わたしは以前男の差別という文章を書いていて,その中で「社会というものは本来たいした価値がない男性が自分の価値をあるかのように見せるために捏造したもの」という様なことを書いています。この考えは今も変わりません(いろいろ反論はあるかと思いますが,極論として受け取って頂けるとありがたいです)。
もうちょっと噛み砕いていると,本来は人間(の種の存続という点)においては女性の方が価値があり,男性はそんなに価値が価値があるわけではないということです。そして社会システムや貨幣経済,戦争等はそういう価値のない男性が自分達の価値をあるかのように見せるために作ったもので,本来必要がないものです。必要がないわけですからそのシステム上で権力をもってもたいしたこと無いわけです。
この考えはもちろん多分にわたしの妄想や空想,思い込み,そして思考実験が含まれており,これが一般に受け入れられるべきものとは全然思ってません。ただこういう考えに基づくと,結構女性が(男性)社会に基づく価値(給料や地位)で評価されようとすることは皮肉というか滑稽な気もします(もちろん,わたしの思い込みでは…です。念のため)。
一方で最近の日記とかにも書いてますが,女性が(育児をしながら)社会進出しやすくすべきだ議論はどんどん強まってます。少子化が問題になっているということについて,少子化なら女性を働かせるという意見がある様なこともあるようです。
社会で女性が男性に比べて不利益を被りやすくできているのは,もともと社会システムが男性のために作られたからです。ですが,女性が社会進出するに従いその不利益を是正しようという運動はどんどん広まっています。もちろんわたしも反対はしませんが,やっぱり上に書いたように「あなた達までこっちに来なくても…」と思うような事もあります。さて,女性がこうも社会に進出したがるのは,社会での価値が世の中の価値のすべてのように思い込んでいる(人がいる)からでしょう。わたしに言わせると本来女性は女性でいるだけでそれなりの価値(男性のための価値ではありません念のため)があるのですが,まぁ普通「あなたには価値があるよ」と言われてもすぐに信じる人はいません:-p。というわけで,男性が自分達の価値を高めようと無理やり作り出したわかりやすい虚構の価値を
求めてしまうのでしょう。
さて,そういう虚構の価値はほっておいてもう一度立ち返り男女の違いを比べてみると,男性が女性より先天的に異なっていて有利に働いている点は,体が大きく力が強い事くらいでしょう。男女は思考のくせが違うという指摘はありますが,これも社会教育の影響もあると思うので,良くわかりません。もちろん男性が社会システムを作ったのはその思考のくせからかも知れませんが。哺乳類の場合大抵雄が雌より体が大きい様ですが,他の種の場合逆も多いようです。そもそも大量の卵を産む生物は雌の方が体が大きくて当然の様な気がします。哺乳類の場合雄が大きくなったのは雌を取り合うために雄同士で争って,体力的に強い方が生き残ったからの様な気がします。もしくは雌が体の大きい雄を好んだからとか…。
西洋社会では一夫一婦制が前提で,しかも男性が家庭に対して強い力を持っている様ですが。それは西洋が自然条件がきびしく,食糧を得るために腕力を持つ男性が必要だからでしょう。奴隷制度とかもあったことを考えると他民族同士の接触が多く,武力がないと安心して暮せない環境だったのでしょう。そういう社会では戦うことに有利にできてる男性が力を持つのは当然と言えば当然です。
逆にろくに働かなくても食べていけるような自然を持つところでは,男性は生殖のためにしか必要なく,子供ができれば男性が不要…という社会も可能でその結果女系の社会構造をもつところもあるように思います。詳しくは知りませんが,アジアとかアフリカとかには男性があまり働かない社会があるように思います。気のせいかなぁ…。そういうところでは(男性)社会はあまり複雑な構造をして
いない気がします。
という感じです。今の世界は西洋社会の論理に制されているし,他民族と接触せずに生きていけるほど世界は広くなくなってますから,現実問題として西洋型の男性主義社会は有効…というかそれしか無いのかも知れません。でもねぇ,やっぱり本来虚構のような気がするし,そもそも西洋社会って歴史を振り返るとかなり女性に対して差別的です。それを一生懸命導入して,その上でその社会に進出していきたい…という女性は,どうもわたしから見ると根本的に捻じれがあるような気がして,だからストレス溜まるんじゃないか?…と思いますが,間違ってますか?。
本当は自分の価値なんっていうのは「社会」の物差しで測るようなものじゃなく…というかそれで測ってるといつまでたっても満足がえられないのだと思います。もちろん自分の物差しの一つの道具として社会の物差しを利用するって手はありますが,それだけで測っているとやっぱりいつまでも
