たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

椎名林檎

2009-12-29 22:27:50 | 音楽・アート
ネットで椎名林檎のCDが売れなくなった理由が書かれてました。ひどい文章でした。私生活がどうであろうが,どういう連中とつるもうが,いい作品を作れるかどうかは関係ありません。というかそれでいい作品を作る人もいるし,そうじゃなくなる人もいると思います。バンドの人選が気に入らないとしても,使う言葉が汚すぎます。この文章を書いた人間はどういう人間なんでしょう…。
と取るに足らないので取りあげる必要も無いのですが,ただ,椎名林檎のCD売れて無いんだ…とは思いました。データ的にもそうなんでしょうか。
実は作品がつまらなくなった…というのは,わたしも感じてました。わたしはデビューからCDを買い始めたけど,「唄ひ手冥利」あたりから出すCDに苦しさを感じてました。いい曲もあるんだけど,フルアルバム一枚にするには足りない感じがしました。あと,新しいことにTRYしてるのだけど,うまくかみ合ってない気がしました。むしろ新しい曲を作ろうとして苦悩していろいろしすぎてる感じがしてました。洋楽をカバーしたり,いろんなミュージシャンと共演したりするのもたぶん新しいスタイルを模索してるんじゃないでしょうか?。その意気込みというか志は凄く高いと思います。でもわたしはとりあえず,もっと自分の過去の作品の自己複製の曲を書いてスタイルの再確認をしたほうがいいんじゃないか?という気もしています。
まぁ半年前に出した最新アルバムは聴いてないので,とりあえず聴くべきだな…とは思ってます。
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萩尾望都原画展

2009-12-23 22:35:29 | 音楽・アート
池袋で今日まで開催されていた萩尾望都原画展を観てきました。萩尾先生は今年でデビュー40周年とのことで,それを記念した初の原画展だったとのことです。
最終日&休みということで結構混んでました。ですが,会場が係が,「順番に観なくて結構です」と言っていたので適当に空いているところから観ました。
萩尾望都先生の作品はほとんど読んでいるはずですが,見覚えのある絵が原画,もしくはカラーの肉筆の表紙絵が大量に壁にかかっているのを観るのは爽快でした。初期の作品,ポーの一族とか,トーマの心臓とか,11人いるとか,百億の昼と千億の夜とかの原画も綺麗で,日焼けや変色とかもしておらず,保存状態の良さに驚きました。これらの原画って萩尾先生の手元に保管されているってことですかね。そういう意味では肉筆画を売る画家ではなく,印刷物を出版する漫画だからこそだなぁと思いました。原画が作家の手元に残るというのは,後でこうやってまとめて鑑賞できるって意味ではいいかもしれませんね。
名作「半神」は16ページの短編ですが,全原画が置いてあり,凄いオーラ出してました。非常に作品数が多い方ですから,全作品のものが並んでいるわけではありませんが,上記の絵以外にもマージナルやスターレッド,メッシュ,残酷な神…,バルバラ異界等,メジャーな作品は結構網羅されていたようにも思います。
あと,わたし自身最近は先生の作品は単行本でしか読んで無いので,原画と見慣れた絵の大きさにギャップがあるのですが,結構印象が違うな…と思いました。塗りの密度とかよりも,デッサン自体が,結構違って見えるのが面白いと思いました。人って大きさ形の認識が変わるんだなぁ。
まぁそんな感じで楽しめました。萩尾先生の漫画が示した世界観というか哲学的な面には結構影響を受けたところもあるんですが,それを語りだしたら,長くなるので,また機会があれば…。
この展示会今回限りのようですが,全国回ったほうがいい…と思うのですが。
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書評:企業戦略としてのデザイン~アップルはいかにして顧客の心をつかんだか~

2009-12-22 20:54:34 | 書評
企業戦略としてのデザイン~アップルはいかにして顧客の心をつかんだか~
(Robert Brunner, Stewart Emery, Russ Hall著)

最近アップルがiPod & iTunesのビジネスで大きな成功をあげているからでしょうけど,アップルの成功を分析した本が結構出てます。ジョブスを語る本も多いようですが,この本は,アップルの成功をそのデザイン主導の戦略として,アップルのみならず様々な企業のデザイン戦略とその成功と失敗を書いた本です。
この本では,その製品のデザインの一番重要なものを「カスタマーエクスペリエンス」としてます。つまりその企業の製品により,買ったユーザが体験するものです。ユーザが体験するものは製品の見た目のみならず,使い心地や,シーンとか,そういうものを通して得るものです。それがユーザにとってがっかりするものなのか?,満足するものなのか?によりユーザが使い続けるか,または高付加価値として高額でも使うかを決定すると書いてます。そして様々な企業をとりあげ具体的な事例を多く書いてます。
それを読むと,デザイン主導で企業戦略を立てることは非常に重要であるというものの,実際は多くの会社がそれを行ってきておらず,多くの失敗をしてきているようです。またデザイン主導で行うものの,勘違い等で失敗するケースもあるようです。デザイン主導というのは,単に製品の見た目の設計ではなく,企業で物を作る人たち一人ひとりの意識まで浸透しないと,うまく行かない。見た目が良くても,故障が多かったり,ユーザがサポートがよくないだけでも,エクスペリエンスとしてはがっかりしたものとなるとしています。
まぁ,そりゃー,デザイン主導と呼ぶかどうかはともかく,カスタマーがその製品を使うことで特別な意識をもてるようにするということを,社員一人一人が意識できれば,企業は強いよなとは思いますけど,それが出来るかどうかはまぁ,それぞれでしょう:-p。
エクスペリエンスという言葉から判るように,それを与えるものをデザインとするなら,それは製品の見た目のみならず,音やさわり心地や機能や…つまり五感に訴えてくるものであることがわかります。この本であげているデザインの例はわりと見た目とさわり心地を主にあげてますが,たぶんここでいうデザインはわたしが思うところのデザインだと思います。
この本を読んでいて,そのつくりから「教科書的」だなと思いました。MOTやMBAのセミナで使いそうな,企業分析と戦略についての本だからでしょう。もしかしたら本当にどこかで教科書として使っているのかも知れません。わたしは企業戦略をデザイン主導でやっていけばもっと面白くていい製品が出てくると思うので,この本を教科書として扱う場が増えていけばいいと思います。ただ,やっぱり読んでいて,これを読んで勘違いする人が多いんじゃないかな?とおもいました。この本出てくる事例も,あの大企業がこれだけ失敗するのかというのがたくさんあります。それだけ,まだまだデザインするということを判っている企業や経営者は少ないのでしょう。
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心理と心理モデルと数値

2009-12-19 19:01:43 | ココロ
膵臓がんサバイバーさんのブログにAHP(階層化意志決定法)というのが載っていて,興味深く思いました。その次のブログに,実際に計算したものが載ってました。
面白いなぁと思ったので,ちょっと突っ込みますが,批判するつもりはありません。ちょっと注意を…という感じで簡単に。
わたしは一応大学で心理実験を習ったし,いまでも評価実験とかやってます。AHPという手法は知りませんでしたが,一対比較とか,心理尺度の構成法は勉強しました。なので,計算の複雑さはとりあえず,置いておいて,一番気になるのが,この手の手法は評価語と数値の関係です。
「同じくらい重要」「少し重要」「かなり重要」とかいう評価語に1,2,3...みたいに整数を割り振ってますが,これが一番ミソ。言葉に数値を割り振るのは単なる順番として振る場合と,大きさとして振る場合があります。順番を振るというのは,例えば2は1より大きいということは示してますが,2倍大きいとは言わない計算法です。一方で大きさとして振ると2は1の2倍の大きさです。つまり1を二つそろえると2と同じになるとか,3よりも2が二つある場合が大きいとか,そういう計算が出来るようになります。
今回のAHPというのはどうやら評価語を「大きさ」として数値化しているようです。こうなると,この数値化が本当に心情にあってるのか?が一番大きな問題になります。「少し重要」が束になっても「かなり重要」にかなわないという場合には単純に1とか2とか振るのは,その前提からあって無いってことになります。
その後にやっている複雑な計算はあくまでもその評価語がきちんと数値化されているという前提での計算です。それはその前提(心理モデル)の上では正確でいろんなことがわかるのでしょうけど,その前提があってるか?はその結果をさらに現実の心情と照らし合わせたりしないとわかりません。
さて,この手法はあってるのでしょうか?。そのうち実際に計算してみて,その結果を自分の胸に手を当てて聞いてみることにでもしましょうか:-)。
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「芸術工学」と「デザイン」

