たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

イレッサの件

2011-01-29 01:57:19 | 医療・福祉
イレッサ訴訟 学会は和解反対して結果的に政府も和解を止めたって話。

わたしは自分が癌をやった事からの意見としては,抗癌剤の害を普通の治療薬や予防注射と同じように薬害として扱うには抵抗があります。それは抗癌剤にはドラッグラグの問題があること。そして癌は治療をしなければ死ぬ病気であることが一番大きな理由です。そして抗癌剤治療は基本的に延命治療であること。また癌細胞は体の一部だから,癌細胞を正常な細胞を傷付けずに全滅させることは多分無理だろうと思うことも,他の薬と違う点だと思います。

癌は治療をしないと死ぬけど,抗癌剤を使うと余命が延びる場合がある,それにかけて患者は治療をうけるわけです。抗癌剤で完治が期待できないのであれば,治療を受けても遅かれ早かれ死ぬわけです。それが治療をうけない場合よりも短くなるっていうのは,確かに悲劇ですが,助かる人が亡くなるという他の薬害とは違います。

確かにイレッサは他の抗癌剤よりも事故率が高いというのを聞いたことがあり,そういう意味では問題があったのかも知れません。ただそれはその薬を認可したことの問題よりも,患者や家族にリスクの説明をしたかという話になり,国を訴えるという話になるのでしょうか?と思います。

それと以前から気になってるのは,メディアもそうですが,抗癌剤治療が,あたかも癌の完治が期待できるかのように取れるような紹介をしてる点です。実際,無治療で治る人が稀にいるくらいですから,治療で完治する人もいるんだとは思います。また手術と併用しての抗癌剤は再発の防止になります。でも多分,再発後に抗癌剤の治療をした人や,手術が出来ずに抗癌剤の治療をした人の多くは完治はせず,延命としての治療ではないでしょうか?。もちろん数十年延命できる人もいますが。

どうも,報道やWebをみてると抗癌剤治療を受けても,結局はがんで亡くなるというのをあまり明に書いてない気がします。それをあまり認識してなくて,治療をうけた人もいるんじゃないか?と少し思いました。

余談ですが,一部の医者も含めての考え方で,癌が完治するという考え方もある様に聞きますが,とりあえず,わたしは今はそう思ってません。諸説あるので上記はわたしの意見に過ぎないことをお断りします。
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私的空間が続いているという勘違い

2011-01-25 06:03:14 | 社会
一昨日の年齢の違う仲間の件を書きながら,もう一つムラムラと思っていたこと書きます。

一昨日のは,若い人が年齢の違う人を拒絶してる話だったのですが,Twitterやネットの日記にこういうことを書いているってことは,自分達と違う人間が見てるってことを想像してないのだろうか?と良く思います。特に同世代以外仲間じゃない…とネット上で宣言するって事は,おそらく自分達の仲間の数倍の人口を敵に回してる…ってことで,それで叩かれるのは当たり前なのに,こういうことを平気で書いてしまう事の無邪気さというか無頓着さ…というか,それがなかなか凄いな…って思います。

Twitterで有名人の噂を流した個人が突き止められたって件も同様です。今の若い人は2ch等の匿名掲示板とかに慣れているようでいて,実はその逆で無頓着になってしまっているんじゃないか?という気がします。公共の場で多くの人に顰蹙を買う言動をやって,顰蹙を買っているのに気づかない…というのは,まさに「電車で化粧」と同じ心理であり,ネットで引き起こしたことというよりは,今の社会が引き起こした問題のような気がします。

一応断っておくと,今の世代特有というつもりは無く,昔から公共の場で顰蹙を買う人達はいたと思うのですが,ネットにせよ,交通機関にせよ,公共の場に生活空間が急激に入り込んでいるのが今の時代で,それに適応し損ねる人が増えてるんだろうと思います。

