たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

マンガの将来

2011-02-27 21:52:41 | 音楽・アート
漫画家の赤松氏がマンガのスキャン配信を嘆いている件。赤松氏は以前も同じことをつぶやいていた気がします。

個人的には作家にお金が入ってこない状態は,作品の質の質の低下に繋がると思うので,嘆かわしく思ってます。一方でだいぶ前からこの状況は起きていますが,解決の方向に向かっている気がしません。むしろ進んでます。嘆いているだけじゃダメなんじゃ…とも思います。

わたしは(紙の)本を読むのが好きなので,なるべく買います。気に入った作品は既に雑誌連載で読んでいても単行本を買うこともあります。わたしにとってはそれは投資だしお布施だったりしますが,こういう人が沢山いるとは思いません。こういうことをやる少数の人間の投資だけで業界が回ればいいですが,現在の規模を維持するのは無理でしょう。紙の本が無くなるのは悲しいですが,誰でも簡単にスキャン出来る紙…という媒体は本の購買をビジネスとする場合はそろそろ無理なのかも知れないな…という気がしてます。

じゃぁどうなるんでしょう?。コンテンツの違法流出が業界に打撃を与えそうになった先行者は音楽です。10年前にCDのリッピングが誰でもできるようになって急激に拡がりました。CDの売上は低下を続けて,業界は違法コピーに対して様々な異論を投げてきてますが,意外にもCDは売れてないが,著作権使用料自体は増えてるという話も聞きます。音楽の場合はパフォーマンスでお金を取る事ができるので,CDは販促と割り切り,ライブ等でお金を取るということも考えられます。著作権使用料が増えてるのは,おそらく携帯向の着歌とかiTunesとかそういうのが結構伸びてるからでしょうが,簡単にコピーできる媒体を捨てて,コピーコントロールされてる媒体に移行する…という事も考えられます。考えてみたらコンテンツがレコードや本で売られているのは,それが産まれた時,その媒体が,個人が所有できて,かつ,素人が複製できない媒体だったからでしょう。

ただこれらの考え方がそのまま本に適用できるとは思いません。今電子書籍も試みが始まってますが,本当に始まった…というレベルです。音楽が10年経ったらこうなっていた…という感じですから,本の方も10年とか経たないと分からないな…とは思います。おそらくその間に作家の淘汰も起きるし,表現の変化も起るんでしょう。音楽もミリオンセラーが無くなったり,ファンとのコミュニケーションを強化したプロモーションが増えたりとか,今でもいろいろと試みが行われてます。マンガも電子書籍じゃないと出来ない動画や音を組込んだ表現とか,スキャンしたら意味をなさないような,ページを折り曲げて立体的に表現する(思いつきで書いてます)とか,いろいろ新しい表現が産まれて来るかも知れません。

日本の視覚コンテンツの根幹を支えているのは,巨大なマンガマーケットだと私は思ってます。アニメだけじゃなくゆるキャラとかが流行るのも,日本が幼少の頃から大人までマンガに触れているからでしょう。これから産業構造が変わるかも知れませんが,いい方向に「も」伸びることを望んでます。
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革命って良いことなんだろうか?

2011-02-26 13:00:27 | 時事
中東で今起きている騒ぎ,例えばエジプトで大統領が退陣したとか,そういうニュース,個人的に今立て込んでいる事もあり,あまりきちんと追ってません。ただアレを「革命」と言っている人もいれば「クーデターでしょ?」とか言っている人もいますが,どっちなのか良くわかりません。一方でSNSやインターネットが「革命を手助けした」という声も聞えます。

内容を知らないので是非を語ることはできないのですが,クーデターはともかく「革命」という言葉を使っている人の多くには,それを「いいこと」の様に書いている人が多いように思います。