2009-12-07 21:32:25 | 音楽・アート
一つわたしのこだわりみたいな話を。正しい認識とは限らないので,あしからず。

わたしは「博士(芸術工学)」という学位を持っています。珍しい学位なので,名刺に書いていると,どういう学位ですか?と良く聞かれます。その時々でいろいろ説明の仕方は変わりますが,一つは「英語で言うとDesignですよ」という説明です。で,なぜかこう説明すると相手はがっかりします(苦笑)。「なんだそうですか」という感じで。

どうも「芸術工学」という怪しげで,可能性を感じる単語が「デザイン」という聞き慣れた言葉に変換されて,身近というか,範囲が明確になってがっかりするのでしょうか?。でも,いつも思うのですが,そういう人にわたしは聞きたいのです「あなたが思うところのデザインってなんですか?」と。

「デザイン」というとどうも普通の人は,ある工業製品とかの見た目を設計するものだと思っているようなフシがあります。辞書で引いても「Design」は「設計,図案,下絵」などいう意味があります。あと「計画,目的,意図」というような漠然としたものもあります。確かに"design"を「設計」というのは間違ってませんが,「デザイナー」を「設計者」をいうと,少しニュアンスが違って感じます。というわけで少し整理すると,「設計」というのは狭い意味ではある生産物をつくるときの構造とかを決める作業でしょう。また「図案」とか「下絵」というのは具体的にその時に描いた絵のことを指すと思います。「計画」とかになるともう少し広くて構造だけではなく,ものを作る目的とか,線表とか,収支計算とかそういうものも含みます。そういうものも「デザイン」という事は可能ですが,日本人的な感覚では例えば生産計画をする人を「デザイナー」というのには抵抗があるでしょう。

日本で「デザインをする」というと,こういう「設計」というよりは,むしろ製品の見た目やパッケージを決める作業のことを指すことの方が多い気がします。「デザイン家電」という様な言葉がありますが,普通の家電ではなく見た目が変わった家電のことを指します。こういう事があるので,デザイナーは製品の「見栄え担当」と思っている人もいるんではないでしょうか。

わたしは「デザイン」というものは,ある工業製品や工芸品等をつくるときの設計だと思いますが,それは,その品の,機能,使いやすさ,外観等,そして物語を整える作業のことだと思ってます。つまり単なる見た目だけではなく,使った人が十分に満足が得られるための性能,使い心地,そしてそれを使ったことを誇らしげに思えること,それらの全てのレベルをあげるにはどうしたら良いかを考えて設計するのがデザインだということです。

ですから,物事をデザインするにはその製品に使われる技術の中身を知っていなければならないし,改良もしなければならない。そして一番大事なのが,その技術や製品が使う人の心や体にどの様に響くかを,常に意識していなければならないということです。単純にカタログスペックで,性能が上昇しても,ユーザが実感しないと意味がありません。そして,使いやすさやそのものの形や色も影響します。人と違ったものを使っているという満足感の,その製品の形や,それに込められた物語によってつくられます。同じ機能や形の製品でも,そのメーカのそれまでの積み重ねで,まったく違った意味を持つこともあります。それらを全て意識し,バランスをもってつくっていくのがデザインをするということです。

