たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

献体する気持ち

2008-03-31 20:48:19 | 医療・福祉
先週新聞に献体希望者が増えているとかいう記事が載っていました。最後に「社会の寂しさは、だれが治療するのだろう」というわけのわからない締めの文で終わってるんですが,要は献体が増えるのは社会の寂しさが増えているからとでもいいたいのでしょうか?。
一方この記事を取り上げたいやしのつえさんの文を読みました。この方は確かお医者さんだったと思います。献体が増えた理由に「家族関係の希薄化」とか書いていて,なるほどとは思うのですが,わたし自身も実は献体とかしても良いかな…と思っていて,でも理由はちょっと違うかな…とも思ってます。
さびしいとか家族関係の希薄化というよりも死後の「肉体」に特別なこだわりをもってないから…かな?と思ってるのですが,他の人はどうなんでしょうか?。死ねば肉体は単なる肉の塊だから,切ってもらっても,葬式の時になくてもかまわない。それでもって一応その肉は,生前の自分のものだから,遺族というより自分が使用方法を決めてよくて,折角だから人の役に立つなら使ってもらいたい…。ぐらいの意味です。人の役に立ちたいというのを「さびしい」といわれたら,はぁそうですか?…って感じですが,そういう思いもさびしいのかね?…とも思います。
もっとも,単なる肉と思うのは,魂は別のところにある…というわたしの考えであり,それが現代人的な考え方なのかどうかはわかりません。決して魂の否定とか,死後の世界の否定というわけでもないんですよね。それはそれであるけど,別に肉体がなくなったら成仏できないわけでも無いし,遺族の記憶から消えるわけでも無いだろう…っていう考えです。
昔は死体を切り刻むと成仏できない…と思われていたのなら,信仰のあり方が変わってきてるとはいえるかもしれません。
もっともいやしのつえさんが「解剖は減ってる」と書かれているのは,そうなんだ…っていう感想で,自分の死体を役に立てて欲しいと思っていても,どういう風に使う道があるのかをちゃんと調べたわけでもない…って事なのでは無いでしょうか?。つまりそこまで真剣に他人に役立てたいわけでもない…と。なんとなく雰囲気で,献体というものを知って,じゃぁ使ってもらってもいいよ位の意味とか…。
わたしが献体というのを意識したのは養老先生の本を読んだからで,実は献体と解剖の違いもいまひとつ良くわかってません。病気で死んで死因を調べる時が解剖で,教育用が献体ということですか?。
わたしの場合,もう内臓移植とかは出来ないのかもなぁ…というのがあるので,そっちはあまり思ってません。でも以前は献血とかも盛んにやっていたので,まぁ自分の健康に害が無い程度であれば,人の役に自分の体を使ってもらったら,そりゃーいいことだと思うし,うれしいかといえばそうだよね…という位のいみかなぁ。
そういう意味でいうと,あんまりこだわりが無いし,無いゆえに献体しても良いよ…という気持ちです。実は死後の面倒を見てほしいとかいう気持ちは無いので,そういうことをいう人の気持ちはよくわからないのですが,そちらは死に直面して,単に戸惑ってるだけではないかな?という気はちょっとしました。
献体したいという気持ちってそんなに変なのですかね?。
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ビジネスマインド的には邪魔なマスコミ?

