ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

フローレス島と死生観

2011-03-26 13:00:24 | 
最近、「インドネシア・全27州の旅」小松邦康著、を読
んだ。

90年代初めに書かれたものだが、著者が、インドネシア
の大学を出て、現在はインドネシア語の通訳などの仕事
をしている方なので、インドネシアを見る視点も奥深く、
また、現地の人々とのやりとりもとても面白かった。

昔から出版社「めこん」のアジア本が好きである。

埼玉の実家にいた時は、時々、東京、神田にあるアジア
文庫に通ったものである。近くには、北朝鮮の関連の
専門店「レインボー通商」もあり、神田では、この2箇
所が私の必須の場所であった。

確か、1年ほど前にアジア文庫のオーナーが亡くなり、
現在は、かの有名な「内山田書店」に統合され、同書
店内にて営業しているとのことである。

話を戻すと、この本の中に「フローレス島」の津波に
関することが記されている。

インドネシアで津波というと、6年前のスマトラ沖の地震
が記憶に新しいが、さらに遡ること13年前の1992年、こ
のフローレス島にも、椰子の木よりも大きな津波が襲い、
多大な被害に合っているのである。村単位で消滅してし
まったところもあったようだ。

筆者は、この津波被害の1週間後にフローレス島に入り、
被害を間の当たりにしている。
しかし、島に入ってすぐに、被害を逃れたホテルの客引
きらに会い、大変、驚いたそうである。

その第一声が「この島、始まって以来の賑やかさです。
今が稼ぎ時なんです…」

それまで、ほとんど知られていなかったこの島が、災害
によって知れ渡り、多くの報道人や災害専門家などが、
来島し、かろうじて崩壊を免れた人々に好景気をもたら
し、多くの人が妙に浮かれていたそうである。

身内や親族などを多数、亡くしているにもかかわらず…
である。

すべてにおいて自粛モードの日本では考えられないこと
である。

もっとも、その影で悲観にくれた人も多かっただろうと
は思うのだが、どこか日本人とは、死生観のようなもの
が違うのだろうと、想像できるものである。

災害後の「元気の出る方法」

もし、そんなものがあるのなら、インドネシア人にぜひ、
教えていただきたいものである。



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