たろの日記ページ,gooブログ版

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Bose Sound Link mini IIの再起動

2019-02-21 17:57:33 | 音響
備忘録
Bose Sound Link mini IIが充電できなくなっていた。USBにACアダプタを刺そうが,クレドールに載せようが充電しない様子。一瞬電源ランプが光るがすぐに消える。
ネットで調べたら,再起動したら治ったということでやってみた。真ん中のマルチファンクションボタンを10秒程度押しっぱなしすると,上部のLEDランプが全部点滅する。それで良いらしい。
その後ACアダプタを刺したら無事,電源ランプが点滅し充電を始めた様子。

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Windows10 on Mojaveの備忘録

2019-02-03 15:52:50 | 日記
先日入手したMacOS(Mojave)のマシンにWindows10をインストールした。かなり苦労したのでその備忘録を。

マシンはMacBookAir(たぶん2017mid),ディスク(SSD)は512GB。OSは現時点で最新(Mojave)にしていて,アップデートもすべてしている。最近入手したので,空き領域は300G弱くらいある。入れるOSはWindows10Pro。ネットでダウンロードしたわけではなく店舗で箱を買ってきた。

当然だけど,BootCampでやろうと「Boot Campアシスタント」を立ち上げて進める。Windows10用の容量は150GBくらい確保。Windows10はパッケージにUSBディスクが入っていたが,そのままだとBootCampからは使えない様だったので,一旦BootCampを終了し,USBの中身をディスクユーティリティでディスクイメージ(iso)にした。

再度BootCampアシスタントを立ち上げ同様に進める,途中isoイメージを指定して進めるとBootCampのファイルをダウンロードして進んでいくのだけど,10分くらいしてエラーで終了してしまう。メッセージは「容量が足りません」的なもの。Windows様に150MBもの容量を割り振ってるのにそれは無いよなぁ,と思う。ただネットを見ても同様の症状を書いている人がたくさんして困っている。

容量がありませんでエラーになった後,終了するとBootCampアシスタントは,分けたパーテションを元に戻そうとするようだが,何分待っても終了しない。しかたないのでBootcampアシスタントを終了すると警告も何もせず終わる。

ディスクの容量は元に戻っておらず,ディスクユーティリティをみるとWindows用のボリュームはできている。それでここで元のMacの起動ディスクと統合できないかと,Windowsのパーテションを取り除こうといろいろするがうまくいかない。Windows用のボリュームを削除したりフォーマットするが統合できない。一度再起動しCommand+Rでセーフモードの様なものにして,再度ディスクユーティリティでそのボリュームをいろいろする。

どういう状態になったか忘れたが,Windows用のボリュームをどういう風にした状態で,再度起動し,BootCampアシスタントを立ちあげたら,ここでWindows用のボリュームを起動ディスクに再統合できた。

で,もう一度やり直し。ネットにもう一つボリュームを作ると良いというのを読んだが,Windowsの領域か,Macの領域がわからない。再度BootCampアシスタントはエラーで止まり,また使えないWindowsのボリュームができた。で,今度はこれをどうやったら統合できるかがわからなくなったorz…。

もう一度冷静に考える。BootCampアシスタントがエラーになった後,再度立ちあげて進めると進めない理由に,「Mac OS 拡張 (ジャーナリング)」である必要がある…と書いている。良く見ると今のフォーマットはAPFSになってる。ネットでもAPFSだとうまくいかない…と書いてる様なところを見つけた。

…ということでSSDのフォーマットが悪いのか…,でどうする?。ネットでは初期状態に戻してやったという人がいたが,初期状態に戻しブートディスクをフォーマットしなおし,再度TimeMachineから復活させたということだろうか。さすがにそれはしんどいなぁと思った。

一方でAPFSになって起動時にオプションキーを押すと起動ディスクを選択できると書いてあった。試しに起動しオプションキーを押すと起動ディスクを聞いてくる。現状MacOSしかない。

で,どうしたか?