2008-03-29 12:10:12 | 社会
会社の研修とか,あと最近のビジネス書とかを読むと,部下とうまくやっていく方法とか,組織を活性化させる方法とか習ったり読んだりするのですが,基本的にはポジティブに物事をとらえる様なことを言われます。まぁクリティカルシンキングとかいうのもあるので,なんでもイケイケドンドンというわけでもないのですが,ビジネスマインドについて書かれている…というか売れてる本とかはやっぱりポジティブに物事をとらえる…と言うことを勧めてるのが多い気がします。
組織を活性化させるために部下をやる気にさせるというのは,ある意味,コストをかけずに,つまり社員にうまくがんばらせることによって利益を上げよう…としているようで,なんかなんで会社のためにそこまでしないといけないのか?と思ったりもしますが,それでもやはりみんなが楽しく仕事をやるほうが,効率以前に精神的に良いことなので,まぁいいのかな?…とは思います。ただなんとなく,それって精神論とか個々のマネージャのやり方に頼るよりは,システム的に何とかするのが経営陣の仕事じゃないのか?…って気もするのですが…。いや…冗談ですが:-p。
まぁそれはいいとして,そういう風に物事をプラスにとらた方がいろんな意味で良いよな…と思いつつ,TVをつけると暗い報道とそれを社会のせいの様に暗い顔で喋るキャスターとコメンテータが出ていて,なんともがっかりします。
社会で何か暗い事件が起きたりした時に,対処可能な原因を洗い出すこともなく,また自分でなにか動くこともなく,ひたすら社会や政治が悪い…と語る…っていうのはビジネスじゃありえない様に思います。そんなことを傾いた会社がやっていたら,間違いなくつぶれます。自分達で対処できることを提案するとか,それがなくてもポジティブに考えて,やる気を出すとか…そういうことをやるんじゃないか?…とか思います。
そう考えると,自分では何もやらずすべてが漠然とした社会のせいの様に言うマスコミは,真っ先に会社だったら切り捨てなくてはいけないような人たちじゃないでしょうか?。ますます社会を悪くして,トラブルの元になったり構成員を精神的に追い詰めている様に思います。
経営手法とかビジネスマンとしての心得みたいなことを書かれた本が結構売れてるように思いますが,その世界以外の普通の生活にその考え方を適用しようということを言い出す人が少ないのはなぜでしょう?。もちろん,社会をポジティブにとらえすぎて暴走するのも怖いのかもしれませんが,今はおもいっきりその逆に振れていて,かえって怖い社会になっている気がします。
社会に失望して犯罪をおこす若い人とかを見ていると,失望させたのは誰だよ…,ミームを撒き散らしているのは誰だよ,とよく思います。
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力による支配が有効だと本当に思っているんだろうか

2008-03-25 23:06:55 | 時事
今チベットで起きていると報道されている件について…。マスコミとか日本人が書くWebとかを読むと,中国を批判したくなるのですが,もちろん現場ではないので,基本的にはよくわかりません。よくわからないのは,中国がなぜそこまでチベットをいじめなくてはいけないかがわかりません。国を指差して「そういう国だから」という論理は無いだろう…と思うので,とりあえずわからないと思うことを書いてみるとします。
現状中国に対しては,いろんな国の主に市民が反対運動をしてるようです。中国が海外から批判されるようなことをやり続けるのは,国際問題ではなく内政の問題だから…という人もいます。でも中国がチベットに厳しくすることで国内の何がどうなるのかがよくわかりません。
確かに大国が国境周辺の地域の独立を阻止したいというのは,他にも独立運度が起きるとか,理解できないことは無いのですが,そのために虐待をするというのは,逆効果のような気がします。いじめるからますます独立しようと思うのではないでしょうか?。よく信仰とか尊厳とかいいますが,意外にみんなが豊かに暮らせていれば,国籍なんていうのはすんでいる人にはどうでも良いのでは無いでしょうか?。
日本は戦国時代に大きく支配者が変わりましたが,結局は国が安定して,国内を全部同じように扱ったからその後安定したのではないだろうか?とか思います。日本には今も一部の地域では不都合を押し付けられているようなところもあります。地域の経済格差や,基地問題,ゴミの廃棄問題とか…。でも,地域間の人の移動は自由だし,たぶんその地域の人も独立するよりはいい暮らしが出来ると思っているから独立運動を起こす人たちはほとんど見かけない。
暴動というのは,食料とか金銭とか土地とか,そして武力とかとにかくある人たちが命の危険を感じたときに起こるように思います。もちろん学生運動のようなものは食べられていても,起きるものかもしれません。そういえば,あの時期自治的なコミュニティを作るという試みもされてました。でも,そういう運動もあれからもっと国が豊かになったら,やる人はいなくなりました。
ほとんどの暴動は宗教とか民族よりも,命の問題のような気がします。だから支配を強めるために武力を行使したり,経済的に圧迫するのは,かえって逆効果な気がするのだけど…。世の中はそういう常識ではないのでしょうか?。
今中国の沿岸部の経済地域にはものすごい金持ちがいるそうです。中国の経済力は貧富の格差が生み出しているような気もします。その貧富の格差を維持するために,民族迫害が必要なのでしょうか?。ヨーロッパとかで民主主義が発達したのは王族や貴族といった支配層が自分達の地位を守るためには,民衆にはそこそこの暮らしをさせておいたほうが良い…と思ったからと聞いてます。なぜ中国ではそうできないのか?。なぜ周辺に他の豊かな国がいるときならともかく,今この時代になぜ?と疑問に思います。
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寿命と老い

