たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

労働力としての女性

2005-06-30 17:42:23 | 社会
わたしは以前男の差別という文章を書いていて,その中で「社会というものは本来たいした価値がない男性が自分の価値をあるかのように見せるために捏造したもの」という様なことを書いています。この考えは今も変わりません(いろいろ反論はあるかと思いますが,極論として受け取って頂けるとありがたいです)。
もうちょっと噛み砕いていると,本来は人間(の種の存続という点)においては女性の方が価値があり,男性はそんなに価値が価値があるわけではないということです。そして社会システムや貨幣経済,戦争等はそういう価値のない男性が自分達の価値をあるかのように見せるために作ったもので,本来必要がないものです。必要がないわけですからそのシステム上で権力をもってもたいしたこと無いわけです。
この考えはもちろん多分にわたしの妄想や空想,思い込み,そして思考実験が含まれており,これが一般に受け入れられるべきものとは全然思ってません。ただこういう考えに基づくと,結構女性が(男性)社会に基づく価値(給料や地位)で評価されようとすることは皮肉というか滑稽な気もします(もちろん,わたしの思い込みでは…です。念のため)。
一方で最近の日記とかにも書いてますが,女性が(育児をしながら)社会進出しやすくすべきだ議論はどんどん強まってます。少子化が問題になっているということについて,少子化なら女性を働かせるという意見がある様なこともあるようです。
社会で女性が男性に比べて不利益を被りやすくできているのは,もともと社会システムが男性のために作られたからです。ですが,女性が社会進出するに従いその不利益を是正しようという運動はどんどん広まっています。もちろんわたしも反対はしませんが,やっぱり上に書いたように「あなた達までこっちに来なくても…」と思うような事もあります。さて,女性がこうも社会に進出したがるのは,社会での価値が世の中の価値のすべてのように思い込んでいる(人がいる)からでしょう。わたしに言わせると本来女性は女性でいるだけでそれなりの価値(男性のための価値ではありません念のため)があるのですが,まぁ普通「あなたには価値があるよ」と言われてもすぐに信じる人はいません:-p。というわけで,男性が自分達の価値を高めようと無理やり作り出したわかりやすい虚構の価値を
求めてしまうのでしょう。
さて,そういう虚構の価値はほっておいてもう一度立ち返り男女の違いを比べてみると,男性が女性より先天的に異なっていて有利に働いている点は,体が大きく力が強い事くらいでしょう。男女は思考のくせが違うという指摘はありますが,これも社会教育の影響もあると思うので,良くわかりません。もちろん男性が社会システムを作ったのはその思考のくせからかも知れませんが。哺乳類の場合大抵雄が雌より体が大きい様ですが,他の種の場合逆も多いようです。そもそも大量の卵を産む生物は雌の方が体が大きくて当然の様な気がします。哺乳類の場合雄が大きくなったのは雌を取り合うために雄同士で争って,体力的に強い方が生き残ったからの様な気がします。もしくは雌が体の大きい雄を好んだからとか…。
西洋社会では一夫一婦制が前提で,しかも男性が家庭に対して強い力を持っている様ですが。それは西洋が自然条件がきびしく,食糧を得るために腕力を持つ男性が必要だからでしょう。奴隷制度とかもあったことを考えると他民族同士の接触が多く,武力がないと安心して暮せない環境だったのでしょう。そういう社会では戦うことに有利にできてる男性が力を持つのは当然と言えば当然です。
逆にろくに働かなくても食べていけるような自然を持つところでは,男性は生殖のためにしか必要なく,子供ができれば男性が不要…という社会も可能でその結果女系の社会構造をもつところもあるように思います。詳しくは知りませんが,アジアとかアフリカとかには男性があまり働かない社会があるように思います。気のせいかなぁ…。そういうところでは(男性)社会はあまり複雑な構造をして
いない気がします。
という感じです。今の世界は西洋社会の論理に制されているし,他民族と接触せずに生きていけるほど世界は広くなくなってますから,現実問題として西洋型の男性主義社会は有効…というかそれしか無いのかも知れません。でもねぇ,やっぱり本来虚構のような気がするし,そもそも西洋社会って歴史を振り返るとかなり女性に対して差別的です。それを一生懸命導入して,その上でその社会に進出していきたい…という女性は,どうもわたしから見ると根本的に捻じれがあるような気がして,だからストレス溜まるんじゃないか?…と思いますが,間違ってますか?。
本当は自分の価値なんっていうのは「社会」の物差しで測るようなものじゃなく…というかそれで測ってるといつまでたっても満足がえられないのだと思います。もちろん自分の物差しの一つの道具として社会の物差しを利用するって手はありますが,それだけで測っているとやっぱりいつまでも
きついのではないかと?…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーディオというオカルト

