たろの日記ページ,gooブログ版

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天才バカボンという夢の世界

2013-03-21 18:49:37 | 音楽・アート
TVで「天才バカボン」の再放送(第一作)がされていて最近観てます。この作品は71年から放送されたそうで,わたしも覚えてます。ハジメちゃんの誕生からハジメちゃんが立つまでが描か れていたと思います。

最初,バカボンのママって理想のママだよなぁ…とか思ってみていました。基本的にはやさしい。いつもニコニコして見守ってる感じがするし,大体パパがヤンチャでそれを許しているからバカボンに対しても結構やさしい。パパがやりすぎると時々 カミナリを落とすけど,切れるというより「叱る」という感じ。大体声が不二子ちゃんですよ(笑)。美人で色っぽいです。

ギャグマンガのママというとのび太のママ(玉子さん)も眼鏡を取るとえらく美人らしいけど,デフォルトは眼鏡だし,なんか「宿題やりなさい」…とかいってるイメージが強いです。バカボンのママの方が,やさしそうだし,そもそも家が貧乏そうなのに良くこんなところでパパの奥さんやってるよなぁ。…とか (笑)。

とか思ってみていたのですが,いやいや,良く見ると,そもそもバカボン一家が結構夢のような家庭なのが良くわかってきました。バカボンってバカボンというタイトルなのに大体活躍するのはパパでパパが主役のように見えます。パパがイタズラをして大騒ぎになるパターンですが,大体は金持ちや働き虫のサラリーマンを皮肉ったようなギャグが多く,当時の高度経済成長を斜めに見てる感じがします。で,こういう風にパパがサラリーマンとかをバカにできるのは,彼自身が植木屋という職人であり,しかも棟梁の下についているようなわけじゃないフリーな職人で,腕前で喰ってるので,社会的なヒエラルキーから逸脱してるのでしょう。でも,貧乏ながらしっかり食べられているように見えます。誰にもペコペコせず,時にはイタズラをして楽しく生きていて,しっかりご飯が食べられているのですから,これは最強といえるでしょう。

「天才バカボン」ってバカボンというタイトルですが,どうみても主役はパパだし「天才」がついてもおかしくないのはハジメちゃんかパパ(パパは産まれたときは天才でした)なのにどうしてタイトルはバカボンなんだろう?…とわたしが子供の頃不思議でした。そして子供の頃バカボンは「バカ」と思っていたのですが,今見ると,しっかりしてるし,やさしいし,そんな にバカじゃない。勉強はできないかも知れないけど,常識も知っている。パパがヤンチャなので付き合ってバカしてるけど,パパの方が飛んでるので,そんなにはじけた感じがしません。そ う考えると,バカボンって割とこの作品ではニュートラルなんですよね。そしてこの作品を見るのが小学生だとすると,同年代はバカボンであり,つまりはこの作品の「視点」的な役割ではないのか?…という気がしました。観る方が没入するキャラ。

そう考えるとハジメちゃんが産まれてすぐに喋って,頭が良くて物わかりいいのもわかります。産まれたばかりの弟が物わかりいいと,兄としては助かりますよね(笑)。しかもちゃんと可愛いし。そしてお父さんは,自分を叱らずむしろ一緒にいつも遊んでくれる。それでいてちゃんと食べさせてくれる。お母さんはいつもやさしいし,時々やりすぎると叱るけど,美人だし 不二子ちゃんだし(笑)。

…という風に,天才バカボンって子供から見て夢のような(理想とは違う)家族を描いている作品なんだなぁ…と改めて思っております。こういう家庭だときっと子供(バカボン)は楽しい。
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お前の1960年代を,死ぬ前にしゃべっとけ!(加納明弘,加納健太著)

2013-03-17 10:19:37 | 書評
前書きに紹介されているようにこの本はバリバリの団塊の世代で全共闘の中心的人物として何度も逮捕された加納明弘氏が肺がんであることが発覚した時点で息子である健太氏が,当時についてインタビューをするという本です。ちなみに父親は文筆業の人,息子はファンド会社の人ってことで,どっちの人の関連で書籍化されたのかはよく分かりません。有名な人なの?。

父親は私より20歳くらい上,息子は私より10歳くらい下のようです。10歳下だともう60年代の学生運動の話はまったく聞こえてないのでしょうか?。学生運動が盛んだったのは私がまさに生まれた頃の話だと思うのですが,不思議なことに,小さい頃からその話は聞こえてました。私が中学くらい…というと,もう学生運動からは10年くらい後でしょうが,その頃から聞き始めたフォークソングとかを逆順に辿っていくと,どうも学生運動にぶち当たる…そんな感覚がずっとありました。反抗期に入りかけたわたしは,大人への反抗の形の手本として,そういうものに憧れを持っていたかもしれません。

私の世代はやがて新人類と呼ばれる人たちの直前で「ノンポリ」とか言われたこともあったけど,要は政治的無関心の最初の方の世代です。でも,まだどこか大人に反抗することに対する憧れがあって,高校に入って学生で集まってがやがややるのが楽しかったけど,何も戦う相手が見つからないというもやもやしたものがありました。大学に入り社会に出て,そういうものがなくなりましたが,実際学生運動を戦ってきた人はどういう人で何を考えていたのだろう?…というのは,興味の片隅にありました。というわけで,今回この本を読みました。

対談形式ですが,父親がライターだからか,話が明晰で情報量も多く結構読みやすかったです。やはり学生運動の時代の話は実体験だけあって迫力があります。当時の日本の社会がベトナム戦争への日本の関与をどのように捉えていたかとか,太平洋戦争に対する罪の意識をどういう風に持っていたか…というのは,なかなか本などでは書かれてない話で面白かったです。あと学生運動の組織とかの話も,今となってはどうでもいい話なんでしょうけど,面白かったです。昔から全共闘とかセクトとか,言葉だけ知っていて意味は分からなかったので。

父親の明治からの世界の力関係に関する歴史認識は,さすがに筋は通ってるのですが,でも世間一般の認識とずれがあるのは興味深いと思いました。さすがに東大生で学生運動をやっていたわけですから,頭はいいわけです。でもこの人最終的にアメリカのシステムが優れていると言ってるんですよ。その理由がきちんと「間違っていた」といえるからと。あぁ確かに日本のみならず,どの国も間違いを認めるってことをなかなかできません。でもアメリカはわりとよくやる…。それは強みかも知れないなぁとは思います。

さて,この本の元となるインタビューがなされて5年経ちますが,どうやらこの父親の人,ご存命のようです。それはとてもよいことだと思いました。しかし父親の先が短いと思っても,なかなか親子で親の昔話とか聞けないものです。私も自分の親に戦時中の話とか聞いてみたいと思ったりもしますが,もう無理だろうなぁ…とか思います。そういう意味では学生運動の話も面白かったのですが,こういう本が出せること自体,よい事のように思いました。
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