これらの事をやるには,工業製品の場合,それに使われている技術を知らなければ
なりません。工業的な知識も必要ですし,自然科学の知識も必要です。また外的な情報が人の五感や心にどの様に響くかも知らなくてはいけません。心理学や感性工学などがそうでしょう。そして,最後に,製品の特別感をつくための,アートの感性も必要です。あくまでもこれらを全て駆使する必要があります。例えばアートだけの観点でつくったら,作者の自己主張ばかりが際立った使いにくい作品になるかも知れませんし,工学的な観点ばかりでは,性能は凄いけどやっぱり使いにくいし,見た目も野暮…なものができてしまうでしょう。

また,「見た目」ということから絵画や造形的な部分に目が行きがちですが,使いやすさや体験のためのアート的観点ですから,音だったり,触覚だったり,臭いだったり,五感に訴えてくるもの全てが,対象になります。

「design」というと「デザイン」ですが,実は「芸術工学」という和訳は特殊ながら上に書いた,工学からアートまで…という範囲を明確に示していて,わたしは凄く好きな言葉です。そして芸術工学という言葉からデザインという言葉を再びみると,デザインというのは単にものの見た目だけではない,もっとその工業製品を,それを使う人達の体験自体という観点から見て造ることだという事に気づきます。

奇しくも,いまAppleがiPodで成功を続けていることから,工業製品にデザインを
重視する…という動きがビジネス界で拡がってきてるように思います。ですが,その多くが,製品の見た目を優先するというところに陥っていて,使いやすさ,機能,そしてストーリそれらも含めてのデザイン…というところには至っていないように思います。いや,Appleはこれらがすばらしく出来てるのですが,それ以外のメーカにはどうもバランスが悪い製品を出しているところが多い,ということです。

これからのデザイン…というか,成功するデザインというのは,「芸術工学」としてのデザイン…という風に考えて行くべきだろう…とわたしは考えます。そう考えると,「デザイン?…なぁーんだ…」って事にはならないと思うんですけどね(苦笑)。
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クリエイティブに過去の知識は必要か?

2009-12-04 12:20:29 | 音楽・アート
知らない方のブログに対する突込みで申し訳無いのですが,「映画を体系的に理解するための7作品」というのを読んで…。
挙がってる映画はどれも有名な映画ばかりだなぁと。わたしはそこまで映画のマニアとかファンという自覚は無いのですが,さすがにここに挙がってる映画はみんな知ってるし,「用心棒」以外は全部観てます。用心棒は観て無いけど黒澤映画は5本くらいは観てるので,まぁいいたいことはわかります。一応これらの作品がその後に与えた影響を書いてあるあたりが「体系的」ということなんでしょう。メジャーな作品ばかりで,たぶんマニアが観たらがっかりするリストなんでしょうけど,実際ヒットした映画というのは多くの人に観られたということなので,その後に与えた影響は大きいし,歴史的な意味も大きいでしょう。
まぁ,でも申し訳ないけど,最初に「クリエイティブなことをしたいのなら、映画を見ることは欠かせない。また、単に見るだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ」と書いてるのを読んで,そうかなぁとは思ったんですよ。いやそのクリエイティブというのが映画を作ることなのか,それとも映像制作まで含むのか,それともほかの事まで含むのかはよくわからないのですが。
わたしは音楽のことしかよくわからないので,音楽で考えてしまいますが,音楽はたぶん,過去の作品を包括的・体系的に捕らえているかどうかは,その人の創造性には直接は関係ないと思います。いや,そういう人もたくさんいるんですが,中には過去の作品をほとんど知りませんという人がいて,そういう人がある日とんでもない作品を作って,そこから新しい道が引かれたりする。もちろん過去の作品を勉強しそこから新しい作品を作る人もいるけど,包括的…かどうかは疑問です。
なんか過去の作品を包括的とか体系的に捕らえるのは,評論家や学者には必要なことだと思うけど,物事を作り出す人にどこまで必要なのだろうか?という気はします。まぁ確かに過去の作品をほとんど知らなくても新しいものを作れるのは一部の天才だけで,そうじゃなければ,過去の蓄積をたくさん知ってるほうが,その知識を頼りに作れるっていうのはあるのかもしれませんが。
ただし映画は,音楽と違い,大人数のスタッフでつくるものだし,一人の感性だけではなんともなら無いのかもしれません。スタッフに何かを伝えるためには共通言語が必要で,それが過去の名作かもしれないという意味では,過去の作品を包括的に捕らえるっていうのも必要なのかもしれませんが…。
それとこれもわたしの経験だけど,自分が自分の好きな世界の過去作品はほとんど知ってると思っても,意外に若い人は,全然違うところの作品をよく知っていたりして,かえって広い世界のことを知っていたりすることもあります。あと包括的・体系的っていうのは,長年生きていて,その作品に触れていればあんまり努力しなくてもついてくるので,まぁ意図的に触れなくてもいいかもなぁ…という気はします。わたしも音楽は色んな音楽をずっと聴いてきて,別に体系的に捕らえようとかあまり意識してなかったけど,大量な蓄積があるので,それが今となっては頭のマップ上に並べられていて,なんとなくそれぞれの関係性みたいのは判ったりするんですよね。そういう意味では,若いときにそれを求めるのが本当に必要なのかはよくわからないなぁと思いました。
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立花隆のガンドキュメント

