たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

嘘がいけない理由

2012-01-31 22:48:42 | ココロ
ネットで作り話を実話として話す…っていう話から,嘘をつくのがいけないか?…という話に発展。

それにたいし「「絶対にウソをつくことが許されない世界」というのは怖くないだろうか。」という問いかけがありました。子供がつく他愛もない嘘に対して,どの様に対処するか…って話。

わたしの考えでいうと,嘘をつくのがいけないのではなく,嘘をつくとリスクが生じる。そのリスクを乗り越えられるかどうか…なんだと思います。…なんて話を子供にしても理解できるにはだいぶ大人に近くなってからだろうけど…。

とりあえずは嘘をついたら叱るんだと思います。でも中には無邪気な嘘もあるでしょう。それを「嘘ついたなぁ~」と軽く叱るか,激しく叱るかは内容に依るのかもしれませんが,嘘をついて何事も無かったようにとか誉めるとかいうのは,なしなんだろうな…と思います。大変なことになる嘘と,たいしたことにならない嘘があることは,経験で学んでもらわないと仕方ありません。でも基本的には嘘をつくとバチ(リスク)があたるって事を伝えるのだと思います。

小学校の上学年くらいの時だったと思いますが,わたしはばれなければ嘘をついてもいいのでは?…と思ったことがあります。でも,ばれないように嘘をつくと,嘘をつき通さないといけないし,その嘘に対して,新たな嘘をつく必要が出ます。事実に基づいてないから,自分が何という嘘を言ったかも間違いやすい,そんなことを考えると,ウソをツキ通すのはかなりパワーがいるわけで,だんだんそんなことはやってられない,アホらし…と思うようになりました。

ばれなければいい…と思ってるって事は,嘘をつくことはいけないこと…という意識はまずあったということになりますが。

嘘をつくのはいけない…というのは簡単ですが,実際は社会に行けば嘘があるし,大人でも嘘をつきます。立場上嘘を言わなくてはいけない場合もあるでしょう。でもわたしは基本的にはなるべく嘘をつかないように,今でもしてます。仕事でもプライベートでも。それは上記の通り,嘘を突き通すのが大変だから。本当のことを話した方が楽だからです。

実際は仕事上の嘘というのは嘘じゃないけど本当でもない…という微妙なところが必要だったりするのですが,そういうのも面倒なので,素直に話せばいいじゃない…と思うことも多々あります。

でも一方で本当のことを何でも話すっていうのは勇気がいるんだろうな…とも思います。その辺は難しく,実際は嘘も言わない本当も言わない…と何も語らず…っていうところに落ち着くってケースが多いんだろうと思います。

ちなみに世の中には喋る度にいうことが違う人がいたり,まるっきり普通に嘘をつける人もいるみたいですが,そういう人がいることはわかるものの,わたしとは明らかに違うので,その辺の考え方は良くわかりません。凄いな…と思いますが…。
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お話が満杯になる時

2012-01-29 21:22:36 | ひとこと
最近2chとかで「俺の体験を聞いてくれ」みたいな感じで始まって,延々と体験談みたいな話をするが,最終的には感動的な話になって話題になる…みたいなのを良く見ます。先日も出会った人の話として書かれていて話題になっているのがあったようです。わたしはその書込みは読まなかったのですが,冒頭と最後を見て,その人が死ぬ話…だったように思います。

と思っていたら,なんかその話は実は創作だったようで,今度は実話と思ってだまされたみたいな話が話題になってました。それで騙されて大喜びすると,ネットで読んで感動した人達を今度は揶揄する文章とか出てました。

うーん,なんとなくモヤモヤしたのですが,こういう体験談としてネットに挙げられる文章って当然真偽のほどはわからなくて,それで読んで「いい話だな」と思うこともあるけど,じゃぁ真実だから感動するのか?というとどうなんでしょう?。そんなに重要ですかね?。まぁ多少は思ってるかなぁ。でも,「嘘でした」言われて怒るかというと,そこまで怒らない。「あぁ嘘だったんだ…」とか,「騙されたね,テヘ…」って思うくらいか。

こういう話って真実だと価値があり,フィクションだと価値がないのか?というと,そうでも無い様におもったりもします。ただ真実であれば,「あり得ない」…と思うような内容でも,真実だから…って思うところはあるでしょうね。まぁ事実がフィクションを越えることもありますしね。

