たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

レッテル張りによる思考停止

2009-09-29 22:38:50 | 時事
「国立メディア芸術総合センター」の代替案の話。
前も書いたけど,これを「アニメの殿堂」ということ自体が偏向報道で気に入りません。これって民主党が言い出したの?マスコミ?。
もともとの主旨はアニメに限ってません。マンガやCGやゲームなどもメインに扱ってるはずです。そもそも推進の意見を言っていた里中満智子先生はマンガの原画保存を訴えていたはずです。これをアニメの殿堂ということによって,アニメのためだけのもの狭く印象付けているし,そもそも「アニメ」と書くと世間から低俗と思われるんじゃないか?という意図が入ってませんか?。マンガは文化遺産になりえるけど,アニメはまだまだそうじゃないから,止めていいという雰囲気がして嫌です。いや…,完全に妄想なんですけどね。
というわけで,マンガの原画保存に「フィルムセンター」は無いんじゃないですか?という気はします。
あと,案外マンガやアニメファンからも,このメディアセンターは評判が悪くて,その理由が主に「ハコもの」だからってことみたいですが,「ハコもの」=「悪」という考え方も,なんかメディアのレッテルにしっかり毒されてませんか?という気がします。ついでに書くと,道路建設とかダムとかも何の思考も無く,イコール悪…ってどれだけ頭悪いのか?という気もします。
ハコものが悪な理由がどこにあるのか,よくわからないのですが,よく地方にあるような,作ったけど使われないから無駄…というのであれば,それは運営とか場所の問題であり,実際都心にある公共の美術館や博物館は近年はどこも常に満員な状態です。もちろん自治体がやってるような小さな博物館とかは閑古鳥が鳴いているところもありますが,それはそれで地元の人の憩いの場になっていたりします。まぁ件のメディアセンタは国立だから,むしろ国立美術館とかそういうのに近いことになるはずだったんではないでしょうか?。
あと建設費がかかるのし,建設業者儲かるだけだ…というのは,上記の通り,採算が取れるような施設にすれば有効な設備投資になります。天下りの温床というのは,まぁそういう面はあるとは思うけど,わたしは天下りが100%悪だとも思ってないので,意味がある形でやっていればいいと思います。
建物じゃなくて,アニメ振興のために補助金とかに使うべきだ…という意見もよく聞くのですが,これは確かにそうだけど,設備(設備投資)と,振興費(損益)は意味合いが違うので,理想は両方やるべきだと思います。損益は単年度だし,下手をすると何も残らない可能性もあります。ハコを作って人を入れれば,それなりに数年以上何かが続いていくわけで,そこに実際にアニメ制作に携わっている人にお金が回るような仕事を作ればいいわけです。
それにもともと麻生さんとかが言っていた,海外から日本のマンガやアニメに魅かれてやってきた人が見に行くべきところ…という役割はどこがになうのでしょう?。ビデオショップかマンガ喫茶にでも行けばいいということなのでしょうか?。そのうち海外にアニメやマンガを収集した美術館ができて評判になったらはじめて日本にもできるんだろうな,とか思います。
…もっとも,わたしがメディアセンタを今是非やるべきだと思ってるか?というとそうでもありません。むしろ今からやろうとしてるばら撒きの原資のために,真っ先に計画中止になるだろうな…とは思ってました。今の政権は,新しい産業とか文化とかを生み出すという発想がまったくないので,まぁ無理でしょ…という感じです。ただ,メディアセンタを「アニメの殿堂」ということで,計画の本質を見事に消してしまったというマスコミのやり方に感心というか恐ろしいものを感じるだけです。「ハコもの」とかいうのもそうです。「○○はハコもの」と言った途端にもう細かいことはどうでもよく,「悪」となってしまう感じがしませんか。見事に思考と議論の機会を奪われている気がします。
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高金利とデフレとどっちがいいの?