きついのではないかと?…。
もうちょっと噛み砕いていると,本来は人間(の種の存続という点)においては女性の方が価値があり,男性はそんなに価値が価値があるわけではないということです。そして社会システムや貨幣経済,戦争等はそういう価値のない男性が自分達の価値をあるかのように見せるために作ったもので,本来必要がないものです。必要がないわけですからそのシステム上で権力をもってもたいしたこと無いわけです。
この考えはもちろん多分にわたしの妄想や空想,思い込み,そして思考実験が含まれており,これが一般に受け入れられるべきものとは全然思ってません。ただこういう考えに基づくと,結構女性が(男性)社会に基づく価値(給料や地位)で評価されようとすることは皮肉というか滑稽な気もします(もちろん,わたしの思い込みでは…です。念のため)。
一方で最近の日記とかにも書いてますが,女性が(育児をしながら)社会進出しやすくすべきだ議論はどんどん強まってます。少子化が問題になっているということについて,少子化なら女性を働かせるという意見がある様なこともあるようです。
社会で女性が男性に比べて不利益を被りやすくできているのは,もともと社会システムが男性のために作られたからです。ですが,女性が社会進出するに従いその不利益を是正しようという運動はどんどん広まっています。もちろんわたしも反対はしませんが,やっぱり上に書いたように「あなた達までこっちに来なくても…」と思うような事もあります。さて,女性がこうも社会に進出したがるのは,社会での価値が世の中の価値のすべてのように思い込んでいる(人がいる)からでしょう。わたしに言わせると本来女性は女性でいるだけでそれなりの価値(男性のための価値ではありません念のため)があるのですが,まぁ普通「あなたには価値があるよ」と言われてもすぐに信じる人はいません:-p。というわけで,男性が自分達の価値を高めようと無理やり作り出したわかりやすい虚構の価値を
求めてしまうのでしょう。
さて,そういう虚構の価値はほっておいてもう一度立ち返り男女の違いを比べてみると,男性が女性より先天的に異なっていて有利に働いている点は,体が大きく力が強い事くらいでしょう。男女は思考のくせが違うという指摘はありますが,これも社会教育の影響もあると思うので,良くわかりません。もちろん男性が社会システムを作ったのはその思考のくせからかも知れませんが。哺乳類の場合大抵雄が雌より体が大きい様ですが,他の種の場合逆も多いようです。そもそも大量の卵を産む生物は雌の方が体が大きくて当然の様な気がします。哺乳類の場合雄が大きくなったのは雌を取り合うために雄同士で争って,体力的に強い方が生き残ったからの様な気がします。もしくは雌が体の大きい雄を好んだからとか…。
西洋社会では一夫一婦制が前提で,しかも男性が家庭に対して強い力を持っている様ですが。それは西洋が自然条件がきびしく,食糧を得るために腕力を持つ男性が必要だからでしょう。奴隷制度とかもあったことを考えると他民族同士の接触が多く,武力がないと安心して暮せない環境だったのでしょう。そういう社会では戦うことに有利にできてる男性が力を持つのは当然と言えば当然です。
逆にろくに働かなくても食べていけるような自然を持つところでは,男性は生殖のためにしか必要なく,子供ができれば男性が不要…という社会も可能でその結果女系の社会構造をもつところもあるように思います。詳しくは知りませんが,アジアとかアフリカとかには男性があまり働かない社会があるように思います。気のせいかなぁ…。そういうところでは(男性)社会はあまり複雑な構造をして
いない気がします。
という感じです。今の世界は西洋社会の論理に制されているし,他民族と接触せずに生きていけるほど世界は広くなくなってますから,現実問題として西洋型の男性主義社会は有効…というかそれしか無いのかも知れません。でもねぇ,やっぱり本来虚構のような気がするし,そもそも西洋社会って歴史を振り返るとかなり女性に対して差別的です。それを一生懸命導入して,その上でその社会に進出していきたい…という女性は,どうもわたしから見ると根本的に捻じれがあるような気がして,だからストレス溜まるんじゃないか?…と思いますが,間違ってますか?。
本当は自分の価値なんっていうのは「社会」の物差しで測るようなものじゃなく…というかそれで測ってるといつまでたっても満足がえられないのだと思います。もちろん自分の物差しの一つの道具として社会の物差しを利用するって手はありますが,それだけで測っているとやっぱりいつまでも
きついのではないかと?…。