たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

小さな政府は無政府状態へ向かわないか?

2006-06-30 11:18:23 | 時事
政府が来年度予算の歳出削減をするとか,あと公務員を削減するとか…。こういうニュースを見てると,小さな政府とか,無駄遣いを減らすとかそういう意味で歓迎する…というか,逆に歳出を増やすとか公務員を増やすとかいうと世の中の反発が起きる…っていう雰囲気になってるんだろうなぁ…と思います。
でも,誰もこういう風潮に異論を唱えてないのですが,実際どうなんでしょう?。国家が縮小してるようにも見えます。公務員を増やせないから,交番閉鎖とかいう,どう考えても逆じゃないか?と思えるようなことも起きるわけで,治安維持とか行政サービスがどんどん悪くなるのではないか?…という気もします。極端にいうと無政府状態…。
経済についても歳出削減するより公共工事を増やした方が,全体としての経済が活性化するというやり方もあるわけだし…。
こういう風に国家を小さくするのがいいっていう感覚は,マスコミが作ったんでしょうが,なにが元なんでしょうね?。素直に考えると国家の借金(国債)が多いという事と,年金制度に不安があるって事で,国の支出を減らしたいって事なんでしょうけど。じゃぁ国債が減って,年金制度的に問題がなくなったら,公務員が増えて国家予算が増えても誰も文句を言わなくなるのでしょうか?。なんとなく公務員憎しについてはヒガミが入ってる気がするので,それでもブツブツ言うような気がするというか…。
ちなみに上記二つの懸念はインフレ傾向になると問題は小さくなる様な気もしますが,経済は専門じゃないので置いておきます。
余談ですが,国債ってなにか必要性があって出している気がしないでもないけど,どうなんでしょう?。例えばアメリカと国債をもちあう事で運命共同体にしてるとか…。
話がそれましたが,要は,海外には人殺しや強盗が起きても取り締まれるだけの警察力が無い国とか,餓死者がでてもなにもでき無い国とかがあるのを知ると,日本がそういうのに近づいているのではないか?…とかいう不安が浮かびます。そんなに国家を小さくするのが良いことなのか?,そういう疑問です。
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中絶

2006-06-29 08:42:29 | ココロ
なにがきっかけだったのかは良く知らないのですが,なぜか今ブログ界隈で「中絶」について話が盛り上がってます。finalventさんのはてなの日記とか,kaienさんのところとか…。まぁこれだけじゃなくて,ここにリンクとかトラックバックされてるところとか…。

結婚もしてなくて,子供を作ったこともないし,男だし…という事でなかなかわたし自身意見を言いづらい。法律で許す範囲での事であれば,当事者の問題かと思いますが,法律や社会環境で中絶のしやすさやしにくさが影響されるのであれば,周辺である我々も何らかの意見を持った方がいいのだろうか?…という気がしないでもありません。
まぁでも難しい。わたしはずっと日本で育ってるし,中絶が合法である…っていうのを当たり前の様に育ってるので,「良くないもの」という意識はありません。でも,一方で母体を(身体的にも精神的にも)傷付ける事になるし,そんなに気軽なものじゃない…っていうのも良く理解しているつもりです。とかいいながらコンドームの避妊成功率は低いとかいう話を読むと,自分は真面目に考えてなかったのか?…,等と悩む。しかし3%…という数字は自分の実感とは合わないのですが,なにか他の要因もあるんでしょうか?。30回したら一回くらい妊娠する…って確率だよなぁ。
避妊というとコンドームは男が決めること…っていう雰囲気があり,逆にピルを飲むことを男性から女性に頼みにくい…という雰囲気もあるような気がします。わたしだけ?(^^;)…。でもついでにいうとピルに頼った避妊は病気の感染を防げないわけで,そっちは大丈夫なの?という気はします。
と中絶から避妊の話にとんでしまったので戻しますが,中絶と避妊の話は直接リンクするわけではありません。

