切り捨てるということですから,不正確になります。今の医者は訴訟が怖いので,間違ったことはいいにくい。自分ではアレンジせず,だから学会とかで言われている言葉そのもので説明せざるを得ないということもあるでしょう。
お年寄りとかは正確に知るよりも,なんとなく判った気になったり,大丈夫かどうかだけ知りたいのかもしれません。でも,わたしとかは医者に聞いた言葉を後でネットとか医学書で調べたりするので,難しくても正確な言葉で伝えてくれたほうが助かります。できれば紙で。
というわけで,わたしは医者の言葉が難しいのは仕方ないと思ってます。でも,自分で調べる手段が無い人がいるのもわかるので,やっぱりカウンセラーが必要なのかなぁ。でもそれは医者とは別の方がいい(保険利かないだろうけど)のでしょうね。
で,最後がマスコミの話。
わたしは結構マスコミが嫌いなので,良くマスコミの批判をするし,マスコミがある事件を大騒ぎして取り上げるのも批判します。ですから,マスコミが野次馬と変わらないというのもその通りとも思います。
でも,世の中で困っている人の中にはマスコミが騒いでいるから助かっている人たちもいるんですよね。一番思うのが,拉致被害者の家族。彼らは自覚もしてるようですが,マスコミが触るので国が対応してくれていて,マスコミが騒がなくなったらたぶん見捨てられるのでしょう。こういう人たちはマスコミにあえてアピールするし,政治の道具にされてるのもたぶん自覚してます。でも背に腹は変えられないってことでしょう。
もっとも,そういう実態があるから,何かにつけてマスコミに被害者的なアピールをして政治を動かそうとする人たちも結構いて,そういうのは観ていて不快に思うこともあります。そういう意味でも,やっぱり悩ましい。
おそらくマスコミはまったくいなくなると実際は困る。でも増えすぎて,一億総マスコミ化しても困るし,現状のようにゴシップ的な面が強くなっても困る。まぁ実際は今のマスコミが目に余るのは,彼らが自分たちが権力者であることを意識してないってことなんだろうけど。
なんとなくここ数日,ずばり批判している意見を読んで,それに反発するわけでも賛同するわけでも,無関心なわけでもないもやもやした感じだったので,少し書いてみました。
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