2008-03-23 20:33:00 | ココロ
昔は人生50年だった…というのが有名なのは織田信長の歌と死んだ歳の話で,実際にいつ頃が何歳で死ぬのが普通だったのか?というのはよく知りません。平均寿命は子供の死ぬ人数に影響されるので,実際に成人まで生き延びた人が何歳で老人になり,そして死んでいくものだったのか?というのは,寿命だけではちょっとわかりにくい気がします。
それでも昔の人の話とかをTVや本で知ると,10代で元服したり,結婚したり,20代で家督を継いだり,40代や50代で隠居するとかいう話はざらに出てきます。現在は60代になってようやく定年ですが,70や80になっても引退しない血気盛んな老人はヤマの様にいます:-p。
今の平均寿命が80代で,昔が仮に50代だったとしても,じゃぁ昔の50歳の人が,今の80歳くらいの人の感じだったのか?というとどうなんでしょう?。私はもう40代ですが,あと10年経ったら,「昔だったら老人だよな」と思うかもしれませんが,それは本当なのか?という気はします。一方で昔は20代で家督を継いでいたからといって,昔の20代が今の40代や50代の様に振舞っていたかというと,やっぱりどうなんでしょう?という気はします。
むしろ昔20代で家督を継いだり,政治をやっていた人たちは,やっぱり20代的な,経験や人脈より己の能力を信じて突っ走っていたのかもしれません。だから政治が早く回っていたのかもしれません。
それに50歳で隠居したからといっても,本当に爺さんだったのかは疑問でやっぱり今の50歳同様に,血気盛んで性欲もそれなりにあったのかしら?とか思います。
確かに今でも田舎にいったり,発展途上国にとかいくと,同じ年齢でも都会の人よりは老けて見えたりします。でもそれが身体的にとか精神的に老けているかというと本当はどうなんだろう?という気もします。
今の日本は,栄養不足とか腐ったものを食べて死ぬ人とかが減っているので,本当に体にがたが来てから亡くなる場合が多いようですが,昔は見た目元気だった人でも,夏に食べ物にあたって死ぬとか,冬に風邪をひいて死ぬとかそういうことが多かっただけで,今の感覚でいう老化で死んだのではないようにも思います。
…何を言いたいのかというと,寿命が延びたからといって,責任者になる時期を遅くしたり引退する歳を遅くしたりしてますが,別にそれは,歳を取ってもいつまでも若いわけじゃなく,老人が活躍してるってことではないか?ということ。昔の人は別に早く大人になったのではなく,とんでもなく若い頃に責任を負わされた…ということではないか?という気もしてます。
ついでに書くと若いうちに隠遁できたということは,隠遁してもそこに楽しい世界があったのかもしれません。
平均寿命で若さが変わるのかしら?という違和感…というのがずっとあるのですが,そういうことを思いました。
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マイペンライでもいいような

2008-03-20 08:34:37 | 時事
最近の政局にはあまり興味が持てなくてちゃんと追ってないのですが,日銀総裁がらみのグダグダ…,民主党がなににこだわっているのかよくわからない。自民党はわかっているのだろうか?。わかっていて,またはじかれる案を持ってくるのでしょうか?。財務省出身者を総裁候補に持ってくることが気にいらないのでしょうか?。じゃぁ竹中さんみたいに学者とか連れてきたらいいのかしら?。それとも民間からもってきたらいいのかしら?。公社とか公団とかのトップを民間起用してうまく行くケースは多いけど…,日銀ってそういう性格のものですか?。案外誰がなっても大して変わらなかったりして…とか素人考えが浮かんだりするんですが,どうでしょう?。
それにしても民主党が参院で躍進して以来,民主党の破壊屋らしさが際立つだけで,一向に何をしたいか見えてこない。世の中を混乱に導きたいだけにしか見えません。もちろん福田政権もいろいろと情けないのだけど。安倍政権にブレーキをかけるために民主党を選んだ…というのはそうだと思うので,特にそのこと自体は仕方ないと思うのですが,次の選挙では,民主党もういいよ…と思うのはわたしだけでしょうか?。今やってることが支持につながるとはとても思えないのだけど。大丈夫でしょうか?民主党。