中絶の話で「産んでも育てられない」とか「今産めない」とか言う話は…,社会の雰囲気とシステムの気がします。これは少子化の原因と一緒だと思うのですが,子供を産み育てる事に対して追うリスクがやたら高い社会になってしまってます。これって進化論的には既に負けの状態で,種が滅んでも仕方ない方向に向いていると思うんですが…どうしてそこを根本的に見直そうとしないんですかね?。わたしはいっそのこと,「別に子供を産んでも本人が育てなくても構わない」とかいう社会もありかと思ってるんですが。いや自分はそういう風にしようと思ってませんけど。念のため(^^;)。
強姦されて妊娠した場合…について書かれてるのも読みましたが,それについては変なことを書くと,強姦を認めるのか?と誤解されそうなので書きません(^^;)。ただ例えば「ヨハネスブルグ」みたいに強姦が多い社会はその辺,どうなってるんだろう?…と思ったりもします。

…と何か取っ散らかってしまいました。すいません。
いずれにせよ,この問題も最近一人言に書いたような脳化の問題のような気もします。進化論的に考えると,生き物は子孫を残すことが最優先事項なんですけどね。それを曲げてでも個人の幸せや豊かさや生きがいを求めてしまうのは,あくまでもその個体が救われるだけ。それでいいんかね?…って気がしないでもない。でも自分の幸せを望むのも事実…。人間ってやっかいな生き物に進化してしまったなぁ…と思います。やっぱり滅ぶのかなぁ…。
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脳化の弊害,その2:特別じゃないなにかに価値をおかない

2006-06-28 14:02:39 | ココロ
前回は「誰かのせいにしないと納得できない社会」というのは脆弱では?ということを書きました。今回は前回の最後に書いたように「自我の膨張」について書きたいと思いますが,もう少し具体的に書くと,昨今の「誰でも出来るが,誰かがやらないといけないこと」の軽視に対する懸念です。

…と書いてしまえば終りなのですが,つまり今の人は「特別な何か」「誰にも出来ないことを出来る」って事に妙な価値をおいていて,普通の人になることを価値が低いとみなしている様に思います。有名な「オンリーワン」にしても「特別な人」です。ナンバーワンという「特別」じゃないにしてもいずれにせよ誰もがなれるものではありません。そうじゃなくても「普通の人でいいじゃないですか,いけないんですか?」という事を更に言いたいわけです。

というのは,世の中というのは特別な人だけでは回らないようになっていて,普通の人が普通のことをするのが物凄く必要なのです。つまり「普通」というのは「必要」という意味で価値があるわけです。これは「超バカの壁」で養老先生がおっしゃってますが,仕事というのは道に空いた穴を埋めるようなものだ…ということです。つまり誰もやっていないことをやるのではなく,必要とされていることをやる。その場合「別に自分でなくてもいいのだけど,たまたま自分がいたからやる…」でもいいんじゃないか?…ということです。

言われてみれば,それでいいはずです。必要なことですし,誰かがやらないといけないのですから,感謝されることはあっても卑下されることは無いはずです。なのになぜ,誰でも出来ることをやるのが低く見られるようになったのでしょうか?…。

元々人間は「何か」になりたいという欲求を持つように出来ているとおもいます。それはおそらくは親離れするために必要な本能で,幼少時代の親と自分の同一視から,親を切り放すために,新しい「何か」になろうとする。だから思春期の青少年はその欲求が人一倍強いわけです。しかし昨今の自意識の膨張は,単に親から離れるために必要だった,脱皮のエネルギーが周囲からもたらされる過剰な情報を飲み込んで回し始め,その結果,親だけではなく,社会からも,そして自分からも乖離した新たな何かを目指そうとするようになってしまいました。自分しか出来なくて,そして誰もがその価値を認めるような「ナンバーワン」や「オンリーワン」を目指すように…。

その事自体は,それによってその人が潰されないのであれば,悪いこととは思いません。人は自分を自分以外の何かにしたい…ということをエネルギーにすることができます。しかし,誰もがそれを実現出来るわけではないし,いつまでもそれを続けていけるわけじゃない,そして,誰もがそれを目指すと社会は崩壊するわけです。その時に「普通」に生きることを選んだとしても本来はそれを低く見る必要は無いでしょう。だけどそうじゃない風潮が広がっている,その結果,「特別になれなかったのに普通にもなれない」ニートや引き籠もりが増えてきてるのだと思います。

