たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

自殺という病気

2008-05-29 20:17:25 | 社会
最近自殺のニュースが結構多くて,特に有名人や子供が自殺するとわりと取り上げられ,その後いろいろ語られることも多い様に思います。とはいえ,そのニュースとかで語れる様な,自殺した人の事情の考察には,わたしはあまり興味が持てません。ただ,そういう事情には興味がないのですが,語られ方としてちょっと気になることがあります。
というのはどうも自殺というのは,今の社会(日本以外はしりませんが)では,自殺した人が自分の意思で死んだもの…と見られている様に感じます。でも,わたしは自殺の中には結構「病気としての自殺」もあるように思います。そういう言い方はあまりされてませんよね?。わたしは自殺には病気のものも多い,つまり死んだ本人は意思ではなく,病気として死んだのだから,死んだ理由にはあまり興味がないのです。でも,どうして病気になったのかは興味があります。一方で,病気とみなさない社会は自殺を死んだ人の自己責任,もしくは他人事,として片付けてる感じがしますが,病気だったら本人の責任は減るし,われわれにも関係があるかもしれません。
自殺を引き起こす病気としては鬱病が代表的ですが,そもそも日本は鬱病すら病気とみなしていないような感じもします。これもどうかね?,と思います。
一方で,最近はウエストが85cm超えたぐらいで病気予備軍として,いろいろ治療や検査までしてくれるという手厚い行政ぶりです。わたしは,病気も自己責任の部分もあるし,あと寿命や運命の部分もある,年寄りや乳児が成人した若者より死に易いのも,まぁ生物的に当然な気もするのですが,そういうところまで国が責任を負うようになったのは,ちょっと奇妙な気もします。まぁ病気に対して国が補助をしてくれるのは病人としては大変ありがたいのですが,どうも妙なバランスだよな…と思うことはあります。
でも,一方で自殺や精神疾患に関しては,どうも冷たいというか,世論形成がされてないな…と感じたりしてるのはわたしだけでしょうか?。
ちなみに,病気か病気ではないか?の線引きに「治療できるかできないか?」があるような気がするのは間違ってますか?。というか保険治療がない病気は病気としては扱われてない気がします。だから自殺は病気扱いされないのでしょうか?。
病気だとすると,そういう病気にかかったら,だれでもそうなるかもしれないし,一方で病人の心情を考察するよりも,病気の見分け方や,病気にかからないようにすることのほうが大事な気がします。でも,自殺に関してはあまりそういうことを語る人がいないのが,なんとなく変だなぁ…と感じてます。
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物理の人気は必要か?

2008-05-27 23:39:22 | 社会
竹内薫先生が,「そして誰も物理を学ばなくなった」というのと「物理が絶滅する理由」というのを読んで,いまいち問題点がわかりづらい。先生は理学博士で物理好きなので,物理を学びたい学生が減ってることを嘆いているようですが,物理の人気がないのが,ほかの生物や化学に人気があるからか,人文系が人気があるからか,勉強自体が人気がないか…のいずれかでちょっと意味が違うように思います。
勉強自体が人気がないのであれば,日本の将来を大いに嘆くべきだし,人文系が人気がある(いわゆる理系離れ)も結構危機感を感じますが,物理の代わりに生物や化学に人気が移っているのであれば,それはそれで良いんじゃないか?と思ったりもします。
確かに,電子回路や機械設計とかをやる上で物理が弱いと,将来競争力がそっちの方面では弱くなるようには思いますが,生物や科学が人気があるとしたら,バイオ方面とか,部品素材開発で競争力が伸びるかもしれませんし。
わたしが高校生だった25年位前は,確かに理系というと物理が人気で,次が科学,生物と地学なんてぜんぜん人気がありませんでした。ついでに書くと,わたしかもう少し上の世代はオーディオも人気がありました。でも,わたしが社会人になったころは,もうオーディオの新技術は頭打ちにあり,画像処理とかの人気が出たのもあり,音響よりも映像のほうが仕事も多いように感じました。
