何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

「患者様」が医療を壊す

2011-02-21 21:58:21 | Book Reviews
『「患者様」が医療を壊す』 岩田健太郎・著、新潮選書、2011年1月25日

p.17 「正しい」振る舞いとは、その与えられたシチュエーションでベストのアウトカム(結果)を出せることをいうのです。

p.32 「ああ、私の主治医の先生は私なんかよりずっと偉大な人なんだ。この人について行けば大丈夫だ」
 でも、これは「患者さんにとって」得をする選択肢です。これは「べき論」ではありません。医療の世界はどうあるべきか、という問いではなく、医療の世界はこうしたほうが患者さんにとって得ですよ、という提案に過ぎません。

p.34 「人間を正当に評価するより、過大に評価した方がその人のパフォーマンスは上がる」

p.37 師弟関係が上手くいくのは、「師匠は絶対に偉くて、正しい」という幻想の世界に生きることです。それはもちろんファンタジーですよ。師匠だって間違いをやらかします。でも、そのファンタジーで生きているとき、その師弟関係は上手くいくのです。

p.39 指導医に怒鳴られたくらいで萎縮するような医者じゃ、プロとして勤まらないんですけどね。プロ野球のピッチャーに「そんなにたくさんの観客がいたら萎縮するといけないから、甲子園では投げないようにしとこうね」なんていいません。

p.42-3 おそらく、その背景にはゆがんだ形で能力主義の応用があるような気がします。アカウンタブルなもの、メジャラブルなもので人物を評価する。これが能力主義の要諦です。しかし、メジャラブルなもので人物を評価することくらい幼稚で未熟なことはないのです。
 測定可能であること、外的説明が出来ること、比較可能であること。これは要するに、みなアメリカの価値観です。

p.44 先生はあくまで先生なのですから、メンツをつぶすようなことをしないほうがよい。なぜなら、そのようなヴァーチャルな経緯、ヴァーチャルな上下関係こそが、医療現場の空気をよくするからです。医療現場の空気をよくすれば、それは医療のアウトカムをよくします。そうすれば、あなたも快適に医療サービスを享受できるのです。

p.44 医者患者関係と言っても普通の人間関係の延長線上にしかありません。
 医者だって人間ですから、感情を持っています。あからさまに敵意を示している人物には好意を持てないのが人情です。もちろん、プロですからあからさまに患者さんにイヤな顔をしたり、「あなたには好意を持てません」なんて言いませんよ。言いませんが、でもなんとなく患者さんとの間に、冷たい風が吹いてしまうのですよ。そういうものです。あなたが医者に好意を示していれば、医者だってそれを感じてあなたに好意を持ってくれる可能性が高いでしょう。

p.48 「お医者さんごっこ」は医者患者関係を円滑にし、医療現場の雰囲気を良くし、その結果医療の質が向上するためのツールです。あくまでツールなので、ここでドグマを持ってきてはいけません。

p.52 対立構造を払拭するにのは、常に「私はこれで正しいの?」という懐疑的な態度です。私は正しい、と主張する立場に対立構造の払拭は望めません。

p.55 だから、医者は患者さんの話をよく聞き、よく観察しなければなりません。自分の振る舞いの適切さは、患者さんのレスポンスだけが担保してくれるのです。患者さんのレスポンスは「嘘」をしばしばつくので、絶対的な担保にはなりませんが、まあ他に頼るものがないのですし、慣れてくれば患者さんの「嘘」もたいてい見抜くことが出来るようになります。

p.56-7 医者はプロですから、「お医者さんごっこ」というファンタジーにおいて達人になることが求められます。適切な振る舞い方を熟知しておく必要があります。一回、一回の外来における、入院病棟における患者さんとの出会いが全て弁証法的(ダイアレクティブ)な検証の場です。俺の振る舞いはこれで正しいのか?と目で患者さんに尋ねます。患者さんはアファーマティブな、全面的に同意する笑顔で「患者の役」を演じてくれているでしょうか。そうでないならば、どこをどう修正すればよいのでしょう。医者はプロとして、一所懸命弁証法的に「俺はこれで正しいか?」と問い続けるのです。

p.71 患者さんに共感するには、自然に共感できるようになるまで対話を続けなくてはいけないのです。ここでもダイアレクティブ、対話です。

p.73 患者さんとのコミュニケーションを掘り下げ、共感できるところまで落とし込んでやることで僕らは「患者の真意」を知るのです。

p.83 賢い患者になりましょう。
 賢くなってもいいですよ。でも、そうでなければならない、と決めつけるのはよくないのです。

p.169 このような隠蔽体質が製薬メーカーに、厚生労働省のような行政に、そして現場の医療者にまん延する時、「薬害」は起きるのです。過去の薬害の事例は判で押したように同じパターンでして、そこには「隠蔽」というキーワードが隠されています。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする