たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

技術者として必要なことは全てラジコンで学んだ

2010-07-15 22:11:16 | 所感
タイトルは嘘です(笑)。わたしがラジコンにはまった頃の話。70年代後半ぐらいかな。タミヤが電動ラジコンを出し,しばらくは効果で手が出なかったのですが,お年玉を貯めて(タミヤじゃなかったけど)電動ラジコンカーを買ったり,(親に出資してもらい)飛行機を買ったりしました。

当時わたしは小学校から中学に上がるくらいで,電動ラジコンは創成期でした。最初に出たラジコンはジュラルミンの一枚板のフレームに,タイヤの軸とモータと乾電池がついただけという代物。デフギアは最初からついていましたが,変速機能もなくオンオフのみ,ベアリングもついてませんでした。

でも実態としてこれでラジコンブームが起き,巨大なマーケットが出来たので,様々なメーカが参入して,性能を競いました。立ち上がりの分野なので,その技術も目に見えて理解しやすく子供でも納得性が高いものでした。

例えば先のベアリングもそうですし,スピードが多段変速になり無限変速に変わりました。これはスイッチから可変抵抗に変わったからでニクロム線の上を電極が動くのを見て,こうやって抵抗が変わるのかを理解しました。シャーシもジュラルミンからFRPやグラファイトに変わり,軽いだけではなく,強度も強く,金属より樹脂の方が強いというのも子供心に不思議に思った気がします。ネジも空気抵抗を減らすために丸山のネジから,皿ネジに変わたっとか,バッテリも乾電池からニッカド電池に変わり,mAhという単位をおぼえたりしました。サスペンションがつき始めると,そのダンパーの構造を理解して,サスは跳ねない方が良く,そのためにオイルとかの流体で抵抗をつけるといいというのもおぼえました。

一方わたしは飛行機も持っていたし,そっちはエンジンだったので,そちらの方も雑誌とかで読んでいて,2サイクルと4サイクルの原理を理解したり,ちょうどラジコンでチャンバーのマフラーが出た時期だったので,音が小さくなりパワーも出るということが可能であることを知ったりとか,新しい構造の紹介で,原理を知り,技術のおもしろさを知ったのでした。

実はその後高校にはいるとバイクの方をいじったので,更にバイクの方で技術的なことを習得していったのですが,ラジコンで学んだことは非常に多かった気がします。

一方でいまラジコンとかも電気式で飛行機やヘリもあり車もあります。構造がかなり複雑です。またロボットもあり,プログラムを自分でいじったりも出来るようです。高度になった反面,子供に構造を理解できるのだろうか?と不安になります。子供は仕組みを理解するより,魔法の箱と呪文の様におぼえるのではないか?…等とも思います。

もっとも子供は柔軟ですから,これはこれで技術的なポイントをしっかり押えたりするのかも知れません。まぁ昔は構造がわかりやすい…と言っても,だからといってわたしが電球や金属素材その物をつくっていたわけでもありません。タイヤのゴム(スポンジですが)や電池だって出来合いのものを選択して使ってました。わたしにとって金属やゴムという原料だったものが,今の子供にはチップ…であり,それをどう組み合わせるか,そういうものにはどういう性質的制約があるのかはきちんと理解するのかも知れない…とは思います。

まぁ出来れば,チップを模したものを自分でつくれるくらい…の理解があれば,どんなところに行ってもやっていけるかも知れませんが,最先端技術でおぼえることが多い現在,そういうところは難しいんだろなぁとも思います。
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emacs