パソコンや携帯だって直接メイルをするのでなければ,画面の向うに何百万人の人がいることになります。知り合いや仲間内に当時にやり取りが出来て便利だかと公開日記やTwitterに覆い隠さずに書いていたら,多くの人がその人に悪意を向けるかも知れません。そういえば仲間内だけに同報を行えるMLが最近あまり盛んでなくて,Webベースのコミュニケーションばかりになったのも,少し関係があるかも知れません。

おそらく今の社会で拡がっているのは公の空間であり,私の空間ではないのではないでしょうか?。でも私の空間が拡がっていると勘違いしている人が多いのじゃないかという気がします。
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歳の違う仲間は悪くないと思う

2011-01-23 23:56:59 | 社会
はてな匿名日記の「Twitterを辞めた。」というのがちょっと話題になっていました。最初斜め読みしたときは,まぁ別にやめる人はやめればいいと思うし,mixiのときも「mixiをやめた」みたいな文章を読んだなぁ…とか思ってました。ですが更に話題に合ったこの日記へのフォローを見てちょっと思うところがあったので。

元の日記は多分若い女性がTwitterをやっていたのだけど,多分中年か年輩の男の人に,自分のツィートにいちいち反応されるのがなんか嫌になったか,気味悪くなったとかそういうことのようです。掲示板やmixiとかブログでも日記とかにいちいち反応されるのがうっとうしくなってっていうことはあるようです。特にこの日記のフォローを見てると,若い人のコミュニケーションに年寄が混ざるなんて無理みたいな書いていいるのが興味深くて「育った時代を共有していることでの仲間意識を軽視していない?」って書いている人がいます。

思ったのが,そうだろうか?ってこと。わたしは高校,大学と大人の遊びのグループに混ぜてもらって遊んでいたので,年齢が違う人と遊ぶことの心地よさを実感してます。むしろ学校のクラスとかの方が閉塞感無いですか?とすら思ったりします。私は高校はクラスよりも部活の方が居心地良かったし,部活より更に学外の方が良かったです。高校のときは楽器屋に入り浸り,店長や他のお客さんと良く喋ってました。大学のときはバイク屋に入り浸り,ツーリングに連れて行ってもらったり,ご飯を食べにいったりキャンプしたり,かなり面倒を見てもらいました。大学の同級生とかにも学校に来なくなりバイト先ばっかり行ってる人とかいたけど,そういう人も同じ歳の友達より,社会人とかの方が肌に合ったんでは無いでしょうか?。

思うのが,上にリンクしたように同世代の仲間が強いつながりを持つみたいに考える人が,社会に出て会社に入ってうまく行くんだろうか?ということです。社会に出れば,同年代の付き合いより,年齢が違う付き合いの方が増えます。新社会人の中には,会社での付き合いより学生時代の友人との付き合いを大事にする人は確かにいるんだけど,そういうのって徐々に薄れていくようにも思います。

あと,例えば20歳にとっての5歳ってものすごく大きな違いだけど,50歳にとっての5歳ってたいした差じゃないのです。特に未成年は同じように学校に行くけど,社会人はいろんな人生を歩むから,同じ歳でも経験はまったく違うし。だから年寄りは年齢の仲間意識はあまりありません。

それから,まぁそうは書いたけど,わたしの場合も大人の集団に子供のわたしが混ぜてもらったわけで,子供の集団に大人が一人混ざるのは,確かに子供の方に抵抗があるのは,わからないでもありません。

等と思いますが,ちょっと発散したのでまとめると,わたしは青春期の若者が年輩の人と遊ぶことは結構得るものは多いと思うよってこと。最初のTwitterの様にあまりしつこく絡まれるのは確かに面倒だ…とは
思いますけどね。
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母親の食へのこだわり

2011-01-20 23:08:44 | 日記
ネットで「物語を守るという生き方」という文を読みました。書いた人の母親が添加物を嫌っていた話が書いてました。それで自分のことを思い出したので書きます。

わたしの母親も,添加物にはうるさい親でした。というか,転勤が多い家でしたが,あるところでは生協だったり,いろいろで最終的には農家と契約して無農薬の野菜を提供してもらう組合みたいのに入り,農家の手伝いに行ったり,理事みたいなことをやっていたように思います。食べる方も塩分が多いものを嫌ったり,自宅では化学調味料は殆んど使わない。洗剤も合成洗剤じゃなくて石鹸で使ったりとかそういうものでした。

