たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

オイルショックとトイレットペーパー

2006-03-31 17:28:05 | 歴史
昨夜NHKをつけてたらオイルショックの頃のトイレットペーパ騒ぎの話をやってました。この騒ぎの頃わたしは小学校に上がって間もなく…って感じだったのかな?…。一応おぼえてます。母親に連れられて「一人○個限定」のトイレットペーパーを買いに行きました。
ちなみに当時はトイレットペーパーじゃなくて「ちり紙」っていうのがあって,それも番組で出てきましたが,あれって最近売ってないのですか?…。ティッシュじゃなくてアレで十分な場合もあるんだけど…。ちり紙の前は本当に古紙でお尻を拭いていたそうです。へぇー…。
で,なぜオイルショックがトイレットペーパー不足になるのか,今考えても全く良くわからないのですが,番組中はデマだった…って感じでしたね。大阪で起ってそれが広まったと…。正直どういう風に広がってどういう風に収束したかは当時のこと良く思い出せないし,番組観ても良くわからなかった…って気がします。まぁお酒飲んで観てたので細いところ良くわかりませんが…。
でも当時の様子を聞いていろいろ興味深かったです。水洗式のトイレが普及し始めたばかりで,トイレで布おむつを洗って,誤って流してしまい団地全部のトイレが詰まったりしていたらしい…イヤぁーすごいなぁ…。まぁつまり水洗トイレとともにトイレットペーパーが急速に普及したってことらしいんですが,その辺の勘所がなかったので,紙不足で大変…って感じになったということでしょうか?。
というわけで,結局良くわかりませんでしたが,当時の様子を思い出して,そういえば結構今に比べれば貧しかったよなぁ…とか思ったりも。そして自分が生きていた時代が白黒映像で映されるのを観るのって,何か違和感あるよなぁ…と感じてみたり…。あそこに本当に自分はいたのか?…と…。
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社会的制裁

2006-03-30 18:44:01 | 時事
朝起きてNHKのTVニュースを見ていたら,姉歯氏の耐震計算偽造の最後の物件がわかった…ってニュース。それはそれで,(わたしは当事者じゃないので)ふーん,という感じですが,その前の日に姉歯氏の奥さんが自殺っていうニュースをWebでみて驚いていたので,その話もTVで出るかと思ったら,こっちはスルー。自殺の方はゴシップってことなのか?…と思ったりしたのですが,民放のニュースでは扱っていたのでしょうか?。

まぁ姉歯氏がやったことは,そう簡単に許されるような話では無いし,奥さんに関しては以前から病気ということで,自殺しやすい状況だったのかも知れませんが,まぁでも普通に考えれば,姉歯氏の犯罪と…それを扱うマスコミとに無関係じゃないよね…。後味が悪い話の気がしますが,別にこういう事件じゃなくても,関係者がマスコミや世論に押されて自殺することは,幾らでもあり得る事,過去にもあったし。でも普段はそういうこと意識して取材したり,傍観したり…はしてないよなぁ…,等と思いました。
「社会的な制裁」とかいうけど社会的な制裁って自殺に追い遣ることなのか?。被害を受けた当事者が怒って攻め立てるのはわかるけど,全然関係ない第三者とマスコミが追い詰めて家族を死に追い遣る…っていうのは,どうなの?…。社会的制裁ってリンチのこと?…。等と思うけど,まぁでも,今後もこういうことは続くのだろうし,わたしもゴシップをみて,ああぁこうだおもって,またここに文章を書くこともあるんでしょう。

自分が人を殺しているかも知れない…っていうことは,ちょっとは意識した方がいいのだろうか?…という気はしました。
でもNHKのスルー(他の報道番組では取り上げていたのかも知れませんが…)にはちょっと引っ掛かったんだけど…。
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判決が決まってる裁判

2006-03-29 11:28:14 | 時事
麻原彰晃こと松本智津夫控訴棄却ってことがニュースで話題になっていました。最高裁ならともかく二審への控訴棄却ってどうなんだろう?…と思ったんですが,弁護側が時間引き延ばしとか,そういうことでちゃんとやってないので,まぁ仕方ないと言えば仕方ないのか?…,でも松本被告の意思はどうなってるんだろう?。死刑になるのはあんただよ?…。まぁ涅槃にいけると思ってるのかもしれませんが:-p…。
弁護人というと先に最高裁を欠席した弁護人の話とかを読んでいても,どうも原告被告ではなく,弁護士が勝手に思想を持って裁判を振り回すケースがあるように思うんですが,これってどうなんでしょうか?。おのれの勝手な死刑反対思想のために多くの人の労力が無駄に消費されてるっていうのをみると,これも一種の犯罪ではないか?…とか思ったりもするのですが…。
まぁそういう裁判を私物化する弁護士の話が今回のメインではないので,置いておいて,今回思ったのは松本被告に死刑以外の判決なんてあり得るんだろうか?…ということ…。