2009-09-28 21:15:20 | 経済
2年前に銀行に預けた定期預金が満期になったので,通帳を記入したら,自動継続になっていたのだけど,利率が0.5%くらいから0.15%くらいに減ってました。ずいぶん減ったなぁ,もっと長期の預金にしておけばよかったなぁ,と思うけど,まぁ後の祭り。ちょっとした利息がついていましたが,まぁ小遣い程度。おろさないけど。
金利といえば,20年位前は定額貯金の金利が4%以上あって,たしか10年くらい預けると元本の1.5倍くらいになっていた気がします。1.5倍というと1000万預けると10年で500万の利子がつくのだけど,10年だから1年だと50万か…。ちょっと利子だけで食べるには辛いか。
わたしが子供の頃,金持ちは貯金の利子だけで食べていけるとか嘯くのを聴いた事がありますが,それっていくらの貯金ですか?一億くらい預けていれば年間500万くらいになるから,そりゃ楽に喰えるよね…と思うけど,どれだけ金持ちだよ…と。
実は自分が子供の頃というとまだまだインフレが続いている時代でした。アイスクリームとか10円とか20円で買えたので,物価的には今の5分の1以下か?つまり同じお金を持っていても5分の1のものしか買えないとしたら当時1000万持っていたとしても,200万のお金に減っているということになります。貯金にはそういうリスクがあったから高い金利がついていたわけでしょう。逆に今はデフレの時代で,ほとんどのものは価格が上がらないので,逆に1000万はずっと1000万分物が買えるし,どうかすると1100万分買えるかもしれない。そういう時代であれば金利が低くても貯金しておいたほうがいいということになり,逆に投資とか消費が冷え込むわけです。
あっ,インフレ時代は金利は高いけど,それ以上に物価の高騰が早かったわけですから,お金がある人は土地を買ったりしていたし,先見の眼が合った人は株も買っていたかもしれません。土地なんて平気で10倍以上の値段になってます。もしかしたら,利子がつくといって貯金していた人こそ,うまいこといわれて資産を取られていたのかもしれません。
…とか考えると,金利が高いことがいいのか。物価が上昇する方がいいのか?デフレがいいのか?いまひとつよくわかりません。安定してるほうがいいという考え方もあるでしょうが,安定してるって事は,いろんな意味で固定化されて,まぁビジネスチャンスが生まれにくい。もっとも相場の変動によるビジネスチャンスというのは,結局誰かが損して誰かが得してるってことなんだろうけど。
さらに書くと年金制度もインフレが前提。インフレが続く世の中では貯金なんて怖くてできないので,預けた金を国が運用してくれて,後で当時の相場でもらえれば,それはそれで不満は無かったのでしょう。いま年金制度に不安を感じるのはデフレだから…という気はします。
今のお年寄りがもう老い先短いのに将来が不安だとか,お金にしがみつくのは,当時のインフレの感覚が残ってるからかもしれません。お金をいくら持っていても,価値は下がるし,でもあらためて稼ぐだけの体力は残ってないので,国にすがるしかない…と。でも額だけ見ると,先日も書いたとおり,後期高齢者とかはほとんど納めた額以上の年金をもらってるわけで,将来本当に納めただけもらえるのか不安な若者からすると贅沢にも見えるんじゃないかしら?。
もっとも今の若者にしてもそういう風に将来の相場がわからないと,結局「払っただけもらう」というので生活ができるのか?はたまたものすごくお金が余るかよくわからないのですよね。最近年金定期便で,もらえる金額の見込みが載っていたのですが,あの額が十分か?,たりないか,まだまだわかりません。新政権になって,大きくデフレとかインフレとか起きると…なんか恐ろしいことになったりしないよね?とかちょっと思ったりもします。
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どうせ死ぬなら何かする…のは本能?

