たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

日本式が通用しない

2011-05-31 23:25:01 | 時事
なんとなく原発の事故というものを観てると,日本人的な使い捨て文化とか,御祓いとか水に流すとか,そういう考え方がまるで通用しない事例じゃないか?という気がしてます。

うまく説明できないのだけど,日本は自然が豊かなので,ある程度人の手によって自然がダメージを受けても,使い物にならない土地というのは存在しないというか,つまり森を切り開いたら砂漠になった,みたいなところは無いのだけど,今回は人が住めなくなっている地域が広範囲に発生した,こういう事例は日本の歴史上これまでなかった経験じゃないか…という気がします。

だからなんとなく日本人は現状のこういう場合の対処にどうしていいかよくわかってない。復興が短期的には難しいということがどういうことなのか,私も良くわからない,そういう気がします。
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脱原発関連で気になること

2011-05-30 06:07:30 | 社会
原発事故を受け,脱原発の意見が強まってます。個人的には,それについては賛成。ただ結構いろんなリスクがあるのに,それが議論されてないので,どこかで頓挫しないか?の方が心配だったりします。

ひとつがこれは指摘する人もいますが,原発を止めても現状電気は足りるという意見。私は無理だと思ってるので,原発を現時点で全部止めれば,停電をせざるを得ないと思います。そういう覚悟があっていうのであればいいのですが,停電の覚悟が出来てない時に停電がくると結構しんどいと思いますよ。

次が,太陽光,バイオマス,風力地熱等に主要発電を変えていくという話。これは長期的には賛成なのですが,時間がかかると思ってます。あと,これらが自然にやさしいというのも,本当か?という気はしてます。例えば太陽光も風力も設置面積をかなり取る。そうするとそこに利用できない土地が発生したり,どこかに建設物を作るということになります。それが自然破壊につながらなければいいのですが。ただしそれでも原発よりはマシというのは確かです。

じゃぁ自然エネルギーがすぐには無理なら,つなぎとしての火力発電が必要になります。確かに石油による発電はこれまでもやってきたことですから実績はありますが,二酸化炭素排出問題と,それよりも気になるのが,中東のゴタゴタに今いっそう振り回されたり,クビを突っ込む必要が出てくるのでは?ということ。これって覚悟できてる人ってそんなにいるんでしょうか。

以前,中東の戦争に日本が支援するだけで大騒ぎだったりとかありましたが,そういうことにますます関与せざるを得ないことにならないか?,わたしは結構気になってます。

脱原発とか卒原発とか賛成だけど,そんなに簡単なものじゃないし,そっちはそっちで覚悟が必要だと思います。なんにでも負の側面があって,それを見ずに今だけを否定していたら,また(消極的にでも)選んだ選択に失望するということになりかねない…と思います。
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反骨をするのが楽だった時代

2011-05-16 22:36:26 | 音楽・アート
ネットで「東電に入ろう」という曲が話題になってました。これ,誰がどこで歌った曲かは知らないのですが,高田渡の「自衛隊に入ろう」が元ネタですよね(^^;)。

私は今世の中にある東電批判にあまり前向きなものを感じないので,こういう風に茶化したような曲にしてしまうのは,そんなにほめられたような話でもないなぁ…と思ってしまいました。

というか,そういう気持ちでふと原曲である自衛隊に入ろうをYoutubeで聴きなおしていて,少し当時のフォークについての感じ方が変わりました。

高田渡はこの曲に限らず,風刺的な曲をたくさん歌ってます。深い話をパロディや茶化すような軽い口調で歌うのは,深刻な話題を多くの人に届きやすい形で伝えるという意味では巧みなことだったと思います。貧富差や労働運動に関するようなものもあったようですが,自衛隊に入ろうは戦争批判であるとともに,自衛隊を持つ政府への批判もあったのでしょう。基本的には高田氏が歌った曲は反政府的な左派の意見よりだったと思います。

当時のフォークには高田氏以外にもこういう左派な立場で歌を歌う人が多かったように思います。私が音楽を聴き始めた頃は,もう陽水や拓郎が政治と切り離されたフォークを歌ってましたので,私はそういう影響はあまり受けてないものの,そういう反政府的な態度はカッコいいものだと思っていたような気もします。

でも,今となってこの自衛隊を入ろうを聴くとどうでしょう。特に今の若い人はどう思うのでしょう。今回の地震の復興に関してもそうですが,自衛隊は以前に比べ日本では「必要なもの」という認識になってきてると思います。実際にやってる仕事は戦争ではなく災害復興だったり危険地域での作業であることも知られてます。まぁ海外で米軍の手伝いとかもやってますが,それも致し方ないという認識が多いのではないでしょうか。

そういう前提でこの曲を聴くと,ちょっと自衛隊を誤解してるという風に取れてしまいます。誤解してこう茶化されると,ちょっとひどくないか?という気もします。もっとも,自衛隊が発足して間もない当時,自衛隊が現在のような立場だったかはよくわかりません。またこういう風に自衛隊の活動をけん制してきたから,今の自衛隊がある,という風にとることも出来ます。

ただ一方で,現在東電批判をする歌とかがいくつか出てきてる様な状況を見てると,この当時の政府批判も別に困難なことをやっていたわけではなく,こういう空気を皆が共有していて,そこで受けそうなことを歌っただけだったのかも…という気がしてました。もちろん当時の大人たちには白い目で見られたかもしれませんが,若い人たちの中では,普通に盛り上がっていたのかもしれません。今のネットがそうであるように。もちろん当時の社会の空気を歌にして残した業績はあるのだと思います。