それよりも私がその話を最後まで読む気にならなかったのは…というか,その前にも似たような話を読んだことがありますが,誰かと出会って恋愛をして死ぬというストーリが最近2chとかで多いのですよ。そして感動した…とか言われていると。私は実話でもフィクションでも人が死んで「感動した」という話は好きではありません。まぁ実話だと本当だからしょうがないだろ…ってことになるんでしょうが,フィクションだと感動させるために人を殺すなよ…と思います。でも実話でも感動を誘うために演出してると,死んだ人をそういう風に消費するのか?…と思うわけです。

これは,自分が死にそうになった時に,自分の死をエンターティメントにされてたまるか…と思ったわけ。人が死ぬ話は感動的でもなくて単なる悲劇だよ…と思ったわけです。

ただ,じゃぁ人が死ぬのに関係ない人が同情して・感動してっていうのは悪い事か?というと,決してそうでもなくて,そういう人がいるから,例えば病人を支援する活動が生まれたり,政治が動いて福祉が変わったりもするわけで,自分の死を食い物にして欲しくない…と思う一方で,でもそういう人たちも必要なところが,わたし的には非常に複雑でした。同情は嫌だけど助けも必要…みたいなところでしょうか。

ただ私の場合,お話に関して言うと,人が死ぬ話はお腹いっぱいというのが,心境なんでしょう。

お話が必要なのは自分が普段遭わない体験を擬似的に体験して,そこで考えるという意味では必要なことです。いざっていう時に一度も考えたことも無い状況であるより,どこかで聞いたような話の方が対処が出来ます。ですから,事実だろうが無関係だろうが,お話は必要なんでしょう。それゆえに実際に自分が体験をしてしまうと同じよう話の他の人の体験やフィクションは,もう読む必要が無くなってしまうんだろうなぁ,とか思います。
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管理職はなぜ黙っているのか?

2012-01-26 23:35:11 | 社会
管理職はなぜ書き込みをしないのか?というのを読みました。あぁ管理職じゃない人が書いたのだなと思いました。管理職が書いていたら,少なくともその人の事実だろうけど,管理職以外が書いても,想像でしかない。というか,管理職じゃない人から,そういう風に思われてるのかぁ?と思ったという意味で,興味深かったです。あっ,長いので後半は流し読みになってしまいましたが。

私が社会人になった20年位前は,上司はインターネットとか使える人がまだ少なかったというのもあって,管理職がネットを使わないのは使えないから…というのもありました。当時はネットというと,メイル,ネットニュース,メイリングリスト(ML)で,またWebすらありませんでした。特にニュースとMLはむしろ若いものの場所という感じで,オープンな場なのに管理職がいないことを,我々は良くとらえていたように思うので,むしろ,管理職が書き込みをしないのか?とか思われるほうがちょっと驚きます。

で,今はそういう人たちが管理職になってるので,まぁ確かにSNSはMLとかと勝手が違うところはあるけど,SNSが使えないから使わないという管理職は(いるだろうけど)少ないでしょう。で,なぜ使わないか?。

「一般社員はコミュニケーション能力があまってる」と書いてあるのはたぶん正解。というか管理職は余ってません。歳をとってエネルギーが落ちてるのもありますが(苦笑),特に中間管理職は上司と部下と両方を見てるので,エネルギーがそっちで消耗されてるのです。会社にきたら,上司やラインから沢山の連絡がメイルとか入っていて,関係あるかないかわからないまま,でも無視してると大変なことになるから,とりあえず全部読んで関係ないかチェック,関係あることは良く調べたり返事を書いたりとかやってます。部下からも報告があってそっちも読みます。そんなことをやってるともうパソコンで文字を見るのにはお腹いっぱいになるわけです。

だから,社内SNSとかで何か書いて欲しいと思われていても,「ごめん,そんな余裕ない」とか「それ何かの役に立つの?」という感じになってしまいます。ちなみに役に立つと思えば書くと思います。

