忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

「感じ」れば生き方が変わるかも

2014-11-18 | 共に
 【 地 軸 】 2014/11/16 地方紙1面下段記事より

 [あの時ほど、熱気に包まれた会場を知らない。ギターを手にした学生の歌に熱狂し、演説に立った人の言葉に感動。決意表明をした人物の胆力を、感じたひととき。
 ▲演奏会でもない。講演会でもない。衆院選に出馬表明した、ある候補の決起集会。学生時代、友人に誘われ新人候補の選挙事務所に出入りした。。もちろん雑用係。チラシを折り、ポスターを張り、弁当の手配や街頭演説の日程作りに奔走した日々。
 ▲理想は必ず実現すると、信じていた青春期。日本の在り方をめぐり友と論じ、手段について議論を重ねた。その結果が「では選挙を手伝え」。思わぬ一言が、その後の生き方に大きく響いた。あの集会は、肌で政治を「感じる」契機となった。
 ▲30年以上も前の記憶だ。当選後、実直な姿勢で知られた党の政治家は党の代表など要職を務めあげ、そして引退した。その間、政権は次々に「衣替え」し、国民との距離感を失い、遂に深刻な政治不信を招いてしまった。時の流れに思う。
 ▲若者の政治離れが指摘されて久しい。若者だけではない。政治への信頼喪失は目を覆うばかり。国会や地方議会の失態、中央政権と地方とのズレル理念。ああ、政治が目覚めぬなら市民が立ち上がろう。
 ▲投票とは、最大の参政権である。政治家への論評は、1票を投じてから。そして政治を「感じ」れば、生き方が変わるかも。まずは地元から、地方から。今日は知事選と松山市長選の投票日。]

一つ一つと減っていく

2014-11-18 | 共に
 【 武器輸出できる国に悲しみ 】 西条市 女性 (48) 《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ◇私は第2次世界大戦が終わって20年後に生まれた。当時、戦争の傷跡は子どもの目に気付かなかったが、大人たちにとってはそれほど昔の出来事ではなく、見えない傷跡は深かったはずだ。
 ◇その一方で、何としても平和な国にしなければという強い意志や、生活を豊かなものにしたいという願望も強かったのではないかと思う。そんな中で育った私は、戦争をしない、武器を輸出しない、核を持たない、そういう国に生まれたことを誇りに思って生きてきた。それがアッという間に武器を輸出する国になった。企業は利益を挙げるのが仕事のようなもの。武器を売って大きな利益が上がるのは平和でない時だ。どこかの国が戦争状態になった時に喜ぶような国になってほしくない。
 ◇国を守ることは大切だと思うが、武器を売ることとは違うと思う。自分の国の誇るべきところが一つ減った、と悲しくなるのは私だけなのだろうか。]  (会社員)

 自分の国の誇りが次々と減っていくのを多くの国民がまるで無関心かのような態度でいるのを、私も悲しく思っている。帝国日本の朝鮮植民地化に続く中国大陸への侵略で始まる大東亜戦争。そして太平洋戦争へと拡大。
 結果はアジア各地と国内に大きな犠牲を出し大敗北で終わる。日独伊3国同盟での第2次世界大戦の敗戦国では日本だけ、国民が戦争犯罪を裁く機会を逸したままに、反省もせず多数の犯罪者が政治に自衛隊の前身にとかかわり権力を維持することができた。
 つまり、国民が権力の暴走を縛るための日本国憲法を破壊し、過去の「日本を取りもどす」との勢力が今国会でも絶対多数を占める異常事態の根源はそこにあると思う。
 国民を守るためにある日本国憲法の大切さを、敗戦後の長い時間をかけてじわじわと蝕んでいた白アリたち集団にだまされえさを与え育ててきた責任は、われわれ国民にあると思えばとてもくやしい。