2009-09-23 23:33:30 | ココロ
はてなの匿名日記に「問題は、何かして死ぬのか、何もせずに死ぬのかというこの1点だけなんだよ」というのが書いていて興味深く思いました。
元の話は「日雇い派遣雇用禁止は格差を助長するのになんでみんな賛成するの?」って話で,この話の是非自体はわたしは論じませんが,要は,対案がよかろうがわるかろうが,人は追い詰められたら新しい何かに飛びつく…という話になります。
これは格差問題だけではないでしょう。高齢化問題とか少子化問題とか医療問題だって,現状の制度が効果的ではなくなってきてるとか,温暖化問題だって何も手を打てない状態がずるずると来ているとか,はたまた政治とは関係なく石油が無くなったり,物価が上がったり下がったりしてるとか。そういう事象が一応客観的に存在し,それが将来の不安を喚起してる場合に,人々が,現状を手放し何かに飛びつかなくてはいられない…って話をしてるのだと思います。
実際最近日本では政権交代が起きましたが,上記の状態はほとんどの人がそうだと思っているようです。そこで新しい政党が政策を新しい政策を挙げれば,従来の政権が従来路線を掲げても,みんな新しい政策に飛びつくのだろうなと思います。それがどんな政策だって…。そうやって政権交代した国はたくさんありますし,中にはその後独裁や国際孤立をした国だってあります。新しい政策の良し悪しは,飛びつく人には関係ないのだろうなと思います。
つまりこれは本能に基づいた選挙戦略ってことになるんでしょう。
自分の経験でも,仕事で問題が起きているときにじっと待つのは結構辛いものがあります。つい何かをやってしまいそうです。上に「待て」と言われても辛かったりします。
実は一方で人は閉ざされた部屋で防災ベルがなっていても,「故障じゃない?」とのんびりと構えるようなこともあります。さて上に書いたように,いい手かどうか関係なく飛びつくほどじっとしていられないというのと,防災ベルが鳴って焼け死んでもじっと待っていた…というのは,どのように場合わけできるんでしょうね?。
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機械にしか伝わらないもの?

2009-09-20 20:58:07 | 環境・自然科学
/.jpでコンピューターによる読唇システムは人間による読唇とくらべ、はるかに認識率が高いというのが紹介されていて,へぇーと思いました。
わたしはこういうコミュニケーションの情報認識については,人間ができることはコンピュータでできる可能性はあるけど,人間ができないことはコンピュータにはできないだろう,と思っているので,ちょっと意外な結果です。
例えば,音声認識。声で言葉を伝えますが,人間が簡単にできる言葉の認識を現状コンピュータは人間ほどうまくできません。人間ができるならできる可能性があると思いますが,人間すら聞き分けできない言葉はコンピュータにはできないだろうと思います。それはその音にそれだけの情報が乗ってない場合が多いからです。
音声のコミュニケーションは自分の声を聞きながら発生するので,自分の声が聞こえなくなると正確に発音できません。人間が聞きながら調整をしてるので,人間が聞き分けられないような部分には情報が乗らないことになります。
さて,読唇ですが,顔の表情などは自分で確認しながら作ってるわけではありません。でもコミュニケーションというのは相手からの反応が返って来ますので,その反応を見て,表情を作っていくこともあるでしょう。そうだとすると表情も人間がわからないような差は,あまり情報が乗ってない気もします。
そういう意味でコンピュータが人間より情報をたくさん取れると言うのは意外です。
…と書きましたが,実はちょっと読唇の場合違うな…と思うのは,そもそも読唇は相手に情報を伝えるために口の動きを作ってるのではなく,声を出すために作っているので,コミュニケーションの情報そのものではないことです。ですからしゃべるほうも相手に伝わるように口の形を作ってるわけでもないし,見るほうも,そこから情報を読み取ろうと普段から訓練されているわけでもないでしょう。ということで,まぁ読唇に関しては普通の人の認識よりコンピュータの方が情報をうまく拾うとかはできるかもしれないなとは思いました。でも,耳が聞こえない方で読唇に慣れている方より情報をたくさん認識できるのか?,あといっこく堂の様な高度な腹話術士の口からも情報を取れるのか?というと,どうなんでしょうね?たぶん無理じゃないのかなぁとか思いました。
