僕は過去帳によると、先祖代々より10代目のジェネレーションとなる京都市上京区生まれである。僕の出生地は京都ブライトンホテルの玄関の車寄せ一帯であり、それ故、本籍はまさにブライトンホテルの住所なのである。
ただ僕は京都産まれであるものの、産まれてから幼少を東京、幼稚園より大学を卒業するまでを大阪で過ごしてきた。今でこそ京都で働き25年になるが現在は京都に住んでいるわけでもなく、年がら年中あちこちに出向いているのでベタベタな京都人ではないと自身では思っている。それでもやはり育ててもらった両親の考え方や習慣は間違いなく京都人のそれであり、少なからず自然のうちに僕の中にもその気質は宿っているのかもしれない。
最近ふとそう思う事がある。
そんな僕だが、これまで全国津々浦々色々な所を歩いてきたこの人生に於いて、最も好感度の高い人々が住む地域はというと…
ズバリ!
高知、九州(博多界隈)、沖縄(特に離島)である。
高知人は斜に構えたりしない。常に真っ直ぐぶつかってこい的な、困った事があればいつでも言ってこい的な所があるように思う。もちろんきっちり受け止めてくれるかどうかは別の話としてそういう気質の人々が多い気がする。博多界隈もそれに近い気がする。僕は気取らないそういう人々が好きだ。
沖縄県民は「なんくるないさー」的な仲間の仲間はみな仲間というか、みんなでワイワイという感じである。大体にして沖縄県民は自分の知り合いをキチンと他の人に紹介したりしない。会えばなんだか知らないうちに友達は友達さー!とかいうのが当たり前な感じがするのだ。
札幌の人と新潟の人は似た匂いがする。
長崎の人と函館の人も似た匂いがする。
東北の人々はえてして根が真面目で正直だ。仙台は分からないが秋田、山形、岩手、青森はそういう感じだ。内気で恥ずかしがり屋だが絶対裏切らないって感じである。信用がおける。
富山と金沢は面白い。隣り合わせにいながら富山の人はみんな東京を向いていて、金沢の人は関西を向いている気がする。
名古屋の人は関東にも関西も属さない独自の文化を育てようとする。それでいて顔は東京を向いていて大阪を向くことは絶対ない。そんな感じだ。
大阪人は笑わせてナンボ的な輩が多い。大阪弁は強いが九州弁はもっと強いと思う。それが故に、大阪人は東京に行っても大阪弁を直さないが、九州に行けば九州弁に染まる。
県民性は面白い。
それはさておき、こんな僕が最も苦手な県民地域はというと…
間違いなく京都人(まさに昔ながらの京都人)である!
普段は喋らない昔祖母が使っていたような言葉をワザと文章に使ったり、開けっぴろげに京都が好きと周りに叫ぶ京都人が苦手なのだ。聞かれてもいないのにそんな事を他の都道府県に住む人に言う必要ないのである。
話しながらも目は空を向いているという感じと云えば京都の人間ならわかるはずである。
とにかく苦手である。
京都人はよく裏があると言われる。それはまさしくその通りだと思う。
あくまでも私感乍。