まぁそれは良いとして,むしろ今考えると,何で当時はそんなに物理が良いと思ったんでしょうねぇ…と思ったりもします。いま自分が学生だったらやっぱり生物とか化学とかを選ぶように思います。当時は物理をやれば,どんな仕事に役立つと思ったんだろう?とか。わたしが小学生のころは宇宙戦艦ヤマトとかで相対性理論とかが人気があったといえばそうなんですが,そういうのがものづくりに役立つとは当然想像もしてなかったわけで。なんか研究の現場にいるとどういう学問が役に立つかは,何十年単位で変わっていくように思います。
ついでに書くとわたしにとっては物理は生物や地学や,地理や世界史より受験には楽だったのですけどね:-p。
というわけで,物理の人気がなくなったこと自体はわたしは危惧してません。でも,そろそろ物理化学地学生物という分け方ってどうなんでしょう?。生物やっていても,物理って必要だよね?とか思ったりもしますから。理系離れは,あるとしたら危惧してますが,これは学校の問題というよりも,社会の常識が,理系のほうが給料が低いとか,もしくは子供が見る漫画やゲームが,あまり学問的ではない(ファンタジーとかが多い)になってることのほうが大きいのではないか?と思ってます。こっちは,大人が子供に何を語れるか?ということで,それこそ作家の皆さんにもがんばっていただきたいと思ってます。
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キース・ジャレット solo2008(東京芸術劇場)

2008-05-24 09:49:47 | ライブ鑑賞
キースのライブは来日するたびに少なくとも一回は行っているし,ソロも何度も観てるので,ちょっといまさら間があるのですが,病気から復帰して以来のキースのライブは,体力の復帰や表現の新しい追求みたいな,新しい面の発見も多いのでやっぱり見逃せません。今回は日本公演の最終日の芸術劇場に出かけました。
今回は1st.セットが35分くらいの長い演奏のあとブルース。2nd.がたぶん3曲,そしてアンコールが3回でした。1st.の一曲目はこれまで聴いたライブの中ではずいぶん長い演奏で,変化もさまざまでキースの集中力や演奏表現の豊富さのすごさを感じます。ちょっと一曲目で緊張が途切れたのか,それとも客席の緊張を和らげるためか,ブルースはちょっとサービス的な感じもしました。
最近のキースのソロはCDとかの演奏を聞いてもわかりますが,コードやメロディを解体してしまったような,アブストラクトな演奏が多く,ピアノの演奏表現を追及してるような感じがあります。今回の一曲目,2nd.の二曲もそんな感じで,聴いているほうもかなり緊張を強いられます。でも2nd.の三曲目はそういう始まりから,いつの間にか美しいメロディの曲に変化して行き,その解体された音の断片から,メロディやコードが構築されていくところがすごい…そういう感じでした。
以前はここまで曲を持ってくる前に結構息切れしていたような演奏も多かったのですが,今回のはすごかったし,逆に一曲目の様な,解体された中で変化をしていく演奏も,すごいです。
アンコールはスタンダードとかを弾いたりしましたが,やっぱり本人も,こういう演奏は楽なのだろうな…という感じはします。それはそれでリラックスできていい演奏ですけど。
芸術劇場は,以前キースが観客に苦言を呈するという事件があったところですが,観客もそういうのを知っているのか,今回は,咳払いも皆さんものすごく我慢しているし,演奏後の拍手も,キースがペダルから足を離すまで我慢するとか,観客の理解もすばらしかったです。まぁでも,キース自身も,客席のそういう緊張感をちょっと感じている感じはしました。キースが観客にリラックスを促すような感じもありましたし。
というわけで,1stの最初の長い演奏や,2ndの最後の演奏とかは,これまでのソロ演奏の中ではひとつの到達点という感じで,ぜひCDに入れてほしいなぁ…と思いました。
でも,一般の観客の中にはああいうアブストラクトな演奏よりもバラードとかスタンダードとかそういう演奏を良いという人も,多いようだなぁ…とちょっとmixiとかを読んでいて,うーん,と思いました。まぁこの辺の演奏に対してキースがどう思ってるかは,ちょっと気にはなりますが。
というわけで,キースのソロはますます進化してるなぁ…ということで,大満足,最高の音楽を聴けた日でした。
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医療制度と敬意とお金と消費税

2008-05-21 23:15:05 | 医療・福祉