ふと思い立ち,Windows用に切ったボリュームはあるし,Windows10のディスクイメージが入ったUSBディスクはあるので,それをさしてオプションキーを押して起動,マックの起動ディスクとWindowsのインストールUSBドライブが見える。USBドライブを選んで起動するとWindowsのインストーラが立ちあがった。そこでインストール先でMacのボリュームが見えたので,Windows用に切ったボリュームを選択,それはFATでフォーマットしていたのだけど,FATはだめでインストーラでNTFSで再度フォーマットするように選択して進めると,そのまま進み,なんどか再起動しWindows10がインストールされた。

ところで困ったことに,インストールされたWindows10を起動し,初期設定を進めていくと,どうもMacのハードにアクセスできいのか,ネットワークも見えないし,Bluetoohも使えない。たまたまThunderboltのLANアダプタをもっていて,つないでみたら,これはそのままつながった。なので,そこでUpdateとかを一旦済ませる。ネットからドライバが落とせないか?と思ったのだけど,Windows10のデバイスドライバのインストールの仕方がわからないので,ちょっと困っていたのだけど,ふとBootCampアシスタントにBootCampのサポートファイルが落とせるメニューがあったことを思い出し,もう一度Macを起動し,BootCampアシスタント起動,BootCampのサポートファイルをダウンロード。Mac上からもWindows10をインストールしたディスクは見えるのだけど,なぜかリードオンリーなので,USBディスクにそのファイルをコピーし,再度Windowsで起動。USBの中身をWindowsのディスクに移し,なかのSetup.exeを起動すると,いろいろとインストールを始め,終わって再起動をすると,Bluetoothも無線LANも使えるようになっていた。

これでとりあえず,BootCampアシスタントを使わずにBootCampの環境を作ったような感じにはなったが,WindowsのタスクのメニューになるOSXで起動というのは選んでもエラーになる。結局起動を切り変えるのは,起動時にオプションキーを押すしかない様子。ただしMacの方からは起動ディスクを切り変えできたみたい。

…,どうも中途半端な気がするが,いろいろする気力が失せたのでとりあえず,今日はこれまで,両方からアクセスできるボリュームが今のところないのが不便だけど,外付けディスクかファイルサーバを使えばなんとかなるからまぁ良いか。なんか設定変えればできる様になるかもしれないし。
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死をどうリアルに考えるか?

2014-09-02 23:40:40 | 医療・福祉
極東ブログで「率直に聞くんですが、どんなふうに死ぬつもりでいますか?」という文章があった。その前の日のガンの話も面白かったのだけど,ちょっとこっちのほうを先に取り上げます。親父の高齢に従って,私もいろいろ思っていたので。

極東ブログに健康寿命と平均寿命の差が10年くらいと書いていた。これって要は,介護認定(支援も含むのかな?)を受けて死ぬまでの期間って意味ですよね?。うちの父は,半年も入院してなかったし,介護認定を受けてデイケアとか行っていたのはたぶん5年もなかったと思います。私が手術した8年前は上京して立ち会ってくれたし,翌年結婚した時も,車を運転していて,こちらを心配させていたくらいだし。まぁ車を運転していていても,下がゆるくなってもらしたりとかはじめていたみたいで,介護認定とか受けたら?と勧めたのはそれくらいだったと思います。

なんせ死ぬ半年前までは仕事してましたからね。ちなみに父が死んだのは米寿ちょっと手前,なので決して若死にではありません。そういう意味では実に手がかからなくなくなってくれたとなります。もっとも健康な時から,別の意味で手がかかる人でしたが。

あと,興味深いなぁと思ったのは,生きたいとか生きられるとか思う年齢と平均寿命で平均寿命の方が長いって事。つまり皆さん,想定外に長生きしてるって事。

自分の父親が80過ぎたあたりから,実はずっと「どう死にたい?」とか「死ぬこと考えてる?」とか聞きたいと思っていたのですが,平均寿命を越えた人にそれを聞くのは残酷ではないか?と聞けませんでした。考えていたのかどうかわかりませんが,遺言も残してくれなかったので,考えてなかったのか,考えたくなかったのか…。

わたしの父は若い頃から高血圧で薬を常用しており,脳溢血になったこともあり,他にもいろいろ不具合があって,どう考えてもうちの家族では一番先に死ぬだろう…と思っていたら,8年前に私がガンになり,その翌年には,母がガンになり,死にそうにしていて,うちの父的には戸惑っていたのでは? という気がしました。幸いにも私も母もまだ生きてるんですが,もしかしたら父は,私や母よりも先に死なないといけない…という意識があったのでは?という気も,ずっとしてました。一人で生きていけるような人ではないので。

