ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

ノスタルジー

2011-04-07 15:47:48 | つぶやき
昨日、大阪へ行った際、帰りに時間があったので、久しぶりに
鶴橋の商店街へ寄ってみた。

鶴橋へは以前、3度ほど来たことがあるが、何度来ても楽しい
ところである。ここに来ると、日本はつくづくアジアなのだと
あらためて気づかされるのと、昭和の時代にタイムスリップし
たような気分になるのがいい。

商店街は、未だ戦後の面影を残しており、少し前に流行った
「やらせ昭和の街」とは全く異り、まさにリアル昭和30年代
といった感じが大変、気に入っている。確か、子供の頃の上
野のアメ横もこんな感じだったな。

大阪の方々には、どう映っているのかわからないが、名古屋市
民の私にはとても新鮮だし、個人的には、近くにあったらどん
なに良かっただろうと思う。

元々、鶴橋には在日韓国人の方々が非常に多いようだが、よく
観察してみると、商店街の在日韓国人の方々のお店は比較的リ
フォームされていて、小奇麗な店が多い。反面、日本人の方々
の店は、昔ながらのおんぼろショップが多い。中にはおんぼろ
を通り越して、ただの「ぼろショップ」なのだが、それでも、
良く見るといぶし銀の渋さが漂っていたりして、侮れない店も
多い。

木枠のガラスケースに入った量り売りのお菓子屋さん、異様に
鰹節の臭いがキツイ乾物屋さん、冷凍マグロをドライヤーで急
速解凍している魚屋さん、今ではなかなか見掛けなくなったお
でんの具種屋さん、店の脇で椅子に座って昼寝をしている店の
おじさんを含め、みな子供の頃に見た風景がそこにあった。

ここだけ時間が止まってしまったかのようなところである。

帰り際、ここで商売している年配の人らを見て「幸せだな」と
思った。

人間、歳を重ねれば重ねるほど、時代の変化に対応するのが
大変になるものだ。これまでやってきたことが通用しなくな
り、培ってきた価値観も「古い!」と一蹴される。周囲の環
境は目まぐるしく変わり、気がつくといつの間にか自分だけ
が取り残されたような疎外感を感じるようになる。

例え、それが「老いる」ということだとしても、出来れば自分
だけは、自分の周囲だけは変わらないでいてくれたら、どんな
に楽だし安心できるだろうと思う。

たぶん、ここの人たちにも様々な変化があっただろうとは思う。
スーパーやショッピングセンターが出来て、昔に比べれば売り
上げもうんと落ちたに違いない。

それでも、平成23年の今日まで昔と変わらない環境の中、この
ような姿形でやってこれただけでも、随分、幸せなことのよう
な気がしてならなかった。

もっともこれは事情の知らない、外部の人間の勝手な思い込み
である。おもいっきり勘違いしているかもしれない。

もしかすると、気持ちよさそうに昼寝しながら店番をしている
おじさんを見て、自分も「あんなふうに生きていけたら…」と
いう願望から、そんなことを思ったのかもしれない。

まぁ、そんなこんなで、昨日はひとりで勝手に「ノスタルジー」
に浸った次第である。


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