昔は「身の丈」…というありましたが,身の丈にあった事をするのはそんなに悪いことじゃない,むしろ生きていくための知恵として認められていた気がします。しかしいつのまにか,そんな生き方を奨励する人は減ってしまいました。自分を特別と思うことは間違ってません。しかしその自分の特別さを社会に認めさせたりしようとすると無理が来ます。人はそもそも一人一人が特別な生き物ですが,それでも普通に生きていくことも重要なのです。それが出来ないとしたらそれは自我の膨張が無理な次元まで進んでいると言えるでしょう。自我の膨張は,「誰でも出来ること」という様な具体的な行動や役割以外にも,個人の規範を脆くして,いろんな行動に悪影響を及ぼしている気がします。

今回は,役割について書きましたが,脳化そして自我の膨張が他に弊害をもたらしていることについては,また書くかも知れません。とりあえず,今回はこの辺で…。
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健康に対する疑似科学

2006-06-27 10:07:08 | 所感
TVのニュースが妙に停滞してる様な気がするのは気のせいでしょうか?。一週間くらいずっと同じネタをぐるぐる回している気がするのですが…。W杯,秋田の事件,最高裁による無期懲役の差し戻し裁判,福井総裁,イラク撤収…などなど…。ちょっと飽きた…。と思っていたら,なんか今朝誘拐のニュースやっていて,驚いた…,顔出しが…。

というわけで時事ネタおいておいて,別の話。
巷にはびこる『健康情報』50のウソ・ホント」って文章。民間療法というか,疑似科学というか,そういうのの効用を一つ一つ専門家に聴いているという。なかなか興味深いです。
全部取り上げるのは大変なので,幾つかピックアップすると,「水をたくさん飲む」,「足裏」,「磁気」,「アルミ鍋で認知症」,「玄米」,「粗食」,「酢」あたりは一応わたしは信じてますけど(笑)。もっとも水は元々便秘気味なので,それを解消するという意味で(笑)。
モーツアルトについては何度もかいてるのでパス(笑)。まぁストレスが下がるって人はいいんでは?:-p。肝硬変がアルコールじゃなくてウィルスが原因がほとんど…って話は最近良く聞きますが,でも合わせ技でなりやすい…って話はないのですかね?…。本当にアルコール関係ないのならもっと飲めますけど(^^;)…。あとビタミンCについては,自分は飲んでるので飲みすぎると癌になるっていうのはどうなんですかねぇ…。
その他いろいろ書かれてますが,効果が証明されてない…っていうのが,本当に効かないのか?…っていうのは別の話だと思うので,効果が証明されてないから…っていって,迷信…って決めつけるのもちょっと疑問だったりします。まぁでも一つの手法にこだわって…それを集中的にやるっていうのは,ちょっと問題かなぁ…とは思うので,適度に幾つかをやるっていうのは,それは一つの食習慣になると思うので,まぁいいんではないかと思ってますけどね…。
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脳化の弊害,その1:誰かのせいにしないと納得できない社会

2006-06-26 09:22:53 | ココロ
全然たいした話じゃないし,タイムリーな話じゃないのですが,ここらで一言…,いや二言か…書いておきたい事があります。書いておきたいのは当たり前のことのようなのに,なぜかそれが当たり前じゃなくなってきてる気がするから。なぜそういう風に考えてしまうのですか?…という気がするから。つまりちょっとした警鐘ですが,この警鐘が警鐘で済むのか,ますます進むのか,元に戻るのか…,今後気になるところです。