極東ブログで死が怖いと思ってない人が多いと驚いてますが,どうなんでしょう?。そういう意味で,父はどう思っていたのかな?と思うし,母は抗がん剤の治療がしんどかったので,こんど再発したらもう治療は勘弁…とか言ってました。私自身もガンで死ぬことをリアルで考えたせいか,怖いか怖くないか? というのはその時にならないとわからないけど,「まぁ,人って死ぬよね?」…とは思ってます。でも,40ちょいでガンになったときは,60まで生きられると幸せだなぁと思ったものの,そこから子供が生まれるまで5年くらいかかったので,子供が成人できるまで生きてるとうれしいなぁとか,社会人になるまで生きてるとうれしいなぁ,結婚するまで,孫が出来るまで…と望めば切がなくなってます。無理でも仕方ないとも思ってますけど。

その時にならないとわからない,というのは,今はそう思ってるけど,実際にまたガンとかになって余命宣告とか受けると,考えががらりと変わる可能性があるってこと。つまり死が怖いかどうか?っていうのは死をリアルに感じている心境か,そうでないか?では違うんではないか?と思います。そういう意味でも,父は死が迫ってどう考えたんだろうか?。特になくなる前の1ヶ月間ぐらいは,どうだったんだろう?…と今でも思います。
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ザウルスとOffice2007

2014-04-17 18:43:05 | ひとこと
現在私はZaurus SL-C3100を使っていて,この間までWindows 7 (32bit) 上のOutlook(2003)と同期をかけてました。Intelisyncを使って同期してます。

Office2003のサポートが終了するということで先日Office2007にアップグレードしました。
ネット上の情報でOffice2007で同期ができるという記事を見つけられないので躊躇してましたが,試したところ,とりあえずうまく行ってます。

ただし,Outlook2003とOutlook2007は生成するファイルが同じというわけでも無いようなので,使えなくなる可能性もあります。とりあえず10日ほど使ってますが,今のところ大丈夫です。

ちなみにWindowsは32bit機です。64bit機はドライバがだめで,SL-C3100がつながりませんでした。残念です。
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重油

2014-03-30 01:06:47 | 時事
休日ということで横須賀市の海岸沿いの公園で遊んでいて,海辺で息子にいたら息子の服に重油がついてしまった。困惑したのだけど,よくよく考えたら先日の船の事故で油が流出しているという記事を読んだのを思い出した。

おそらく海岸に油の塊が打ち上げられていて,それに座ったんでしょうが,ちょっと海に入ったので,海自体に油が浮いていたのかもしれません。それにしてもあそこは魚を釣っている人などもいて,大丈夫かな…という気がします。
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音楽と作られた物語

2014-02-06 08:30:00 | 音楽・アート
昨日TVニュースを見ていたら,佐村河内守さんの曲は実は他の人が作曲していたというのを本人が発表したという話ををしていました。びっくりしました。この人は去年くらいTVで大きく取り上げられていたので,印象に残ってます。難聴という病気も私の専門上興味があるから…というのもありました。

一方で彼の曲はTVで流れた分は耳に入りましたが,普段交響曲とか聴かないし…ってことで特に覚えてません。よく言うとドラマチック,そうじゃないとtoo muchな作風だなぁ…と思ったような記憶があります。

別の人が作曲していた…というニュースを受けて,ネットでは,彼のファンだった人で今回憤慨してる人は,彼の音楽ではなくてキャラクタに心酔していたのか,みたいな話が出ていて興味深かったのですが,単純にだまされていた…ということで憤慨するってことはあるでしょう。彼が障碍者であろうがなかろうが,盗作ではないにせよ,人の曲を自分が作曲したかのようにいうのは,あまり感心できません。

もっとも曲想は佐村河内さんが指定していた,ということで,佐村河内さんはディレクションや設計者,もしくは発注者みたいな感じでしょうか?。共同作業としてクレジットしてれば問題なかったのでしょうが,メディアが障碍者が作った音楽として取り上げたので,やはりそういうわけにはいかなかったのでしょうか…。

なお,芸術作品に作品自体以外のストーリが付随して価値が上がるのは,別にこれに限らずよくあることなので,障害を乗り越えて曲だから惚れ込んだ…という人を責める必要はないと思います。個人的には音楽や絵に関しては,そういうのは好きではないのですが,そう思っていても,自分だって作者のプロフィールを知って興味を持った作品とかたくさんあるし,そういうのを排除することは難しいでしょう。少なくとも作品に触れるきっかけとして,作者の物語が強い影響を与えることは,当たり前にあることです。実際TVとかでもそういう番組たくさんあるでしょ?。

個人的には彼の曲は聴いてないので,影響はないのですが,でも,こういう形で多くの人が愛していた曲にケチがつくのは残念ではあります。
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映画「おおかみこどもの雨と雪」を観て