この間の週末の朝,TVを見ていたら後期高齢者医療制度に怒る高齢者自民党議員が出ていまいた。自分達が賛成した制度に怒っている…というのは,滑稽以外の何者でもない…と思うのですが…。そのあとも与野党のこの制度に対するやり取り,たしか医療制度改革には賛成していたのに,代案も出さずに廃止だけを要求する野党第一党と,本当にいい制度と思ってるのかどうかわからないけど,とにかく理解をお願いする与党の図は,なんともわけがわからず,思わずチャネルを変えてしまいたくなります。
最初の滑稽な老人の言い分を聞くと,法律が成立するとどうしてこういう運用になるのかわからないとらしいのですが,だったら,運用の問題なのか?。それでも制度やお役所を庇うのは,成立させた手前,さらに変更すると,信頼を失って票を失うと思ってるのかしら?。一方の,某野党も廃止してどうするつもりなのかしら?。国が傾いていくのを黙ってみておけとでもいうのでしょうか?。
高齢者医療制度の話の時に,年寄だけつれてきて,議論するのは良くわかりません。制度を支えるのが若い世代なのであれば,両方を交えて,意見を聞くべきじゃないか?。確かに年寄を目の前にして若い人が,「死んでください」とは言いにくいとは思いますが,子供を育てたり教育をうけさせるのにも困る,それこそワーキングプアの若者をつれてきて,議論させて欲しいです。少なくとも,そういう番組をながした後に,きれいな一戸建てに夫婦二人で住んでいて,海外旅行とかに行ったりするのを別の番組だけど流す局は,わざとなのか,無神経なのか良くわからないけど,世代間抗争を扇ろうとしてるんですかね?と思いました。
この制度,なかなかわかりにくくて,結局は誰の負担がどれくらい増えているのか?とか改革の骨子はなんなのか?というのがわからないまま,反対してる人が多いので,今一つ賛成も反対もしずらいのですが,今の医療制度がこのままで行かなくなってるだろうな,というのはわたしもソウ思います。そういうなか,実際の現場の医者から見た意見で,「6000円ルールを悪用するとしたら」という話は,ちょっとなるほどと思いました。もう一つ,こちらは姥捨山化に危惧する意見も実際にかかるであろう医療費の話や,他人事ではない末期患者の家族とかの感覚とかいう点ではとても参考になります。でも,これでも全貌じゃないという気はします。
後者の意見は,結局,いまの若い人と現場の医療関係者を救うためになにかしなくてはいけないけど,年寄りを見殺しにする葛藤を感じさせます。でも確かに歳を取ることが喜ばしいという「建前」が失われているというのはそうですが,医療を受けさせることが年寄を敬うことなのか?という気がしないでもありません。いくらお金をかけられるか?が,敬意なんですかね?。幸せってお金なんですか?。
いずれにせよ,難しい話だとは思うのですが,なんとなく世の中「消費税上げてもしょうがないよね」という世論が形成されているようにも思えて,ちょっと戸惑いを感じてしまいます。いや個人的には,それもありかとは思うのですが,そういうのは是非今の制度の取り下げを反対している野党第一党から提案して欲しいものです:-p。そうしないと無責任なだけですから。
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いーじゃん!J-POP(マーティ・フリードマン)

2008-05-17 06:33:26 | 書評
ちょっと前にニュースに紹介されていたこの本。読んで読みたくなって買いました。
マーティ・フリードマンはNHKの英語番組とか,いろいろ出てるようですが,わたしが見かけるのはもっぱらタモリ倶楽部で。元メガデスのギタリストという肩書きを良く見ますが,わたしはメガデスをしらないので,日本語がうまい日本在住の米国ギタリストという認識です。
この本は三部構成になっていて,一部がマーティの半生,二部がマーティが選んだ日本のJ-POPベスト40,三部が日経トレンディに連載しているJ-POP批評となってます。
第一部はなぜマーティが日本に住んでいるか,なぜあんなに日本語がうまいのか,もともと何の仕事をしていたのか?が書いています。わたしの中では変わった外人…という認識だったマーティが良くわかりました。二部は,ベスト40ですが,これは本人が書いているように日本人はランキングが好きなので書いてみたという感じ。ただ彼のJ-POPの好きな点が非常にわかりやすいです。
最初のリンクでもわかりますが,マーティはJ-POPが大好きで,それは,J-POPはスタイルの縛りがなくて何でもありって事,アメリカでは考えられないような音楽の要素の組み合わせがたくさんあって,とても面白いらしいです。
