たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

ネットで広く意見を見ることはできないが,自分の気持ちはわかるのかもしれない

2011-11-30 06:07:45 | 社会
大阪首長選挙に対するネットの評判を開票前に見ていたところ,私には橋下氏に対してネガティブな意見が多くみられた。ネット住民は橋下氏に否定的なのか?と思っていたら,実際の選挙は圧勝だったので,やっぱりネットは世論を反映しないのだなと思った。…同じようなことは石原知事の今年の選挙の時も,石原知事に否定的な意見を多くみていて,でも石原知事は圧勝だったので,同じように思った。

ところが,今回の話,ネットでは橋下氏応援で盛り上がっていた…という意見を聞いた。どこの話?とも思ったけど,ちょっと良くわからなかった。若い人は橋下氏応援とも書いていたのだけど,2chの話だったのだろうか?。プロフとか言われたらもうお手上げだけど,Twitterとかなら目に入ってもおかしくないのだけど。

思ったのが,もしかしたら自分で偏った意見ばかり読んでいるのかもな,ということ。わたしの場合,Twitterは何人かをフォローしていて,そこからあちこちに飛んでいく場合が多い,世の中のブログも,アンテナに登録しておいて,そこから広がっていくfacebookもしかり。つまり情報の入り口は比較的狭いということになる。最終的にそこからニュースサイトにつながったりあちこちに行くんだけど,そこで広がるというのはたかが知れてるのかもしれない。友達の友達を7回つなげば誰にでもつながるみたいな話を聞いたことがあるが,案外そうでもなくて,自分の身近以外のグループまで届こうと思ったら,結構遠いのかなぁという気がした。

あと経験があるのだけど,自分が読んで不快な意見とか,そういうサイトはあまりちゃんと読まなかったりする。ブクマしておいても,はずしてしまったり,タイトルだけみてさっと避けてしまったりもする。だからネットで広く意見を読んでるつもりでも,あまり意識してなくても,取捨選択し,自分がフォローしてる人は,自分と意見があってる人ばかりになってしまう…ってことなんだろう。

…ではあるけど,わたしは石原都知事に投票したんだけどねぇ。自分と合わない意見も結構読んでる気がするんだけど…。石原氏の場合迷いながら入れたので,深層心理的には,批判していたのかもしれない。

というわけで,タイトル通り。ネットで世間を見てるつもりでも,実際はとても狭い範囲しか見てないし,そこには自分の嗜好が反映されているんではないかな?ということ。であれば,むしろそれは自分の深層心理であり,無意識の部分が案外見えてくるかもしれないなぁ,ということ。やっぱり人は自分が望んでいるものしかみない…というのはそうかもしれない…と思った。
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要求する資格が必要か?という価値観

2011-11-29 15:50:01 | 社会
結論は無く,ずっと以前からわからないなぁと思ってること。いまさらですがちょっと書きます。

タイトルの通りです(^^;)。要は自分が出来ないことを他人に要求するのは良いか?ということです。実は私はずっとよくないことだと思ってました。でも以前,ある人に「当然」の様にいわれてすごくビックリしたのを覚えてます。

確かに考えてみたら自分が出来ないことを人に要求していけないのなら,ほとんどのことを人に要求できなくなります。会社でも役割というかそれぞれの人に得意分野があって,その仕事をするわけですから,自分が出来ないことをその人にお願いするのは当然のことです。もっと広げると,会社の経営陣,そして学者,政治家にいろいろ人は要求をしますが,普通要求する人は自分が出来ないことを要求します。給料上げろとか,何かを作れとか…。

でも,やっぱり私はどこかで自分の出来ないことは,少なくとも当然のことの様には要求できない…とどこか思ってる気がします。そうしないと,人は矛盾したことを人に要求する様になったり,要求がエスカレートしていく様に思います。

今の世情で言うと,増税をせずに福祉を増やせとか,海外に物を売りにくい状況にしておいて,経済的には強くあれとか矛盾する要求がエスカレートしてますし,ある職業の人はミスをすることが許されなかったり,どんな時でも全力で仕事をすることを求められたりとかムチャな要求がまかり通るようになっているような気がします。

もちろん自分の専門以外のことをほかの人に要求するというのは,わたしもあるのですが,そういう場合はその仕事どれだけ大変なことか?というのは自分にはわからないものなので,あくまでもお願いするというのが正しいやり方の様な気がわたしはしてます。

自分が出来ないことを要求する人が増えて,そして自分が出来ないことを出来るという人にやらせようとする…その結果が今の日本ですから,やっぱり行過ぎるのはまずいんじゃないかなぁ…とか思います。
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自分が死ぬことをイメージできるか?

