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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

音楽と作られた物語

2014-02-06 08:30:00 | 音楽・アート
昨日TVニュースを見ていたら,佐村河内守さんの曲は実は他の人が作曲していたというのを本人が発表したという話ををしていました。びっくりしました。この人は去年くらいTVで大きく取り上げられていたので,印象に残ってます。難聴という病気も私の専門上興味があるから…というのもありました。

一方で彼の曲はTVで流れた分は耳に入りましたが,普段交響曲とか聴かないし…ってことで特に覚えてません。よく言うとドラマチック,そうじゃないとtoo muchな作風だなぁ…と思ったような記憶があります。

別の人が作曲していた…というニュースを受けて,ネットでは,彼のファンだった人で今回憤慨してる人は,彼の音楽ではなくてキャラクタに心酔していたのか,みたいな話が出ていて興味深かったのですが,単純にだまされていた…ということで憤慨するってことはあるでしょう。彼が障碍者であろうがなかろうが,盗作ではないにせよ,人の曲を自分が作曲したかのようにいうのは,あまり感心できません。

もっとも曲想は佐村河内さんが指定していた,ということで,佐村河内さんはディレクションや設計者,もしくは発注者みたいな感じでしょうか?。共同作業としてクレジットしてれば問題なかったのでしょうが,メディアが障碍者が作った音楽として取り上げたので,やはりそういうわけにはいかなかったのでしょうか…。

なお,芸術作品に作品自体以外のストーリが付随して価値が上がるのは,別にこれに限らずよくあることなので,障害を乗り越えて曲だから惚れ込んだ…という人を責める必要はないと思います。個人的には音楽や絵に関しては,そういうのは好きではないのですが,そう思っていても,自分だって作者のプロフィールを知って興味を持った作品とかたくさんあるし,そういうのを排除することは難しいでしょう。少なくとも作品に触れるきっかけとして,作者の物語が強い影響を与えることは,当たり前にあることです。実際TVとかでもそういう番組たくさんあるでしょ?。

個人的には彼の曲は聴いてないので,影響はないのですが,でも,こういう形で多くの人が愛していた曲にケチがつくのは残念ではあります。
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映画「おおかみこどもの雨と雪」を観て

2013-12-30 16:40:48 | 音楽・アート
地上波TV放送で観ました。

二週間ほど前にTVでやっていたのを観ました。本映画は公開当時話題になってましたので,今回私は初見でしたが,話のプロットは知ってました。もっともどんでん返しがある話でもないので,プロットを知っていて損をしたというものでもないと思います。

さて本作は若い母親「花」が,母親の手一つで二人の子供を育てるお話です。子供の父親が狼の末裔で,二人目の子どもが産まれると同時に亡くなってしまうとか,子供が狼の特性を引き継いでいるので,行政やボランティアに育児のことを相談できず,困り果てて田舎の山奥で隠れるように子育てをするようになるとか,そういう話に対しての突込みを公開当時みたような気がしますが,この映画基本的には,「母親の手一つで子供を育てる」という舞台設定の正当性を作るためにこういう設定にしてるだけで,そこに大きな意味は無いように感じました。母親がシングルマザーで,だれにも相談できず隠れるように子育てをするということ,あと子供が小学校卒業のタイミングで巣立っていくというプロットの説明がつくのであれば別に狼である必要はないのでしょう。ある意味,母親が犯罪者で逃亡者でもこの話は作れるのですが,それだと母親のせいになってしまう。この話では母親が何の責も負わないのにでもこれだけの辛い境遇に陥ってしまう(ある意味理不尽なもの)…という風にしたかったのでしょう。

さて,そういうわけでこの作品では,とにかく子育てに苦労しながらも,しかしいつも笑顔で子供たちに愛情を注ぐ母親が描かれてます。途中まで誰にも助けてもらえず,また最後まで誰にも相談できず子育てをさせられます。また子供ができたせいで,花は学生生活のすべてを捨て,都会での生活を捨て,山奥に篭もります。実に献身的です。

この作品を作った細田監督は子供ができる前にこの作品を描き,子供が出来る前だからこそ理想の母親としての花を描けた…と語ったとかいう話をどこかで読みましたが,まさに,ちょっとありえないくらいの母親像でした。