2005-06-29 11:59:30 | 音響
先週末,ミュージシャンやってる友人と食事をしながら軽くお話をしました。レコーディング現場の機材の話というか現状とか,それに対するエンジニアの意見とかいろいろ聴けて,とても参考になります。わたしも音響屋ですが,わたしが扱ってるのは主に通信なので帯域や品質,要求条件が全然ちがうので録音現場の人とは問題意識がだいぶ違うとは思いますが,だからこそそういう意見にいろいろと気づかされます。
まぁいつも書いている話ですが,こういう話とか,また他の「音好き」の人とかの話を聴いていると,「音」というのは非常に話を擦り合わせるのが難しいな…ということです。「感覚」だから…って話もあるのですが,それ以上に音というかオーディオっていうのが「オカルト」になってしまっている部分が,結構あって,しかも始末が悪いのが,そのオカルトを信じている人に限って,「それは科学だ」と思っている点です。まぁオカルトを信じている人っていうのは,だいだいそんなものなんでしょうけど…。
でも,実際に現場にいる人とか実際にもの作りをしている人の話を聴くと,しっかり当人は経験や客観性は持っているし,それ以上に頼もしいのは「音」がオカルトであることをちゃんとわかっていること。で,わかっているけど「オカルトだから」に逃げてない事です。
音っていうのは科学だったり,工学だったり,人だったり,オカルトだったりするんですが,わりとそのどれかだと思っている人が研究者の中にもいます。オーディオファンなんかもっとそんな感じです。ですが,実際はどれでもあるわけで,どれでもあることを理解して接しないと少なくとも技術を提供する者としては失敗するように思います。そしてオカルトだからとか人だから…ってところに対しても「人それぞれなので」という風に思考停止しないで,「その違いがどこからくるのか?」を考えないといけないのでしょう(余談ですが,わたしが言う「物語り」とはそういうことです)。
まぁ技術者じゃなくて利用する側,コンテンツを作る側がそこまで意識する必要があるかと言われると疑問なんですが,話をした友人はしっかりその視点を持ってるよなぁ…と関心しました。まぁ彼は元々理系だから…っていうのもあるのでしょうけど:-)…。
それにしても実際に研究とかやってるとそのいろんなもの(立場)がどろどろしていて,非常にわかりにくいです。音以外の分野もそんなものなんでしょうか?…。オーディオって歴史がそこそこあって,かっては一般の素人でも技術的に遊べる趣味だったこともあるので,どうも妙なおとぎ話があちこちに生まれているような気もするんですが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