理由はあまりはっきりいわれた感じもしませんが,わたしなりに理解はしてました。わたし自身が幼少の頃,体が弱く,一時期は急性腎臓炎で入院していたりしていたこと。あと父親が高血圧でずっと薬を飲んでいるような人なので,コレステロールとかを気にしていたこと。つまり家族の健康を気づかってそういう風になったのだろうと思ってます。一方でハウスものじゃない露地物の野菜を「これが本当の味」とか言ってわたしに食べさせていたので,そういうものの方が美味しい…という考えもあったのかも知れません。

こういう母親でしたが,更に記憶を遡ると,わたしがまだ小学校に上がる前は,自宅に味の素もあったし,赤いソーセージとかも食べていたので,徐々にそうなったのかも知れません。当時,日本ではサイドマイドや水俣病など公害病が大きく話題になっていて,急激に工業製品としての食糧の安全性が問題になっていた時期でした(今の中国みたい)。

それでも,わたしも子供ですから,ジャンクフードみたいなものは食べたいと思うこともあって,インスタントラーメンも食べてました。この辺はうちの母親がうまかったのか,体に悪いといいながらたまにだったら食べさせてくれ,そのせいか,わたしはこういう添加物嫌いや自然食志向はあまり反感もなく,受け入れ,今や自分自身がその性質を引き継いでます。一方わたしの父親は逆で,体に悪いもの,味が濃いものや脂っこいものが好きで,もしかしたら好きなんじゃなくて反発で食べてるだけじゃないか?…と思うことすらあります。

ただ一つだけ難点をいうと,自分の味の基準が,体に良いか悪いか?,自然食か?…が最初に来て,舌の嗜好で判断してる自信がないことです。スペックがわかればそういうスペックがまず頭に来てしまうし,無い場合でも,自然食に近いものがうまいと感じてしまいます。正直,舌だけでうまいマズイを断言して,食べる食べない…と言える人を羨ましいと思うこともあります。まぁ人間は生きるために食べるということを考えると,体への良し悪しを嗜好とすることは必ずしも間違いじゃ無いのでしょうけど。


そういうわたしの親ですが,もう80も越えて,今更健康もないよね…と言いつつ有機野菜を取るのも辞めているようです。父親も高血圧の薬を数十年飲みつつ,結局生きてます。肥満だった体もすっかり痩せてます。わたしも小学校の高学年辺りから体が丈夫になりました。これが母親のおかげなのか,実は気にするまでのことじゃなかったのかはわかりません。ただ,過度な添加物嫌いや自然食の盲信は無いにしてもわたし自身も,食べ物のスペックは気になるし,子供に与えるときに,安全性を気にしてしまう…ということから,考え方自体は母親の影響をうけているように思います。
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NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」を観て

2011-01-19 05:54:14 | 歴史
NHKスペシャルで「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」というのをやっていて,先週今週と二回ありました。後二回あるようですが,間一ヶ月くらい空くようなので,ここでとりあえずの感想を。

テーマはタイトル通り。戦争とは太平洋戦争のことです。松平さんが語り部として出ていて,昔やっていた「その時歴史が動いた」テイストな作りになってます。そういえば今やってるヒストリアって歴女狙いなのか,切口が全然違う。次回は「~キケンな貴公子、藤原頼長~」だそうで(笑)。

そのとき歴史が…は,過去の日本のある状態が,今の日本の情勢を連想させる…様な作りを良くやっていて,今回も第一回の方はそういう作りでした。第一回は日本が国連を脱退した話で,なぜそういう状況に陥ったのか?という話。元々日本は国連を脱退するつもりがあったわけではなく,これくらい大丈夫だろうと強攻路線を言ったら,突っぱねられて,引くに引けなくなって辞めてしまった…ということのようです。