どんなに辛い目にあっても,ゆるぎない確信を持ち献身的に子供に尽くす花の姿を見ていて,これはヨブ記の様だな…と思ったのですが,ネットを調べると既に指摘されてる方がいました。そう,見返りを求めず疑問を持たず,自己犠牲を突き通す姿はヨブ記の様であります((私はキリスト教信者ないので,間違った解釈をしていたらすみません))。

でも一方で現代の日本人がヨブ記を読んだら,その神への信仰ぶりにリアリティを感じないのと一緒で,花に対してもそのように感じるのではないでしょうか?。つまるところ,この話は信仰の話であり,神話であるように私は感じたということです。母親の子育てを神話として描いていしまうあたりは,女性はこの映画どうとらえるのかな?とも思いますし,自分も子供を二人抱えている親ですから,なおさらおとぎ話として捕らえないと,消化できないような気もします。

さて,後は細かい話…。二人の子供がほぼ同時に家を出ていったあと花はどうなったんだろう…と少し気になりました。本当に子供を育てるだけの12年間だったんだろうから。まぁリアリティのない人だからなぁ。そういうこと気にしてもしょうがないのかもしれませんが。

あと作画。背景を存分に動かし自然を表現する作画は圧巻でした。でも,この映画の直後CMでかぐや姫の物語をやっていて,こちらも作画的には圧巻。なんかアニメ映画って成功して資金的に余裕が出てくるとこういう方向に走るのか…と感じてしまいました。見たことない作画を見せてくれるって意味では贅沢なことなんですけどね。

総じて作画もストーリも非常にクオリティの高い作品でヒットしたのもうなずけるし,私も満足しました。でも娯楽なのかな?,ドラマなのかな?…とか考えるとやっぱり神話なのかな,という気がしました。現代劇で神話を描いてしまうあたりに,細田監督の力を感じました。
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音楽の革命者を評価するのは難しい

2013-11-28 10:12:53 | 音楽・アート
ネットで歴代の人気ベース・スタイルの数々をまとめたメドレーを観ました。いろんな有名プレーヤのコピーを聴けて結構面白なぁと思ったのですが,奏法を著しく進歩させたエポックメイキングなプレーヤがわかりにくいなぁという印象を受けました。エレキベースでいうとジャコがそうだと思うのですが。

さて最近ジミヘンのライブ映像を見ていて,あらためて今のロックは基本的にはジミヘンから変わってないというか,それくらいロックの本質をジミヘンがもっていたというのがわかります。

私は ハードロックのギタースタイルはジミヘンが大きく進歩させた と思ってますが,こういうことを後世検証するのは結構難しい様に思います。同時期に巷に流れていた音楽のすべてを知ることが出来ないので,本当にその人が新しいスタイルを作ったのか,巷で流行っていたスタイルを紹介しただけか…がわからないからです。ジャズでいうとマイルスがジャズを電化しそこからフュージョンが産まれたと言われてますが,マイルスは単に当時は流行っていたロックやファンクをジャズのミュージシャンが演奏するということをやっただけかもしれません。…とかくとマイルスの業績を否定してるように思われるので,そうじゃないとは書いておきますが。初期のマイルスのエレクトリックジャズは実験的な要素が多く,単なる引用だけじゃなくてそこから新しいものを十分に示したと思います。

で,ハードロックの場合,ジミヘンの同時期にクリームやジェフベックやレッドツェッペリンなどが有名ですが,彼らとの違い,また当時のその他の流行っていたスタイルを考慮しないと本当の革新性は判断しにくいようにも思います。

今回当時のビデオをあらためて見比べてみると,ジミヘンは弾いているフレーズのみならず,サウンドメイキング,そしてパフォーマンスのスタイルで,他の当時のバンドと一線を画してるのはわかるのですが,演奏してる曲自体は重複があるので,普通に同じようなスタイルの人がジミヘンをコピーしてもクリームをコピーしても同じようになってしまうのではないか?という気もします。

そもそも古い革新者を今聴くと,普通に聞こえてしまうのはよくあるので,やっぱり音楽とか芸術の革新性って,時代背景をかなり理解しないと難しいなぁとあらためて思いました。他人にミュージシャンとかのすごさを伝えるときに結構難しいなと思います。
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天才バカボンという夢の世界