全体的に非常にポジティブに書かれいてとても気持ちいです。まぁ日本人は外国人から日本をほめられるととても喜ぶ…という感じだと思うので,読んでうれしくなるのもこっぱずかしいところもあるのですが,日本に住んでいると当たり前に思っている音楽性が外から見ると,そういう風に面白いのか…とわかるところはとても興味深かったです。もうすっかりJ-POPは聴かなくなってますが,紹介された曲も聴いてみたいと思いました。
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BOSEスピーカの特徴

2008-05-15 22:37:12 | 音響
ネットを観ていたらボーズ博士が米国の「発明家殿堂」入りをしたという文を見つけました。ボーズ博士とはいうまでもなく,スピーカメーカであるBOSEの創始者です。ボーズは今ではオーディオが好きな人なら誰でも知っているメーカで,オーディオマニアから普通の人まで非常に信頼があります。実はちょっと癖があるので,マニアの中には嫌いな人もいるのですが,それは裏を返せば,それだけ存在感があるメーカということです。BOSEのスピーカはボーズ博士の独自の音響理論で設計されたとされていますが,その独自の理論とはなんなのでしょう。…と論文が出てるのかもしれませんが,読んだこと無いので,ちょっとわたしなりに感じるBOSEのスピーカについて語ってみたいと思います。
BOSEというと今でこそ,ヘッドホンやオーディオシステムもだしてますが,もともとはスピーカのメーカで,そのスピーカのヒットで有名になってます。なので着実に名前を上げていった初期のスピーカについて書きます。誤解の無いようにあらかじめ書きますが,今から書くことはわたしの思い込みで,BOSEや博士が語ったポイントではありません。
BOSEのスピーカはホームページの沿革に書かれているように,最初からマルチドライバのスピーカから始まってます。わたしがBOSEのスピーカを知ったのは70年代後半…つまり日本に入ってきてまもなくだと思いますが,当時売られていたスピーカは901,801(802?),そして30?,20?,40?,くらいでした。後に大ヒットとなる101はまだ売られていませんでしたが,当時から非常にユニークなスピーカでした。
ボーズの型番の最初の先頭の数字はスピーカの数で,最初にでた901は9個のスピーカがついてます。ユニークなのは901は9個スピーカがついてますが,受聴者の方を向いているのは一つで,残りは全部裏面についてます。そして全部が同じサイズのフルレンジです。当時の…というか今でもそうですが,高級スピーカは大抵はスピーカの数が増えると,異なるサイズで増えます。JBLとかがそうですが,大抵は大型のウーファ,小型のツーイータがあり,さらにミッドレンジとかがあります。当時の高級オーディオというと大型のウーファを持ち低音を出せることを売りにするのが通常でした。しかしBOSEは11cmのフルレンジだけを9個しかも8個は背面です。
8個のスピーカが背面に並んでいるということは,スピーカから発せされるほとんどの音は,直接受聴者に届かず壁などに反射して届くことになります。このような場合,音の響きは豊かになりますが,音像はぼやけます。ドライな音を鳴らす場合にはいいでしょうが,レコーディングで調整した音を鳴らすのに適してるかはわかりません。ですが,他のスピーカとは異なる独自の音にはなります。
そして901はわりと当初からイコライザをセットで売っていたように思います。これは11cmのフルレンジでは十分にフラットな特性を作れなかったのかもしれませんが,当時スピーカに専用のイコライザをつけるという考えは珍しかったように思います。通常はスピーカのみでフラットな特性を作ることを目指しますが,BOSEにはあまりそういう姿勢が観られませんでした。
ついでに書くと私は101を一時期所有してましたが,101にも11cmのフルレンジが載っています。40Xや802などもほとんど同じサイズのスピーカでもしかしたらBOSEは全部同じドライバを使っているのか?と思ったものです(真相は知りません)。で,101のスピーカを見て驚いたのは150Wの耐入力を持っていたことです。
というわけで,少なくとも初期のBOSEのスピーカの特徴は,11cmの高耐性フルレンジのみを使用する,反射音を積極的に利用する,イコライジングも使用する,ということです。このあとボーズはサブウーファを持った50Xやキャノンウーファ等を出していきますが,これらもそれまでにあったスピーカとはかなり経路の違ったものです。
