Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

ゴジラ-1.0/C

2024-05-18 | 映画(か行)


◼️「ゴジラ-1.0/C」(2023年・日本)

監督=山崎貴
主演=神木隆之介 浜辺美波 佐々木蔵之介 吉岡秀隆 安藤サクラ

色があることで見えてくるものもあれば、色を抜くことで感じることもある。

チャン・ツィィー主演作「初恋のきた道」をご覧になった方は覚えているだろうか。夫となる男性と出会う過去パートは美しい色彩で描かれるのに対して、夫の死後一人で暮らす現代パートはモノクロになっている。古い時代だから、ノスタルジックだからと過去をモノクロにするのは、一般的にイメージしやすい。しかし、古いからモノクロというのは、古い映像をモニターを通して見ている第三者の視点でしかない。「初恋のきた道」がこれを逆にしたのは、愛する人を失った世界は、主人公にとってもはや魅力的なものではないことを無言で表現している。モノクロは主人公の心の風景だ。

山崎貴監督は「ゴジラー1.0」のモノクロヴァージョンを製作した。ノスタルジーを感じさせる手段としてモノクロにしたのではない。だったら「三丁目の夕日」もモノクロでいいはずだ。「-1.0」はカラーのオリジナルとは印象が大きく異なる。白と黒の陰影になることで戦後の暗澹たる空気や絶望感、そしてオリジナルへの敬意が際立って感じられたのだ。

「また租界かぁ」
オリジナルの「ゴジラ」で印象的な台詞の一つだ。敗戦から間もない日本に新たな脅威として現れたゴジラを前にして、ポツリとつぶやかれたひと言。平和を脅かすもの。軍隊も爆弾も経済危機も、庶民にとってはどれも自分の身に降りかかる災いでしかない。戦争で打ちひしがれた日本に現れた新たな災いは、巨大な足跡を残す。「また租界かぁ」のひと言は映像以上に胸にしみるし、1954年という時代背景を考えれば、とんでもない失望が込められている。そんな場面はあの時代でなければ撮れない。

「-1.0」がモノクロ化されたのは、ビジュアルであの時代の絶望感を、現代の僕らに少しでも感じさせるためのひと工夫だと思う。「また租界かぁ」はできないけれど、陰影にすることで神木隆之介や安藤サクラの表情はますます険しく映る。ゴジラの皮膚が再生する様子や、背びれが発光する様子は、モノクロでは少し物足りないが不気味さは増して見える。得体の知れない災いが迫ってる怖さ。これはあの時代の心の風景を表現するための一つの手段なのだろう。  







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