2013-03-21 18:49:37 | 音楽・アート
TVで「天才バカボン」の再放送(第一作)がされていて最近観てます。この作品は71年から放送されたそうで,わたしも覚えてます。ハジメちゃんの誕生からハジメちゃんが立つまでが描か れていたと思います。

最初,バカボンのママって理想のママだよなぁ…とか思ってみていました。基本的にはやさしい。いつもニコニコして見守ってる感じがするし,大体パパがヤンチャでそれを許しているからバカボンに対しても結構やさしい。パパがやりすぎると時々 カミナリを落とすけど,切れるというより「叱る」という感じ。大体声が不二子ちゃんですよ(笑)。美人で色っぽいです。

ギャグマンガのママというとのび太のママ(玉子さん)も眼鏡を取るとえらく美人らしいけど,デフォルトは眼鏡だし,なんか「宿題やりなさい」…とかいってるイメージが強いです。バカボンのママの方が,やさしそうだし,そもそも家が貧乏そうなのに良くこんなところでパパの奥さんやってるよなぁ。…とか (笑)。

とか思ってみていたのですが,いやいや,良く見ると,そもそもバカボン一家が結構夢のような家庭なのが良くわかってきました。バカボンってバカボンというタイトルなのに大体活躍するのはパパでパパが主役のように見えます。パパがイタズラをして大騒ぎになるパターンですが,大体は金持ちや働き虫のサラリーマンを皮肉ったようなギャグが多く,当時の高度経済成長を斜めに見てる感じがします。で,こういう風にパパがサラリーマンとかをバカにできるのは,彼自身が植木屋という職人であり,しかも棟梁の下についているようなわけじゃないフリーな職人で,腕前で喰ってるので,社会的なヒエラルキーから逸脱してるのでしょう。でも,貧乏ながらしっかり食べられているように見えます。誰にもペコペコせず,時にはイタズラをして楽しく生きていて,しっかりご飯が食べられているのですから,これは最強といえるでしょう。

「天才バカボン」ってバカボンというタイトルですが,どうみても主役はパパだし「天才」がついてもおかしくないのはハジメちゃんかパパ(パパは産まれたときは天才でした)なのにどうしてタイトルはバカボンなんだろう?…とわたしが子供の頃不思議でした。そして子供の頃バカボンは「バカ」と思っていたのですが,今見ると,しっかりしてるし,やさしいし,そんな にバカじゃない。勉強はできないかも知れないけど,常識も知っている。パパがヤンチャなので付き合ってバカしてるけど,パパの方が飛んでるので,そんなにはじけた感じがしません。そ う考えると,バカボンって割とこの作品ではニュートラルなんですよね。そしてこの作品を見るのが小学生だとすると,同年代はバカボンであり,つまりはこの作品の「視点」的な役割ではないのか?…という気がしました。観る方が没入するキャラ。

そう考えるとハジメちゃんが産まれてすぐに喋って,頭が良くて物わかりいいのもわかります。産まれたばかりの弟が物わかりいいと,兄としては助かりますよね(笑)。しかもちゃんと可愛いし。そしてお父さんは,自分を叱らずむしろ一緒にいつも遊んでくれる。それでいてちゃんと食べさせてくれる。お母さんはいつもやさしいし,時々やりすぎると叱るけど,美人だし 不二子ちゃんだし(笑)。

…という風に,天才バカボンって子供から見て夢のような(理想とは違う)家族を描いている作品なんだなぁ…と改めて思っております。こういう家庭だときっと子供(バカボン)は楽しい。
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世界にセンスで勝とうとしたら文化輸出をしないと意味がない

2012-11-22 17:30:00 | 音楽・アート
ネットを見ていたら「世界で勝てないのは「日本人サラリーマンのライフスタイル」が原因だ」という文章を見かけた。何の話?と思ったら,ははぁ,iPhoneとかが世界的に売れて,日本の大手家電メーカが赤字だからこういう事を書いたみたいです。内容的には,日本のメーカがスペック重視であること,そして何がライフスタイルか?と思ったら,サラリーマンが芸術や文化に無関心だからだそうです。