さて,ボーズ博士が目指していた理論とはなんだったのでしょう?。わたしが思うに,BOSEのスピーカは特徴が音になって現われる,つまり聴いてその技術的ポイントがわかる…という点に重点がおかれている気がします。これはスピーカとして当たり前の様に思うかもしれませんが,そうではありません。それまでの高級なオーディオは「原音に忠実」であることを売りにしてました。原音に忠実ということは,スピーカに色が無いことです。つまり究極的にはどのスピーカを使っているかわからないことです。でもボーズのスピーカはおそらくわかります。
もっともボーズ博士自信は,BOSEのスピーカは忠実だというかもしれません。でもおそらくBOSEのスピーカが再現している音は,原音に忠実な音ではなくボーズ博士の心でなっている音だと私は思います。そしてその音がスペック的にも,見た目的にも,そして出てくる音も非常に斬新であり(そしてMITの教授が考えたというお墨付きもあって)オーディオファンに受け入れられたように思います。

以上わたしの勝手な思い込みですが,BOSEのスピーカについて書きました。ここでわたしがボーズに学ぶことは,オーディオは原音に忠実な音を出すことを目指すのではなく,わたしが聴きたい音を,聴いてワクワクする音を出すことだと思うということです。間違ってるかもしれませんが,わたしはそう思います。
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安全にわざと壊れる

2008-05-14 23:10:08 | 時事
昨夜帰ってきてTVをつけたらクローズアップ現代で,老朽化して故障する家電…というか,ストーブとかその類のものだろうけど,要は危険なことが起きる…というような話をしてました。
夕食を作りながら流し観していたので,あまりちゃんと聞かずに感想を書くのもなんなのですが,なんか,メーカの責任みたいにいわれても難しいな…と少し感じました。というのは確かに5年くらいでそういう危険な状態になればメーカの責任だろうけど,10年どころか,20年,30年使っている家電もあって,ある意味動いているのが不思議なくらいなものもある気もします。使えなくなったら困るとかいうユーザもいましたが,30年経ってるから買い換えてくださいというと文句を言うのだろうけど,じゃぁ20年で故障して動かなくなったら,文句を言うのだろうか?という疑問が…。
つまりこういうと変な感じだけど,かえって壊れなかったから危険な状態になってる…。さっさと壊れればよかったのか?とか思いました。一度も点検に出さないので,点検を呼びかける必要があるとか終盤いってましたが,しょっちゅう壊れたら,たぶん点検をすることになるんだよなぁ…と。こうなるとむしろ長持ちするよりは,壊れても安全に動かなくなるような壊れ方をする…という風に作ったほうがいいのか…これからは…と思いました。
日本の製品は品質がいいので,壊れないのだけど,その品質のよさがかえってクビをしめてるのでしょうか?。かって日本にたくさんのピアノメーカがあったときに,ピアノは100年使えるので,買い替え需要がなく,メーカがつぶれた…というなんかお人好しなのか,良く考えて無いのかわからない話を聞いたことがありますが,ちょっとそういうことを思いだします。今の日本車だって,品質がいいので壊れなくて買い替え需要が起きないという問題もあるようです。
環境に対しての負荷を考えると,もちろん一つのものが長く使えるのはいいことです。でも,どこも壊れないと,車検制度がある車ならともかく家電は修理にも点検にも出しません。修理は人件費がかかるので,嫌がられますが,こういう安全のことを考えると,ボディみたいなのは頑丈につって,でもどこか消耗部品をつけて,定期的に交換修理をするような作りにしたほうがいいのでしょうかね。それでもだましだまし使う人もいるだろうから,安全に壊れる必要がある。壊れないということよりも安全に壊れることが家電とかにも問われるのかな…と思いました。もちろん,そういうことはとっくにメーカさんは気をつけてはいるのだと思いますが…。
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天才と成功

2008-05-13 23:21:12 | 社会
なんかネットを回っていたら,子供の頃知能指数テストですごくいい点数を取ったのだけど,その後落ちこぼれて…っていう話を二つくらい読みました。なんとなくリンクをするのが気が引けたので,やりませんが,二人とも今は経営者をやってる人のようでした。まぁ経営者と言ってもさまざまなので一概に成功した人とはいえないのですが,以前からうすうす思ってることとつながったので,続けます。