ふと思うのは,「革命って良いことなんだろうか?」ということです。喜んでいる人の頭の中には,多分今まで続いた長期政権で,権力者は腐敗しており,そして民衆は困窮している,だからその権力者を倒すのは良いことだ,という図が有りそうです。そしてそれをネットが助けたというと,ネットユーザはますます喜んでいる…様に思います。

仮に革命としましょう。でも,革命が起きたからといって,その国の人の生活が良くなるかわかりませんよね?,幸せになるか分かりませんよね?。それで良いことと簡単に言えるんでしょうか?。特に権力者の交代ではなく,単なる権力者を倒しただけであれば,これからその国の政治は混乱することは必至であり,早期にまとまればまだしも長く乱れたら,かえって昔の方が良かった…って事にならないでしょうか?。

某極東の国も,長期政権が倒れて,その後の新政権が混乱していて,…良かったと思います?…:-p。

もう一つ,アジアとかアフリカとか,そういう国で内乱が起きると,西洋の国の中には,収拾のために力を貸すべきだ…という意見が出ます。もちろん,内政干渉だから静観すべきだ…という意見もでますが。でも,既にこれまでの政権がどこかの大国の支援とか受けていたりすると,元々影響力があるので,今更「知らない」とは言えないような状態なのかも知れません。

でも,こちらでも良く思うんですが,もし日本の戦国時代に,100年も戦乱が続いて日本の民衆は疲弊していたわけですが…,その時代に,じゃぁどこかの大国が積極的に収拾に関与していたらどうだったんでしょうね?。そうなると信長も,秀吉も,家康もいなかったかも知れないし,徳川幕府は成立しなかったかも知れませんね…ってこと。

戦国時代はもしかしたら日本の民衆にとっては最悪の時代だったのかも知れませんが,なぜか時代劇では人気がある時代だし,そこで社会構造が変わったりいろいろあった気がします。あって良かった…というつもりもないけど,全否定するべき時代なのかな?…という気はします。

というわけで,外国の内乱に外国が積極的に関与するのは,わたしは結構慎重です。人道支援…と言われると辛いんですが…。
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慈善家が政治をするんだろうか?…

2011-02-25 06:09:29 | 時事
田村耕太郎という人がワタミ前会長の都知事選出馬について書いてました。わたしはワタミの人が知事にふさわしいかどうかは,まだわからないので判断できないのですが,この書かれてる内容には正直首を傾げました。

経営者が政治をすべきだ…という意見は,同意できる部分もあるのですが,「政治は究極の慈善事業である」ということを書いていることに「?」と思います。つまり成功した経営者に成功したのだから,慈善事業をやれといってるってことになります。経営者とは,そもそも自分の損になることをやらない人じゃ無いのでしょうか?。

有能な人にただ働きをしろ…という感覚が良くわかりません。この方,元議員ですから,自分も究極の慈善事業をしたのかもしれませんが,他の人も同じように考えると思ってるんでしょうか?。世の中,そんな慈善な人ばかりで回ってるなら,まだ違う風景が見えるんじゃ?無いですか?。そんなに世の中慈善家ばかりに見えますか?。

ワタミの人をいうつもりはありませんが,一般論で言うと,成功した経営者だと,小さいお金に確かにセコセコしないかもしれません。でも巧みに自分や,自分の会社,または自分の業界に利益を誘導することだって可能なわけです。そもそも今までの業界で働いていれば,ものすごい額のお金を儲けることが出来る人が,どういうメリットがあって政治の世界に入るのか?というのを考えるのでしょうか?