所得税

2005-06-28 12:32:37 | 時事
消費税が上がらないと思っていたら所得税増税案…ってことで…。
まぁ増税と言われて「ハイわかりました」と二つ返事で納得する人もそういないだろう…ってことで,(比較的役人に甘い)わたしもうーん…とうなりそうですが,とりあえずいい機会なので,所得税控除のお勉強をネットでしてみたりしました。以前から,給与明細見て「なんだろうこれ?…」って感じはあったのですよね。
とりあえずこのページとか…,他にも幾つか見ましたが,今回の増税案でも控除額とかをいじる話が多いので,とりあえず勉強になります。そういえば税率自身をいじるって話はあまり無いんですかね?…。
自分の給与明細を眺めていると,所得税も結構取られているとは思いますが,それ以上に保険年金や地方税とかが高くて,純粋に所得税だけが数割上がるだけなら,そういたくはないのか?…とかも思いますが,所得税上がると地方税も上がるんですかね?。
所得税を上げるのは消費税が上げられないからだ…という話があって,消費税が上がらないとなぜ所得税を上げなくていけないか?…というと一つは法人税が上げられない…というか法人が赤字をだしていて納税できない…ってこともあるんでしょう。法人が黒字かどうか?…というのは,売り上げから経費を除いた分が利益ってこと何でしょうが,この経費には人件費も入っているし,いろんな費用もはいってます。費用は実際にそれを使うときに幾ら使うかを調整できる…っていう意味でいうと,サラリーマンが給与所得控除で必要経費が規定されているのに対しかなり自由ですよね。なんでサラリーマンは必要経費を自分で決められないのでしょう?。
あと基本控除や扶養控除が38万っていうのは,つまり人間は一人生きていくのに最低38万円/年あればいい…と言ってるように見えますが,どうなんでしょう?…。38万っていうと月3万…,一日1000円。食費…ってことか?…。妥当なようで妥当じゃないようで…。
等と考えると結構,そういう考えなのね…てことでおもしろかったりもしますが,ただし今回の改革案で引っ掛かることも多数。一番引っ掛かるのは「専業主婦の配偶者控除の廃止」ってこと。年金制度もそうですが,専業主婦に有利だった制度がどんどん縮小されてます。これって女性も働け…って言ってることになるんですが,少子化対策政策と反する気がします。もちろん共働きで子育ができる環境をつくろうとすることで少子化対策政策をするっていう方向があるのはわかりますが,そっちが整備される前に専業主婦の権利を狭めると,ますます晩婚化して少子化が進む気がします。あと扶養控除もいろいろ制限を儲けて「ニート対策」とかいうのもわかりますが,子供を持つメリットを作っていかないとやっぱり少子化が進むと思います。
なんか税制調査会の案は「税金をどう取るか?」という事に着目されていて,どういう国を作っていくために,税金の取り方を変えていくのか?…が良くわからないところが,ちょっとなぁ…と思います。
素人ですがわたしは消費税を上げるのが一番公平な気がするので,本当は「消費税率を上げられないので」ていう言い訳はイマイチに感じます。小泉首相の公約もそろそろ翻してもいいんじゃないの?…任期ももう少しだし,靖国も含めて…とか思ったりもするんですけどねぇ…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