2009-12-01 23:14:37 | 医療・福祉
立花隆 思索ドキュメント がん 生と死の謎に挑む」の録画していたのを観たので…。
2年前に膀胱がんになり,摘出。今は経過観察中の立花氏によるがんの話なんですが,一言で言うと,一時間以上の時間をかけた番組だけあって,非常にボリューム感がある番組でした。内容的に結構多くのことを扱っていてどういう番組だった…というのが難しい感じです。
最初は自らガンにかかって手術したことで,その再発の検査を受けていて,再発がもし起こったら助からないでしょうね,みたいな話で,なぜ再発を防げないのか?みたいな話,抗がん剤の話とかつまり医療とガンの闘いみたいな話でした。そしてガンの治療が非常に難しいという話からガンという病気は…みたいな話になるのですが,正直この辺くらいまでは,自身がガンになったわたし的にはすべてわかっている話で,「ハイハイ…」という感じでみてました。
むしろ最初の方はガンの治療法みたいな話になりそうで,そんなに都合のいい話は無いだろうとか,ちょっとはらはらしながら観てたのですが,後半あたりで,ガンというのが人間の生命活動そのものというか,体の中の細胞のもともとの働きと密接であり,単なる異常と切り捨てられない…つまりガン細胞と正常細胞をえり分けて薬品で攻撃することが難しいとかそういう話になりました。
この辺はわたしの認識と同じなので,共感は出来ましたが,結構ここに至るまでがまどろっこしいって感じだったので,一般的には,ガンを単なる病気や異常と捕らえており,そういうところまで至るにはこういう説明をしないとダメなのかなぁと思いました。
わたしはガンは基本的に人間の細胞分裂の異常だから必ず起きるし,それを自分の免疫系が防げなくなったり,歳をとって自分自身の精度が落ちると必ず起きるもんでしょう…とは思ってます。ですから抗がん剤ががん細胞を攻撃する原理はいくつかあるんでしょうが,正常な細胞を傷つけずにガンを攻撃するのは困難なんだろうなとは思います。
もっともほかにもいろいろと専門家の話の中で,興味深い話もあって,それはまた別途書くかもしれません。その辺はとても面白かったです。
ただ最後に立花氏が自分が再発したら治療しない…といったことについては,なんか結論を出すのが早すぎ…という感じで,あまり共感を得られませんでした。まぁもう歳だし…というのは判るんですが,なんとなくTVでそれを宣言すると,ガンになったらそれを何もせずに受け入れるのが美学…みたいなメッセージを流してるみたいで,本人がそう思っていても,TVで宣言するなよなぁ…みたいな感じ。
わたしは立花氏より若いというのもあるけど,たぶん再発したら,治療の道をまずは考えると思います。
まぁでも,力作な番組でガッテンとかとはさすがに違うよなとは思いました。12月13日に再放送があるので,もし興味があれば,観てみてください。
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