いや,わたしは実は政治家が損得とは別に滅私として働くこともあり得るとは思います。でも本当に実績のある偉い人にそういう仕事をしてもらおうとしたら,少なくともその利益を受ける国民はそういう人を尊敬とかすべきじゃないでしょうか?。それをやらずにただ政治家は汚い…とか蔑んだりバカにしたりするから,結局,政治家自身もだんだんわけのわからない人ばかりになってるように思います。

有能な人に働かせようと思ったら,おそらく何かその人にメリットを与えないといけません。政治家だから国民のために働くのが当然だ…と思ってる国民だと,多分いい政治家は育たないと思います。
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人生に意味なんていらない

2011-02-23 23:17:19 | ココロ
fujiponさんが「人生の意味は?」と問うているのを読んで考えてしまいました。「意味」ってなんだろう?。意味は,じゃなくて「意味」の言葉の意味です。

生きている必要性とか,人生が大事とかそういう意味か?とも思いましたが,どうもわたしは「意味」というと,書き言葉で書けるような事の様に感じます。ですから,単純に「あなたが生きていることは大事なことだ」というのは,意味とは違う様に思います。

そういう風にふまえて書くと,わたしは「意味って必要?」と思います。人が生きるのにその人固有の「意味」って必要なんでしょうか?。わたしは必要ないと思うし,そういう「意味」が無いとその人の生に価値が無いという考え方の方がおかしいと思います。人は生きる意味がなくても,生きる価値はあるし,必要もある様に思います。

いつからか人には,個々の価値が必要みたいなことがいわれるようになって,ナンバーワンとか,オンリーワンとかとにかく個人に意味を求めます。でも人は多くの場合,誰でもいいけど,誰かがやらないといけないことをする必要があり,そういう風に生きている人も多いのです。それは誰でもいい事なので,個々の価値はありません。でも,「人」全体としては価値があることだと思うのです。

個々の価値はなくても,自分が生きる価値は日本では一億分の一くらいはあります。世界では70億分の一くらいはあるでしょう。人ひとりひとりは誰でも良くても,人がまったくいなくなると,人間は人間として存在できません。過疎になり困っている地域がある様に,別に自分ではなくてもいいけど,人がいないと,人は困るのです。

そういう意味では,みんなが生には意味があり,みんなの生が必要でしょう。個々の生に意味が必要なんだろうか?,そういうのをみんなが求めるから無理があるんじゃないか?,そういう思います。
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洋楽と日本人

2011-02-21 22:54:44 | 音楽・アート
今回日本人がグラミーを取ったのは,日本のマーケット進出を狙ってのことという記事を読んで,どうにも皮肉ぽい記事だなぁ…と感じました。まぁグラミーを日本人が取ったのが単純に音楽の質だけの問題ではない…っていうのは,当然思ってますが,改めて書くようなことかね…という感じがします。

グラミー以前にラリー・カールトンが松本氏と組んだのとか,スタンリー・クラークが上原ひとみを起用したのは,日本がアメリカのジャズマーケットとしてとても重要だからで,そんなことは一年中日本にジャズミュージシャンが来日し,夏フェスなどには大挙して来ることを考えれば当たり前の話です。アメリカのミュージシャンは日本が好きですが,それは日本人が海外のミュージシャンを大事にすることと,音楽自体を鑑賞するからというのもあります。

ですから,別に日本のマーケットを当てにしてるのは,今年に限った話ではないのではないでしょうか。わたしはむしろそれよりも音楽に限らず日本の食事やマンガ・アニメやファッション等が西洋で地位を上げていき,これまで経済面でしか注目されてなかった日本が文化的な面でも評価されるようになってきてるんではないか?…と今回のグラミーでは思いました。

少し昔話になりますが,かって日本で貸しレコード屋が大流行したとき,著作権料をどうとるか?というのが問題になり,日本のレコードは貸し出し一回毎にお金を取るようになりました。ですが,洋楽はそれも認めず,結局ある時期から洋楽の新譜は貸しレコード屋から無くなりました。わたしの記憶では,その後から日本の方も洋楽を積極的にプロモーションしなくなり,日本の音楽マーケットは邦楽一色になりました。時期的にいうと,80年代は日本でも盛んに洋楽がTVで流れたりして売れてましたが,90年代になり無くなったということです。