宮崎勤の裁判の話を聞いてるときも,まぁ松本被告とは違って,宮崎勤には若干の情状酌量の余地があるのではないか?…という気がしたのですが,でも世間を騒がせた大きさからして,死刑になったのではないか?…という気がしないでもない。あそこで死刑以外の判決が出たら,物凄い議論になっていたと思います。
もっともわたしは死刑反対論じゃじゃないし,日本の「犯罪人を更正させるための刑法」の考え方には若干の疑問があるので,冤罪じゃないのであれば,重罪にすることにさほど抵抗はありません。まぁ冤罪の可能性があるときは慎重にすべきでしょうけど。
そういう意味でいうと,松本被告に冤罪の可能性があるんでしょうか?。彼が指示したと言うのが明らかであれば,そりゃ死刑でしょう。本人は信者が勝手にやったと主張はしてるようですが,あれだけの犯罪をする団体をつくったという意味でも,その責任は大きくて,それなりの極刑な気がします。

と思ったら勝谷誠彦氏は真相を明らかにするために裁判をすべしとのことで,あぁーオウムの裏に別の団体の陰を感じているのか…。でもそれって裁判で明らかになるかなぁ…。とか思ったりも:-p。
いずれにせよ,裁判は世論に押されて判決を出すことがあるんじゃないか?…という気がしないでもない。でもそれは法治国家としてはあってはいけないことなんですけどね。ただ以前は行政に味方する形で,世論に合わない最高裁判断があったりして,それもそれで良く問題視されてましたが…,要は司法の独立性と,裁判官の良識・見識はどうなってるんでしょう?…ってことです。世論に判決が押されるって言うのは,つまりマスコミに判決が押される…って事になるのでしょうから。
ちなみにわたしは犯罪者を精神鑑定して,異常があったら罪が軽くなる…っていうのにも引っ掛かるんですが,まぁ現行法がそういう思想だから仕方ないと言えば仕方ないです。法律って決して常識に照らし合わせて出来てるわけじゃないので,いろいろ納得行かないところはあるのが当たり前なんでしょうけど…。
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量子的自我

2006-03-28 14:15:48 | ココロ
404 Blog Not Foundさんのところに「量子的自我」と言う言葉が書いてあっておもしろかったです。自分が観測される度に変わるとか,コミュニケーションで確認される…って話はいろんなレベルで言えて,「自我」を「考え方(意見・立場)」とすることもできるし,「存在」そのものとすることもできます。そう,自分の存在が他人との確認の中でしか存在しえない…っていう考え方自体は,以前から哲学の考え方の中ではあったはずです。わたしも「そうなのかもしれんなぁ…」とか考えることもある(わたしはよく観念論的な袋小路に入り込む)ので,コミュニケーションの中で自我が確立する…っていう話自体は,そこまで新しい概念かと言われるかと…。まぁここで言われている自我は存在よりは考え方とか意識の方が近いかな…と。そういえば集団的意識みたいな話も,以前からあったように思う。
というか,こういうやり取り…というのを「量子的」って呼んだのがわたしには新鮮に感じたのでした。そういえば,最近いろんなところで「量子的」って言う言葉が便利に使われてるなぁ…って気はします。そうか量子的…って言葉を使うと今風なのか…って(笑)。

話をそらしますが,わたしの仕事はまさにコミュニケーション(=通信)のための技術を作ることなので,人はコミュニケーションの中に何を求めているか?…というのは,しょっちゅう考えているのですが,「量子的」っていう側面でいろいろ考えてみようかな?…と思いましたよ。そういう意味じゃこの概念はなんかの役に立つかも:-)…。
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格差と核家族