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集食家族

2009-09-17 22:51:48 | 社会
一月半くらい前に日経新聞(紙)に「集食家族」というのが紹介されたという話を聞きました。食事だけ親元で食べる家族というか,若い夫婦が食事は親のところで取るみたいな話でした。ネットを見るともう少し詳しく書いているのでいくつか取りあげると,「潜在大家族と「集食」家族」,「現代版「大家族制度」」など。
いずれもこういう動きを好意的に捉えているようです。
わたしはこの話,最初podcastで聴いたのですが,最初の印象としてはむしろパラサイト的な印象を受けました。つまり親の方が金を持っているから,子供夫婦が食べにいく。逆に言うと若い人は共働きで働いても満足に収入が得られてない…という風に取れて,高齢者ばかりが金持ちで若い人がワーキングプアな現代を象徴してるように思いました。
確かに高齢者の子供が自宅の近くに住んで食事を一緒に取るのは好ましいことだと思いますが,なんとなく高齢者と若者に格差があるのが一因なら複雑な心境だなぁ…と。
実はわたしの姉夫婦はわたしの親の家の近くに住んでいて,食事をわたしの親の家で食べるという生活を20年近くやってます。毎日ではありませんが。遠くに住んでいるわたしとしては,姉が親の家をしょっちゅうたずねるというのは安心なのですが,まぁいろいろ思うところはあります(^^;)。
あと,集食というのはあくまでも親と子供が近くに住んでいるからできる話であって,雇用の流動化を可能のした核家族の意義からは少し外れる気がします。就職をしたら田舎から都会に出る…という人は減っているのでしょうか?。
とは言え…,子供が高齢者の面倒を見るというのは可能であればよいことだと思います。年金制度が崩壊すると結局家族が高齢者の面倒を見ることになると思いますが,そういう自体の前に既に別の意味で,家族のあり方は変わってきてるのかもしれません。
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音楽ビジネスはレコードからライブへ

2009-09-13 12:14:40 | 音楽・アート
ビートルズのリマスター版が発売されたというニュースをNHKが盛んにやってました。そんなに大騒ぎするほどのものだろうか?と思ったりもするんだけど,経済効果があるのかしら?。でも買うのは年配の人がほとんどなんだろうなぁ…。
若い人が音楽にどのようにお金を使うか?というのはどうも年寄りからすると判りにくくなっているように思います。ブライアン・イーノへのインタビューが興味深かったのですが,「既に音楽に歴史は無い」とか「レコードが安価になり音楽が水の様になった」とかいわれると,レコードビジネスは若い人向けには難しくなってるのだろうなと思います。
一方で「パフォーマンスが重要になっている」みたいは話はとても興味深いです。
などと思いながら一方でyoutubeに優れた音楽映像作品が投稿されているのとか見ると,音楽と映像が新たなアートというか,つまり音楽も既に映画とかのように,複数の人が協力し合って作る総合作品になってるのだなぁなどと思います。単純に音楽をCDに焼いて売ってもそれは記録やプロモーションとしては重要なものですが,メインのビジネスにはなりにくい。そしてリスナーは映像も含めた総合的な作品を求めている。でもyoutubeの作品にも普通はお金は払わない…と。
そういう中で映像など作りこまれた部分,またはコンピュータミュージックの様にやっぱり作りこまれた部分とライブパフォーマンスってどういう風に融合していくのだろう?と思っていたら初音ミクのライブの映像を見て,これはおもしろいなぁと。まぁこれもボーカルが打ち込みなので生演奏ではないのですが,映像が打ち込みに生演奏感を与えるのに成功してるのではないでしょうか?
