忘却への扉

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はい、ピース

2016-08-23 | 追憶

 【 やりきれない気持ち 】 八幡浜市若山 ( 女性・43歳 )

[ 子供のころ、大人になったら絶対に行くと決めていた。それがかなったのは2年前の夏だ。鹿児島の知覧特攻平和会館の前で万感の思いで立っていると、先生に引率されて大勢の男子学生がどかどかと中へ入っていく。
 友達とじゃれ合っているその後ろをついて行き、展示された特攻隊の方々の写真の数に思わず息をのんだ。前を歩く学生と変わらない年ごろなのに、残された手紙は達筆で、自分の命よりも国家や家族への思いにあふれている。
 複雑な気持ちでいると、一枚の写真の前で足が止まった。子犬を抱いてはにかむ17歳の隊員を囲み、朗らかに笑う仲間たち。その中の一人の飛行服の袖口はぶかぶかだ。幼さの残る笑顔と今にも彼らの笑い声が聞こえてきそうなその写真が、出撃2時間前とは思えず、しばらくその前から動くことができなかった。
 会館を後にして茶畑の間を走り抜けると、車窓から隊員たちが飛び立った地点の石碑を見つけた。かつての滑走路と交差するようにどんどん先に進むと、目の前には夕日に染まった開聞岳。その雄々しく美しい姿が見えた途端、涙でにじんで何も見えなくなった。言葉にできない、このやりきれない気持ちを決して忘れないと強く思った。]
              《 こだま 読者の広場 【 終戦記念日に思う 】 へんろ道 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 特攻隊とは特別攻撃隊の略で、通常戦法では米軍らにかなわず、日本軍が飛行機や特殊潜航艇(人間魚雷)に戦艦(大和など)兵器や兵士の生命を犠牲に行った破れかぶれの無謀な作戦。
 鹿児島知覧から片道燃料で出撃した若者らは、神風特別攻撃隊と呼ばれた。出撃前の手紙や写真が全て本音を表せる時代ではなかった。
 絶対的軍国主義時代、国家に逆らうことなど許されない。検閲を受けると分かっている手紙やはがき、本音を書けば家族まで非国民扱いで犠牲を強いる。家族や親せきに笑顔の写真を残すのが精いっぱいの安心させる気配りだった。
 できることなら若くして無駄な命を散らさず、両親や家族、妻子どもたちのために元気でいたい。「死なないで、無事戻って来て」の言葉さえ口にすることができなかった。
 知覧特攻平和会館などもそうだが、戦犯まで祀る靖国神社は戦争を美化する道具として存在するとしか思えない。
 あの大戦で犠牲となった若者を含む日本人だけで320万人もの命に詫びず、また海外派兵の戦争を狙っている政府と軍需企業、先の敵国米国追随を理由とは呆れる全ては利権欲。大戦での犠牲者たちは平和な世界を夢見て意に反して天国に、過ちを繰り返してはならない。


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