2006-03-24 16:43:46 | 社会
先週末にいくつかの報道系バラエティを観ていて,格差社会が話題になってました。
ウェークアップ+では,福島みずほ,松原聡,舛添要一,江川紹子,勝谷誠彦,金美齢,橘木俊詔という面子で討論をやっていて,面子の妙でしょうが,「格差が悪いわけではない」って話が進むところがおもしろかったです。福島女史だけが「悪い」って言っていて,むしろ薄っぺらに感じるくらい(笑)。松原氏が「格差が悪いっていうといい人で簡単ですよ」って言ってるのが,もう社民党とかの「綺麗事ばかり言ってるけど実現性が無い」っていうスタイルをあぶりだしてるようで(笑)。「格差」の対極で「悪平等」を出していて,どっちがいいですか?…っていうのはレトリックな気がするけど…。
そういうのに比べるとサンデープロジェクトは政治家同士の討論で,むしろ野党が元気だったのですが,前の日に上の番組を見ていたせいもあって,「政治家の方が薄っぺらで,非現実なのはどうしたものかなぁ…」って感じで冷めてしまいました。

というわけで,格差社会も単純な話じゃなくて…単にいい悪いというより,いろんなケースを見てどう対処していくのか?…というステージに入らないと,単なるガス抜きになるでしょう。
そういう意味でいうと,最近はまた新卒の求人が増えてきてる様ですが,不景気の頃に就職難で正社員になれなかった人が,現在大量にいるわけです。先日学生とかと話していても,学生って生まれた年で,こんなに運命が変わるかなぁ…とか思ってしまいましたが,そういう煽りを受けた人達のことを考えていたら香山リカさんが貧乏くじ世代という言葉を使ってるようで,なるほどなぁーと。
バブルが崩壊して雇用の流動化が始まったときに,これからはアメリカみたいに転職してキャリアを磨く社会がくる…みたいなことを(リストラの正当化として)言われた気がしますが,結局10年経ってみたら,確かにIT企業とかはそういう部分がありましたが,まだまだ中途採用を取る大企業は少なく,やっぱり正社員になれなかった人は苦労してるわけです。どうするんでしょうね。この辺の人達の救済策は…。
もっとも,不況が収まったら,その歪みを背負った人達の事を考えるっていう文化は,もっと荒れてる国を考えるとまだまだ健全というか,そもそも格差が問題になる…ってこと自体が日本という国のやさしさを感じないでもありませんが…。
核家族じゃなくて,何世代もからなる大家族だと,ある年代の人が不利益を被っても,家族全体ではそれを吸収できるわけで,やっぱりここでも核家族の弊害…っていうのが顕在化してる気がします。少子化とかDVとか年金とかそういう問題ってすべて核家族だから顕著になってる気がします。日本人のメンタリティがそもそも核家族に向いてないって感じも。
いまから急に大家族制に向かう…っていうのも無理があるとは思いますけど,要は相互扶助は家族で行っていた文化なのでそれを社会に求めるっていう意識やシステムが妙に下手なんでしょう。慈善団体を育てるような宗教もあまり目立たないし…。その辺を意識していかないと,結局はその場しのぎにすらならない政策ばっかりになる気がします。

大丈夫ですかね?。
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PSE法反対デモ

2006-03-23 18:40:43 | 時事
先の土曜日近所でPSE法に反対するデモがあったので参加してきました。写真には写ってないようですが…。

わたしは過去に何度かデモとかには参加してるのですが,今まで出たデモに比べると,今回のはかなり素人で,どうもみていて危うい感じ,結構参加して辛かったです。
まぁ今回の主旨は中古販売をしてるお店の呼び掛けで,さらに「中古家電が買えないと貧乏人は困る」という主旨だったので,つまるところ「オレ達は貧乏人」という感じで,貧乏人という自覚がないわたしはどうも賛同しにくい…。というか声を出す人たちが,怒号だったり,下手な音楽弾いたりとかで,ちょっとなぁ…と。デモの時にならす音楽って重要なんだな…と思いました(笑)。
ついでに言うと,天下りとかはわたしは問題視してないので,そういう論点を出されると引くとか…まぁいろいろあるのですが,でも話題性を上げるためにたくさんの人が参加した方がいいよな…という意味で参加したのです。

いまPSE法の問題は一部ビンテージ楽器を除外する…ということが言われたこともあり,かなりわかりにくくなってると思います。TVのニュースでダイジェストで取り上げるのではなくて,メインのテーマとして掘り下げないと,どうしてこの法が欠陥法なのかが良くわからない。だから話題性を上げたいというのが,わたしにはあります。
確かに安全な家電を売るべきというのはわかります。しかし5年前の基準と今の基準にそれほど差がないのに,今の基準じゃないとダメなのか?…,本当に安全を言うのであれば,それこそ車検の様に定期的に検査すべきではないか?とか思いますし,販売店が製造業として検査しなくてはいけない…とかいうのはどうかと…。