もったいぶりましたが二ついいたいことがあって一つ目。

最近すべてのことに対し「何か(誰か)のせいにしないと気がすまない」という風潮が急激に強まってきてる気がします。特に誰かが不利益を被ったときに,その被った原因を誰かのせい…という風にしてしまい,わかりやすくいうと訴訟する…ということです。
それが異常に感じる一番の状況が医療訴訟です。病院に行って何かの医療行為を受け,その結果障害を持ったり死んだり…した場合,それを医者や医療機関のせいだとして賠償を訴えるというもの。
これを正当な事だ…と思う人も多いのではないでしょうか?。でも以前は医者に行って亡くなってたら,「手におえなかった」ということになっていたのではないでしょうか?。それが今は医療事故だったり医療ミスだったり,さらに医者がちゃんと対応しなかった…って事まで疑われ,下手をすると訴えられます。
もちろん患者の家族にとって患者は唯一の大切な存在であり,その病状が悪化したり亡くなったりしたら納得できないのはわかります。ですが,医者というのは一日に何十人もの患者を治療していており,家族と同じように気をつけることは不可能です。また医者というのはそもそも正常じゃない人をみるわけですから,必ずしも病状が好転するわけではなく,その医者が施した治療以外の事もその病状悪化の多くの原因になってると思います。
こういう警鐘を出すのは,医者のなり手が減ってきてる…という事が一つですが,そもそも医者に限らず,警察にしても,教師にしても,リスクの大きい職業に携わる人たちが,収入面の優遇も減り,なおかつそういう不具合の原因とされてしまう傾向が強まっている事の異常を感じるからです。
そもそも以前は,自分や自分の家族に何か不具合があっても,それは運命だったり,状況によるものであり,誰か一人にその不具合の原因を求めることはおかしな事…という考えだった気がします。ところが今はたとえ事故で誰かが死んでも,それを気づかなかった教師やちゃんと捜査をしなかった警察が訴えられる…という様な風潮が強まってきてます。
これは単なる「訴訟社会」が強まった…という見方も出来ますが,それ以上に「世の中が(自分の)頭で理解できるように動いている」と勘違いしている人が増えているという事ではないでしょうか?。物事には因果関係があり,しかも論理的に説明できるように動いている…と思ってる人が増えている様に思います。もちろんこのことは必ずしも間違いとはいいにくいのですが,因果関係をもつすべての事象を人間が観察することは現状不可能なのですから,それを解くことは出来ません。そしてもう一つ,その理解出来るはずという思い込みが進み,普通にしていれば自分に対して不具合は発生しない…と思い込んでいるので,不具合が起きたときに何者かの悪意が介入してきた…と思い込むことです。
なぜそういう風に現代日本人が考えるようになったかというと,一つは科学信仰が進んだこと,そしてそれゆえに脳化が進んだということでしょう。自分の理解できない因果が存在すること,そしてそれを昔は運命とか神様の思し召し…だとかいう風に理解していたのを理解できなくなったことでしょう。
わたし自身はそれを弊害だと考えます。なぜなら自分に起きることは予測できない不条理なものが多く,それを理解しないと受け入れられないという精神状態は脆弱だと思うからです。現在,天災だけは人のせいにされず,運命として受け入れてますが,そのうちそれも出来ない日本人が出てこないか心配です。

今回は脳化による弊害としての「因果の誤解」について書きましたが,もう一つの弊害である「自我の膨張」については,また後日書きたいと思います。
つづく…。
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イラク,自衛隊撤収

2006-06-22 15:48:25 | 時事
イラクから自衛隊の撤収決定しました。よくやった…と言っていいのかな…とちょっと思う。派兵自体は政治の問題ですが,実際にイラクにいった自衛官は,誰も死なず,誰も殺さず…という意味では良かったと思います。国際社会のために行ったので,イラクや欧米の人たちにどう思われているかが重要なので,日本国内からみてもわからないといえばわからないのですが…。

アメリカにいわれるがママに派兵したことの是非はあるとは思いますが,治安維持活動をしない「危険地域での土木活動」というのが自衛隊のスタイルであることを示せたとおもう。

もちろん政治の問題としてはアメリカの言いなりだったということはあると思います。結果的にイラク戦争はアメリカとイギリスと日本によって進められたといわれても仕方ないようなものだったのかもしれません。その辺は日本人としては忘れずにいなければならないでしょう。極東の融和を模索するより,アメリカに擦り寄ることで,極東の緊張感をますます高めたという評価をされるかも知れませんが,極東の緊張は,日本だけの問題ではなく,むしろ日本がどう努力しても解決する問題でない以上,欧米の様な他地域の強国との協調を強めておくのは仕方ないことかと思います。

ただその辺のやり方はあくまでも臨機応変にやっておくべきで,そういう意味では安部氏が自衛隊の派兵を恒久法にしようとしているのは,ちょっと違和感を感じました。この辺は,これからの議論でしょうが…。
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寄付の社会