ちょっと,「ぷっ」ってなりそうでした;-p。

いや,一理はあるんだけど,日本のメーカがスペック偏重で良いユーザエクスペリエンスを提供できてないとかいうのはもう10年くらい前から言われてますよ。私も散々仕事の上でこういう話はしてきました。もう周知。だからそういう指摘じゃなくて,どうしてそうなったか,どうしたらそうならないかを論じてくれないと意味がありません。で,この文章は日本のエンジニアが技術以外の能力を伸ばしてないとかサラリーマンが文化を解さないからと言ってるわけです。なんとも雲をつかむような話ですね。

日本のメーカがユーザが感じないような高スペックな製品を作ってしまうジレンマはずいぶん昔から言われてます。だけどそれがなおらないのは,文化を解さないとかじゃなくて,商品開発の意思決定のプロセスの問題じゃないか?と私は思いますよ。一番大きいのは,現在メーカはユーザを見て商品を作ってるのではなく,販売員(売り子),もっというと量販店を向いて商品を作っているかではないでしょうか?。ユーザは自分が使いたいものを欲しがりますが,販売員は「売りやすいもの」を求めるのです。つまり売り文句を作りやすいものってことになります。それがカタログスペックになるわけです。デザインのよさや使い勝手は,それが説明しやすい形ならいいのですが,実際の生活の場に入らないとわからないようなものは,販売員はなかなか説明できません。だから,スペック重視になるのでしょう。これはメーカのトップや開発責任者のプロモーションの問題もあるのですが,やっぱりメーカが販売員の方を直接コントロールできないことが大きな原因だと思います。

ですから文化を解さないのが問題だとすれば,むしろ販売員の方のセンスかもしれません。

あと,この「文化」というものが曲者で,文化を解さないのは技術者やサラリーマンというよりは日本人全体の問題かもしれません。というか,日本人の文化と世界(西洋)の文化の違いの様なものの差もあるでしょう。工業デザインはどうしても西洋の感性を基盤として作られてます。だからどうしても世界的に受けるデザインを作ろうとすると西洋の後追いになってしまいます。

でも日本人サラリーマンが文化を解さないというとそうだろうか?と思います。日本人のサラリーマンって大人になっても漫画を読んだりアニメを見たり,ぬいぐるみやマスコットを机の上に置いたりって,ずいぶん文化的だと思いますけどね(笑)。ただそれが工業製品に生かされてないだけでしょう。実際に「萌え」のセンスだったら日本人は世界最先端です。むしろ西洋の方が日本の後追いをやってます。

ただ現在はそういうのがキャラクターやゲームでは生かされているけど,電化製品とかに落ちてきてないというだけです。この辺をうまく展開できる,つまり萌えの感性で工業デザインが出来ると,ある意味世界をリード出来るように思うんですけどね。ニッチかも知れませんが(笑)。

西洋が自分たちの文化を世界に広げようと長年やっているのは,別にコンテンツを売りたいとか,思想を広げたいとかいうだけではありません。自国の文化が世界標準になれば,それに基づく感性でも世界一になれるからです。日本が世界でトップになろうと思ったら世界の文化を真似してもしょうがありません。日本の文化を世界に広げるところからはじめるのが現実的だと思います。
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刑罰化で得をするのは誰?

2012-06-24 12:29:47 | 音楽・アート
映像,音楽の違法ダウンロード刑罰化について。少し考えてみた。

気になるのがダウンロードしたら刑罰だけど,Web上で観たら罰じゃないらしいということ。Web上で観ることは許されてるけどダウンロードすることは認めない…というコンテンツもあるんだろうけど,それって実はサーバ側から見ると判らない…というか端末側で偽装できるはず。もちろん法律でそういうアプリを作ったらNGって決めることはできるだろうけど。

ストリーム視聴がOKで,ダウンロードがNGというコンテンツがあるとして,それはアップロードすること自体はNGにならない。もしかしてそういうコンテンツを対象にしてるんだろうか?。

最近Youtubeを観てると広告が出る。Youtubeは確か著作権管理団体と包括契約をしていて,つまりJASRACと放送局の契約みたいに,コンテンツそれぞれではなくて,まとめて幾ら…って払ってるんじゃなかったっけ?。それで,ある程度,一般ユーザがアップしたコンテンツからも使用料が取れるってことで著作権管理団体は納得してるんじゃなかったっけ?。もちろんアップされて困るコンテンツは個別に削除依頼を出すってことで。