で,なぜそうなったというと,その当時日本は,内政がガタガタになっていて,首相は6年で7人変わる状態で,国内の不平を海外に転嫁して紛らわそうとしたとか,それなのに,国際情勢が既に植民地主義から転換してることに気づかず,他もやってるから大丈夫だろうと思っていたことがダメだったとか,そういう話。つまり内政グダグダ,外交センスがない内閣,更に内閣がバラバラで二重三重外交をやってる状態…ということでした。なるほどこういう状態だと戦争に向かうのか…ということで,今の日本は大丈夫ですかね?…と思わせる作りは意図的でしょう。

ちなみにこの間のは,陸軍がなぜ戦争を起こすに至ったか…みたいな話で,こちらは行政の権力争いみたいな感じはしましたが,これはさすがに今の日本を連想するような話は無し。対立派閥を牽制するために政敵を殺すようなセンスはさすがに現代人にはないでしょう。あるのかな?。

当時の暴走を陸軍だけのせいにするのは正解なんだろうか?とは良く思いますが,いずれにせよ,個人や組織の成果のために,兵隊や他国の人を殺しても致し方ない…という感覚はわたしは受け入れがたいものがあるので,自分には出来ないセカイだな…とは思います。自分も会社組織で,誰かの幸せを奪っている可能性はありますが,そういうのが見えるとかなり無理…という感じです。

まぁ当時の日本は幕末からまだ半世紀ちょっと。当時の人達もまだ現役でいたりして,切ったハッタで物事を進めていく感覚がリアルだったんだろうなぁ…とは思います。

といわけで,おもしろかったです。次回は戦争に向かっていく中でマスコミが担った役割みたいな話らしいです。楽しみです。
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質を高めるには量が必要?

2011-01-18 05:56:40 | 時事
昨年まで日本の企業とかビジネスとかもうだめだ…みたいな感じのTVが多かったのが年明け早々にTVを見ていたら,日本の品質が日本を救うみたいな話がちらほら出てました。正月だから,希望を持ちたいのか?とも思いましたが,わたし自身,日本の品質が世界でのポジションをしっかり確保して,これからの日本を支えて欲しいと思ってます。ただし気になる事があるので。

というのは,今日本には品質を支える職人がいる…ただし高齢者…,みたいな話を良く聞くのですが,一つはその後進が育っているか?ということ。そしてもう一つ,その職人が育ったのは,結局高度経済成長時に大量生産をしていた時代があったから,では無いか?という気がします。

これから品質を維持するために職人を育てようとすると,今の職人がしている仕事を教えるのではなく,本当はその職人の若い頃の様に,質よりも量の仕事をある程度こなさないといけないのでは?ということ。ですから,品質勝負だけの仕事だけをやっていても,品質を維持する職人を育てることは出来るんだろうか?質の仕事も量の仕事も両方やら無いといけないのでは?と危惧します。

ちょっと話がそれますが,日本のアニメが海外の実写映画の原作になるというニュースを知り,このアニメは昔からある一般向けのアニメというより,深夜にやってるマニア向けのアニメですが,こういうアニメも実写化されるようになってきたんだと思いました。案外いま,日本で大量生産され将来の蓄積になっていくのは,工業製品というよりこういう分野の方なのかも知れないなぁとか思いました。今のアニメとかマンガは作品数が多く,玉石混合だと思いますが,質の高いものを作るにはこういう状態が必要で,だからこそ質の高いものが産まれる…というか,そんなことを思います。
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今の日本には低空飛行をするイメージがもてないことが不幸

2011-01-16 22:05:43 | 時事
社会からの離脱は本当に“家の恥”なのか」を読んで思ったこと。

戦後の経済成長からバブル崩壊まで「モーレツ」とか「24時間働けますか?」とか,寝る間も惜しんでハイテンションで働くことが美学…と言われた時代がありました。それがバブルで崩壊した後,その時若かった人達の間に,もうそういう生き方を辞めてユルイ生き方に憧れる…という時代があった気がします。わたし自身もかって,そういう生き方に興味をもって見てました。「エコ」とか「ロハス」とか「地球に優しい」という言葉は環境に対する言葉のようですが,それを好んで使う人には,自分達の生き方をユルクしたいという想いがあったと思います。バブル崩壊後に生き方として注目された「フリーター」もそういう想いから試行されたものだったのでしょうが,10年以上経ちわかったのは,フリーターな生き方は,貧困になる可能性の方が高い…ということでした。

