忘却への扉

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沈黙の奥に耳を澄まし

2016-03-11 | 共に

 2016/3/7 地方紙1面下段ラムより

 [屋根を見ていた。貧しくても小さな幸せを抱く家族の暮らしを。戦争の理不尽さを。右肩上がりの経済を際限なく求める社会のゆがみを。
 ▲先日、今治と松山であった脚本家・倉本聡さんの演出による舞台「屋根」。戦前から現代へと時代の波を生き抜いた家族の喜びや悲しみに同じ時代を生きた今は亡き祖父母を思った。本当の幸せとは何だ。声なき声今も耳の奥で響き続けている。
 ▲作家の柳美里さんは東日本大震災の1年後から福島県南相馬市の臨時災害放送局でラジオ番組を持ち、毎週、市民の話を聞いてきた。「『被災者』『フクシマ』では回収されない物語を大切にしたい」。これまでに400人近く、ただ聞くことに自分の全てを傾けてきたという。
 ▲昨春からは、南相馬に暮らし始めた。「ともに苦しむ中から書く道を探すことしか、私にはできない」。一人一人の背負う物語に向き合い「生きること」を描く。
 ▲だが、どうしても言葉にできない感情がある。柳さんは、地元住民が出演する劇団を立ち上げるつもりだ。「何十年かを生きた重みがある演者の体を通した演劇なら、その『沈黙』も表現できる」。
 ▲あの大震災と東京電力福島第1原発事故から、もうすぐ5年を迎える。吐き出せないつらさ、のみ込む不安、支援を続けることで遠慮して言えなくなった思い―。沈黙の奥に耳を澄まし、伝えていかなければと思う。]

 ( 忘却への扉 ) 母たち明治・大正・昭和生まれの1男5女の全員戦争を体験したきょうだいの下から2人目がだけが、福島県南相馬市で元気に暮らしていた。
 叔母は福島第1原発事故と東日本大震災の被害を被る数年前に家を新築した後、他界した。叔母の事務所でともに仕事に励んでいた従妹とはその後も付き合っていたが、運悪く原発人災と津波被害の双方に巻き込まれ命からがら逃げる。
 これまでの仕事関係者も気がかりで1か月ほどの避難で津波被害を受けた事務所兼住居に1人帰宅し、放射能を浴びながら仕事に走り回っていた。それが今年、原発事故後5年を待たずして突然亡くなったとの知らせが届く。
 「(伊方原発は)ここよりずっと近いじゃない!気をつけてね」。原発人災事故後ようやく自宅に電話が通じ話した時の叔母とよく似た従妹の声が耳に残る。これまで原発事故に関する会話を避けてきたが、こんなことになるのなら聞いておけばよかったと悔やんでいる。