わたしが反対してるのは貧乏人で困るというより,単純に大量の使える製品がゴミになるのが非常に気持ち悪い…という点だけです。エコ馬鹿なのでこういうのダメなのです。
経済産業省では,中古販売店に検査機を貸し出して…というのを指導してるようです。たしかに販売店が検査してリスクを背負う…というのもあるかも知れませんが,もし販売店がリスクを背負うなら,保険とか,そういうシステムが無いと,いざ何かが起きたときに販売店が本当に保証できるかわからない気がします。そういう体制の不明瞭さもあり,本当に4月からやるの?…っていうのが正直な今の気持ちです。
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WBC日本優勝

2006-03-22 16:40:26 | 時事
昨日は春分の日で休日ですが,WBC決勝戦ということで,昼間はTVで野球観戦でした。結果日本優勝はご存じの方がほとんどかと思いますが,ゲームとしてもとても面白く,非常に観てて充実してました。
というか,終わってみたら日本のためのようなWBCだった様に思います。二次リーグ2敗して,もうダメか…とほとんどの日本人が思った中で,アメリカの敗退の失点率差で決勝リーグ進出。その後の韓国戦では今大会2度も負けてるのに勝ち,そして今日キューバにも快勝。というか,決勝が春分の日にあるって事自体が,どうみても日本向け。普通アメリカでの試合なんって夜中か昼間にあって,平日生で観られるなんってあり得ないのに,日本の休日に合わせて決勝戦する…っていうのは,どういう事ですか?(笑)。
二次リーグを通過できたのも失点数だとアメリカと同じだったのが,裏表の関係でイニングが違っていたという僅差。これも組合わせや裏表が違っていたら出られなかったわけで,あらゆる意味で日本の優勝を盛り上げるために一度絶望のどん底に落しようにすら見えます(笑)。
まぁそういうハラハラ感もあっておもしろかったし,それだけ各国実力が拮抗しており,おもしろかったのでしょう。
キューバ戦も数字だけ観ると日本の圧勝ですが,1,2点差だとあっという間に逆転できるのを見せ付けたキューバに本当に最終回までハラハラのしっ放しで,リードしてるのに気を抜けないという観ていて本当におもしろい試合でした。
今回は日本のチーム編成も多分奇跡的に良くて,王さんが監督をしてるのもあり,国際的な認知が高かったり,イチローもアメリカでは高く評価されていたり…と。というかイチローがいるおかげで,日本の他の打者が長打狙いじゃなくて,繋ぐバッティングを実践できたというのもあるんでしょう。世界のイチローが進塁打を狙うので,他のロングヒッターもそれに習ったと…。そういう意味でも,他のメンバー構成だとこうなったかどうかはわかりません。日本が世界一になったのはたまたまだった様な気がしますが,それゆえにとても面白いゲームだったと思います。
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睡眠