わたしはこの時に日本の音楽マーケットはアメリカから見捨てられたのだな…と思いました。結構ガッカリしたものです。ですから,今回のグラミーが日本マーケット目当てだといわれても,簡単には信じがたいな…と思ったりしてますが,どうなんでしょうね?。
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「笑う」の意味を考えない方がよい

2011-02-18 22:52:43 | ココロ
ネットで「(w には嘲笑が入っているので嫌い」という言葉を読みました。これと似た様な経験があるのでちょっと思うところを。

「(w」というのは2ch等で使われる「笑ってる」というサインです。雑誌とかのインタビューとかを読んでいるとよく「(笑)」という表現がありますが,これと似たようなもの…といえばそうかもしれません。

わたしがネットを始めたのは20年ほど前でインターネットのメイルとかニュースでしたが,当時わたしは,冗談を書いたり,相手の発言に面白かったよという時に「(笑)」というのを良く書いてました。

そのうち,数年たった後「(笑)」ではなく「(爆)」という表現を見るようになりました。最初わたしは意味がわからなくて「自爆」,つまり自嘲の意味かと思っていたのですが,どうやら「爆笑」の意味で使っている人もいるように感じました。「(笑)」だと爆笑以外に,「ニヤリ」みたいなニュアンスもあるので「(爆)」と「(笑)」は意味が違うんだろうと思ったのですが,たいして面白くなくても「(爆)」と書くので,もしかしたら同じニュアンスで使っている人もいたのかもしれません。というのは「(爆)」を使う人は「(笑)」をほとんど使わないからです。

さて「(w」ですが,これは「(warai)」が途中で切れたものだと思います。2chではローマ字入力で途中で途切れたままで書くことが多いので,こういう表現になるのでしょう。そういう意味でいうと「(笑)」と「(w」は途中で切れた…という以外は同じ意味になります。ただし,途中で切れてるのでいい加減に書いていると取る事も出来るかもしれませんが,そう思う人がいるかわかりません。また2chとかでよく見かける表現ですが,もともと2ch自体がふざけて書く内容も多いので,2chの文法で書かれている「(w」は「(笑)」よりふざけて感じる人も多いかもしれません。

ただ,今の若い人は,多分おちゃらけていることがカッコイイと思っていること,2chでインターネットに入った人は,それが汎用性のある文法だと思ってるかもしれない…ってことを考えると,必ずしもそこにふざけた態度があるかどうかは分かりません。

一方で古いネットユーザは,文字数を短いほうが美徳という価値観もあって「(笑)」と4バイト使うよりは「(w」の方が効率的だと思ったりもします(笑)。

というわけで,わたしは今は「(笑)」も「(爆)」も「(w」も,それを使う人の属性の違いは感じるものの,表現しようとするものは,多分差は無い…と思うようにしてます。

もっとも,人が真剣に書いている時に「笑って」反応すべきではない?といわれてしまうと,一理ある場合も有りますが,その場合どの表現も失礼…ということになります。

インターネットは顔が見えないコミュニケーションです。その場合,相手が悪意を持っているか,好意をもっているか,ふざけているか,真剣か…というのは,なかなかわかりません。わたしは基本的には,すべて相手は好意的に書いている…と思うようにしてます。そっちの方が精神衛生上良いので。やり取りの中で悪意を持っていると確信した場合はそういう対応をしますが,最初はどんなにけんか腰でも,そういう表現をする人だ…という風に考えます。

ちなみに実際に人に会う場合も同じように考えるようにします。ギクシャクしてる人でも,たんに緊張してるだけとか,そんな感じで。基本的に,そう思っていたほうが得の様に思います。相手が警戒してる時に,警戒やけんか腰で返すと,結構こじれますが,好意的に返すと,相手がけっこう肩透かし…になる場合が多いような気がします。まぁへらへらしていて怒られた経験もあるんですが,そういうこともあると踏まえた上で,でもそうしたほうが得が多いと思ってます。

…わたしのネットコミュニケーションや実際の人付き合いでの,ノウハウ…みたいな話でした。
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商店に必要な売上は昔より高くなってませんか?