2013-12-30 16:40:48 | 音楽・アート
地上波TV放送で観ました。

二週間ほど前にTVでやっていたのを観ました。本映画は公開当時話題になってましたので,今回私は初見でしたが,話のプロットは知ってました。もっともどんでん返しがある話でもないので,プロットを知っていて損をしたというものでもないと思います。

さて本作は若い母親「花」が,母親の手一つで二人の子供を育てるお話です。子供の父親が狼の末裔で,二人目の子どもが産まれると同時に亡くなってしまうとか,子供が狼の特性を引き継いでいるので,行政やボランティアに育児のことを相談できず,困り果てて田舎の山奥で隠れるように子育てをするようになるとか,そういう話に対しての突込みを公開当時みたような気がしますが,この映画基本的には,「母親の手一つで子供を育てる」という舞台設定の正当性を作るためにこういう設定にしてるだけで,そこに大きな意味は無いように感じました。母親がシングルマザーで,だれにも相談できず隠れるように子育てをするということ,あと子供が小学校卒業のタイミングで巣立っていくというプロットの説明がつくのであれば別に狼である必要はないのでしょう。ある意味,母親が犯罪者で逃亡者でもこの話は作れるのですが,それだと母親のせいになってしまう。この話では母親が何の責も負わないのにでもこれだけの辛い境遇に陥ってしまう(ある意味理不尽なもの)…という風にしたかったのでしょう。

さて,そういうわけでこの作品では,とにかく子育てに苦労しながらも,しかしいつも笑顔で子供たちに愛情を注ぐ母親が描かれてます。途中まで誰にも助けてもらえず,また最後まで誰にも相談できず子育てをさせられます。また子供ができたせいで,花は学生生活のすべてを捨て,都会での生活を捨て,山奥に篭もります。実に献身的です。

この作品を作った細田監督は子供ができる前にこの作品を描き,子供が出来る前だからこそ理想の母親としての花を描けた…と語ったとかいう話をどこかで読みましたが,まさに,ちょっとありえないくらいの母親像でした。

どんなに辛い目にあっても,ゆるぎない確信を持ち献身的に子供に尽くす花の姿を見ていて,これはヨブ記の様だな…と思ったのですが,ネットを調べると既に指摘されてる方がいました。そう,見返りを求めず疑問を持たず,自己犠牲を突き通す姿はヨブ記の様であります((私はキリスト教信者ないので,間違った解釈をしていたらすみません))。

でも一方で現代の日本人がヨブ記を読んだら,その神への信仰ぶりにリアリティを感じないのと一緒で,花に対してもそのように感じるのではないでしょうか?。つまるところ,この話は信仰の話であり,神話であるように私は感じたということです。母親の子育てを神話として描いていしまうあたりは,女性はこの映画どうとらえるのかな?とも思いますし,自分も子供を二人抱えている親ですから,なおさらおとぎ話として捕らえないと,消化できないような気もします。

さて,後は細かい話…。二人の子供がほぼ同時に家を出ていったあと花はどうなったんだろう…と少し気になりました。本当に子供を育てるだけの12年間だったんだろうから。まぁリアリティのない人だからなぁ。そういうこと気にしてもしょうがないのかもしれませんが。

あと作画。背景を存分に動かし自然を表現する作画は圧巻でした。でも,この映画の直後CMでかぐや姫の物語をやっていて,こちらも作画的には圧巻。なんかアニメ映画って成功して資金的に余裕が出てくるとこういう方向に走るのか…と感じてしまいました。見たことない作画を見せてくれるって意味では贅沢なことなんですけどね。

総じて作画もストーリも非常にクオリティの高い作品でヒットしたのもうなずけるし,私も満足しました。でも娯楽なのかな?,ドラマなのかな?…とか考えるとやっぱり神話なのかな,という気がしました。現代劇で神話を描いてしまうあたりに,細田監督の力を感じました。
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学会の権威と人気

2013-12-29 10:29:13 | 育児・教育
研究者というのはおおよそ自分の成果を「論文」という形で積み上げていくものです。中には本を書いたり作品を作るという分野もあるようですが,ほとんどの場合,大学にしても国とかカウントするときも論文で成果をカウントします。学術的な賞もありますが,その賞自体が論文に与えられたりするので,とにかく論文を出さないと研究者は自分の成果をアピールすることが出来ません。

で,論文はどこにあるのか?というと通常は学会が出す学術誌に掲載されます。掲載されるにはその学会が審査(査読)をし通らなければなりません。つまり研究者は学会と関わらずに成果を出すことが出来ないということになります。