2006-06-21 06:43:48 | 社会
村上氏逮捕の話の時に,わたしは「税金だけじゃなくて寄付もしないとね」みたいなことを書きました。一方でビルゲイツがマイクロソフトを退き寄付財団に専念するという話から,いろいろ聞いていると日本ではトヨタ級の企業でもほとんど寄付してない…という話を聞きました(また聞きなので信憑性はわかりません)。
なので,相変わらず考えが浅くて申し訳ないのですが,寄付がある社会と寄付がない社会というのをちょっとだけ考えてみました。

金持ちの寄付が当然という社会では,逆に言うと寄付を当てにされている社会なのか?…という疑問が浮かびました。もし国が十分に社会福祉が出来ていれば寄付は不要という事になるのかもしれません。一方寄付は税金のように何に使われるかわからないのではなく,使用用途がある程度見えますので,国が税金を使ってやっていて,手が足りない…と思っている部分に意図的にお金をつぎ込むことが出来ます。もし国の施策で十分に福祉が充実してないと思えば,そこの部分に寄付でお金をつぎ込むことが出来るわけです。
アメリカは医療保険とかの話を聞いても,国による福祉が日本ほど充実してないので,寄付が必要とされる社会なのかもしれません。
一方で寄付というのはある人や企業が意図的に団体にするので,その寄付先が何か問題を起こした場合,寄付した人まで責任を問われるというリスクもあると思います。それが嫌ならユニセフや赤十字のような大きな団体に寄付することになりますが,そうなると税金と同じく,使用用途がかなりぼけるようにも思います。寄付していた団体が,不正で捕まったら,寄付していた方まで責められるような風潮が,今の日本にはあります。昨今のライブドアとか村上氏を応援したとかいうだけで,政治的責任を問うような人がいる社会では,実は人にしても企業にしても寄付というのはしにくい社会なのかも知れません。

というわけで,日本の企業が寄付を渋る…っていうのもちょっとわかった気がしました。ただいいことをするのにも後ろ指をさされかねなく,結果として福祉をお上にしか任せられないっていうのも,どうかねぇ…という気はします。日本は災害とかがあると一般の人に寄付を求めますが,そういうときですら,お金持ちや大企業がいくら寄付したという話が全然聞えてきません。いや実際はしてるのかもしれませんが,してないとすれば,困ってる人は困ってる人同士で助け合え…って言ってるようで,なんか釈然としないものを感じます。
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不況脱出を否定する人々

2006-06-20 07:28:15 | 時事
TVの話なのでWebでリンクできなくて残念ですが,この週末の報道系バラエティは,笑えたので,しつこいけど書きます。日銀総裁の村上ファンド投資の話。

なにが可笑しいかというと,総裁批判話として,「総裁が村上ファンドに同調して投資した」→「日銀が村上ファンドに都合の良い施策(量的緩和?,ゼロ金利)をした」→「村上ファンドは儲かった」→「総裁も儲かった」→「我々は損をした」→「けしからん」というもの。この「損」については「銀行にお金を預けても全然利子がつかなかった」というのを指すらしい。
ちょっと待て,餅つけ…って感じです(笑)。ここで言う村上氏に都合の良い施策…ってなんだ?。株価が上がること?…って感じでしたが,株価が上がったのは良くないことだったんですか?。日経平均が1万を割って,現在1万5千円までなったのは,良くないことだったんでしょうか?…。そこを全否定するのですか?。
ちなみにWebとかでは言われてますが,総裁がファンドに投資した99年からしばらくは株価は急激に下がってます。確かにその後,株価は上昇に向かいましたが,これは不良債権処理が済んだから…だったと思います。そして銀行は息を吹き替えし,投資が進み,企業の株価も上がり,企業価値も上がって,就職氷河期もようやく終わった。これを全部否定するのか?…と驚きました。株価は下がる一方,だけど金利は高い…っていうのが望むべき施策だったというのでしょうか?。
総裁が株に投資していたから株価を上げる施策をしたのかはわかりません。ファンドに投資していたから儲けるように頑張った可能性はありますが,それは多くの投資家,企業経営者も望んだ事じゃ無かったんでしょうか?。少なくとも村上ファンドが持っている株だけを上げるなんて不可能です。結果として日本は不況を脱出したと思うのですが,それを批判する人がいるとは驚きました。
というか,自分達がいってることはそういうことになる…って言うのをわかってない馬鹿さ加減と,それを視聴者も同調すると思ってること自体に驚きました。
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ソフトの故障とハードの故障