2011-02-17 08:40:00 | 経済
先週金曜日にクローズアップ現代で「ガソリンスタンドが消える」っていうのをやってました。要はガソリンスタンドがどんどんつぶれていき,過疎地などではガソリンを買うために数10キロいかないといけなくなっている状況…という話でした。ガソリンスタンドがつぶれる理由は,ガソリン自体の需要の低迷と,あと建設ラッシュの時に作ったスタンドの耐用年数が切れたのが,設備更改出来ずに廃業していくということでした。

こういうのをみていて良く思うのは,単価を高くして維持することは出来ないのだろうか?ということです。もちろんそんなに単純な問題じゃなくて,みんなが自分の住んでいるところでガソリンを入れるわけじゃないので,高くすると別のところにいれにいくっていうのもあるんでしょうが。

ただガソリンスタンドに限らず,今って,昔に比べると,店を維持するのに必要な売上が凄く高くなってないのだろうか?…と良く思います。逆に昔だとそんなに客がいない個人商店が結構あって,一日何人の客をさばいているかわからないけど,それなりにやっていました。今でも,たばこ屋とか町の電気屋とかそういうのにはそういうのがあって,実は別の仕事でしっかり儲てる…っていうのも聞くんですが,そういう別の仕事がなくても,駄菓子屋とか食堂とか…,やっていっていた…というのは間違いでしょうか?。

例えばコンビニとかはフランチャイズ制で,本部に利益を吸い上げられるから,物凄くたくさんの販売をしなくてはいけないし,価格設定も決まってるから利益率を上げることができないのはわかります。スタンドも系列だから,その様なことがあるのかも知れません。でも,フランチャイズの店がやっていけない様なところだったら,上納金は無いし,店が持ち家だったら家賃もないから,あとは適切に仕入れを出来ていれば,自分の生活費だけの利益が出ればいい,みたいなのは出来ないのかなぁ…とか,そんなことを思います。

いや,多分出来ないのでしょうね。流通も昔と変わってるから,そういう個人商店がうまく仕入れられるようなルートはあまり無いのかも知れません。若い人はネットで何でも買うから,宅配便だけがあれば,ものを買うのに困らず,困るのはお年寄だけ…って事なのかもしれないけど。

話を戻しますが,ガソリンは取扱うのに資格とかいろいろあるから,共同購入とか,宅配とか,そういうの出来ないのだろうけど,なにか,その辺,過疎地に関しては緩和出来ないのだろうか?…とは思います。火事になっても周りに家も無いところだったら,まとめ買いしたものを貯めておくタンクとか置いておいたらダメなんですかねぇ。
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救って欲しい人と救わなくていいんだろうか?という人

2011-02-14 22:44:28 | 社会
NHKで「無縁社会」というテーマでいくつか番組をやっているようです。今日もTV討論をやっていたようですが,わたしは観てません。昨日とかその前とかにちらちらとやってるのを少しだけ観ました。

無縁社会で救いを求める人の声をたくさん紹介していたようです。その人たちの境遇にはいろいろと本人ではどうしようもない不幸なものがたくさんある人も多いのかもしれません。ただ,少し気になったのが,TVで取りあげていた多くの声が,皆救いを求めている声だった…ということです。

一人暮らしで知り合いが少なかったり,派遣社員で将来に不安があったりとか,そういう人達が目立ちました。更に前に,派遣社員とかが経済格差で苦労している…みたいな話もやっていたので,なんとなくそういう流れなのかなという気もしました。

なぜ皆自分を不幸だと自覚し,助けてくれ…と救いを求めるのだろう?というのがわたしが不思議に思うことです。人と関わりたかったら,自分から関わるべきじゃないか?と思います。自分を救って欲しかったら人を救うのが一番の近道な気が,わたしはします。でも,TVで救いを求めている人は,ただ救って欲しいと言っているようでした。

