先週火曜日。加賀市内のすべての小学6年生が集い、中央公園の陸上競技場で連合運動会があった。加賀市で一番人数の多いのは山代小学校で600人余り。錦城小学校310人。錦城東小学校230人・・・で、南郷や勅使は70人で、三木は36人、東谷口小学校は32人らしい。そうなると、学校対抗は不公平となるので、800mとリレーは選ばれて出るようだ。
100mは全員が走る。人数の少ない学校を応援したくなる。とはいえ、800mとリレーの選手に選ばれたkouを、実家の母を連れて応援に行った。実家は陸上競技場のマイクの声がよく聞こえるので、誘ったら二つ返事だった。天気も良く、木の陰の芝生にいるだけで気持ちがいい。
運動会と言えば、クシコスポストが気持ちを高揚させる。ドイツのヘルマン・ネッケ作曲であるが、ドイツでは今、日本の運動会でお馴染みであることで、また見直されているという。ドイツの運動会では何を鳴らすのだろう?運動会はないのか?
玉入れは各学校の混成競技で、見ているだけで楽しい。ピンクはkouの組らしいが、孫の姿は見つけることは出来ない。陸上競技場は広すぎる。こういう時は良いカメラが欲しくなる。でも、今この雰囲気を味わえば十分なのである。
しかし、後でカメラに映ったのを見るのもやはり楽しい。あ、いたいた・・この後ろ姿は絶対そうだ。ばばバカである。もちろん、ついに分からない時が多い。
あらかじめ、娘からのラインでプログラムを送ってもらい、出番を知っていたので、豆粒のような遠いところからでも、何とか確認が出来たことと、名前を一人ずつアナウンスするのでありがたい。それでも、後ろにいた父兄の方は、100mが終わって「いつ走ったか分からんだ・・」と、残念がっていた。
kouが6年生になって走るのを見たら、殿と一緒に、kouが2年生の時マラソン大会を応援に行ったことを思い出した。2年生はグランド1km走るのだ。殿は駐車場からグランドの端まで歩くのがやっとで、立っていられなくて、コンクリートの階段に座布団を敷いて座っていたのに、kouの出番には前へ出て「最後までがんばれ!!」と、大きな声で応援していた。わたしの身長を追い越したkouを殿に見せたいと思ったら鼻につんときた。この後、4か月で殿は逝ってしまったのだった。最後の力を振り絞っていたのは、じぃじだったんだね。
時代の変化とは言え、興味を持って調べて、驚き・考えされられました
(1)児童数が四分の一から五分の一(当時、錦城東小学校はできていませんでしたが)
小学校の児童数と中学校の生徒数を比べると更なる少子化が
(2)山代小学校が錦城小学校より大きくなった
(3)調べてみると加賀市には小学校が20ある
中学校は全て記憶どおりでしたが、小学校は、当時、中学校校下以外は意識する機会がなく。名前をみればわかる程度。緑丘小学校はわからず、調べて合併したものと知りました。緑丘ではどこの小学校かわかりにくいですね。
ところで「校下」という言葉、確認のためググってみると面白いことに方言だとわかりました。全く方言の意識なしに使っていましたが。
加賀市は消滅可能性都市らしいです。
通さんが調べた内容は大きな原因のひとつです。子供が少ないと言うことは、若者が少ないという証拠ですね。
それと、校下は標準語かと思っていました!!