それでYoutubeは広告を出して,お金を稼いで,そういう使用料も払うことになる。

で,こうなると困るのがダウンロードして繰り返し見られると,広告を観てくれなくなるっとと。そうなるとYoutubeは広告料を稼げない。

…というのを規制したいと思ってるんじゃないか?というがしました。つまりそもそもアップすることが違法じゃないコンテンツで,ダウンロードだけ許諾してないコンテンツ。CDを売るとか売れないとかそういう話じゃなくて,ネットの広告料が取れなくなるからダウンロードして欲しくないこと。もちろん,再配布を防ぎたいっていうのもあるんだろうけど,それはあまり主じゃないと。

となると,今回の法規制はレコード会社の意向っていうよりは,ストリーム配信業者の方なのかなぁ…という気がしてきた。もちろん結果的には音楽制作側に著作権料が入るか?って話ではあるんだけど。本音としてはCDを売りたいというよりも,我々が音楽や映画を観るたびにお金を取りたいんだよね。だから手がとどなくなるところに行くダウンロードは望ましくないと。

そういうことかな?という気がした。
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世界一幸せな日本人

2012-05-15 00:02:25 | 音楽・アート
ライブの感想は別途書きますが,先週キース・ジャレットのコンサートに行きました。キースのライブに行く度に思いますが,日本人,特に関東に住んでいる人は世界一幸せなんじゃないかなぁと。

キースは年に数回しかコンサートをしません。でも日本には2年に一度くらいのペースで来てます。コンサートやライブを沢山していた若い頃はともかく,この10年くらいはおそらく日本が一番キースのコンサートをやってるところです。キースはアメリカに住んでますが,アメリカ在住の人でもキースのコンサートをみるのは大変です。

日本でも今回は東京のみの公演です。大阪に行く時もありますが,最近は結構稀なので,東京の人は特に幸せです。夕方まで会社で仕事をして,キースの演奏を聴いて,その日のうちに帰れるチャンスを作れる人って人って世界中で,ちょっと稀なんですよ(笑)。

ところでライブの時に,なぜキースはこんなにも日本でコンサートをするんだろうか?と思いました。
・ギャラがいい?,
・プロモータ(鯉沼氏)との関係?,
・日本の演奏環境や観客が良いから?,
・日本自体に来るのが
好き?
,とかいろいろ考えられます。鯉沼氏の力が一番なのかなぁ,という気がします。

一方で他のジャズミュージシャンもアジアにくるとしたら日本という人も結構います。これは日本にジャズファンが多く観客の質がよいというのと,何だかんだいって経済大国で,ギャラがいいというのもあるのかもしれません。以前韓国にメセニーグループがコンサートをしたときに,韓国や中国が日本に追いつくってこういうことかも知れないなぁ,と少し思いました(苦笑)。

日本にジャズミュージシャンが来るのは波があって,今は一時期より減ってる気はします。大きなジャズフェスがないというのもあります。でも結構小さいライブハウスに海外の有名どころが来ることもあってビックリします。

こういう環境がいつまでも続くといいなぁ,そのためには経済の維持も重要だけど,ミュージシャンにとって魅力的な観客や文化というのも重要じゃないのかなぁと思うので,その辺はこっちも努力したいものです。

関東から引っ越すと,こういうライブに気軽に行けなくなるというのも悩ましいのですが。
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アバンギャルドからスタンダードになる年頃

2012-02-11 12:27:30 | 音楽・アート
キースジャレットが83年に出した(録音した?)アルバムに「Standards Vol.1」というのがあります。これはキースがピアノトリオでスタンダードを演奏するというものですが,非常に高い評価を受け(実際すばらしい作品です),この後キースは現在までこのメンバーでスタンダードを演奏し作品をつくり続けてます。

最近のキースの活動しか知らない人は,このスタンダーズトリオとソロピアノの演奏が彼の活動と思っているかも知れません。83年というとキースは30代も終り…で,そこから20…いやもう30年近いわけですから,かれの音楽生活の半分がこの活動になるわけです。ところが,スタンダーズを出す前のキースは実に多彩な作品を残してます。そもそも彼を有名にしたのがチャールズロイドのグループで,フラワームーブメントの色合いを強くもつ今のバンドは楽器こそ全部アクゥースティックですが,ロックのビートやメロディの要素を多く持ってます。その後電化したてのマイルスのバンドでフリーっぽい演奏をし,その後は自身のバンド。自分のバンドはほとんどアクゥースティックですが,やっぱりロックやゴスペル,そして民族音楽の影響を強くうけたようなサウンドにフリーな構成を合わせた,彼独自の音楽…という色合いが強く,この当時のキースは,演奏能力のバツグンの高さを持ちながらも,旧来のジャズファンには異端扱いをされていた…という風に聞いてます。その分若いジャズファンにはファンが多かったんでしょうけど。