支える産業

2005-06-27 10:25:17 | 時事
先日からアニメやマンガ等のコンテンツが外貨獲得のために財界とかから期待されているのではないか?…と書きましたが,そうであっても現場の人間からすると,そういう風にはとても見えず低賃金で激忙な生活を送ってるように思います。まぁそれはわたしの想像ですが,でもアニメ製作が楽勝な仕事…という話はきいたこと無いので…。
日本の未来の鍵となる分野がそういう状態なのは嘆かわしいように一見感じるのですが,よくよく考えると,実はそういうものなのかもしれません。明治の繊維産業,炭鉱,その後の自動車,家電の発達の時期というのは経営者はともかく実際に作業していた人達が濡れ手に泡の生活をしていたとはとても考えられません。雇用はたくさんあったにしてもかなり悪い環境で頑張っていたのではないでしょうか?。しかしこれらの産業もある程度発達してくると,労働者の給与水準等が上がってくるわけですが,そうなったときには実は競争力が下がっているのかも知れません。
つまり,産業的に発達をしている最中のその分野の労働者というのはそもそも過酷な労働を強いられる…というものなのかも。
アニメやマンガの話ばかり書いてるので,ちょっと別の話を。戦後の日本がたかだか20年くらいで新幹線を作ったり,海外に負けない乗用車を作ったりカラーテレビやその他の家電製品を作ったという速度を見ると,その後…特に1980年代くらいからはいったい日本はどういう分野で発達しているのだろうか?…という疑問が結構前からあり,危機感がありました。日本を世界の経済大国にのしあげた分野は上に書いた通りすでに,競争力が落ちているのではないか?という予想があるわけですから,それに変わる何かがないと,今後は転落しかないわけです。
で,一つは上記のようなアニメ・マンガといったサブカルチャコンテンツ…っていうのも思い浮かんだのですが,後はやっぱり携帯電話なんだなぁ…とここ最近思ってます。個人がポケットにいれて持ち運べる携帯電話が出たのは今から約15年ほど前ですが,その時ですら前モデルから3分の1以下の重さになるという物凄い小型化でした。そしてその時は通話機能と電話帳くらいしか無かったのが,今の携帯電話を見ればいかにここ10年ちょっとで技術革新が進んだかは良くわかります。
携帯電話のコンセプトは1970年の万博でデモされていたと言われてますが,あのときのデモは単なるコードレスホンで,その後出来た携帯電話とは技術的なポイントは全然違います。携帯電話というと端末に注目が行きそうですが,実はネットワーク側が重要なポイントで,全国どこでも同じ番号,そして通話中に移動しても切れない…という交換網を作ったところが重要なのです。携帯電話登場から最初はその辺が技術ポイントだし,その後は端末の多機能化とインターネット機能あたりで大きく発達してるでしょう。
現在の端末の多機能ぶりを見てるとこの機能の集積化技術はおそらく他の分野でも役に立ってるのだろうなぁ…と思います。まぁ携帯電話,そしてインターネット周りの状況を省みると明らかに10年前と現在は異なっていて,それを考えるとここ10数年は技術的シンポは余りなかった…とは言わなくて良いのかなぁ…とも思います。
でもやっぱりこの分野の労働者は雇用はたくさんあるけど,かなり過酷…っていう意味では,やっぱりそうなんですよね。過労死なんかゴロゴロ出てきそうな分野ですし…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記憶

2005-06-26 09:02:23 | ココロ
朝起きて昨夜の記憶がないことに気づく。ですが一生懸命思い出すと部分的には思い出せます(昨日日記に書いたし)。酒を飲んだら思い出せないのではなく,書き込みができてないという説があるが,全部というわけでもないようで幾つかは思い出せます。昨夜は途中まで会社の人と一緒に電車で帰ったけど,途中でトイレに行きたくなって下りて,その後は一人で帰ったんですよね…たぶん(笑)。たしかタクシー乗ったんだろうなぁ…。財布の中を見ると660円減ってるし。
ちょっと意外に思ったのが,朝起きて昨夜の記憶がなくなっていても,ほとんど気にしない自分になってしまっている。以前はもうちょっと悩んだり思いだそうとしたりしてた気がするのですが。いいのかねぇ…。こういう風にだんだん惚けてるのも当たり前…って感じになるんでしょうけか?…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上司の注文

2005-06-25 08:12:59 | 所感
わたくしごとですが,昨日人事発令。2年3ヶ月前から続いていた,わたしの立場は終了…のはずなんですが,後任がすぐに来れないとのことで,もうちょっと続けてくれと言われる。なのに昨夜はわたしの慰労会でした。
慰労会ではこれからのことをいろいろと言われる。「人があっと驚くことやってくれ」とか。一般論にしますが,だいたい上司というのは部下にムチャな注文をします。そのムチャな注文をどう自分のためになることに変換するか?が重要なのだと思う。自分にプレッシャーを与えるために利用するというのもあるし,自分がやりたいことをやって,それを「あなたが言ったことをやってるのです」と正当化するのも手。なのでムチャな注文を言われたときには否定しない。否定しないほうが結果的にいいように思います。上司も味方になってくれるし。
…というわけで,今までの仕事をしながら新しいことを考えないとねぇ…という気分。まぁこのプレッシャーを楽しみますよ。
少なくとも(わたしの性格的なものもあるんですけど)上司とフランクに話せるので,その辺の路線はいつでも微調整可能だし。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「萌え」は本当に叩かれているのか?