30年くらい前でしょうか?わたしが思春期の頃,田舎暮らしの若者が都会に出て行くというドラマが良くあり,その時に彼らが言っていたのは,田舎は人付き合いが鬱陶しい…みたいな話です。そうやって都会に出て来た人達が結果的に一人で寂しいというのは,どういうことなんでしょう。ネットで人と付き合うのが楽しい…という人も出てきて思いましたが,なんとなく「自分に都合がいい付き合いをしたい」という人なのかな?と思いました。

人と付き合うといろいろ面倒なこともあります。あまり得意じゃない人とも付き合わないとその場に入れないこともあります。頼みを断れなかったりすることもあります。でも,人と付き合うというのはそういうことです。自分が人と付き合いたい時にだけ付き合うとか,助けてほしい時だけ助けてもらうというのであれば,それは孤立するでしょう。

それからちょっと思ったのが,確かに派遣社員とか将来が不安とかいうのはそうなんでしょうが,わたしは格差とかいうと真っ先に思うのは,山谷とかあいりん地区とかにいる日雇い労働者や飯場にいるような人たちです。以前それについてレポートした本を紹介しました。その時も書きましたが,わたしはある時期そういう世界に興味を持ってちょっとだけ見たりしていました。ああいう人たち,あとホームレスの人たち…そういう人たちが,まず働けるような場を作るのが先じゃないか?という気もしてます。

別にもっと生活が苦しい人達がいるから,我慢しろといっているわけではありません。ただ一時期批判されていた公共工事とか,そういうのが肉体労働者の仕事を奪ったりとか結構あったんじゃないかな?という気がします。国が無駄遣いしていると批判していた人たちは,もしかしたら経済的に困窮している人たちの仕事を奪っていたのかもしれません。

最近,いろんな部分で批判口調が世の中に多い気がします。しかし誰かを批判するという行動をみんながやれば多分自分達にも厳しい世の中になります。救って欲しいと思うのであれば,救いあう世の中にならないと難しいんじゃ無いかな?と思います。
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謝りすぎのマズイ世界

2011-02-12 23:18:05 | 社会
medtoolsさんがグルーポンとニコ動の謝罪について感心していました。この方はお医者さんなので,医療事故とかの時とかの謝り方とかかなり気にされている方でもあります。グルーポンとニコ動がどう良かったかは,書いておられるのを読めばよいかと思いますが,この二つの例は基本的には顧客がいて,顧客が迷惑を被り騒いだ例です。

一方で最近良く思うのは,明確な被害者が騒ぐ前にマスコミが大騒ぎして,迷惑かけた方も,対応を誤り窮地に堕ちるケースが結構あるな…って事です。今ふと思ったのが,大相撲。八百長問題から春場所が中止になり,再開の目処も立ちません。公益法人じゃなくなり…どうしたものか…という話があちこちで出てます。

最近の大相撲はその前に弟子への虐待騒ぎとか,賭事とか,もう次々と不祥事が出てきて,そのたびにマスコミが大騒ぎして,協会も理事が変わったり,なにか行動をしないと…とあたふたしているような気がします。

もしかしたら大相撲は謝りすぎたのではないか?…と思ったりもします。もちろん暴力騒ぎや賭博は法律に反することです。でもこれも関係者を破門にして終り…という手もあったかも知れません。八百長もガッカリした人は多いかも知れませんが法律には触れません。「これは神事だから,打ち合わせもありえる」という言い方も出来たかも知れません。まぁいいわけとしてはダメですが。

大相撲がダメかダメじゃないかは,本場所を開催して,実際に見に来てもらうお客さんに問うのが本来あるべきだったんではないでしょうか?。もし贔屓が今の状況に我慢がならないのであれば,単に客の入りが悪くなり,協会はそれでやっていけなくなるだけです。それも込みで相撲を楽しめるなら客は離れません。それで良かったのかもしれません。