わたしはジャズなどを演奏していたせいか,すべてあらかじめ用意している音楽を結構低く見ていて,全部打ち込みのライブなどは,レコードをかけているのと同じじゃないか?とか思っていたりします。もちろんレコードをライブ会場で聴いても,会場の一体感がうまく出れば,それなりに楽しめるとは思いますが,なかなかそうならないのが実際でしょう。でもこの映像を見るとたぶんあらかじめ打ち込まれたボーカルでもたぶん会場は盛り上がり一体感が出たのではないか?という気がします。
もちろんこういうライブは初音ミクみたいなものに限らず,これまでの歌手も用意された映像に合わせてパフォーマンスをしたりしてきてる様です。寡聞にもわたしはあまりそういうライブを実際に観てないのであまり実感が無かったのですが,結構ライブパフォーマンスも以前とは大きく変わってきたのだなぁと思いました。音楽もこうやって新しい表現形態になり,そしてリスナーがお金を払っても音楽接するような場があれば,それはそれで未来は明るいのかもしれません。
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自民党の失敗と国民の選択

2009-09-09 20:42:26 | 時事
時々取りあげさせていただくfujiponさんのブログ,今回はあまりいい取り上げ方でなくて申し訳ないのですが,「麻生さんのこと」という文を読んで,ひどくがっかりしてしまいました。怒ったとか馬鹿にしたとかじゃなくて,なんとなく「あぁーあ」というか「しょんぼり」というか。fujiponさん本人に,じゃなくて,こういう人が結構いるんだろうなぁ,ってことで。ですから,リンクされてる先を読んでも同様に感じました。本来はこっちを取りあげるべきなんでしょうが。
ここに書かれてることはまさに元々からわたしが思っていることなんですが,それをなぜ今思って今書くんだろう?という感じで,がっかりしたのです。選挙前とかにそう思っていなかったのだろうか?と。
わたしは先日も書いてますが,麻生さんが読み間違いするとか,金持ちであることが,総理にふさわしくないという理由として理解できません。麻生さんは我慢強い敗戦処理の総裁として頑張ったと思うし,はっきりいって好きでした。麻生さんが総裁になった時は既に自民党はグダグダでしたけど,わたしには民主党もちっともいい政党に見えませんでした。何よりマスコミの偏向報道(とわたしにはそう映った)が耐えられず,それで自民を応援しました...というのは既に書いたとおり。リンクしたがお二方が最終的に誰に投票したかは知りませんが,世の中には民主党に入れて,同じように思っている人は結構いるのでしょうか?。
なんとなく,投票するまでは自民党も麻生さんも嫌いで,そして民主党がよさそう,政権交代は大事だと思って民主に入れておいて,でも実際に麻生さんの引き際と,民主の今の状態をみて,民主の政権が不安になり「自分は民主を推したのではなく,麻生さんを批判したのではなく,自民を切ったのだ」と言ってるのではないか?と,そういう人が結構いるんじゃないか?と思ってしまいました。なんかこれから民主党行う政治がうまく行かなかったときの予防線をはってる人もいるんじゃないか?という気もします。あぁー批判してすみません。
...
とはいえ,確かに最近の自民党のグダグダ振りは選挙時に自民を応援したわたしでもひどく思います。総裁が頑張っているのに,足を引っ張るようなことばかり発言したり,リークなんでしょうけど,マスコミにいろいろ吹き込んだり。どうして自民党がそうなってしまったか?昔の自民党は確かこうじゃ無かったよな...と思います。新政権の人たちの誰かが,かって「小泉さんが自民党をぶっ壊した」といいましたが,確かに自民党のこういう内部争いを透明化したのは小泉さんからかもしれません。小泉さんはそれでいて国民の支持を大量に得ました。
小泉さんが総裁にはじめてなった時,その前は森さんでした。森さんは失言で支持率も低かったのですけど総裁選もろくに行わず総裁になり加藤の乱とかありましたが,でも当時自民党での争いは,なかなか外部からには見えない状態でした。その派閥の力関係で密室で内閣人事すら決まるといわれていた自民党の内部抗争を明らかにし,というよりも演出して常に戦っている総理を演出して成功したのが小泉さんでしょう。おかげで自民党内から出てきた総理であるにも関わらず旧来の抵抗勢力と戦う姿を演出し,まるで政権交代が起きたかのような錯覚を国民に植え付けることに成功しました。