あと,上司が書くと若い人が萎縮しないか?とか思って遠慮する事もあります。若い人が悩んで議論してる時に,自分の経験から最適解を書いてしまうと,折角の議論に水をさすというか,そこで終わってしまうのがもったいない…とか。答えが欲しくて若い人が議論してるのかもしれませんが,自分で考えて欲しいと思うこともあるわけです。実際生の打ち合わせでも,上司が発言すると,部下は発言をやめて終わってしまうケースが結構多いです。ですから,上司は最後に口を開くようにするとかいうのは結構あります。そうじゃなくて最初から最後まで自分がしゃべって満足して帰っていく上司もいますが(^^;)。

他にもいろいろ理由はありますが,真っ先に思ったのはそんなところ。自分も若い頃はネットでガス抜きじゃないけど,楽しくやり取りしていたし,今もそれなりにやってるから,SNSも楽しかろう…とは思ってるんですけどね。というか,自分の場合は,こういう日記を書いてるくらいだから,文字で意見を書くパワー自体はそれなりにあるんだろうとは思います。
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すべてがある国

2012-01-25 19:13:50 | 時事
以前から思ってる話。以前書いたかも。

日本には日本で使うものがすべてあります。それが当たり前だと思ってる人が多くないでしょうか?。でも良く考えるとそれって当たり前なんでしょうか?という気がします。

良く思うのが楽器。日本にはピアノメーカーがあります。ギターもラッパも全部日本のメーカーが売ってます。もしかしたら生産は海外かもしれませんが,会社は日本の会社です。バイクも車もパソコンも携帯電話もオーディオも全部あります。家電も…。衣服,鍋のような調理器具,家具,時計,全部あります。

まぁ農作物は国内で全部作るのは当たり前…といいたいところですが,実際は大豆とか蕎麦の様に日本食の主役の農作物はほとんど海外で作っていて,日本でほとんど作ってない…っていうケースもあります。衣服は日本人の嗜好や体型の問題があるから大体日本のメーカが作るのは当然でしょう。鍋は最近T-falの様に海外の安い(?)製品も流行ってますが,とりあえず日本のメーカはまだ生き残ってます。

楽器やパソコンやバイクが日本のブランドのものがあると書きましたが,すべての国でこれらを作ってるような気がしません。アメリカ製の楽器もパソコンもバイクもありますが,オランダ製,ベルギー製,フィンランド製,ノルウェー製…とかどうでしょう?。ちなみにオランダというとフィリップスですから,電気製品は一通り作ってますが,パソコンメーカはあるんでしょうか?。ノルウェーはノキアで有名ですから携帯電話は作ってますが。

フランスとかドイツとかイギリスの様な大きな国は,結構いろいろ作ってそうですが,日本に入ってきてないだけなんでしょうか?

ちなみにバイクは日本の四大メーカ(本田,ヤマハ,カワサキ,スズキ)が世界の四大メーカといわれ,この四つで世界の4割のシェアを握ってるらしいです。あと,海外の音楽のライブ映像とかを見ていても思うのですが,シンセサイザーもたぶん日本メーカ(ヤマハ,ローランド,コルグ)でかなりのシェアを握ってるのではないでしょうか。

バイクも車もシンセもピアノも,元々は海外(西洋)で発明されたものです。それを真似して品質的に追いついて,更に改良を重ね,海外のものより(日本で使うには)良いものを作ってきたというのが日本です。ですから,海外のブランドのものでも全部日本のブランドのものがあって,それでそろえて生活ができます。それが当たり前だと思ってます。

さて,最近また話題のTPPの話とか,あと別件で日本の家電メーカがTV事業で打撃を受けてる…とかいう話を聞いてると,例えばTVは日本製が無くなって,すべて海外ブランドのものになったりとか,そういう時代が来るんだろうか?とか思ったりします。で,それがいいか?というと私は少し居心地が悪い。他の人はどうかな?ってこと。

たぶんヨーロッパとかは,この製品は外国製で…っていう風に役割分担がされているものが結構あるんじゃないかな?という気がしてます。まぁヨーロッパはヨーロッパ自体を一つの文化圏として捉えることはできますが。他の国はこの辺,なんとも思わないというか割り切れてるんだろうか?。

日本にはすべてがある…っていうのは,いろいろメリットがあるとは思うんですが,もう,そこまでまかなえなくて,得意なところに注力しましょうっていう動きになってきてる気がします。TPPとかたぶんそれを加速させてしまいます。それがいい事なのかどうか?悩ましいです。
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柔道の授業