ではその「学会」とは何か?というと学者が任意に集まって作ったものです。以前医者をやってる友人に医者が三人集まれば学会を作れる…という冗談を聞いたことがあるのですが,実際は日本学術会議が「日本学術会議協力学術研究団体」というのを指定しているので,勝手に学会を名乗っても公認の学会というのには当たらないようです。

とはいえ,学会というのはいろんなものがあります。そして研究者は成果を出す以上どこかの学会が出す論文誌に論文を投稿するわけですが,その投稿論文を研究成果として認めるか認めないか?というのも学会によっては様々で,ですから研究者は投稿するときにそういうことも考えて学会を選びます。

さて私も研究者の端くれであり,これからも研究を続けていこうと考えているわけですから,どの学会と重点的に関わるか?ということを悩むわけです。学会の一つの尺度に「会員数」があります。これは客観値なのでわかりやすいですが,人数が多い学会ほど,活動は盛んだし,そこに出すと多くの人に認められる可能性があります。一方学界の「権威」みたいのもあるように思います。これは学会の会員数とも関係があり,会員数が多いほど権威も高いと思われがちですが,中には会員数が少なくても権威がある…学会もあるような気がします。これはきわめて専門性が高かったり歴史が長い学会だと人数が少なくても権威が高いケースがあるように思います。

そしてもう一つの尺度に「人気」があります。これは会員数と関係があるのですが,会員数が多い学会の中にも業界人しか話題にしない学会と,ネットとかで話題になるような学会があります。一般とまではいかないまでもこういうネットで話題になりやすい学会はいろいろと新しい話題を提供するようなことをやっていて,結果的に新しい分野の開拓が出来たり,若い研究者が集まり実際に会員数が増えたり良い成果が出てくるという好循環が生まれている場合も多いでしょう。

…とは言え,私としては少し悩むのはこういう新しい話題を振りまき人気が出ている学会と,歴史があり専門性が高くて権威がある学会とどちらを重要視すべきか?…ということです。人気がある学会は書いた様に活動が盛んで,そこで活躍することは自分にも注目を得る可能性があります。活動の可能性が広がるということです。ただ一方で,こういう学会は研究成果が玉石混合な場合が多い気がします。あと地味な研究はこういう場ではかえって目立たなくなることも多いかもしれません。権威がある学会は,目立たない成果でもその学界的に質が高ければ,おそらく認められます。

日本に学会はたくさんありますが,歴史のある学会はどこも会員数の減少に悩んでおり,経費もきつくなっている気がします。そうなると「人気」を得るために,活動方針を変化させていく学会もそういうのなかに増えていくように思います。

さて,そういうことをちょっと前に考えていたら一昨日くらいに人工知能学会が学会誌の表紙に萌イラストを載せてきたということを知りました。この表紙女性の掃除ロボットというのが気に入らない人がネットで論争してるようですが,それについてはあまり興味はありません。それよりもあぁ人工知能学会もこういう方面の人にアピールし始めたのだなぁ…と私は思いました。だいぶ前に情報処理学会が初音ミクを学会誌の表紙にしたことがあって(そういう内容だったからですが),かってない程,学会誌が売れたそうです。もしかしたらそういう話知っている人が,学会誌の表紙に萌の要素を取り入れることでそういう効果があることを知っていたのかもしれません。

もちろん人工知能にしても情報処理にしてもロボットとか知識処理とかを扱うわけで,そういうものを題材とした作品が多いアキバ系の愛好者とは重複する部分が多いはずです。ですからまるで関係ない人にアピールしているわけではなく,より周辺を広げるという試みなのではないでしょうか。

ただし,人工知能学会の表紙に対しての学会の説明をみればわかるように新しい人に興味を持ってもらうため明言してます。ですからやっぱり学会以外の人の注目を集めるためにこういう表紙を選んだわけです。学会の質を高める手段として専門的な学術的な質というよりもまず人気を得ることを選んだってことだろうな…と思いました。

自分が積極的に関わるべき学会は,どっちの方なんだろうなぁ…と思ったわけです。
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怒らないことと乖離すること

2013-12-23 21:47:51 | ココロ
知人がシェアしていたブログで「怒らない修行」というのを読みました。お坊さんが書いている様なので,それなりに考えられた内容かともおもうのですが。