その時から思うのは結局のところ日本ではユルクいきる生き方のモデルが存在しないということです。ユルクというのは,程ほどに働き,程ほどに休み,質素だけど,とりあえず食べられて,多くを望まなければ,幸せに暮せる…様な…,そういう生き方。いわば低空飛行な生き方です。いつのまにか,「人並み」に結婚して子供を育てようとすると,一流企業に入らないと無理…と思う学生がそれなりにいるようです。その「人並み」には外では携帯電話でパケットをバンバンとばし,カフェでお茶をし,一食1000円の昼食(ラーメン)を食べ,家ではゲーム機や大型TVをもっている…って事が必要なのかも知れません。あと海外旅行とか?…。

日本はかって一億総中流と言われましたが,それはみんなが中流だったというよりも,モデルを一つしかもたなかったと言うことかも知れません。かってはお父さんが働き,お母さんが専業主婦をし,子供は小学校,中学校,高校と行き,高校から上は働いたり,大学進学したり,大学を出たら企業で働き,結婚し,男は働き,女性は家庭に入り,子供は二人程度…というモデル。昔は親が離婚していたり,中学出で働く子供とか,また母親が子供を預けて働くのを,とやかく言う人がいたのは,つまりそれは「普通」から少し外れていると見なしていたからでしょう。

色々時代が変わり,こういうモデルから当てはまらない人が増えてきました。女性が出産しても働くなんていうのは,もう普通です。離婚もそんなに珍しいことじゃありません。大学を出ても企業に就職できるとは限らない状況です。ですが,やっぱりまだイメージされる「普通」のバリエーションが狭い気がします。全日で働いていないと,パートやアルバイト…という風に,言われる…し会社もそういう風に扱います。海外では季節労働者や,一日数時間働くだけという社会もあるのに,日本でそういう働き方を長期でやってもなかなか食べていけません。

最初のリンクで社会から離脱してしまう人は,つまりは一日10時間以上働いたり,通勤ラッシュにもまれたり,上司やお客様に気を使ったり,そういうことをしないと生きていけない社会に適応できなかったからで,もしかしたら,一日4時間くらい作業して,誰とも話さずに終り,後は帰って寝るだけ…という社会なら適応できるのかも知れません。でも日本にはそういう社会は引き籠もり路上生活者以外に,どういう仕事につけばそうできるのかイメージしにくい様に思います。

日本は昔から「普通」から外れた人に冷たくて,程ほどに生きていくことが難しい様に思います。でも人間というのはいろんな人がいて,モーレツに働ける人,そこで活き活きする人もいれば,そうじゃ無い人もたくさんいま。なぜそうじゃない人の普通の場が無いのだろう…,もしそういう人達も幾分生産的な場があれば,むしろ生活保護者の増大なども防げるのでは?と思うのに…等と思います。

そういえばネットで,『「ものが安くなる」ことと、「安いものしか選べなくなる」こととは、厳密に区別しないと怖い。』というのを見かけましたけど,少しこれも通じるものがあるな…と思いました。
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批判する人にはベストが見えてるんだろうか?