2012-01-23 20:32:42 | 時事
柔道で死んだ中高生は28年で114人というのがニュースになっていた。中学で武道が必修科目になったということを受けて,柔道はこんなに危ない…という世論が少し増えてるように思う。

人生において命の危機に遭うことは幾らでもありうるわけだから,学校で危険を全て避けさせるのは,社会に出たときにむしろその格差に愕然とする…ということもあると思うし,柔道に関しては受身などをきちんと身につければ,むしろ防護能力ともなる,そういう意味で柔道の授業化はメリットもあるかと思う。ただ子を持つ親としては,授業で事故を起こして,子供が死んだり障碍を残すことは耐えがたい…というのはあるし,リンクの記事を見ると他のスポーツに比べ,危険度が高いような気もする。何より「きちんと身につければ」と書いたけど,きちんと安全に身につかせるだけの指導者と環境を用意できるんだろうか?…という懸念がある。

わたしは高校の時に授業で柔道を選択していた。高校では,柔道か剣道か…もうひとつあったかなぁ…思い出せないが選択科目があり柔道になった。剣道をやってみたい思った気がするが,どっちを第一希望で出したのかははっきり覚えてない。柔道の授業を受けるに辺り,柔道着を買わされたが,剣道とかより安上がりだったかも知れない。

高校には柔道場があり,ゴムの畳表がかぶせられ,クッションが入れてあるのかフワフワの畳が敷いてあった。その上で受身とか乱取りとかやらされた。私は元々あまり運動神経が良くないのか,乱取りではいい成績を残せなかった。

思うに,フワフワの畳が用意できるのであれば,受身はヤラセた方が生徒にとっていいように思う。護身というか,転ぶときに頭をうたないようにするとか,役に立つと思う。ただ柔道としてのおもしろさは多分乱取りなんだろうなぁ。試合をせずにキャッチボールや素振りばかりやるようなものである。延々受身の練習だけやらせても生徒は飽きるし,柔道が嫌いになるだろう。受身と乱取りの間に技の練習とか,打ち込みというか投げをかける練習もあるのでそこまでというてもあるけど,やっぱりどこかすんどめというか,なんのためにやってるかそれこそわからない授業になる。乱取りを指導者とやれば安全だろうけど,生徒全部とやるのは時間的に無理だろうから,結局生徒同士で乱取りをヤラセ,悪のりして,やってはいけない技をかけたりとかすると事故が起きる…という可能性はやっぱり多いのだと思う。

自分は高校の時にやったので,いろいろと抑制の効かない中学からやらせていいんだろうか?…という気もするが,高校は高校で力が強いので,技が大技になる可能性もあり,どっちからがいいのか良くわからない。

というわけで,結構悩ましい。剣道だとツキをしなければ,柔道ほど事故は起らないかも知れないけど,子供が悪のりをすればやってしまう可能性はある。ネットで合気道の方がいいのでは?という意見もあり,なるほどと思ったけど,合気道は詳しくないので,合気道での事故が起きるのかはわからない,骨折とかありそうな気はするが。

勝手なことを書くと自分の子供が中学になる頃には,何らかの答えが出てるんじゃないかな?。指導体制が整うか,問題が起きて辞めているか…,でも今の子供らを実験の対象として扱ってしまうのはやはり気の毒。きちんと指導者と環境がととのえば…と書いたけど,環境はお金で解決できるけど指導者は結局現場任せになるんではないだろうか?。となれば地域格差も出るし,現場が頑張ればなんとかなる…というやり方は,基本的には賛同できない。

親として出来ることはなんだろう?…。武道の授業に反対するっていうのも出来るけど…,転び方みたいのは,なにかで学ばせておいたほうがいいって気もしないでもない。むしろ個別に柔道をちゃんとした人に習わせて,受身をきちんと習得させてから中学に上げるって手もあるけど,そこまでして柔道を習得させる気もないし…。

いろいろと難しいな…という気はする。
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Long Lifeビジネス

2012-01-20 20:26:20 | 社会
かって高度経済成長のころ,一般の家庭にアップライトピアノが急激に普及しました。…って調べずに書いてますが,昭和40年頃…って話もありますね。そういう意味では経済成長末期かな?…。