2006-03-19 10:01:58 | ココロ
別途感想をアップした「無思想の発見」という本ですが,この本には睡眠についてもちょっとだけかいてありました。睡眠は起きているときに脳に溜まった無秩序を整理するために行っていると。起きてるときにいろいろ考えたり感じたりすると,脳の中に秩序(情報)が出来るが,エントロピー保存からいうと同時に無秩序が溜まっているので,それを片付ける必要があると。図書館の本にたとえてました。調べて散らかっているから寝てる間に片付ける必要があると…。
睡眠が記憶の整理のために必要…というのは以前から言われていて,まぁ無秩序が溜まっている…という表現はおもしろかったのですが,睡眠が脳のために必要…というのはそれほど新しいことではありません。自分も長い時間起きていると,頭に何かが溜まっていく…という感じがして,寝て起きるとそれがなくなってるって感じがします。無秩序というより,なんか神経伝達物質の廃棄物でも溜まってるのじゃないのか?…と感じることもあります…。
でも,無秩序を片付ける…という表現がおもしろかったので,もう少し考えてみます。ここでの疑問は,じゃぁなぜ片付けるために寝ることが必要なのか?…と。寝るというのは無意識になる…という状態です。
人間は起きている状態では,ほとんど常に五感からの刺激を感じ,その結果何かを考えたり感じたりしてます。もちろん外部からの刺激がなく内部で考える事も可能ですが,感覚遮断でも行わない限り何かしらの感覚を得てます。入ってきた感覚は脳のなかであるいくつかの神経を伝わり,その伝わるパターン自体が,それを「感じる」・「考える」と言うことになるのでしょう。同じ刺激を受けると似たようなパターンを通り,同じ刺激であることを認識しますが,同時に初めての時と,二回目では,感じ方も違います。感じたこと,考えたことは記憶として残りますが,初めて感じたときと,後で記憶となったときが同じ部分に書き込まれている(パターンとなる)のかは良くわかりません。でも同じような気がします。
さて次に,後でその時感じたもの,考えたものを思い出すとき,それが「今感じている」のか「過去の記憶か?」というのを混乱したりしないのでしょうか?。普通はしません。普通は思い出しても五感からの入力がないからでしょうけど,記憶は記憶として思い出します。今の現実と混乱するとしたら,どこかに異常があります。でも記憶を現実と混乱するのは夢の中ではあり得ます。夢は大抵記憶からつくられますが,体験として感じますから。
もしその日に体験したことを,何らかの事で,記憶に定着させる事が必要で,その事を寝てる間にやってるのかもしれません。でも起きてる間にもちょっと前のことは記憶してます。しかし起きてる間におぼえておける事は限られているのかも知れません。だからそれがいっぱいになると寝て,他の手段で記憶を定着させる。その時にもし起きていたら,現実の認識と混乱するようなことをやってるのかも知れません。もしくは起きてるときに記憶を一時的に保つ何かが働かなくなり,その時に何かを経験すると大変な混乱になるのかも知れません。
だから,寝るのかな?…,無意識の間にしかできないことをやってるのかな?…と思いました。動物も寝るので,文字じゃなくて感覚自体の記憶もそれで整理してるのでしょう。
寝てる間も脳は起きてる間と同じくらいの酸素やカロリーを使ってるそうです。何やってるのかなぁ…とそういう思いを巡らせてみました。あまり答えになってませんが…。
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無思想の発見(養老孟司著)

2006-03-13 13:45:55 | 書評
大変おもしろく意義のある本です。わたしは養老氏のファンで著作は結構読んでいるのですが,それでもこの本はある意味がある気がします。最近出ている壁シリーズは一般向けの口述筆記の本ですが,この本は養老氏が直接書いたものです。養老氏の著作はたくさんありますが,「唯脳論」および「日本人の身体観の歴史」あたりを読むとだいたいの氏の主張は見え,他の本はその辺のを元にいろいろ脹らませた印象があるのですが,今回の本は,唯脳論から次の段階に進んだとの印象を受けました。
「唯脳論」の斬新性は従来だと観念論に似た世界観を「脳」という物体にリンクさせ,そして近代化,都市化を「脳化」と論じた事でしょう。そして「日本人の身体観の歴史」では氏の数々の主張の根源でもある肉体の実感が語られてます。
本作は導入部こそ現在の日本における近代的自我の問題,もともと日本には自我なんってものはなかったのに,明治以降慌てて取り入れたので,弊害が大きい…というところから始まってますが,この本の骨子は,日本人は無思想・無宗教であることと,無思想は思想における「零」であるということです。タイトルは「零の発見」をもじったものでしょう。
日本人が無思想・無宗教というのはいろんな人が指摘してます。また無思想自身が「思想」であるという見解も何人かの人が述べてます。それを「数字における零」の様なものでは?と言ったのがこの本の重要な点です。数字は零を導入することによって,記述法も簡易化されましたし,マイナスの発見にも繋がりました。無思想を零の様に思想に組み込むことで,思想を整理したら便利ではないか?ということです。
とはいえ,この本では無思想の特殊性もたくさん挙げてます。「思想」は概念的なものであり,反して日本人が持っている「無思想」は実践的なものです。思想や理論に基づかないのであれば,何によって行動しているかというと,「世間」とか「かたち」だそうです。日本には思想はないけど,世間に合わせる,かたちからはいる…というのはあると…。
おもしろいな…と思ったのは,確かに宗教や思想が声高に叫ばれている地域は実際の世間が荒れていて,とても合わせられないような状況だったりします。実際の世界がひどいので理想としての思想を語る,逆に世間が安定していたら思想など要らない…ということかもしれません。
また思想は概念であるが無思想は実践であり感覚であると…。頭で考えるのではなく五感で感じて答えを出すということを日本人はやってきたのではないか?…と。
これらの話は最近日記で日本人が何に対して一体感をだしているのか?という疑問を書いてましたが,この本を読むとそれは天皇ではなく,世間であると,そして世間主義(無思想)であるという気がします。
もう一つ重要なことを言っているのが,「反対があるのではなく補間である」ということ。例えば「同じ」と「違う」は反対ではなく,補間であると。だから対立するものではない。概念と感覚も対立ではなく補間であると。
というわけで,目から鱗が落ち読めました。もっともこの本にはそんなに説得力があるわけではありません。そもそも無思想なのですから,言葉で表現出来ません。氏も言葉でツメテ説明することは放棄してます。この放棄の仕方自身が養老節なのですが,この辺を胡散臭いと思うかも知れません。でも,元々養老氏は「言葉で言っても伝わらない」という人なので,それも彼の意図のうちでしょう。
この本を読むと,最近の日本はけしからん,昔の方が良かった…という主張と捕らえる人も多いかも知れません。しかしそうではありません。盲目的な過去回帰というよりは,盲目的な西洋思考信仰への反論…と言った方があってるでしょう。いずれにせよ,この本を読んで盲目的に信じることは本の主旨を誤解してます。自分で(考えてじゃなく)世間を感じて行動しなさい…というのが,一番あっているメッセージな気がします。
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廃藩置県と天皇