2011-01-15 12:29:55 | 時事
タイガーマスクこと伊達直人が全国を回って寄付をしている件は,マスコミも楽しそうに報道してますが,わたし自身,寄付をすることはいいことと思ってるので,一過性な話かもしれませんが,いいとは思います。これでなにか日本的な寄付の文化が根付くといいのですが。

世間を騒がせているだけあって,ネットをみていてもいろいろ論調があり,わたしも冗談で,タイガーマスクのアニメかを目論むため,とか書いたり,パチンコメーカの陰謀…とか聞いたりとか,ありますが,まぁ冗談の範囲です。

あと,なぜ「匿名なの?」という疑問を書く人もいますが,これだけいろんな人が伊達直人を名乗っていれば,様々でしょう。美学な人もいれば,はずかしいとか,ヤバイ金とか,ノリとか…。

それくらいならいいのですが,結構批判してる人もいて,へー,という感じです。ただ批判する人は,いろいろ理由をつけてますが,多分批判する気持ちが先にあって,それを正当化するために理論展開してる人が多くないですか?…という気はします。なぜ先に批判する気持ちがわくのかを自己分析すると面白いんじゃないかな?…と思います。周りが誉めるから,天の邪鬼的におもしろくないという人もいれば,寄付を悪ふざけでやるのが気に入らないという人もいれば,自分が出来ないからおもしろくない…とか,人に哀れみをかけるかけられるというのがイヤという人もいるかも知れません。

で,こういうネットでの論調をみていて思ったのが,答えを求めようとするけど,どうして答えがあると思うんだろう?…ということ。寄付について文句をいう人は,誰にも文句をいわれずに誰かを助ける自信がある…と自分は思ってるのでしょうか?。誰もが賛同する様なやり方があるというのでしょうか?。またこれだけいろんな人が寄付をすれば理由は様々なのに,一つの理由で説明できると思ってるのでしょうか?ということです。

物事には誰もが賛同する答えがある…ということの方がわたしは不自然に思います。これは今回の話に限らず,社会福祉とか行政とかもそうで,なにか問題が発生すると批判する人がいて,それをメディアや野党が取り上げますが,でも,それを止めると今度は別の人が文句をいうのであたふたする…っていうのを旧野党の人達がやっていたりします:-p。

話がそれましたが,そもそも批判というのは,あまり真に受けるのではなく,むしろ効果の方が本当にあるのか?…の方を考察・議論べきなのではないでしょうか?。寄付に関しては,困っている人が助かりありがたく思うかどうか,それが第一。伊達直人の行動に寄付先の人は感謝の弁を挙げているようですから,まぁ良かったのでは?…と思います。
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マスメディアは速度より質重視に変わるべき

2011-01-13 23:55:54 | 時事
TVでニュースを観てると「○○が問題です」「××が問題です」「事件です」「大変な時代です」と毎日言っています。世の中問題だらけです。大変な世の中です。一方他の人のことはわかりませんが,わたしはなんとか普通に生きてます。将来の不安という不確かなものがないとは言いませんが,今この瞬間だけを見れば,お腹も減ってないし,命の危険も無いし,そこそこ楽しい生活です。

きっとTVの中のセカイと,わたしが今ここにいるセカイは違うセカイなんでしょう。ってことはTVのセカイは自分とはあまり関係ない話なんでしょうね。もしくは,TVで「問題だ」と言ってることは実は問題じゃない…つまりTVは狼少年みたいなものなんでしょうか。そうだとすると,そのうち本当の狼がやってくるのかも知れませんが,TVからのお知らせではわからないということになります;-p。

というわけで,TVのいう「問題」になんとなく疲れてきた今日この頃,一方ネットでは良くマスメディア批判を見かけます。まぁ自分のページもそうか…。

ラジオの今後の在り方とか新聞の在り方とか,ちょっと連日出ていたので,思ったこと。個人的にはラジオは好きだし,新聞も多分必要だと思います。TVもそうです。というかラジオもTVも全く無くなると寂しいです。ただどちらも今ほどチャネル数が必要なのかな?…という気はしてます。TVもラジオもNHK以外は広告収入で運用されてるんでしょうけど,広告メディアがネットとか多様化している以上,今のTVやラジオの規模が維持できないのは当たり前だし,それに視聴者も減ってるんだから,普通に考えれば統廃合されるものじゃないか?…という気がします。ですが,TVは特にどんどんチャネルが増えたのはどうしてなんでしょう?…という気がします。