ここで書かれている怒らない方法は「出来るだけ考えずに時間を経過させる」ことという風に読めました。自分が浅く読んでいる…という気はするのですが。

これを読んでおもったのは,乖離に似てるってことです。乖離っていわゆる精神的なストレスを受けた人が,自分の目の前におきている辛いことを現実と認識しなくなることです。例えば夢を見てるような感じで見てしまうとか,思考停止してしまうとか。

乖離は一般的にあまりよくないことの様に言われます。現実から眼を背けるし,現実の問題に対応できなくなるから。よく言う幼児に対するネグレクトとかも親が乖離を起こしているケースもあります。だとすると考えないことによって怒らない…っていいことなんだろうか?とか真っ先におもったのです。

とはいえ,一般に乖離が悪いことだといわれますが,自分を省みると,こういうことって良くあるよな…とおもいます。辛い状況を「早くこの時間過ぎないかなぁ」と思考停止して過ごすこと。また自分におきていることを第三者におきていること…という風に客観視して,辛さを半減させることも良くやります。

ということは乖離って悪いことじゃないのでしょうか?。たぶん正解は無いのだろうけど,程度の問題なのかな?という気がしてます。要は乖離になる自分を更に客観視できるというか,コントロールできるってことなんだろうなぁ…ということです。ですから真に対処しなくてはいけないことは乖離しないとか,感情的に怒っている自分に対しては乖離するとか,そういうことを選択的に行えるってことが必要ってことではないでしょうか?。怒ったら無条件に考えなくなるようではまずいようにおもいます。

さて,自分は余り怒らない人だと自覚してますが,自分が怒らないようにしているコツは,

  • 他人に期待しないこと

  • 人は自分と同じように感じ,考えるわけではないとおもうこと

  • 怒るのではなくがっかりすること


とかです。他人に怒るっていうのは,どこかしら他人に期待をしてるってことだとおもいます。期待した自分を反省すれば怒る気が起きません。また同じことですが,相手が自分と同じように感じているわけでもありません。こういう風に考える人がいるんだ,感じる人がいるんだ,へー,という風に興味深い…と考えると好奇心の方が勝ってしまいます。で,最後のががっかりすること。なんか自分に不利益な状態になると,トホホホ…と思って脱力する,結構これで済んじゃうことが多いです。
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音楽の革命者を評価するのは難しい

2013-11-28 10:12:53 | 音楽・アート
ネットで歴代の人気ベース・スタイルの数々をまとめたメドレーを観ました。いろんな有名プレーヤのコピーを聴けて結構面白なぁと思ったのですが,奏法を著しく進歩させたエポックメイキングなプレーヤがわかりにくいなぁという印象を受けました。エレキベースでいうとジャコがそうだと思うのですが。

さて最近ジミヘンのライブ映像を見ていて,あらためて今のロックは基本的にはジミヘンから変わってないというか,それくらいロックの本質をジミヘンがもっていたというのがわかります。

私は ハードロックのギタースタイルはジミヘンが大きく進歩させた と思ってますが,こういうことを後世検証するのは結構難しい様に思います。同時期に巷に流れていた音楽のすべてを知ることが出来ないので,本当にその人が新しいスタイルを作ったのか,巷で流行っていたスタイルを紹介しただけか…がわからないからです。ジャズでいうとマイルスがジャズを電化しそこからフュージョンが産まれたと言われてますが,マイルスは単に当時は流行っていたロックやファンクをジャズのミュージシャンが演奏するということをやっただけかもしれません。…とかくとマイルスの業績を否定してるように思われるので,そうじゃないとは書いておきますが。初期のマイルスのエレクトリックジャズは実験的な要素が多く,単なる引用だけじゃなくてそこから新しいものを十分に示したと思います。

で,ハードロックの場合,ジミヘンの同時期にクリームやジェフベックやレッドツェッペリンなどが有名ですが,彼らとの違い,また当時のその他の流行っていたスタイルを考慮しないと本当の革新性は判断しにくいようにも思います。

今回当時のビデオをあらためて見比べてみると,ジミヘンは弾いているフレーズのみならず,サウンドメイキング,そしてパフォーマンスのスタイルで,他の当時のバンドと一線を画してるのはわかるのですが,演奏してる曲自体は重複があるので,普通に同じようなスタイルの人がジミヘンをコピーしてもクリームをコピーしても同じようになってしまうのではないか?という気もします。

そもそも古い革新者を今聴くと,普通に聞こえてしまうのはよくあるので,やっぱり音楽とか芸術の革新性って,時代背景をかなり理解しないと難しいなぁとあらためて思いました。他人にミュージシャンとかのすごさを伝えるときに結構難しいなと思います。
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