2011-11-26 12:10:46 | ココロ
先日がんによる死はましか?という話を書きました。マシじゃないのかな?と私は思ってるってことです。こういう話をガンじゃない人がすると「ガンの人の気持ちがわかるか?」とか怒られそうですが,私はガンを経験したので,多少こういうことを語ることができるという意味では特権なのかもしれません。折角得た立場なので;-)もう少し書きます。

ある見方をすると,ガンは脳卒中や心臓病の様に不意の死亡や,長期の寝たきりで衰えていくような病気に比べ,適度な長さで死の準備ができるという意味でマシな部分があるかと思います。ただ,ガンは進行すると止めることすら出来ないという意味で,若い人がかかる場合はかなり悲劇だと思います。でも高齢になった場合は,そういう死に方もありなのでは?と思います。

でも世の中的にはガンの撲滅というのは目標になってます。若年性のものだけが対象かというと,高齢者にもガンの検診を勧めたりするので高齢者も対象なのでしょう。そういうのを観てると,さて,人はどういう風になくなりたい…と思っているのかなぁと思います。みなさん,どういう風に死にたいと思ってるんですか?。

良く「老衰」で死にたいとか「ぽっくり死にたい」とかいう話も聞きますが,老衰で死ぬっていうのは,ある意味徐々に死に近づいて行くわけで,どういう状態なんでしょう?。

私の父親は割りと高齢なので,一度聞いてみたいと思ったことがありますが,なんとなく考えてないのかな?とか思って止めました。まぁ洒落にならないとも思うので。高齢になって欝になる人もいるし。

そういう意味でいうと,fujiponさんの「死にたい老人」という本の紹介はとても興味深く思いました。高齢で断食をし安楽死をしようとした老人が空腹で辛くて断念するという実話らしいです。あぁ,この歳になっても結局人は死ぬということをあらかじめイメージできてないものなのだな,と思いました。具体的に死ぬイメージが無いから,断食等で綺麗に死ねるだろうと思い込んで実行し,そうもいかなくて断念のだと。80歳を越えているなら,戦争なので死ぬ人をたくさん見ているはずで,それでもそうなのですから,目の前で人が死んでいくのをほとんど見てない戦後の世代等は,本当に自分が死ぬことをイメージできないだろうなぁと思います。

もっとも私もガンになるまでは,全然わかってなかったなと思います。良く映画などで死ぬとわかったら何をするか?などの話がでますが,実際に死ぬと思ったら,そういうことを考える気分にならなかったし,いろいろと「想像と全然違っていた」と当時思いました。まぁこれも現在一旦生き延びたわけですから,また歳をとって死が見えてくると,やっぱり想像と違ったと思うかも知れません。例えば老化が思ったより辛いとか,気分を落ち着けて死を待つなんて出来ないよ…と思うとか,まぁそういうことはあるだろうな,と。

でも,個々の人が死をイメージできないのはしょうがないとして,なにか社会自体が死を無い物のように扱うのはどうなんだろう?とも思います。それが都市化といえばそうなんですが。死ぬことのお手本がみえないので,良い死に方がイメージできないんだよなぁとか時々思います。
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追悼,ポール・モチアン

2011-11-24 21:27:41 | 音楽・アート
日本ではほとんど話題になってないがジャズドラマーのがポール・モチアン一昨日くらいに亡くなったそうです。80歳。

それにしても話題になってないなぁ。そんなにマイナーな存在でしょうか。

新聞的に書けば,ポール・モチアンはビル・エバンスがスコット・ラファロとトリオを組んでいた黄金時代のドラマー。またはキース・ジャレットの最初のトリオのドラマーという表現でしょうか。ものすごいピアニストと共演歴のある人です。わたしが始めて彼を聴いたのは25年くらい前かしら?,ポール・ブレイのアルバムの中です。そういえばブレイもすごいピアニストです。

ただわたしがモチアンを好きになったのは,それらのピアニストとの共演ではなく,彼自身のリーダーアルバムのすごく個性的なこと。特にビル・フリゼル,ジョー・ロバーノとのトリオ,つまりギターとサックスとドラムという変則トリオで,ものすごく空間的で,アバンギャルドででも美しい静かなアルバムを何枚も出していた活動の辺りからです。その他にもギター二本と複数の管を使ったエレクトリックビバップバンドとか,個性的な編成のバンドを率いていて独特の音楽を作ってました。彼のバンドメンバーの演奏はどれも個性的でしたが,個性的なメンバーを連れてきて,サウンドをつくっていたというより,彼のところで才能が開花したような人も多く,どの様にモチアンが彼らをコントロールしていたのか非常に不思議でした。