で,本題というか…。民主党に限らず,ほとんどのマスコミとかもそうですが,今の政府が良くない,今の行政が良くない,社会が良くない…と不安を煽ってますが,どうなんでしょうか?。
先週ちょっと書いた大前研一が出ているPodcastを聞いていたら,日本では年寄りが平均3000万くらいお金を残して死ぬって話をしてました。なんでそんなに金を持っているかというと,別に子供に残したいから…ってわけじゃなくて,不安だから持ってると。で,いつ死ぬかわからないから…というか死ぬ頃になったら,そんなに急に使えないから使い切れずに死ぬと…。
国や社会が個人の老後をそれなりに安心させれば,そのお金が社会に出てきて,経済が潤う…って話でした。まぁ年寄りの金を取り出して運用したいという経済家の言い分には,そんなに同調するつもりもないのですが,不安を突きつけられていきていて,それが悪い影響をだしているというのはそうだろうなぁ…と思います。
わたしは歳とともにだんだんコンサバになってると実感してますが,案外世の中大丈夫じゃないか?と思ったりもしてます。老後というと,年金とか金融とか医療とか不安とか言いますが,年金は確かに払っただけはもらえないかもしれませんが…というか年金って保険みたいなものだから別に払った額もらうものでは無いでしょう?…,ともかく,1円ももらえないことは無いのでは?と思います。贅沢は出来なくとも餓死しない程度にはもらえるんじゃないか?と思ってます。それも信用できずに払わないって手もあるのかもしれませんが,じゃぁ自分でちゃんとその分貯金できますか?。貯金してもいいけど,金融は大丈夫でしょうか?。ペイオフがおきたら一千万しか残りません。それでいいんでしょうか?。証券や土地に変えても目減りする可能性はもっと多いです。インフレが起きる可能性もあります。そう考えると,年金は,年寄りを餓死させない程度には払うんじゃないかな?とか思ったりして,だったら払っておいたほうがいいんじゃないか?とか思ってます。
もちろん日本以外には年寄りを見殺しにしたりする国もあるのでしょうが,まぁ少なくともわたしが生きてる間にそれが起きるとしたら,戦争とかひどい伝染病とかが起きた場合に限られるのでは?と。
案外日本の今のシステムはうまくいっていて,我々が目を光らせるべきところはそれがきちんと維持できるか?って事じゃないか?って最近は思います。そういう意味では,行政や政府に目を光らせる必要はあるのですが,別に全部壊して一から作り直す必要はなく,制度疲労したところだけを直していくのでいいようにも思います。
何とかなると思う…そう思っていたほうが結構いいように思うのですが,どうなんでしょう?。
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タバコを週一本とか出来ないのだろうか?

2008-03-18 21:01:02 | 医療・福祉
最近出張とかで外で昼食を食べる事が何度かあってるのですが,お店に入るとタバコを吸っている人がいて,一瞬,うぅ…と思います。禁煙じゃないところでタバコを吸う人を批判するつもりはないので,黙ってるのですが,不快といえば不快です。やっぱり食事するところなので…。
タバコを吸う人にとっては,そとですえなくなってる分,お店で吸わないとたまらないのでしょうが…,タバコ吸って,食事してうまいのかね?…とか思ってしまいます。
タバコが体に良くないことはもう定説で,たばこの有害性を訴える広告とかあったりしますが,やっぱり吸う人は吸います。その辺はその人の責任だから批判はしませんが,もし将来肺癌になったら「吸わなきゃ良かった」とか思うんでしょうか?…とかとは時々思います。今吸う人はいつかなるけど今吸いたいから吸ってるのでしょうか?。そんなこと無いですよね?。たぶん自分は癌にはならないと思って吸ってるんでしょうね。
わたしが癌になったのはたぶん酒の飲みすぎだろうと思ってるのですが,
酒をあれだけ…というかせめて半分くらいの頻度で飲んでいたら癌にならなかったかもねぇ…と時々思います。今も遺伝子レベルでは,酒によって傷ついてる部分は結構あるんだろうなぁ…とか思います今はお酒は月に2回くらい飲むこともあるのですが,手術をして一年くらいは飲むのが怖かったし,ぜんぜん美味しいとは思いませんでした。
酒は体にいい部分もあるので,週一回くらい軽く飲むのは悪くないのでは?と思ったりはします。タバコも周りの迷惑はともかく,リラックスするって点はあるのかもしれませんが,むしろ問題なのは,週に一本とか,そういう吸い方が出来ないことも大きいのでは?と思います。出来ませんよね?。
タバコも税金を載せて高くするということをいってますが,それでも10本単位で売るのはなぜなんでしょう?。一本単位で売れば少しは吸うペース変わるのでは?とは。
まぁタバコは,ニコチンを切らすことがつらくてすってる人が多いんでしょうから,そういう吸い方は無理なのかなぁ…。
でも特定の化学物質が恒常的に体の中に残るのはやっぱり非常に体に悪い気がします。癌ってならないって漠然と思ってる人多いと思いますが,なると結構怖いですよ。
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役人の一存で取り締まれる法律は作るべきではない