2005-06-24 06:55:24 | 時事
通常の人々(定義曖昧)が理解できない…,正確には理解したくない犯罪…,例えば猟奇的犯罪等が起きたとき,自分達の中にそれを理解できるココロがあることを認めたくないために,自分達とは違う何か(集団,嗜好対象等)を取り上げ,あたかもそれが原因であるかのようにすることはよくあります。いうまでもなくスケープゴートというやつ。
特に「ゲーム」や「アニメ」また最近だと「萌え」とか…,そういうものは一見そういう趣味がない人からすると理解しがたい趣味であることから叩きやすい対象のように見えます。またそういう趣味を持っている人々も,どうもこの手の趣味が,胸を張って自慢できるものでは無いため(まぁ例外もありますけど),そういうスケープゴートにされることにちょっと過敏になってるフシがあります(ネタにしてるだけって話もありますが^^;)。
こうかくとスケープゴートになりやすいのは,「集団層が明確にわかれているもの」そして「その集団が胸を張って,人に言えないこと」の二点を持つものが対象になりやすいと思います。そういう意味では外国人の不法滞在者とか,ホームレスとか,深夜に溜まっている若者…などもまぁそういう対象にはしやすいでしょう。
さて,話を「萌え」(ゲーム,アニメ等もとりあえずいれときます)に戻すと,萌えの趣味の集団はスケープゴートにしやすいのだと思います。ですが,どうもわたしは最近,萌えをスケープゴートにすることに対して,社会全体でブレーキがかかってきてるように感じてます。気のせいでしょうか?。「そんなことはない,大谷昭宏とかいるじゃないか」という話もあるかもしれません。また最近のTVでの報道バラエティとかを見てると解説者や司会者が不用意に「ゲームをやってるから」という発言をしたりもします。しかし見てると,だいたいそれで終わっているようにも感じるのです。
わたしは,これだけ言われると,もう少し社会の大きな潮流…,つまり「萌え潰し」が起きるのではないかと,ある種ハラハラしていたりもしたのですが,まぁもちろん不当な事だとはわかっていても,そういう風になってないの意外にも感じています。
以下わたしの妄想ですが,実はどこかが萌え潰しに発展することにストップをかけているのではないでしょうか?。いま,日本のアニメやゲーム,コミック,音楽等のコンテンツは外貨獲得のために大き(すぎる)な期待を持たれてます。家電や車が利鞘のいい産業じゃ無くなっている今において,財界や金融界にとって,これらは期待なのだと思います。実際銀行がアニメ製作に投資したりしてる現実もあります。
過去に家電や自動車が日本の外貨獲得の優等生だったときにも,おそらく似たような危険性はあったのだと思います。「TVみると頭が悪くなる」とか「車が空気を汚す」とか渋滞,エネルギー問題…など。しかしそれらの問題は産業の発展に水を指す…ということで,あまり大きく広がらないようにしていたような気がします。ですから,コンテンツ産業についても,同様のことがあるのではないでしょうか?。少なくとも財界の重鎮や政府の閣僚が萌えを取り上げて問題視してないということからもそう感じます。
しかし,よくよく考えてみると,自動車や家電,さらに明治時代は繊維か…それらが外貨獲得の優等生だった時代,実際にそれらを作っていた人達は低賃金で苦労していた様です。そういう意味でも今のアニメやゲームの製作の世界はやっぱり低賃金で苦労してるわけで…,そういう部分まで重なって,なかなか泣けます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お金とオークション