おもしろいのはモチアンの音楽って音楽と音楽じゃないところのギリギリのところ,言い換えれば彼自身が音楽の領域を広げていたようなところがあったことです。「えっ?これでいいの?」というような表現がある場合もありました。また彼のドラムのプレイ自体が技術的に難しいことをやっているというより,発想の自由さというか,うまいのか下手なのかさっぱりわからないのだけど,結果的に聴いたことがないような音楽を作りつつ,トータルでは非常に美しいところに仕上がってるところでしょう。

ライブを見たのは一回だけだったかも知れません。ピットインでアンコールに何度も答え,最後はおしゃべりをして帰っていったのを覚えてます。笑顔が素敵で非常に愛敬のある人でした。噂によると非常に人格者で,多くの人に慕われていたという話です。80歳という,まぁ年齢的には高齢でしたが,まだ新作をどんどん出していたわけで,しかも斬新な音楽を今でも作っていたので,残念です。

でもすばらしい音楽経験を沢山させて頂きました。ありがとうございます。
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子供に休ませるのは?

2011-11-23 22:17:43 | 育児・教育
「子供を平日欠席させてディズニーランドに…ありでしょうか?」という質問。同じような状況だと,私も悩むなぁ,と思ってみたら,意外に「休んでいくだろ普通」という意見が多くてビックリした。むしろ逆だと思ったんだけど。ちなみにこの記事をブックマークしたはてなの人は,休みの日に行けという意見も結構多くてホッとした(苦笑)。

自分の経験を思い返すと,子供の頃に学校を休んで旅行や遊びに行った記憶はありません。だからそんなに普通にはありえないという感覚があります。もっとも私の場合ディズニーランドなんていける場所じゃありませんでした。もしかしてこういう悩みって首都圏特有のものですか?。地方の遊園地なんて休日でもそこまで混んでないし,東京に行こうと思うと日帰りは無理だから,やっぱり長期休暇が取れる時期になるし,平日にディズニーランドに行くとかいうのが首都圏特有の話だとすると,ちょっと滑稽だなぁ…とか思います。

親としては空いている平日に遊園地に行って楽しみたいというのがあるのでしょうけど,やっぱり子供にとって学校を休んで遊びに行くというのは,勉強で遅れるかもしれないというリスクもあるし,他の同級生から悪い意味でうらやましがられる可能性もあるし,いい事ばかりじゃないように思います。なにかご褒美としてわかりやすい事でもあればいいのかもしれません。例えば授業一日分,丸々予習できているとか,テストで全科目100点取ったとか。

でも子供がディズニーランドに行きたいか?というとこれまた微妙で,私の幼少の記憶だと,結構親と一日どこかに出かけるのは,楽しさ半分,辛さ半分だったような気もします。大体,途中で不機嫌になってかえりたくなっていたように思います。だから平日にディズニーランドに行きたいというのは親の願望かもしれなくて,もしくは親が子供を喜ばせようと思っていてから回りしてるのかもしれません。

うちの場合,子供の都合関係なく,私たちはあちこち子供をつれて遊びまわってますが…。子供の都合無視なので,親自身は最後まで楽しそうにしておこうとは思ってますが。

結論としては良くわかりません。子供がそういう歳になったときに,子供の様子を見て考えるかなぁ…という感じです。一般論的には語れることってないのかなぁと思います。平日じゃなくても,夏休み冬休み春休みってあるんだから,そっちにあわせて会社のほうを休めばいいかなとも思いますが。
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医者の役割

2011-11-14 16:01:16 | 医療・福祉
医者を信じるしかないのだけど」なる文章を読みました。お母さんが悪性リンパ腫になったのだけど,お父さんが以前がんになって,医者に言われるまま治療を受けていたら,結局亡くなったという経験から,今回も医者の話を聞くのに戸惑いがあると。「医者に対する恨みみたいなことはないけれど,かといって全面的に信頼をすることもできない,という気持ちだけは残ってしまいました。」という言葉は,納得するとともに,筆者の人柄の良さをわたしは感じました。とにかく医者を恨む人もいるからね。

私自身は医者を全面的に信用しなくても別に医者に失礼じゃないと思うし,でも,治療方針については結果的に言いなりにならざるを得ないんだろうな…と思ってます。もし担当のお医者さんが信用できなかった医者(病院)を代えるしかない。医者全体が信用できないのではなく,その医者が自分の考えと合わなかっただけだろうな,と思います。