2008-03-16 09:57:43 | 社会
児童ポルノ取締りの強化が若干話題になっています。
児童ポルノの単純所持を罪にするという強化には賛成ですが,児童ポルノの適用を不明瞭に広げるのには疑問を感じます。漫画やアニメはおろか大人が子供の格好をしたものまで取り締まるべきとまでいわれると,その対象であるというのはどうやって決めるのでしょうか?。
単純所持を罪にすることは,いいと思います。それでも,卑猥かどうかという線引きが曖昧ですが,年齢は客観的に決まります。
でも,大人や漫画が子供に見える…というのは,だれがどうやって判断するのでしょう?。線引きが客観的に出来ない以上,取り締まるほうの一存で逮捕される可能性があります。そういういくらでも罪を作れるような法律は作るべきではありません。
GIGAZINEに反対する理由が延延と書かれていて,まぁ概ね同意なので,一応リンクしておきます。ユニセフ云々というのは本題じゃないと思いますが。
自分の子供の写真を撮って逮捕される可能性があるというのはちょっと危惧はしますが…,この辺はあとで身の潔白を証明できるでしょう。気に入らない人のところに写真を置くだけで…っていうのは,ありえない話ではないけど…,実際麻薬とかも同じような扱いなので,麻薬並みに危険物扱いって感じはします。
で,だからこそ,取締りを強化するのであれば,範囲を不明瞭に広げるのは無理があるでしょう。
もちろん明らかに猥褻な漫画とかもあり,個人的には不要だとは思いますが,それは児童ポルノとは別の文脈で規制をすべきだと思います。児童ポルノは被害に遭う子供達がいるので,取締りを強化するというのではないのでしょうか?。漫画や大人が幼い格好をするのは,悪影響があるにしても,取り締まる理由が違うので,同じように取り締まるのはおかしいと思います。
定義が曖昧なまま対象するとでっち上げでつかまることもありますが,逆に実質取締りが不可能になり,骨抜きになる可能性もあります。実際の猥褻物というのは,むしろ後者の方になっている気がして,であれば,なおさら確実に取締りするためにもきちんと客観的に線が引けるところから法律を整備するべきでは無いでしょうか?。
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人間は地球にとっての常在菌か?

2008-03-10 21:00:35 | 環境・自然科学
今週更新分のヴォイニッチの科学書を聞いていたら,第二部のお便り紹介で,地球温暖化は悪玉菌としての人間が増えすぎたので,地球が熱を出しているのではないか?というのがあって,アシスタントのBJ氏は面白がっていたのに対し,司会の中西氏は納得がいかない様子でした。
中西氏は人間が悪玉菌の様に言われているのが人間としては面白くないという感じでした。でも,地球が熱を出しているっていう表現があってるのかわかりませんが,人間をひとつの生物とすると,ひとつの種がある環境で増えすぎたら環境が変わって,もともとその種にとって活動しやすかった環境が悪くなる…というのはそうなのだろう…とおもいます。
人間が善玉菌みたいになって地球と共存できたらいいのに…とその場はまとめてましたが,でもどんな生物でもやっぱり増えすぎたら環境が変わるのはそうなんでしょう。
最近環境問題が大きく話題になってますが,なぜか以前ほど人口爆発がネガティブに言われなくなったのはなぜでしょう?。わたしが子供の頃は地球で人間が増えすぎて…さあ大変…っていう言い方がよくあったように思います。大体中国が一人っ子政策を取ってるのも,人口が増えすぎたら困る…っていう事じゃないのですか?。でも,それ以外の国では,少子化を問題にして,人口の低下が国力の低下の様に言われてるのは,なぜでしょう?。
まぁ長いこと人口が増えるのが良くない…といわれていた時代にも人口が増えることを前提とした社会保障システムを作ってしまってにっちもさっちもいかなくなってるとか,あと自分の国は人口が減ってるのに他は増えてるのが良くないとかそういうことなのかも知れませんが…。
人道主義が進んで人の命が重たくなっちゃったので,人口が増えると困るというと弱い人を見殺しにするのか?とか言われるのを怖れているのか…とも思います。
まぁ確かにそうなんだけど,環境に適応してバランスを保つには,やっぱり人口とかはどこかで均衡を保つ必要があると思うし,その人口調整が寿命だけで取れるものかしら?とも思います。寿命だけで人口バランスが取れるって事は,つまり平均寿命が変化しない状態になってないと出来ないわけで…,そういう意味では,寿命が延びている状態もあまり手放しに喜ばしい状態でも無いのか…とも思いました。
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脳と老化と性欲と

