遥か昔から世界各地で商売をし、チャイナタウンを
作った華僑に対して、改革解放後に海外へ渡った
中国人を新華僑と呼ぶらしい。
1978年、中国は小平による改革解放政策が取られ
社会主義の中の市場経済という名目で今日に至っている。
そして現在、日本にいる中国人の数はおよそ70万人。
このうちの約9割が新華僑だという。
昔の華僑時代は、移住したその土地で商店などを営なみ
生計を立てていたのに対し、現在の新華僑はITなどの
技術、技能、企業内転勤などの資格で来日し、中には
大学教授、企業の管理職などの第一線で活躍する人も
増えているということである。
中国人の世界に進出する仕方も、時代と共に変わりつつ
あるということが伺える話である。
まだ学生だった頃、1人の華僑の友人がいた。彼の家は
横浜の中華街で中華料理店を営んでいた。彼の家では、
家業の料理店を継ぐのは、なぜか次男と決まっていて、
長男だった彼には、日本以外の国へ行くことが当然の
こととしてあったと言う。
日本の高校を卒業した彼は、両親から半ば強制的に、
オーストラリアの大学に進学することを勧められ、
私と出会った時には、すでにシドニーで3浪目であった。
家族の期待を一身に背負いながらも、なかなか希望する
大学に受からないことに落胆していたものの、もう日本には
帰らず、「なんとしてでも、オーストラリアに定住するんだ」
と強い決意で話していたのを思い出す。
同じ日本に生まれ育ったにもかかわらず、華僑である彼との
境遇の違いに、当時のほほんとした学生であった私は、
大変びっくりさせられたものである。
その後、彼とは疎遠になってしまったが、数年後、風の噂で、
無事に大学を卒業し、オーストラリアにあるどこかの会社に
就職し、現在もシドニーに住んでいると聞いた。
「華僑」という言葉を聞くと、今でも時々、彼を思い出す。

作った華僑に対して、改革解放後に海外へ渡った
中国人を新華僑と呼ぶらしい。
1978年、中国は小平による改革解放政策が取られ
社会主義の中の市場経済という名目で今日に至っている。
そして現在、日本にいる中国人の数はおよそ70万人。
このうちの約9割が新華僑だという。
昔の華僑時代は、移住したその土地で商店などを営なみ
生計を立てていたのに対し、現在の新華僑はITなどの
技術、技能、企業内転勤などの資格で来日し、中には
大学教授、企業の管理職などの第一線で活躍する人も
増えているということである。
中国人の世界に進出する仕方も、時代と共に変わりつつ
あるということが伺える話である。
まだ学生だった頃、1人の華僑の友人がいた。彼の家は
横浜の中華街で中華料理店を営んでいた。彼の家では、
家業の料理店を継ぐのは、なぜか次男と決まっていて、
長男だった彼には、日本以外の国へ行くことが当然の
こととしてあったと言う。
日本の高校を卒業した彼は、両親から半ば強制的に、
オーストラリアの大学に進学することを勧められ、
私と出会った時には、すでにシドニーで3浪目であった。
家族の期待を一身に背負いながらも、なかなか希望する
大学に受からないことに落胆していたものの、もう日本には
帰らず、「なんとしてでも、オーストラリアに定住するんだ」
と強い決意で話していたのを思い出す。
同じ日本に生まれ育ったにもかかわらず、華僑である彼との
境遇の違いに、当時のほほんとした学生であった私は、
大変びっくりさせられたものである。
その後、彼とは疎遠になってしまったが、数年後、風の噂で、
無事に大学を卒業し、オーストラリアにあるどこかの会社に
就職し、現在もシドニーに住んでいると聞いた。
「華僑」という言葉を聞くと、今でも時々、彼を思い出す。