かって日本には大小多くのピアノメーカがありました。こういう状況で需要が高まれば,技術力のあるなしに関わらず,生産メーカは沢山出てきます。そういう中で力のあるメーカが,まぁいろいろ手段を使ってそういう中小のメーカを潰したり吸収したりして,日本での覇権をとりました。そのメーカはかってあった日本楽器という会社です。

…って書き方は冗談で,現在のヤマハですね。ヤマハが他のピアノメーカとどういう風に戦ったかって,昔,本があった気がするのですが,今でも売ってるんでしょうか?。

ピアノは裕福な家庭の象徴でもあったんでしょう。普及は進みました。調べたら現在ピアノって日本の世帯の4分1以上にあるそうです。凄いなぁ…。

というわけで,ピアノをどんどんつくってどんどん売った日本楽器は大きな利益を得て,とても大きな会社になりました。

ところが,ピアノっていうのはそうそう壊れないのです。ちゃんと使って,程ほどにメンテをすれば,100年だって使えます。そういう意味で,ピアノがある程度普及したら,ピアノはトンと売れなくなりました。日本楽器は大量のピアノを効率よく生産できるラインを持ってましたが,売れなくなったら意味がありません。だいたいわたしが就職した頃1980年代後半…,こういう問題が言われてました。実際ヤマハ(日本楽器から社名変更したのはこの頃だったと思う)は,ピアノ製造の技術を使い,家具をつくったり,テニスラケットをつくったりとかする一方で,電子楽器からLSI製造を始め,ネットワーク機器等と,領域を拡大していきます。

わたしが大学生の頃ヤマハのピアノ工場を見学したことがありますが。凄い勢いでピアノがつくられてました。でも,その時に思ったのは,100年壊れないような製品をラインで大量生産するって,ビジネスとして正解なんだろうか?…ということです。ヤマハは会社として残っているし,いまだにピアノを生産販売してるので,大丈夫ですし,ピアノは生産メーカじゃなくても直せる様なものなので,まぁいいんでしょうけど。

実は先日10年使えるLED電球のCMを観たときも,ふとその事が頭をよぎりました。CMはいいCMだと思うし,長持ちするっていうのは,一見環境には良さそうなんですけどね。

まぁピアノの100年と違い10年というのは,あまり過当競争にならなければ,それなりの買い換え需要は見込めるのかも知れませんが…,ロングライフのものを物凄い勢いでつくるのは,大丈夫なんだろうか?…という懸念が,長年わたしの中にはあります。消費者視点でも,会社の戦略としても…。

そういう意味では,15年電池が持つ携帯電話とか…。15年後に使おうとしたらサービスがまだ残ってるか?とか謎ですよね。使っていれば適当に壊れてくれた方が,本当はメンテナンスって意味ではいいんじゃないか?という気がしないでもありません。部品とかが再利用できるとか,生産メーカ以外でも修理できるとかが出来ると理想ですが。
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後世の人は先人の苦労も知らず,もっとすごいことが出来ると信じる

2012-01-19 12:45:01 | 時事
年末にやっていた坂の上の雲を見終わった。といっても今期分のみ。今期は戦争ばかりで面白くないという話をネットとかその他でも聞いていたのだけど,期待しないでみたせいか,案外面白かった。

ただやっぱり戦争ばかりなので,戦争をみたくない人には面白くないとは思う。最終回は日本海海戦の話で,艦隊の映像が,模型なのかCGなのか良くわからないけど,よく出来ていて,映画でもこれだけスケール感のある艦隊の映像はなかなか無いんじゃない?。これをTVで出来るところはさすがNHKだなぁ,という意味ですごかった。たぶんNHK自体もこの映像に自信があるから,これが最終回だったんでしょう。でも不平が出たのは,たぶんそういう映像のところよりも,人間ドラマの方が評判が良かったんじゃないかなぁとか思った。

という話を書きたいわけじゃなくて,TVの中でナレーションされた中で,当時(日露戦争),大国相手に戦争をしたわけだから,日本の財政は大変で,政府は後にも先にも無いくらいに経済に気を使った…みたいな事を言っていた。緊縮財政をやったってことだろうか?。で,そんな状況なのに,もっと強大な戦争であった太平洋戦争とかよくやったね…みたいな事を言っていた。