2005-06-23 11:55:12 | ココロ
一昨日の話の続きをちょっとだけ…。しつこくてすみません。
一昨日の話を書く前に,またオークションの話を書こうと思っていたら,一昨日のネタがあったので,一昨日は社会的希望の話になったのでした。
あまり物事を単純化して,一つのことに原因を集約させるのは良くないとは思いますが,やっぱり「お金」が人の中の物差しとして,他を圧倒するような存在に,少なくと日本ではなっていることに危機感を感じます。お金というのが何なのか?…って話は5年程前に書きましたが,簡単に言うと,すべてのものの価値を一つの物差しで測り,そして交換可能にした…ということがその恐ろしさの元凶でしょう。すべてのものと交換可能なので,お金さえ持っていれば一人でもどんな状況になって生きていける,困らない…という「幻想」が生まれるのです。実際はお金の価値は単に国が保証してるだけなんですけど…。
昨日書いた話は,結局社会不安を払拭するためにお金への固執が使われていて,それ以外(他人とか社会とかとの関係性)より重要視されてきているという問題。そして元々書こうかと思っていたのは,ネットオークションというのが「価格決定のプロセスを衆人の前に公開し,かつ誰でも何とでも交換可能」としたことの問題です。
情報を一般の目にとまるようにし,かつ誰でもそのプロセスに参加できるというネットオークションは「情報の公開こそが善である」という幾分行き過ぎの信仰が広まる現代ではなにも悪いことではないように思われます。確かに以前はものの価格が業界の中で閉じて決定されていて,流通の手段も業界が独占していた時代でした。しかし,確かに一般の人に見えないところで価格決定がされていたかも知れませんが,そこには業界の慣習や市場を護るためにコントロールされていた部分があったのも確かです。ネットオークションの広まりは業界はともかく市場を無視し短期的に投機的に儲かればいいという人が,そこでのやり取りに入ってくるわけで,「それが経済だ,資本主義だ」と言われれば反論はできませんが,すべての業界,すべての市場がそういう草狩り場になってしまうわけです。
わたしは4年前くらいまで一時期ネットオークションを利用してましたが,その頃わたしがネットオークションをいいと思った点は,「リサイクル」と「直接必要な人同士での物々交換」的なところでした。ところが,今のオークションは「必要な人により高額で売り捌く」という場になってしまっている気がします。もちろん,売り捌く側のリスクもありますし,リスクを背負うからこそ商売になるっていうのもわかりますけど…。
個人的な好みではわたしが見いだしていたような利用が主となるようななんらかの制限があった方がいいと思います。少なくとも現状はいろんな犯罪やトラブルの元になっているという事実もあるのだし…。
あと,もう一つ…やっぱり,「お金」以外の価値観を重要視するようななにかが必要な気がします。こっちはオークションじゃなくて社会への望み…ってことで…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