そういうキースがもっとも油が乗り切った40前後にスタンダードを演奏し,その内容もフリーとかじゃなくて,極めてメロディを丁寧に演奏するというシンプルなスタイルったわけですから,旧来のジャズファンもキースのファンもびっくりした…事だろう…と想像できます。で,双方に嫌われるかというと,多分双方に絶賛だったわけです。

この辺の話,わたしは当事者じゃないので,幾分想像が入ってます。

さて,パットメセニーですが80/81というアルバムがあります。タイトル通り80年頃の作品です。このアルバムは,アクゥースティックギターを弾くフォーク調の曲もありますが,サックスを入れたクァルテットで,若干フリー色はあるものの,いわゆるジャズを演奏してます。

で,この作品を出す以前のメセニーも,自己のグループで,シンセを使ったり,ポップなビートとかを取り入れたサウンドでいわゆるフュージョンミュージシャンと思われていたようです(インタビューで読んだことあります)。ところが80/81でジャズを演奏したところ,やっぱりこれまでまるで関心を示さなかった旧来のジャズファンが絶賛したわけです。

この二つの話。時期が近いので,そういう時期だったという気もするのですが,いずれもジャズファンがジャズじゃない…と嫌っていた音楽をやっていた,その分野での人気ものが,ジャズをやったら,ジャズファンが驚いて絶賛した…という構図になってます。なぜ絶賛したか…というと,普通にジャズしてたから…じゃなくて,やっぱりジャズでありながら,どこか新しい,つまりジャズに新しい空気をもたせそれを旧ジャズファンに分からせることができたからでしょう。

こういうことって良くあるように思います。若いときに自分の独自の表現を探して,作曲,アレンジ,編成,音色,節回し…などいろんな事で,人がやってないことを試していく。だけど,そういうのを一通りやった後に,普通に伝統的なスタイルで作品をつくると,非常に幅広い人に受け入れられる…と。そこまで探求していた独自の表現は,一部には好評でも多くの人には理解されにくい,そこで入れ物を旧来のものに変えると,旧来の人にも分かりやすくなるわけです。もちろん,それをするには,それまでに自分の独自のスタイルを確立している…ということが重要なポイントとなります。

実際オリジナリティを確立した人は,普通に普通の事をやっても独自になるわけで,敢えて独自な表現をする必要がありません。しかし,それは産まれながらに持っているものとは限らず,若い時点では,それを探求する模索も必要になるわけでしょう。それをやったからこその,オリジナリティになります。

キースとメセニー話を書きましたが,同様の試みは結構良く見ます。様々なミュージシャンが,ある程度のキャリアを積んだ後に,古い曲のカバーを歌ったり,ジャズとかに手を出したりします。それは良い作品の場合もあるし,実際聞きやすいのでヒットする場合が多いです。まぁキースとかが突出してるのは,その後,彼は30年近くそれを続けていても,尽きないほどの,オリジナリティを持っていることでしょうけど。メセニーも,今でも時々アクゥースティックジャズのアルバムを良くだしますし。

音楽以外でも,このやり方というのは,参考になると思ってます。本当にオリジナリティがある人は,普通の事をやったときにこそ,多くの人に伝わる自己表現になる。普通のことをしていてもカッコイイ…,そういうのに憧れます(^^;)。

若いときにはいろんなことを模索して,枠から外れ,もがくように,自己を拡張していく。若いときにに型にはまろう…と思うのは,自分の可能性を閉ざしてしまいます。しかしどこからかは逆に普通にやることが重要です。いい歳をしていつまでも人と違うことばかりを強調しているというのみっともないし,人に伝わりません。

わたしはそう思うし,そういう風に目指して欲しいと若い人には思います。
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一昨日のNHK

2012-01-13 09:02:04 | 音楽・アート
一昨夜自宅に帰ってNHKを録画していたのを見た。クローズアップ現代,ためしてガッテン,ヒストリア…というのは,いずれもいつも観てるんだけど,今回はどれもちょっとおもしろかった。