今回このパロディの歌を聴いてちょっとがっかりしたのは,その歌の出来のよさ悪さというよりは,むしろ元歌とそれを生み出した当時の空気もこんなもんじゃなかったのか?と思い,なんか軽くなっちゃったと感じてしまったことです。まぁ当時に生きたわけじゃないのでわかりませんが。

余談ですが,最近大正の頃の芸術家が皆駆け落ちしたり自殺未遂したりしたのも凄いというよりは,そういう空気だったのかな…とか醒めて見えてしまうことがあったりします。なんとなく過度にドラマチックであることに醒めてる自分を感じてます。
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子育ての思想

2011-05-14 12:11:30 | 育児・教育
趣味Webの「母は動じなかった」という文を読んですごいなぁと思いました。この方は現在30歳過ぎぐらいの様ですが,自分の母親が自分たちをどう育てたか?という想い出。下のほうに「幼少の思い出」という文が四つリンクされてますが,それも同じようなもので同じく感心しました。子育てにおいて子供に危険なものを丹念に教えるけど,教えたら自由にさせる。「命のリスクを徹底的に嫌悪して制限と監視を強化していけば、人は人らしく生きられなくなる」と思ってたらしいと書かれてます。

そのほかにもいろいろと感銘を受けることがかかれてます。というか感心はするのだけど,自分は親としてこの様に子供を育てることが出来るだろうか,とむしろ不安に思ってしまいました。

流石に人為的ではない事故にあって子供が怪我をした時や病気でひどい目にあったときに,無理やり誰かのせいする…ということはしたくないと思ってますが,それでももしそういう場面になったら何かやってしまうかもしれないし,子供の自主性を育てたいと思うけど,でも,そこまで子供を信じて放任することが出来るだろうか…というのは今でも思います。

もちろんここに書かれた文は子供から観た母親像なので,実際は母親は子供に気づかれない形で子供を結構監視していたのかもしれません。でもそう子供に思わせてないのは見事です。

それにしてもこの母親はいくつなんでしょう。Webの人が30歳くらいなら,もしかしたら私よりちょっとだけ歳上なだけかもしれません。でもいまどきの人がそういう考え方が出来たのだろうか?とも思います。

私の親はもう80を越えてますが,戦争を体験していてまた兄弟を小さい頃になくしたりとか,そういう時代だったので,子供が死ぬことはありえる…というようなことを考えていても不思議ではありません。でも自分はどういう考えの下に育てられたのか…とか聞いたことないし,今となってはどうなんだろう…とも思います。まぁ私は子供の頃からだが弱かったし,子供が死ぬこともあった時代だから,特に思想が無くても,生死というのは運命みたいなものだ…とかは思っていたかもしれません。

いろいろ思いました。
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電気行政

2011-05-09 22:04:39 | 時事
最近のネット経由でニュースを観ていて思うこと。

東電のあり方についていろいろ言われている様ですが,

  • 倒産&国有化
  • リストラ,送発電分離

は逆の方向性のような気がするんですが,どうでしょう。特に後者は地域独占見直しとかまで踏み込めるんですが,他の地域への影響などは無いんでしょうか?。電気も許認可事業だろうから,東電地域だけ特別な体制ってわけにはいかないんじゃないという気がします?。あくまでも法律の技術論だけど。

それから倒産国有化は今の株主と経営陣に責任を負わせて,だけど組織としてはそのまま国が運営すれば,末端で働いている人や消費者は今と同じ利便性を保持できるけど,リストラや送発電分離は結果的に消費者に大きな影響を及ぼします。通信が地域分離や競争を導入した時に,安くはなったけど,電話料金を払う会社が増えたり,マイラインとかそういうので,ややこしくなりました。あの時はそれでも安くなる…っていうユーザメリットがあったけど,今回は東電がぼろぼろの状態でそうなるのだから,煩雑になりつつ安くもならない…っていう状況になるような気もします。

リストラとか分割とか東電に「罰」を与えてる感覚かもしれないけど,会社をユーザは選べない状況で,インフラ企業をぐだぐだにするのは,結局ユーザの利便性に返ってくると思います。あと民間会社のまま存続するっていうのは,株主的には国有化よりはましってことにもなります。

もうひとつの観点は脱原発がどっちの方が進みやすいか?ってことだけど,これはどっちもどっちのケースが考えられます。脱原発の方がコスト的に有利だったら,競争を持ち込んだほうがすすむけど,逆だったら,結局行政主導でやらないと,研究開発費とか捻出できない気がします。

世論は様々だから方向性っていうのは無いのでしょうが,それでも時期によってあっちに揺れたりこっちに揺れたりしてます。どういう社会を作りたいか?っていうのを考えず,その時の雰囲気でもりあがってる気がしますが,メディアや業界人は,結構自分たちの利権や商機をしっかり考えていたりするので,あまり真に受けないほうがいいんではないでしょうか。自分がどういう社会にしたいと思っていて,そのためにはどういう電気行政がいいか?ということを考えるべきかな?と思ってます。

私の場合は優先順位で書くと(1)今の福島原発の事故をとにかく収めること(2)事故で不利益を被った人の補償を行い,出来る限りの復帰を目指すこと(3)長期的には原発をやめること(4)首都圏をはじめ全国的に安定的に電気を供給すること,かなと思ってます。現状優先順位が高いのは(1)と(2)でしょう。たぶん(3)と(4)は逆順の人もいるでしょうから,これについては時間をかけないと決まらないのかなという気がします。

で,今の世論にはわれを忘れて(1)すら後回しになってる意見もあるようでそういう考えはどうかな?という気がしてます。
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