番組では日露戦争は普通なら勝ち目の無い戦争で,だけど勝ったのは日本人が優秀だったというよりは,幾つ物偶然が重なった…みたいな印象を受けた。つまり実力で勝ったんじゃないよ…ってこと。その後第一大戦は別として,太平洋戦争で,日本は惨敗するので,そういうことにしておかないとまずいわけである。

まぁそれはいいとして,つまりはその日露戦争は当時の人がひーひーいってようやく勝ちを拾ったのに,後世の人は,日露戦争に勝ったからきっとアメリカ相手でも何とかなる…とか思ったのかもね,と思った。そういうことって結構ある気がする。過去の成果が簡単に出来たわけじゃなくて,大変な思いをしてやって,それでも奇跡的に出来たのに,後の人が,それくらい出来るだろう,もっとすごいことができるだろうとか言い出してしまう。でも過去の成果でもやっと出来たのに,それ以上のことが出来るわけが無い。まぁ積み重ねで出来るものもあるけど,無いものの方が多いだろう。経営者は成長戦略…が必要で,常に過去より良い成果を求める。しかも単なる右肩上がりじゃなくて,指数的に上昇するような…そりゃムチャだろう…と思う。

さて現政権。それまで自民党が苦労してやってきたことをぶち壊して,もっと良いことができると信じてやった結果がこの有様である。たぶん,彼らに出来たから自分たちならもっとすごいこと出来るとか思ったんじゃないかなぁ。当事者じゃないのに,苦労なんかわかるわけないのに。

…なんて事を坂の上の雲が示唆していたわけじゃないと思うけど…,まぁそんな事を思いましたとさ。
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ポジショントークとその人

2012-01-16 07:41:00 | ココロ
社会に出てある立場を続けていると,自分の本心ではなく,自分の立場に合わせて発言をする必要が出てくる。いわゆるポジショントークというやつ。人は自分の信念とピッタリの組織に所属できるとは限らないし,その組織を必ずしも信奉できるとも限らないので,立場の意見と本音というのは必ずしも一致しない。というか一致していたら気持ち悪い。

組織の外の人から組織の事を問われれば,気心の知れた人ならともかく,あまり知らない人に対しては,自分の本心とは別に会社の立場で答えるのが,まぁ普通でしょう。とはいえ,どこでどういう発言をすべきか?というのは,一種の能力で,常に適切に立場に合わせた発言が出来るかは,人によります。組織の中になると,もっと細く立場がわかれており,役職が変わったり部署が変わったりすると,発言すべき内容は変わるし,それは儀礼的だったりブラフだったりもするんだけど,会議でわざと反対したり,逆に気に入らなくても,賛同したりとかそういうことが必要になってきます。

というか,おもうはそういうことがうまくできる人じゃないと,出世できない。下の方から見ると,上の人は怖くて頑固者に見えるけど,実際は上の人ほど立場が変わればいうことが変わる。本心じゃないことを,あたかも本心のように喋れる…って意味じゃ柔軟な人だったりするわけです。

ふと思ったのは,確かに偉い人はポジショントークがうまいのだけど,本人の本当の本音というのはあるんだろうか?ということ。建前はこうだけど,本当はこう思う…っていうのはちゃんとあるんだろうか?ということ。何十年も立場に合わせた意見を言っていたら,もしかしたら自分の意見など無くなっていて,常に立場をみてそれが自分の意見のように思い込んではいないだろうか?という気がした。

もう一週間も前だけど成人の日にちなんで弁当翁が昨日書いていた若者へ送る言葉はネタではあるんだけど,「これしかできない事を基準とせよ」という言葉はある意味,正しいな…と思った。まぁこれは二十歳の人にはちょっと早すぎる言葉で30~40位の人に言った方がいいと思うが。偉くなって立場に合わせた意見しか持てなくなっている人は,ある意味これしか出来ないって事はないのではないか?と,それはいいことか?というと実は,自分がわからないという意味では,あまり幸福ではないのかも知れない。

だいぶ前にfujiponさんが氏家さんのことを書いていたけど,氏家さんが自分は何もやってないと言ったのも,これだけ偉くなる人は,逆に自分の立場だけで行動をしていたのかも知れない。ある意味,自分の立場に合わせて言動を選べる人は偉くなれるけど,それだけだと,自分の本心,自分が何者か?わからなくなるんではないか?と。

等と考え,少し自分もそういうものをしっかり持たないとな…と思った。
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勉強への挫折の想い出