2008-03-09 18:24:12 | ココロ
わたしはなんとなくよく読んでいるfinalvent氏の文にはよく「老い」とかに関する事が出てくる。50歳程度で老いとか死とかを語れるところあたりネットの若さを感じします。でも,わたしも40くらいで「若さが終わった感」というのをひしひしと感じたし,上り坂から下り坂へ転じるという分岐点というのは,その辺にあるのかな?とおもったりもします。
氏も幾つかのころに死にかけるような経験をしたようだし,わたしも大病を患ったりしたし,若さが終わった感という意味での老いを感じているという意味では,いろいろと氏の文章にはそうだよな…とおもうことは良くあります。
という前置きですが,ちょっと「脳はボケない」という最後の文に,そうなのかな?…とおもったので,今回書いてみました。
コメントに記憶力認知力集中力が落ちない…と書かれている方もいますが,脳がボケないというのはそういう意味なんでしょうか?。
歳をとったなぁ…と感じる部分は,体力が低下したり,視力とか聴力とかそういう感覚の部分の性能が下がってるところ,あと性欲とか食欲とかそういう部分が衰えているところなど,幾つか感じるところがありますが,これらはすべて外界と接しているところです。外界と接しているところは,外界はわたしと一緒に歳をとってくれないので,ずれが明確に出ます。でも,脳をどこに持ってくるかによりますが,脳のボケってどこでわかるんだろうか?とかおもいます。例えばコンピュータは自分のクロック周波数が切り替わったことをIFからの入力無しにわかるんだろうか?…とか,そんな感じで。
記憶力とか集中力とか良くわからないけど,単純に100分間の筆記テストを受けるのが苦痛…という意味では若い時とは違うと感じます。あとやっぱり確実に性欲が落ちてるなとは感じていて,若い頃のあのさまざまな意欲は,性欲にドライブされていたものなのか?とかおもうと,脳はボケてないとはおもっても,ドライブされてる感じはあまりない。今ボケてないとかいうより,若い時は暴走していたよな…。積極的に動き回っていたのも,ある意味暴走…若いっていいわね…って感じ…はずいぶんにある。
でも,別に今のボケか老いかわからないけど,そういう自分も悪くないという感じがしているという意味ではボケてないのかもしれない。まぁ歳をとっても盛んというか,体が衰えても性欲は衰えてない人も多いので,そういう人がボケてない…と言うのであれば,わたしとはちょっと違うか…。
わたしは20代後半から30代の前半に気持ちのよさをいろいろ追求して,直接的な気持ちよさは,なんとなくもういいや…って気もしてしまって。まぁウェットじゃなくてドライなほうでいいよ…っていう感じかな。あくまでも比喩ですが。その辺の人との違いはあるのかもしれない。
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曲の多様性がコピーを防止する?

2008-03-08 18:06:02 | 音楽・アート
宇多田ヒカルがCDと配信用でマスタリングを変えるって話。試みとしてはちょっと面白いな…とおもいました。
CDと配信だと音質が違うので,音質にこだわるならマスタリングを変えるべきでしょう。そういう音質面でもいい配慮という風にも取れますが,たぶん熱心なファンだとCDを持っていても配信から買いたくなるという様な効果もあるのかな?とおもいます。ただそうであれば,配信用とCDをぜんぜん印象が違うように変えて欲しいというか,ミックスから変えてもいいのでは?という気もします。
ディジタルコピーが問題になってますが,問題になるなら,最初からたくさんの種類を作っておいて,それぞれの単価を下げておくという手もあると思います。それだと人手がかかって大変…ということなんでしょうが,一枚のマスターが百万コピーして売られるというのも,そろそろ濡れ手にあわ過ぎたのかな?というか,もともとは音楽だってそういう商売じゃなかったのでは?という気もします。
まぁ今回のCDはCDとしては今までのCDと同じような価格帯の様で,その辺はちょっとがっかりなんですが,コピーするより,聞くためにちょっとお金を払うほうが楽だし,毎回違っていて新鮮だ…とか,そういう価格設定にすれば良いのに…とおもいます。CDが出来てもライブ演奏の良さが変わらないように,一回性とか多様性をひとつの曲にも持たせられたらコピーとか言う問題は少し小さくなるようにおもいます。
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