朝起きて、朝食を食べるために近くの店に出向く。
ゆっくりと食べながら、「さて、今日は何をしよう…?」有り余る時間を
もて遊びながらも、そう考える時が私にとって至福の時である。
これは旅の朝の話しである。
時間だけは限り無くある。何もしなくてもいいし、何かしてもいい。どこへ
行ってもいいし、どこへも行かなくてもいいのだ。つまり究極の自由である。
そして旅行者という身分自体がまた、自由なのである。何も属していないが、
それでいて、旅行中という一応、ちゃんとした大義名分もある。
知り合いに合うこともなければ、誰かに後ろ指をさされることもない。
気が向けば、次の街に移動をし、居心地が良ければいつまでも居ればいい。
帰国日を決めない旅だ。
そんな旅の空を眺める生活を辞めて9年が経った。
しかし、地に足の付いた生活が当たり前になればなるほど、懐かしくなる
もので、時々あの時間の中に無性に戻りたくなる。
もう、帰国日を決めない旅など出来るわけはないが、例え短い時間でも
予定の立てない旅がしたいと思っている。
さて、来月はどこへ行こう。うんと異国を感じる国なんかが良いかな…。
ゆっくりと食べながら、「さて、今日は何をしよう…?」有り余る時間を
もて遊びながらも、そう考える時が私にとって至福の時である。
これは旅の朝の話しである。
時間だけは限り無くある。何もしなくてもいいし、何かしてもいい。どこへ
行ってもいいし、どこへも行かなくてもいいのだ。つまり究極の自由である。
そして旅行者という身分自体がまた、自由なのである。何も属していないが、
それでいて、旅行中という一応、ちゃんとした大義名分もある。
知り合いに合うこともなければ、誰かに後ろ指をさされることもない。
気が向けば、次の街に移動をし、居心地が良ければいつまでも居ればいい。
帰国日を決めない旅だ。
そんな旅の空を眺める生活を辞めて9年が経った。
しかし、地に足の付いた生活が当たり前になればなるほど、懐かしくなる
もので、時々あの時間の中に無性に戻りたくなる。
もう、帰国日を決めない旅など出来るわけはないが、例え短い時間でも
予定の立てない旅がしたいと思っている。
さて、来月はどこへ行こう。うんと異国を感じる国なんかが良いかな…。