2012-01-14 20:57:09 | 育児・教育
アメリカの高校生がこれまで努力もせずにAを取っていたのが,取れなくなって「自分は賢くなかったんだ」と落ち込んでいるのをMITの学生が励ましてる文章が話題になってました。原文だとアレなので翻訳してくださってるのをリンクします。

ネットでは高校に上がったくらいに,こういうのを経験するんでは?とか,ここでいうツール(道具箱)が重要みたいな話で盛り上がっていた。ちょっと自分の経験を書いてみたくなったので書く。

自分の経験だと,子供の頃親はよく「勉強しろ」とか「宿題しろ」とかうるさかったけど,勉強が嫌いとか辛いと初めて思ったのは中学の2年くらいの事だったと思う。というのはそれまで,たいして努力しなくても,学校で習ったことをその晩に軽く復習をすれば,それなりのテストの点数がとれていたので,好きとか嫌いとか考えたことが無かったように思う。

ちなみに復習をするというのは,小学校の1年か2年の時,「直角」というのを習ったときに,先生の話を聞き損ねて,しばらく意味がわからず苦労をしたことがあり,一旦置いていかれると,後で苦労をすると知ったから。そういう意味ではきちんと授業についていかなきゃと思ったのは,小学校のこの時かもしれない。

まぁそうであっても,一日に習った勉強を,夜,わからないところはないよねと軽くチェックすれば,テストはほとんど満点に近く,四教科は常に「5」だった。他の音楽・体育・工作は3とかで,だからあまり好きじゃなかったという意識もあった。

中学校に入って,どこかのテストで学年一位をとったことがあり,校長に呼ばれて誉められたこともある。というのが,まぁ勉強が辛いと思う直前の話だった。

ところが中学校2年になり,夏休みに転校した。転校先のテストではいきなり200位とかそういう順番になった。今考えると教科書も違うので習う順番も違うから当たり前と言えば当たり前だけど,多分ショックは受けたんじゃないか?という気がする。転校先は地域の特性からか,非常に教育熱心で,その前にいたのは割と田舎だったのもあり,おっとりしていたので,先生が物凄く厳しくなったように感じた。。実際当時はまだ体罰が問題になる直前で,先生は生徒を何かにつけて殴ったりかなり高圧的だった。まぁその後体罰が問題になって先生が暴力をふるわなくなったら,今度は学生が暴れる校内暴力が起きたわけで,どっちがいいか,難しいところだけど。

というわけで,天然でいい点数を取れた時期は終わり,苦労して勉強し,してもなかなか成績が上がらないということを実感し,勉強が大変と意識を始めたわけ。最初のリンクに習うと「僕は頭が良かったわけじゃない」と思ったのはこの頃になるのかな。

というわけで苦労したわけだけど,一方でその転校先は教育熱心な地域だったので,学校の副教材が大量にあった。これまで教科書だけをみていればいいと思っていた中学の勉強に,参考書や問題集みたいな別の冊子を与えられて,それをこなせと言われた。その地域は実は一年しかおらず,そこでは高校を受験しなかったのだけど,そんな調子で勉強をし,あまり成績が上がらなかった3年の夏,また別の地域に引っ越した。

今度の引っ越しは,親も子供の前回の転校の苦労を意識したのか,転校先の夏休み,強化塾みたいのに行かされた。そこでもまぁ教科書と違う教材で授業を受けた。そして夏休みの後,転校先に行き,しばらく勉強をすると,実は結構わかる…という意識になり,そしてテストでも一桁ではないが二桁くらいの順番の成績をとるようになった。

その時に思ったのが,前の地域で使っていた副教材がかなり威力を発揮していたということ。なので転校して不要になったはずのその教材をわたしは手放さず,結局最後までやった。それと学校の教材と両方をやったわけで,まぁ効果があったということだろう。

そして高校受験をし,志望校に入り,一浪して,大学にいって…という感じに進んできたけど,その辺になると,自分にあった問題集を見つけたり,勉強のやり方を工夫するようにとかは自覚的に行うようになった。そういう意味では,自分の道具をそろえる工夫をするようなったのは多分中学の時なんだと思う。ちなみに,挫折感を明に意識したのは,一浪した時かなぁ…。あれは結局一浪して志望校に通ることで乗り越えたことになるんだろうけど…。