ラジオもTVも新聞も載ってるのはプロが作ったコンテンツですから,品質が高いものが多いのは認めます。そのまま綴じたら本になったりビデオになるものも結構あるでしょう。でも一方で,速報性とか,衝撃度とか,盛り上がりとか,そういうのは,もうネットにはかなわないじゃないでしょうか?。当事者が直接配信したり,目撃者が直接ネットにアップする時代ですから,速報性をマスメディアが独占するのは無理です。もちろんお金を使って特ダネを買うことはできるでしょうが,ネットにコンテンツをアップする人は今のところお金より注目の方が欲しいのだろう…という気がしてます。

でもある事象に対して,有識者を集めて,きちんとした解説を付けたり,是非を議論させたり,そういうことは,マスメディアの方がうまい気がしま。もちろんネットにも有識者の議論等は多く載ってますが,何せネットは玉石混合です。信憑性やSN比は今一つです。また娯楽コンテンツもネットのものは品質が低いと思います。

というわけで,わたしはマスメディアはこれからは,品質勝負をすべきじゃないか?という気がしてます。逆に速効性や,最初にあるような不用意に不安を扇るような扇動的な記事は止めた方がいいんじゃないか?…と思ってます。まぁそれにしても今のチャネル数がもつのか?という気はしますが。

例えば民放は広告収入無いと経営できませんが,深夜アニメのように,最初からパッケージ販売を目的としたコンテンツをつくり,その広告として放送をし,出来が良ければDVDが売れる…みたいにすれば(まぁこれもそんなにうまくは言ってるともいえないのでしょうけど),放送コンテンツは全て長期の視聴に耐える,新聞だって連載記事を本にするつもりでつくれば,それも読み返すに耐える…コンテンツではないといけないということになります。今ブログで毎日書いている文やマンガをまとめて本にする人が多いですが,新聞やTVだともっと品質が高いものを作れるでしょう。

わたしはそういう意味で,マスメディアの役割をそろそろ変えて行った方がいいのでは?と思ってます。そういう意味では期待してるんですけどね。
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ジャパン・シンドローム

2011-01-12 21:54:50 | 時事
NHKのニュース9が一昨日と昨日「ジャパン・シンドローム」という特集をやっていました。今の日本の状況である,デフレ,少子化,高齢者増大,雇用状況の悪化,人口減少,みたいなのが負のスパイラルになっている。この様な状態はこれまでどの国も経験してない未知の領域で,海外からも日本がどこへ向かうのか注目されている…って事のようです。

なんか新しい造語を作ったようですが,これが流行るのか,生暖かく見守りたいと思います:-p。

ちょっと思ったことを。多分日本に限らずどの国でも問題を抱えてない国はないと思いますが,わたしが子供の頃はインフレとか公害でした。インフレは終わったけど,公害はともかく,環境破壊は現在進行中。人口増加が昔は問題だったけど,今は少子化。人口減ったら嬉しいのかと思っていたら,いつのまにか逆になっていたし,インフレが済んだら嬉しいのかと思ったら,これも逆になってデフレが問題となっていました。あまり今言われてる良し悪しは当てにならんなぁというのがわたしの印象です。なぜならメディアは今起きている問題が終わった後の検証を何一つやらないからです。

昨日のTVでは,地方都市の中心地に近いところにも空家が増えてるみたいな事を言ってましたが,じゃぁ,その空家を若い人が買える位の値段になってるのでしょうか?。わたしの印象だと,地方としでも中心地に近いところに,若い人がポンと家を買えるほどの値段にはまだ地価は落ちてないのではないでしょうか?。このバランスはなんとかならないのでしょうか?。とりあえず,自分に関係ありそうなことを書いておきます(笑)。地方の郊外は多分二束三文で買えるんでしょうが,それって結局住むところが広範囲に分散してしまい,ますます効率が悪い地方集落が出来るだけのの様な気がします。

あとおまけですが,少子化も晩婚も神の見えざる手じゃないか?と昔書いたのを思い出しました。現状の方向でうまく安定した社会を作れれば,興味深いけど,まぁそれが人によって住みやすい社会かどうかは…また別の話かなとも思います。。
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