わたしは結構な大病院で手術を受けましたが,担当の先生は一日何本も手術をして,その後は回診したり,外来を受けたりと,とにかく忙しそうでした。手術前の説明は2時間くらいかけてじっくりと話しましたが,その後の回診とか外来は10分とかまぁそんな感じ。それでも朝早くから夜までいて大変だろうなぁと入院中思ってました。

だいたい,わたしからすると自分のがんは命に関わって大変なことですが,先生からみたら,毎日何本もやってくるお仕事の一つです。わたし一人に集中するのは無理なのは良くわかってました。それでもまぁそれで良いかなぁとわたしは思っていたし,忙しいからかもしれないけど,受け答えは簡潔で,頭の回転は速そうに感じたし,わたしの病気はたくさんある案件の一つにしか過ぎないのだろうけど,でもむしろその経験の多さの方がわたしには良いと思えたのもあります。

ですから,わたしの病気も,その先生からすると,多くの経験から,「普通こうだろう」という対処をやってきただけかもしれません。自分に例外的なことがあるとしたら,それは自分で他の病院をあたるとかやったほうがいいのでしょう。あと精神的な悩みをその先生にぶつけるつもりもありませんでした。退院後,再発におびえた時,わたしは手術をした大病院ではなく,近所の内科に行って,(当時便秘がひどかったので)お薬をもらったりしました。そっちの方が話術的には人当たりも良くて,まぁ少し落ち着いたとか。

高価な自然食品には手を出しませんでしたが,青汁を飲んだり,冷たい水を飲むのを止めたり,手洗いに気をつけたり,いろいろやりましたが,それも病気が治るというよりは,精神的に落ち着けるためにやってるという自覚が自分にはありました。

医者はわたしの体を切って病巣を取り出してくれるけど,心を落ち着ける手段は自分で見つけないといけないとずっと思っていたし,暴走的に変なことをする自分をその時は許してあげてました。

まぁ今でもそう思ってます。病気になった自分の医者はすべてを救ってくれるわけではなし,そもそもその「お医者さん」が常にいい人とも限らない。ミスをされたらたまらないけど,でも,不可抗力な事もあるだろうし,そもそもがんで死ぬのは日本人としてはそんなに珍しい話でもないのです。

安心と満足は結局自分で探さなければいけなくて,病気を治すのもその一部だと思うと,医者に頼るのも一部でしかないわけです。オカルト嫌いの人が呪いをやる人を馬鹿にするけど,わたしは病気を病院で治しつつ,呪いで気分を落ち着けるのは何も矛盾したことと思いません。単なる分担でしょう。まぁだから医者を全面的には信頼できないというのはそんなに変な話ではないんじゃないかなぁ,そう思います。
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機械の体

2011-11-08 01:38:55 | 社会
銀河鉄道999では鉄郎は機械の体をもらって永遠の命を得ようとしましたが,実際に機械帝国がくれるのは,機械帝国を支えるネジとしての体でした。なので鉄郎はそれを否定します。松本零士の作品には他にも同じようなプロットを使った作品(大純情くんとか)あります。永遠の命の批判と機械化された社会の否定,そのいずれもが人間性を損なうものだ…という思想を感じます。人間が社会に組込まれ機械のようになってしまうというのは,モダンタイムスにもみられる見方で,「機械(化)の社会に人が組み込まれる」ことはそういうことだ…という思想はずいぶん昔からあります。それを直接的にある意味表現したのがマトリクスでもあり,これは機械が人間を直接食い物(燃料)にしてます。

さて,ちょっと前に話題になったWeb2.0というのは,ユーザがネット利用しながら情報をアップしていくことでネットが進化していくというような考え方がみられました。いまはビッグデータという考えがありますが,これも世界中の巨大なデータを利用するという考え方の中にSNSの様なユーザが手を加えた情報や,ユーザの行動自身を利用するというのも含まれていて,そこからサービスを産み出すというような考え方があるような気がします。

こういう技術は別に新しい技術じゃなくて,アマゾンの様なネットサービスでは購買履歴を利用してユーザにセールスをかけたり,その統計情報を販売戦略に利用したりしていると思われます。検索サイトだって検索履歴を商売に利用してます。

つまり,ユーザはネットを(お金を払って)便利に使っているという感覚ですが,実際はネットでのサービス提供者に商売の種を提供してることになります。つまり彼らを支えているのはユーザの行動情報になります。

…なんとなくこれって,ユーザがネットを支える一部になっているって事だよな…と思いました。しかもそもサービス提供者から謝礼をもらってるわけでもない。まぁただで使えるサービスも多いですけど。