たぶんあの頃から自民党では,というより自民党の中の革新系の議員からは自民党の内部抗争を外部に見せることは自民党を注目させ人気を集めることができる...と勘違いしちゃったんではないか?という気がします。でも,党内争いを演出するのは明らかに革新系の総裁が立っているときにすべきで,麻生さんみたいなバランス系の総裁のときはだめなんですよね。でも,小泉さんの内部抗争演出でいい目をみた人たちは,その辺の歯止めが効かなかったし,今でも効いてないように思います。
まぁこの辺はその小泉劇場をわたしも良しとしたので,それが失敗だったと批判はできないのですが,でも小泉劇場の演出技術を理解して継承した人が自民党の中にはいなかったということではないでしょうか。
もっとも一方の民主党は党首選すらはっきりとやらずに党首を決めてしまうし,首班指名が済んでないのに,いつの間にか内閣候補が既にリークされている状態で,いったい誰がリーダなのかすらよくわかりません。小泉さん以前の自民党よりも舞台裏政治をやってます。そういう意味では,自民党の今のゴタゴタもうまく演出できていい劇場が出来上がれば,またそれも国民に再度支持を得るのかもしれません。ただし,そうなったらそうなったで,またあの熱病の様な選挙をよしとするのだろうか?という気もします。この辺はどっちがいいのかよくわかりませんが。
まぁいずれにしても,今の様に麻生さんよりも自民党の方が嫌われて票を落としたケースもそれなりにあるでしょう。あたかも麻生さんを批判していれば,自分は難を逃れられると思っている,最近の自民党がダメダメなのはそうでしょう。でもそのことと他の政党の方が良いという選択が本当に良かったのかはこれからわかることだと思うし,自分が何を選んだのか?はやっぱり責任として一人一人が自覚しておいて欲しいと思います。
...なんか二つのことを書こうとしてごちゃごちゃになったなぁ。
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無意味の幸せ

2009-09-02 22:24:26 | ココロ
fujiponさんが小林よしのりの本について書いていました。この本は読んでません。小林氏のマンガとかエッセイとかはまぁ雑誌で読む程度には知ってます。そこで得るちょっとした感触からは,ここで書かれている内容には何も異論は無く共感もします。ですが,ちょっと思ったのは別のこと。
このfujiponさんの文はいくつか印象的な言葉が書いてあって,小林氏の絵の力とか,小林氏が弱者の応援していてその弱者が力を得たら裏切られるとか,あぁ確かにそういうことは,小林氏じゃなくてもあるよなみたいな。
そして,死の意味づけの話。「社会のなかで人間が人間らしく生きるためには、「死(あるいは自己犠牲)を意味づける物語」が必要なのでしょう」という言葉は確かにそういう風に思いがちだと思う。以前書いたかも知れないけど,現代社会は意味が支配してる。養老先生のいうところの脳化社会もそういうことだと思う。そしてそういう中で人は自分を無意味とすることに耐えられず,いろんなことをする。それが自分の自由を奪ったり,命すら奪ってもとにかく無意味であることを恐れる,そんなことが増えているように思います。そしてその意味は自分で意味づけるのでなく,外部から見られることでようやく意味づけられると感じる人も多い。twitterとかにひたすら自分を書き続けるのも,そこで誰かに認識されて,意味を持つと感じるからでしょう。
でも,そういう現代の中で,わたしは「無意味でも良いじゃないか」とも思います。現在の日本で何の事件も起きずに平均的な人生を送ってただ死んで行く。一部の家族にだけ認識されて,後はごく近しい人くらいか,それぐらいの人が見取って消えていく,そういうのではいけないのだろうか?と思います。No.1どころかonly oneである必要も無い,othersではだめなのだろうか?と思う。世の中は一部のonly oneで動いているのではなく多くのothersやone of themで成り立っていると思う。そうであれば,その一部として存在することにも美はある様に思う。
わたしは若い頃は人と違ったことをやりたくて,人と違った人になりたくてあがいてました。それでなれたのかどうかはよくわかりません。でも,3年前にガンになって死ぬか…と思ったときに,なんかそういう人と違ったものを追求したことがバカらしくなりました。若い年で病気で死ねば人と違った目立ち方ができるかもしれませんが,そんなことはうれしくともなんともありません。むしろ人と同じような当たり前の人生を全うしたいと思いました。でもそういう中で,医療というのはある一定の確率で治ったり事故ったりするわけで,当たり前の様に治っても,たまたま事故にあっても,それはそれで人生だとも思いました。