2009-11-25 05:51:30 | 所感
Emacsを使って幸せですか?という質問を読んで愉快な気分になったの…。
実はわたしも夏にMacを買ってCarbon Emacsをインストールしていたのですが,つい最近メイラーのセッティングをして,そちらでもメイルが読めるようにしました。とても幸せです;-)。
わたしがemacsを初めて使ったのはもちろんunixの上で,20年くらい前でした。最初はエディタとして使い始めましたが,すぐにメイラーやニュースリーダとしても使い始めました。それ以前はメイルとニュースはパソコンの通信ソフトで流し込んだりダウンロードしたりしてたので,テキスト編集機能がついたメイラーとしては初めて使ったのがemacsのrmailでした。っていうかテキスト編集機能がついてないメイラーって今の人イメージできるんだろうか?。
当時はunixにログインするとemacsを立ちあげ,その上でメイル書いたりニュース書いたり,プログラム書いたりコンパイルしたり,shell上でコマンド起動したり…するものでした。ずっとemacs上で出来るところがemacsの魅力で,「emacsはエディタではなく環境だ」といわれてました。
その後すぐにX windowになりましたが,X terminalの上でのemacs,そしてXemacsとemacsは新しいOSやGUIシステムにあわせて次々に開発されて行いきます。その後macになった時は,わたしはmacではメイラーは使わずunixにX端末としてつないでその上でXemacsを使ってました。また,一時期NeXTSTEPを使ってましたが,そこでもemacsでした。Windowsは98になった頃にmeadowを知り,ようやくWindowsでemacsを使い始めて,そして現在に至ってます。
わたしがemacsを使うのは,どんな環境でも存在し,どこでも同じような操作で使えるからです。
unix,XWindow,Mac,NeXT,Windowsと環境をどんどん乗り換えて来ましたが,過去のメイルが読めなくなったら困ります。そういえば大学時代のメイルはMS-DOSのフロッピーにとっていたので,もう読めません。昔のMac WriteやDraw等のファイルもうたぶん読めません。
コンピュータは膨大な文書を溜め込めるといいますが,実はソフトがなくなると以前のドキュメントは読めないか,非常に閲覧性が悪くなります。メイラーもこれまでeudoraとかが流行った時期もありますが,最近はあまり使われなくなりました。最近はThunder Birdを使っている人も多く,Thunder Birdもlinux,Windows,Macといろいろな環境に存在しますが,まぁemacsのバリエーションと歴史にはまだまだ勝てません。あと最近Web Mailが流行ってますが,あれってそのメイルは永遠にサーバ上にあるんでしょうか?
といわけで,わたしはまだまだemacsを使うでしょう。20年前からあるからきっと20年後もある。そういう安心感がわたしにemacsを使わせます。
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ニューデリーの思い出

2009-08-14 11:16:13 | 所感
タイトルの様なことを書くとインドに行ったようですが,インドには行ったことありません(笑)。ここでいうニューデリーとは熊本にあるカレー屋さんです。
この店はずいぶん昔からある店ですが,ふと久々に見たカレーの穴で閉店していることを知りました。
驚きました。というよりショックかな。
わたしはカレーをスパイスから作るのが好きですが,そんなカレー好きに誰がした…かというとこの店でしょう。わたしがこの店に初めて行ったのは高校生のときで,25年位前かな?。高校のとき,まぁその年代にはありがちな辛い食べ物に挑戦とかそういうことを他の店でやっていた年頃;-),よく出入りしていた楽器屋に,近くに辛いカレー屋があると教えてもらいこの店のことを知りました。当時はカレーというとルーのカレー。とろみのあるそういうカレーしか知りませんでした。熊本の片田舎ではそういうカレー屋しかありませんでした。
ニューデリーは熊本に中心街からはちょっと外れたところにある小さな店でしたが,熊本では珍しいルーではないカレー,インド風のスパイスが効いたカレーを出す店です。といってもインドカレーではありません。ナンとかはなくてカレーをかけるのはターメリックライスです。具もいろいろ選べますが,タブーはありません(豚や牛もあるってこと)。というか,具の塊が多くてそれだけ観ると西洋のシチューのようですが,それでもソースはスパイスがかなり効いたものでした。
後になって思うと,どこの店に行っても,こういうカレーはありません。普通はもっとインド風にしてしまうか,それとも普通のカレーにしてしまいます。豪華な具だけどソースはスパイスが効いているというカレー屋は…そうですね,荻窪のトマトとかもそうですが,でも,もっと違う味です。

ちなみにホームページはありませんのでGoogleでカレーとか熊本とかニューデリーとかで検索するといろんな人がコメントしてます(^^;)。
そういうカレー屋ですが,高校の友達と月に一回出かけるようになり,辛い(指定できる)カレーを食べているうちに,わたしは卒業し福岡に行きました。でも帰省するたびに寄っていたし,上京してもやっぱり帰省するたびに寄ってました。当時はマスターも若く,奥さんもお店に出ていて,息子さんも小学生くらいで…という感じでした。顔を覚えてもらいましたし,その後わたしの高校の友人がバイトに入ったこともあり,良くしてもらいました。
それから20年以上経ったので,マスターもずいぶん歳をとって,またここ数年は店員を雇わず一人でやっていたので結構辛そうでした。上記の検索とかで色んなところ読むと,マスターの愛想が悪いとか書いているところがありますが,わたしはそういうことは思ったことはありません。ただ一人でやってると,店が回らず,どうしても客席に気が回らないことは多かっただろうとは思います。無口で人見知りをするマスターだったというのもあり,一見さんに愛想よくできなかったというので誤解されてる部分はあったのかもしれません。
ネットをみても店を閉めた事情を知ってる人はいないようです。まぁでも,ここ数年の話を知り合いとかから聞いていると,閉店したこと自体はそんなに不思議ではないのかなぁ…と思ったりもしてます。
いずれにせよ,わたしをカレー好きにしたとても大切な店でした。そういえば卒業して20年以上,「他の同級生は結婚とかしてるけど,貴方はどう?」と聞かれてうまく答えられなかったわたしが,ようやく2年前くらいでしょうか?嫁を連れて紹介できたことだけは,悔いが残らず良かったと思います(^^;)。また熊本の街とかあるいているとばったり会わないかなぁ…そんなことを思ったりします。どうもありがとうございます。
コメント (8)
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東西ではなく童心と大人のTDLとUSJ