2006-06-19 14:09:18 | 時事
先週末のニュースですが,シンドラーのエレベータのプログラムにミスがあったという話。人が死んだエレベータとは別…とのことですが,トラブルが起きていたエレベータにはやっぱりバグがあるものがあったと…。
まぁ人が作ったものなのでバグはあるでしょう…って気はしますが,調べてみたらあった…っていうのは,トラブルがあったことをこれまで知らなかったのか…という気はします。それと…やっぱり試験が十分じゃないのかしら?…とか。
バグがあったとすれば,別にエレベータが古いから…とかは関係なくて,異常な動きをするってことでしょう。その他にも機械は古くなって異常になる場合も結構あるので,最初,わたしはそっち(ハード故障)かなぁ…と思ってました。パソコンとかも壊れるのってソフト的に壊れるというよりはいろんなデバイスが古くなって,おそらく異常を発するようになって,それでソフト的に対処出来なくなる。そういうことの方が多い気がします。だからたとえディスクを交換してOSを入れ直しても元には戻らないと…。
どうもコンピュータとかを使っていると,異常はソフト…っていう感じについ思ってしまいますが,やっぱりものが壊れるときってハードから…って気がするので,もの作りって大事だなぁ…と。ソフト面では日本はそんなに突出して品質が高い…という気はしませんが,ハードの品質はやっぱり日本製はいいので,やっぱり安いから…って海外製を買っちゃうと壊れやすいとか,そういう情報機器でもあるように思います。
…で,どうなんでしょうね?,今回のエレベータ。別にハードの方は日本製も外国製もその辺の品質は変わらないのかなぁ…と。アメリカとかでエレベータに乗るとずいぶん大味な感じですが…。
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時事雑感…どうもイマイチ…同じことを繰り返してるようで…

2006-06-16 10:43:21 | 時事
うーん,どうもイマイチ,ニュースとかを見ていてもなにも感想が浮かばない。TVはサッカーの話題に一生懸命だけど,今回はスイッチが入らなかったせいか,あまり気にしてない。「日本とブラジルの対戦で日本が勝つ確立は○○%」とか聞くと,「それって重ねあわせの状態ですか?」とかわけのわからないのがあたまに浮かぶシュレーディンガー状態(嘘)。

福井総裁の件はもうどうでもいいです…って感じですが,リンクにある総裁の経歴を見て,ずっと日銀畑だったのね…と知りました。公務員だったら1000万って結構大金だと思うのですが,民間にいたときは結構もらっていたって事ですかね?。下世話な話といえば下世話ですが,民間大企業や団体の幹部の給料と,高級官僚の給料を比べると当然官僚の給料はそんなに高くないのではないですかね?。どう考えても公務員が億のオーダの年収を得てるとは考えにくいのですが,この辺の認識甘いですか?。更に民間と言ってもアメリカだと数十億稼いでいる幹部が平気でいるらしい。何がいいたいかというと,公務員イジメしすぎ…ってこと。どうみてもそれらってヒガミでしょ?。

それから話が変わりますが,先日疑問に思った共謀罪は秋の国会で継続になったようですが,条約云々の話は間に合うんでしたっけ?。

政局の話は…,まぁ例によってだらだらとやってますな。時間経つと結構情勢が変わってきたりするところが自民総裁選の読めないところですが,マスコミはいつのまにか安福に絞ってしまったようです。麻生さんはどうなるやら(笑)。

で,政局…でもないのですが,横須賀市長が原子力空母の受け入れを容認というニュースを聞いて,沖縄や岩国とは偉い違いだな…と。わたしは横須賀市民だったことが2年間だけありますが,意外にTVでは小泉首相が横須賀の選挙区であることを強調しないのですよね。小泉さんの親米路線が実は単なる地元への利益誘導じゃないのか?という疑念は感じているのですが,小泉さんの人気もそろそろ終わるので,その辺の話はそのうち書いてみようかな…とか思ってます。X-Japanの話とかも…。

…と書き散らしてすみません。
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