ネットで「
東電に入ろう」という曲が話題になってました。これ,誰がどこで歌った曲かは知らないのですが,高田渡の「
自衛隊に入ろう」が元ネタですよね(^^;)。
私は今世の中にある東電批判にあまり前向きなものを感じないので,こういう風に茶化したような曲にしてしまうのは,そんなにほめられたような話でもないなぁ…と思ってしまいました。
というか,そういう気持ちでふと原曲である自衛隊に入ろうをYoutubeで聴きなおしていて,少し当時のフォークについての感じ方が変わりました。
高田渡はこの曲に限らず,風刺的な曲をたくさん歌ってます。深い話をパロディや茶化すような軽い口調で歌うのは,深刻な話題を多くの人に届きやすい形で伝えるという意味では巧みなことだったと思います。貧富差や労働運動に関するようなものもあったようですが,自衛隊に入ろうは戦争批判であるとともに,自衛隊を持つ政府への批判もあったのでしょう。基本的には高田氏が歌った曲は反政府的な左派の意見よりだったと思います。
当時のフォークには高田氏以外にもこういう左派な立場で歌を歌う人が多かったように思います。私が音楽を聴き始めた頃は,もう陽水や拓郎が政治と切り離されたフォークを歌ってましたので,私はそういう影響はあまり受けてないものの,そういう反政府的な態度はカッコいいものだと思っていたような気もします。
でも,今となってこの自衛隊を入ろうを聴くとどうでしょう。特に今の若い人はどう思うのでしょう。今回の地震の復興に関してもそうですが,自衛隊は以前に比べ日本では「必要なもの」という認識になってきてると思います。実際にやってる仕事は戦争ではなく災害復興だったり危険地域での作業であることも知られてます。まぁ海外で米軍の手伝いとかもやってますが,それも致し方ないという認識が多いのではないでしょうか。
そういう前提でこの曲を聴くと,ちょっと自衛隊を誤解してるという風に取れてしまいます。誤解してこう茶化されると,ちょっとひどくないか?という気もします。もっとも,自衛隊が発足して間もない当時,自衛隊が現在のような立場だったかはよくわかりません。またこういう風に自衛隊の活動をけん制してきたから,今の自衛隊がある,という風にとることも出来ます。
ただ一方で,現在東電批判をする歌とかがいくつか出てきてる様な状況を見てると,この当時の政府批判も別に困難なことをやっていたわけではなく,こういう空気を皆が共有していて,そこで受けそうなことを歌っただけだったのかも…という気がしてました。もちろん当時の大人たちには白い目で見られたかもしれませんが,若い人たちの中では,普通に盛り上がっていたのかもしれません。今のネットがそうであるように。もちろん当時の社会の空気を歌にして残した業績はあるのだと思います。
今回このパロディの歌を聴いてちょっとがっかりしたのは,その歌の出来のよさ悪さというよりは,むしろ元歌とそれを生み出した当時の空気もこんなもんじゃなかったのか?と思い,なんか軽くなっちゃったと感じてしまったことです。まぁ当時に生きたわけじゃないのでわかりませんが。
余談ですが,最近大正の頃の芸術家が皆駆け落ちしたり自殺未遂したりしたのも凄いというよりは,そういう空気だったのかな…とか醒めて見えてしまうことがあったりします。なんとなく過度にドラマチックであることに醒めてる自分を感じてます。