2009-04-27 22:57:37 | 所感
この週末初めてUSJに行きました。
USJとはユニバーサルスタジオジャパンのことですが,初めて行きました。ちなみに外国のユニバーサルスタジオにも行ったことないので,比較はできません。比較というと東京ディズニーランドとかシーとかになるのですが,確かにつくりは非常に似ているものの,楽しみ方は全然違うなぁと思いました。
ゲートを入ったら,ショップがある町並みがあり,気ぐるみを着たキャラがいたりするのはディズニーと同じだし,アトラクションやショーを見るというのも同じなんですが,コンテンツの中身と世界観が全然違います。ディズニーはディズニーのキャラの世界が作られていて統一感があるいますが,ユニバーサルスタジオはベティがいたり,スヌーピーがいたり,ウッドペッカーがいたりするし,ショップにはハローキティやピンクパンサーもいたりと結構節操がありません。…というのも映画の世界がコンセプトなので映画自体がいろいろですから,統一感がでるわけありません。
でも,そのおかげもあり,やってる内容の対象年齢が非常に広いというか,まぁディズニーとかに比べると大人が楽しめるショーが多いように感じました。ディズニーももちろん大人も楽しめるものですが,ディズニーの場合は元が子供向けで,そういうのが好きな大人が楽しめる(ある意味子供の気持ちに戻れる)ものであるのに対し,USJは元ネタが大人…もしくは年齢が高い子供向けなのを子供も楽しめるようにわかりやすくしたり楽しさを増強してるような気がしました。
モンスターのロックショーがあったのですがものネタの曲が80年代とか70年代の洋楽,しかもそれを英語で歌っていたりして,とても子供はわからないだろうとかブルースブラザーズのショーも英語だったなぁ,音楽は全般的にR&Bやポップスの様な明らかに大人向けなものが主体でした。さすがにアトラクションは子供も楽しめるように作ってますが,火と水をふんだんに使っていたりして,ワクワク感よりもスリルを楽しむようにしてるという意味じゃやっぱりディズニーの御伽噺的なつくりとはちょっと違うなという感じがしました。
そういう意味では,ディズニーとはまったく違った感じで楽しめました。ただスケール感や設備のハイテクぶりはやっぱりディズニーにはかなわない,この辺は予算というかマーケット規模の違いでしかたないのかなと思います。それともうひとつ関西だからかもしれませんが,ショーで出てくる人の技量がショーのキャラクタの技量というより,その人のトークや歌という点で結構高くて感心しました。関東だとありえないような客をいじって盛り上げるようなところは,関西独特でとてもおもしろかったです。
そういう意味では,ディズニーランドとは違う楽しみ方ができて,楽しかったです。わたしが行ったときはひどい雨でしたがおかげで,空いていてアトラクションはどれもほとんど待たずに楽しめました。普段行くともっと混んでいるそうですが,まさか普段からこんなに客いないわけじゃないよね?とちょっと心配にもなりました(苦笑)。
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ネットで書く文章力

2009-02-15 22:10:46 | 所感
fujiponさんのところに「ブログに移行すると『文章の質が落ちる』理由」という話が書いてあって,興味もって読みました。
リンク先に「ネットで書いてるとなんで文章力落ちるんやろ」っていうのもあります。
fujiponさんはブログに移行したことによる文章の変化について書かれてます。この方,むかしからWeb上のいろんな媒体で書かれている様ですが,ブログで書くときに何か感じるものはあったのでしょう。
ネットで書くことで文章力が落ちるのかはわたしは解りません。わたしはネットで文章を書き出すまでろくに文章を書いてませんでしたから,ネットで文章を書くことによって,むしろ文章力はついた気がします。もっともわたしがネットを始めた頃というのは,ネットニュースとメイリングリストの活発だった頃でWebなんてまだありませんでした。文章を書くのはパソコンか,ワークステーションの上のエディタの上ということなります。誰かの文章を引用して自分の文章を挟むというのが主流なのもニュースやメイルの特徴です。そうなると結構引用する人の文体の影響を受けます。自分よりうまい人の文体を読んで,影響を受けたなぁという思い出があります。
あと,環境ですがワークステーションと書きましたが,わたしは一貫してemacs上で文章を書いてます。これはこだわりというより,やっぱりemacs,というよりエディタ上で文章を書いた方が,文章を書くことに集中できる気がするからです。Webのフォーム上で書くのは,キーバィンディングとかの関係でどうも,なにかギクシャクしたものを感じます。以前は仕事で論文を書いたりするときもemacsで書いて,TeXにしたり,ワードに流し込んだりしてましたが,最近はいきなりワードで書くこともあります。まぁでもやっぱりemacsの方が楽なので,今でも日記はemacs上で書いて,htmlのタグを打ち込んだり,あとブログにコピペしたりしてます。
わたしはブログ用に文章書いてないのでブログの方が文章力が落ちるかはよくわかりません。でも環境って文章の書きやすさに明らかに影響するし,それによって文章自体が変わるのは当然あるので,文章力が落ちてると実感するのは,文章が書きにくい環境にいるってことじゃないのかな?とちょっと思ったりもします。
わたしは紙の上に直接原稿を書くとかいうのは,ほとんどやってません。もちろん高校まではやっていたけど大学の卒論はもうワープロでした。だから昔の人が紙とペンで多くの作品を書いていたというのはすごいなぁと思いますが,それに慣れている人が他のものに変わればそれなりに何か変わるでしょうねぇ。
まぁWebになってろくに校正せずというか,わたしの場合読み返すこともなく文章をアップしたりしますから,上達することもないよなぁ。メイルの頃の方が,まだ相手を怒らせないようにとか読み返して出したりしてたよなぁ,とかいうわけで,文章力は落ちてるかもしれませんね。最近は論文も書いてないし。
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iPhoneはiPodを携帯ユーザにプロモーションする製品

2008-07-23 21:33:23 | 所感
またiPhoneの話でもう訳ないのですが,思い違いをしていたことに気づいたのでメモ。

先日TVで紹介するiPhoneの機能はiPod touchの機能ばかりという話を書きました。TVでの紹介はほとんど見なくなりましたが,ネットではあいかわらずiPhoneを紹介する記事を見かけます。でも,まぁ電話機能については簡単に紹介するものの,やっぱり目玉の機能はiPod touchと共通で,それが無線LANがないところでも使えるようになったっていうくらいだよな,とか思ってました。
が,それらの記事を見ていて,ふと腑に落ちたこと。
iPhoneは別に新しい携帯電話を市場に投入するためのものではなく,iPod touchをiPodやMacに興味がない人にもプロモーション,つまりそういう人をユーザとして取り込むための戦略商品なんですね。
だから,iPhoneの機能としてiPod touchの機能を紹介するのは当然なのです,紹介している相手はiPod touchを知らない人たちですから,iPodやiPod touchを持ってると,こんなにいいことが出来るよということを紹介してるのでしょう。
思い返してみれば,アップルは戦略商品で,ターゲットユーザを広げたりずらしたりする戦略をこれまでも何度も行ってきてます。もともとアップルはMacファンという強烈な支持ユーザを抱えてます。しかしその強烈なコアユーザだけではなく,新しいユーザを取り込みその新規ユーザの中に新たにコアなファンを作ることに成功してます。
最初のiMacもこれまでパソコンを使ったことなかったユーザや若い学生などにマックを使わせることに成功しました。そしてiPod。これもパソコンなんか興味ない,これまでCDプレーヤやMDプレーヤ,カセットプレーヤで音楽を聴いていた人たちをユーザとすることに成功し,さらにその中にマックユーザを生み出すことに成功してます。もちろんiPodはWindows対応にすることによってさらにユーザを増やしましたが,おそらくその頃には,アップルの主要ビジネスはマック自身よりも,iPodやiTuneを広げることを志向していたのかもしれません。
そしてiPodからiPod touch,というよりアメリカではiPhoneが同時にでてますが,これらは,iPodというと音楽プレーヤという印象で,音楽を聴かない人には無縁と思われがちですが,それを音楽とか聴かない人までユーザとして取り込むために電話というパソコン以上に誰でも持っている機能をつけ,その市場に打って出たのでしょう。これまでWebやメイル,そして音楽配信を使ってないユーザの中に,iPhoneを使うことによって,新たなユーザとなって,さらにはiTuneやマックのユーザになればしめたものというのがアップルの狙いではないか?という気がします。だからiPhoneの紹介として,WebやメイルやGPSを紹介するのは正解なのかもしれません。
そもそもiPodが出たときも,iPodは当時すでにあった音楽プレーヤというよりは,マックを売るためのプロモーション製品だった気がします。iPhoneがiTuneのためのものなのか,マックのためのものなのかは,ちょっとはっきりとは言えないのですが,やっぱり携帯電話を売りたいわけではなく携帯電話ユーザに売りたいのだろうなという気はします。
なんかすごく当たり前のことを書いているように思いますが,あまりはっきりそう書いている文章を見かけないので,書いてみました。
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老化と進化論