価値観の単純化と不安の払拭手段

2005-06-21 12:58:22 | ココロ
「希望格差社会」の山田昌弘教授の講演とその感想について。興味深いのでメモ。
わたしはこれまで何度も書いている,ここでも近い指摘をしていると思いますが,階級が無く,更に価値観が単純化してることが結局のところ原因かと。「価値観が単純化?,多様化の間違いでは?」と思うかも知れませんが,わたしは現在の価値観の多様化というのは表層的な部分が多様化してるだけで,根本的なところはむしろ単純化というより狭まってる気がします。ぶっちゃけていうと「金銭」で物事をすべて測るようになっていると。つまり金銭的成功としての様々な成功例があるわけで…。
このことは,地域や組織と「個」のつながりが弱くなり人間一人一人が孤立が強い世の中になり,そうなるとすべての個に共通の価値である金銭に頼ざるをえない世の中になっているということではないでしょうか?。昔の村社会ではある個人が経済的に破綻しても周りの人が面倒を見るというセーフティネットがあったり,戦後の日本でも使えないやつでも会社がそれなりに食わせてくれる…という不文律があったりした気がします。ですから,金銭的成功だけではなく,そういう人間関係をうまく作っていくことで,乗り越えていた人達がたくさんいたわけです。そういえば,今の都会では近所に余ったものを配る…という風習なんてほとんど見られません。
わたし自身がいい歳をして独り暮らしなので思うのですが,一人で将来不安無く暮していく…っていう見方で考えると相当な貯蓄や収入がないと不安です。しかし実際にそれだけの収入や貯蓄を多くの人が得ることなんて不可能でしょう。「希望を持てない」というのもあるのですが,「不安を払拭する手段がない」と言う方が大きいようにも思います。
階級社会が無い日本の弊害については今回は書きません。弊害は弊害だと思うけど,階級社会の方がいいというつもりは全然ないので,誤解無き様。
それから,以前のような地域や組織と「個」が密着した社会が良いと単純にいってるつもりもありません…というかそこに戻る手段が具体的に良く見当たらないので…。まぁ今の日本で一番組織と個が密着してるのって宗教団体かもしれませんが:-p。
いずれにせよ,ちょっと気になるのがニートにしても引き籠もりにしてもココロの分析の話として語られることが多いこと。もちろんココロの問題なのですが,そういう状況に至ったのは社会システムの変化でしょう。中で言われているように「しくみ」を作ることが重要でしょうし,それだけではなくもっと社会システムを見直す必要があるように思います。ココロの問題にしてしまうとまるで「そう思っている人のせい」っていう風なニュアンスになって個人にその責任が帰着するような気がして気持ち悪いのです。
それと読めばわかりますが,わたしは今回は「希望」じゃなくて「不安の払拭」という見方で書いてます。希望格差社会の議論は「希望」という点に視点が行きがちですが,「不安」という要素も重要でしょう。わたしは不安と希望は表裏一体ではないと考えていますので,希望を考えれば不安の払拭を考えたことにはならないと思います。
わたしはニートでも引き籠もりでもないのですが,やっぱりお金で不安を払拭するような社会はどうも居心地が悪い。なのでそうではない社会がどうやったら出来るか?…ということには関心があります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒気帯び

2005-06-20 07:05:34 | 時事
週末のニュースで国会会期延長採決の場で,酒を飲んでいたとのことでちょっとした騒ぎ。まぁもともと衆議院では酒気帯びで議場に入らない…という取り決めがあるらしいので,この抗議自体は正当であることは間違いないでしょう…。ただ一方で個人的感情では「なんで酒飲んで国会に出たらダメなの?」というのがないでもありません。
とか書くと普通の人は意外に思うかも知れません。日本ではお酒を飲むと「正常ではない」とか「非公式の場」とかいう印象が強くなっているのでしょう…。特に今回の野党の反論では「酒気帯び」という表現をしていて,これが道交法の「酒気帯び」を連想させます。ただ良く考えてみると道交法で酒気帯びが禁止されているのは酒気帯びで運転をすると事故を起こす確率が確実に高くなるからでしょう。これと同じことが国会の場でも言えるのでしょうか?。
正直良くわかりません。酩酊していたら,「正常な判断」が出来ないのかも知れませんが,酒気帯び程度だと忌憚ない議論ができるかも知れません。まぁ線引きが難しいのと,議論が白熱してまとまらない…可能性もありますが…。
ついでに書くと三々九度で結婚という契約をする日本の風習はふざけたものなのか?…。あとなんだかんだいって,懇親会と称して,いろんな重要なことが決まっていくという社会風習はおかしなものなのでしょうか?。
まぁ結局のところ国会と自動車免許をいっしょくたんにしてしまうような発言に観ていてこっちは苦笑していたのですが,TVのコメンテータ達も苦笑気味。
ただ一つだけ気になってしょうがなかったのが,その酒気帯びを追求する発現をしていた社民党の女性議員…。社民党だから女性議員なのかもしれませんが,どうも滑稽に見えてしまいます。社民党がそれだけの政党と言われると反論できませんが:-p,どうもあれじゃ女性議員が本論と関係ない枝葉の部分だけしか言えない馬鹿な存在…としか目に映りません。自分から望んでやってるのであれば仕方ないのですが,なんか女性議員って軽くみられてる…というかみられることしかしないよなぁ…と思いました。
まぁ国会全体からして深い議論なんってしてませんけどね:-p…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする