たろの日記ページ,gooブログ版

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フィクションに懲りない面々

2010-12-23 23:37:02 | 時事
medtoolzさんのフィクション欠乏症についてっていうのを読みました。面白かった。幼少からフィクションを充分に経験してこない人の方が大人になれないとのこと。なるほどと思いました。そういうこともあるなと納得しかけました。

でも,ちょっと自分の経験を振り返ると,そうでも無い例が結構あるなとも思いました。オカルトとか飽きるというのはそうなんだろうなと思います。そういういかがわしいものはそうかもしれませんが,性衝動に関しては,大人になっても飽きないというか,大人,更に壮年になっていかがわしいものに行く例をいくつか見たことがあります。そういえば中年のバツイチの男って,ナンパしまくったりして凄いという話を聞いたことありますが,ああいうのもそうだし,あと地位と財産を得た人が愛人を作ったりとかそういうのも。

オカルトが飽きるのはオカルトをどんなに勉強しても,多分自分の状況はそうは変わらない。ご利益もそんなに起きない。だから時間が経てば飽きるだろうけど,性衝動は,どんなにフィクションに接していても,歳を取って身体的なものが変わったり,自分の周りにいる異性が変わったりしたら,そこで初めて行動に出たりする…って事は多いんじゃないかなと思います。飽きるのは,一通り現実の行動をやったら飽きるっていうのはあるかもしれないけど,それが犯罪的なものだと困るし,若いときにやらないほうがいいんじゃない?と思うことも多い様に思います。

だから,若いときにフィクションに触れていれば,飽きて大人になるっていうのは,そうじゃない人も結構いるような気がします。

余談ですが,わたしはずっと妄想が強い人だったんですが,妄想を取り除くのに効果があったのは,身体を感じることでした。例えばくたくたになるまで走るというのは,体力を奪って発散してるのではなくて,体の限界を感じて,妄想の可能性を感じなくなるって感じです。手術したあと歩くのも大変だった時期,あと今の様に子育てに四苦八苦してるとき,こういうときも体の限界を感じて,いらないことを考えない。まぁこれは性衝動の妄想とは違った妄想だったのですが。

話を戻すと基本的にいかがわしい話を考えるのも,頭が暇だからじゃない?って気もします。
コメント
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