松本零士が描いた機械社会のネジになるとかいうのは,いかにも人間に辛い社会でしたが,案外機械のネジになる社会というのは,人間に気づかれない様にやってくるのかも知れないな…と思いました。まぁマトリクスでもマトリクスの社会の方が居心地がいいという人間もいましたから,ネジが悪いものとは限らないのかも知れません;-p。

iCloudでアップルは何をしようとしてるんだろうと思いながら,ふとこういうことを考えました。
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膵内分泌腫瘍の記事

2011-11-03 18:43:05 | 医療・福祉
先週,アエラを買った。普段買わない雑誌だけど「ジョブス がんの真相」というタイトルに惹かれた。ジョブスの業績とかじゃなくて,彼のかかった癌の話が少しは書いてあるのかな?と思ったので。

彼がかかった癌は膵内分泌腫瘍で「いわゆるすい臓がん」とは異なる。ネットでも報道でもすい臓がんとごっちゃに語ってるのを良く見かけるが,結構違う…と思う。なにせ膵内分泌腫瘍は膵臓にできるがんの5%程で,「稀ながん」なのでたぶん症例とか経験談が少ないのだろう。だから何かを語ろうとするとすい臓がんの話になってしまっているようだ。

わたしがかかったがんはまさに膵内分泌腫瘍なので,病気になってずいぶん調べたが情報が少なくて困った。国立ガン研による膵内分泌腫瘍の説明がおそらく現在の日本の医学界の見解であり,他の医療機関の説明も基本的にはこれに倣っている。それ以上の情報や経験談はほとんどない。以前はこのがんにかかった方のブログがあったのだけど,お亡くなりになってしばらくしてページは消えてしまった。とても情報量が多いページだったので非常に残念に思っている。

今回雑誌の取材であれば多少は専門家の意見が読めるかと思って読んだ。

雑誌でもすい臓がんの話を書いていたりして,紛らわしいところが多いけど,内分泌腫瘍の話を書いているところも多い。内分泌腫瘍が膵臓にできたとみなしてよく,甲状腺にも同じようなものができるという見解は初耳でほーと思った。ただ,ハーバードの医者が言っている90%が良性という記述はがん研の説明とは異なる。がん研は半数以上が悪性と書いている。アエラよるとジョブスのは「グルカゴノーマ」と予想しており,良性が多いインスリノーマではない。ちなみにわたしのはたぶん無症候性腫瘍で悪性は50%の確率。続けて同じくハーバードの医者の「死体解剖をした人の10%がこの腫瘍をもっていながら死ぬまで症状がでなかった」というのは妙な書き方だなぁ。死体解剖をした人という母集団が良くわからない。

あとその医者が診た100%の患者が10年以上生きているっていうのもまぁ10年生きればいいってものでもないっていうか。ジョブスも診断から8年程度生きてるわけで,10年に近い。わたしが読んでいたブログの人も10年近くは生きていたけど,でもそれくらいだった。がんの治療成績で5年生存率というものさしがあるけど,そのせいか5年越えれば治療成功という意識でもあるんじゃないか?という気もしてしまう。

ジョブスが手術から5年間無治療だったという話は本当なんだろうか?。少なくとも5年に至る手前に既に痩せていて世の中を心配させた。わたしはその時に再発したと思ったし抗がん剤治療を始めたのだろうと思ったんだけど,違うんだろうか?。あと肝臓移植も肝臓に転移していたとみなすのがリーズナブルだと思うのだけど,そういう発表は結局されていない。まぁしなくてもいいと思うのだけど,ジョブスの病状は株価に影響を与えており個人的な問題ではないと言われていたところをみると,少しひっかかるものがある。

肝臓移植を受けたという話を聞いたときに,さすがお金持ちのアメリカ人だなぁとわたしは思ったのだけど,移植は免疫抑制剤を使うのでがんにはよくないという意見を読んで,なるほどと思った。そうだよね。わたしも手術のあと,免疫力が下がるのをものすごく気にしていたもの。

という風に少しジョブスの治療の経過の発表は少なくとも日本のがん治療の流れからすると妙なところがあって,正しい情報なのだろうか?それとも治療方針が日米で違うのだろうか?と疑問は残った。

…などと引っかかるところは多かったけど最初に書いた通り内分泌腫瘍の情報が少ない現在,わたしにとっては非常に興味深い記事だった。これからジョブスの病気が話題になることで,内分泌腫瘍についての医師の意見が出てくると個人的には助かる。
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