2008-02-05 22:12:34 | 所感
人間がなぜこうなのか?というのを進化論的に考える…というのはわたしも好きで,時々考えます。進化論的に考えるというのは,こういうことになったのは進化的に有利だから…ってことです。
さて,なぜ人間には老化があるのか?。…「歳をとるのか?」じゃなくて老齢期があるか?というのを考えると,老齢期は子供に面倒を見てもらうための時期で,なぜそういう時期あると,そのために子供を一生懸命育てるからでは無いか?という気がします。子供を一生懸命に育てると結果的に優秀な子供が育ち遺伝子をたくさん残すのに有利になります。いい返れば,子供に恩を売って自分が歳をとって面倒を見て貰うということになります。
単に自分の遺伝子を残すだけなら,生殖し,出産した時点で終了…というのは昆虫とかはそうです。また子供を育てないといけない動物も子供が成人するとまもなく死ぬ動物もいます。まぁ何度も生殖出産する動物も多いので,子供が巣立った時点ですぐ死ぬのは少ないのでしょうが…。
人間は子供が大人になっても,あと子供を作れなくなっても,ずいぶん長生きします。この時期が長いことが,遺伝子を残すのにどれだけ有利に影響するのだろうか?というと,よくわからないのですが,最初に書いたようなことを思ったのでした。
つまり人間は子供を大事に育てるというのは,子供を無事に大人にしたいだけではなく,その後に子供に面倒を見てもらうことまで含めて大事に育ていていると。実際は自分の子供じゃなくても,愛情を感じて育てることも可能,まぁ群れで生活するからというのもあるでしょうが,実際子供を産まなくても子供を可愛がるスイッチが入るし,そういうことなのかな?と思います。
何がいいたいかというと,自分の老後の心配は,社会よりまず家族と話し合うべきことってこと…かな。
あと余談ですが,生まれることも死ぬことも運命。つまり病気もほとんど運命だと思います。受け入れられないというのは個人レベルでは当然良くあることだと思いますが,社会がそれに同調しちゃっていいのかな?というのは,最近の医療訴訟の問題を見ていると,思います。
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自宅で揚げ物をするのは賢いか?

2008-02-01 20:15:45 | 所感
環境面から考えると家で揚げ物とかしなくていいのでは?というのを読んでいて,うーむ…ごもっともと思ってしまいました(^^;)。
もっとも家で揚げ物をたまにやっても,うまく使いまわして家で消費することも出来るというか,うちの実家はそうしてました。まぁつまり揚げ物とか月に一回もやってなかったということなんですが。
わたしは独り暮らしをやり始めてから揚げ物はほとんどやってません。揚げ物に適したなべを持ってないというのもあり,うまくあげられないとかやっぱり処理が面倒…というのがありやってません。それにフライならともかく,てんぷらはうまく作る自信が無いというか(^^;),てんぷらはてんぷらやで食べたほうが美味しい。
揚げ物は総菜屋で買えばいい…というのはごもっともですが,惣菜はどうしてもあげたてではなくなるので,やっぱり外食と言うことになるかなぁ…。
とか思ってもいたのですが,一方で食の安全とかの話とかを考えると,外食の頻度をどこまであげるべきかとも思います。物価の上がり方を見てると,そろそろ外食の値段も上がるかな?…,上がんなかったら,それこそ材料はどうなってるのかな?とか思ったりもしますし。
…というわけで特に結論はなし。実は揚げ物を自宅で出来るようにてんぷらなべを買おうかと何度も思い立っているのですが,ちょっと今回の話で,別に自宅で揚げ物しなくてもいいか…という気分になったので,記念に書いておいたという次第:-)。揚げたての揚げ物は美味しいと思いますけどね。
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携帯電話とメガネとか財布