2006-03-08 11:27:53 | 歴史
先週の「その時歴史が…」は廃藩置県の顛末でした。昨今の市町村合併に合わせて…というか,今道州制の議論もされているので,それに合わせてきてるのでしょう。
廃藩置県は明治四年に行われたようですが,大政奉還よりも大変なことでした…ということです。良く考えたらその通りで,大政奉還は徳川幕府だけで何とかなるのが,廃藩置県は全国の大名をなんとかしないといけない。しかも薩長が牛耳ってる新政権もさすがの君主(大名)に逆らえない…ということで…。
結局のところはかなり強引にやったと。でも明治になって財政とかいろいろ破綻していた大名は意外にも対した反発をせず,最後まで怒っていたのは島津だけだった…という顛末でした。

ちょっと話を変えますが,ここしばらく例の皇室典範改正の話から天皇が日本で行ってきた役割を考えてました。
わたしが思うに「天皇」という機能が日本になかったら,おそらく明治維新と太平洋戦争の戦後…というのは,もっと混乱しただろうと思います。
思うに日本で権力委譲があった時に本気で天皇をなくそうかと悩んだのは源頼朝と織田信長の二人だけだったのではないでしょうか?。頼朝は悩む…というよりそのチャンスがあった…という表現が正しいかも知れませんが。そしてそれ以外の権力者は権力を得ても天皇を利用するとう選択をしてきたと思います。そして肝心の天皇も後醍醐天皇以降は,自分で政権を取ろうとはせず,ときの権力者と協力関係を保ってきたと思います。
まぁそれはいいとして,つまり江戸時代の末にはすっかり「中空な権威としての天皇」になっていた(まぁすでに室町時代にはそうなっていたとも言えますが)わけで,権威ではあるけど,統治はしない…という天皇の機能が,将軍がいなくなった後の(若僧がきりもりしていた)政府に権威を与え,混乱が起きなかったし,戦後も自分達がアメリカに支配されているということから目をそむけさせたのではないでしょうか?。ってことはGHQは将軍と一緒なわけですね:-p。
まぁ権威といっても一般の市民には関係なく,市民は単に年貢を取りに来た役人が変わったくらいの意識しかなく,その権威にしたがったのは当時の有力者…ってことになるのだと思います。
といういうことを考えると,天皇の権威というのは日本の権力者同士の争いという混乱を悪化させない安全装置として機能してると言えます。そういう意味じゃローマ教会もヨーロッパの安全装置というわけかも知れません。

…とうわけで,国民の総意とかいう話が出てますが,天皇を利用し機能させるのは実は権力者やその後の権力者だったりするわけで,そういう意味で言うと最近女系容認論がアンケートとかでは半数を越えてますが,「正直どうでも良い」と思ってる人の意見を聞いても仕方がないような気がしてます。というか反対している人の意見をもうちょっと聞かないと何とも言えない。次に権力を取った人が「女系天皇なんて天皇じゃない」とその時の天皇を否定して別の天皇を立てたり…っていうのが,起きたりしないためにも…。
まぁ,天皇の話は,あまり興味がない人が多いのかも知れませんが,やっぱり戦後と明治にほとんど混乱なく改革が進んだ日本って国は希有だと思います。
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