まずクロ現。一昨夜のはTV時代劇が激変して,役者とかスタッフとかの技術の継承が難しくなってるという話。なんと今期連続時代劇は一本しか無いそうだ。というかNHKで水戸黄門とか,大岡越前とか,仕事人とかの映像が出るってスゲーと思った(笑)。どれも終わった作品だからか。

「歴女」とか浮かれてる割りに,確かにTV時代劇は減ってるんだ。なんで?。映画もやってないんだっけ?。アニメやゲームは戦国ものとか多いよ…とか思うんだけど,これはやっぱり民放の問題じゃないかなぁ。NHKやってるでしょ,大河ドラマとか。まぁNHKも以前は土曜ドラマとかで時代劇やってたのが,最近は妙に女性向けとか海外ドラマやってるから,もう少しやる気を出してよ…と思った。

次,ためしてガッテン。パニック障害にならないために…みたいな話で,何をするのかと思ったら坊さんを見習いましょう…とう話で,そういう対処法かよ…と驚いた。高度すぎないか?…。でも内容はおもしろかった…というか,わたし昔からそういうの興味あって,結構やってたので。ちなみに座禅で物事を考えない様にするっていうのを考えを船に乗せて流す…とか凄く抽象的で高度なやり方で表現していたけど,「数息」じゃだめんなんですか?。わたしは予備校の時,予備校で毎朝「数息」をやらされて,それで結構そういうの身についた。

まぁでも自分が感じるものを客観視するというのは,結構高度な話じゃないの?という気はする。いや,わたし,こういう話好きなんだけどね。万人向け?…っていうか。

次,ヒストリア。平清盛の話。大河ドラマだからな。持ち上げないと…というのかと思ったら,清盛は女の力で出世した…と更に落とすような内容で笑った。これって兵庫県知事にたいしての当てつけですか?(笑)。まぁでも,だから今回の主役はイケメンですよ…という話なのかもしれない。女性の力を利用して出世して何が悪い。女性っていうか家族(妻とかその妹)でしょ?ってことで,ここは「絆」ってことで…。

そんなこんなで。水曜のNHKは観る番組が多いけど,だいたい全部が当たりなのは珍しい。あっSONGSは総集編だったので,別に特記事項なし。でも来週はジュリーらしいよ。しかもタイガーズメンバーとの共演で,ある意味期待(笑)。
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お得意様は歓迎されてるのか?

2012-01-08 20:42:05 | 音楽・アート
昨年末に自炊業者を作家たちが訴えるって話があって,日記にも書きましたがネットでは話題になってました。そういう中に,自炊をするのは大量に本を買ういわゆるヘビーユーザなのに出版はそういうお得意様に対しそういう仕打ちをするのかみたいな話を読みました。

その意見はごもっともなのですが,本はともかくCDのヘビーユーザである自分もふと10年前の音楽のリッピングから配信へ行った時の状況を思い返すと,案外音楽出版や本の出版は一人で何枚(何冊)も買うヘビーユーザより,ヒット作しか買わないようなユーザの方が大事なんじゃないか?という気がしてきました。あの時もCDをリッピングするのは自宅に数百枚とかCDをもっている人という意見があったのです。そういうヘビーユーザよりもCDや本はそんなにしょっちゅうは買わないし,買うときはヒット作しか買わないようなユーザの方が出版は大事な顧客なので,ヘビーユーザの利便性が下がるようなことを平気でするのではないかと。

考えてみれば,100枚売るために100作品作るよりも1枚の作品を100人に売るほうが,コストはかからないわけで,レアな作品を集めたり読んだりするユーザは少なくても大手の出版にはうれしくないのかもしれません。

ところが音楽にしても本にしても,ヘビーユーザは自分たちが出版を支えている優良顧客だという思い込みがあります。一人で月に数万もコンテンツを買っている人とか,そう思うでしょう。どうもその辺に意識のずれがあるのかな?とちょっと思いました。

だからどうすべき…って話でもないのですが。最近本屋とかCD屋とかが減ってきていて,いろいろ不便になってきてるんですが,結局自分の購買行動がそれらの店舗を支えることになってないのかもなぁと少し悩ましく思います。
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