2007-12-06 13:35:20 | 所感
ちょっと前に世界の携帯電話の契約端末数が世界人口の半分を突破した…というのを言ってました。もちろん一人で複数もっていたり法人契約もあるので世界の半分の人が持ってるというわけではありません。でも先進国だけではなく発展途上国でもそれなりに普及しているということでしょうか?。一方日本では加入者数はやがて一億を超えそうで,やっぱり日本でもほとんどの人が持っていることになります。
というわけで,ふと思ったのですが,現在の日本で,ほとんどの人が持っていて,そして外出するときに必ず持って歩いているものって何があるでしょうか?。
服装,お財布,時計,靴,メガネ,鍵(キーホルダー),カバンとかでしょうか?。
まぁ服とか靴は一人で何枚も持ってるのが普通なので,携帯はそこまでは売れて無いでしょう。財布とか時計も一人でいくつか持っている人もいますが,ひとつのものを愛用している人も多いです。カバンとか鍵もそうでしょう。
さてそう考えると時計やお財布のデザインの豊富さに比べるとやっぱり携帯電話のデザインは多様性が少ないなぁ…とちょっと思います。
…というのは良く携帯電話のデザインに対する不満みたいのを観たり,わたし自身も買うときにイマイチ食指が動かなかったりするんですが,それもそうで,やっぱり毎日自分が身に着けて歩くもの…という風に考えると,ちょっと選択肢が少ないかな…と。
もっとも携帯電話はまだ財布や時計ほど数が出てないといえば出てません。また価格も高い時計とかありますが,エンドユーザ向けに考えると携帯電話のほうがはるかに高いでしょう。
ただ,現状携帯電話は通信機器としての機能やサービスを強調してあれができるこれが出来るとかあと値段の話ばかりしてます。また,コストの関係からひとつの端末をたくさん売ろうという戦略なんでしょうけど,単にみんなが普段持ち歩いているもの…という風に考えると,財布や時計も単にお金を入れるだけ,時間を知らせるだけという機能なのにあれだけの種類やデザインがあるかをちょっと参考にして欲しいなぁ…という気がしました。
たとえば今あるシルバーフォンの様に電話しか出来ないとしてもデザインだけ優れているような機種がもっとあってもいいとか。まぁ若い人は電話よりメイルだけでもいいのかもしれませんけど。
ちょっとかってな言い草ですがそう思いました。電子機器をすべての人が持って歩いているという状況はこれまでなかったのですから,もしかしたらその機器に望まれているものは,従来の電子電気製品に求められているものよりは装飾品とかに近いのかもしれません。時計がすでに機械というよりは装飾品であるように。
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徒然に…ここしばらくのニュースなどを見て

2007-11-27 11:35:04 | 所感
週末は特に何もせずネタもない。ニュースはここしばらくいろいろあってるとは思うのですが,なぜかあまり興味が無い。そんなに重要なことなんだろうか?ということが大きく取り上げられていて,重要なことが隠れている気がするのですが気のせい?。
いくつかたらたら書くと…。
東京ミシュランネタ…。そりゃ,そういう本に載れば行ってみたいと思う反面,混んでるだろうなぁ…高いだろうなぁ…とか思って躊躇してる間に忘れてしまうような気がする。それより本当に格式のある店…とかの方が知りたかったりするんだけど…。
外国人の入国時の指紋検査…。まぁ難しい。でも日本人が海外で同じ目にあっても文句は言えないな…とは思った。もともと日本は外国人には冷たい国みたいだけど。
犯罪系のニュースも結構取り上げられているようですが,まぁ基本的には他人事ではある。被害者が無事だといいとか早く見つかるといいとか,犯人がつかまるといいとか,この手の話にはそれしかいえない。
政治関係は…もういいから早くして…という感じ。
あと大雪の話…は大変だなぁ…とは思ったけど,ここ数日寒いし,まぁこのネタだけは他人事ではないか?。
関係ないけど,15年ほど前に録画したビデオを観ていたら,24時間テレビで環境問題を取り上げていたようで…,結局ここ15年なにも進んでいないのだなぁ…と思って,軽く絶望した。
そんな今日この頃…。
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