ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

イギリス、ロンドン編

2018-04-06 00:05:35 | 旅行(海外)
成田からモスクワで乗り継いでロンドンへ。17年ぶりのロンドン。ヒースロー空港は夜遅い時間でも激混みで、入国に1時間以上は楽にかかるだろう予想は見事に的中した。入国待ちの間、後ろに並ぶ秋田で父親の会社を手伝う27歳の青年と出会い、ずっと会話していた。彼にとって初めての旅で、これからひと月かけてギリシャまで行くという。素朴で感じのいい青年だった。自分の27歳の時と比べると、「もっと、大人を斜めに見ていたな…」と思い返す。

結局、荷物をピックアップするのに1時間20分もかかった。着後、そのまま空港近くのホテルに泊まる。

翌日、夜9時のアイスランドへの便まで日中、ロンドン市内を散策する。妻と子供が大英博物館だけは行きたいと言うのでとりあえず一緒に。その後、私は昔、しばらくアルバイトしていた旅行会社やほとんど通っていなかったが、籍だけ置いていた語学学校へ行って見たかったので別行動するも、オックスフォードストリートにあった旅行会社は郊外のサリーへ移転しており、語学学校のあったトッテナムコートロードの古いビルもすでに取り壊され完全に無くなっていた。

良くお昼に持参したサンドイッチを食べるために利用していたソーホにある公園だけはそのままで、近くでコーヒーを買いベンチに座ってボーっとする。17~18年前、午前中学校が終わると、この公園で昼を食べて午後からアルバイト先の旅行会社へ向かった。学校と行っても、就労ビザを取りたいけど取れない東欧や中国人御用達の潜り系の学校で授業はすべて自習。当時は学生ビザでも働けたので、ここにいる者は皆、年間5万円でこの学校に籍を置き学生ビザをもらい働いていた。あまり欠席が多いと、学校から移民局へ連絡されビザが取り消されるとの噂があったので最初の2か月は一応、顔を出していたのだが、3か月もすると旅行会社での仕事が忙しくなり、結局、フルタイムで働くようになってしまったので、その後、学校へはまったく行かなくなってしまった。

当時、1ポンド約190円~200円。時給は10ポンドスタートで、3か月めで12ポンドになった。日本円で2300円ほど。ロンドンの物価を考えればまぁ、妥当かも知れないけれど、それでも1日8時間でおよそ18500円。当時の社長はお金がない私を心配して、通常の仕事以外に早朝ヒースロー空港への留学生の出迎えの仕事などを度々くれるので、ひと月の給料が40万円近くになることもあった。金額だけみればアメリカなどよりも楽に稼げるロンドンに不法就労者が集まるのは、当然だと思えた。ここから家賃、生活費、交通費を除くと随分、減るが、それでも次の旅の資金調達にはもってこいの場所だと思えた。
今は1ポンド160円ほどなので、どうなのかわからないけれど、短期的に額面では日本より稼げるのは間違いないはず…。

当時、30歳、現実逃避中で、ロンドンでは朝から晩までひたすら働いていた記憶しかない。

まぁ、こんなふうに昔を思い返して、ベンチに座っていた。

それから妻と待ち合わせのピカデリーサーカスへ向かい合流。久しぶりにロンドンのパブでご飯。当時は滅多に外食などしなかったけれど…。その後、スーパーへ行って買い物をして、夕方6時にはヒースローへ向かった。

もう少し時間があれば、当時、住んでいた場所やノッティングヒルにも行ってみたかったが、タイムオーバー。物価はポンドが下落気味なので当時とそう変わらないような気もした。1日パスを使用して地下鉄、バスで移動した。当時は、まだ旧型の後ろ扉が開放型のダブルデッカーが走っていたが、今や完全に新型の閉開式に統一されていた。これでは好きな場所(交差点など)で乗り降りできないのが不自由だ。

天気はロンドン名物の曇りでどんよりだったが、時折晴れ間も出てと、思いきや雨にもなり、まさに1日で何度も天気が変わるロンドンらしい1日に…。

たった1日だけだったが、ちょっと懐かし気分に浸れた。あれから18年も経ってしまったのがちょっと信じられない。

また、いつか来ることはあるのかな…?

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