以前からTVとかで成功してる芸人とか識者というかとある分野で成功してる人の半生とかを見て思うことがあります。わたしはそういう番組で,どうしてこの人はこういう有名人になれたのだろう?ということをかんがえるのが好きです。成功するには何かしらの理由があると思う(もちろん運も含めて)ので,それがなにかを知りたいなと。で,芸能人とか物書きとか経営者とか,まぁいわゆる成功者とかの半生をみていると意外にもともとは金持ちだったり,親が経営者とか役人とかまぁそこそこの人だったりするケースが多いなぁ…と感じてます。芸能人じゃなくて,学者とか大企業人の場合は,本人も高学歴だったりしますが,芸能人とか芸術家とかは本人は学校でおちこぼれたり中退したりしてるパターンも結構あります。でも共通してるのは,子供の頃は結構優秀というか,親は優秀というか。
つまりなんとなく思うのは,もともとは頭がいいのだな…という事。成功するには学歴とかは関係ないけど,もともとの頭のよさ,地頭のよさみたいなものが必要なんだろうか?ということです。
勉強が出来るできないというのは表面的なもので,実際は記憶力があるとか理解力があるとか,そういうのが成功には不可欠なんでしょうか?。もちろん遺伝どうこうというつもりもないのですが,親が喋る内容や親が子供に見せるもので,意外にスタートダッシュで差がついていたりしないのだろうか?と。
そういう意味でいうと,なんか結構辛いものがあるな…と。成功者がオチコボレだったと言っても,最初から落ちこぼれだったのかと,途中で勉強に興味がなくなり脱落したのでは,実際は違うのではないか?とかすこし思ったりもします。
もちろん親が相当なちゃらんぽらんでも,成功して無い人がいないわけでもありません。遺伝や子供の頃の環境に関係なく頭がいい人が出来る場合もあるように思います。あと子供の頭の良さってわかりにくくて,馬鹿なことばかり言ってる子でも,意外に頭の回転がいい場合もあります。…とか書くと結局良くわからない…ってことになってしまうのですが(^^;),なんとなく全体の傾向として成功者は勉強が出来たかどうかは関係ないが,もともとの頭の良さみたいのを持っている様な気がしたので,ちょっと思いつきとして書いておきます。
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メモリカードか内臓メモリか

2008-05-11 11:53:33 | 音響
とある思惑があり,ビデオレコーダのカタログというかWebをみてました。あとAppleのタイムカプセルとか,他のメーカのネットワークドライブを調べてたりしました。
わたしは最近はすっかりiPodユーザで,自宅で音楽を聴くときもMacのiTuneで聴くことも多く,聞き流す時は正直あまりいい音で聴いてなくて,もうすこし何とかならんかなぁ…と思いつつ,やはり便利なのは強いな…とか思ったりもしてます。PCMとかで保管すればだいぶましになるのだけど,ちょっと容量がな…とか思ったりも。
一方自宅ではHDビデオレコーダでTVを観たり,DVDに保管したりもしてます。時々移動中にPCでTV録画したものを見たいなぁと思うこともあり,なんとか自宅で録画した番組を簡単にもちだせ無いものか?。メモリカードとかにHDの番組をコピーできたりするといいのですが,ビデオレコーダのメモリカード対応は録画するというよりは,ハンディビデオで録画したものをHDに移すという目的でついているみたいでHDの番組を持ち出すためじゃないのだな…とか思いました。
以前も書きましたが,私は7,8年前にメモリ音楽プレーヤの開発に関係していたことがあって,その頃は,メモリカードも数十MBしかなかったり,高価だし,アルバム一枚が入らなかったりして,CDを圧縮してもこまめに曲単位でコピーして,再生時にも何枚か持ってるメモリカードを差し替えて…という感じだったのですが,いまだとiPodは数十GBあって,曲単位というより,もってるアルバム全部がまとめて入る人もいるくらいです。またUSBという規格の浸透で,メモリのフォーマットは気にせず,そのままパソコンや機器に挿して使うという形態の方が便利なのかなぁ…という感じ。正直音楽のほうは,メモリカードとかディスクの規格なんてどうでもいいんじゃないか?という気すらします。でも,まだまだメモリカードに音楽をダビングして聴きましょう…っていう機器もあるんですよね…。