確かに言われてみれば,挫折があったからやり方を工夫するようになったのかも知れない。逆に小学校から出来ない子だったらどうだったのかな?という気もする。わたしの甥はどちらかというと,小中とずっとあまり成績が良くないのが,高校受験に合わせて勉強を始めたら伸びた…ってことで,そういう場合挫折とかあったんだろうか?という気もする。

リンクの例は,元々高校まで勉強ができた子(多分頭はいい子)が初めて苦労をするということを意識する話だったけど,先日書いたように,卒研とかで壁にぶつかり欝になる人もいる。あと社会に出たら,今度は勉強以外の要素もあり,壁にブチ当たる。それも乗り越え順調に行っていても,会社の状況や,社内競争とかいろんなもので,…というかもう,その歳になると年齢的なものから,頑張りも効かなくなり,また挫折とか従来のやり方が通用しなくなるとか,まぁ人生はそういう節目というのが結構ある。

そういう節目というか,挫折にどう折り合いをつけるか…折り合いをつけない事も含めて,その人だと思う。人生生きていれば,挫折は何度もやってくる。その覚悟と,それにどう立ち向かうか?…って事自体に引出しがあった方がいいのだろう。競争を避けるというのも挫折を乗り越えて学ぶことなんだけど…。

ということは,良く成功体験が大事だというし,わたしもそう思うけど,若いうちに挫折をし,それをどういう折り合いをつけるか?っていうのも経験が必要なんだろうな…という気がする。でもそこで「イヤなものから逃げる」という折り合いの付け方を早々に学んでも困るんだけど…。
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一昨日のNHK

2012-01-13 09:02:04 | 音楽・アート
一昨夜自宅に帰ってNHKを録画していたのを見た。クローズアップ現代,ためしてガッテン,ヒストリア…というのは,いずれもいつも観てるんだけど,今回はどれもちょっとおもしろかった。

まずクロ現。一昨夜のはTV時代劇が激変して,役者とかスタッフとかの技術の継承が難しくなってるという話。なんと今期連続時代劇は一本しか無いそうだ。というかNHKで水戸黄門とか,大岡越前とか,仕事人とかの映像が出るってスゲーと思った(笑)。どれも終わった作品だからか。

「歴女」とか浮かれてる割りに,確かにTV時代劇は減ってるんだ。なんで?。映画もやってないんだっけ?。アニメやゲームは戦国ものとか多いよ…とか思うんだけど,これはやっぱり民放の問題じゃないかなぁ。NHKやってるでしょ,大河ドラマとか。まぁNHKも以前は土曜ドラマとかで時代劇やってたのが,最近は妙に女性向けとか海外ドラマやってるから,もう少しやる気を出してよ…と思った。

次,ためしてガッテン。パニック障害にならないために…みたいな話で,何をするのかと思ったら坊さんを見習いましょう…とう話で,そういう対処法かよ…と驚いた。高度すぎないか?…。でも内容はおもしろかった…というか,わたし昔からそういうの興味あって,結構やってたので。ちなみに座禅で物事を考えない様にするっていうのを考えを船に乗せて流す…とか凄く抽象的で高度なやり方で表現していたけど,「数息」じゃだめんなんですか?。わたしは予備校の時,予備校で毎朝「数息」をやらされて,それで結構そういうの身についた。

まぁでも自分が感じるものを客観視するというのは,結構高度な話じゃないの?という気はする。いや,わたし,こういう話好きなんだけどね。万人向け?…っていうか。

次,ヒストリア。平清盛の話。大河ドラマだからな。持ち上げないと…というのかと思ったら,清盛は女の力で出世した…と更に落とすような内容で笑った。これって兵庫県知事にたいしての当てつけですか?(笑)。まぁでも,だから今回の主役はイケメンですよ…という話なのかもしれない。女性の力を利用して出世して何が悪い。女性っていうか家族(妻とかその妹)でしょ?ってことで,ここは「絆」ってことで…。

そんなこんなで。水曜のNHKは観る番組が多いけど,だいたい全部が当たりなのは珍しい。あっSONGSは総集編だったので,別に特記事項なし。でも来週はジュリーらしいよ。しかもタイガーズメンバーとの共演で,ある意味期待(笑)。
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