大相撲をみていて思うのはは,どうも出口が見えないことです。マスコミは次々とあたふたする協会を面白おかしく伝えるだけです。同情論も出てきません。マスコミの無責任な終りのない非難にまともに対応しようとして,それでドロヌマに入ってしまったんではないか?…と思いました。もしこのままいつまでも本場所が開催されず,大相撲がなくなってしまったら…,それって大相撲ファンが望んでいることなんでしょうか?。

あとついでに謝りすぎて失敗してるなぁ…と思うのがNHK。不祥事は多いですが,なんかやっぱり民放が大騒ぎしたり,当のNHKが大騒ぎしたり…。これは顧客である視聴者が受信料を払わない…という状態になってるので,まぁ確かに顧客が怒ってるっていうのもあるんでしょうが…。お金を払いたくなくて騒いでいる人もいるでしょうし,一視聴者のわたしは,あんまり大騒ぎをするよりいい番組を作って欲しいだけ…と思います。

いま,日本は企業・団体がなにかをすると,かなりマスコミが大騒ぎして,その対応に失敗して,ドロヌマに落ち込む状況が結構多いです。こんな世の中でいいんでしょうか?。足の引っ張りあいをしてるだけのように見えるときもあります。
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命より治療費?

2011-02-11 14:46:45 | 医療・福祉
記事「がんの心配、「死」よりも「治療費」」によると,ネット上のアンケート調査結果,ガンは,死ぬことよりも経済的負担の方が心配する人が多いという結果になったそうです。わたしはタイトルを見たとき,「死ぬのにお金の心配をするのか?」と思ったんですが,詳細をみると少し違ったようです。

このアンケートをみると,まずガンが治ると思ってる人が4割以上います。そして治療費が心配…ということですから,つまりお金をかければ治るが,そのお金をかけられるかが心配…っていう意味なんでしょう。がんにかかったときの対応も,医師が進める医療の他に自分がよいと思う治療,費用がかかっても先端医療…という人もいるので,つまりは保険適用外の高額な治療に期待している…ということも言えるかも知れません。

わたしは,ガンが治るか治らないかは一概に言えないと思っていて,例えば早期ガンは手術すれば治るので,むしろたいして治療費がかかりません。長期に費用がかかるのは抗癌剤や先端医療やあやしい療法で,これを長期に続けるガンというのは,むしろ完治が難しいものではないでしょうか?。ただ抗癌剤で数年生きるケースも結構あるし,その中には未承認の抗癌剤である場合もあるので,確かに大量のお金をかけたらその分長生きできた…というケースはあると思います。

ただわたしは,そのケースよりも,高額な医療を受けても,延命の期間は程ほど…というケースをまず想像してしまいます。ですから,治療費の心配というのは,延命の対費用効果…,つまり死とのバランスで考えます。死より治療費という表現はちょっと違うんですよね。極論をいうと自分が生きていて仕事を続けて稼ぎ出すお金から治療にかけられるお金がプラスかマイナスかで治療を受けるべきかを考えてしまいます。もちろん蓄えを切り崩せば何年か治療を続けられるかも知れませんが,家族に幾らか残したいとか考えたりで,その辺のバランスを考えます。

ちなみにわたしの場合は,高額医療費の自己負担分…つまり年間100万くらいは,高いとは思うけど払えるかな…とは思うので,わたしのいう経済的に負担となる治療費は,もっと高い額を想定しています。この辺は個人の経済事情で違うとは思いますが。

まぁ大雑把にいうとわたしも死は心配してもどうしょうもない…とも思うので死よりも治療費が重要な問題…というのは,聞かれたらそう答えるかも知れません。でも,先日も書きましたが,どうもガンはお金さえかければ治る…という認識が増えてるような気がして,それってあってるの?…とこういう記事を読むと思います。

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