で,ビデオのほうはまだまだ容量が必要ってことで,ディスクに録画…って感じみたいですが,容量だけみるとメモリカードと光学ディスクってあまりもう差が無い。値段はぜんぜん違うのですが,そのうち差も減っていくかも知れません。それ以前に,今の様に屋外に録画した番組を持ち出してみるということに便利に出来てないのであれば,HDDに番組を保管しておけばいいので,光学ディスクっているのかしら?って思ったりもします。また屋外に持っていくのであれば,メモリカードの方がやっぱり便利で,メモリがディスク並みに安くなることは無いとしても,10枚程度持ち歩くには困らない値段になれば,まぁそれでいいよなぁ…と思ったりもします。
さらにかくと外に番組を持ち出したい場合,別に高画質である必要ないので,画質を落としてでも簡単にコピー出来るように出来ないのかしらね?とか思います。
というわけで,メモリとかディスクとかいろいろフォーマットが乱立していて良くわからないし,10年前と今の状況の差を見るに,また何年か経つと様相も変わるんだろうな…と思うのですが,こういうメディアの寿命が短くなればなるほど,枯れているCDのフォーマットは根強く残り,またPCにコピーできるようなフォーマットやIFこそ残るというなんか皮肉な状況ではあるなぁ…という気もしてます。やっぱり大容量ネットワークディスク欲しいなぁ…。
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ある意味今の女子学生の就職への意識は真剣なんだけど,それをわからない社会人も多いって事か…

2008-05-09 11:27:31 | 社会
ネットで見つけた「『私、ここで結婚できますか?』と聞く女子大生、どう思います?」という文章を読んで面白かった。どこが面白かったか…を書くのはちょっと難しいのですが,幾つか思うことがありました。
わたしは就職活動中の女子学生がそういう質問をしても,別に仕事をまじめに考えてない…とは思わず,むしろ結婚しても仕事を続ける意思があるという意味に取るのだけど,そう取らない人もいるのだなぁ…。仕事の中身を聞かないのは,仕事をまじめにするつもりが無いのではなく,「なんでもやります」という意味にも取れるし,就職活動とかで仕事の内容を聞いてもわからないと思ってるのかもしれません。実際仕事が自分にあってるかどうかは,就職前に他人から聞いてもなかなかわかるものでもないから,まぁそういう割り切りはあるでしょう。仕事を選ぶという感覚は我々のようなバブルの世代にはあったかもしれませんが,今の若い人は売り手と言ってもやっぱりまだ就職が大変だった先輩達の記憶があるだろうし,またわたしの親の世代とかも,仕事なんて選べなかった…,むしろ結婚してクビになったりはしないよな…という感覚はあったかもしれません。
それから,やっぱり今,少子化とかいう話もあって,一方で雇用の戦力として若い女性が期待されていたりして,つまりある意味男性より多くの面で社会から期待されている部分が大きいので,男性よりよっぽど大変。また仕事なら10年20年かけて積み上げられるけど,子供を産むことに関しては,20代で既に適齢期なのだから,仕事よりよっぽど差し迫った問題。社会に出てからかんがえる男子よりよっぽどすぐにかんがえないといけない問題があるのが女性なのでしょう。
この文章を書いた人は「女性として特別扱いを受けたことが極端に少ない人生を送っている」と書いてますが,そこでいう「特別扱い」というのはチヤホヤって事なんでしょうか?。わたしの若い頃の女性はかなりチヤホヤされていたけど,それは逆にいうと一人前として認められてなくて,社会に出てもどうせ腰掛だから…と思われていたからこそのチヤホヤだった気もします。そういうのはなくなってきてるのかもな…とも思いました。
まぁそういう風にいろいろ思ったのですが,やっぱり出産だけは男性が代わりに出来ないので,なんとも厳しいものがあるな,とも思うし,男女ともに高学歴になって社会に出るのが遅くなってる分,どちらも大人になるのが遅いのだけど,身体的な部分は,待ってくれてるわけでも無いし…などとも思います。
学生と社会人のずれみたいな話も面白かったのですが,こういうことは経験者である社会人こそが汲み取るべきじゃないのか?という気はします。
おまけですが,この記事に関するはてなブックマークも面白かったです。
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