なすがまま。ただ淡々と時間をすごし,親しい人の中だけで特別になれば良い,そういう美学だってあると思うのですが,そういう美学が語られなくなってしまいました。fujiponさんが意味づけを幸せか?と疑問視してますが,だからわたしもその無意味に生きる中に幸せは結構あるんじゃないか?と思ってます。
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麻生首相を想う

2009-09-01 21:41:11 | 時事
極東ブログさんが麻生首相へ送る言葉を書いていた。共感した。とうわけで折角なので私も麻生さんへの想いを少し書く。
麻生さんを知ったのは?というか意識したのはいつだろう?。小泉内閣で役どころをやっていたくらいだろうか?それともそれ以前にマンガ好きの政治家として知っていた気もする。最初は漫画好きなのはそのとうりだろうけど,萌えマンガを読んでいたという噂については,人気取りのために利用してるだけでは?とか思っていた。まぁどうでもいい話。
わたしは当時の小泉首相を支持していたので,路線の違う麻生さんを総裁選の時に応援したりはしなかったのだけど,小泉さんが総裁を辞めたときに次は麻生さんでいいと思った。路線は違うのだけど,行き過ぎた小泉改革を少し戻すにはいいかもしれないし,それよりも他の総裁候補に比べ政治家としての胆力がある様に感じた。ところがどういう読みか次の総裁は安倍さんになった。とはいえ,どうなったかはご存知の通り。このときの選挙ではわたしはあまり安倍自民を応援しなかったけど,これは後のネジレのことを考えると,わたしは少し浅はかだったかな?と思っている。
その後は福田さんになったけど,それもどうなったかはご存知の通り。ただし福田さんはわたしはもう少し胆力のある人だと思っていたので,福田さんが総裁になった時は賛同した。だがこの読みも誤った。
安倍福田と政権をポンポン投げ出したのをマスコミも当時の民主党も批判していたわけだから,次の首相は政権を投げ出さない人が望まれるのか?と思いきや,次の麻生さんは解散しないと責められた。まぁ当時から解散したら議席を増やせるという読みが民主にあったからだろうけど。
麻生さんは総理になりたかったという想いもあったのかもしれないけど,完全に敗戦処理の総裁として総理になった様に思う。わたしはかっこいいなと思った。政策的にはすべてを賛同できるわけではないけど,前向きで,国民を元気付けようとする姿は経営者的な感覚に思え,わたしには国を引っ張るにはふさわしいと思った。あと個人的にはマスコミをコケにする姿も好きだった。
だがマスコミにとっては扱いにくい総理だったのかもしれない。首相になって早々に批判された。最初は金持ちということで批判された。そのうち漢字の読み違いで批判された。ずっとそれが続いた。定額給付金とか高速道路の件は始まる前はいろいろ言われたけど,やった後は誰も批判しなかった。政策は何も間違ってなかったんではないか?。金持ちとかいい間違いとか,それが総理にふさわしくないという論理をわたしは理解できない。だから何故ここまで麻生さんが嫌われたのかよくわからない。麻生さんを嫌う人は単純にマスコミにのせられてる様にしか,今でもわたしには見えない。ついでに書くと小沢さんもマスコミ嫌いだから早々につぶれたのか?とかなり強引な陰謀論が頭をよぎったりもする。
わたし自身がマスコミの言うことを素直に信じられないからだけど,そういうつまらない中傷を除くと,麻生さんは優秀な総理だったと素直に思う。就任直後の経済危機にも迅速に対応し,それなりに成果を残した。語る言葉はいつでも前向きだった。なによりマスコミのあれだけの中傷に自分を見失わない強さを感じた。短命な総理だというのはなった時からわかっていたがあえて貧乏くじを引いた。わたしはそう思う。
誰かが慶喜を挙げていたけど,後年麻生さんが再評価されるときはくるんだろうか?。
今回の政権交代を,民主主義だと喜ぶ人も多いけど,わたしはマスコミがバランスの悪い報道を流して起こった政権交代を民主主義だとは思わない。だが,国民が選んだことには違いない。4年前の小泉首相の圧勝がそうだったように。今は新しい鳩山さんを見て国民の選択の行く末を見守るしかないのだろう。不安と期待と両方ある。
最後に一言,麻生さんはとてもカッコよい最後だったと思う。
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